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≪2016.March≫あみんちゅ歴史に触れる旅沖縄本島その弐之四~3日目:糸満戦跡訪問編~<br /><br />今回の早春の沖縄旅はガマ・戦跡巡りに重点を置いたものに決めました。事前に目的地を沖縄県南城市にある〝糸数アブチラガマ〟と島尻郡南風原町の〝沖縄陸軍病院南風原壕群20号〟に決め、出発前に珍しく必要な手続きを取って〝入壕〟の予約を済ませました。三日目の今日は糸満に残っている戦跡を巡ります。<br /><br /><br />平成28(2016)年3月1日火曜日<br />宿 10:18 (0.0km:0.0km:130.2km)<br />ファミリーマート 10:22 (1.3km:1.3km:131.5km)<br />糸満米須店    10:33<br />魂魄之塔 10:36 (1.8km:3.1km:133.3km)<br />11:43<br />開南健 11:43 (0.2km:3.3km:133.5km)<br />児之塔 11:53 <br />東京之塔 11:54 (0.2km:3.5km:133.7km)<br />12:12<br />荒崎海岸 12:17 (1.3km:4.8km:135.0km)<br />12:37<br />平和創造 12:45 (1.5km:6.3km:136.5km)<br />の森公園 13:37<br />山城陸軍 13:44 (1.3km:7.6km:137.8km)<br />病院壕跡 14:03<br />琉風之塔 14:07 (1.1km:8.7km:138.9km)<br />14:12<br />山吹之塔 14:27 (2.8km:11.5km:141.7km)<br />14:40<br />真和之塔 14:41 (0.3km:11.8km:142.0km)<br />15:12<br />浄魂之塔 15:14 (1.3km:13.1km:143.3km)<br />15:20<br />沖縄兵站 15:21 (0.1km:13.4km:143.4km)<br />慰霊之塔 15:27<br />白梅之塔 15:47 (5.3km:18.4km:148.7km)<br />16:21<br />栄里之塔 16:25 (0.8km:19.2km:149.5km)<br />16:28<br />バクナー中 16:29 (0.1km:19.3km:149.6km)<br />将戦死の跡 16:36<br />梯梧之塔 16:54 (8.5km:27.8km:158.1km)<br />18:02<br />糸洲の壕 18:10 (3.2km:31.0km:161.3km)<br />18:22<br />イオンタウン 18:47 (9.2km:40.2km:170.6km)<br />豊見城店 19:35<br />那覇中央 19:52 (4.9km:45.1km:175.5km)<br />郵便局  20:07<br />沖縄船員会館 20:20 (6.6km:51.7km:182.1km)//<br /><br />ふぁ~っよく寝ました。やはり本州付近の寒気の影響なのか夜は冷え込んだので、寝るときに暖房をかけました。しかし耐えられない冷え込みではなくその後は熟睡。そして旅3日目の朝を迎えました。<br /><br />ご挨拶をした後みん宿ヤポネシア自慢の朝食を頂きます。ご主人は娘さんを送った後用事があるようで、また来ますと先に挨拶をしておきます。ゆっくり朝食を食べながら新聞を読んで情報収集。そして荷物をまとめます。今日の予定は糸満の戦跡を巡ること以外はあまり細かくは決めていません。まぁ綿密に組んだとしても迷子になるとおしまいなので、 ざっと組んだ後出発します。<br /><br />出発までに時間がかかるのはいつものこと、用事を済ませたご主人も戻って来られ、前回同様ご夫妻に見送られて出発します。さあ3日目の行程がスタートします。とりあえず最初は最寄りのファミリーマート糸満米須店に立ち寄り、ドリンク1本!そして一服の後出発します。