2016/03/01 - 2016/03/01
112位(同エリア660件中)
たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん
≪2016.March≫あみんちゅ歴史に触れる旅沖縄本島その弐之四~3日目:糸満戦跡訪問編~
今回の早春の沖縄旅はガマ・戦跡巡りに重点を置いたものに決めました。事前に目的地を沖縄県南城市にある〝糸数アブチラガマ〟と島尻郡南風原町の〝沖縄陸軍病院南風原壕群20号〟に決め、出発前に珍しく必要な手続きを取って〝入壕〟の予約を済ませました。三日目の今日は糸満に残っている戦跡を巡ります。
平成28(2016)年3月1日火曜日
宿 10:18 (0.0km:0.0km:130.2km)
ファミリーマート 10:22 (1.3km:1.3km:131.5km)
糸満米須店 10:33
魂魄之塔 10:36 (1.8km:3.1km:133.3km)
11:43
開南健 11:43 (0.2km:3.3km:133.5km)
児之塔 11:53
東京之塔 11:54 (0.2km:3.5km:133.7km)
12:12
荒崎海岸 12:17 (1.3km:4.8km:135.0km)
12:37
平和創造 12:45 (1.5km:6.3km:136.5km)
の森公園 13:37
山城陸軍 13:44 (1.3km:7.6km:137.8km)
病院壕跡 14:03
琉風之塔 14:07 (1.1km:8.7km:138.9km)
14:12
山吹之塔 14:27 (2.8km:11.5km:141.7km)
14:40
真和之塔 14:41 (0.3km:11.8km:142.0km)
15:12
浄魂之塔 15:14 (1.3km:13.1km:143.3km)
15:20
沖縄兵站 15:21 (0.1km:13.4km:143.4km)
慰霊之塔 15:27
白梅之塔 15:47 (5.3km:18.4km:148.7km)
16:21
栄里之塔 16:25 (0.8km:19.2km:149.5km)
16:28
バクナー中 16:29 (0.1km:19.3km:149.6km)
将戦死の跡 16:36
梯梧之塔 16:54 (8.5km:27.8km:158.1km)
18:02
糸洲の壕 18:10 (3.2km:31.0km:161.3km)
18:22
イオンタウン 18:47 (9.2km:40.2km:170.6km)
豊見城店 19:35
那覇中央 19:52 (4.9km:45.1km:175.5km)
郵便局 20:07
沖縄船員会館 20:20 (6.6km:51.7km:182.1km)//
ふぁ~っよく寝ました。やはり本州付近の寒気の影響なのか夜は冷え込んだので、寝るときに暖房をかけました。しかし耐えられない冷え込みではなくその後は熟睡。そして旅3日目の朝を迎えました。
ご挨拶をした後みん宿ヤポネシア自慢の朝食を頂きます。ご主人は娘さんを送った後用事があるようで、また来ますと先に挨拶をしておきます。ゆっくり朝食を食べながら新聞を読んで情報収集。そして荷物をまとめます。今日の予定は糸満の戦跡を巡ること以外はあまり細かくは決めていません。まぁ綿密に組んだとしても迷子になるとおしまいなので、 ざっと組んだ後出発します。
出発までに時間がかかるのはいつものこと、用事を済ませたご主人も戻って来られ、前回同様ご夫妻に見送られて出発します。さあ3日目の行程がスタートします。とりあえず最初は最寄りのファミリーマート糸満米須店に立ち寄り、ドリンク1本!そして一服の後出発します。米須西交差点からしばらく走り、やって来たのは米須霊域の魂魄之塔です。
昨年6月に訪れているこの場所、やはり平日ということもあり、人はいません。しかしなぜか駐車車両は結構あり、なんだろうと思っているとどうやらサーフィンをしている人の様子。目の前にサーファーの駐車を控えるように注意書きがあっても無視なんですね・・・、しかもこの場所で。言っても仕方がないので付近の慰霊碑を巡ります。魂魄之塔・北霊碑・大和之塔・島根之塔・大分の塔・讃岐の奉公塔・有川中将以下将兵自決の壕と回った後で糸満市の慰霊碑マップを眺めていたところ、草刈りをやっていたおじぃに声をかけられました。聞けば慰霊碑の管理をされているとのこと。どのような慰霊碑があるかを丁寧に説明して頂きました。どこまで回れるかはわからないものの参考にさせて頂きますとお礼を言って先へと急ぎます。
そのまま平和創造の森公園の方に向かうと因伯之塔があります。都道府県別慰霊碑の鳥取県のものですが、勘違いをしていたようで因幡之塔ではなかった・・・。因幡と伯耆の頭文字を組み合わせたものでした。そしてその向かいには開南健児之塔、私立開南中学の戦争犠牲者が祀られています。そして少し進んだ先にある一際目立つ大きな東京の塔。東京所縁の戦没者慰霊碑ですが、都道府県別慰霊碑の中で最も大きなものだそうです。
そしてすぐ先には平和創造の森公園の入口があるのですが、普段は入れない様子。そのため外周道路を走り、荒崎海岸のひめゆり部隊散華の地へと向かいます。この場所はナビに表示されないものの、昨晩入口を確認しているので無事到着。枝葉をかき分けて海岸と出た後、赤土の残る通路を歩いて到着します。今なお変わらぬ荒波が打ち付ける場所でひめゆり学徒達はどのような気持ちだったのか・・・。今では知る由もありませんが手を合わせてご冥福を祈ります。
