周庄 (周荘)旅行記(ブログ) 一覧に戻る
古来この地域は「貞富里」と呼ばれたが、周荘という名が歴史に始めて現れるのは、今を遡ること900年、北宋時代の元祐元年(西暦1086年)である。当時周迪功郎という人が仏教ヘの篤い信心から、自分の邸宅を寺として提供し、さらにこの地域に開墾した田200ムー(約13ヘクタール)を寺に荘田として寄進したところ、人々が大変感謝したので、その荘田が周迪功郎の名をとって周荘と呼ばれるようになったというその後元代中期になって、瀋祐という人がこの地に拠点を構え、その子の瀋万三が当主であったころ多いに栄え、江南の大富豪として知られるようになる。瀋万三は西に延びる白蜆江により京杭大運河へ、東に延びる瀏河により海につながるという交通の要衝としての位置を活かし交易を行い、周荘を食料、シルク、各種手工業品の集散地として発展させた。周荘は手工業品生産地としても発展し、シルク、刺繍、竹製品、白酒等が生産された。<br />

江南の周荘・周荘故鎮・歴史建築・2/3

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2010/10/19 - 2010/10/19

28位(同エリア90件中)

中国の風景

中国の風景さん

古来この地域は「貞富里」と呼ばれたが、周荘という名が歴史に始めて現れるのは、今を遡ること900年、北宋時代の元祐元年(西暦1086年)である。当時周迪功郎という人が仏教ヘの篤い信心から、自分の邸宅を寺として提供し、さらにこの地域に開墾した田200ムー(約13ヘクタール)を寺に荘田として寄進したところ、人々が大変感謝したので、その荘田が周迪功郎の名をとって周荘と呼ばれるようになったというその後元代中期になって、瀋祐という人がこの地に拠点を構え、その子の瀋万三が当主であったころ多いに栄え、江南の大富豪として知られるようになる。瀋万三は西に延びる白蜆江により京杭大運河へ、東に延びる瀏河により海につながるという交通の要衝としての位置を活かし交易を行い、周荘を食料、シルク、各種手工業品の集散地として発展させた。周荘は手工業品生産地としても発展し、シルク、刺繍、竹製品、白酒等が生産された。

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
ホテル
5.0
グルメ
5.0
ショッピング
5.0
交通
5.0
同行者
一人旅
交通手段
鉄道 高速・路線バス
旅行の手配内容
個別手配
  • 平橋。<br />

    平橋。

  • 入口 <br />

    入口

  • 祖蔭堂<br />

    祖蔭堂

  • <br />葉楚傖故居  西湾街にある、中国の名士葉楚傖の邸宅。彼は1887年にここで生まれた。博学で詩文をよくし、多くの著作も残している。国民党の元老でもあった。<br />


    葉楚傖故居  西湾街にある、中国の名士葉楚傖の邸宅。彼は1887年にここで生まれた。博学で詩文をよくし、多くの著作も残している。国民党の元老でもあった。

  • 台所。葉楚傖(1887〜1946年)は、南社の詩人であり政治活動家。孫文主義に共鳴、中国同盟会(1905年に孫文のイニシアチィブで結成された革命団体)に参加、辛亥革命に従軍した。その後上海で新聞「民国日報」の出版に従事した。<br />

    台所。葉楚傖(1887〜1946年)は、南社の詩人であり政治活動家。孫文主義に共鳴、中国同盟会(1905年に孫文のイニシアチィブで結成された革命団体)に参加、辛亥革命に従軍した。その後上海で新聞「民国日報」の出版に従事した。

  • 入口近くの部屋は葉が子供の頃の勉強部屋で、後ろの部屋は客間で南社メンバーの柳亜子や蘇曼殊らと酒を飲みながら即興の詩を読み、語り合った部屋と言われる。国民党元老の葉楚イ倉が住んだ家。清代の同治年間に建築された。4つの中庭を持つ建物で構成される清式の家屋である。葉楚傖の肖像画、著作等が展示されており、家具は清・中華民国時代のもの<br />

    入口近くの部屋は葉が子供の頃の勉強部屋で、後ろの部屋は客間で南社メンバーの柳亜子や蘇曼殊らと酒を飲みながら即興の詩を読み、語り合った部屋と言われる。国民党元老の葉楚イ倉が住んだ家。清代の同治年間に建築された。4つの中庭を持つ建物で構成される清式の家屋である。葉楚傖の肖像画、著作等が展示されており、家具は清・中華民国時代のもの

  • 平橋。<br />

    平橋。

  • 入口<br />

    入口

  • 補魚実演。<br />

    補魚実演。

  • 橋の孔の中に橋が見えます。<br /><br />

    橋の孔の中に橋が見えます。

  • 周荘の白蜆湖のほとりにある、宋代の邸宅。宋の佑元元(1086)年に、周迪功朗が自らの邸宅を寺とした。時代を経るに従って次第に規模も大きくなり、やがて名の知られた寺院となったという。<br /><br />

    周荘の白蜆湖のほとりにある、宋代の邸宅。宋の佑元元(1086)年に、周迪功朗が自らの邸宅を寺とした。時代を経るに従って次第に規模も大きくなり、やがて名の知られた寺院となったという。

  • 各建物の重厚で厳格な造りは、仏教文化に対する深い造詣と優れた建築美を兼ね備えている。また仏殿には三丈余りの如来像があり、その手のひらには人一人乗れるほどの大きさがある。<br />

