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<はじめに><br /> 2012年・3回目の海外旅行です。今回の旅行の1番の目的は、中国江南地区の興化市にある千島菜花風景区の菜の花畑の見学です。併せて江南地区の桜や桃の花も見学の予定です。中国旅行としては22回目となりました。<br /><br /><旅のあらまし><br />4月14日(土):出発、セントレアから上海へ、陸路・無錫へ<br /> セントレア国際空港を9時35分発の中国南方航空のCZ380便で、上海に向けて飛び立ちました。4泊5日の中国江南地方の花巡りの旅の始まりです。予定のフライト時間は2時間15分、上海へは11時前に到着しました。上海空港到着ロビーで、現地スルーガイドさんと落合いました。<br /> 最初の見学地は、無錫にあるゲン頭渚公園です。移動距離は210キロ余りですから、上海市内で昼食を終えた後、無錫に向かいました。『ゲン頭』は、『スッポンの頭』を意味しますが、難しい文字ですから片仮名交じりの表記とします。<br /> 無錫は1980年代にヒットした『無錫旅情』の歌で、日本でもよく知られた地名となりました。中山大三郎(1941~2005年)の作詞・作曲で、尾形大作さんがレコードしました。無錫に向かうバスの中でもこの曲が流されていました。中山大三郎さんは、島倉千代子の『人生いろいろ』、天童よしみの『珍島物語』などの大ヒット曲を作詞、作曲しました。喉頭癌のため、惜しまれながら64歳で人生を終えられました。<br /> ゲン頭渚公園では桜の花を見る予定でしたが、既に散り終えていました。メインが千島菜花風景区の菜の花畑の見学ですから、これも止むを得ません。咲き残りの僅かな桜の花をカメラに収めることができました。<br /><br />4月15日(日):無錫、太湖遊覧、三国城、朝陽禅寺、無錫から泰州へ<br /> 午前中は太湖遊覧と無錫市内の見学でした。太湖は江蘇省南部と浙江省北部の境界に位置し、長江デルタを形成しています。蘇州を流れる蘇州河や上海を流れる黄浦江などの河川の源にもなっています。広さは、日本の琵琶湖の約3.4倍です。中国五大湖の1つで、中国では3番目に大きな淡水湖です。古代の太湖は東シナ海の一部でした。<br /> 現在の平均水深は2.0メートル、最大水深は48メートル、湖面の海抜は3.33メートルで、周囲は400キロです。中国庭園では奇石が配されますが、その中でも、最も有名なのが『太湖石』と呼ばれる穴の多い、複雑な形をした石灰岩です。<br /> 太湖の景色の中でも、北部の無錫周辺が最も美しいとされます。その代表的な場所が、太湖に突き出した半島に位置するゲン頭渚公園です。<br /> 無錫では、大覚禅師所縁の朝陽禅寺、ドラマ『三国演技』の撮影場所となった三国城などを見学しました。大覚禅師(1213?1278年)の名前は蘭溪道隆、南宋から日本の鎌倉時代に来日し、時の執権北条時頼の帰依を受けて鎌倉に招かれ、後に建長寺を開山し、臨済宗大覚派の開祖となりました。<br /> 大覚禅師は書にも優れ、『大覚禅師墨蹟(法語規則)』は、日本の国宝に指定されています。南宋の書家、張即之(1186?1266年)の書に学んだとされます。張即之の書は、本阿弥光悦等にも影響を与えたとされます。朝陽禅寺はゆっくりと時間をかけて見学できました。<br /> ドラマ『三国演技』の撮影場所となった三国城の見学は2回目です。明代に書かれた、後漢末・三国時代を舞台とする時代小説で通俗歴史小説です。四大奇書の一つに数えられます。『奇書』とは『世に稀なほど卓越した書物』という意味で、清代前期の図書販売のキャッチフレーズが始まりのようです。『三国志演義』、『水滸伝』、『西遊記』と『金瓶梅』が挙げられています。清朝中期になってからは、『金瓶梅』の代わりに『紅楼夢』を加えたものを『四大名著』と呼び、現代中国での必読書とされているようです。ゲン頭渚公園と三国城では、八重桜が満開でした。<br /><br />4月16日(月):泰州、興化、蘇州<br /> 泰州で泊ったホテルを8時に出発し、水郷と菜の花の名所、興化市に向かいました。水郷で区切られた区画に咲き乱れる菜の花が、まるで千個の島を造っているように見えることから、『千島菜花風景区』と呼ばれています。今回旅行の一番の目玉です。今回の旅行も、この風景写真を目にしたことで思い立ちました。<br /> 『千島菜花風景区』の派の花見学のポイントは3つありました。1つ目は小舟に乗って見上げる菜の花光景、2つ目は要所に造られた展望台から見下ろす菜の花光景、3つ目が菜の花畑の中の小道で眺める光景です。