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泰州市の桃園にある梅蘭芳紀念館の紹介です。梅蘭芳(メイ・ランファン:1894~1961年)は、世界的に著名な京劇俳優でした。北京生まれですが、祖籍は江蘇省泰州とされます。(ウィキペディア、JTB・中国)

2012春、中国旅行記22(17/50):4月15日(12):泰州市、桃園、梅蘭芳紀念館、坐像、郭沫若賛文・詠梅

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2012/04/14 - 2012/04/18

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旅行記グループ 2012春、中国旅行記22(上巻)

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旅人のくまさん

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泰州市の桃園にある梅蘭芳紀念館の紹介です。梅蘭芳(メイ・ランファン:1894~1961年)は、世界的に著名な京劇俳優でした。北京生まれですが、祖籍は江蘇省泰州とされます。(ウィキペディア、JTB・中国)

  • 『梅園』の額が掛かった、梅蘭芳(メイ・ランファン)紀念館の入口光景です。その内側の壁には、5枚の表示プレートがありました。梅蘭芳紀念館の展示品は、補遺で纏めて紹介しました。(同上)

    イチオシ

    『梅園』の額が掛かった、梅蘭芳(メイ・ランファン)紀念館の入口光景です。その内側の壁には、5枚の表示プレートがありました。梅蘭芳紀念館の展示品は、補遺で纏めて紹介しました。(同上)

  • 届けられたばかりの石碑のようです。紐で括られた石碑には、『中国戯曲学院・教学実践基地』の文字がありました。落款の梅葆玖(メイ・バオジウ)氏は、梅蘭芳の子息で、1934年の上海生れです。現在の京劇の第一人者の方です。(同上)<br />(追記):梅葆玖氏は、2016年4月25日に亡くなられました。

    届けられたばかりの石碑のようです。紐で括られた石碑には、『中国戯曲学院・教学実践基地』の文字がありました。落款の梅葆玖(メイ・バオジウ)氏は、梅蘭芳の子息で、1934年の上海生れです。現在の京劇の第一人者の方です。(同上)
    (追記):梅葆玖氏は、2016年4月25日に亡くなられました。

  • 『梅蘭芳紀念館尋覧図』のタイトルがあった案内図です。①番の入口広場から⑪番の停車場までが、番号入りで図示されていました。(同上)

    『梅蘭芳紀念館尋覧図』のタイトルがあった案内図です。①番の入口広場から⑪番の停車場までが、番号入りで図示されていました。(同上)

  • 『梅蘭芳紀念館歓迎你!』の文字が表示された電光表示板の光景です。『你(ニイ)』は、電光表示の文字の略字ですが、『你好(ニイハオ)』の表記は広く使われているようでした。(同上)

    『梅蘭芳紀念館歓迎你!』の文字が表示された電光表示板の光景です。『你(ニイ)』は、電光表示の文字の略字ですが、『你好(ニイハオ)』の表記は広く使われているようでした。(同上)

  • 『梅蘭芳紀念館歓迎你!』の文字が表示された電光表示板の背後にあった、木製のレリーフの光景です。花鳥風月をモチーフにした陰刻のようでした。(同上)

    『梅蘭芳紀念館歓迎你!』の文字が表示された電光表示板の背後にあった、木製のレリーフの光景です。花鳥風月をモチーフにした陰刻のようでした。(同上)

  • 『詠梅』のタイトルがあった、『郭沫若(かく・まつじゃく:1892~1978年)』による『梅蘭芳』賛辞でした。『詠梅』の文字の後に、『二絶懐梅蘭芳同志』の文字がありました。『絶』は、『非常に優れたもの』の意味があります。『二絶・懐・』と区切ると、意味が分かりそうです。最初の行は、『漫誇跳影愛横斜』らしい文字でした。(同上)<br />

    『詠梅』のタイトルがあった、『郭沫若(かく・まつじゃく:1892~1978年)』による『梅蘭芳』賛辞でした。『詠梅』の文字の後に、『二絶懐梅蘭芳同志』の文字がありました。『絶』は、『非常に優れたもの』の意味があります。『二絶・懐・』と区切ると、意味が分かりそうです。最初の行は、『漫誇跳影愛横斜』らしい文字でした。(同上)

