周庄 (周荘)旅行記(ブログ) 一覧に戻る
周荘は上海から約70キロ、車で約1時間20分のところに位置する。上海から見れば、ちょうど定山湖の裏側になる。<br />900年の歴史を持ち、かつては江南の水運、商業の要衝として栄えた街である。現在の水路は生活にも使われているためやや汚染されているのが残念だが、濠と古い家並みと石橋とが「こじんまり」とまとまっており、―片の碧玉にも例えられる美しい街並みであり、「上有天堂、下有蘇杭(天上には極楽があり、地上には蘇州、杭州がある)」という有名な言葉をもじって「上有天堂、下有蘇杭、中間有一箇周荘(天上には極楽があり、地上には蘇州、杭州があり、中間には周荘がある)」と言われることもあるそうだ。見所は200年以上も前の街並みが往事の姿そのままに残っていることに尽きる。街中の細い通路をめぐり、豪商の屋敷を訪ね、石橋から水路を望めば、かつて大いに繁栄した中世中国の水郷都市へタイムスリップすることができる。<br />

江南の周荘・周荘故鎮・歴史建築・1/3

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2010/10/19 - 2010/10/19

28位(同エリア90件中)

中国の風景

中国の風景さん

周荘は上海から約70キロ、車で約1時間20分のところに位置する。上海から見れば、ちょうど定山湖の裏側になる。
900年の歴史を持ち、かつては江南の水運、商業の要衝として栄えた街である。現在の水路は生活にも使われているためやや汚染されているのが残念だが、濠と古い家並みと石橋とが「こじんまり」とまとまっており、―片の碧玉にも例えられる美しい街並みであり、「上有天堂、下有蘇杭(天上には極楽があり、地上には蘇州、杭州がある)」という有名な言葉をもじって「上有天堂、下有蘇杭、中間有一箇周荘(天上には極楽があり、地上には蘇州、杭州があり、中間には周荘がある)」と言われることもあるそうだ。見所は200年以上も前の街並みが往事の姿そのままに残っていることに尽きる。街中の細い通路をめぐり、豪商の屋敷を訪ね、石橋から水路を望めば、かつて大いに繁栄した中世中国の水郷都市へタイムスリップすることができる。

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
ホテル
5.0
グルメ
5.0
ショッピング
5.0
交通
5.0
同行者
一人旅
交通手段
鉄道 高速・路線バス
旅行の手配内容
個別手配
  • 周荘は上海から約70キロ、車で約1時間20分のところに位置する。<br />

    周荘は上海から約70キロ、車で約1時間20分のところに位置する。

  • 朝8時発、料金29元、周荘汽車駅9時40分着。<br /><br />

    朝8時発、料金29元、周荘汽車駅9時40分着。

  • 周荘故鎮の牌楼まで連絡バス(1元)で結んでいる。知らずに歩くと20分程掛かった。<br />

    周荘故鎮の牌楼まで連絡バス(1元)で結んでいる。知らずに歩くと20分程掛かった。

  • 故鎮へはこの大橋を渡らなければ行けません。両側に廊棚の付いた橋です

    故鎮へはこの大橋を渡らなければ行けません。両側に廊棚の付いた橋です

  • 周荘大橋を渡ると雲海塔が迎えてくれる。

    周荘大橋を渡ると雲海塔が迎えてくれる。

  • 周荘一の高さ(42m)を誇る。九層、四面に佛を配し、最高層には鋳造の世紀鐘(2t)があり、塔内6層まで直通のエレベーターで登り、周荘を一望出来ます。<br /><br />

