2012/11/16 - 2012/11/23
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旅人のくまさんさん
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ヤズドの金曜日のモスク紹介の続きです。モスクの中庭と、それを取り囲むイーワーンなどを見学の後、裏道を通って、迎えのバスが待つ表通りに向かいました。その裏通りも紹介します。(ウィキペディア)
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イチオシ
『マスジュデ・ジャーメ』とも呼ばれる、ヤズドの『金曜日のモスク』の紹介です。中庭から眺めたイーワーンの光景です。イーワーンの背後に、青いドームが控えているらしく、ドームの最上部と屋根飾りが見えていました。(同上)
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イチオシ
精緻に敷き詰められた敷石も見応えがあった『金曜日のモスク』の中庭光景です。中央部に低い基壇のようなものが設けられていました。中庭を取り巻く建物群と、そのアーチ型の出入口群の光景です。(同上)
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天井から壁まで、青色系統のカラータイルで装飾された建物内部の光景です。ここで、シーア派について少し紹介しておきます。最大のイスラム派閥はスンニ派とされますが、それに次ぐのがシーア派です。世界のシーア派のムスリムが一番多いとされるのがイランです。イランのシーア派の人口は6600~7000万人とされ、世界のシーア派人口の37~40%とされます。(同上)
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青色系統に統一された、モスクの室内光景が続きます。通路の途中から先は、立入り禁止になっていました。シーア派は、7世紀のカリフだったアリーとその子孫のみが、預言者の代理たる資格を持ち、『イスラム共同体(ウンマ)』の『指導者(イマーム)』の職務を後継する権利を持つと主張する立場です。『アリー・イブン・アビー・ターリブ(600年頃~661年1月27日)』は、イスラーム教の第4代正統カリフ(在位:656~661年)で、シーア派の初代イマームです。預言者ムハンマドの父方の従弟で、母もムハンマドの父の従姉妹です。後にムハンマドの養子となり、ムハンマドの娘ファーティマを娶りました。(同上)
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『シーヤ』は、アラビア語で『党派』を意味する普通名詞とされます。初期のシーヤ派の人々が、『アリー派』と呼ばれたことに由来しています。後には、シーヤに単に定冠詞を付した『アッ=シーヤ』という語で同派を意味するようになり、宗派の名称として定着しました。シーヤに属する人のことを『シーイー』と言い、スンナ派信徒を意味する『スンナに従う人(スンニー)』に対応しています。この二つが、イスラーム教の二代宗派です。日本語で、シーヤあるいはシーイーに『派』という語を付すのは『派・派』となり、厳密に言えば同一語の繰り返しです。しかし、ほかの多くの例にあるように、言葉としては日本語に定着しています。(同上)
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写真は、室内のカラータイルの装飾光景が続きます。シーア派の信者は、イスラーム教徒全体の10%から20%を占めると推定され、2009年の数字では、信徒数は約2億人とされます。信徒は世界中に分布しますが、イラン、イラクが中心です。国内のムスリムは全人口の95%で、全人口の3分の2がシーア派と目されています。(同上)
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写真は、モスクの敷地内から眺めたイランで最も高いとされる2本並んだミナレットの光景です。イラン、イラクの他には、レバノンが人口の半数を超えるシーア派とされますが、レバノン内戦の影響等で公式資料は公表されていません。次にアゼルバイジャンが特にシーア派住民が多く、またイエメン、パキスタン、サウジアラビアの東部、バーレーン、オマーン、アフガニスタンなどにも比較的大きな信徒集団が存在します。(同上)
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シーア派内の宗派には、十二イマーム派、イスマーイール派(七イマーム派)、ザイド派(五イマーム派)などがあります。十二イマーム派はイラン、アゼルバイジャン、それらの周辺地域(イラク、サウジアラビア東部等)とレバノンに多く、イスマーイール派(七イマーム派)はアフガニスタンなど各地に点在します。ザイド派(五イマーム派)はイエメンで主流です。シーア派は、その登場以来、多数派のスンニ派に対し少数派の立場にあり、シーア派の信徒は山岳地帯など外敵が容易に侵入できない地域に集団を形成することが多かったとされます。(同上)