どのポイントも、満開の菜の花畑を満喫させてくれました。司馬遼太郎さんが菜の花を好きだったことが、よくよく納得できる光景でした。<br /> 泰州市では、梅蘭芳紀念館がもう1つの見所です。梅蘭芳(1894-1961年)は、中国を代表する京劇俳優でした。北京生まれですが、祖籍は江蘇省泰州とされます。彼の名は日本人の間でも大正時代から『メイランファン』という中国語の、原音で知られていたとされます。記念館に展示されていた文物は、補遺で纏めて紹介しました。<br /> この日は、昼食後に蘇州に移動しました。蘇州では2回目となりましたが、張継の『楓橋夜泊』の漢詩で有名な、臨済宗のお寺の寒山寺を見学しました。寒山寺は、南北朝時代の梁(南朝)の天監年間(502? 519年)、武帝の時代に『妙利普院塔院』として創建されました。その後たびたびの戦火に遭い、現在見ることが出来る寺院は、清朝末の1906年(光緒32年)に再建された建物です。<br /> この日は蘇州泊でした。<br /><br />4月17日(火):蘇州、錦渓、上海<br /> 蘇州では、世界文化遺産の9つの『蘇州古典園林』の私家園林の1つ、藕園を見学しました。多くの庭園が明代に造られた物ですが、この藕園は清代初期の作庭です。比較的面積の狭い庭園とされますが、作庭技術のためなのか、狭い感じはしませんでした。<br /> 上海に移動する前に見学したのが、江蘇省崑山市に位置する水郷古鎮の錦渓です。錦渓鎮には多くの運河があり、明清代に建築された36の石橋が保存されています。小舟で遊覧しながら、長閑な景色を楽しむことができました。<br />午前中に上海に到着し、上海博物館のほか、租界時代の西洋建築が残る外灘(ワイタン)を見学しました。こちらも何度も見学した場所です。上海博物館では、多少の展示入れ替えがあると思い、今回も陶磁器を主体に撮影しました。毎度のことながら、ピンぼけ写真が多いものの、補遺いで纏めて紹介しておきました。<br /><br />4月18日(水):上海市内見学の後、帰国<br /> 帰国の日となりました。夕方の便での帰国ですから、この日もゆっくり上海市内を見学できました。見学したのは、新天地と豫園・豫園商城です。これまでに何度も見学した場所です。それとお決まりの茶芸館と、お土産店への立寄りもありました。<br /> 出発便は17:55発の夕刻の便でした。出発が1時間ほど遅れました。中国東方航空の西安発のセントレア行きの便は、1時間遅れが定刻のイメージですが、今回は中国南方航空機です。搭乗したCZ379便は、上海始発か、杭州始発なのかは良く分かりませんでした。セントレア空港への到着は遅れたものの、まだ名鉄電車が運行している時間帯なので問題ありませんでした。<br /><br /><中国旅行記一覧><br /> これまでに作成した中国旅行記一覧です。<br />中国旅行記1(1997年6月):西安と上海を訪ねて<br />中国旅行記2(2001年1月):北京、万里の長城を訪ねて <br />中国旅行記3(2002年6月):香港、桂林を訪ねて <br />中国旅行記4(2003年10月):九寨溝、黄龍を訪ねて <br />中国旅行記5(2004年10月):ホームステイ上海、杭州の旅 <br />中国旅行記6(2005年2月):新年好!上海、朱家角の旅 <br />中国旅行記7(2005年4月):龍勝、桂林、広州の旅 <br />中国旅行記8(2006年1月):新年好!in上海・2006の旅 <br />中国旅行記9(2006年6月):雲南省、香格里拉、麗江古城の旅 <br />中国旅行記10(2006年9月):山西省、雲岡石窟、平遥古城の旅 <br />中国旅行記11(2006年12月):青島直行、第1便の旅 <br />中国旅行記12(2007年2月):新年好!in上海2007  <br />中国旅行記13(2008年2月):マカオの世界遺産巡りの旅 <br />中国旅行記14(2008年9月):江南地方を巡る旅 <br />中国旅行記15(2008年11月):北京の世界遺産巡りの旅 <br />中国旅行記16(2009年4月):瀋陽、旅順、大連を巡る旅 <br />中国旅行記17(2009年6月):シルクロードの旅 <br />中国旅行記18(2009年7月):杭州、皆既日食見学の旅<br />中国旅行記19(2010年5月):上海万博見学の旅 <br />中国旅行記20(2011年9月):福建省・アモイ、コロンス島の旅<br />中国旅行記21(2011年12月):西安の名所巡りの旅<br />*旅行記の作成に当たっては、ウィキペディアのネット情報、JTB・フリータイム中国等のガイドブックを参照しました。