今来た道を折り返して車に戻ります。ナビではこのまま北上すると平和創造の森公園へと抜けられるようですが舗装なしの道は不安があり、おとなしく舗装されている道まで戻ってから平和創造の森公園へと向かいます。第4回植樹祭の跡地に作られた公園になりますが、家族で楽しめるみたいにはなっていますがまぁそれ位です。それより気にはなっていたのが敷地内にあるガマの存在。地図上では道路に面してあるように出ていたものの、実際には駐車場に車を停めて歩かないといけません。
マヤーアブという自然のガマ、ちょっとした行き違いがあって入ってしまいましたが、平和創造の森公園での入壕許可が必要です。
マヤーアブを出て次に向かったのは沖縄陸軍壕跡、これも昨晩行こうとしましたが真っ暗闇の畑の中、場所がわかりませんでした。平和創造の森公園から市街地に向かう道から鋭角に曲がるように入って行きます。昨晩諦めた地点から僅かに左手に進んだ場所にありました。慰霊祭に使われるために作られたのか、車1台が停められるスペースがありました。
沖縄陸軍病院本部壕として役目をしていた壕の跡は中には入れるものの往時を偲ぶ奥の方には入れないようです。降りられるところまで降りて手を合わせた後、次の目的地へと向かいます。
国道331号線を少し走り、伊原の集落にある琉風之碑。沖縄気象台関係の戦没者を祀っています。昨晩も立ち寄りましたが、真っ暗闇で前にも進めず後ろにも戻れず状態になり、必死になって切り返して戻りました。昼間なのでそこまではひどくはないもののやはり寂しい場所でした。手を合わせた後、昨晩は進めなかったまっすぐの道を走ります。
満華の塔、昭和26(1951)年に真壁集落の住人によって集められた遺骨を収めたものがはじまりとなり現在のものは二代目にあたります。この真壁一帯は沖縄戦終了間近に激しい戦闘が行われた場所であり、軍人民間人問わず多くの犠牲者を出しました。その犠牲者を祀るべく軍関係の慰霊碑もたくさん建立されています。ひとつひとつの慰霊碑に手を合わせまた走り出します。
真和の塔、手持ちの火器を全滅させられた砲兵部隊が斬り込みを敢行し玉砕。その戦没者を祀るべく建てられました。またこの真壁公園には満霊之塔という糸満で日清戦争から沖縄戦に至る犠牲者を祀るものもありました。
浄魂之塔、第24師団隷下の部隊とその戦闘に協力した住人の遺骨を昭和32(1957)年3月に地元新垣の住人の手により集められ納骨され建立されました。そしてすぐ近くにある沖縄兵站慰霊之塔、前線の部隊とは異なり兵員輸送や陣地構築等多くの裏方の仕事に携わった兵士にも多くの犠牲者を出し、その戦没者を合祀して昭和46(1971)10月に建立されました。またこの沖縄兵站慰霊之塔横には、戦時中に兵士が籠っていた壕が残されています。
そして今まで何度となく計画を立てたもののお流れとなっていた白梅之塔にやっと来ることができました。八重瀬にあった第24師団陸軍野戦病院で解散命令を受けた白梅学徒看護隊の一部は撤退してきたこの地の野戦病院にたどり着き合流するも昭和20(1945)6月21・22日に米軍の猛攻撃を受け無念の最期を迎えました。この白梅之塔は学徒隊や学校関係者で沖縄戦によって犠牲となった149名を祀り、昭和22(1947)年1月に建立されました。白梅学徒自決の壕とされる下の壕、落盤のため入ることのできない上の壕。若き乙女達がなにを思いなにを考えたのかは知る由もありませんが、駐車場やトイレなどの設備が完備されているのに参拝者がいない現実に心が痛みます。性別不詳の輩は入口で立ち止まり、また2・3段残した場所でも立ち止まりガマ内部の祭壇で手を合わせてきました。そして白梅之塔向かって左には萬魂之塔、やはり地元国吉集落の住人によって集められた名も無き兵士や住人の遺骨を収めたものだそうです。
この界隈は事実上の沖縄戦が終結した昭和20(1945)年6月23日以降も戦闘が続いた場所であり、第24師団第32歩兵連隊本部と第1大隊が継続してガマや壕に籠りゲリラ戦を戦っていました。白梅上の壕付近の第32連隊終焉の地の碑と山形之塔、この第32歩兵連隊は山形で構成された部隊であり、その戦没者を祀るべく建てられています。碑の手前には壕があり、こちらは第24師団第32歩兵連隊が最後まで籠り、降伏する前に軍旗を奉焼した場所だそうです。
そして真山之塔、沖縄戦を最後まで戦った第24師団隷下の部隊の戦没者を祀る慰霊碑となっています。
その真山之塔を右手にとって回ると白梅之塔上の壕があります。白梅之塔下の壕同様に米軍の猛攻撃を受け、白梅学徒や兵士が犠牲となりました。白梅之塔上の壕は落盤のため入壕は不可となっています。
歩ける距離にあるこれだけの慰霊碑や慰霊塔の存在は、素人が見ても局地的な場所で激戦が繰り広げられたことがわかります。ひと言では説明することができず、ただ手を合わせることしかできなかった自分に対しもどかしさすら覚えました。
そして少し進んだところにあるのが栄里之塔、第22歩兵連隊が玉砕した場所に戦後真栄里の住人の手によって兵士と戦闘に協力した住人の遺骨12,000柱を祀ったものだそうです。
栄里之塔から僅か100mの距離に少し違和感すら感じる慰霊碑があります。書かれている案内には〝バクナー中将慰霊碑〟。米軍第10軍指令官〝サイモン・B・バックナー・ジュニア〟の戦死した場所になります。あえてなぜ米軍の司令官の慰霊碑があるのか?首をかしげるところはありますがそこはまた別の機会に述べることにし、見たままを言えば、ここには3名の米軍将校の慰霊碑があり、一番目立つものが第96師団副師団長イズリー准将、その隣が第6師団第383歩兵連隊長メイ大佐、一番奥にあるのがバックナー中将のものになります。関心がないから訂正されないのかも知れませんが、どうなのでしょうか・・・?間違いを放置するのも。