  • 『梅蘭芳紀念館』の扁額が掛かった入り口光景です。落款は『李先念』でした。『李先念(1909~1992年)』は、湖北省黄安県の出身で、長征にも参加した中国共産党の八大元老の1人です。中国共産党中央委員会副主席、国務院副総理、第3代国家主席を歴任し、国家主席退任後は第5代中国人民政治協商会議主席の座にありました。(同上)

    『梅蘭芳紀念館』の扁額が掛かった入り口光景です。落款は『李先念』でした。『李先念(1909~1992年)』は、湖北省黄安県の出身で、長征にも参加した中国共産党の八大元老の1人です。中国共産党中央委員会副主席、国務院副総理、第3代国家主席を歴任し、国家主席退任後は第5代中国人民政治協商会議主席の座にありました。(同上)

  • 山のように積まれた、太湖石を使ったらしい庭石の光景です。先ほど紹介した、『中国共産党の八大元老』とは、1980年代から1990年代にかけて強い権力をふるった中国共産党の長老集団です。鄧小平(1904~1997年)、陳雲(1905~1995年)、彭真(1902~1997年)、楊尚昆(1907~1998年)、薄一波(1908~2007年)、李先念(1909~1992年)、王震(1908~1993年)と鄧穎超(1904~1992年)の8名です。(同上)

    山のように積まれた、太湖石を使ったらしい庭石の光景です。先ほど紹介した、『中国共産党の八大元老』とは、1980年代から1990年代にかけて強い権力をふるった中国共産党の長老集団です。鄧小平(1904~1997年)、陳雲(1905~1995年)、彭真(1902~1997年)、楊尚昆(1907~1998年)、薄一波(1908~2007年)、李先念(1909~1992年)、王震(1908~1993年)と鄧穎超(1904~1992年)の8名です。(同上)

  • 八大元老は、全員が革命第一世代指導者でありながら、文化大革命において実権派と見做されたために不遇を味わい、それを乗り越えたことが共通点にあります。後に李先念・王震・鄧穎超と入れ替わる形で、次の3人が入りました。宋任窮(1909~2005年)、万里(1916~2015年)と習仲勲(1913~2002年)です。(同上)

    八大元老は、全員が革命第一世代指導者でありながら、文化大革命において実権派と見做されたために不遇を味わい、それを乗り越えたことが共通点にあります。後に李先念・王震・鄧穎超と入れ替わる形で、次の3人が入りました。宋任窮(1909~2005年)、万里(1916~2015年)と習仲勲(1913~2002年)です。(同上)

  • ここからは『梅蘭芳(メイ・ランファン)』の紹介です。『梅蘭芳(ば・らんほう/メイ・ランファン:1894年10月22日~1961年8月8日)』は、清末から中華民国、中華人民共和国にかけての京劇俳優です。本名は『梅瀾』、北京生まれで、祖籍は江蘇省泰州です。日本での人気が高く、日本語読みではなく、中国語読みの『メイ・ランファン』で呼ばれました。(同上)

    ここからは『梅蘭芳(メイ・ランファン)』の紹介です。『梅蘭芳(ば・らんほう/メイ・ランファン:1894年10月22日~1961年8月8日)』は、清末から中華民国、中華人民共和国にかけての京劇俳優です。本名は『梅瀾』、北京生まれで、祖籍は江蘇省泰州です。日本での人気が高く、日本語読みではなく、中国語読みの『メイ・ランファン』で呼ばれました。(同上)

  • 女形で名高く『四大名旦』の1人とされます。日本の歌舞伎に近代演劇の技法が導入されていることに触発され、京劇の近代化を推進し、『梅派』を創始しました。20世紀前半、京劇の海外公演で、日本、アメリカ、ソ連での公演を成功させました。代表作は、『宇宙鋒』、『貴妃酔酒』、『覇王別姫』などです。(同上)<br />*写真は、『梅蘭芳』の石造の座像です。

