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大覚禅師(1213~1278年)の名前は蘭溪道隆、中国の南宋(1127~1279年)から日本の鎌倉時代に来日し、時の執権・北条時頼の帰依を受けて鎌倉に招かれ、後に建長寺を開山し、臨済宗大覚派の開祖となりました。(ウィキペディア、JTB・中国)<br />

2012春、中国旅行記22(12/50):4月15日(7):無錫、大覚禅師所縁の朝陽禅寺、大覚禅師像、朝陽洞

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2012/04/14 - 2012/04/18

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旅行記グループ 2012春、中国旅行記22(上巻)

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旅人のくまさん

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大覚禅師(1213~1278年)の名前は蘭溪道隆、中国の南宋(1127~1279年)から日本の鎌倉時代に来日し、時の執権・北条時頼の帰依を受けて鎌倉に招かれ、後に建長寺を開山し、臨済宗大覚派の開祖となりました。(ウィキペディア、JTB・中国)

  • コの字配置された建物の正面の建物光景です。正面の建物に、『客殿』の扁額がありました。静かな雰囲気の境内でした。(同上)

    コの字配置された建物の正面の建物光景です。正面の建物に、『客殿』の扁額がありました。静かな雰囲気の境内でした。(同上)

  • コの字配置された建物の右手方面の建物光景です。地形の影響でしょうか、正面の『客殿』とは段差がある造りでした。(同上)

    コの字配置された建物の右手方面の建物光景です。地形の影響でしょうか、正面の『客殿』とは段差がある造りでした。(同上)

  • コの字配置された建物の左手方面の建物光景です。参拝客などの宿泊施設のようにも見えました。2階建ての建物です。(同上)

    コの字配置された建物の左手方面の建物光景です。参拝客などの宿泊施設のようにも見えました。2階建ての建物です。(同上)

  • ツートンカラーの花を咲かせた、ソラマメ(蚕豆、空豆)です。ノラマメ(野良豆)、ナツマメ(夏豆)、テンマメ(天豆)、シガツマメ(四月豆)など、様々な呼び名があります。(同上)

    ツートンカラーの花を咲かせた、ソラマメ(蚕豆、空豆)です。ノラマメ(野良豆)、ナツマメ(夏豆)、テンマメ(天豆)、シガツマメ(四月豆)など、様々な呼び名があります。(同上)

  • ソラマメの花のズームアップ光景です。地中海、西南アジアが原産地と推測される、マメ科の植物です。日本には8世紀頃、行基(668~749年)がもたらしたとされます。(同上)

    ソラマメの花のズームアップ光景です。地中海、西南アジアが原産地と推測される、マメ科の植物です。日本には8世紀頃、行基(668~749年)がもたらしたとされます。(同上)

  • 寺院の甍と、その背後で咲いていたキリ(桐)の花の光景です。周りの新緑も濃さを増していました。(同上)

    寺院の甍と、その背後で咲いていたキリ(桐)の花の光景です。周りの新緑も濃さを増していました。(同上)

  • 桐の花の落花光景です。中国語の別名として、白桐、泡桐や榮の呼び名があるようです。花が咲いた後、翼(よく)のついた小さい種子を風に飛ばせます。(同上)

    桐の花の落花光景です。中国語の別名として、白桐、泡桐や榮の呼び名があるようです。花が咲いた後、翼(よく)のついた小さい種子を風に飛ばせます。(同上)

  • 像の名前を確認はできませんでしたが、仏陀の十大弟子の像のようです。すべて金銅仏のように見えました。(同上)

    像の名前を確認はできませんでしたが、仏陀の十大弟子の像のようです。すべて金銅仏のように見えました。(同上)

  • 鰐のような生き物の上に立つ仏像です。ヒンドゥ教の像の神様のガネーシャ神やガンガー女神は、鰐の上に腰かけた像がありますから、その流れでの仏像でしょうか。鰐ではなくて、魚の怪獣かも知れません。ヒンドゥ教のワニに似た怪獣マカラは、その起源がギリシャ神話のようです。(同上)

    鰐のような生き物の上に立つ仏像です。ヒンドゥ教の像の神様のガネーシャ神やガンガー女神は、鰐の上に腰かけた像がありますから、その流れでの仏像でしょうか。鰐ではなくて、魚の怪獣かも知れません。ヒンドゥ教のワニに似た怪獣マカラは、その起源がギリシャ神話のようです。(同上)