米須西交差点からしばらく走り、やって来たのは米須霊域の魂魄之塔です。<br /><br />昨年6月に訪れているこの場所、やはり平日ということもあり、人はいません。しかしなぜか駐車車両は結構あり、なんだろうと思っているとどうやらサーフィンをしている人の様子。目の前にサーファーの駐車を控えるように注意書きがあっても無視なんですね・・・、しかもこの場所で。言っても仕方がないので付近の慰霊碑を巡ります。魂魄之塔・北霊碑・大和之塔・島根之塔・大分の塔・讃岐の奉公塔・有川中将以下将兵自決の壕と回った後で糸満市の慰霊碑マップを眺めていたところ、草刈りをやっていたおじぃに声をかけられました。聞けば慰霊碑の管理をされているとのこと。どのような慰霊碑があるかを丁寧に説明して頂きました。どこまで回れるかはわからないものの参考にさせて頂きますとお礼を言って先へと急ぎます。<br /><br />そのまま平和創造の森公園の方に向かうと因伯之塔があります。都道府県別慰霊碑の鳥取県のものですが、勘違いをしていたようで因幡之塔ではなかった・・・。因幡と伯耆の頭文字を組み合わせたものでした。そしてその向かいには開南健児之塔、私立開南中学の戦争犠牲者が祀られています。そして少し進んだ先にある一際目立つ大きな東京の塔。東京所縁の戦没者慰霊碑ですが、都道府県別慰霊碑の中で最も大きなものだそうです。<br /><br />そしてすぐ先には平和創造の森公園の入口があるのですが、普段は入れない様子。そのため外周道路を走り、荒崎海岸のひめゆり部隊散華の地へと向かいます。この場所はナビに表示されないものの、昨晩入口を確認しているので無事到着。枝葉をかき分けて海岸と出た後、赤土の残る通路を歩いて到着します。今なお変わらぬ荒波が打ち付ける場所でひめゆり学徒達はどのような気持ちだったのか・・・。今では知る由もありませんが手を合わせてご冥福を祈ります。<br /><br />今来た道を折り返して車に戻ります。ナビではこのまま北上すると平和創造の森公園へと抜けられるようですが舗装なしの道は不安があり、おとなしく舗装されている道まで戻ってから平和創造の森公園へと向かいます。第4回植樹祭の跡地に作られた公園になりますが、家族で楽しめるみたいにはなっていますがまぁそれ位です。それより気にはなっていたのが敷地内にあるガマの存在。地図上では道路に面してあるように出ていたものの、実際には駐車場に車を停めて歩かないといけません。<br /><br />マヤーアブという自然のガマ、ちょっとした行き違いがあって入ってしまいましたが、平和創造の森公園での入壕許可が必要です。<br /><br />マヤーアブを出て次に向かったのは沖縄陸軍壕跡、これも昨晩行こうとしましたが真っ暗闇の畑の中、場所がわかりませんでした。平和創造の森公園から市街地に向かう道から鋭角に曲がるように入って行きます。昨晩諦めた地点から僅かに左手に進んだ場所にありました。慰霊祭に使われるために作られたのか、車1台が停められるスペースがありました。<br /><br />沖縄陸軍病院本部壕として役目をしていた壕の跡は中には入れるものの往時を偲ぶ奥の方には入れないようです。降りられるところまで降りて手を合わせた後、次の目的地へと向かいます。<br /><br />国道331号線を少し走り、伊原の集落にある琉風之碑。沖縄気象台関係の戦没者を祀っています。昨晩も立ち寄りましたが、真っ暗闇で前にも進めず後ろにも戻れず状態になり、必死になって切り返して戻りました。昼間なのでそこまではひどくはないもののやはり寂しい場所でした。手を合わせた後、昨晩は進めなかったまっすぐの道を走ります。<br /><br />満華の塔、昭和26(1951)年に真壁集落の住人によって集められた遺骨を収めたものがはじまりとなり現在のものは二代目にあたります。この真壁一帯は沖縄戦終了間近に激しい戦闘が行われた場所であり、軍人民間人問わず多くの犠牲者を出しました。その犠牲者を祀るべく軍関係の慰霊碑もたくさん建立されています。ひとつひとつの慰霊碑に手を合わせまた走り出します。<br /><br />真和の塔、手持ちの火器を全滅させられた砲兵部隊が斬り込みを敢行し玉砕。その戦没者を祀るべく建てられました。