まぁ煮え切らないところはあったものの時間は待ってくれないので先を急ぎます。このまま今来た道を戻っても良かったのですが、敢えて違う道を選びます。途中で見つけた〝名城ビーチ〟。古き沖縄のビーチだったそうですが、時代の流れについて行けず閉鎖となり、最近再開発リゾートが建てられるとのこと。それが良いのかどうかはわかりませんが、いっときのために永続的な苦労を背負い込むことだけは避けて貰いたいです。まぁそれ以上は言えませんが・・・。
そしてやってきた先は梯梧之塔。ひめゆりの塔の隣にあるのに知名度が低いようで、こちらも初めての訪問です。お土産物屋でいごの駐車場奥にひっそりとありました。学校跡に建てられたものを終焉の地伊原に移されたとのことに想いを感じ手を合わせます。そして第一外科壕へと向かいます。
その前にお土産を仕入れるためにひめゆり会館に立ち寄ります。この界隈のお土産屋に対してあまり良く言う方がおられないようですが、時間的に開いているお店がないので〝やむを得ない理由〟で立ち寄りました。私の場合どんなお店でもそうなのですが、浪費を防ぐため〝手で持てる範囲〟での買い物を心掛けているのですが、こちらは店の方針で〝籠持ち〟しか認めていないそうです。万引き防止なのかも知れませんがあまり良い気はしません。それでも翌日空港で買うことを思えばという理由でお土産をチョイス。5,000円で送ってくれるとのことで条件をクリアし、伝票を書いた第一外科壕跡への道を尋ねるとまさかの〝知らない〟との回答。まさか?と思いましたが仕方がない。結局はお偉いさんが教えてくれたものの、こんなものか・・・と残念に思いました。
店の前の国道331号線を100m程歩くと第一外科壕入口の道標がありました。そしてそこから50m位歩くとポツンと〝第一外科壕跡〟の碑が建っていました。ひめゆりの塔がある第三外科壕からほんの僅かな距離しか離れていないものの、この距離が犠牲者数を大きく左右しました。大きな第三外科壕は人気だったようで、その選択をジャンケンで決めたというしらゆり学徒達の無邪気な姿が目に浮かび、本当にやるせない気持ちになりました。第一外科壕跡の底部には降りることができるので、そこで手を合わせご冥福を祈ります。
そして第三外科壕跡であるひめゆりの塔へ。資料館は閉まっているので第三外科壕跡や慰霊塔の参拝になりますが、ここも昨晩訪れた場所。南部戦跡の観光地として不動の地位を築いていますが、18:00頃の日暮れ間近な時間、いつもとは違う雰囲気を醸し出しています。こちらでも手を合わせ、いよいよ那覇へと向かいます。
国道331号線を走り出してすぐ、反対方向に戦跡らしい看板を見つけ停車します。山部隊(第24師団)第二野戦病院壕と書かれた看板を頼りに走ると〝糸洲の壕〟と書かれている小さな看板を発見。車を下りて急いで回ります。入口に建立された鎮魂之碑には積徳女学校の生徒により構成された〝ふじ学徒〟の文字も見えました。壕内にも入ってみたものの間もなく日が暮れようとする時間、行けるところまで行って手を合わせ、戻ります。これで今日の行程は終了しました。
那覇へと向かう途中イオンタウン豊見城によって飲み物を仕入れます。通り道にお気に入りのサンエーストアがなかったのでそうなりました。そして那覇中央郵便局に寄って旅行貯金をし、那覇市街の中心部に位置する沖縄船員会館に到着。今回の旅3日目のアクティビティーは終了です。
この沖縄船員会館、船員共済組合が運営する公共の宿ですが一般でも宿泊できます。2人以上だと1人3,100円、1人だと3,600円です。ルームチャージのみですがこの値段はお・ト・ク♪ただ禁煙ではないため、タバコがダメな方はキツイかも知れません。私は全然OKでした♪
明日はもう帰る日、4日間は本当に短いです。とは言っても始まらないので、ひとっ風呂浴びて今日の行程を確認するともう眠くて仕方がない。という感じで夜は更けて行きましたzzz。
【本日のお支払】
【本日の明細】
沖縄船員会館(シングルRC)…3,600円
小計:3,600円
累計:35,260円(割引後:32,010円)
これで〝≪2016.March≫あみんちゅ歴史に触れる旅沖縄本島その弐之四~3日目:糸満戦跡訪問編~〟は終わりです。次はいよいよ最終章、帰宅編になります。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 3.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 高速・路線バス レンタカー JRローカル 自家用車 徒歩 Peach ジェットスター
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みん宿ヤポネシア、全景。
みん宿ヤポネシア 宿・ホテル
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入口を入って…。
みん宿ヤポネシア 宿・ホテル
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中庭に入ると…。
みん宿ヤポネシア 宿・ホテル
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出入口になっています。
