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興化市の菜の花畑の紹介です。興化市は、江蘇省泰州市に包含される、県級市です。泰州市は地級市の行政クラスになります。中国各地に菜の花名所がありますが、ここは、『水郷の菜の花』と呼べる名所でした。(ウィキペディア、JTB・中国)

2012春、中国旅行記22(22/50):4月16日(2):興化市、千島菜花風景区、展望台、水郷の菜の花畑

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2012/04/14 - 2012/04/18

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旅行記グループ 2012春、中国旅行記22(上巻)

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旅人のくまさん

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興化市の菜の花畑の紹介です。興化市は、江蘇省泰州市に包含される、県級市です。泰州市は地級市の行政クラスになります。中国各地に菜の花名所がありますが、ここは、『水郷の菜の花』と呼べる名所でした。(ウィキペディア、JTB・中国)

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  • 興化市に到着しました。興化市の人口は155万人ほどですが、一面の菜の花畑のこの地区は、市の郊外と言うより、紛れもない農村地帯のような光景でした。(同上)

    興化市に到着しました。興化市の人口は155万人ほどですが、一面の菜の花畑のこの地区は、市の郊外と言うより、紛れもない農村地帯のような光景でした。(同上)

  • 前方奥に見えるのが駐車場です。バスを降りた後、横断歩道橋のような石橋を渡って、この場所にやって来ました。水郷地帯らしいこの地域を縦横に走る、水郷に掛かる橋でした。(同上)

    前方奥に見えるのが駐車場です。バスを降りた後、横断歩道橋のような石橋を渡って、この場所にやって来ました。水郷地帯らしいこの地域を縦横に走る、水郷に掛かる橋でした。(同上)

  • 近年は観光客で賑わうのでしょうか、舗装された広場には、屋台のお店が出ていました。金串で刺されて焙り焼きにされていたのは、鳥でした。香ばしい匂いを振り撒いていました。(同上)

    近年は観光客で賑わうのでしょうか、舗装された広場には、屋台のお店が出ていました。金串で刺されて焙り焼きにされていたのは、鳥でした。香ばしい匂いを振り撒いていました。(同上)

  • 同じく、舗装された広場の光景です。観光誘致のために整備された一角のようでした。竹竿のように見えるのは、サトウキビです。大覚禅師所縁の朝陽禅寺の近くでも見掛けました。(同上)

    同じく、舗装された広場の光景です。観光誘致のために整備された一角のようでした。竹竿のように見えるのは、サトウキビです。大覚禅師所縁の朝陽禅寺の近くでも見掛けました。(同上)

  • 飲み物やお土産の品を売っていたお店の光景です。『水郷扇坊・揺水多折扇・賞千島菜花』の文字が記された幕がありました。この辺りは、千島菜花風景区と呼ばれているようです。(同上)

    飲み物やお土産の品を売っていたお店の光景です。『水郷扇坊・揺水多折扇・賞千島菜花』の文字が記された幕がありました。この辺りは、千島菜花風景区と呼ばれているようです。(同上)

  • 掘り出されてきたばかりのショウガ(生姜)のようでした。湿ったままの土が付いていました。ショウガは、ショウガ科ショウガ属の多年草で、健康食材として欠かせません。(同上)

    掘り出されてきたばかりのショウガ(生姜)のようでした。湿ったままの土が付いていました。ショウガは、ショウガ科ショウガ属の多年草で、健康食材として欠かせません。(同上)

  • 網の中に3羽の鳥がいました。家鴨ではなく、野生の鴨のように見えます。食用に売られているようでした。可哀そうな姿でした。お金を払って逃がしてあげれば、功徳になるのでしょうが、中々実行はできません。(同上)

    網の中に3羽の鳥がいました。家鴨ではなく、野生の鴨のように見えます。食用に売られているようでした。可哀そうな姿でした。お金を払って逃がしてあげれば、功徳になるのでしょうが、中々実行はできません。(同上)

  • 千島菜花風景区への入口です。有料でした。本来は、油を採るための菜の花栽培の水郷地帯が観光地化したものです。中国では、雲南省が中国全土の4分の1の菜種を生産していて、日本でも葉の花と言えば、これまでは羅平県の菜の花畑だけが、観光地として宣伝されていました。(同上)

