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丸岡で1泊した芭蕉は、翌朝、昔江戸品川の天竜寺の住職で、当時は松岡天竜寺の住職であった旧知の”大夢和尚”に会う目的で、越前の国・松岡に向けて出発する。(芭蕉は丸岡天竜寺と記載)<br /><br />しかし此処からの芭蕉の足跡は、曾良の日記の裏付けがない為、不明な部分が多いとされ、芭蕉が永平寺を訪れたかどうかも確証が無いらしい。<br /><br />迷ったが、これまでも参考にさせて頂いている、「おくのほそ道の旅」(萩原恭男 杉田美登共著 岩波ジュニア新書)に則って、松岡到着日の中に永平寺を参詣した芭蕉を追って旅行記を続けます。<br /><br />理由は2つ。<br /><br />1:”大夢和尚”の経歴は”昔江戸品川の天竜寺の住職であった”事以外はどこにも記録は無いが、”品川の天竜寺”と永平寺はかなり緊密な関連があったらしく、現に品川天竜寺の秦慧芳について得度した、秦 慧昭禅師が永平寺第68世貫主に就いている。   <br />  <br />従って”大夢和尚”も永平寺と強い関係があったと思われ、”大夢和尚”は当然芭蕉に永平寺参詣を強く勧めたと考えられる。<br /><br />2:芭蕉は奥の細道に”五十丁山に入りて永平寺を礼す”記しており、その距離は約5500m。<br />「おくのほそ道の旅」によれば、”松岡天竜寺から永平寺までは二里余、約8000m余。<br /><br />芭蕉は地元の永平寺までの地理に詳しい人から聞いて、五十丁と記したはずで、その人は大夢和尚しか考えられず、大夢和尚が五十丁と云ったとすれば、それは松岡天竜寺からの距離でなく、永平寺により近いある地点からの距離と思われる。<br /><br />「おくのほそ道の旅」によると、芭蕉が永平寺へ向かった道は、九頭竜川に沿って勝山通りを北上し、法寺岡で永平寺川を越え、東古市から南下すると、永平寺通りに交差する。<br />そのまま南東の進む道が、市野々を過ぎると永平寺の参道に達する。<br />  <br />この交差点辺りから永平寺の本堂までが、約5000m(約五十丁)で、全くの私見だが昔はこの道が永平寺に向かう”山道”だったのではなかろうか。<br /><br /><br />芭蕉は丸岡を南東に向かって進み、下久米田の手前を右折、鳴鹿を経て九頭竜川を渡り松岡に入る。<br /><br />九頭竜川に沿って永平寺に向かう勝山街道を越えると程なく松岡天竜寺があり、芭蕉は松岡天竜寺で大夢和尚と旧交を温め、一休みした後(多分)永平寺参詣に出かけたと思われる。<br /><br />「おくのほそ道の旅」は大夢和尚が道案内をしたでろうとある。<br /><br />我々のバスも丸岡を発って松岡に向かい、九頭竜川を越えた辺りで昼食後、松岡天竜寺を訪れるが、松岡天竜寺の旅行記は、永平寺参詣を終えて、芭蕉と北枝との別れの場面で纏めて記載します。<br /><br /><br />永平寺は寛元元年(1243)、時の領主波多野義重が堂宇を創建し、道元禅師を招いて寄進した。<br /><br />当初は大仏寺と称したが、寛元4年(1246)永平寺と改め現在に至る。<br /><br />永平寺にはこれまでに2回訪れているが、今回のように七堂伽藍を中心にほぼ完全回遊したのは始めてであった。<br /><br />そのため写真の数も多く、”その1”から”その4まで”4回に分けてアップします。<br /><br />案内図は永平寺の全てを網羅し、詳細で楽しい”中村Katuminさん”のHPの”禅の里 永平寺へようこそ”から<br />永平寺境内および周辺図をお借りし、一部追加させて頂きました。<br /><br />永平寺に関心のおありの方はお勧めのHPです。<br /><br />禅の里 永平寺へようこそ<br />http://www.mitene.or.jp/~katumin/index.html<br /><br />永平寺境内および周辺図<br />http://www.mitene.or.jp/~katumin/eiheiji/sonota/tizu/keidai.htm<br />

