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”小松天満宮”は小松の街の北を東西に流れる”梯(かけはし)川の北の川沿いにあり、現在”小松天満宮”を動かすことなく、川幅を広げる為の、河川改修工事が行われていた。<br /><br />加賀藩三代藩主・前田利常は、隠居後小松城を隠居城とし、小松城の鬼門に当たる位置に”小松天満宮”を建立。<br /><br />当社創建にあたり利常公は、初代宮司・別当として北野天満宮より、近世最後の連歌名人といわれた能順を招請する。<br /><br />能順は晩年まで小松天満宮と北野天満宮を兼務し,京都と小松を往来していたが、芭蕉が小松に来た当時、能順も小松に来ていた。<br /><br />芭蕉は加賀藩の重臣であり、俳諧を通して芭蕉と面識のある俳人で、能順の指導も受けていた生駒万子の仲介で、この”小松天満宮”で句を奉納したいと依頼していたらしい。<br /><br />芭蕉が小松に立ち戻ったのは”小松天満宮”で、その生駒万子に会う為であった。<br /><br />しかし翌日、芭蕉の”小松天満宮”で初めての別当能順との面談で、能順の句を褒めた芭蕉の言辞に、二人の間に齟齬が生じ、芭蕉がわざわざ山中温泉から立ち戻ってまで望んだ、”小松天満宮”での連歌の会での句の奉納はなされなかったらしい。<br /><br />古い伝統の権威と新しい波の力のぶつかり合いは、古今東西、変わることが無い。<br /><br />境内に建つ芭蕉の句碑は、小松天満宮での句ではなく、源意庵で芭蕉が始めて披露した句が刻まれている。<br /><br />  あかあかと 日は難面(つれなく)も秋の風  芭蕉

奥の細道を訪ねて第15回28小松に立ち戻った芭蕉が訪れた”小松天満宮”

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2012/09/14 - 2012/09/14

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WT信

WT信さん

”小松天満宮”は小松の街の北を東西に流れる”梯(かけはし)川の北の川沿いにあり、現在”小松天満宮”を動かすことなく、川幅を広げる為の、河川改修工事が行われていた。

加賀藩三代藩主・前田利常は、隠居後小松城を隠居城とし、小松城の鬼門に当たる位置に”小松天満宮”を建立。

当社創建にあたり利常公は、初代宮司・別当として北野天満宮より、近世最後の連歌名人といわれた能順を招請する。

能順は晩年まで小松天満宮と北野天満宮を兼務し,京都と小松を往来していたが、芭蕉が小松に来た当時、能順も小松に来ていた。

芭蕉は加賀藩の重臣であり、俳諧を通して芭蕉と面識のある俳人で、能順の指導も受けていた生駒万子の仲介で、この”小松天満宮”で句を奉納したいと依頼していたらしい。

芭蕉が小松に立ち戻ったのは”小松天満宮”で、その生駒万子に会う為であった。

しかし翌日、芭蕉の”小松天満宮”で初めての別当能順との面談で、能順の句を褒めた芭蕉の言辞に、二人の間に齟齬が生じ、芭蕉がわざわざ山中温泉から立ち戻ってまで望んだ、”小松天満宮”での連歌の会での句の奉納はなされなかったらしい。

古い伝統の権威と新しい波の力のぶつかり合いは、古今東西、変わることが無い。

境内に建つ芭蕉の句碑は、小松天満宮での句ではなく、源意庵で芭蕉が始めて披露した句が刻まれている。

  あかあかと 日は難面(つれなく)も秋の風  芭蕉

同行者
一人旅
交通手段
観光バス JALグループ ANAグループ JRローカル
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)

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