みん宿ヤポネシア 宿・ホテル
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みん宿ヤポネシア、自慢の朝食。
みん宿ヤポネシア 宿・ホテル
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さあそろそろ出かけましょうか。
みん宿ヤポネシア 宿・ホテル
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最初は魂魄之塔へとやって来ました。
魂魄之塔 名所・史跡
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魂魄之塔。
魂魄之塔 名所・史跡
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金城和信先生胸像。
魂魄之塔 名所・史跡
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北霊碑。
北霊碑 名所・史跡
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大和の塔。
大和の塔 名所・史跡
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大分の塔。
大分の塔 名所・史跡
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ひろしまの塔。
ひろしまの塔 名所・史跡
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讃岐の奉公塔。
讃岐の奉公塔 名所・史跡
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島根の塔。
島根の塔 名所・史跡
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有川中将以下将兵自決の壕。
有川中将以下将兵自決の壕 名所・史跡
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因伯の塔。
因伯の塔 名所・史跡
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開南健児之塔。
平和創造の森公園 公園・植物園
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東京之塔。
東京之塔 名所・史跡
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荒崎海岸ひめゆり部学徒散華の跡の入口。
米須霊域方面からの道は舗装がされていません。自転車利用はご注意を。 -
ひめゆり学徒散華の跡。
https://youtu.be/XRMHizK-WAwひめゆり学徒散華の跡 名所・史跡
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平和創造の森公園。
平和創造の森公園 公園・植物園
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マヤーアブ入口。
平和創造の森公園 公園・植物園
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沖縄陸軍病院之塔。
沖縄陸軍病院之塔 名所・史跡
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沖縄陸軍病院本部壕跡。
沖縄陸軍病院之塔 名所・史跡
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沖縄陸軍病院本部壕跡。
沖縄陸軍病院之塔 名所・史跡
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琉風之碑。
琉風之碑 名所・史跡
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三和(みわ)郵便局【ATM土曜日稼働店】
〒901-0336 沖縄県糸満市真壁4-1
TEL:098-997-2017三和郵便局 名所・史跡
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萬華之塔。
萬華の塔 名所・史跡
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砲兵山吹之塔。
砲兵山吹之塔 名所・史跡
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萬華之塔建立時の寄付者リスト。
萬華の塔 名所・史跡
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独立重砲兵第百大隊鎮魂碑。
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個人の慰霊碑もたくさんあります。また随所に砲弾が使われていました。
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山三四七四部隊慰霊碑。
