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白梅の塔

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クチコミ・評判

1~19件(全19件中)

  • 白梅学徒隊

    • 3.5
    • 旅行時期:2023/01(約3年前)
    • 3

    平和祈念公園を散策した後、真栄里にある白梅の塔に行きました、静かな山間部にあります、駐車場とトイレはありました、沖縄県立第...  続きを読む二高等女学校の生徒からなる学徒隊の最後の場所です、生徒達を祀る慰霊の塔です、ここまで来る人は少ないようです、案内の石碑には当時の様子が刻まれていました。  閉じる

    投稿日:2023/01/25

  • 沖縄南部戦線の地「白梅の塔」と壕(ガマ)

    • 5.0
    • 旅行時期:2021/11(約4年前)
    • 0

    ひめゆりの塔がマスコミ的には有名ですが、
    「白梅の塔」県立第二高等女学校の学徒隊や
    「梯梧の塔」(デイゴの塔)沖縄昭和...  続きを読む高等女学校の学徒隊の最後の地でもあります

    →先ずは「白梅の塔」です
    白梅の塔・・・県立第二高等女学校の教師と生徒 149柱を合祀
    すぐ横には、白梅「下の壕」と呼ばれる自決の壕があり。
    また、200mほど離れた所には「上の壕」があり。

    1945年3月、学徒達は南部の野戦病院に配属され、負傷兵の看護や手伝いにあたる
    6月、米軍が迫ってきたため数名ずつ更に南部各地の壕へ逃れ看護等にあたる
    6月中頃~、逃れた地域一体で米軍の猛攻撃が始まり多数の死傷者がでる
    石碑にはそんな様子が書かれていた。



      閉じる

    投稿日:2021/11/25

  • 学徒隊の最後の場所

    • 3.5
    • 旅行時期:2021/04(約5年前)
    • 0

    やや狭い道を通るのにアクセスはいいとは言えませんが、案内の看板はあります。公衆トイレが近くにあり車を止めれます。沖縄県立第...  続きを読む二高等女学校の生徒からなる学徒隊の最後の場所で、学校関係者149人が合祀されています。こういう結果を引き起こす日本の指導部の愚かさを感じます。  閉じる

    投稿日:2021/06/28

  • 白梅学徒看護隊を慰霊

    • 3.5
    • 旅行時期:2020/05(約6年前)
    • 0

    沖縄県立第二高等女学校の生徒達によって編成され戦火に散った白梅学徒看護隊を慰霊している場所です。当時、未来への夢一杯だった...  続きを読むろう10代半ばの少女達がどのような思いで従軍し、最期を迎えたか考えると胸に迫るものがありました。南部戦跡というとひめゆりの塔は、多くの観光客が訪れますがここは場所がわかりにくいのか、訪問中、観光客を見ることはありませんでした。勿論、観光気分で行くようなところではありませんが南部の戦跡を巡ることがあれば是非とも訪れたい場所だと思います。   閉じる

    投稿日:2022/02/25

  • こちらも絶対に行くべき

    • 5.0
    • 旅行時期:2018/12(約7年前)
    • 0

    沖縄県立第二高等女学校の生徒からなる学徒隊の最後の場所。「白梅」は沖縄県立第二高等女学校の校章とのこと。白梅の塔自体は非常...  続きを読むに小さく、その横に比較的新しい慰霊塔がある。塔の横には集団自決した壕があって中に入ることが出来る。ただし若干滑りやすいので、注意が必要。
    ひめゆりの塔に比べ大規模な公園や土産物屋は無くひっそりとしている。また駐車場やトイレなどの設備はあるが、バス停から相当離れており、タクシーまたはレンタカー利用でないと非常に行きづらい。ただし、観光地化されていない分、歴史を真剣に学ぶ気持ちになれると思う。沖縄戦の学習を行う際は、こちらにも絶対に行くべき場所と思う。
      閉じる

    投稿日:2018/12/15

  • 72回目の慰霊祭が行われていました。

    • 5.0
    • 旅行時期:2018/06(約8年前)
    • 10

    糸満市国吉に建立された沖縄県立第二高等女学校学徒慰霊碑である白梅之塔。第二高等女学校の校章である白梅から名付けられました。...  続きを読む

    70余年沖縄戦が不可避とされた昭和19(1944)年に沖縄県内にあった高等女学校から学徒看護隊要員として集められた少女達は、基礎教育もほどほどにして前線の野戦病院に配属になりました。