2012春、中国旅行記22(1/50):4月14日(1):セントレアから上海・浦東国際空港へ、陸路無錫へ

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2012/04/14 - 2012/04/18

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旅行記グループ 2012春、中国旅行記22(上巻)

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旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

<はじめに>
 2012年・3回目の海外旅行です。今回の旅行の1番の目的は、中国江南地区の興化市にある千島菜花風景区の菜の花畑の見学です。併せて江南地区の桜や桃の花も見学の予定です。中国旅行としては22回目となりました。

<旅のあらまし>
4月14日(土):出発、セントレアから上海へ、陸路・無錫へ
 セントレア国際空港を9時35分発の中国南方航空のCZ380便で、上海に向けて飛び立ちました。4泊5日の中国江南地方の花巡りの旅の始まりです。予定のフライト時間は2時間15分、上海へは11時前に到着しました。上海空港到着ロビーで、現地スルーガイドさんと落合いました。
 最初の見学地は、無錫にあるゲン頭渚公園です。移動距離は210キロ余りですから、上海市内で昼食を終えた後、無錫に向かいました。『ゲン頭』は、『スッポンの頭』を意味しますが、難しい文字ですから片仮名交じりの表記とします。
 無錫は1980年代にヒットした『無錫旅情』の歌で、日本でもよく知られた地名となりました。中山大三郎(1941~2005年)の作詞・作曲で、尾形大作さんがレコードしました。無錫に向かうバスの中でもこの曲が流されていました。中山大三郎さんは、島倉千代子の『人生いろいろ』、天童よしみの『珍島物語』などの大ヒット曲を作詞、作曲しました。喉頭癌のため、惜しまれながら64歳で人生を終えられました。
 ゲン頭渚公園では桜の花を見る予定でしたが、既に散り終えていました。メインが千島菜花風景区の菜の花畑の見学ですから、これも止むを得ません。咲き残りの僅かな桜の花をカメラに収めることができました。

