2012/11/16 - 2012/11/23
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旅人のくまさんさん
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沈黙の塔の見学の後、ヤズドの旧市街の見学です。ゾロアスター教寺院から見学しました。ゾロアスター教の起源は古く、紀元前6世紀にアケメネス朝ペルシャが成立した以前とされます。(ウィキペディア)
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ゾロアスター教は、日本では『拝火教』とも訳されています。松本清張さんの長編推理小説、『火の路』では、仏教が日本に渡来する前、拝火教が伝わったとの説が披露されていました。大化の改新直前の女性天皇である斉明天皇が、拝火教を信仰していたのでないかとの大胆な仮説も記憶に残っています。(同上)
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松本清張さんは、『火の路』の続編ともいえる『清張・古代史ゆく・ペルセポリスから飛鳥へ』を1979年5月に日本放送出版協会から上梓されました。こちらはイラン革命(1978~79年)の最中の取材旅行でしたから、清張さんやNHK取材班の皆さん達は、大変な苦労をされたようです。その取材先が、テヘラン、ペルセポリス、ヤズド、シラーズや、イスファハンなどでした。(同上)
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清張さんの古代史研究では、日本の邪馬台国関連の一連の著作が有名ですが、日本の飛鳥時代等との関連を巡っての古代ペルシャに関する著述も並々ならぬものがあります。大学教授で著名な歴史家の樋口清之氏をして、『松本さんの古代史ものは、文学に見せて、実は文学の手法をかりて歴史を究明した、壮大なロマン』と言わしめました。(同上)
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松本清張(1909~1992年)さんが、昭和48年から49年にかけて朝日新聞に連載した『火の回路(単行本では、火の路)』では、作中の人物に飛鳥の『謎の石造物(酒船石、益田岩船、須弥山石、道祖神像、二面石、亀石、猿石など)が、古代イラン(ペルシャ)の宗教ゾロアスター教と関連があるとの仮説を立てさせた。あれはどこまでも小説だが、そこで述べた仮説は私のもの』として、『それが捨てがたくてその関連材料を求めて9月初め(昭和53年)にイラン各地に行った』と紹介されています。(古代史記:昭和57年11月刊) このあたりの清張さんの取り組みが、樋口清之(1909~1997年)さんが『文学に見せて、歴史を究明する人』との評価になるようです。(同上)
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清張さんは、古代史を巡る斯界の第1級の研究者との対談でも、引けを取らないばかりか、リード役を務められています。ずいぶん昔に耳にしたことですが、清張さんの英語力は、専門的な討論会の司会が出来るレベルと言われていました。写真は、『沈黙の塔』に残る施設跡の光景です。(同上)
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写真は、『沈黙の塔』付近から眺めた麓方面の光景です。ヤズドは、キャヴィール砂漠とルート砂漠の交わるところ、シール・クーフ山脈とハラーネグ山地の谷間にあるオアシス都市です。標高は海抜1203メートルです。気候は全体として、非常に乾燥し、夏に暑く、冬に寒い地方です。チンギス・ハーンによる蒙古襲来の時には、他地域住民の避難地となりました。(同上)
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写真は、同じく『沈黙の塔』付近から眺めた麓方面の光景です。かつての世界宗教だったゾロアスター教は、イランではイスラーム教徒による宗教的迫害により、信徒資格を血縁に求める民族・部族宗教へと後退しました。(同上)
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次に紹介するのは、ゾロアスター教の神殿、『アーテシュガーフ』です。ところで、近代以前からゾロアスター教が信仰されていた地域は、現在では、イランとインドが主な国です。イランは、かつてゾロアスター教を国教としたサーサーン朝ペルシャ帝国の中心地ですから、ヤズドを中心に信徒数は3万~6万人とされます。ゾロアスター教は、イランの国教とされた時代もありました。(同上)
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最後にもう一度、鳥葬跡の紹介です。イランにおける鳥葬は、1930年代にパフラヴィー朝のレザー・シャーにより禁止され、以後はイスラーム教等と同様に土葬となりました。イランのゾロアスター教徒は、近代化の進展によりイスラーム教徒のムスリムと同等の法的権利を獲得しましたが、イラン・イスラーム革命により再び隷属的地位におかれてしまいました。 (同上)