    その中で白梅学徒はまず八重瀬岳中腹の第24師団第一野戦病院(白梅学徒看護隊之壕)に配属されますが、戦闘最前線が南下してくることに伴い昭和20(1945)年6月3日に同壕と新城分院(ヌヌマチガマ)を閉鎖し、現在の白梅之塔付近の国吉地区に撤退を命じられ、傷病兵のうち比較的軽傷とされた者に肩を貸すなどして共に向かいました。

    そんな最中の6月4日、師団上層部から学徒隊解散命令が出されます。既に戦場となっている場所での突然の解散命令に学徒達はどうして良いのかわからず、そのまま国吉の壕へと向かいます。その移動の最中や国吉の壕までなんとか辿り着き再び勤務を続けていた者を含め、米軍の執拗な攻撃の下多くの犠牲者を出す結果となりました。学徒隊として従軍した46名のうち自決者も含め約半数にあたる22名が蕾のままで亡くなりました。

    戦後の昭和23(1948)年に小さな自然石を白梅之塔として建立し、第1回の慰霊祭が挙行されました。その後白梅之塔は昭和26(1951)年8月と平成4(1992)年6月と改修されて現在に至っています。

    戦後73年を迎えた今年平成30(2018)年6月23日に行われた慰霊祭が72回目のものとなります。なぜ開催年と回数が違うのかはわかりません。しかし往時の少女もご存命であれば90前になっておられる今日、他の学徒隊慰霊祭が同窓生の減少と高齢化によって開催が難しくなり、取りやめとなっている今日白梅之塔慰霊祭も例に漏れないようで、昨年白梅同窓会長の中山きくさんより、同窓会主催の慰霊祭は昨年が最後だという話がされました。今後はサポートメンバーによる慰霊祭へと変えて行くとは言われたものの、やはりすぐに割り切れるものではないようで、体が動く間はやはり関わって行きたいと言われていました。

    実際のところ今までの沖縄尚学高校によるサポートに加え、本年から那覇高校も加わった上に全て同窓会メンバーが執り行っていた来賓へのサービスを外注化するなど様変わりをしていることはわかりました。しかし一年間での変わりようは見方によっては違和感すら覚えたところもありました。

    加齢や経年といった逃れることのできないことを補うのに今までと同様とはいかないことは勿論わかっているつもりです。ただ細かいところの変わりように今までとは違うと感じたのも事実です。

    たまたま毎年見ているのでそう見えただけなのかも知れません。ただひとつ気になったのは中山きくさんが杖をついておられる姿を見たということ。それが一番気になったところでもありました。

    同窓会主催ではなくなったとしても、塔に祀られている学徒達は悪いようにはしない思っていない筈です。それより自身が体験された学徒隊の悲劇というものを後世に伝えるべく長生きして頂かないといけないのではとも思います。

    怠惰から慰霊祭の挙行を取りやめるのではなく、やむを得ない理由であれば戦没学徒も納得している筈です。

    どんなものになるのかは結果論にしか過ぎません。それよりもきくさんには行きてもらわなければならない現状があることに違いはありません。ある程度は人に任せオブザーバーとして式典を見守って頂きたい・・・、そんな思いが余計に強くなった今年の白梅之塔慰霊祭でした。  閉じる

    投稿日:2018/07/20

  • 白梅学徒看護隊

    • 4.5
    • 旅行時期:2018/05(約8年前)
    • 2

    沖縄県立第二高等女学校の生徒から構成された白梅学徒看護隊の終焉の地に建つ慰霊塔です。
    林の中にあり、バスでみえた平和学習...  続きを読むの生徒さんが大勢いらっしゃいました。
    敷地内にある南禅廣寺の手前に 自決の壕へ下りる階段が在りました。
    階段を少し下りると千羽鶴が奉納された祈りの場があり、奥は壕へと繋がっています。
    何も持たずただ合掌だけしましたが、周辺にお店が無いので お花を手向けられるのならば予めご用意を。
      閉じる