4月15日(日):無錫、太湖遊覧、三国城、朝陽禅寺、無錫から泰州へ
 午前中は太湖遊覧と無錫市内の見学でした。太湖は江蘇省南部と浙江省北部の境界に位置し、長江デルタを形成しています。蘇州を流れる蘇州河や上海を流れる黄浦江などの河川の源にもなっています。広さは、日本の琵琶湖の約3.4倍です。中国五大湖の1つで、中国では3番目に大きな淡水湖です。古代の太湖は東シナ海の一部でした。
 現在の平均水深は2.0メートル、最大水深は48メートル、湖面の海抜は3.33メートルで、周囲は400キロです。中国庭園では奇石が配されますが、その中でも、最も有名なのが『太湖石』と呼ばれる穴の多い、複雑な形をした石灰岩です。
 太湖の景色の中でも、北部の無錫周辺が最も美しいとされます。その代表的な場所が、太湖に突き出した半島に位置するゲン頭渚公園です。
 無錫では、大覚禅師所縁の朝陽禅寺、ドラマ『三国演技』の撮影場所となった三国城などを見学しました。大覚禅師(1213?1278年)の名前は蘭溪道隆、南宋から日本の鎌倉時代に来日し、時の執権北条時頼の帰依を受けて鎌倉に招かれ、後に建長寺を開山し、臨済宗大覚派の開祖となりました。
 大覚禅師は書にも優れ、『大覚禅師墨蹟(法語規則)』は、日本の国宝に指定されています。南宋の書家、張即之(1186?1266年)の書に学んだとされます。張即之の書は、本阿弥光悦等にも影響を与えたとされます。朝陽禅寺はゆっくりと時間をかけて見学できました。
 ドラマ『三国演技』の撮影場所となった三国城の見学は2回目です。明代に書かれた、後漢末・三国時代を舞台とする時代小説で通俗歴史小説です。四大奇書の一つに数えられます。『奇書』とは『世に稀なほど卓越した書物』という意味で、清代前期の図書販売のキャッチフレーズが始まりのようです。『三国志演義』、『水滸伝』、『西遊記』と『金瓶梅』が挙げられています。清朝中期になってからは、『金瓶梅』の代わりに『紅楼夢』を加えたものを『四大名著』と呼び、現代中国での必読書とされているようです。ゲン頭渚公園と三国城では、八重桜が満開でした。

4月16日(月):泰州、興化、蘇州
 泰州で泊ったホテルを8時に出発し、水郷と菜の花の名所、興化市に向かいました。水郷で区切られた区画に咲き乱れる菜の花が、まるで千個の島を造っているように見えることから、『千島菜花風景区』と呼ばれています。今回旅行の一番の目玉です。今回の旅行も、この風景写真を目にしたことで思い立ちました。
 『千島菜花風景区』の派の花見学のポイントは3つありました。1つ目は小舟に乗って見上げる菜の花光景、2つ目は要所に造られた展望台から見下ろす菜の花光景、3つ目が菜の花畑の中の小道で眺める光景です。どのポイントも、満開の菜の花畑を満喫させてくれました。司馬遼太郎さんが菜の花を好きだったことが、よくよく納得できる光景でした。
 泰州市では、梅蘭芳紀念館がもう1つの見所です。梅蘭芳(1894-1961年)は、中国を代表する京劇俳優でした。北京生まれですが、祖籍は江蘇省泰州とされます。彼の名は日本人の間でも大正時代から『メイランファン』という中国語の、原音で知られていたとされます。記念館に展示されていた文物は、補遺で纏めて紹介しました。
 この日は、昼食後に蘇州に移動しました。蘇州では2回目となりましたが、張継の『楓橋夜泊』の漢詩で有名な、臨済宗のお寺の寒山寺を見学しました。寒山寺は、南北朝時代の梁(南朝)の天監年間(502? 519年)、武帝の時代に『妙利普院塔院』として創建されました。その後たびたびの戦火に遭い、現在見ることが出来る寺院は、清朝末の1906年(光緒32年)に再建された建物です。
 この日は蘇州泊でした。