またこの真壁公園には満霊之塔という糸満で日清戦争から沖縄戦に至る犠牲者を祀るものもありました。<br /><br />浄魂之塔、第24師団隷下の部隊とその戦闘に協力した住人の遺骨を昭和32(1957)年3月に地元新垣の住人の手により集められ納骨され建立されました。そしてすぐ近くにある沖縄兵站慰霊之塔、前線の部隊とは異なり兵員輸送や陣地構築等多くの裏方の仕事に携わった兵士にも多くの犠牲者を出し、その戦没者を合祀して昭和46(1971)10月に建立されました。またこの沖縄兵站慰霊之塔横には、戦時中に兵士が籠っていた壕が残されています。<br /><br />そして今まで何度となく計画を立てたもののお流れとなっていた白梅之塔にやっと来ることができました。八重瀬にあった第24師団陸軍野戦病院で解散命令を受けた白梅学徒看護隊の一部は撤退してきたこの地の野戦病院にたどり着き合流するも昭和20(1945)6月21・22日に米軍の猛攻撃を受け無念の最期を迎えました。この白梅之塔は学徒隊や学校関係者で沖縄戦によって犠牲となった149名を祀り、昭和22(1947)年1月に建立されました。白梅学徒自決の壕とされる下の壕、落盤のため入ることのできない上の壕。若き乙女達がなにを思いなにを考えたのかは知る由もありませんが、駐車場やトイレなどの設備が完備されているのに参拝者がいない現実に心が痛みます。性別不詳の輩は入口で立ち止まり、また2・3段残した場所でも立ち止まりガマ内部の祭壇で手を合わせてきました。そして白梅之塔向かって左には萬魂之塔、やはり地元国吉集落の住人によって集められた名も無き兵士や住人の遺骨を収めたものだそうです。<br /><br />この界隈は事実上の沖縄戦が終結した昭和20(1945)年6月23日以降も戦闘が続いた場所であり、第24師団第32歩兵連隊本部と第1大隊が継続してガマや壕に籠りゲリラ戦を戦っていました。白梅上の壕付近の第32連隊終焉の地の碑と山形之塔、この第32歩兵連隊は山形で構成された部隊であり、その戦没者を祀るべく建てられています。碑の手前には壕があり、こちらは第24師団第32歩兵連隊が最後まで籠り、降伏する前に軍旗を奉焼した場所だそうです。<br /><br />そして真山之塔、沖縄戦を最後まで戦った第24師団隷下の部隊の戦没者を祀る慰霊碑となっています。<br /><br />その真山之塔を右手にとって回ると白梅之塔上の壕があります。白梅之塔下の壕同様に米軍の猛攻撃を受け、白梅学徒や兵士が犠牲となりました。白梅之塔上の壕は落盤のため入壕は不可となっています。<br /><br />歩ける距離にあるこれだけの慰霊碑や慰霊塔の存在は、素人が見ても局地的な場所で激戦が繰り広げられたことがわかります。ひと言では説明することができず、ただ手を合わせることしかできなかった自分に対しもどかしさすら覚えました。<br /><br />そして少し進んだところにあるのが栄里之塔、第22歩兵連隊が玉砕した場所に戦後真栄里の住人の手によって兵士と戦闘に協力した住人の遺骨12,000柱を祀ったものだそうです。<br /><br />栄里之塔から僅か100mの距離に少し違和感すら感じる慰霊碑があります。書かれている案内には〝バクナー中将慰霊碑〟。米軍第10軍指令官〝サイモン・B・バックナー・ジュニア〟の戦死した場所になります。あえてなぜ米軍の司令官の慰霊碑があるのか?首をかしげるところはありますがそこはまた別の機会に述べることにし、見たままを言えば、ここには3名の米軍将校の慰霊碑があり、一番目立つものが第96師団副師団長イズリー准将、その隣が第6師団第383歩兵連隊長メイ大佐、一番奥にあるのがバックナー中将のものになります。関心がないから訂正されないのかも知れませんが、どうなのでしょうか・・・?間違いを放置するのも。<br /><br />まぁ煮え切らないところはあったものの時間は待ってくれないので先を急ぎます。このまま今来た道を戻っても良かったのですが、敢えて違う道を選びます。途中で見つけた〝名城ビーチ〟。古き沖縄のビーチだったそうですが、時代の流れについて行けず閉鎖となり、最近再開発リゾートが建てられるとのこと。