2012/11/16 - 2012/11/23
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イラン・イラク戦争時にミサイル攻撃を受けたとされるイスファハンの金曜モスクの紹介です。このモスクの創建は8世紀とされますが、もともとは拝火教の神殿だった場所に建てられました。(ウィキペディア)
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イスファハンの金曜モスクの近くに到着しました。観光バスを降りて、ここからは歩いての見学です。イスファハンの金曜モスクは、『イスファハンのジャーメ・モスク』とも呼ばれ、771年に建築されました。イスファハンでもっとも古いモスクとされ、絶え間無く増改築が行われたようです。『イスファハン』は、『エスファハン』や『エスファハーン』などの日本語表示もされます。(同上)
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イスファハンのジャーメ・モスクは、771年にイスファハンの別のモスクからミンバルをこの地に移送してきたことから始まります。最初期のモスクの形態については不明な部分も多いとされます。考古学的な発掘調査により、煉瓦と木材を使用した古典的なモスクであったことが判明している程度とされます。イランにおけるモスク建築史を体現している建築物とも言われます。
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イチオシ
イスファハンの金曜モスクの縮小モデルの光景です。元々は、ゾロアスター教の寺院だった場所に建てられたイスラーム教の寺院です。中央に青色で記された部分が、イーワーンで囲まれた広場です。その広場を囲む、様式が異なった四つのイーワーンは見どころの一つです。模型の右手が北側になります。この後、『ウィキペディア』を参照して金曜モスクを紹介します。(同上)
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イーワーン形式で造られた、金曜モスクの入口門の光景です。残念ながら読めませんが、カラフルな文字も交じったペルシャ文字のようです。コーラン(クルアン)の一節などが記されていることが多いようです。(同上)
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イチオシ
イーワーン形式で造られた、金曜モスクの入口門の上部にあったイーワーンのズームアップ光景です。縁取りをされた鍾乳石にも通じる装飾がリズミカルな雰囲気を創り出していました。(同上)
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ここからは、暫くの間金曜モスクの内部の紹介です。イスファハンの金曜モスクは、約2世紀の間、小規模な修復を行いつつも大きな変容は無いままに使用がなされていたが、10世紀後半のシーア派のブワイフ朝(932~1062年)の時代に、中庭に面した部分が最新の装飾技法を用いた焼き煉瓦で作り直され、建物の大幅な拡張が行われました。(同上)
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写真は、高い天井に設けられた明り取りの天窓の光景です。ブワイフ朝時代の建物拡張によって、教室、図書室、宿泊施設として使用される部分が出来ました。また、出入口には2本の新しいミナレットが建てられました。この大きな変容は、シーア派のブワイフ朝によって980年頃に建てられたジョルジール・モスクに影響され、スンナ派がこれに対抗してモスクを大幅に拡張したものとの説がありますが、決定的な確証はないようです。当時、ジョルジールの名で建立された新しいモスクは、現在も表門が残されています。(同上)
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写真は、小さめの丸天井の中央に開けられた天窓のズームアップ光景です。ニザームの政敵の『タージュ・アル=ムルク』は、妃側につき、宮廷内に対立が起きました。マフムード1世は父親のマリク・シャーのスルタンの地位を継承しましたが、セルジューク国家全体の支配権を得ることはできませんでした。1094年11月、マフムード1世は天然痘に罹って没しました。(同上)
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大セルジューク朝第3代スルタンのマリク・シャーの長男の『バルキヤールク(1092~1104年)はセルジューク朝の第5代スルタンとなりました。しかし、連年の内紛のためか25歳で病死しました。息子の第6代スルタンのマリク・シャー2世もすぐに没し、スルタン位はムハンマドが継ぐことになりました。内紛により、セルジューク朝は衰退に向かいました。(同上)
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スンニ派のセルジューク朝(1038~1308年)の時代になりますと、今日に残るジャーメ・モスクの基礎的な部分がほぼ完成しました。この時期の特徴としては、南北のドームの建築と、中庭の四つのイーワーンの建築という2点が挙げられます。南のドームは、1086年から1087年にかけてセルジューク朝第3代スルタンのマリク・シャーとその宰相ニザーム・アル=ムルクによって建てられました。高さ20メートル、直径10メートルという大きさは、当時のイスラーム世界では最大の規模を誇るドームでした。同時にイランにおける初の本格的なドームを備えたモスクとなり、建築史上においても大きな意味を持ちました。(同上)
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北のドームは、1088年に『ニザーム・アル=ムルク(1018~1082年)』の政敵だったタージュ・アル=ムルクによって建てられました。これらのドームはモスクからやや離れた場所に建設されました。『ニザーム・アル=ムルク』は、セルジューク朝の政治家で、学者です。君主マリク・シャーを支えてセルジューク朝全盛期を現出したイラン人宰相です。ニザームは、政治家としてだけではなく、文化人としても一級で、『政治の書(スィヤーサト・ナーメ)』を著しました。しかし1092年、マリクの妃・テルケン・ハトゥンに恨みを買って暗殺されてしまいました。ニザームはマリク・シャーの後継者として、ニザームは、マリク・シャーの長男バルキヤールクを推しましたが、妃は自分の実子であるマフムードを推していました。写真の通路らしい部分には、右手にステンドグラスに似た窓が連なっていました。(同上)