    千島菜花風景区への入口です。有料でした。本来は、油を採るための菜の花栽培の水郷地帯が観光地化したものです。中国では、雲南省が中国全土の4分の1の菜種を生産していて、日本でも葉の花と言えば、これまでは羅平県の菜の花畑だけが、観光地として宣伝されていました。(同上)

  • 千島菜花風景区の入口付近の光景です。この水郷地帯の広さは、東京都の約5分の1の広さとされます。東京都が22万ヘクタール弱、23区だけで6万2千ヘクタール強あります。(同上)

    千島菜花風景区の入口付近の光景です。この水郷地帯の広さは、東京都の約5分の1の広さとされます。東京都が22万ヘクタール弱、23区だけで6万2千ヘクタール強あります。(同上)

  • 今回の旅行のメインとなる、千島菜花風景区の見学の始まりです。期待通りの満開の菜の花畑の光景です。日本にも菜の花名所は各所にありますが、記簿では遥かに及ばないようです。(同上)

    今回の旅行のメインとなる、千島菜花風景区の見学の始まりです。期待通りの満開の菜の花畑の光景です。日本にも菜の花名所は各所にありますが、記簿では遥かに及ばないようです。(同上)

  • 一面の菜の花畑の光景がしばらく続きます。その所々に観光客らしい人影が見えました。この写真では、中央奥の方に人影が見えているようです。(同上)

    イチオシ

    一面の菜の花畑の光景がしばらく続きます。その所々に観光客らしい人影が見えました。この写真では、中央奥の方に人影が見えているようです。(同上)

  • 一面の葉の花畑の中に、いくつかの観光施設の姿がありました。左手奥に見えるのは、観光用の風車のようです。(同上)

    一面の葉の花畑の中に、いくつかの観光施設の姿がありました。左手奥に見えるのは、観光用の風車のようです。(同上)

  • 前方に見えているのは水路に架けられた吊橋と、その背後の展望台です。近寄った時にもう一度紹介します。距離が随分とありますので、展望台やつり橋は、春霞の中でした。(同上)

    前方に見えているのは水路に架けられた吊橋と、その背後の展望台です。近寄った時にもう一度紹介します。距離が随分とありますので、展望台やつり橋は、春霞の中でした。(同上)

  • 展望台のズームアップ光景です。らせん階段が付いた四階建てに見えました。既に観光客で溢れているようでした。先ほど紹介した展望台とは、別の展望台です。こちらも、もう一度近くから紹介します。(同上)

    イチオシ

    展望台のズームアップ光景です。らせん階段が付いた四階建てに見えました。既に観光客で溢れているようでした。先ほど紹介した展望台とは、別の展望台です。こちらも、もう一度近くから紹介します。(同上)

  • 菜の花畑の中にある橋の光景が次第に近づいてきました。先ほど見えていた吊橋とは別の橋です。(同上)

    菜の花畑の中にある橋の光景が次第に近づいてきました。先ほど見えていた吊橋とは別の橋です。(同上)

  • ブログの中から拾い出した、中国の菜の花の見所の紹介です。(同上)<br />〇羅平(らへい)の菜の花(雲南省)<br />〇南部カルスト台地の菜の花(貴州省)<br />〇婺源(ぶげん)の菜の花(江西省)<br />〇SLと菜の花(四川省)<br />〇江南水郷の菜の花(江蘇省)<br />〇千島菜の花風景区(江蘇省)<br />〇門源の菜の花(青海省)<br />*雲南省の羅平、江西省の婺源、青海省の門源が、『中国三大菜の花絶景』とされます。

    ブログの中から拾い出した、中国の菜の花の見所の紹介です。(同上)
    〇羅平(らへい)の菜の花(雲南省)
    〇南部カルスト台地の菜の花(貴州省)
    〇婺源(ぶげん)の菜の花(江西省)
    〇SLと菜の花(四川省)
    〇江南水郷の菜の花(江蘇省)
    〇千島菜の花風景区(江蘇省)
    〇門源の菜の花(青海省)
    *雲南省の羅平、江西省の婺源、青海省の門源が、『中国三大菜の花絶景』とされます。