    投稿日:2020/12/31

  • 白梅学徒隊が沖縄戦で従軍看護婦として活躍して犠牲になった人の慰霊碑です。野戦病院でもう病院という機能もないので、解散を命じ...  続きを読むられ、南部のこの辺りにあった洞窟に逃げ込んでいましたが、かなりの人がここでも亡くなってしまったそうです。
    平和公園のように大きなところではありませんが、献花もされており、綺麗になっています。
      閉じる

    投稿日:2017/07/03

  • 最後の慰霊祭でした。

    • 5.0
    • 旅行時期:2017/06(約9年前)
    • 9

    毎年6月23日の慰霊の日には、多くの慰霊碑に於いて慰霊祭が執り行われています。しかし〝史上稀にみる地上戦〟である沖縄戦を生...  続きを読むき抜いた同級生やご遺族の高齢化が進み、近年多くの慰霊祭が〝自発的なもの〟として執り行われています。

    その中で沖縄県立第二高等女学校生徒からなる〝白梅学徒隊〟の慰霊祭は、数少ない同窓会主催の慰霊祭になっていました。同窓会長は中山きくさん、御年88歳。昨年も慰霊祭に参列させて頂き、その語り部として今後も長生きをして頂きたいという思いもあり、今年も訪れました。

    慰霊祭は進んで行き、最後に同窓会長の挨拶の折に中山きくさんから重大な発表がありました。第71回白梅同窓会慰霊祭を以って同窓会主催の慰霊祭はやめるとのこと。今後は引き継ぎの意味も込めて、戦後世代の参加を募り〝ありきたりではない〟慰霊祭を行いたいとのことでした。白梅同窓会と沖縄尚学高校は密接な交流があり、例年慰霊祭にも参加しておられます。戦場で斃れた同級生と同じ年頃の少年少女は言うまでもなく、広くオープンな慰霊祭にしていきたいとのことでした。

    高齢化によって毎年の慰霊祭を行うことが厳しくなっていることは十分に理解はしていますが、自由参加ではなく敢えて不特定多数の希望者を募った上にそのアイデアも取り入れ、今までにない慰霊祭となって行くように考えておられることを聞き、他とは違う心意気みたいなものを感じました。

    どんな風に変わるのかはわかりませんが、もし私如きのちっぽけな人間でも参加させて頂けるのであれば進んで協力させて頂きたいと改めて思います。  閉じる

    投稿日:2017/07/08

  • とても静かな場所でした

    • 5.0
    • 旅行時期:2016/11(約9年前)
    • 1

    沖縄県立第二高等女子学校の白梅学徒看護隊等、計132柱が合祀されているそうです。
    この辺一帯は、白梅隊員の最も多くの犠牲...  続きを読む者が出た場所だそうですが、
    そんな激戦地であったことが信じられないくらい、ひっそりとした静かな場所でした。
    戦争について、平和について、考えさせられる場所です。  閉じる

    投稿日:2016/11/11

  • 静かに感じたい

    • 5.0
    • 旅行時期:2016/09(約9年前)
    • 4

    ここは私が最も厳粛な気持ちになる場所です。
    第二高女の「白梅学徒隊」はさほど認知度は高くないと思われますが、そのせいか「...  続きを読むひめゆり」は戦跡観光コースの中心となり、こちらは対照的にひっそりとしています。
    沖縄戦、ひいては戦争というものが何をもたらすか、静かに考えるには最適の場所だと思います。

    学校別女子学徒動員、死者数出典(ひめゆり平和祈念資料館公式ガイドブックより)

    学校名 学徒名 動員数 戦死数 死亡率
    沖縄師範学校女子部 ひめゆり学徒 157人 81人 51.6%
    県立第一高等女学校 ひめゆり学徒 65人 42人 64.8%
    県立第二高等女学校 白梅学徒 55人 21人 38.2%
    県立第三高等女学校 なごらん学徒 10人 1人 10.0%
    県立首里高等学校 瑞泉学徒 61人 33人 54.1%
    私立積穂高等女学校 積徳学徒 65人 4人 6.2%
    私立昭和高等女学校 でいご学徒 17人 7人 41.2%
    合計 430人 189人 44.0%

