小松旅行記(ブログ) 一覧に戻る
小松に足を留めた芭蕉が健聖寺の次に訪れたのは、木曾義仲が奉納した兜を始め鎧の大袖、脛当な等、斉藤別当実盛の遺品の数々が残る多太神社。<br /><br />義仲の父源義賢を甥の義平が殺害した際、実盛は幼い義仲も殺害するよう命ぜられたが、不憫に思った実盛は、義仲の乳母の夫仲原兼遠の里、信濃の木曾村に逃がす。<br /><br />時は移り、義仲が成人し、兵を起こした義仲の軍が、加賀の国篠原での平家軍と戦い、負けた平家軍が敗走する中、老いを隠し髪を染めた実盛は一人奮戦し、源氏の手塚太郎に討たれる。<br /><br />後にそれが命の恩人実盛と知った義仲は、実盛縁の兜などを多太神社に奉納。<br /><br />その義仲もいずれ同じ源氏の源頼義に討たれる運命にある。<br /><br />多田神社境内にはその兜を目の当たりにし、実盛の死だけでなく義仲の行く末をも思いやった、芭蕉の哀感が滲み出るような句碑が、新しく再建されて建つ。<br /><br />  むざんやな、兜の下のきりぎりす  芭蕉<br /><br />また境内には”かぶと宝物館があり、新しく作成された実盛の兜と本物の兜の写真などが展示してあり、境内には斉藤別当実盛の銅像も建つ。

奥の細道を訪ねて第15回16小松散策その2斉藤別当実盛の兜とその兜に纏わる芭蕉句碑が有る多太神社

2いいね!

2012/09/15 - 2012/09/15

205位(同エリア242件中)

WT信

WT信さん

小松に足を留めた芭蕉が健聖寺の次に訪れたのは、木曾義仲が奉納した兜を始め鎧の大袖、脛当な等、斉藤別当実盛の遺品の数々が残る多太神社。

義仲の父源義賢を甥の義平が殺害した際、実盛は幼い義仲も殺害するよう命ぜられたが、不憫に思った実盛は、義仲の乳母の夫仲原兼遠の里、信濃の木曾村に逃がす。

時は移り、義仲が成人し、兵を起こした義仲の軍が、加賀の国篠原での平家軍と戦い、負けた平家軍が敗走する中、老いを隠し髪を染めた実盛は一人奮戦し、源氏の手塚太郎に討たれる。

後にそれが命の恩人実盛と知った義仲は、実盛縁の兜などを多太神社に奉納。

その義仲もいずれ同じ源氏の源頼義に討たれる運命にある。

多田神社境内にはその兜を目の当たりにし、実盛の死だけでなく義仲の行く末をも思いやった、芭蕉の哀感が滲み出るような句碑が、新しく再建されて建つ。

  むざんやな、兜の下のきりぎりす  芭蕉

また境内には”かぶと宝物館があり、新しく作成された実盛の兜と本物の兜の写真などが展示してあり、境内には斉藤別当実盛の銅像も建つ。

同行者
一人旅
交通手段
観光バス JALグループ ANAグループ JRローカル
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)

PR

この旅行記のタグ

関連タグ

2いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

PAGE TOP