    イチオシ

    女形で名高く『四大名旦』の1人とされます。日本の歌舞伎に近代演劇の技法が導入されていることに触発され、京劇の近代化を推進し、『梅派』を創始しました。20世紀前半、京劇の海外公演で、日本、アメリカ、ソ連での公演を成功させました。代表作は、『宇宙鋒』、『貴妃酔酒』、『覇王別姫』などです。(同上)
    *写真は、『梅蘭芳』の石造の座像です。

  • 『梅蘭芳』は、京劇の名門に生まれました。祖父の『梅巧怜』は女形役者であり、『同光十三絶』と呼ばれる、清朝の同治帝・光緒帝時代の13代名優の一人でした。父の『梅竹芬』も京劇役者でした。『蘭芳』は、 幼い頃から京劇の薫陶を受け、8歳野時に初舞台を踏みました。(同上)

    『梅蘭芳』は、京劇の名門に生まれました。祖父の『梅巧怜』は女形役者であり、『同光十三絶』と呼ばれる、清朝の同治帝・光緒帝時代の13代名優の一人でした。父の『梅竹芬』も京劇役者でした。『蘭芳』は、 幼い頃から京劇の薫陶を受け、8歳野時に初舞台を踏みました。(同上)

  • 『梅蘭芳』は、海外での初の京劇公演を開催し、1919年から1935年にかけて、日本、アメリカ、ソ連などで京劇を演じました。1924年に来日し、関東大震災のチャリティー公演を行う際、急性腸炎になりますが、一命を取り留めました。その際、日本人医師は治療費を受け取ろうとせず、記念品として梅が身に着けていた七宝焼のカフスボタンを求めたという逸話があります。(同上)

    『梅蘭芳』は、海外での初の京劇公演を開催し、1919年から1935年にかけて、日本、アメリカ、ソ連などで京劇を演じました。1924年に来日し、関東大震災のチャリティー公演を行う際、急性腸炎になりますが、一命を取り留めました。その際、日本人医師は治療費を受け取ろうとせず、記念品として梅が身に着けていた七宝焼のカフスボタンを求めたという逸話があります。(同上)

  • 日中戦争の間は、一貫して抗日の立場を貫いたと言われ、日本軍の占領下では女形を演じない意思表示としてヒゲを生やしていました。戦後、舞台に復帰し、東西冷戦時代の1956年、周恩来の指示により訪日京劇団の団長となり、まだ国交のなかった日本で京劇公演を行いました。(同上)

    日中戦争の間は、一貫して抗日の立場を貫いたと言われ、日本軍の占領下では女形を演じない意思表示としてヒゲを生やしていました。戦後、舞台に復帰し、東西冷戦時代の1956年、周恩来の指示により訪日京劇団の団長となり、まだ国交のなかった日本で京劇公演を行いました。(同上)

  • 訪日当時、『第2の呉清源』と日本で注目された囲碁棋士の中国人少年の『陳祖徳』らを日本に留学させる計画を呉清源との相談で進めましたが、長崎国旗事件で実現しませんでした。1959年、中国共産党に入党。1961年、心臓病で死去しました。『呉清源(1914~2014年)』は、中国福建省生まれの棋士で、木谷實とともに『新布石』の創始者として有名です。(同上)

    訪日当時、『第2の呉清源』と日本で注目された囲碁棋士の中国人少年の『陳祖徳』らを日本に留学させる計画を呉清源との相談で進めましたが、長崎国旗事件で実現しませんでした。1959年、中国共産党に入党。1961年、心臓病で死去しました。『呉清源(1914~2014年)』は、中国福建省生まれの棋士で、木谷實とともに『新布石』の創始者として有名です。(同上)

  • 呉清源は、新布石以外にも数々の新手法をうみだしたことや、十番碁における圧倒的な成績から『昭和の棋聖』と呼ばれています。1926年、囲碁の天才少年として北京で評判となり、日本人クラブで初めて日本人棋士と対局しました。1928年10月に来日し、瀬越憲作名誉九段に入門し、翌年、飛付三段となりました。(同上)

    呉清源は、新布石以外にも数々の新手法をうみだしたことや、十番碁における圧倒的な成績から『昭和の棋聖』と呼ばれています。1926年、囲碁の天才少年として北京で評判となり、日本人クラブで初めて日本人棋士と対局しました。1928年10月に来日し、瀬越憲作名誉九段に入門し、翌年、飛付三段となりました。(同上)