それが良いのかどうかはわかりませんが、いっときのために永続的な苦労を背負い込むことだけは避けて貰いたいです。まぁそれ以上は言えませんが・・・。<br /><br />そしてやってきた先は梯梧之塔。ひめゆりの塔の隣にあるのに知名度が低いようで、こちらも初めての訪問です。お土産物屋でいごの駐車場奥にひっそりとありました。学校跡に建てられたものを終焉の地伊原に移されたとのことに想いを感じ手を合わせます。そして第一外科壕へと向かいます。<br /><br />その前にお土産を仕入れるためにひめゆり会館に立ち寄ります。この界隈のお土産屋に対してあまり良く言う方がおられないようですが、時間的に開いているお店がないので〝やむを得ない理由〟で立ち寄りました。私の場合どんなお店でもそうなのですが、浪費を防ぐため〝手で持てる範囲〟での買い物を心掛けているのですが、こちらは店の方針で〝籠持ち〟しか認めていないそうです。万引き防止なのかも知れませんがあまり良い気はしません。それでも翌日空港で買うことを思えばという理由でお土産をチョイス。5,000円で送ってくれるとのことで条件をクリアし、伝票を書いた第一外科壕跡への道を尋ねるとまさかの〝知らない〟との回答。まさか?と思いましたが仕方がない。結局はお偉いさんが教えてくれたものの、こんなものか・・・と残念に思いました。<br /><br />店の前の国道331号線を100m程歩くと第一外科壕入口の道標がありました。そしてそこから50m位歩くとポツンと〝第一外科壕跡〟の碑が建っていました。ひめゆりの塔がある第三外科壕からほんの僅かな距離しか離れていないものの、この距離が犠牲者数を大きく左右しました。大きな第三外科壕は人気だったようで、その選択をジャンケンで決めたというしらゆり学徒達の無邪気な姿が目に浮かび、本当にやるせない気持ちになりました。第一外科壕跡の底部には降りることができるので、そこで手を合わせご冥福を祈ります。<br /><br />そして第三外科壕跡であるひめゆりの塔へ。資料館は閉まっているので第三外科壕跡や慰霊塔の参拝になりますが、ここも昨晩訪れた場所。南部戦跡の観光地として不動の地位を築いていますが、18:00頃の日暮れ間近な時間、いつもとは違う雰囲気を醸し出しています。こちらでも手を合わせ、いよいよ那覇へと向かいます。<br /><br />国道331号線を走り出してすぐ、反対方向に戦跡らしい看板を見つけ停車します。山部隊(第24師団)第二野戦病院壕と書かれた看板を頼りに走ると〝糸洲の壕〟と書かれている小さな看板を発見。車を下りて急いで回ります。入口に建立された鎮魂之碑には積徳女学校の生徒により構成された〝ふじ学徒〟の文字も見えました。壕内にも入ってみたものの間もなく日が暮れようとする時間、行けるところまで行って手を合わせ、戻ります。これで今日の行程は終了しました。<br /><br />那覇へと向かう途中イオンタウン豊見城によって飲み物を仕入れます。通り道にお気に入りのサンエーストアがなかったのでそうなりました。そして那覇中央郵便局に寄って旅行貯金をし、那覇市街の中心部に位置する沖縄船員会館に到着。今回の旅3日目のアクティビティーは終了です。<br /><br />この沖縄船員会館、船員共済組合が運営する公共の宿ですが一般でも宿泊できます。2人以上だと1人3,100円、1人だと3,600円です。ルームチャージのみですがこの値段はお・ト・ク♪ただ禁煙ではないため、タバコがダメな方はキツイかも知れません。私は全然OKでした♪<br /><br />明日はもう帰る日、4日間は本当に短いです。とは言っても始まらないので、ひとっ風呂浴びて今日の行程を確認するともう眠くて仕方がない。という感じで夜は更けて行きましたzzz。<br /><br />【本日のお支払】<br /> 【本日の明細】<br />沖縄船員会館(シングルRC)…3,600円<br />小計:3,600円<br />累計:35,260円(割引後:32,010円)<br /><br />これで〝≪2016.March≫あみんちゅ歴史に触れる旅沖縄本島その弐之四~3日目:糸満戦跡訪問編~〟は終わりです。次はいよいよ最終章、帰宅編になります。