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沖縄連隊区司令部戦没職員慰霊碑。
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野砲兵第四十二連隊慰霊碑。
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真壁公園内にある萬霊之塔。
満霊之塔 名所・史跡
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真壁公園内の真壁宮。
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真和の塔。真壁公園内にあります。
【真和の塔】
昭和20年 5月下旬 新垣与座岳真壁の線に放列陣地をしいた。第5砲兵司令官和田孝助中将指揮下の野砲兵第24連隊及び野戦高射砲第81大隊等の将兵は優勢なる米軍の砲爆のもと勇戦奮闘その火砲全部を破壊されるも怯まず全員白兵斬込みを敢行して壮烈なる最後を遂げたり
ここに南方同胞援護会の助成を得てこの塔を建て永くその偉烈を伝う
昭和41年 3月 沖縄県遺族連合会真和の塔 名所・史跡
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追魂の歌碑のようです。
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【浄魂之塔】
軍の本島上陸以来 歴戦奮闘を続けし第24師団隷指揮下の各部隊は新垣の壕を最後の拠点として布陣し米軍を迎撃せしが善戦空しく昭和20年 6月17日この地に玉砕せり 昭和32年 3月地元有志相はかり将兵並びに戦闘に協力散華せる多数の住民の遺骨を奉納し浄魂の塔と名づけしが、このたび南方同胞援護会の助成を得て新たに碑を建て永くその遺烈を伝う
昭和42年3月 沖縄県遺族連合会浄魂之塔 名所・史跡
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【沖縄兵站慰霊之碑】
第二次世界大戦最後の且つ日本国土上唯一の激戦上となりたる沖縄本島に在りて 第49兵站地区隊本部 及び 摩下各陸上勤務中隊水上勤務中隊自動車中隊並に現地採用各軍属は昭和19年8月より米軍の侵攻来撃に備え 兵器 弾薬 装備 糧秣及兵員の輸送業務並に陣地構築の任務を遂行しつつありたる処昭和20年3月24日米軍上陸と同時に特編第二旅団を編成し 之れに現地召集防衛中隊を指揮下に入れ 第32軍司令部直轄兵団として、戦列に加わり全将兵もとより従軍志願せる軍属に至る各員は祖国防衛の難に身命を挺しつつ各戦線に赴き米軍の尨大なる戦力 且つ米軍が太平洋戦線 戦局の決定を賭しての 陸海空総戦略をつくしたる熾烈死闘猛攻に対し 日夜勇戦敢闘の限りを 尽くしつつ 緑の山野に殉国の血を染め 故国に想ひを馳せつ祖国の再興を念ひ乍ら遂ひに散華せられ 逝きぬ 時に同じ砲煙弾雨のもと もとで死生を倶にと誓ひし乍らもいかなる運命のもとにてか寄しくも生き永らえし者幾余名本土と沖縄とに在りて志を同じゆうして逝き戦友の英魂を永こしなえに慰ぐさめ弔わんものと その慰霊碑建立の 悲願を樹て 爾来20有余年1日として 忘却せざるなし 誓願 努力の積年 幾星霜 遂ひに ここに御遺族各位を含めての 英霊追慕の至情は 結実し ここゆかりも深き 南部戦線の一画に 一人一人の徴衷と心魂とを篭め尽くせる「沖縄兵站慰霊之碑」建立の本願を果たしぬ 茲に その全英魂を招き 祀り弔ふ日を迎え得たり
今 静かに往時を偲ぶとき 戦友の英姿が 俤げが瞼に映じきたりそこここより 戦友の在りし日の声聞こゆるが如きを 感じ転た血涙 新らたなるものを覚ゆ 願くわ 霊魂来たり 亨け この地に 永こしえに 安らけく 鎮ませ給え
昭和46年10月10日 沖縄兵站慰霊之碑建立 奉賛有志一同沖縄兵站慰霊之碑 名所・史跡
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沖縄兵站慰霊之碑脇にあるガマ。
沖縄兵站慰霊之碑 名所・史跡
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高嶺 (たかみね)郵便局【ATM土曜稼働店】
〒901-0325 沖縄県糸満市大里247
TEL:098-994-3449高嶺郵便局 名所・史跡
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歩兵第三十二連隊終焉の地の碑。
歩兵第三十二連隊終焉の地碑 名所・史跡
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山形之塔付近の壕。
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山形之塔。
山形の塔 名所・史跡
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眞山之塔。
真山の塔 名所・史跡
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白梅之塔上の壕。
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白梅之塔上の壕、遠景。
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白梅之塔、全景。
