2012/11/16 - 2012/11/23
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旅人のくまさんさん
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ヤズド旧市街の紹介です。アミール・チャクマック広場の見学の後、金曜日のモスクに向かいました。イスラムの国では、金曜日がキリスト教圏の日曜日に当たるようです。(ウィキペディア)
(追記)ヤズドに残るカナートは、『ペルシア式カナート』の一部として2016年に、続く2017年には都市の歴史地区が、『ヤズドの歴史都市』として世界遺産に登録されました。
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ヤズドの歴史の紹介です。歴史は古く、3000年の長きに亘ります。当時ヤズドはヤスティスないしイッサティスと呼ばれたメディアの時代まで遡ります。しかし、今日の名の『ヤズド』はサーサーン朝ペルシャ(226~651年)の第4代ヤズデギルド1世(在位:399~420年)に由来すると想定されています。(同上)
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サーサーン朝期、ヤズドはゾロアスター教の明らかな中心地となっていました。イランのイスラーム征服後、近隣各地のゾロアスター教徒はヤズドに逃れました。イスラーム統治下に入った後も、都市住民の大部分はゾロアスター教徒でした。イスラームがヤズドで優勢な宗教となるまでには、非常に長い時間がかかっています。 (同上)
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現在の地方行政区画によれば、ヤズド州は10郡(シャフレスターン)から構成され、各郡は最低1つの市(シャフル)と複数の村からなります。これらの郡は、アバルクーフ、アルダカーン、バーフグ、ハータム、メイボド、メフリーズ、タバス、サドゥーグ、タフトと、ヤズドです。 (同上)
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ヤズドの市街光景の写真が続きます。風変わりな塔のように見えるのは、夏の暑さを凌ぐための『バードギール』と呼ばれる換気装置です。ヤズドの気候は、全体として非常に乾燥し、夏に暑く、冬に寒いとされます。気温の変動は特に夏から冬にかけて激しく、また昼と夜との間でも著しく変動します。(同上)
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修復工事中のミナレットの光景です。アミール・チャクマック広場に面した場所にあったモスク風の建物です。ネット情報では、『これはモスクではなく、壁だけ』との紹介がありました。また、『この高い壁のような建物は『カージャール朝時代(1796~1925年)』の19世紀に造られた』とも紹介されていました。見落としましたが、英文の説明版があったようです。(同上)
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イチオシ
アミール・チャクマック広場に面した場所にあったモスク風の建物の下階のズームアップ光景です。壁と言っても、人が立ち入れそうなテラスがありました。ミナレットに登れば、ヤズド市街の眺望もできるようです。ネット情報では、ライトアップされた綺麗な姿を見ることもできます。(同上)
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更にズームアップした、アミール・チャクマック広場に面したモスク風の建物のイーワーン光景です。明るい水色の色彩で、ダイナミックな文様が描かれていました。アラベスク文様の現代版と言ったところでしょうか。2階部分は、四つの扉の内、三つは壁だけでしたが、一つは出入りができるようでした。(同上)
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同じく、更にズームアップした、アミール・チャクマック広場に面したモスク風の建物のミナレット光景です。右側のミナレットが修復作業中の足場が組まれていました。ネット情報では、『アミール・チャグマーグのタキイエ』の名前で紹介されていました。『タキイエ』とは、モスクやバザールなどの複合施設を指すようです。この建物の裏にバザールがあるとのネット紹介もありました。2基一対のミナレット(ペルシア語でドゥ・ミナール)は、12世紀のイランから始まったとされます。(同上)
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アミール・チャクマック広場に面した場所にあったモスク風の建物の続きです。こちらを見れば、モスクではないことが一目で分かりました。古代ローマ帝国時代の水道橋を連想させる建造物です。(同上)