4月17日(火):蘇州、錦渓、上海
 蘇州では、世界文化遺産の9つの『蘇州古典園林』の私家園林の1つ、藕園を見学しました。多くの庭園が明代に造られた物ですが、この藕園は清代初期の作庭です。比較的面積の狭い庭園とされますが、作庭技術のためなのか、狭い感じはしませんでした。
 上海に移動する前に見学したのが、江蘇省崑山市に位置する水郷古鎮の錦渓です。錦渓鎮には多くの運河があり、明清代に建築された36の石橋が保存されています。小舟で遊覧しながら、長閑な景色を楽しむことができました。
午前中に上海に到着し、上海博物館のほか、租界時代の西洋建築が残る外灘(ワイタン)を見学しました。こちらも何度も見学した場所です。上海博物館では、多少の展示入れ替えがあると思い、今回も陶磁器を主体に撮影しました。毎度のことながら、ピンぼけ写真が多いものの、補遺いで纏めて紹介しておきました。

4月18日(水):上海市内見学の後、帰国
 帰国の日となりました。夕方の便での帰国ですから、この日もゆっくり上海市内を見学できました。見学したのは、新天地と豫園・豫園商城です。これまでに何度も見学した場所です。それとお決まりの茶芸館と、お土産店への立寄りもありました。
 出発便は17:55発の夕刻の便でした。出発が1時間ほど遅れました。中国東方航空の西安発のセントレア行きの便は、1時間遅れが定刻のイメージですが、今回は中国南方航空機です。搭乗したCZ379便は、上海始発か、杭州始発なのかは良く分かりませんでした。セントレア空港への到着は遅れたものの、まだ名鉄電車が運行している時間帯なので問題ありませんでした。

<中国旅行記一覧>
 これまでに作成した中国旅行記一覧です。
中国旅行記1(1997年6月):西安と上海を訪ねて
中国旅行記2(2001年1月):北京、万里の長城を訪ねて 
中国旅行記3(2002年6月):香港、桂林を訪ねて 
中国旅行記4(2003年10月):九寨溝、黄龍を訪ねて 
中国旅行記5(2004年10月):ホームステイ上海、杭州の旅 
中国旅行記6(2005年2月):新年好!上海、朱家角の旅 
中国旅行記7(2005年4月):龍勝、桂林、広州の旅 
中国旅行記8(2006年1月):新年好!in上海・2006の旅 
中国旅行記9(2006年6月):雲南省、香格里拉、麗江古城の旅 
中国旅行記10(2006年9月):山西省、雲岡石窟、平遥古城の旅 
中国旅行記11(2006年12月):青島直行、第1便の旅 
中国旅行記12(2007年2月):新年好!in上海2007  
中国旅行記13(2008年2月):マカオの世界遺産巡りの旅 
中国旅行記14(2008年9月):江南地方を巡る旅 
中国旅行記15(2008年11月):北京の世界遺産巡りの旅 
中国旅行記16(2009年4月):瀋陽、旅順、大連を巡る旅 
中国旅行記17(2009年6月):シルクロードの旅 
中国旅行記18(2009年7月):杭州、皆既日食見学の旅
中国旅行記19(2010年5月):上海万博見学の旅 
中国旅行記20(2011年9月):福建省・アモイ、コロンス島の旅
中国旅行記21(2011年12月):西安の名所巡りの旅
*旅行記の作成に当たっては、ウィキペディアのネット情報、JTB・フリータイム中国等のガイドブックを参照しました。

  • セントレア国際空港発は9時35分の上海往きの中国南方航空のCZ380便です。その2時間以上前に空港に到着しました。セントレア国際空港のスカイデッキの光景です。花曇りの日の出発でした。(同上)

    セントレア国際空港発は9時35分の上海往きの中国南方航空のCZ380便です。その2時間以上前に空港に到着しました。セントレア国際空港のスカイデッキの光景です。花曇りの日の出発でした。(同上)

  • 同じく、セントレア国際空港のスカイデッキの光景です。雨模様でしたが、この時間帯では雨は上がって、花曇りになっていました。フライトには、全く問題がない天候のようでした。(同上)

    同じく、セントレア国際空港のスカイデッキの光景です。雨模様でしたが、この時間帯では雨は上がって、花曇りになっていました。フライトには、全く問題がない天候のようでした。(同上)

  • 最前までは雨模様でしたから、人影の少ないスカイデッキの光景でした。屋上からの紹介はこれでおしまいです。少し霞んだ中に、駐機中の機影が見えました。(同上)