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写真は、壁面に設けられた半円形の飾りです。下部がムカルナス構造になった、燭台のように見えました。像を飾る場所にしては、造りが相応しくないように見えました。(同上)
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六角形の透かし彫り風の枠で埋め尽くされた壁面の光景です。明かり採りを兼ねた壁面の造りのようです。補強するように、縦横に枠がありました。この透かし窓から差し込んだ光が、床面に柔らかな光を届けるようです。ネット情報で、床に六角模様が描かれた光景を見ることができました。(同上)
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モスクの中の隙間から眺めた、中庭の光景です。対面に二層の建物が見えましたが、先程の六角形の透かし彫り風の枠で埋め尽くされた壁面が1階にありました。こちらの建物も、外から見れば同じ造りになっているようでした。(同上)
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部分的にペルシャンブルーのカラータイルの装飾が施された壁の周りの光景です。カラータイルの装飾で補修された箇所を含めて、斜めに大きな傷跡が残されているようでした。隣国からのミサイル攻撃で破壊された部分の一部かも知れません。イラン・イラク戦争は、1980年9月22日に始まり、1988年8月20日に国連安全保障理事会の決議を受け入れる形で停戦を迎えました。(同上)
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古い壁面に、部分的に施された、ペルシャンブルーのカラータイルの装飾の光景です。推測ですが、修復作業の時に、部分的に施された装飾のようでした。その理由は、その周りにカラータイルで装飾された跡が見当たらなかったためなどです。
(追記)ネット情報には、この場所がメッカの方角を表す壁のくぼみの『ミフラブ』との紹介がありました。(同上) -
ペルシャンブルーのカラータイルで補修された箇所の下部にあったレリーフ飾りのズームアップ光景です。白大理石に刻まれた文様のようでしたが、部分的に壊れた部分や、変色が傷痕として残っているようでした。(同上)
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詳しいことは分かりませんでしたが、この辺りもミサイル攻撃を受けて損傷した箇所かも知れません。無残な姿の壁面光景でした。(同上)
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金曜モスクの中とは思えないような、武骨な造りの室内光景です。部分的に破壊されたのか、あるいは建設を途中で中止したような雰囲気もありました。柱や壁の表面に、無数の孔が残されていました。(同上)
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殺風景にも見えるモスクの中の通路の光景です。壁や天井に装飾は見当たらず、明り採りの窓だけが存在感を見せていました。明り採りの窓がなければ、モスクの内部というより、牢獄の中の雰囲気になりそうです。(同上)
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台座の上に置かれた、大きな石鉢のような容器の光景です。重要な品らしく、周りを透明なアクリル板らしいもので囲ってありました。推測になりますが、イスラーム教の宗教行事に使われたものかもしれません。あるいは、元々この場所にあったゾロアスター教寺院の遺物なのかも知れません。(同上)
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窓枠だけのようにも見える、アーチ型の窓と、その周りの光景です。四角のハンコのようにも見える装飾が散らされていました。イスラーム的というより、アジア的な雰囲気を感じさせました。1240年にイラン北部に侵攻したモンゴル軍に征服され、モンゴル帝国を構成する地方政権のイルハン朝((1256/1258~1335年/1353年)の支配下に入った時期もあります。(同上)
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イチオシ
規模は大きくないものの、見事な細工が施された丸天井風の部分のズームアップ光景です。中心部分に、丸い青色の装飾がありました。アジア風の文字にも見える装飾が、印象的に配されていました。(同上)
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カラータイルによる壁面の装飾光景です。この後紹介する、右端に見える部分を中心に左右対称の文様で装飾されていました。その左側半分の光景です。(同上)
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カメラを少し右に移動して撮影した壁面の光景です。全体が青色に見える部分を中心に、左右に相似形の装飾がありました。(同上)
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ダイナミックなアラベスク文様のカラータイル装飾のズームアップ光景です。平板ではなく、横の並びに五つの浮き出した文様がありました、この文様を中心に、左右に相似形の装飾がありました。(同上)
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透かし彫りがあった壁面装飾のズームアップ光景です。全体に、植物をモチーフにした文様のようですが、それを感じさせないほどデフォルメされていました。(同上)
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撮影している場所が、2本のミナレットが建つ、南のイーワーン付近だったようです。中央の句に見えるのが、北側に位置するイーワーンです。先ほど紹介したイーワーンの一部が、右手に見えています。(同上)
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ここからは、中庭に出て、その中庭の四方に設けられたイーワーンなどの紹介です。このイーワーンは、中庭の東側に位置するイーワーンのようです。(同上)
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同じく、本のミナレットが建つ、南のイーワーン付近からの撮影です。左手に見えるのが西のイーワーンになります。背中になった南のイーワーンを含め、この後、もう少し詳しく紹介します。(同上)
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