2012/04/14 - 2012/04/18
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旅人のくまさんさん
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無錫の太湖の畔にある三国城の紹介です。三国志演義と水滸伝関連のロケ地として建設されました。2008年以来、2回目の無錫と三国城ロケ地の見学となりました。(ウィキペディア、JTB・中国)
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無錫で泊まったホテルの自室の紹介です。『無錫美麗都大飯店』の名前のホテルでした。無錫市は、江蘇省の南部に位置する地級市です。改革開放以来、急激に工業が発展し、とりわけ日本企業の進出が多いとされます。(同上)
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イチオシ
『無錫美麗都大飯店』の自室から眺めた無錫市街の光景です。泊まった部屋は、7階の704号室でした。無錫市は、長江デルタに位置し、東の上海からは128キロ、西の江蘇省省都・南京からは183キロの距離に位置します。東隣は蘇州市、西隣は常州市です。無錫の市域の北部境界は長江南岸にあたり、無錫市管轄下の港湾都市・江陰市が泰州市を対岸に臨みます。(同上)
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同じく、『無錫美麗都大飯店』から眺めた無錫市がいの光景です。周りが旧市街らしい中に、ひと際高いビルの姿がありました。どうやら、高層マンションのようです。無錫市の南部の境界は、太湖北岸ですが、市域はさらに太湖をはさんで飛び地となっている宜興市も管轄しています。宜興市は北と西を常州市に囲まれ、南は浙江省に接しています。(同上)
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無錫市域の主要な範囲は沖積平野とされ、ごくわずかの低山と丘陵があります。最高地点は黄塔頂の611.5メートルです。これらの山は石灰岩からできていて、『太湖石』とよばれる穴の多い複雑な形の奇石を産出します。最高級の庭石として珍重されています。(同上)
*写真は、窓際の光景です。先程の高層マンションが見えています。 -
無錫市域の南部には太湖が広がり、市の水面面積は769平方キロ、面積の16.5%を占めます。無錫は小さな河川が無数に流れる、典型的な江南の水郷地域です。太湖に産する魚などの水産物が豊富で、コメも多く収穫され、古来『魚米の郷』と呼ばれていました。(同上)
*写真は、部屋に置かれていたパソコンセットです。 -
太湖に接した無錫市街は、典型的な中国の古い城壁都市です。中心を隋代以来の『大運河』が貫き、京杭運河となった今でも多くの船が行き来します。無錫はかなり暑い夏から非常に寒い冬まで気温差が大きく、年平均気温は18℃とされます。東シナ海に近いためモンスーンや台風の影響を受け、年平均降水量は1,000ミリに達します。(同上)
*写真は、部屋の薄型テレビです。 -
無錫は有史以来非常に長い歴史を持ちます。有史以前は6~7000年前からの居住や農耕の跡があり、長江文明に属する良渚文化の墳墓など遺跡群が残ります。ここが『呉』の国の発祥の地の一つとなりました。呉は製鉄など金属の精錬・加工と農具・武器への利用で中原の国々を圧倒しましたが、無錫も元来はスズ(錫)を多く産出することから、元々は、『有錫』という名の鉱工業都市でした。(同上)
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『有錫』は、余りにも多く鈴を掘り過ぎて、前漢までに掘り尽くしてしまい、以来『無錫』になったといわれます。しかし、近年の言語学者らの研究により、無錫の市名の無という字の由来は越語の発語詞によったものであり、従来の錫の産地から『有錫』から『無錫』になったという説を否定する研究もあるようです。(同上)
*写真は、浴室のカーテン光景です。 -
江南は、古代中国では越国の領地であり、言語も当然越語が使われていました。今日江南地域で通用する呉語の源もこの越語とされます。紀元前202年、前漢はこの地に無錫県を置きました。隋時代に建設された大運河が無錫を通り、以来、江南の農産物や織物を集散し華北や中国各地へ送る重要な経済都市・商業都市となりました。明末に顧憲成により東林書院が建てられ、東林派の儒学拠点となりました。(同上)
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清代後期には、無錫は周囲の農産物の集積を背景に、その米市場の相場の影響力は江蘇省の範囲を超えるまでになりました。中国の四大米市の一つに数えられていました。また紡績業や繊維産業が発達し、無錫は『布碼頭(布の港)』と呼ばれるほどどぇした。1911年に起きた辛亥革命までの間に、食品や繊維などの民族資本が形成され始めました。(同上)