    周荘一の高さ(42m)を誇る。九層、四面に佛を配し、最高層には鋳造の世紀鐘(2t)があり、塔内6層まで直通のエレベーターで登り、周荘を一望出来ます。

  • 周荘故鎮の外側の入口です。<br /><br />

    周荘故鎮の外側の入口です。

  • 故鎮入口まで商店街を通って行きます。<br /><br />

    故鎮入口まで商店街を通って行きます。

  • <br />故鎮の南にある全福寺の塔。<br /><br />


    故鎮の南にある全福寺の塔。

  • <br />ここが故鎮の入口。遊覧券を買いましょう。<br /><br />


    ここが故鎮の入口。遊覧券を買いましょう。

  • 故鎮に入って突き当たりにある。中国一の水郷を誇る照壁です。<br /><br />

    故鎮に入って突き当たりにある。中国一の水郷を誇る照壁です。

  • 明代初めの建築物。当地の出土品、民俗芸術品、生活用品、合計約1000点を展示している。建物は古民家を活用している。<br /><br />

    明代初めの建築物。当地の出土品、民俗芸術品、生活用品、合計約1000点を展示している。建物は古民家を活用している。

  • 扉の彫刻が美しい。<br />

    扉の彫刻が美しい。

  • 清宋明初の民間生活用具の展示。<br />

    清宋明初の民間生活用具の展示。

  • 博物館前の水路に架かる橋です。故鎮内は水路が縦横に流れ、沢山の石橋を渡ります。平板を使った橋です。街中にある14座の石橋は元、明、清の3代の間に造られた物である.<br /><br />

    博物館前の水路に架かる橋です。故鎮内は水路が縦横に流れ、沢山の石橋を渡ります。平板を使った橋です。街中にある14座の石橋は元、明、清の3代の間に造られた物である.

  • 路地は煉瓦を敷き詰めた狭い道です。<br />

    路地は煉瓦を敷き詰めた狭い道です。

  • 一番、絵になるアーチ橋が見えます。<br /><br />

    一番、絵になるアーチ橋が見えます。

  • 見所が多い、メイン通りに入って行きます

    見所が多い、メイン通りに入って行きます

  • もとは徳記酒店という名前だった。20年代初めに、南社の発起人である柳亜子、陳去病らと、周荘の南社のメンバーである王大覚、費公直などがここで四回宴を催し、酒を飲み詩を吟じたという。そのときの詩百首余りが『迷楼集』という本にまとめられ、迷楼は世に知られることとなった。鎮江出身の李徳夫によって造られた店がもとになっている。橋や水郷の風景に彩られたこの建物は、まさに風景によって人を酔わせてくれるだろう。<br />

    もとは徳記酒店という名前だった。20年代初めに、南社の発起人である柳亜子、陳去病らと、周荘の南社のメンバーである王大覚、費公直などがここで四回宴を催し、酒を飲み詩を吟じたという。そのときの詩百首余りが『迷楼集』という本にまとめられ、迷楼は世に知られることとなった。鎮江出身の李徳夫によって造られた店がもとになっている。橋や水郷の風景に彩られたこの建物は、まさに風景によって人を酔わせてくれるだろう。

  • 迷楼は小さな建物だが、1920年に文学結社「南社」(注)のメンバー、柳亜子、王大覚、陳去病らが秘密裏に会合し、詩を詠み、革命について語り合ったことで有名となっている。この建物は当時「徳記酒店」という名称だったが、南社のメンバーが酔って「酒不酔人、人自酔、風景宜人亦迷人」という詩をつくり「迷楼」という名を店主に贈って以来一般に迷楼と呼ばれるようになった。柳亜子らの詩140余首が「迷楼集」としてまとめられ公表されてから迷楼が世間に有名になることとなった。<br />

    迷楼は小さな建物だが、1920年に文学結社「南社」(注)のメンバー、柳亜子、王大覚、陳去病らが秘密裏に会合し、詩を詠み、革命について語り合ったことで有名となっている。この建物は当時「徳記酒店」という名称だったが、南社のメンバーが酔って「酒不酔人、人自酔、風景宜人亦迷人」という詩をつくり「迷楼」という名を店主に贈って以来一般に迷楼と呼ばれるようになった。柳亜子らの詩140余首が「迷楼集」としてまとめられ公表されてから迷楼が世間に有名になることとなった。

  • 迷楼は2階建てで、南社メンバーの写真や著作・絵等の作品が展示されている。2階の1角には酒を飲みながら語り合う南社メンバーの蝋人形がある。1階には蘇曼殊による「汾提吊夢図」という絵が掛けられている。