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この建物が造られた時代とされる、『カージャール朝(1796~1925年)』についての紹介です。トゥルクマーン系ガージャール部族連合によるイスラム王朝で、首都はテヘランでした。サファヴィー朝(1501~1736年)滅亡後のイランを統一し、めまぐるしく移り変わる群雄割拠の時代に終止符を打ったイスラーム王朝です。(同上)
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群雄割拠の時代に終止符を打ったガージャール朝ですが、内憂外患に悩まされ、イランの暗い時代として総括されているようです。 ガージャール朝の権力基盤は弱体でした。ガージャール朝は、その軍事力を部族勢力の提供する兵力に依存していたため、各部族の勢力を抑えきれなかったのが、その要因の一つのようです。(同上)
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ガージャール朝は、脆弱な中央権力のもと、アーガー・ハーン1世マハッラーティーの反乱や、バーブ教の反乱など内乱が相次ぎ、社会的にも不安定でした。対外的には2度にわたるロシア帝国との戦争(1805年~13年、及び1827年~28年)と、その敗北によってグルジアなどカフカズを失いました。ガージャール朝の紹介については、ここまでです。(同上)
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イチオシ
少し離れた場所から眺めた、モスク風の建物の『アミール・チャグマーグのタキイエ』の全景です。三方から広場を囲む建物の一つで、あとの二方の建物は、ローマの水道橋を思わせる建物部分だけでした。(同上)
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離れた場所からの紹介になりますが、左手方面に見える青いドームなどは、イスラーム教のモスクのようです。左端にイーワーンが見えていました。残念ながら、施設の名前は特定できませんでしたが、推測では次に紹介する『アミア・チャクマー・ヒストリカル・モスク』の名前です。(同上)
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左手方面に見える青いドームのモスクらしい建物のズームアップ光景です。ネット地図を拡大して確認できたのが、『アミア・チャクマー・ヒストリカル・モスク』の名前でしたが、確信はありません。『アミア・チャクマー』は、『ヤズドの古代広場』の意味で使われているようでした。(同上)
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一度紹介した、風変わりな塔のように見える建物の光景です。夏の暑さを凌ぐための『バードギール』と呼ばれる換気装置です。町のいたるところで目にすることができました。バードギールは、『風採り塔』とも和訳されているようです。(同上)
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イチオシ
第3代イマームのホセイン殉教の日に、イランではホセインの苦難を忘れないようにと鎖や手で自分の体をたたきながら行進します。これがイラン(シーア派)を代表する宗教行事のアシュラーです。『フサイン・イブン・アリー(626~680年)』は、イスラーム・シーア派における第3代イマームで、母は預言者ムハンマドの娘ファーティマ・ザフラー、父はムハンマドの従兄弟アリー・イブン・アビー=ターリブ、ムハンマドの孫にあたります。フサインは、ヒジュラ暦61年のアーシューラー(ムハッラム月10日、ユリウス暦では680年10月10日)、カルバラーの戦いで惨敗を喫し、戦死しました。(同上)
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建設途中で装飾などの工程が中止されたのでしょうか、真っ白なままのイーワーンの光景です。アミール・チャクマック広場に隣接するような場所にありました。その白いイーワーンの周りには、小さな商店が密接していました。(同上)
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真っ白なままのイーワーンがあった周りの光景です。この辺りには、古代ローマ帝国時代の水道橋を連想させる建造物はありませんでしたが、道を挟んで、『アミール・チャクマック広場』との現在の境界になるようでした。(同上)
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右手に見える半円形の表示には、珍しく英語表記がありました。『JAZD WATER MUSEUM』の文字でした。『ヤズド水博物館』は、もとはジャール王朝の商人ハジアリアクバルコラドゥズの邸宅で、カナートに関する国際会議が初めて開催されたのをきっかけに2000年に設立されました。館内では、イランの地下カナートのシステムや水路の歴史を写真や資料とともに展示しているようです。(同上)