  • 〇1949年、日本棋院より名誉客員の称号を受ける。<br />〇1950年、九段に推挙される。<br />〇1952年、台湾を訪問、大国手の称号を受ける。<br />〇1987年、勲三等旭日中綬章を受章。<br />〇2014年に逝去し、2015年に遺族の許可を得て正式に囲碁殿堂入り。(同上)

    〇1949年、日本棋院より名誉客員の称号を受ける。
    〇1950年、九段に推挙される。
    〇1952年、台湾を訪問、大国手の称号を受ける。
    〇1987年、勲三等旭日中綬章を受章。
    〇2014年に逝去し、2015年に遺族の許可を得て正式に囲碁殿堂入り。(同上)

  • 100歳で亡くなった晩年まで、囲碁に対する熱意が衰えなかった、天才棋士の呉清源紹介の補足です。日本で一人の好敵手と出会いました。囲碁界期待の星・怪童丸の異名を持つ木谷実四段です。二人は伝統の定石を一変させる新布石を研究し、囲碁界に革命をもたらしました。昇段を重ねた二人は人気実力共に天下を分け、昭和14年、『打ち込み十番碁』で雌雄を決し、呉が勝利しました。(同上)

    100歳で亡くなった晩年まで、囲碁に対する熱意が衰えなかった、天才棋士の呉清源紹介の補足です。日本で一人の好敵手と出会いました。囲碁界期待の星・怪童丸の異名を持つ木谷実四段です。二人は伝統の定石を一変させる新布石を研究し、囲碁界に革命をもたらしました。昇段を重ねた二人は人気実力共に天下を分け、昭和14年、『打ち込み十番碁』で雌雄を決し、呉が勝利しました。(同上)

  • 後に鎌倉十番勝負と語り継がれるその後も『打ち込み十番碁』で名だたる一流棋士をことごとく打ち込み、昭和囲碁界最強の打ち手と言われるようになりました。昭和59年(1984年)、現役引退後は新しい布石を研究し『21世紀の打ち方』を発表、後進の指導や囲碁の国際化に力を尽くしました。AIの時代になっても、その名声と価値は衰えることがありません。(以上)

    後に鎌倉十番勝負と語り継がれるその後も『打ち込み十番碁』で名だたる一流棋士をことごとく打ち込み、昭和囲碁界最強の打ち手と言われるようになりました。昭和59年(1984年)、現役引退後は新しい布石を研究し『21世紀の打ち方』を発表、後進の指導や囲碁の国際化に力を尽くしました。AIの時代になっても、その名声と価値は衰えることがありません。(以上)

  • 白い壁に、京劇の仮面が展示された光景です。実際に使われる仮面より、かなり大きな面でした。京劇は、中国の伝統的な古典演劇の戯曲で、歌劇の一種とも言われます。清代に安徽省で発祥し、北京を中心に発展しましたので京の名が付き、主に北京と上海の二流派があります。(同上)

    白い壁に、京劇の仮面が展示された光景です。実際に使われる仮面より、かなり大きな面でした。京劇は、中国の伝統的な古典演劇の戯曲で、歌劇の一種とも言われます。清代に安徽省で発祥し、北京を中心に発展しましたので京の名が付き、主に北京と上海の二流派があります。(同上)

  • 池の中に立つ像は、『梅蘭芳』が演じた女性像でした。ネット情報では、『メイ・ランファンが「太真外伝」を演じる楊太真(ヤン・タイジン)像』と紹介されていました。いわゆる『楊貴妃』です。『太真外伝』は、『楊太真外伝』とも呼ばれ、唐代の小説『楊太真外伝』、白居易の『長恨歌』などに基づき、楊貴妃役で有名な梅蘭芳のために 1925~1926年に作られました。(同上)

    池の中に立つ像は、『梅蘭芳』が演じた女性像でした。ネット情報では、『メイ・ランファンが「太真外伝」を演じる楊太真(ヤン・タイジン)像』と紹介されていました。いわゆる『楊貴妃』です。『太真外伝』は、『楊太真外伝』とも呼ばれ、唐代の小説『楊太真外伝』、白居易の『長恨歌』などに基づき、楊貴妃役で有名な梅蘭芳のために 1925~1926年に作られました。(同上)