≪2016.March≫あみんちゅ歴史に触れる旅沖縄本島その弐之四~3日目:糸満戦跡訪問編~

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2016/03/01 - 2016/03/01

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≪2016.March≫あみんちゅ歴史に触れる旅沖縄本島その弐之四~3日目:糸満戦跡訪問編~

今回の早春の沖縄旅はガマ・戦跡巡りに重点を置いたものに決めました。事前に目的地を沖縄県南城市にある〝糸数アブチラガマ〟と島尻郡南風原町の〝沖縄陸軍病院南風原壕群20号〟に決め、出発前に珍しく必要な手続きを取って〝入壕〟の予約を済ませました。三日目の今日は糸満に残っている戦跡を巡ります。


平成28(2016)年3月1日火曜日
宿 10:18 (0.0km:0.0km:130.2km)
ファミリーマート 10:22 (1.3km:1.3km:131.5km)
糸満米須店    10:33
魂魄之塔 10:36 (1.8km:3.1km:133.3km)
11:43
開南健 11:43 (0.2km:3.3km:133.5km)
児之塔 11:53
東京之塔 11:54 (0.2km:3.5km:133.7km)
12:12
荒崎海岸 12:17 (1.3km:4.8km:135.0km)
12:37
平和創造 12:45 (1.5km:6.3km:136.5km)
の森公園 13:37
山城陸軍 13:44 (1.3km:7.6km:137.8km)
病院壕跡 14:03
琉風之塔 14:07 (1.1km:8.7km:138.9km)
14:12
山吹之塔 14:27 (2.8km:11.5km:141.7km)
14:40
真和之塔 14:41 (0.3km:11.8km:142.0km)
15:12
浄魂之塔 15:14 (1.3km:13.1km:143.3km)
15:20
沖縄兵站 15:21 (0.1km:13.4km:143.4km)
慰霊之塔 15:27
白梅之塔 15:47 (5.3km:18.4km:148.7km)
16:21
栄里之塔 16:25 (0.8km:19.2km:149.5km)
16:28
バクナー中 16:29 (0.1km:19.3km:149.6km)
将戦死の跡 16:36
梯梧之塔 16:54 (8.5km:27.8km:158.1km)
18:02
糸洲の壕 18:10 (3.2km:31.0km:161.3km)
18:22
イオンタウン 18:47 (9.2km:40.2km:170.6km)
豊見城店 19:35
那覇中央 19:52 (4.9km:45.1km:175.5km)
郵便局  20:07
沖縄船員会館 20:20 (6.6km:51.7km:182.1km)//

ふぁ~っよく寝ました。やはり本州付近の寒気の影響なのか夜は冷え込んだので、寝るときに暖房をかけました。しかし耐えられない冷え込みではなくその後は熟睡。そして旅3日目の朝を迎えました。

ご挨拶をした後みん宿ヤポネシア自慢の朝食を頂きます。ご主人は娘さんを送った後用事があるようで、また来ますと先に挨拶をしておきます。ゆっくり朝食を食べながら新聞を読んで情報収集。そして荷物をまとめます。今日の予定は糸満の戦跡を巡ること以外はあまり細かくは決めていません。まぁ綿密に組んだとしても迷子になるとおしまいなので、 ざっと組んだ後出発します。

出発までに時間がかかるのはいつものこと、用事を済ませたご主人も戻って来られ、前回同様ご夫妻に見送られて出発します。さあ3日目の行程がスタートします。とりあえず最初は最寄りのファミリーマート糸満米須店に立ち寄り、ドリンク1本!そして一服の後出発します。米須西交差点からしばらく走り、やって来たのは米須霊域の魂魄之塔です。