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話しは、旅行記からは少し逸れますが、第二次世界大戦前のイランでは、イギリスのアングロ・イラニアン石油会社(AIOC)がその石油生産の権限をほとんど握り、一方的に価格を決定する状況でした。イランはイギリス領インドとソビエト連邦に挟まれ、その両者に対抗する第三国に接近しました。皇帝レザー・シャーは、第三国として最初はアメリカ合衆国に接近しましたが、限定的な関係でした。(同上)
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イランの第二次大戦中の状況の紹介の続きです。皇帝レザー・シャーは、その後ナチス・ドイツに接近しました。1941年6月のドイツのソビエト侵攻により、イギリスとソビエト連邦が連合国となり、イギリスとソ連は、イランへの侵攻を開始しました。 第二次世界大戦中のイラン進駐は、1941年8月25日から9月17日まで行われました。(同上)
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イーワーンのような建物ですが、時計塔のようでした。イラン南西部にあるアーバーダーンの油田は、1940年で800万トンを産出し、連合国の戦争遂行において極めて重要なものでした。それがナチスの手に落ちることをイギリスは恐れ、また、ソビエトにとってもコーカサス地方に隣接するイランは戦略的に重要な拠点でした。シャーに支援を嘆願されたルーズベルトは、『イギリスもしくはソビエト政府が、イランの独立や領土に何の意図も持たないというイラン政府への声明』によりシャーを安心させました。(同上)
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1階が商店、2階が住居のような、2階建の建物です。ある程度年数が経っているように見受けましたが、第二次大戦後の建築かも知れません。シャーは安心したものの、後にソビエトは北部で州の独立主義者の支援を行ない、その一方で、アメリカと英国は1953年のイラン石油国有化運動の間に、民主主義的に選ばれたイランのモハンマド・モサッデグ首相の転覆を支援しました。(同上)
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イランの戦前の状況の続きです。1941年8月、イランの抵抗も虚しく、ソビエトとイギリスの戦車と歩兵は瞬く間にイラン軍を無力化しました。イランは敗北し、油田は略奪され、価値あるイラン縦貫鉄道は連合国の手に落ちました。レザー・シャーは9月16日息子のモハンマド・レザー・シャーに帝位を譲り退位しました。レザー・シャーは南アフリカに亡命し、1944年に亡くなりました。(同上)
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ここからは、ヤズドの『金曜日のモスク』に向かう途中の裏通りの光景です。左側の建物の二階のベランダ部分は、最近の増築部分のようでした。話は代わって、ヤズドの『金曜日のモスク(マスジュデ・ジャーメ)』について簡単に紹介しておきます。12世紀に建てられ、14世紀~15世紀に増改築されたイスラーム寺院とされます。(同上)
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ヤズドの『金曜日のモスク』は、街のシンボル的なモスクです。二本の塔(ミナレット)は、イランで最も高いと言われています。また、正面入口とドームのモザイクタイルは、イスラーム建築の傑作と言われています。(同上)
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お土産屋さんの店先光景です。軒先一杯に、縫い包みの人形が飾ってありました。縫い包みだけでなく、飲み物や食べ物も置いたお店のようでした。小さなお子さんを連れた買い物客の姿がありました。(同上)
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焼物を並べた店先光景です。テラコッタらしい素焼きと,彩色された陶器類が並んでいるようでした。ペルシャの四大詩人は、サディー、ケルマーニー、ハーフェズと ウマル・ハイヤームです。この内の三人は、シラーズにある廟で紹介しましたが、未紹介が、11世紀末から12世紀初めに生きたウマル・ハイヤームです。焼物に関する四行詩がありますので、この後紹介します。(同上)
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人間の創造に『優美な杯』という言葉を当てたのは、コーランに因みます。
『その杯は人間の知性が創造したもの
慈愛に満ちてその額の上に百の口付けをする
この壺の作り手はこのような優美な杯を作る
そして再びそれを地に打ち付ける』(ウマル・ハイヤーム:1148~1231年) (同上)
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