  • 『楊貴妃(よう・きひ:719年6月22日~756年7月15日』は、中国唐代の皇妃で、姓は楊、名は玉環です。貴妃は皇妃としての順位を表す称号です。玄宗皇帝の寵姫で、玄宗皇帝が寵愛しすぎたために安史の乱を引き起こしたと伝えられたため、『傾国の美女』とも呼ばれます。世界三大美人(クレオパトラ、楊貴妃、ギリシャ女神ヘレネ:日本版)の一人で、古代中国四大美人(西施・王昭君・貂蝉・楊貴妃)の一人ともされます。(同上)

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    『楊貴妃(よう・きひ:719年6月22日~756年7月15日』は、中国唐代の皇妃で、姓は楊、名は玉環です。貴妃は皇妃としての順位を表す称号です。玄宗皇帝の寵姫で、玄宗皇帝が寵愛しすぎたために安史の乱を引き起こしたと伝えられたため、『傾国の美女』とも呼ばれます。世界三大美人(クレオパトラ、楊貴妃、ギリシャ女神ヘレネ:日本版)の一人で、古代中国四大美人(西施・王昭君・貂蝉・楊貴妃)の一人ともされます。(同上)

  • 京劇についての、歴史や概要についての紹介です。京劇においても女形が存在しますが、昔は『伝男不伝女』といって、女性は嫁ぐので自分の家の妙技を盗むのではないかと恐れ、女性が参加することは禁じられてました。現在では、その役を主に女優が演じているようです。(同上)

    京劇についての、歴史や概要についての紹介です。京劇においても女形が存在しますが、昔は『伝男不伝女』といって、女性は嫁ぐので自分の家の妙技を盗むのではないかと恐れ、女性が参加することは禁じられてました。現在では、その役を主に女優が演じているようです。(同上)

  • 〇清朝の乾隆55年(1790年)、中国南方の四つの徽劇班『三慶班』、『四喜班』、『和春班』、『春台班』(四大徽班)陸続と北京に来訪し、まず『二黄』声腔を持ち味とする『三慶班』が北京で人気を博し、それに続いて『四喜班』、『和春班』、『春台班』が北京に進出しました。(同上)<br />*写真は、大量に瓦を使ったように見える屋根の光景です。

    〇清朝の乾隆55年(1790年)、中国南方の四つの徽劇班『三慶班』、『四喜班』、『和春班』、『春台班』(四大徽班)陸続と北京に来訪し、まず『二黄』声腔を持ち味とする『三慶班』が北京で人気を博し、それに続いて『四喜班』、『和春班』、『春台班』が北京に進出しました。(同上)
    *写真は、大量に瓦を使ったように見える屋根の光景です。

  • 〇北京には『秦腔』という演劇がありましたが、安徽省の劇団に人気を奪われる形となり、両者の融合が自然と行われました。<br />〇道光8年(1828年)前後、湖北劇団が北京に進出し、漢調(楚調・西皮調)を特色とした演劇は安徽省発祥の劇団にも影響を与え、独自の演劇へと発展しました。<br />〇このように北京の外の劇団が担ってきた北京の演劇であり、上演は南方方言で行われてきました。<br />〇北京での人気を得るに従い、北京語での演劇の需要が高まり、北京語での演劇が考案、上演されるようになりました。<br />〇この時代には道光時代鼎甲と呼ばれる3人に、名優の程長庚・張二奎・余三勝が活躍しました。(同上)

    〇北京には『秦腔』という演劇がありましたが、安徽省の劇団に人気を奪われる形となり、両者の融合が自然と行われました。
    〇道光8年(1828年)前後、湖北劇団が北京に進出し、漢調(楚調・西皮調)を特色とした演劇は安徽省発祥の劇団にも影響を与え、独自の演劇へと発展しました。
    〇このように北京の外の劇団が担ってきた北京の演劇であり、上演は南方方言で行われてきました。
    〇北京での人気を得るに従い、北京語での演劇の需要が高まり、北京語での演劇が考案、上演されるようになりました。
    〇この時代には道光時代鼎甲と呼ばれる3人に、名優の程長庚・張二奎・余三勝が活躍しました。(同上)