  • 鰐か魚の怪獣か分かりませんが、歯が3本しかない可愛らしい姿でした。その下に波模様がありましたから、魚の怪獣の方かも知れません。(同上)

    鰐か魚の怪獣か分かりませんが、歯が3本しかない可愛らしい姿でした。その下に波模様がありましたから、魚の怪獣の方かも知れません。(同上)

  • ほっそりとした姿の、大覚禅師(1213~1278年)像です。本名は蘭溪道隆(らんけい・どうりゅう)、鎌倉時代中期の南宋から日本に渡来した禅僧で、臨済宗大覚派の祖です。(同上)

    ほっそりとした姿の、大覚禅師(1213~1278年)像です。本名は蘭溪道隆(らんけい・どうりゅう)、鎌倉時代中期の南宋から日本に渡来した禅僧で、臨済宗大覚派の祖です。(同上)

  • 同じく、角度を変えて眺めた大覚禅師像です。南宋の書家、張即之(1186~1266年)に学んだとされる書にも優れ、『大覚禅師墨蹟(法語規則)』は日本の国宝に指定されています。書式文章ともに謹厳で、確固たる字形、太細の自在な変化をし、隅々まで行き渡った筆勢があると評価されています。(同上)

    同じく、角度を変えて眺めた大覚禅師像です。南宋の書家、張即之(1186~1266年)に学んだとされる書にも優れ、『大覚禅師墨蹟(法語規則)』は日本の国宝に指定されています。書式文章ともに謹厳で、確固たる字形、太細の自在な変化をし、隅々まで行き渡った筆勢があると評価されています。(同上)

  • 大覚禅師像のズームアップ光景です。弟子とともに33歳の時に来日し、筑前・円覚寺、京都・泉涌寺の来迎院、鎌倉・寿福寺などに寓居し、宋風の本格的な臨済宗を広めました。また執権北条時頼の帰依を受けて鎌倉に招かれ、常楽寺(神奈川県鎌倉市)の住持となりました。更に、建長5年(1253年)、北条時頼によって鎌倉に建長寺が創建されると、招かれて開山となりました。創建当初の建長寺は、中国語が飛びかう異国的な空間だったと記録に残ります。(同上)

    イチオシ

    大覚禅師像のズームアップ光景です。弟子とともに33歳の時に来日し、筑前・円覚寺、京都・泉涌寺の来迎院、鎌倉・寿福寺などに寓居し、宋風の本格的な臨済宗を広めました。また執権北条時頼の帰依を受けて鎌倉に招かれ、常楽寺(神奈川県鎌倉市)の住持となりました。更に、建長5年(1253年)、北条時頼によって鎌倉に建長寺が創建されると、招かれて開山となりました。創建当初の建長寺は、中国語が飛びかう異国的な空間だったと記録に残ります。(同上)

  • 天蓋の下の蓮座に座禅を組む、釈迦牟尼坐像のようです。確認ができませんでしたが、長陽禅寺の御本尊かもしれません。(同上)

    イチオシ

    天蓋の下の蓮座に座禅を組む、釈迦牟尼坐像のようです。確認ができませんでしたが、長陽禅寺の御本尊かもしれません。(同上)

  • 室内に吊り下げられていた、少し小振りの梵鐘の光景です。『吉祥鐘』の名前がありました。その画題の右手には『衆生度盡方証菩提』、左側には『地獄未空誓不成佛』の文字が記されていました。(同上)

    室内に吊り下げられていた、少し小振りの梵鐘の光景です。『吉祥鐘』の名前がありました。その画題の右手には『衆生度盡方証菩提』、左側には『地獄未空誓不成佛』の文字が記されていました。(同上)

  • 寺院内部の見学のあと、暫く自由時間での見学となりました。広い境内の自由散策を楽しみました。(同上)

    寺院内部の見学のあと、暫く自由時間での見学となりました。広い境内の自由散策を楽しみました。(同上)

  • 新緑の樹木と、薄紫色の花を咲かせたキリ(桐)の光景です。キリ(桐)は、境内の各所で見掛けました。(同上)

    新緑の樹木と、薄紫色の花を咲かせたキリ(桐)の光景です。キリ(桐)は、境内の各所で見掛けました。(同上)

