2009/12/02 - 2009/12/02
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SUR SHANGHAIさん
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ムカッタムの丘にあるシタデル内部を一通り見学し終えたこの日の前半。
いや〜、シタデル内のガーマ・ムハンマド・アリのドームは圧巻だったなあ。(^◇^)
観光客はほとんど行かない敷地奥のガーマ・ソリマン・バシャも小粒ながら内部の装飾が見応えあったし。
こういう時には、歩いて回る甲斐があるなあと思うSUR SHANGHAI。
さてこの日の後半は、ムカッタムの丘の北側にある≪死者の町(北の墓地)≫や、昨日見残したハーン・ハリーリより先のムイッズ通りをフトゥーフ門の辺りまを歩いてみようと思います。
そこで見られるものは何だろう。ワクワク。
表紙の画像は、フトゥーフ門そばにあるガーマ・ハリーファ・イル・ハーキム。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 3.5
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- タクシー
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
前編でのムカッタムの丘にあるシタデル見学を終えて、サラーフ・サーリム通り脇のタクシー用駐車場へと丘を下りるSUR SHANGHAI。
乾いて埃っぽい空気の向こうにも丘があって、テレビ塔らしき塔が数本。
どこか懐かしい感じのする眺めと思ったら、SUR SHANGHAIの生まれ故郷の一角にあった工場にそっくり。
これにはちょっと驚いた。 -
タクシーはちょっとした観光地なら出入り口あたりですぐ見つかるというのは、ムカッタムの丘でも同じ。
ここから≪死者の町(北の墓地)≫の見所のハーンカー(スーフィーの修道場になっているモスク風の建物)などが並ぶあたりまで、タクシーの運転手さんとお値段交渉。
このムカッタムの丘のタクシー用駐車場で客待ちしているのは新しい車種が多くて言い値も高め。
運転手おにいちゃんの一人に「30エジプト・ポンド!」と言われて立ち去ろうとしたら、通りかかった古いタクシーの運転手さんが「オレは安くするぞ!」
…で、≪死者の町(北の墓地)≫の≪スルタン・バルクークのハーンカー≫近くまで10エジプト・ポンド。(*^^)v -
ムカッタムの丘の北側からイスラム地区の東側一帯は、≪死者の町(北の墓地)≫と呼ばれる中世から続く墓地。マムルーク朝(1250〜1517年)のスルタンや身分の高い人々もここを墓所として選んだのだそう。
墓所の合間には美しいドームを持つマスジド(礼拝所、小型のモスク)やハーンカー(スーフィーの修道場)が多数あって独特の景観。
≪死者の町(北の墓地)≫と言っても、墓地だけが延々と続いているわけではなく、ガイドブックで紹介されているような≪スルタン・バルクークのハーンカー≫から≪カーイトゥベーイのマスジド≫あたりのスルタン・カーイトゥベーイ通りに沿った道筋は、現代を生きる人も住む地区になっています。
≪スルタン・バルスバイのハーンカー≫あたりの路地裏には野犬がいたので要注意。
飼い犬と違って、痩せこけて獰猛な顔付きの犬に激しく吠えられながら付いて来られ、かなり怖い思いをしたSUR SHANGHAI。(@_@;)
結局は吠え声を聞きつけて出てきた地元の人に追い払ってもらいましたが、これを読んだ皆さんは、あんまり人の気配が無い路地裏へは行かない方がいいかもです。 -
≪死者の町(北の墓地)≫で、大きく目立つ建物の一つは≪スルタン・バルクークのハーンカー≫。
これは、1411年にスルタン・バルクークの息子ファラジによって建てられたらしい。
ハーンカーはスーフィの修道場で、ガーマ(モスク)と同じような外観。これまたSUR SHANGHAIには、その見分け方が分からない。(~_~;)
この≪スルタン・バルクークのハーンカー≫は2階からの眺めがいいらしいので、SUR SHANGHAIが入って行ったら、そこの警備員さんらしい人からダメ!の指図。
どうして? と聞いても、明確な答えなし。
工事中? それとも何かの儀式の集まり? 何だったんだろ。残念だけど、中も2階も見学は出来ず。 -
≪死者の町(北の墓地)≫の≪スルタン・バルクークのハーンカー≫から南に伸びる道はスルタン・カーイトゥベーイ通り。
そのスルタン・カーイトゥベーイ通り沿いには、著名なハーンカー(スーフィーの修道場)や墓地のほか、現代を生きる人々が住む町並みもあるので安心して歩けました。
これはその通り沿いにある≪スルタン・バルスバイのハーンカー≫を裏手の墓地から見た様子。
ドームに彫られたイスラム模様の浮き彫りがそれぞれ違って美しい。
墓地と言っても、明るく乾燥しきった風土の中では陰湿な感じがしない。
むしろあっけらかんとした風情なのは、後で行ったギザのピラミッドやルクソールの王家の谷とも同じ感じ。 -
≪死者の町(北の墓地)≫にある≪スルタン・バルスバイのハーンカー≫内部。
ここは1432年創建のハーンカー(スーフィーの修道場)。
スーフィーというのは、ウィキペディアによると、我執を滅却しイスラムの唯一神アラーとの合一を目指してさまざまな修行を積む人々のことらしい。
スーフィーについてもう少し詳しく知りたい方は、次のウィキペディアのページで見てみるといいですよ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%BC%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%BC