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シーア派の王朝は、歴史上いくつか存在しますが、多くの場合シーア派が主流であるのは支配者層に限られ、住民の大半はスンニ派でした。ただし、現在のイラン、アゼルバイジャンを中心とした地域ではシーア派は多数派となっています。これは16世紀にこの地を支配したサファヴィー朝が十二イマーム派を国教とした際、住民の多くがスンナ派から十二イマーム派に改宗したためです。(同上)
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中庭にある貯水槽の上部の光景です。このモスクは、地下水のある場所を選んで建てられたようです。頑丈そうな金属枠で追われていましたが、上には乗らない方がよさそうでした。21世紀初頭の現在において、シーア派が政治的・人口的に圧倒的に優位に立っているのはイラン1国のみです。イランの人口の90%から95%がシーア派とされます。(同上)
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写真は、真下から見上げた、イーワーン風の出入口の光景です。内部は、先ほど紹介しました。イランの国制は、1979年のイラン・イスラーム革命以降、イスラーム共和制をとっていて、十二イマーム派を国教としています。シーア派の高位聖職者がイランの最高指導者として国家元首となっているため、シーア派の影響力が非常に強い国です。(同上)
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シリアの事情も少し紹介しておきます。シリアではシーア派は13%ほどを占めるとされ、その大部分はアラウィー派です。アラウィー派は、シーア派主流派と比べてかなり教義に差があり、一部ではシーア派とみなされないようです。アラウィー派の多くはシリアの海岸地方のラタキア県に集中し、フランス委任統治時代にはこの地域はアラウィー派を中心とするラタキア国という自治地域でした。(同上)
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フランス委任統治領シリアは、第一次世界大戦後の1920年8月10日に連合国とトルコ帝国との間で締結されたセーヴル条約により、オスマン帝国からフランスの委任統治下にはいった領土です。当初は、ほぼ現在のシリア・アラブ共和国、レバノン共和国及びトルコ共和国のハタイ県を合わせた地域でした。1930年5月14日、シリア国がシリア共和国(1930~1958年)となり、1946年4月17日、フランス軍がシリアから撤退、シリア共和国がフランスから独立しました。(同上)
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陰影がはっきりとした、鮮やかなカラータイルによる総祝賀されたイーワーンの光景です。シリア紹介の締め括りです。1970年、シリアのバース党の急進派と、穏健・現実主義派が対立、『ハーフィズ・アル=アサド(1930~2000年)』をリーダーとする穏健・現実主義派が実質的なクーデターで実権を握りました。 1971年、ハーフィズ・アル=アサドが大統領に選出され、現在の大統領は、その二男の『バッシャール・アル=アサド(1965~)で、宗教的にはアラウィー派です。『アラブの春(2010~2012年)』から続く、シリア政府軍とシリアの反体制派及びそれらの同盟組織などによる内戦は、今も完全終結はしていません。(同上)
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イランを中心にシーア派のことを紹介してきましたが、イスラーム教の最大派閥であるスンニ派(スンナ派)についても、簡単に紹介しておきます。イスラーム教が生まれて間もない初期の頃(正統カリフ時代)に、預言者ムハンマドの後継者を誰にするかという問題が起きました。ムハンマドの従兄弟で、かつ娘婿のアリーとその子孫のみがイマームとして後継者の権利を持つと主張したシーア・アリーの党派が『シーア派』となりました。これに対し、アブー・バクル、ウマル、ウスマーンのアリーに先立つ三人のカリフも正統カリフとして認めた、大多数のムスリム(イスラーム教徒)がスンナ派の起源です。(同上)
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写真は、ガスの配管とその付属設備でしょうか、水道配管ではないようです。スンニ派の話しに戻ります。スンニ派は、イマームの指導を重視するシーア派に対して、預言者の言行(ハディース)を通じてスンニの解釈を行うことで、預言者の意思を体現しようとする立場です。また、イスラーム法学者の議論を通じて、コーラン(クルアーン)、慣行(スンニ:スンナ)、合意(イジュマー)、類推(キヤース)の四つの方法を『四法源』として重視するに立場となりました。(同上)
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イスラーム共同体(ウンマ)の間の『合意』を重視する点が、シーア派と比較した場合のスンニ派の大きな違いになるようです。『四法源』から導き出されたスンニ派のイスラーム法学は、法源の扱い方の違い、解釈の違いによってさらに四つのイスラーム法学派(ハナフィー学派・シャーフィイー学派・マーリク学派・ハンバル学派)に分かれています。スンニ派の信徒は、いずれかの法学派に属し、それによって生活を律しているようです。キリスト教、仏教などの他の宗教にも類似の点があるように思えます。(同上)