  • 石段の上に見えているのは、『朝陽祠』の緑の文字です。『陽山朝陽禅寺歴史』のその(四)に紹介してあった、『長陽祠』があるようです。(同上)

    石段の上に見えているのは、『朝陽祠』の緑の文字です。『陽山朝陽禅寺歴史』のその(四)に紹介してあった、『長陽祠』があるようです。(同上)

  • 『朝陽祠』の緑の文字があった場所の光景です。説明文にも記されていた、『大覚禅師供養塔』も案内されていました。(同上)

    『朝陽祠』の緑の文字があった場所の光景です。説明文にも記されていた、『大覚禅師供養塔』も案内されていました。(同上)

  • 危険防止のための立入禁止のようです。壁面に沿って、先が尖った金属柵が設けてあった箇所の光景です。(同上)

    危険防止のための立入禁止のようです。壁面に沿って、先が尖った金属柵が設けてあった箇所の光景です。(同上)

  • 洞窟の壁に記してあった、『佛』の赤い文字です。中国の寺院や名所などで、普通に見かける光景です。(同上)

    洞窟の壁に記してあった、『佛』の赤い文字です。中国の寺院や名所などで、普通に見かける光景です。(同上)

  • 『大覚禅師供養塔』の光景です。地元の無錫陽山鎮政府と、日本の建長寺の協力で建てられたものです。(同上)

    『大覚禅師供養塔』の光景です。地元の無錫陽山鎮政府と、日本の建長寺の協力で建てられたものです。(同上)

  • 『大覚禅師供養塔』のズームアップ光景です。高さ2.5メートル、幅1.2メートルで、塔と蓮座を合わせて、2.5トンの大きさとされます。日本の建長寺や鎌倉五山第一などの文字が拾い読みできました。(同上)

    『大覚禅師供養塔』のズームアップ光景です。高さ2.5メートル、幅1.2メートルで、塔と蓮座を合わせて、2.5トンの大きさとされます。日本の建長寺や鎌倉五山第一などの文字が拾い読みできました。(同上)

  • 『静能生慧』の文字が刻まれた自然石の光景です。『静能』は、静止エネルギー、位置エネルギーを、『生慧』は知恵を意味するようです。日中翻訳ソフトでは、『知恵の運動エネルギー』と訳されました。(同上)

    『静能生慧』の文字が刻まれた自然石の光景です。『静能』は、静止エネルギー、位置エネルギーを、『生慧』は知恵を意味するようです。日中翻訳ソフトでは、『知恵の運動エネルギー』と訳されました。(同上)

  • 朝陽祠の入口付近の光景です。削り取ったらしい方形の場所に、『禅』の赤い文字が刻まれていました。(同上)

    イチオシ

    朝陽祠の入口付近の光景です。削り取ったらしい方形の場所に、『禅』の赤い文字が刻まれていました。(同上)

  • 朝陽祠の見学を終え、近くから眺めた山頂方面の光景です。山頂に石塔か祠らしいものが見えました。(同上)

    朝陽祠の見学を終え、近くから眺めた山頂方面の光景です。山頂に石塔か祠らしいものが見えました。(同上)

  • 完全な逆光になりましたが、寺院の甍と、その上のキリ(桐)の花の光景です。逆光での撮影になりましたので、桐の花の色の紹介が出来ませんでした。(同上)

    完全な逆光になりましたが、寺院の甍と、その上のキリ(桐)の花の光景です。逆光での撮影になりましたので、桐の花の色の紹介が出来ませんでした。(同上)

  • 蔦が這った寺院の建物の側面光景です。1960年代の文化大革命時に壊され、2000年代に再建された建物の一部のようです。(同上)

    蔦が這った寺院の建物の側面光景です。1960年代の文化大革命時に壊され、2000年代に再建された建物の一部のようです。(同上)

  • 『朝陽禅寺』の扁額があった建物の遠望です。この建物も2000年代に再建されたもののようです。扁額の右下に、左から読んで『観火山口美景』の赤い横断幕の文字がありました。(同上)

    『朝陽禅寺』の扁額があった建物の遠望です。この建物も2000年代に再建されたもののようです。扁額の右下に、左から読んで『観火山口美景』の赤い横断幕の文字がありました。(同上)

  • 金銅仏の上半身のズームアップ光景です。(同上)

    金銅仏の上半身のズームアップ光景です。(同上)

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