昨年6月に訪れているこの場所、やはり平日ということもあり、人はいません。しかしなぜか駐車車両は結構あり、なんだろうと思っているとどうやらサーフィンをしている人の様子。目の前にサーファーの駐車を控えるように注意書きがあっても無視なんですね・・・、しかもこの場所で。言っても仕方がないので付近の慰霊碑を巡ります。魂魄之塔・北霊碑・大和之塔・島根之塔・大分の塔・讃岐の奉公塔・有川中将以下将兵自決の壕と回った後で糸満市の慰霊碑マップを眺めていたところ、草刈りをやっていたおじぃに声をかけられました。聞けば慰霊碑の管理をされているとのこと。どのような慰霊碑があるかを丁寧に説明して頂きました。どこまで回れるかはわからないものの参考にさせて頂きますとお礼を言って先へと急ぎます。

そのまま平和創造の森公園の方に向かうと因伯之塔があります。都道府県別慰霊碑の鳥取県のものですが、勘違いをしていたようで因幡之塔ではなかった・・・。因幡と伯耆の頭文字を組み合わせたものでした。そしてその向かいには開南健児之塔、私立開南中学の戦争犠牲者が祀られています。そして少し進んだ先にある一際目立つ大きな東京の塔。東京所縁の戦没者慰霊碑ですが、都道府県別慰霊碑の中で最も大きなものだそうです。

そしてすぐ先には平和創造の森公園の入口があるのですが、普段は入れない様子。そのため外周道路を走り、荒崎海岸のひめゆり部隊散華の地へと向かいます。この場所はナビに表示されないものの、昨晩入口を確認しているので無事到着。枝葉をかき分けて海岸と出た後、赤土の残る通路を歩いて到着します。今なお変わらぬ荒波が打ち付ける場所でひめゆり学徒達はどのような気持ちだったのか・・・。今では知る由もありませんが手を合わせてご冥福を祈ります。

今来た道を折り返して車に戻ります。ナビではこのまま北上すると平和創造の森公園へと抜けられるようですが舗装なしの道は不安があり、おとなしく舗装されている道まで戻ってから平和創造の森公園へと向かいます。第4回植樹祭の跡地に作られた公園になりますが、家族で楽しめるみたいにはなっていますがまぁそれ位です。それより気にはなっていたのが敷地内にあるガマの存在。地図上では道路に面してあるように出ていたものの、実際には駐車場に車を停めて歩かないといけません。

マヤーアブという自然のガマ、ちょっとした行き違いがあって入ってしまいましたが、平和創造の森公園での入壕許可が必要です。

マヤーアブを出て次に向かったのは沖縄陸軍壕跡、これも昨晩行こうとしましたが真っ暗闇の畑の中、場所がわかりませんでした。平和創造の森公園から市街地に向かう道から鋭角に曲がるように入って行きます。昨晩諦めた地点から僅かに左手に進んだ場所にありました。慰霊祭に使われるために作られたのか、車1台が停められるスペースがありました。

沖縄陸軍病院本部壕として役目をしていた壕の跡は中には入れるものの往時を偲ぶ奥の方には入れないようです。降りられるところまで降りて手を合わせた後、次の目的地へと向かいます。

国道331号線を少し走り、伊原の集落にある琉風之碑。沖縄気象台関係の戦没者を祀っています。昨晩も立ち寄りましたが、真っ暗闇で前にも進めず後ろにも戻れず状態になり、必死になって切り返して戻りました。昼間なのでそこまではひどくはないもののやはり寂しい場所でした。手を合わせた後、昨晩は進めなかったまっすぐの道を走ります。

満華の塔、昭和26(1951)年に真壁集落の住人によって集められた遺骨を収めたものがはじまりとなり現在のものは二代目にあたります。この真壁一帯は沖縄戦終了間近に激しい戦闘が行われた場所であり、軍人民間人問わず多くの犠牲者を出しました。その犠牲者を祀るべく軍関係の慰霊碑もたくさん建立されています。ひとつひとつの慰霊碑に手を合わせまた走り出します。

真和の塔、手持ちの火器を全滅させられた砲兵部隊が斬り込みを敢行し玉砕。その戦没者を祀るべく建てられました。またこの真壁公園には満霊之塔という糸満で日清戦争から沖縄戦に至る犠牲者を祀るものもありました。