    ここには生徒を含む学校関係者149人が合祀されています。

    白梅学徒隊を祀った碑は、富盛の八重瀬岳野戦病院跡、分院であったガラビ壕のヌヌマチガマ側にも建っていますので、併せて訪問したいものです。
      閉じる

    投稿日:2016/10/02

  • 70回目の慰霊祭が行われていました。

    • 5.0
    • 旅行時期:2016/06(約10年前)
    • 11

    平和祈念公園の戦没者追悼式の後に向かいました。訪れる人もない場所とはうって変わり車を止める場所すらありません。なんとか停め...  続きを読むて遠巻きながら見させて頂きました。

    白梅の塔慰霊祭は今回が70回目だと言うことでした。勿論慰霊祭としての形式ばったところもありましたが、やはりテレビの中での人だと思っていた白梅同窓会長中山キクさんが、参列の御礼と同窓会をはじめとする白梅の塔賛助会の今後の心意気を述べられたことには心が熱くなりました。

    最後の締めくくりは沖縄県立第二高等女学校の校歌斉唱。慌てて手作りのプログラムを貰って、口パクながら最後に参加をさせて頂きました。  閉じる

    投稿日:2016/06/25

  • 白梅之塔は、沖縄戦に於いて第 24 師団 第一 野戦病院 (山3486部隊) に従軍補助看護婦 として配属となった沖縄県立...  続きを読む第二高等女学校四年生で編成された?白梅学徒隊?や学校職員・同窓生の沖縄戦に於ける戦没者130余名を祀る慰霊塔です。

    昭和19(1944)年10月10日の十・十空襲によって校舎は焼け落ち、付近で焼け残った知事官舎を利用して学業を続けていました。そして翌昭和 20(1945)年2月には第 32 軍司令部からの?女生徒の看護教育を受けさせる旨?の命令により、看護教育を学ぶようになりました。3月には東風平 国民学校 に本部を置く 第24師団 衛生看護教育隊に入隊、3月24日には除隊者を除く 46名の学徒が重瀬岳中腹にある第24師団第一 野戦病院へと配属されます。

    戦況が悪化の一途を辿った6月4日、第24師団第一野戦病院は南部への撤退命令を受け、その際白梅学徒隊は解散命令を受けることになります。数人のグループに分かれて南部へと撤退するものの、その道中に8名の犠牲者を出します。そして国吉に 国吉に後退した第24師団第一野戦病院壕に迎えられて勤務を続けていた生徒たちも米軍の馬乗り攻撃の標的や手榴弾自決等によって白梅自決の壕で6名、上の壕で2名と、全身火傷を負った1名が米軍病院にて死亡。46名の生徒のうち17名が戦死されました。

    白梅学徒隊で最も多い犠牲者を出したこの国吉の地に、初代の白梅之塔が建立されたのは昭和22(1947)年1月のことになります。米軍統治下の資材のない中で建立されたものは、魂魄之塔や健児之塔、ひめゆり之塔と同じく気付かれないことも多いそうです。現在の立派な碑が建立されたのは、平成4(1992)年6月のことになります。

    沖縄戦に動員された学徒隊は9つあります。もっとも有名なものがひめゆり学徒で、糸満市米須に建てられているひめゆり之塔は、観光客の立ち寄りスポットとして多くの人が訪れる中、白梅之塔を訪れる方は殆どおられません。確かに場所がわかり辛いためこのあたりだというめぼしを付けて向かわないと迷う可能性もあります。しかしそれ程距離がある訳ではないため、せっかく南部の戦跡を巡るチャンスに恵まれたなら是非とも訪れて頂きたく思います。  閉じる

    投稿日:2016/03/06

  • 静かな場所

    • 5.0
    • 旅行時期:2015/04(約11年前)
    • 0

    青山繁晴さんの著書を拝読し、今回やっと行くことができました。
    のどかな風景に溶け込んだとても静かな場所でした。
    ところ...  続きを読むどころ、塔の場所を示す標識も出ており、千羽鶴がおさめられ、沖縄の方が大切にしている場所だと思いました。  閉じる