    迷楼は2階建てで、南社メンバーの写真や著作・絵等の作品が展示されている。2階の1角には酒を飲みながら語り合う南社メンバーの蝋人形がある。1階には蘇曼殊による「汾提吊夢図」という絵が掛けられている。

  • <br /> 蘇曼殊は日本に3年間美術留学をし、書画芸術に造詣が深かったが、自己の作品をなかなか人に贈らないことで有名だった。「汾提吊夢図」は葉楚イ倉が蘇曼殊を冗談に部屋に閉じ込めて無理に描かせたものと言われる。 <br /><br />


    蘇曼殊は日本に3年間美術留学をし、書画芸術に造詣が深かったが、自己の作品をなかなか人に贈らないことで有名だった。「汾提吊夢図」は葉楚イ倉が蘇曼殊を冗談に部屋に閉じ込めて無理に描かせたものと言われる。

  • <br />貞豊橋の上から見た水路、観光舟が列を作っています。<br />


    貞豊橋の上から見た水路、観光舟が列を作っています。

  • 観光舟が通れるようにアーチが高い。<br /><br />

    観光舟が通れるようにアーチが高い。

  • のんびりと橋の上で背中を見せている人がいます。<br />

    のんびりと橋の上で背中を見せている人がいます。

  • 現在も薬屋さんです。<br /><br />

    現在も薬屋さんです。

  • 入口 炎官殿<br /><br />

    入口 炎官殿

  • 普慶橋の向かいにあり、俗に“聖堂”とも呼ばれる。900年の歴史を誇る古い建物だ。院内には玉貢閣、文晶閣など多くの建物があり、敷地面積は1500平方メートルと広い。この院は蘇州の玄妙観と同じ“正一派”に属する。院内には多くの道教の神々の塑像が安置されている。明代から続く活動は現在も途切れることなく、毎年旧暦の暦に従って各種の祭事が催される。

    普慶橋の向かいにあり、俗に“聖堂”とも呼ばれる。900年の歴史を誇る古い建物だ。院内には玉貢閣、文晶閣など多くの建物があり、敷地面積は1500平方メートルと広い。この院は蘇州の玄妙観と同じ“正一派”に属する。院内には多くの道教の神々の塑像が安置されている。明代から続く活動は現在も途切れることなく、毎年旧暦の暦に従って各種の祭事が催される。

  • 聖帝殿。宋代元祐年間(1086〜1093年)に建てられた道教寺院。宋代の建築様式を残している。清初の詩人張冷作の詩「重過澄虚道院詩」は、「幽深福地似蓬莱(幽玄で蓬莱の地のようだ(蓬莱:伝説上の東方の仙人の住む霊山))」と表現しこの寺を有名にした。

    聖帝殿。宋代元祐年間(1086〜1093年)に建てられた道教寺院。宋代の建築様式を残している。清初の詩人張冷作の詩「重過澄虚道院詩」は、「幽深福地似蓬莱(幽玄で蓬莱の地のようだ(蓬莱:伝説上の東方の仙人の住む霊山))」と表現しこの寺を有名にした。

  • <br />門?殿。中国解放まで澄虚道院は道教寺院として隆盛した。解放後は一時的。に食料庫、工場、旅館とされたこともあったが、建物は昔の姿を留めることができた。<br />


    門?殿。中国解放まで澄虚道院は道教寺院として隆盛した。解放後は一時的。に食料庫、工場、旅館とされたこともあったが、建物は昔の姿を留めることができた。

  • <br />試飲もさせてくれます。<br />


    試飲もさせてくれます。

  • 酒の甕が沢山並んでいます。<br />

    酒の甕が沢山並んでいます。

  • 手作り感が広がっています。商談中。<br /><br />

    手作り感が広がっています。商談中。

  • 伝統工芸品の製作実演販売。<br /><br />

    伝統工芸品の製作実演販売。

  • 全景点の入場できる券で100元です。最近何所の観光地でも入場料が高い。老人券で半額の50元を売ってくれた。外国人は適用外と言われる事が多い中、ラッキーでした。<br /><br />

    全景点の入場できる券で100元です。最近何所の観光地でも入場料が高い。老人券で半額の50元を売ってくれた。外国人は適用外と言われる事が多い中、ラッキーでした。

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