沖縄戦末期に命の尊さを説いた部隊長以下ふじ学徒が最後に籠った自然壕です。~糸洲の壕(ウッカーガマ)~
- 5.0
- 旅行時期:2016/03(約10年前)
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by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん(非公開)
糸満・ひめゆり クチコミ:207件
国道331号線バイパスを空港から糸満市街へと向かう途中、左手に看板があります。糸洲の壕(ウッカーガマ)と呼ばれるこの自然壕は、豊見城城跡にあった第24師団第二野戦病院が、第32軍司令部の南部撤退命令を受けて、昭和(1945)20年5月27日にこの地に移動して来ました。第二野戦病院には私立積徳女学校生徒から構成された?ふじ学徒隊?25名が配属となっており部隊に行動をともにしています。
水には困らなかった糸洲の壕でしたが、終戦間際の混乱期には米軍の馬乗り攻撃を受け、病院壕でも衛生兵で斬り込み隊を組織し、夜襲をかけさせ多くの犠牲者を出しました。付近の学徒隊に解散命令が出されたのが6月17日〜19日でしたが、この第24師団第二野戦病院ではそれから遅れること1週間で出されています。病院長小池勇助少佐の配慮によるものでこの命令の遅れこそが犠牲者を減らしたもっとも大きな理由であることはあまり知られていません。
沖縄戦に於いて数少ない?命の尊さ?を説いた隊長が、ここにいたことを忘れてはならないと思います。
糸洲の壕は駐車場がありません。道もそれ程広い訳ではなく、地元の方が農作業をするために通られます。駐車するには邪魔にならぬよう脇に停め、手短に見学をして下さい。
- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- ひめゆりの塔から車で5分位。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 平日の夕方は誰もいませんでした。
- バリアフリー:
- 3.0
- 石段があります。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 往時を偲ばせます。
クチコミ投稿日:2016/04/04
いいね!:10票
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