浄魂之塔、第24師団隷下の部隊とその戦闘に協力した住人の遺骨を昭和32(1957)年3月に地元新垣の住人の手により集められ納骨され建立されました。そしてすぐ近くにある沖縄兵站慰霊之塔、前線の部隊とは異なり兵員輸送や陣地構築等多くの裏方の仕事に携わった兵士にも多くの犠牲者を出し、その戦没者を合祀して昭和46(1971)10月に建立されました。またこの沖縄兵站慰霊之塔横には、戦時中に兵士が籠っていた壕が残されています。

そして今まで何度となく計画を立てたもののお流れとなっていた白梅之塔にやっと来ることができました。八重瀬にあった第24師団陸軍野戦病院で解散命令を受けた白梅学徒看護隊の一部は撤退してきたこの地の野戦病院にたどり着き合流するも昭和20(1945)6月21・22日に米軍の猛攻撃を受け無念の最期を迎えました。この白梅之塔は学徒隊や学校関係者で沖縄戦によって犠牲となった149名を祀り、昭和22(1947)年1月に建立されました。白梅学徒自決の壕とされる下の壕、落盤のため入ることのできない上の壕。若き乙女達がなにを思いなにを考えたのかは知る由もありませんが、駐車場やトイレなどの設備が完備されているのに参拝者がいない現実に心が痛みます。性別不詳の輩は入口で立ち止まり、また2・3段残した場所でも立ち止まりガマ内部の祭壇で手を合わせてきました。そして白梅之塔向かって左には萬魂之塔、やはり地元国吉集落の住人によって集められた名も無き兵士や住人の遺骨を収めたものだそうです。

この界隈は事実上の沖縄戦が終結した昭和20(1945)年6月23日以降も戦闘が続いた場所であり、第24師団第32歩兵連隊本部と第1大隊が継続してガマや壕に籠りゲリラ戦を戦っていました。白梅上の壕付近の第32連隊終焉の地の碑と山形之塔、この第32歩兵連隊は山形で構成された部隊であり、その戦没者を祀るべく建てられています。碑の手前には壕があり、こちらは第24師団第32歩兵連隊が最後まで籠り、降伏する前に軍旗を奉焼した場所だそうです。

そして真山之塔、沖縄戦を最後まで戦った第24師団隷下の部隊の戦没者を祀る慰霊碑となっています。

その真山之塔を右手にとって回ると白梅之塔上の壕があります。白梅之塔下の壕同様に米軍の猛攻撃を受け、白梅学徒や兵士が犠牲となりました。白梅之塔上の壕は落盤のため入壕は不可となっています。

歩ける距離にあるこれだけの慰霊碑や慰霊塔の存在は、素人が見ても局地的な場所で激戦が繰り広げられたことがわかります。ひと言では説明することができず、ただ手を合わせることしかできなかった自分に対しもどかしさすら覚えました。

そして少し進んだところにあるのが栄里之塔、第22歩兵連隊が玉砕した場所に戦後真栄里の住人の手によって兵士と戦闘に協力した住人の遺骨12,000柱を祀ったものだそうです。

栄里之塔から僅か100mの距離に少し違和感すら感じる慰霊碑があります。書かれている案内には〝バクナー中将慰霊碑〟。米軍第10軍指令官〝サイモン・B・バックナー・ジュニア〟の戦死した場所になります。あえてなぜ米軍の司令官の慰霊碑があるのか?首をかしげるところはありますがそこはまた別の機会に述べることにし、見たままを言えば、ここには3名の米軍将校の慰霊碑があり、一番目立つものが第96師団副師団長イズリー准将、その隣が第6師団第383歩兵連隊長メイ大佐、一番奥にあるのがバックナー中将のものになります。関心がないから訂正されないのかも知れませんが、どうなのでしょうか・・・?間違いを放置するのも。

まぁ煮え切らないところはあったものの時間は待ってくれないので先を急ぎます。このまま今来た道を戻っても良かったのですが、敢えて違う道を選びます。途中で見つけた〝名城ビーチ〟。古き沖縄のビーチだったそうですが、時代の流れについて行けず閉鎖となり、最近再開発リゾートが建てられるとのこと。それが良いのかどうかはわかりませんが、いっときのために永続的な苦労を背負い込むことだけは避けて貰いたいです。まぁそれ以上は言えませんが・・・。