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通路の上に旗が立ち並ぶ光景です。緑と黒色を基調とした、重たそうな旗でした。黒色の旗は、イスラーム教を示す色のようですが、緑色の旗の意味合いは分かりませんでしたが、イスラーム教にとって重要な色のように感じました。因みに、『イスラーム教と緑色』でネット検索しましたら、『イスラム教の預言者、ムハンマドは緑色のターバンをしていたと言われているので、パキスタンをはじめ、イスラームを国教としている国では、緑は大変神聖な色で、イスラーム教国の国旗には緑色が使われている』等の紹介がありました。(同上)
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イチオシ
同じく、通路の上に黒や緑の旗が立ち並ぶ光景です。イスラームで使われる色については、『一部の法学者は、クルアーン(コーラン)に「彼ら(楽園の住民)の上には緑の錦と緞子の服があり」(76章21節)とあることから、推奨される』、旗は『預言者時代には黒旗と白旗が用いられたといわれ、ウマイヤ朝は白旗、アッバース朝は黒旗、そしてシーア派は緑旗』等のネット情報がありました。(同上)
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通路を横断するケーブルの光景です。壁を通り抜けてその先に向かっていました。通信線当たりでしょうか。日本ですと、ケーブルに過度な荷重がかからないよう、スチールワイヤーなどの吊り線を用いて吊架するのが標準工法になるようです。そのまま壁を突き抜ける光景も珍しいようです。(同上)
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通路の脇の塀を眺めるのも、中々面白い光景に出遭いました。使途がわかりませんが、日本の長い棒と、壁に設けられた細長い隙間の光景です。退屈しない通りの光景でした。(同上)
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年代を経た門と出入口の光景です。古びて地味ながら、なかなか味のある造りでした。扉は武骨な木製でした。(同上)
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現地ガイドさんの先導で、ヤズドの『金曜日のモスク』の出口に向かう途中の光景です。途中、いくつかの門や出入口を通過したようです。(同上)
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レンガ積の塀に設けられた、頑丈そうな扉の光景です。木製のようですが、大きな金属廟が使ってありました。右半分に、大勢の人が通った跡が残っていましたから、今も現役の扉のようです。レトルトな雰囲気を漂わせた観光遺産として、第二の人生を送っているようでした。(同上)
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最初はモスクの外から目にした青いドームの光景です。今度はモスクの中から眺めた光景になりますが、屋根飾りと青い屋根の文様が目印になりました。こちら側には、下部にイーワーン風の出入口が見えました。正面入口とドームのモザイクタイルは、イスラーム建築の傑作と言われているようです。(同上)
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別の場所でも紹介した、イランのシーア派の宗教行事の神輿です。この神輿には、赤色と、緑色の旗がありました。イスラーム教とシーア派に縁が深い色とされているようです。(同上)
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どこで、『金曜日のモスク』の出口門を潜ったのか、記憶に残っていませんが、この辺りは既にモスクの境内の外になるようです。(同上)
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同じく、『金曜日のモスク』の周りの街並み光景です。人通りも、車の通行もほとんどない静かな通りでした。(同上)
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街路樹の根元付近の光景です。雨水が溜まっているのは、雨が少ない地方ですから、意図的に雨水を溜めているためとお聞きしました。中国の少雨の内陸部でも、同じような話をお聞きしたことがあります。(同上)
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迎えのバスを待つ間に撮影した1枚です。公共施設のような建物でした。次に向かうのは、アルメニア人のキリスト教会のヴァンク教会です。アルメニア人は、キリスト教を世界で最初に国教としたことで知られています。301年のこととされます。伝承によれば、イエス・キリストの使徒タダイとバルトロマイにより、アルメニアに初めてキリスト教がもたらされたとされます。(同上)
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