  • 現代の日本人作家では、『司馬遼太郎((1923~1999年)』さんが、菜の花と縁が深く、そのきっかけとなった作品が『菜の花の沖』(1982年、文藝春秋)とされます。1979年4月1日から1982年1月31日まで1014回に渡って、『産経新聞』に連載されました。主人公は、江戸時代の廻船商人だった高田屋嘉兵衛(1769~1827年)です。(同上)

    現代の日本人作家では、『司馬遼太郎((1923~1999年)』さんが、菜の花と縁が深く、そのきっかけとなった作品が『菜の花の沖』(1982年、文藝春秋)とされます。1979年4月1日から1982年1月31日まで1014回に渡って、『産経新聞』に連載されました。主人公は、江戸時代の廻船商人だった高田屋嘉兵衛(1769~1827年)です。(同上)

  • 菜の花の穂先のアップ光景です。頂部の蕾の数が少なくなってきていましたが、下から咲き始めた花も落花せずに、まだ残っていました。司馬遼太郎さんの『菜の花の沖』の説明を少し続けます。司馬作品は、歴史小説の体裁をとりつつも、作者独自の歴史観による解説を折り込んだ構成を特徴としています。後期のこの作品は、近世社会の社会経済や和船の設計・航海術をはじめ随所で思弁的に史論を述べつつ、後半で主人公が当事者となる『ゴローニン事件(1811年)』へと至る背景事情(日露関係史への知見)と共に、物語が進行する構成となっています。(同上)

    菜の花の穂先のアップ光景です。頂部の蕾の数が少なくなってきていましたが、下から咲き始めた花も落花せずに、まだ残っていました。司馬遼太郎さんの『菜の花の沖』の説明を少し続けます。司馬作品は、歴史小説の体裁をとりつつも、作者独自の歴史観による解説を折り込んだ構成を特徴としています。後期のこの作品は、近世社会の社会経済や和船の設計・航海術をはじめ随所で思弁的に史論を述べつつ、後半で主人公が当事者となる『ゴローニン事件(1811年)』へと至る背景事情(日露関係史への知見)と共に、物語が進行する構成となっています。(同上)

  • 司馬遼太郎の忌日は『2 月 12 日』です。このため、この日が『菜の花忌』とされました。生前の司馬遼太郎が好んだのが菜の花で、『菜の花の沖』の作品もあることから、この日に決められました。司馬さんは、タンポポや菜の花の『黄色』が好きな色だったようです。俳句では春の季語になります。(同上)

    司馬遼太郎の忌日は『2 月 12 日』です。このため、この日が『菜の花忌』とされました。生前の司馬遼太郎が好んだのが菜の花で、『菜の花の沖』の作品もあることから、この日に決められました。司馬さんは、タンポポや菜の花の『黄色』が好きな色だったようです。俳句では春の季語になります。(同上)

  • 司馬遼太郎さんとその作品を偲んで、現在も続けられている『菜の花忌シンポジューム』です。(同上)<br />〇第1回:1997年2月12日<br />【講演】「司馬史観と今の日本」:講師:田中直毅氏<br />【鼎談】「私たちの司馬さん」:安野光雅、井上ひさし、姜在彦各氏<br />【会場】大阪・ロイヤルホテル

    イチオシ

    司馬遼太郎さんとその作品を偲んで、現在も続けられている『菜の花忌シンポジューム』です。(同上)
    〇第1回:1997年2月12日
    【講演】「司馬史観と今の日本」:講師:田中直毅氏
    【鼎談】「私たちの司馬さん」:安野光雅、井上ひさし、姜在彦各氏
    【会場】大阪・ロイヤルホテル

  • 〇第2回:1998年2月12日<br />【座談会】「竜馬と司馬遼太郎」:井上ひさし、檀ふみ、永井路子、松本健一各氏<br />【会場】東京・国際フォーラム<br /><br />〇第3回:1999年2月12日<br />【テーマ】司馬遼太郎との対話<br />【講演】「映画『梟の城』制作について」:講師:篠田正浩氏<br />【講演】「司馬さんの小説宇宙」:講師:田辺聖子氏<br /><br />〇第4回:2000年2月12日<br />【テーマ】『この国のかたち』を考える:20世紀から21世紀へ<br />【パネリスト】井上ひさし、川勝平太、関川夏央、青木彰各氏<br />【会場】東京・日比谷公会堂 (同上)