    投稿日:2015/04/30

  • ひめゆり学徒隊と対照的

    • 4.0
    • 旅行時期:2014/10(約11年前)
    • 0

    ひめゆり学徒隊と同じ女学生で構成され同じ運命を辿ったにも関わらず
    全く人がいませんでした
    アクセスが悪いというのはある...  続きを読むのでしょうが
    車を停めるための駐車場はちゃんとありますし・・
    これが知名度の差なのでしょうか
    国がプロパガンダ、企業がイメージ戦略を重視する理由がよくわかる現実でした
    しかし、人がいないためいろいろゆっくり考えることができることも事実で
    ひめゆりの塔のように商業色の強い観光地化しないでこのままひっそりとしてほしいです  閉じる

    投稿日:2015/09/07

  • 忘れてはいけない

    • 4.0
    • 旅行時期:2014/07(約11年前)
    • 0

    ひめゆり学徒隊は広く知られていますが、沖縄県立第二高等女学校の生徒達で作られた「白梅学徒隊」はあまり知られていないように思...  続きを読むいます。その白梅の女学生を追悼する石碑です。白梅隊でも沖縄戦の時に多くの死者が出ました。改めて戦争について考えさせられる場所です。  閉じる

    投稿日:2016/09/22

  • こんな所で…

    • 3.0
    • 旅行時期:2013/11(約12年前)
    • 0

    県立第2高等女学校生で組織された「白梅看護隊」の石碑「白梅の塔」は、半ば観光地化してしまった感のある「ひめゆりの塔」とは違...  続きを読むい、ひっそりとした丘の中腹に建てられていました。立派な塔の脇には「白梅看護隊」が集団自決した壕が残り、途中まで入ることができます。まさに「こんな所で…」と考えさせられるような場所です。この辺りは激戦地であったらしく、近くには第24師団「歩兵32連隊終焉の地」の碑や、アメリカ陸軍バグナー中将などの碑などもあります。  閉じる

    投稿日:2013/11/04

  • 戦火に散った白梅学徒看護隊を慰霊

    • 4.0
    • 旅行時期:2013/04(約13年前)
    • 1

    「白梅の塔」は、糸満市内から県道54号線を車で数分走った国吉郷にあります。学徒動員で、沖縄県立第二高等女学校の四年生たちに...  続きを読むよって編成された女学生たち(白梅学徒隊)が看護で従軍し、戦火に散った白梅学徒看護隊を慰霊している場所です。南部戦跡というと“ひめゆりの塔”が有名で観光名所化して賑わっているのに対し、ここは場所も奥まっているせいか、観光客も来ておらず、ひっそりとしていました。当時、10代半ばの少女達がどのような思いで従軍し、最期を迎えたのかを考えると胸に詰まるものがありました。



      閉じる

    投稿日:2013/04/12

  • ひめゆりの塔からほどない場所にひっそりと建つ慰霊碑。ここもひめゆり同様、最初に建てられた小さな碑と、後年に建立された大きく...  続きを読む立派な碑がある。
    県立第1高等女学校、すなわち「ひめゆり」はあまりに有名だが、第2高女の「白梅学徒隊」はさほど認知度は高くない。
    片や戦跡観光コースの中心となり、片や対照的にひっそりとしている。

    ここは、女学生に相応しく、穏やかな表情の地蔵や遺族が供えたと思われる人形などが置かれている。
    生き残った人たちは、この人形をどんな思いでここに供えたのだろうか?
    想像するだけで胸に詰まるものがある。

    慰霊碑の隣には、富盛の住民が散乱していた遺骨(約3000人)を集め祀った万魂之塔が建っている。
    その裏側が白梅最期の地となった壕である。「自決壕」の石碑が建ち、階段を降りたところには千羽鶴と供花、内部を覗くことができる。

    八重瀬岳の山部隊野戦病院にいた白梅学徒は6月4日の病院解散後、この地に追いつめられたグループがあった。碑の近くにある自然壕にいたが6月22日、米軍の激烈な『馬乗り攻撃』を受け多くが焼死、残った者も手榴弾で自決、全滅した。

    過去2回ほど訪問しているが、観光客の姿はほとんど見ることがない。供花はいつも新しく、人形も適宜取り替えられていて、その様がより一層“聖域”の趣を醸し出している。
    ひめゆりをスキップしてでも訪れてもらいたい場所である。  閉じる

    投稿日:2012/05/29

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基本情報(地図・住所)

施設名
白梅の塔
住所
  • 沖縄県糸満市国吉
カテゴリ
  1. 観光・遊ぶ
  2. 名所・史跡

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