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こうした経済の発展は文化の発展も伴いました。多くの文人らが無錫から生まれ、無錫には寄暢園など非常に優れた庭園などが建設され、今も残っています。1912年、中華民国は無錫県を置き、大小の資本の本拠地となった無錫は『小上海』といわれるほどの商業の繁栄を見ました。1937年、日中戦争により、日本軍は無錫に入城し、戦場となった市街は大きく破壊されました。(同上)
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『無錫美麗都大飯店』の非常用階段らしい光景です。昼食会場に向かう時に利用してみました。屋側のような場所でしたが、屋外ではなかったようです。普段から清掃がされているような外光がたっぷり入った非常用階段でした。通常使用される階段を兼ねていたようです。無錫の歴史紹介の締め括りです。1953年無錫は江蘇省の直轄市となりましたが、大躍進政策、人民公社化と文化大革命は、無錫とその周辺に荒廃と経済の多大な破壊をもたらしました。その後の改革開放以来、無錫の経済は再起し、目覚しく発展を遂げることとなりました。(以上)
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バイキング方式の『無錫美麗都大飯店』の朝食の紹介です。野菜はたっぷりでしたが、コーヒーはいまいちでした。野菜ジュースは用意されていなかったようですが、野菜がたっぷりでしたから、良しとします。(同上)
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『無錫美麗都大飯店』の朝食会場の光景です。ホテル内には、中華料理レストラン、西洋料理レストランのほかに、日本料理レストランも紹介されていました。窓際の席からは、無錫市内の眺望が眺められました。(同上)
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『無錫美麗都大飯店』は1泊だけでしたから、荷物を纏めて、今日の見学に出発です。無錫市の太湖湖畔にあるテーマパークの『三国城』が最初の見学場所です。元々は、中国中央電視台(国営中央テレビ局)の人気歴史ドラマの『三国志』のオープンセットでした。大部分が実物大ですが、一部ミニチュアセットの『赤壁の戦い』のセットもあります。(同上)
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イチオシ
『三国志』撮影のオープンセットがある『三国城』に到着しました。昨日見学した『ゲン頭渚公園』の北側に位置します。その入口に『獅王争覇』の大きな看板がありました。その上に『水滸場・三国城・歓迎你』の挨拶文がありました。『你』の文字は、『你好(ニーハオ)』の『ニイ』ですが、シタゴコロ(心)を略記しています。このセットの見学は、2008年以来、二度目になります。(同上)
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三国志には、『正史』と、脚色して物語化した『三国志演義』があります。広く流布しているのは本家の中国をはじめ日本などは、『三国志演義』です。上海出身の方にお聞きした話ですが、中国人の若い時の必読書にもなっているようです。他に必読書とされているのは、『西遊記』、『水滸伝』や『紅楼夢』等の『中国四大名著』です。(同上)
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『無錫三国映画・テレビ都市』に関する地元の紹介文です。『江蘇省無錫市の美しい太湖のほとりに位置するCCTV無錫映画・テレビ基地とも呼ばれ、国内初のAAAAA級観光地です。 また、中国初の超大規模フルイマージョン映画撮影と観光拠点でもあります。(バイドウ百科)』、と紹介されていました。(同上)
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石像を模したらしい、巨大な獅子像の光景です。高さが、5メートル程はあったようです。すべてを中身が詰まった石像にすれば、重たすぎて、移動するのもままならない大きさですから、軽量化の細工が施されているのかも知れません。ただし、勝手な憶測です。(同上)
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大小の赤い提灯で飾られた三国志セットの光景です。消えかかった文字ですが、城壁上部の左寄りに、右から読んで『三国城』の文字がありました。魏・呉・蜀のいずれの三国にも属さない共通の設備のようでした。(同上)