    〇第2回:1998年2月12日
    【座談会】「竜馬と司馬遼太郎」:井上ひさし、檀ふみ、永井路子、松本健一各氏
    【会場】東京・国際フォーラム

    〇第3回:1999年2月12日
    【テーマ】司馬遼太郎との対話
    【講演】「映画『梟の城』制作について」:講師:篠田正浩氏
    【講演】「司馬さんの小説宇宙」:講師:田辺聖子氏

    〇第4回:2000年2月12日
    【テーマ】『この国のかたち』を考える:20世紀から21世紀へ
    【パネリスト】井上ひさし、川勝平太、関川夏央、青木彰各氏
    【会場】東京・日比谷公会堂 (同上)

  • 〇第5回:2001年2月12日<br />【テーマ】『菜の花の沖』を考える 21世紀を見つめて<br />【インタビュー】NHKドラマ「菜の花の沖」:竹中直人、鶴田真由各氏<br />【講演】「高田屋嘉兵衛と日本」講師:松本健一氏<br />【会場】大阪・サンケイホール<br /><br />*第6回~第15回は記載省略しました。<br />〇第16回:2012年2月18日<br />【テーマ】3.11後の『この国のかたち』<br />【パネリスト】佐野眞一、高橋克彦、赤坂憲雄、玄侑宗久各氏<br />【会場】東京・日比谷公会堂 (同上)

    〇第5回:2001年2月12日
    【テーマ】『菜の花の沖』を考える 21世紀を見つめて
    【インタビュー】NHKドラマ「菜の花の沖」:竹中直人、鶴田真由各氏
    【講演】「高田屋嘉兵衛と日本」講師:松本健一氏
    【会場】大阪・サンケイホール

    *第6回~第15回は記載省略しました。
    〇第16回:2012年2月18日
    【テーマ】3.11後の『この国のかたち』
    【パネリスト】佐野眞一、高橋克彦、赤坂憲雄、玄侑宗久各氏
    【会場】東京・日比谷公会堂 (同上)

  • 次は、菜の花を呼んだ俳句の紹介です。<br />〇『菜の花や月は東に日は西に』 <br />与謝蕪村<br />*現代語訳:『一面、菜の花が咲いているよ。ちょうど月が東から登ってきて、太陽は西に沈んでいくところだ。』<br />*参考:この句は、安永5年(1776年)に刊行された続明烏という句集に「春興二十六句」という連句の発句として詠まれた句です。(同上)

    次は、菜の花を呼んだ俳句の紹介です。
    〇『菜の花や月は東に日は西に』 
    与謝蕪村
    *現代語訳:『一面、菜の花が咲いているよ。ちょうど月が東から登ってきて、太陽は西に沈んでいくところだ。』
    *参考:この句は、安永5年(1776年)に刊行された続明烏という句集に「春興二十六句」という連句の発句として詠まれた句です。(同上)

  • 〇『菜の花の盛りに一夜啼く田螺』 <br />小林一茶<br />*現代語訳:『菜の花が辺りを黄一色にして咲いている。百姓にとって過酷な労働に目が冴えてかえって寝付けない。』<br />*参考:田螺(たにし)は鳴きませんが、一茶には、聞こえたようです。(同上)

    〇『菜の花の盛りに一夜啼く田螺』 
    小林一茶
    *現代語訳:『菜の花が辺りを黄一色にして咲いている。百姓にとって過酷な労働に目が冴えてかえって寝付けない。』
    *参考:田螺(たにし)は鳴きませんが、一茶には、聞こえたようです。(同上)

  • 〇『菜の花にそふて道あり村稲荷』<br />                    正岡子規<br />*現代語訳:『いつも向かう村の稲荷への道だが、今日は菜の花が道案内してくれているようだ。』<br />*参考:中村貞女の句には『母と行く一筋道の花菜かな』があります。(同上)

    〇『菜の花にそふて道あり村稲荷』
                        正岡子規
    *現代語訳:『いつも向かう村の稲荷への道だが、今日は菜の花が道案内してくれているようだ。』
    *参考:中村貞女の句には『母と行く一筋道の花菜かな』があります。(同上)