    各建物の重厚で厳格な造りは、仏教文化に対する深い造詣と優れた建築美を兼ね備えている。また仏殿には三丈余りの如来像があり、その手のひらには人一人乗れるほどの大きさがある。

  • <br />この像はもと蘇州の虎丘にあったが、1648年にここに移ったと伝えられている。両脇には文殊、普賢の両像があり、更に18体の羅漢像が並ぶ


    この像はもと蘇州の虎丘にあったが、1648年にここに移ったと伝えられている。両脇には文殊、普賢の両像があり、更に18体の羅漢像が並ぶ

  • 周囲の湖や山の風景も素晴らしく、清代の書法家李仙根がこの寺を訪れた際、「水中の仏国」と讃えたといわれる。<br />

    周囲の湖や山の風景も素晴らしく、清代の書法家李仙根がこの寺を訪れた際、「水中の仏国」と讃えたといわれる。

  • 言伝えによれば、もともとの全福寺は宋代元祐年代に周荘北西の白蜆湖畔に建てられた。もとは周迪功郎の邸宅だったが、信仰への篤さから、彼が自らの家を寺としたもの。<br />

    言伝えによれば、もともとの全福寺は宋代元祐年代に周荘北西の白蜆湖畔に建てられた。もとは周迪功郎の邸宅だったが、信仰への篤さから、彼が自らの家を寺としたもの。

  • 全福寺は拡張され、重さ1500キロの鐘や江南一巨大な如来像もあったという。しかし1950年代初期に食料庫に改造され、寺内の仏像、経典等は損失してしまった。<br />

    全福寺は拡張され、重さ1500キロの鐘や江南一巨大な如来像もあったという。しかし1950年代初期に食料庫に改造され、寺内の仏像、経典等は損失してしまった。

  • その後90年代に南湖畔に遷され、新たに仏像等も置かれ現在に至る。「水中の仏の国」とも呼ばれるこの寺は、湖上に橋でつながれ並ぶ「山門」「指帰閣」「大雄宝殿」「蔵経楼」等より形成される。<br /><br />

    その後90年代に南湖畔に遷され、新たに仏像等も置かれ現在に至る。「水中の仏の国」とも呼ばれるこの寺は、湖上に橋でつながれ並ぶ「山門」「指帰閣」「大雄宝殿」「蔵経楼」等より形成される。

  • メインとなるのは大雄宝殿で、中央は釈迦牟尼像、両側は獅子に跨る文殊と象に跨る普賢像である。<br /><br />

    メインとなるのは大雄宝殿で、中央は釈迦牟尼像、両側は獅子に跨る文殊と象に跨る普賢像である。

  • 蔵経楼。<br />

    蔵経楼。

  • 両脇に羅漢像が並ぶ。<br /><br />

    両脇に羅漢像が並ぶ。

  • 長い橋。<br />

    長い橋。

  • <br />アーチ橋。<br />


    アーチ橋。

  • 観光シーズンなので人、人、人です。<br /><br />

    観光シーズンなので人、人、人です。

  • 可愛いボトルカバーが並んでいます。<br /><br />

    可愛いボトルカバーが並んでいます。

  • 周荘の富安橋近くにある。周荘では民家としては最大の建築。清の乾隆7(1742)年に建てられた。敷地面積は2000平方メートル以上にもおよび、大小100余りの部屋がある。江蘇省の重点文物保護財に指定されている。<br />

    周荘の富安橋近くにある。周荘では民家としては最大の建築。清の乾隆7(1742)年に建てられた。敷地面積は2000平方メートル以上にもおよび、大小100余りの部屋がある。江蘇省の重点文物保護財に指定されている。

  • 瀋家は、その名の通り江南の豪商瀋家が住居として建てたもの。年代的には新しく、清代の乾隆7年(西暦1742年)に完成した。<br />

    瀋家は、その名の通り江南の豪商瀋家が住居として建てたもの。年代的には新しく、清代の乾隆7年(西暦1742年)に完成した。

  • 入口は水路に面し、建物を入ってすぐの部分は客を接遇したり冠婚葬祭に仕様する区域。<br />

    入口は水路に面し、建物を入ってすぐの部分は客を接遇したり冠婚葬祭に仕様する区域。

  • 建物奥は居住空間である。メインルームである松茂堂は龍、麒麟、鶴、鳳の彫刻を施された梁と柱が目を引く。<br />

    建物奥は居住空間である。メインルームである松茂堂は龍、麒麟、鶴、鳳の彫刻を施された梁と柱が目を引く。

  • <br />天井の梁の部分に施された彫刻。往時の瀋家の「繁栄ぷり」を窺うことができる。 <br />


    天井の梁の部分に施された彫刻。往時の瀋家の「繁栄ぷり」を窺うことができる。

  • <br />この部屋の正面の彫刻レンガの門は5つの門のうちで最も荘厳なものである。彫刻は蘇式の傑作。<br />


    この部屋の正面の彫刻レンガの門は5つの門のうちで最も荘厳なものである。彫刻は蘇式の傑作。

  • 清代の「周荘鎮史」によれば、当時の瀋家の当主瀋本仁は放蕩息子であったが、父の死後心機一転農業につとめ蓄財しこの家を建てた。

    清代の「周荘鎮史」によれば、当時の瀋家の当主瀋本仁は放蕩息子であったが、父の死後心機一転農業につとめ蓄財しこの家を建てた。

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