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報恩寺

寺・神社・教会

和歌山市

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報恩寺 https://4travel.jp/dm_shisetsu/11292148

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施設情報

施設名
報恩寺
住所
  • 和歌山県和歌山市吹上1-6-38
カテゴリ
  1. 観光・遊ぶ
  2. 寺・神社・教会
登録者
たびたび さん

※施設情報については、時間の経過による変化などにより、必ずしも正確でない情報が当サイトに掲載されている可能性があります。

クチコミ(14件)

和歌山市 観光 満足度ランキング 36位
3.32
アクセス:
3.23
和歌山城から徒歩10分 by すぶたさん
人混みの少なさ:
4.14
バリアフリー:
2.93
見ごたえ:
3.36
  • 徳川吉宗生誕の地碑から南へとすぐ

    • 3.5
    • 旅行時期:2022/11(約2年前)
    • 0

    徳川吉宗生誕の地碑から100メートルほど南に歩くと報恩寺があります。創建は江戸時代の初期と歴史ある寺で、立派な山門と広い境...  続きを読む内と立派な本堂があります。報恩寺は紀州藩の歴代の藩主の正室の菩提樹として、紀州藩の庇護を受けてきているので、格式を感じられる寺院です。少し南へと歩くと太良町通りです。  閉じる

    投稿日:2023/01/04

  • 見事な山門です

    • 4.0
    • 旅行時期:2022/06(約3年前)
    • 0

    和歌山教育大学の付属小学校のすぐ南に位置するお寺です。「報恩時」と書かれた大きな石碑に重なって、大きな木の幹が出ています。...  続きを読むあと、山門の前に小さな松の木もあったりして、風情のある山門です。境内の木々もよく手入れされています。  閉じる

    投稿日:2023/03/18

  • 紀州徳川家御廟所

    • 3.5
    • 旅行時期:2022/05(約3年前)
    • 0

    寺町通りを北に折れて、和歌山西署のとなりにあるなかなか大きな寺院です。創建は江戸時代初期の慶長年間。その後の寛文年間に紀州...  続きを読む藩二代藩主・徳川光貞が母・瑤林院の供養のために報恩寺と改称し、開山したことで宗派は日蓮宗でした。「紀州徳川家御廟所」の石柱が門前に誇らしく立っていました。  閉じる

    投稿日:2022/09/03

  • 寺町通りにあります

    • 3.5
    • 旅行時期:2022/05(約3年前)
    • 0

    和歌山城公園の南側にある寺町通りにあるお寺です。1609年建立の歴史あるお寺で、説明板には和歌山城下唯一の武士寺と書かれて...  続きを読むいました。参拝に来ている観光客は見かけませんでしたが、境内はきれいに整備されていて、大切にされていることが感じられました。  閉じる

    投稿日:2022/05/09

  • 紀州徳川家ゆかりの寺

    • 3.5
    • 旅行時期:2021/06(約4年前)
    • 0

    徳川御三家の一、紀州徳川家。その藩祖は徳川家康の十男、徳川頼宣(よりのぶ)。この徳川頼宣正室・瑤林院がその死後に葬られたの...  続きを読むが、報恩寺の前身であった要行寺というお寺です。徳川光貞の時代に大規模な造営が行われ、寺名も報恩寺と改められた。代々の紀州藩主正室の菩提寺であった報恩寺は和歌山城下のお寺の中でも、特に格の高い存在であったようです。  閉じる

    投稿日:2021/07/04

  • 警察署の隣

    • 4.0
    • 旅行時期:2019/09(約5年前)
    • 0

    和歌山市内の観光名所を、地図を片手に巡って行き、ここも入っていたため、訪れてみました。
    和歌山西警察署の隣にありました。...  続きを読む
    歴代紀州藩主の御廟は長保寺にありますが、奥方様はこの報恩寺にお眠りになっているようです。
    境内はかなり広く、和歌山市の寺町の中でも、中心的な存在の様でした。お参りする方の姿は無く、ひっそりとしていました。  閉じる

    投稿日:2019/09/29

  • 武士寺!

    • 3.5
    • 旅行時期:2017/11(約7年前)
    • 2

    和歌山市観光の際に行ったお寺さん。

    慶長14年(1609年)に建てられて、当時は要行寺と言われていたらしい。
    寛文...  続きを読む8年(1666年)に紀州徳川家ゆかりの公が改名したそうだ

    同時に紀州徳川家代々の菩提寺にもなり、和歌山城下唯一の武家寺だったそうだ。
    紀州徳川家のゆかりだけあって、山門や鬼瓦、正門には徳川の三つ葉葵の紋所が入っており、旅情を掻き立てる!