奥の細道を訪ねて第15回34永平寺その1永平寺までの景観・永平寺門前・正門参道・傘松(さんしょう)閣

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2012/09/16 - 2012/09/16

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WT信

WT信さん

丸岡で1泊した芭蕉は、翌朝、昔江戸品川の天竜寺の住職で、当時は松岡天竜寺の住職であった旧知の”大夢和尚”に会う目的で、越前の国・松岡に向けて出発する。(芭蕉は丸岡天竜寺と記載)

しかし此処からの芭蕉の足跡は、曾良の日記の裏付けがない為、不明な部分が多いとされ、芭蕉が永平寺を訪れたかどうかも確証が無いらしい。

迷ったが、これまでも参考にさせて頂いている、「おくのほそ道の旅」(萩原恭男 杉田美登共著 岩波ジュニア新書)に則って、松岡到着日の中に永平寺を参詣した芭蕉を追って旅行記を続けます。

理由は2つ。

1:”大夢和尚”の経歴は”昔江戸品川の天竜寺の住職であった”事以外はどこにも記録は無いが、”品川の天竜寺”と永平寺はかなり緊密な関連があったらしく、現に品川天竜寺の秦慧芳について得度した、秦 慧昭禅師が永平寺第68世貫主に就いている。   
  
従って”大夢和尚”も永平寺と強い関係があったと思われ、”大夢和尚”は当然芭蕉に永平寺参詣を強く勧めたと考えられる。

2:芭蕉は奥の細道に”五十丁山に入りて永平寺を礼す”記しており、その距離は約5500m。
「おくのほそ道の旅」によれば、”松岡天竜寺から永平寺までは二里余、約8000m余。

芭蕉は地元の永平寺までの地理に詳しい人から聞いて、五十丁と記したはずで、その人は大夢和尚しか考えられず、大夢和尚が五十丁と云ったとすれば、それは松岡天竜寺からの距離でなく、永平寺により近いある地点からの距離と思われる。

「おくのほそ道の旅」によると、芭蕉が永平寺へ向かった道は、九頭竜川に沿って勝山通りを北上し、法寺岡で永平寺川を越え、東古市から南下すると、永平寺通りに交差する。
そのまま南東の進む道が、市野々を過ぎると永平寺の参道に達する。
  
この交差点辺りから永平寺の本堂までが、約5000m(約五十丁)で、全くの私見だが昔はこの道が永平寺に向かう”山道”だったのではなかろうか。


芭蕉は丸岡を南東に向かって進み、下久米田の手前を右折、鳴鹿を経て九頭竜川を渡り松岡に入る。

九頭竜川に沿って永平寺に向かう勝山街道を越えると程なく松岡天竜寺があり、芭蕉は松岡天竜寺で大夢和尚と旧交を温め、一休みした後(多分)永平寺参詣に出かけたと思われる。

「おくのほそ道の旅」は大夢和尚が道案内をしたでろうとある。

我々のバスも丸岡を発って松岡に向かい、九頭竜川を越えた辺りで昼食後、松岡天竜寺を訪れるが、松岡天竜寺の旅行記は、永平寺参詣を終えて、芭蕉と北枝との別れの場面で纏めて記載します。


永平寺は寛元元年(1243)、時の領主波多野義重が堂宇を創建し、道元禅師を招いて寄進した。

当初は大仏寺と称したが、寛元4年(1246)永平寺と改め現在に至る。

永平寺にはこれまでに2回訪れているが、今回のように七堂伽藍を中心にほぼ完全回遊したのは始めてであった。

そのため写真の数も多く、”その1”から”その4まで”4回に分けてアップします。

案内図は永平寺の全てを網羅し、詳細で楽しい”中村Katuminさん”のHPの”禅の里 永平寺へようこそ”から
永平寺境内および周辺図をお借りし、一部追加させて頂きました。

永平寺に関心のおありの方はお勧めのHPです。

禅の里 永平寺へようこそ
http://www.mitene.or.jp/~katumin/index.html

永平寺境内および周辺図
http://www.mitene.or.jp/~katumin/eiheiji/sonota/tizu/keidai.htm

同行者
一人旅
交通手段
観光バス JALグループ ANAグループ JRローカル
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)

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