そしてやってきた先は梯梧之塔。ひめゆりの塔の隣にあるのに知名度が低いようで、こちらも初めての訪問です。お土産物屋でいごの駐車場奥にひっそりとありました。学校跡に建てられたものを終焉の地伊原に移されたとのことに想いを感じ手を合わせます。そして第一外科壕へと向かいます。

その前にお土産を仕入れるためにひめゆり会館に立ち寄ります。この界隈のお土産屋に対してあまり良く言う方がおられないようですが、時間的に開いているお店がないので〝やむを得ない理由〟で立ち寄りました。私の場合どんなお店でもそうなのですが、浪費を防ぐため〝手で持てる範囲〟での買い物を心掛けているのですが、こちらは店の方針で〝籠持ち〟しか認めていないそうです。万引き防止なのかも知れませんがあまり良い気はしません。それでも翌日空港で買うことを思えばという理由でお土産をチョイス。5,000円で送ってくれるとのことで条件をクリアし、伝票を書いた第一外科壕跡への道を尋ねるとまさかの〝知らない〟との回答。まさか?と思いましたが仕方がない。結局はお偉いさんが教えてくれたものの、こんなものか・・・と残念に思いました。

店の前の国道331号線を100m程歩くと第一外科壕入口の道標がありました。そしてそこから50m位歩くとポツンと〝第一外科壕跡〟の碑が建っていました。ひめゆりの塔がある第三外科壕からほんの僅かな距離しか離れていないものの、この距離が犠牲者数を大きく左右しました。大きな第三外科壕は人気だったようで、その選択をジャンケンで決めたというしらゆり学徒達の無邪気な姿が目に浮かび、本当にやるせない気持ちになりました。第一外科壕跡の底部には降りることができるので、そこで手を合わせご冥福を祈ります。

そして第三外科壕跡であるひめゆりの塔へ。資料館は閉まっているので第三外科壕跡や慰霊塔の参拝になりますが、ここも昨晩訪れた場所。南部戦跡の観光地として不動の地位を築いていますが、18:00頃の日暮れ間近な時間、いつもとは違う雰囲気を醸し出しています。こちらでも手を合わせ、いよいよ那覇へと向かいます。

国道331号線を走り出してすぐ、反対方向に戦跡らしい看板を見つけ停車します。山部隊(第24師団)第二野戦病院壕と書かれた看板を頼りに走ると〝糸洲の壕〟と書かれている小さな看板を発見。車を下りて急いで回ります。入口に建立された鎮魂之碑には積徳女学校の生徒により構成された〝ふじ学徒〟の文字も見えました。壕内にも入ってみたものの間もなく日が暮れようとする時間、行けるところまで行って手を合わせ、戻ります。これで今日の行程は終了しました。

那覇へと向かう途中イオンタウン豊見城によって飲み物を仕入れます。通り道にお気に入りのサンエーストアがなかったのでそうなりました。そして那覇中央郵便局に寄って旅行貯金をし、那覇市街の中心部に位置する沖縄船員会館に到着。今回の旅3日目のアクティビティーは終了です。

この沖縄船員会館、船員共済組合が運営する公共の宿ですが一般でも宿泊できます。2人以上だと1人3,100円、1人だと3,600円です。ルームチャージのみですがこの値段はお・ト・ク♪ただ禁煙ではないため、タバコがダメな方はキツイかも知れません。私は全然OKでした♪

明日はもう帰る日、4日間は本当に短いです。とは言っても始まらないので、ひとっ風呂浴びて今日の行程を確認するともう眠くて仕方がない。という感じで夜は更けて行きましたzzz。

【本日のお支払】
【本日の明細】
沖縄船員会館(シングルRC)…3,600円
小計:3,600円
累計:35,260円(割引後:32,010円)

これで〝≪2016.March≫あみんちゅ歴史に触れる旅沖縄本島その弐之四~3日目:糸満戦跡訪問編~〟は終わりです。次はいよいよ最終章、帰宅編になります。

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
ホテル
5.0
グルメ
5.0
ショッピング
3.0
交通
5.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
3万円 - 5万円
交通手段
高速・路線バス レンタカー JRローカル 自家用車 徒歩 Peach ジェットスター

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