  • 〇『菜畠に花見顔なる雀哉』<br />松尾芭蕉<br />*現代語訳:『一面の菜の花畠に雀が群がっている。かれらも花見をしているのであろう。』<br />*参考:貞亨2年、42歳の句です。『野ざらし紀行』の旅の折、伊賀上野界隈にて。土芳との吟行とされています。(同上)

    〇『菜畠に花見顔なる雀哉』
    松尾芭蕉
    *現代語訳:『一面の菜の花畠に雀が群がっている。かれらも花見をしているのであろう。』
    *参考:貞亨2年、42歳の句です。『野ざらし紀行』の旅の折、伊賀上野界隈にて。土芳との吟行とされています。(同上)

  • 〇『菜の花にねり塀長き御寺かな』<br />高浜虚子<br />*現代語訳『菜の花の時期、仁和寺の練塀はこんなにも長く続くものよ。』<br />*参考:高浜虚子は愛媛県出身ですが、長く神奈川県鎌倉市で暮らした俳人です。(同上)

    〇『菜の花にねり塀長き御寺かな』
    高浜虚子
    *現代語訳『菜の花の時期、仁和寺の練塀はこんなにも長く続くものよ。』
    *参考:高浜虚子は愛媛県出身ですが、長く神奈川県鎌倉市で暮らした俳人です。(同上)

  • 〇『菜の花の中の小家や桃一木』<br />                    夏目漱石<br />*参考:明治の文豪・夏目漱石は、その生涯に約2400の俳句を残しています。大学時代(東大予備門)に正岡子規と出会って生涯の友となり、俳句の添削を子規にしてもらうこともありました。(同上)

    〇『菜の花の中の小家や桃一木』
                        夏目漱石
    *参考:明治の文豪・夏目漱石は、その生涯に約2400の俳句を残しています。大学時代(東大予備門)に正岡子規と出会って生涯の友となり、俳句の添削を子規にしてもらうこともありました。(同上)

  • 〇『夜半覚めて寒月瓶の菜の花に』<br />山口青邨<br />*参考:山口青邨(せいそん)は岩手県出身の俳人で、本名は吉朗で、本職は鉱山博士でした。俳句の師匠は高浜虚子です。<br /><br />〇『菜の花の夜目に白さや摩耶詣』<br />飯田蛇笏<br />*参考:飯田蛇笏(だこつ)は、山梨県出身の俳人です。本は武治(たけはる)、別号は山廬(さんろ)です。高浜虚子に師事し、山梨の山村で暮らしながらも格調の高い句を作り続け、大正時代の「ホトトギス」隆盛期の代表作家として活躍しました。(同上)

    〇『夜半覚めて寒月瓶の菜の花に』
    山口青邨
    *参考:山口青邨(せいそん)は岩手県出身の俳人で、本名は吉朗で、本職は鉱山博士でした。俳句の師匠は高浜虚子です。

    〇『菜の花の夜目に白さや摩耶詣』
    飯田蛇笏
    *参考:飯田蛇笏(だこつ)は、山梨県出身の俳人です。本は武治(たけはる)、別号は山廬(さんろ)です。高浜虚子に師事し、山梨の山村で暮らしながらも格調の高い句を作り続け、大正時代の「ホトトギス」隆盛期の代表作家として活躍しました。(同上)

  • 〇『菜の花に障子がほそくあけてある』<br />大野林火<br />*参考:大野林火は神奈川県生まれの俳人です。本名は正(まさし)。東京帝国大学経済学部卒で臼田亜浪に師事し、俳誌「石楠」に俳句や評論を発表しました。抒情的な作風の俳句を多く残し、俳誌『浜』を創刊したり後進の指導にあたる活躍をしました。(同上)

    〇『菜の花に障子がほそくあけてある』
    大野林火
    *参考:大野林火は神奈川県生まれの俳人です。本名は正(まさし)。東京帝国大学経済学部卒で臼田亜浪に師事し、俳誌「石楠」に俳句や評論を発表しました。抒情的な作風の俳句を多く残し、俳誌『浜』を創刊したり後進の指導にあたる活躍をしました。(同上)

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