白梅の塔 名所・史跡
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初代白梅之塔。
白梅の塔 名所・史跡
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白梅之塔、納骨堂。
白梅の塔 名所・史跡
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白梅之塔、アップで。
白梅の塔 名所・史跡
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白梅学徒隊自決之壕、の碑。
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南禪廣寺。
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白梅学徒隊自決之壕、白梅之塔下の壕の内部。
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白梅学徒隊自決之壕、白梅之塔下の壕の内部。
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白梅学徒隊自決之壕、白梅之塔下の壕の内部から外を眺める。
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萬魂之塔。
満霊之塔 名所・史跡
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栄里之塔。
栄里之塔 名所・史跡
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イズリー准将慰霊之碑。
バクナー中将慰霊碑 名所・史跡
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メイ大佐慰霊之碑。
バクナー中将慰霊碑 名所・史跡
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これが?バックナー中将慰霊碑?です。
バクナー中将慰霊碑 名所・史跡
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バックナー中将慰霊碑。
米國第十軍司令官シモンBバクナー中将戦死之跡と刻まれています。バクナー中将慰霊碑 名所・史跡
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バックナー中将慰霊碑。
一九四五年六月十八日米国陸軍中将サイモン・オリバー・バクナーこの地に於いて戦死す。バクナー中将慰霊碑 名所・史跡
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形や色は目を引くものの、このあたりは誰のものではなく、沖縄戦での戦没者に対する慰霊塔になっています。
バクナー中将慰霊碑 名所・史跡
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こちらも形や色は目を引くものの、このあたりは誰のものではなく、沖縄戦での戦没者に対する慰霊塔になっています。
バクナー中将慰霊碑 名所・史跡
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再開発が始まる名城ビーチ。
名城ビーチ ビーチ
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この時間に開いていたひめゆり会館。
ひめゆり会館 グルメ・レストラン
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国道331号線を那覇方面に少し歩いた先にある?第一外科壕入口?の碑。
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第一外科壕跡の碑と病院壕跡。
伊原第一外科壕跡 名所・史跡
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第一外科壕跡。
伊原第一外科壕跡 名所・史跡
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第一外科壕跡。
これ以上は入ることはできません。伊原第一外科壕跡 名所・史跡
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姫百合民芸品センター。
時間の都合でさっと見ただけです。姫百合民芸品センター お土産屋・直売所・特産品
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ひめゆり観光センターでいご。
さっと見ただけでした。ひめゆり観光センター でいご グルメ・レストラン
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やっと来られた梯梧之塔、全景。
梯梧之塔 名所・史跡
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梯梧学徒隊、昭和高等女学校校章。
梯梧之塔 名所・史跡