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勿論、殺傷能力のないレプリカでしょうが、大きな鉞を手にしたエキストラらしい若い人の光景です。いかにもアルバイトといった、暇そうな顔をしていました。台の上に立ち、日除けらしい赤い覆いがありました。三国志の略史紹介ですが、三国時代の幕開けの紹介です。(同上)
〇三国時代は、西暦184年の反乱から始まり、晋が中国大陸を統一した西暦280年までの約100年間です。
〇この時代を描いた『三国志』は、江戸時代に日本に伝わりました。現代でも本・映画・ゲーム等を通じて幅広い層に人気が高く、多くの人に親しまれています。
〇日本でよく知られているのは、14世紀の明代に時代小説として『羅漢中(らかんちゅう)』が書いたといわれる『三国志演義』をベースとした話です。 -
〇西暦25年から200年続いた王朝・後漢の末期、宮廷に仕える宦官(かんがん)が中央政府を牛耳りました。
〇官職から排除された地方豪族の強い不満がたまる一方、悪政と疫病により民衆の生活は困窮を極めていました。民衆がすがったのは、太平道を唱える宗教家の張角(ちょうかく)です。
〇張角は病の治癒と民の救済を説いて数十万の信徒を集め、184年には『蒼天すでに死す、黄天まさに立つべし』というスローガンを掲げて蜂起、『黄巾(こうきん)の乱』を起こします。これが『三国時代』の始まりの出来事となりました。(同上) -
〇中央政府の宦官たちは、地方豪族の力を利用して乱の鎮圧に成功します。三国時代の雄として登場する劉備や曹操は、この鎮圧で武勲を立てた人たちです。
〇189年の皇帝の崩御により、強大な兵力を持つ?州(へいしゅう)の董卓(とうたく)が首都・洛陽に呼ばれますが、これが災いの元でした。
〇暴政を敷いた董卓は、部下の呂布(りょふ)に殺害され、後漢は終焉しました。(同上) -
背後に『蜀』の文字がありました。『劉備(りゅうび:161~223年)』です。字は玄徳。黄巾の乱に際して、関羽や張飛らと義勇軍を結成し、鎮圧に功績を挙げました。のちに参謀に迎えた諸葛亮の天下三分の計に基づき、蜀へ進攻し、蜀を制した後に、『漢中王』を称しました。人には礼儀正しく接し、人物を良く見極めて、相応しい待遇を与えたといわれています。(同上)
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イチオシ
中央が、先ほど紹介した『劉備』、その左が『諸葛亮(しょかつりょう:181~234年)』です。中国後漢末期から三国時代の蜀漢の武将(軍師)・政治家です。字は孔明(こうめい)、亮は諱です。司隷校尉諸葛豊の子孫。泰山郡丞諸葛珪の子。諡は忠武侯(ちゅうぶこう)です。蜀漢の建国者である劉備の創業を助け、その子の劉禅の丞相としてよく補佐しました。伏龍、臥龍とも呼ばれます。(同上)
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『蜀』の黄色い旗印を掲げた首脳陣の勢揃いです。主な人物は、『劉備(りゅうび)』をはじめ、『諸葛亮(しょかつりょう)』、『関羽(かんう)』、『張飛(ちょうひ)』、『趙雲(ちょううん)』などが有名です。
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ずらりと並んだ、『魏』の国の主要メンバーです。『魏(ぎ:220~265年)』の国は、中国の三国時代に華北を支配した王朝です。首都は洛陽で、曹氏の王朝であることから『曹魏(そうぎ)』、あるいは北魏に対して『前魏(ぜんぎ)』とも呼ばれますが、この場合は北魏を『後魏』と呼びます。(同上)
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馬車に乗っているのが『曹操(そうそう:155~220年)』です。後漢の丞相・魏王で、三国時代の魏の基礎を作りました。廟号は太祖、諡号は武皇帝です。後世では魏の武帝、魏武とも呼ばれました。羅貫中作の小説『三国志演義』では、敵役・悪役として設定されました。(同上)
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魏王の『曹操』の横に並んだ、魏の国の武将たちです。群雄割拠の三国時代において、抜きんでた兵力を誇った魏の国です。その礎となったのは、『人材コレクター』の異名を持つ曹操孟徳が集めた、優れた武将たちの働きでした。曹操は優秀な人材なら出自を問わず重用し、後の蜀の皇帝・劉備(玄徳)の腹心である関羽まで手に入れようとしたほどです。(同上)
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騎馬像の右背後に『呉』の文字の一部が見えました。三国時代の『呉(222~280年)は、『孫権(182~252年)』が長江流域に建てた王朝です。姓は孫(そん)氏で、首都は建業(現在の南京付近)、『孫呉(そんご)』、『東呉(とうご)』とも呼ばれます。その孫権の騎馬像でしょうか。(同上)
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