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インドは、10世紀頃にイランを脱出したゾロアスター教徒がグジャラート州に移住しました。ペルシャ人を意味するパールシー(教徒)と呼ばれます。現在は、パールシーの経済的中心地・ボンベイ(ムンバイ)を主たる拠点として、信徒数7万5千人とされます。インドの二大財閥タタ・グループの創始者のジャムシェトジー・タタ(1839~1904年)と現会長のラタン・タタ(1937~)等、著名な実業家がいます。(同上)
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室内に掲示されていた写真の光景です。このゾロアスター教寺院以外の施設の紹介のようでしたが、詳しいことは分かりませんでした。写真の下部に説明文がありました。(同上)
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近代以前からゾロアスター教が信仰されていた地域は、ほかには、パキスタンとアゼルバイジャン・ジョージア国があります。パキスタンは、英領インドがインド共和国とパキスタンに分離して独立国となった際、2,500人から6,000人のパールシー教徒がそのままパキスタン国民となりました。居住の中心地はカラチです。また、アゼルバイジャン・ジョージア国・イラクにも若干名の信者がいます。(同上)
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イチオシ
正面から眺めた、ゾロアスター教の神殿、『アーテシュガーフ』のズームアップ光景です。近代以降、多くのパールシー教徒が英語圏の各地に、イラン本国のゾロアスター教徒がドイツに移民として移住して、信者の分布地域は拡大しました。イギリス約5千人、北米大陸約1万人、オーストラリア:約2,500人、そのほか、シンガポール・香港・日本・ドイツに若干名の信者がいます。(同上)
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ゾロアスター寺院の建物正面に飾られた、『アフラ・マズダー像』のズームアップ光景です。アフラ・マズダーは、ゾロアスター教の最高神です。 宗教画などでは、有翼光輪を背景にした王者の姿で表されます。その名は『智恵ある神』を意味し、善と悪とを峻別する正義と法の神とされます。娘は女神アールマティです。アフラは天空、マズダーは光を指す言葉であり、アフラ・マズダーは太陽神ともされます。(同上)
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イチオシ
ゾロアスター寺院の建物正面に飾られた、『アフラ・マズダー像』の光景です。起源的には、インド・イラン共通時代の神話に登場する最高神の『ヴァルナ』とされます。『ザラスシュトラ(ゾロアスター、ツァラトゥストラ)』の宗教改革によって、教理的意味づけがなされ、宇宙の理法の体現者にまで高められたのがアフラ・マズダーです。鳥の姿は、ゾロアスター教の守護霊の『フラワシ』です。(同上)
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ここからは、ゾロアスター寺院に入場しての見学です。天井も壁も、白一色の室内光景でした。メソポタミア神話・エジプト神話・ギリシア神話の信仰が失われた今日、ゾロアスター教はヒンドゥー教と並び、現存する世界最古の体系的宗教・経典宗教とも言われます。(同上)
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壁に掲示されていた、ペルシャ語らしいパネルの光景です。まったく読み取れませんので、推測になりますが、見学に際しての注意事項当たりが記されているようでした。(同上)
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ゾロアスター教の寺院の中で燃え続ける信仰の火の光景です。松本清張さんが、昭和53年(1978年)9月にヤズドを取材された時の儀式の光景です。『祭司(モベッド)は、聖愛の傍らに立ち、アヴェスター、ガーターの聖句を朗読する。祈りは火焔をとおして主神のアフラ・マズダーに捧げられる』と、写真紹介されていました。(同上)
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イチオシ
ガラス窓越しにズームアップした火炉の光景です。清張さんは、儀式の時の祈りの声を、『どこか日本の「声明」を思わせる響き』、と感想を述べられていました。拝火儀式に用いられるハオマ種の作り方にも立ち会って、その様子を紹介されていました。ゾロアスター教祭司は、白衣をまとい、伝統的な帽子をかぶり聖火を汚さぬよう白いマスクをして儀式に臨みます。燃やされるのは、チーク材です。(同上)