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梯梧之塔。
梯梧之塔 名所・史跡
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ひめゆりの駅。
軽食購入。ひめゆりの駅 グルメ・レストラン
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ひめゆりの塔、入口。
ひめゆりの塔 名所・史跡
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沖縄戦殉職医療人之碑 。
ひめゆりの塔とならんで建てられているのが沖縄戦殉職医療人之碑である。沖縄戦で軍に協力し、住民の衛生、保健、治療に活動し、各地で戦死した医師、歯科医師、薬剤師、看護婦等、約50余名を合祀している。
戦時体制となった時、住民の生命を預かる医師の大半は日本本土へ疎開したが、自分たちの郷土は自分たちの手で守り抜こう、と覚悟を決めた医師達は、郷土に踏み止まって住民の治療、衛生に努力したが、戦局は不利となり、日を追って増加する傷病者の治療、看護に疲れて倒れる者、さらに、敵陣に斬り込み、自決する者等、実に仁術を天命として尽くし、最後まで闘って戦没した。
昭和26年(1951年)医療団が主体となって5万余円(B円)の浄財を集め、同年10月28日建立された。沖縄県殉職医療人之碑 名所・史跡
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ひめゆりの塔歌碑。
?いわまくらかたくもあらむ やすらかにねむれとぞいのる まなびのともは?ひめゆりの塔 名所・史跡
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沖縄陸軍病院第三外科壕跡の碑と壕。
ひめゆりの塔 名所・史跡
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ひめゆりの塔、慰霊碑と伊原第三外科壕跡。
ひめゆりの塔 名所・史跡
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ひめゆりの塔、伊原第三外科壕跡。
ひめゆりの塔 名所・史跡
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ひめゆり平和祈念資料館。
ひめゆり平和祈念資料館 美術館・博物館
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十字のマークをモチーフにはばたく天使の像。
ひめゆりの塔 名所・史跡
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ひめゆり学徒をモチーフにした石像。
素朴なお顔に心が熱くなってしまいました…。ひめゆりの塔 名所・史跡
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人気(ひとけ)のなくなったひめゆりの塔付近の様子、平和祈念公園方向。
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人気のなくなったひめゆりの塔付近の様子、那覇方向。
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【鎮魂之碑】
この洞窟は第二十四師団山第二野戦病院の跡である。長野富山石川県出身の将兵、現地召集兵並びに従軍看護婦積徳高等女学校看護隊が傷病兵を収容した壕跡である。糸洲の壕 (ウッカーガマ) 名所・史跡
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糸洲の壕(ウッカーガマ)入口。
糸洲の壕 (ウッカーガマ) 名所・史跡
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糸洲の壕(ウッカーガマ)内部の様子。
糸洲の壕 (ウッカーガマ) 名所・史跡
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マックスバリュ豊見城店。
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那覇中央郵便局、旅行貯金をするため立ち寄ります。
那覇中央郵便局 名所・史跡
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本日のお宿沖縄船員会館へとやっていました。
沖縄船員会館 宿・ホテル
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沖縄船員会館にて、さすが碇のモニュメントです♪
沖縄船員会館 宿・ホテル
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沖縄船員会館601号室のお部屋にて、くたびれモードのたかティムさん。
沖縄船員会館 宿・ホテル
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沖縄船員会館、601号室から見た夜景。
沖縄船員会館 宿・ホテル
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