    最前までは雨模様でしたから、人影の少ないスカイデッキの光景でした。屋上からの紹介はこれでおしまいです。少し霞んだ中に、駐機中の機影が見えました。(同上)

  • スカイデッキと同じレベルの四階の光景です。食堂やお土産店などが軒を並べます。私も出発前によく利用します。喫茶や、軽食です。つい、ビールを注文することもあります。(同上)

    スカイデッキと同じレベルの四階の光景です。食堂やお土産店などが軒を並べます。私も出発前によく利用します。喫茶や、軽食です。つい、ビールを注文することもあります。(同上)

  • 同じく、スカイデッキと同じレベルの四階の光景です。イベントがない日には、かなり広いスペースがありますから、普段でもフードコートとして自由に利用することができます。(同上)

    同じく、スカイデッキと同じレベルの四階の光景です。イベントがない日には、かなり広いスペースがありますから、普段でもフードコートとして自由に利用することができます。(同上)

  • イベントがない日のようですから、ガランとしたホールの光景です。いつもの謎の旅人フーさんが笑顔で見送ってくれました。セントレアでは、すっかりお馴染みになりました。(同上)

    イチオシ

    イベントがない日のようですから、ガランとしたホールの光景です。いつもの謎の旅人フーさんが笑顔で見送ってくれました。セントレアでは、すっかりお馴染みになりました。(同上)

  • ターミナルビル内の4階から見下ろした3階の光景です。目前に見えるのが、人のいないエスカレーターです。時間帯は午前中のゴールデンタイムですが、空いていました。(同上)

    ターミナルビル内の4階から見下ろした3階の光景です。目前に見えるのが、人のいないエスカレーターです。時間帯は午前中のゴールデンタイムですが、空いていました。(同上)

  • エスカレーターを降りて、三階に来ました。三階にはゴールド・カードで無料利用できるラウンジがありますので、時間つぶしの時によく利用しています。(同上)

    エスカレーターを降りて、三階に来ました。三階にはゴールド・カードで無料利用できるラウンジがありますので、時間つぶしの時によく利用しています。(同上)

  • ターミナルビル内の三階光景が続きます。セントレア国際空港は、コンパクトな空港ですから、この階に国内線と国際線の出発ゲートが揃っています。(同上)

    ターミナルビル内の三階光景が続きます。セントレア国際空港は、コンパクトな空港ですから、この階に国内線と国際線の出発ゲートが揃っています。(同上)

  • ターミナルビル内の三階光景が続きます。セントレア国際空港は、コンパクトな空港ですから、この階に国内線と国際線の出発ゲートが揃っています。(同上)

    ターミナルビル内の三階光景が続きます。セントレア国際空港は、コンパクトな空港ですから、この階に国内線と国際線の出発ゲートが揃っています。(同上)

  • セントレア国際空港の国際線の保安検査場の入口付近の光景です。予想した通り、空いていました。待ち時間はほとんどないように見受けました。(同上)

    セントレア国際空港の国際線の保安検査場の入口付近の光景です。予想した通り、空いていました。待ち時間はほとんどないように見受けました。(同上)

  • 保安検査場の入口の電光表示板のズームアップ光景です。現在時刻は8時18分、上海行きのCZ380便が、中間より少し下に表示されていました。今のところフライト変更はないようです。(同上)

    保安検査場の入口の電光表示板のズームアップ光景です。現在時刻は8時18分、上海行きのCZ380便が、中間より少し下に表示されていました。今のところフライト変更はないようです。(同上)

  • 出国手続きを済ませた、セントレア国際空港のターミナルビル内の光景です。牡丹桜、が飾ってありました。本物ではなく、造花かも知れませんが、確認はしていません。造花を飾るような野暮なことはしていないようです。(同上)

    出国手続きを済ませた、セントレア国際空港のターミナルビル内の光景です。牡丹桜、が飾ってありました。本物ではなく、造花かも知れませんが、確認はしていません。造花を飾るような野暮なことはしていないようです。(同上)