  • 〇その後は太平天国の乱などで南方の政情が不安になると、南方の劇団が北京に集まり、さらに西太后の手厚い庇護を受け北京独自の演劇として一層の発展、熟成がなされました。<br />〇この時代には同治帝・光緒帝の2帝の治世の当たり『同光十三絶』と称される13人の名優が活躍しました。(同上)

    〇その後は太平天国の乱などで南方の政情が不安になると、南方の劇団が北京に集まり、さらに西太后の手厚い庇護を受け北京独自の演劇として一層の発展、熟成がなされました。
    〇この時代には同治帝・光緒帝の2帝の治世の当たり『同光十三絶』と称される13人の名優が活躍しました。(同上)

  • 〇京劇の『同光十三絶』は、郝蘭田・張勝奎・梅巧玲・劉趕三・余紫雲・程長庚・徐小香・時小福・楊鳴玉・盧勝奎・朱蓮芬・譚鑫培・楊月楼の13人です。<br />〇清末になると、『四大名旦(4大名女形)』と呼ばれた梅蘭芳・程硯秋・尚小雲・荀慧生の4人の俳優が上海での近代演劇を取り入れた演劇に触発されながら、京劇に一層の洗練がなされました。(同上)

    〇京劇の『同光十三絶』は、郝蘭田・張勝奎・梅巧玲・劉趕三・余紫雲・程長庚・徐小香・時小福・楊鳴玉・盧勝奎・朱蓮芬・譚鑫培・楊月楼の13人です。
    〇清末になると、『四大名旦(4大名女形)』と呼ばれた梅蘭芳・程硯秋・尚小雲・荀慧生の4人の俳優が上海での近代演劇を取り入れた演劇に触発されながら、京劇に一層の洗練がなされました。(同上)

  • 〇この4人は独自の流派を作るほど、京劇に革命をもたらしました。また梅蘭芳は初めて京劇の海外公演を日本で行いました。<br />〇近代において、一番京劇に悪影響を与えたのが文化大革命による弾圧でした。幹部俳優が排斥されたり、古典劇の上演が禁止されるなど停滞しました。(同上)

    〇この4人は独自の流派を作るほど、京劇に革命をもたらしました。また梅蘭芳は初めて京劇の海外公演を日本で行いました。
    〇近代において、一番京劇に悪影響を与えたのが文化大革命による弾圧でした。幹部俳優が排斥されたり、古典劇の上演が禁止されるなど停滞しました。(同上)

  • 〇この弾圧は、四人組の1人の江青が現代劇の俳優出身で、京劇を目の敵にしていた事が原因と言われます。<br />〇文化大革命後、中国の伝統文化として復活し、『国劇』と呼ばれました。<br />〇1990年、『京劇200年』を祝する演劇祭が、各地の劇団を招き、北京で開催されました。(同上)

    〇この弾圧は、四人組の1人の江青が現代劇の俳優出身で、京劇を目の敵にしていた事が原因と言われます。
    〇文化大革命後、中国の伝統文化として復活し、『国劇』と呼ばれました。
    〇1990年、『京劇200年』を祝する演劇祭が、各地の劇団を招き、北京で開催されました。(同上)

  • 締め括りに、中国の仮面劇の『京劇臉譜』についての紹介です。京劇臉譜は、中国の伝統演劇の化粧法のことで、日本の歌舞伎の『隈取(くまどり)』とよく似ています。登場人物はその人物ならではの色と模様を使い、人物の性格や特徴を反映し、善悪の区別を出します。臉譜の源は、古代の祭祀用のマスクに遡るとも言われています。(以上)

    締め括りに、中国の仮面劇の『京劇臉譜』についての紹介です。京劇臉譜は、中国の伝統演劇の化粧法のことで、日本の歌舞伎の『隈取(くまどり)』とよく似ています。登場人物はその人物ならではの色と模様を使い、人物の性格や特徴を反映し、善悪の区別を出します。臉譜の源は、古代の祭祀用のマスクに遡るとも言われています。(以上)

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