    本堂前にある庭園もなかなか雰囲気があるので、ここは寺通界隈の中ではマストのお寺さんとなる。

    駐車場が広く台数も十分だが、アクセス路が狭いの注意が必要。
      閉じる

    投稿日:2018/04/08

  • よく手入れされた庭

    • 3.0
    • 旅行時期:2017/07(約7年前)
    • 0

     無量光寺を訪ねたついでに付近の徳川吉宗公誕生地の碑まで行く途中,立派な山門の向こうによく手入れされた庭が目に入りました。...  続きを読む縁起書によれば,紀州徳川家代々の菩提寺とのこと。確かに至る所に葵の御門が。初代藩主の正室瑶林院をはじめ,2代光貞や5代吉宗の各正室の墓があります。  閉じる

    投稿日:2019/02/02

  • 山門を入って きれいに整備された広い境内の奥には とても立派な御成門があります。 さらに奥に入っていくと 瑶林院墓碑と大き...  続きを読むく書かれた説明板があって 徳川家の家紋のついた門の中に入っていくと長いなだらかな階段になっていて さらにずっと奥まで行くととても広い墓所になっていて 多くのお墓が並んでいます。
    さすが徳川家の墓所だとその広さに驚きました。  閉じる

    投稿日:2017/05/17

  • 紀州藩徳川家の正室の菩提寺

    • 3.0
    • 旅行時期:2014/12(約10年前)
    • 0

    紀州藩徳川家の正室の菩提寺です。
    創立された頃は『要行寺』という寺名でしたが、
    紀伊徳川家の家祖である徳川頼宣の正室瑤...  続きを読む林院が、
    江戸で逝去し荼毘にふされました。
    その後、頼宣が自ら瑤林院の霊柩を護って、
    和歌山へ帰り要行寺に埋葬しました。

    二代目の紀州藩主徳川光貞が、
    母瑤林院への報恩と追福のために要行寺を改めて寺名を『報恩寺』とし、
    広大な白雲山報恩寺を造営して紀伊徳川家菩提寺として、篤く祭祀しました。
    以後、歴代藩主正室の菩提寺となりました。

    行った時はすでに門が閉まっており、内部の見学は出来ませんでした。
    なお、近くには吉宗生誕の地碑もあります。
      閉じる

    投稿日:2014/12/07

  • 紀州徳川家ゆかりのお寺さん!!

    • 3.0
    • 旅行時期:2014/09(約10年前)
    • 0

    JR和歌山駅からレンタサイクルで約15分ほどと少し距離はあります、
    こちらのお寺さんは、紀州藩初代藩主徳川頼宣の正室瑶林...  続きを読む院の
    追福のために建てられたお寺さんだそうで、
    光貞夫人の天真院・5代藩主吉宗夫人寛徳院らのお墓もある
    紀州徳川家ゆかりのお寺さんです。確かに柔らかい雰囲気のお寺さんです。  閉じる

    投稿日:2014/09/21

  • 商売熱心

    • 2.0
    • 旅行時期:2014/03(約11年前)
    • 0

    商売熱心なお寺でお墓でいっぱいでした。
    徳川家のお墓の管理を都会でしようと思えば、
    物入りなのでしょうか。
    ちょっと...  続きを読む苦手な感じです。
    死者の供養の必要性を仏は説いてなかったと思います。
    どちらかと言えば否定的だったと思います。
    お寺の方にはよく考えて欲しいです。

      閉じる

    投稿日:2014/03/21

  • 紀州徳川家霊廟

    • 3.5
    • 旅行時期:2013/11(約11年前)
    • 0

    初代藩主・徳川頼宣の正室・瑶林院(加藤清正の娘)の追福のため、徳川光貞により建てられました。
    瑶林院の墓をはじめ、紀州徳...  続きを読む川家霊廟があります。
    私が行ったときは17時を過ぎていたので、門が閉まって入れませんでした。  閉じる

    投稿日:2015/02/14

  • 加藤清正の血は紀州徳川に受け継がれたわけで

    • 4.5
    • 旅行時期:2009/01(約16年前)
    • 0

    報恩寺は、歴代紀州藩主正室の菩提寺と聞いて訪ねました。墓地では、お墓が並びますが、ひときわ大きいのが写真の初代藩主であり、...  続きを読む紀伊徳川家の祖、徳川頼宣公の正室瑤林院のお墓。ちなみに、瑤林院は、加藤清正の娘。第5子、次女として肥後国に生まれています。徳川家康と加藤清正の合意により婚約して、紀州に輿入れし、14年間を和歌山城で暮らします。最後は江戸の藩邸で亡くなるようですが、だびに付され、この地に運ばれました。それにしても、加藤清正の血は紀州徳川に受け継がれたわけで、吉宗にもその血を受け継がれていると思うと感慨深いものがありますね。


      閉じる

    投稿日:2012/09/04

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