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濱口梧陵像

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濱口梧陵像 クチコミ・アクセス・周辺情報

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クチコミ・評判

1~6件(全6件中)

  • 和歌山県庁の敷地内

    • 4.0
    • 旅行時期:2022/11(約3年前)
    • 0

    濱口梧陵は和歌山出身の幕末から明治にかけて活躍した経済人、政治家、社会事業家です。和歌山県関係では県議会議長の役職も務めて...  続きを読むいます。銅像は県庁建物内の通路を奥の方に歩いて行き、建物裏の敷地にあります。場所がわからず県庁正面受付で尋ねたところ丁寧に教えていただきました。せっかく銅像をつくっているならわかりやすい正面広場とかの方がいいのではと思います。  閉じる

    投稿日:2023/01/04

  • ブルーの世界です

    • 4.0
    • 旅行時期:2022/06(約4年前)
    • 0

    ちょっとわかりにくい場所ですが、和歌山県庁の東別館の庭に立っています。和歌山県議会の初代議長で燕尾服が似合っています。この...  続きを読む県庁のライトはブルーで、下から撮影すると、木々の間の背景の色がブルーで、インスタ映えする写真になりました。
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    投稿日:2023/03/20

  • 和歌山県議会の初代議長

    • 3.0
    • 旅行時期:2022/05(約4年前)
    • 0

    県庁の敷地の北東角、東別館の庭の一角に銅像が建っています。幕末から明治にかけて活躍し、和歌山県議会の初代議長を務めた人物だ...  続きを読むそうです。意図してそうしたのか、立派な本庁舎の正面玄関に向かって見ると、まず気づかれない場所なのでけっこう探してしまいました。  閉じる

    投稿日:2023/03/01

  • 津波から村民を守った「稲むらの火」

    • 4.0
    • 旅行時期:2022/01(約4年前)
    • 0

    和歌山市駅から徒歩で20分ほどです。和歌山県庁東別館にあります。物語「稲むらの火」であまりにも有名な人物ですが、安政南海地...  続きを読む震の際、津波から避難する道しるべとするため自家の稲むらに火をつけて村民を助け、また資材を投じて災害復旧に尽力し堤防築造にも取り組みました。和歌山県庁に像があるのは県議会の初代議長を務めたためでしょうか。とにかく紀州を代表する政治家、実業家(ヤマサ醤油の7代当主)そして篤志家であったためでしょう。  閉じる

    投稿日:2022/01/15

  • 「稲むらの火」として知られる史実

    • 3.5
    • 旅行時期:2017/01(約9年前)
    • 0

    濱口梧陵像は、和歌山県庁の東別館前。
    ちなみに、濱口梧陵は、幕末に起きた安政南海地震の津波が村に来襲した際、自分の田にあ...  続きを読むった藁の山に火をつけて安全な高台にある神社への避難路を示す明かりとし、多くの村民を救ったという人物。
    「稲むらの火」として知られる史実だそうですが、これは今でも忘れてはならない防災の教訓。ここに像があるのは正しい判断だと思います。  閉じる

    投稿日:2017/02/17

  • 「稲むらの火」の主人公、「生ける神」の銅像

    • 4.0
    • 旅行時期:2013/05(約13年前)
    • 0

    県庁の東別館前には、和歌山県議会の初代議長である濱口梧陵(はまぐち ごりょう)の銅像があります。
    濱口梧陵は、安政元年、...  続きを読む安政南海地震の際に津波から避難するための道しるべとして自家の稲むらに火を放って多くの村人を救ったという「稲むらの火」の物語で有名です。

    梧陵は、幕末時代に醤油醸造業を営む濱口家の分家の長男として生まれましたが、12歳で本家の養子となり、銚子に移りました。その後、海外留学を志願するものの認められず、30歳で広村(現在の広川町)に帰郷しました。1852年には現在の耐久高等学校の前身となる「耐久舎」の開設にも関わっています。
    安政南海地震の後には、私財を投じて災害復旧につとめたほか、広村堤防の修理・築造にも取り組みました。これは、荒廃した被災地の住民に仕事を与える一種の失業対策事業であるとともに、将来の災害に備えての防災事業でもありました。現在で言えば緊急雇用対策としての防災・改良復旧事業であり、これに投じた梧陵の私財は4,665両にのぼると伝えられています。

    江戸時代最後の年である1868年には商人身分ながら異例の抜擢を受けて紀州藩勘定奉行に任命され、維新後には藩校教授や大参事(副知事に相当)を歴任するなど、藩政改革の中心に立って紀州藩・和歌山県経済の近代化に尽力しました。その後、1871年には、大久保利通の要請で明治新政府の初代駅逓頭(えきていのかみ、郵政大臣)に就任するものの、権頭(次官)であった前島密との確執もあって半年足らずで辞職することになります。
    そして、1880年に第1回通常会が開催された和歌山県議会では県内1区8郡から選ばれた43人の議員を代表して初代の県会議長に就任しました。県庁にある銅像は、こうした偉大なる政治家であるとともに稀代の篤志家であった濱口梧陵の功績をたたえて建立されたものです。

    濱口梧陵は、「稲むらの火」の物語であまりにも有名なため、篤志家、政治家といった側面ばかりが強調されやすいのですが、彼はまた濱口家の家業である醤油醸造業もおろそかにせず、「ヤマサ醤油」の7代目当主として幕末の動乱の中で事業を守り、キッコーマンに次ぐ業界2位となる大メーカーの礎を築いたという面で実業家としての優れた才能を発揮しています。  閉じる

    投稿日:2015/08/27

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基本情報(地図・住所)

施設名
濱口梧陵像
住所
  • 和歌山県和歌山市小松原通1-1 和歌山県庁内
カテゴリ
  1. 観光・遊ぶ
  2. 名所・史跡
登録者
yoshimune-kun さん

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