  • 定刻にセントレアを飛立ちました。早速提供された、中国南方航空の機内食の紹介です。右がご飯、左がおかずです。『旬彩味』の文字がプリントされていました。地元で作られた弁当のようでした。(同上)

    定刻にセントレアを飛立ちました。早速提供された、中国南方航空の機内食の紹介です。右がご飯、左がおかずです。『旬彩味』の文字がプリントされていました。地元で作られた弁当のようでした。(同上)

  • 朝食の弁当の中身の紹介です。和食セットで、納豆や海苔も付いていました。多分、委託契約している日本の会社の製作です。地元の半田での出来立てのようでした。美味しく頂きました。(同上)

    朝食の弁当の中身の紹介です。和食セットで、納豆や海苔も付いていました。多分、委託契約している日本の会社の製作です。地元の半田での出来立てのようでした。美味しく頂きました。(同上)

  • セントレア国際空港を飛び立ってからの予定のフライト時間は2時間15分です。上海の浦東(プードン)国際空港へは、現地時間で11時前に到着しました。その上海・浦東(プードン)国際空港の光景です。(同上)

    セントレア国際空港を飛び立ってからの予定のフライト時間は2時間15分です。上海の浦東(プードン)国際空港へは、現地時間で11時前に到着しました。その上海・浦東(プードン)国際空港の光景です。(同上)

  • 同じく、上海・浦東(プードン)国際空港の光景です。アジアのハブ空港の一つです。ハブ空港に相応しい、24時間全天候型国際空港です。上海の空の玄関口だった上海虹橋(ホンチャオ)国際空港が航空需要を賄いきれなくなり、1999年に開港した空港です。(同上)

    イチオシ

    同じく、上海・浦東(プードン)国際空港の光景です。アジアのハブ空港の一つです。ハブ空港に相応しい、24時間全天候型国際空港です。上海の空の玄関口だった上海虹橋(ホンチャオ)国際空港が航空需要を賄いきれなくなり、1999年に開港した空港です。(同上)

  • 上海浦東(プードン)国際空港のターミナルビル内の光景です。入国審査に向かう途中の光景です。この国際空港は、上海市中心部から東30キロの上海市浦東新区に位置します。(同上)

    上海浦東(プードン)国際空港のターミナルビル内の光景です。入国審査に向かう途中の光景です。この国際空港は、上海市中心部から東30キロの上海市浦東新区に位置します。(同上)

  • 同じく、入国審査に向かう途中のターミナルビル内の光景です。左手の窓の外に見えているのは、先ほど搭乗した中国南方航空のCZ380便のようでした。(同上)

    同じく、入国審査に向かう途中のターミナルビル内の光景です。左手の窓の外に見えているのは、先ほど搭乗した中国南方航空のCZ380便のようでした。(同上)

  • 入国審査を済ませ、全員が揃うのを暫く待った、到着ロビーの光景です。今回の中国旅行は、4泊5日の中国江南地方の花巡りです。その一番の目的は、菜の花です。(同上)

    入国審査を済ませ、全員が揃うのを暫く待った、到着ロビーの光景です。今回の中国旅行は、4泊5日の中国江南地方の花巡りです。その一番の目的は、菜の花です。(同上)

  • 国際線の到着便の電光表示ボードです。搭乗したCZ380便が上から2行目に表示されていました。到着予定が10時50分のところ、10時55分でした。ほかの便も時間に正確でした。ひと昔の中国旅行では考えられないほどの正確さです。(同上)

    国際線の到着便の電光表示ボードです。搭乗したCZ380便が上から2行目に表示されていました。到着予定が10時50分のところ、10時55分でした。ほかの便も時間に正確でした。ひと昔の中国旅行では考えられないほどの正確さです。(同上)

  • 参考までに撮影した上海空港発のバスの時刻表です。磁気浮上列車や、地下鉄線も表示されていました。日本でいう時刻表ではなく、乗り場案内でした。『上海トランスラピッド』と呼ばれている磁気浮上列車は、2002年12月、世界初の常設商業磁気浮上式鉄道として、浦東国際空港と上海市郊外を結んで開通しました。(同上)