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ペルセポリス遺跡の壁面に彫刻されたレリーフ像を基にした飾り物のようです。現地のレリーフには、『獅子と戦う大王のレリーフ像です。獅子は大王に蹴りを入れ、大王は左手で獅子の頭を掴み、右手で獅子の腹に刀をつき立てています。大王の力をシンボル化したレリーフ図のようです』、と紹介しておきました。(同上)
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ゾロアスター教の儀式の様子を紹介した写真です。全員が白衣姿でした。ゾロアスター教の礼拝は、『拝火神殿』と称される礼拝所で行われます。神殿は、信者以外は立入禁止で、信者は礼拝所に入る前、手・顔を清め、クスティと呼ばれる祈りの儀式を行います。クスティののち履物を脱いで建物に入り、聖火の前に進んで、その灰を自分の顔に塗って聖なる火に対して礼拝を捧げます。(同上)
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こちらもゾロアスター教の儀式の様子を紹介した写真です。長文の説明文の両脇に、写真集が展示されていました。ゾロアスター教で最重要の儀式とされるのが『ジャシャン』とされます。これは、『感謝の儀式』とも呼ばれ、物質界・精神界に平和と秩序をもたらすと考えられています。(同上)
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先程の写にもありましたが、儀式のときに着用する女性の白衣のようです。7歳から12歳ころまでにかけてゾロアスター教入信の儀式『ナオジョテ(ナヴヨテ)』が行われます。儀式で入信者は純潔と新生の象徴である白い糸(クスティ)と神聖な肌着(スドラ)を身につけ、教義・道徳とを守ることを誓願します。(同上)
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乾燥させた麦の穂を使った、活け花風の飾りの紹介です。赤い穂は、茶色の麦の穂を染め上げているようでした。青銅製らしい壷に、うまくマッチしていました。(同上)
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単なる飾りつけではなく、ゾロアスター教の神事に関する品のようでした。善悪二元論と終末論が最大の特徴とされる、ゾロアスター教の神々の紹介です。世界は至高神アフラ・マズダー率いる善神の『スプンタ・マンユ』と善神群(アムシャ・スプンタ)に対し、悪の霊の『アンラ・マンユ』と大魔王アンラ・マンユ(アフリマン)および悪神群の両勢力が互いに争う場で、生命・光と死・闇との闘争と教えます。(同上)
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ゾロアスター教の神々の紹介を続けます。最初に二つの対立する霊があり、両者が相互の存在に気づいたとき、『善の霊(知恵の主アフラ・マズダー)』が生命・真理などを選び、それに対してもう一方の対立霊の『アンラ・マンユ』は死・虚偽を選んだと教えます。これが善悪二元論の基本部分になるようです。(同上)
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アフラ・マズダーは、戦いが避けられないことを悟り、戦いの場とその担い手として天・水・大地・植物・動物・人間・火の七段階からなるこの世界を創造したと説きます。各被造物は、アフラ・マズダーの七つの倫理的側面により、特別に守護されます。(同上)
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アフラ・マズダー対してアンラ・マンユは、大地を砂漠に、大海を塩水にし、植物を枯らして人間や動物を殺し、火を汚すという攻撃を加えました。しかしアフラ・マズダーは世界を浄化し、動物や人間を増やすなど、不断の努力でアンラ・マンユのまき散らす衰亡・邪悪・汚染などの害悪を、善きものに変えていきました。(同上)
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写真は、ゾロアスター教寺院の境内の庭木の光景です。アフラ・マズダーを補佐する『善神(アムシャ・スプンタ)』は、次の七神です。アフラ・マズダーは、みずからの属性を七つのアムシャ・スプンタ(七大天使、不滅なる利益者たち)という神々として実体化させ、天空・水・大地・植物・動物・人・火の順番で創成した、世界の創造者とされます。(同上)
○スプンタ・マンユ:人類の守護神
○ウォフ・マナフ:動物界の統治者
○アシャ・ワヒシュタ:「聖なる火」の守護神
○スプンタ・アールマティ:大地の守護神
○クシャスラ:金属・鉱物の守護神
○ハルワタート:水の守護神
○アムルタート:植物の守護天使 -
ゾロアスター教の神殿の前から眺めた、丸い泉水と入口門方面の光景です。これで、ゾロアスター教神殿の紹介はお終いです。(同上)
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