    参考までに撮影した上海空港発のバスの時刻表です。磁気浮上列車や、地下鉄線も表示されていました。日本でいう時刻表ではなく、乗り場案内でした。『上海トランスラピッド』と呼ばれている磁気浮上列車は、2002年12月、世界初の常設商業磁気浮上式鉄道として、浦東国際空港と上海市郊外を結んで開通しました。(同上)

  • 現地集合、現地解散のツアーです。ツアーメンバー全員が、無事に現地集合を済ませたところで、上海市内での昼食です。軽くサントリー(三得利)ビールを戴きました。(同上)

    現地集合、現地解散のツアーです。ツアーメンバー全員が、無事に現地集合を済ませたところで、上海市内での昼食です。軽くサントリー(三得利)ビールを戴きました。(同上)

  • 昼食の品々です。食べ過ぎないよう、サントリー・ビールの摘みを主体に戴きました。野菜類の炒め物や、マーボー豆腐などです。(同上)

    昼食の品々です。食べ過ぎないよう、サントリー・ビールの摘みを主体に戴きました。野菜類の炒め物や、マーボー豆腐などです。(同上)

  • 最初の見学地、無錫に到着しました。太湖に面したゲン頭渚公園です。『ゲン』は、スッポンの意味の文字ですが、日本で普段使われる文字とは異なりますので、この後もカタカナ表記とします。(同上)

    最初の見学地、無錫に到着しました。太湖に面したゲン頭渚公園です。『ゲン』は、スッポンの意味の文字ですが、日本で普段使われる文字とは異なりますので、この後もカタカナ表記とします。(同上)

  • 上海から、無錫までの移動距離は210キロ余りです。予想はしていましたが、染井吉野らしい桜は、ほとんど散っていました。一番の目的が名の花ですから、仕方ありません。(同上)

    上海から、無錫までの移動距離は210キロ余りです。予想はしていましたが、染井吉野らしい桜は、ほとんど散っていました。一番の目的が名の花ですから、仕方ありません。(同上)

  • 『媚川輝山』の扁額が懸った門の光景です。『光輝く山、魅惑的な川』という意味のようです。山紫水明、あるいは風光明媚といったイメージの文字のようです。(同上)

    イチオシ

    『媚川輝山』の扁額が懸った門の光景です。『光輝く山、魅惑的な川』という意味のようです。山紫水明、あるいは風光明媚といったイメージの文字のようです。(同上)

  • 『媚川輝山』の扁額が懸った門の内側からの光景です。三つある通路の中央の通路の上に『ゲン頭渚』の文字が記されています。公園の名前は、太鼓に迫り出した岬の形が、スッポン(鼈)に似ていることからの命名とされます。(同上)

    『媚川輝山』の扁額が懸った門の内側からの光景です。三つある通路の中央の通路の上に『ゲン頭渚』の文字が記されています。公園の名前は、太鼓に迫り出した岬の形が、スッポン(鼈)に似ていることからの命名とされます。(同上)

  • 三つのアーチ門があった入口門の光景です。『太湖別墅(たいこ・べっしょ)』の扁額が懸っていました。『別墅(べっしょ)』は、別荘の意味のようです。(同上)

    三つのアーチ門があった入口門の光景です。『太湖別墅(たいこ・べっしょ)』の扁額が懸っていました。『別墅(べっしょ)』は、別荘の意味のようです。(同上)

  • 『太湖別墅(たいこべっしょ)』の文字が記された扁額のズームアップ光景です。黄色に彩色された門でした。太湖の大きさは、2,250平方キロとされ、日本の琵琶湖の約3.4倍です。それでも中国内では3番目の大きさです。(同上)

    『太湖別墅(たいこべっしょ)』の文字が記された扁額のズームアップ光景です。黄色に彩色された門でした。太湖の大きさは、2,250平方キロとされ、日本の琵琶湖の約3.4倍です。それでも中国内では3番目の大きさです。(同上)

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