で、この≪スルタン・バルスバイのハーンカー≫内には、せっかくいい風情のランプが下がっているのに、蛍光灯が無粋だなあ。
入り口にいた管理人さんは、別に靴を預かってくれたわけでもないのに、寝転がったまま「バクシーシ!!」だって。(^^ゞ
聞こえなかった振りをしたSUR SHANGHAIは罰当たり? -
≪死者の町(北の墓地)≫にある≪スルタン・バルスバイのハーンカー≫内部。
規模は大きくはないので、歩き回ることも無く見終わります。
その一画には、カアバを取り巻いているマスジド・ハラームの絵が掛けてあった。
メッカ巡礼はここでも一生の大事。 -
≪死者の町(北の墓地)≫にある≪スルタン・バルスバイのハーンカー≫内部。
イスラム模様がちりばめられたステンドグラス。
日の光がここから差し込む時間帯には、きれいな光の束が見られそう。 -
≪スルタン・バルスバイのハーンカー≫周辺の≪死者の町(北の墓地)≫。
どの建物も砂色。
でも、現代を生きる人々が住んでいる建物の上にはパラポラ・アンテナが立っているので見分けがつきます。 -
SUR SHANGHAIはまずスルタン・カーイトゥベーイ通りを南の端っこまで行ってみます。
その途中にある民家の戸口では、おばあさんが一人SUR SHANGHAIに笑いかけてくれた。
おばあさん、お元気そうですね。おうちの色とマッチした服装がおしゃれですよ〜。(^◇^) -
一旦、≪死者の町(北の墓地)≫のスルタン・カーイトゥベーイ通りを南端まで通り抜けてみた。
この旅行記の出だしの≪スルタン・バルクークのハーンカー≫あたりからだと1kmくらい。
それでもまだまだ迷路のように続く墓地と、そこを縫うように通る車道と路地。
う〜ん、路地歩きは好きだけど、ここから先は民家も無いような感じだし、またこんな所でさっきのような野犬に出くわしたら怖い。(@_@;)
ここはおとなしく、またスルタン・カーイトゥベーイ通りへ戻って、その道筋を見て行きます。 -
上に出した画像の道から引き返すことにしたSUR SHANGHAI。
振り向くと、墓地も廃墟も現代の住民がいる住居も混じる≪死者の町(北の墓地)≫の一画。
ゴミだらけの道の奥に見えるのは、スルタン・カーイトゥベーイ通りへと戻る門で、その名もスルタン・カーイトゥベーイ門。 -
イチオシ
スルタン・カーイトゥベーイ通りの南端にあるスルタン・カーイトゥベーイ門。
その門をくぐろうとしてふと感じた視線。
見上げると、洗濯物を盛大に干した窓から女性が一人SUR SHANGHAIを見つめていた。
東洋人の女がこんな所でカメラを持って何をしてるんだろ、と思われたかも。(~_~;) -
イチオシ
スルタン・カーイトゥベーイ門をくぐって、スルタン・カーイトゥベーイ通りに戻ったSUR SHANGHAI。
窓辺の女性は、洗濯物が乾いたかどうかチェック中らしい。
お天気がいいから、パリッと乾いたんじゃない?
そんな≪死者の町(北の墓地)≫の町並みの向こうに見えるドームは、≪カーイトゥベーイのマスジド≫。
マスジドもガーマと同じようにモスクを意味するらしいんですが、マスジドは規模が小さい近所の礼拝所的なモスクのことのようです。 -
これが≪カーイトゥベーイのマスジド≫で、1474年建立。
カーイトゥベーイは、アレキサンドリアの要塞などを造った人物。
そういえば、イスラム地区南端のガーマ・アフマド・イブン・トゥールーンに行った時には、その近くに≪カーイトゥベーイのサビール・クッターブ≫もあったっけ。外壁の装飾がそっくりだぁ。
この≪カーイトゥベーイのマスジド≫は、カーイトゥベーイの作品中でも傑作と呼ばれ、マムルーク朝を代表する建物なんだそう。
ただし、この日はフェンスが閉まっていて、中の見学は出来ずじまい。がっかり。 -
≪カーイトゥベーイのマスジド≫のあたりの≪死者の町(北の墓地)≫には、別のドームも現代の住居に混じって見え隠れする不思議な眺め。
さ、SUR SHANGHAIはまたスルタン・カートゥベーイ通りを≪スルタン・バルクークのハーンカー≫方向に北上して行きます。 -
≪死者の町(北の墓地)≫を通るスルタン・カートゥベーイ通り沿いの民家の壁。
人物像のポスターは選挙用? -
≪死者の町(北の墓地)≫に限らず、あちこちの民家の出入り口で見かけたのは、壁にペタペタと押された手形。
血の色の手形だから、何となく怖い。
魔除けか何かの意味があるのかな。 -
また≪スルタン・バルスバイのハーンカー≫あたりに戻って来たSUR SHANGHAI。
最初に≪死者の町(北の墓地)≫に着いた時には、このあたりの路地裏で野犬に出くわして怖かった。
でも、スルタン・カーイトゥベーイ通りの一本だけ裏手にある≪リファーイーの墓≫くらいは見ておきたかったので、へっぴり腰で前進。
瓦礫も混じる≪死者の町(北の墓地)≫の中に見えるドームが≪リファーイーの墓 16世紀建立≫。 -
≪リファーイーの墓≫あたりから見えたドームを持つ墓所群。
またその辺からさっきの野犬が出てくるんじゃないかと思うとビクビク。((+_+))
そういう時って、写真もうまく撮れない…。(−−〆)
これらの墓所は、手前から≪ザブア・バナートの墓 1450年建立≫、≪イマーム・バルスバイの墓 1456年建立≫、≪イマーム・スライマンの墓 1544年建立≫、≪アスフールの墓 1506年建立≫と続くんですが、これらの路地裏には行かないことにしたので、アップの写真はありません。
それにしても、向こうに見えるあのやけに背の高い火の見櫓的な塔は何だろう。
今にも倒れてきそうに弱々しい骨組みで、これも怖い。 -
≪スルタン・バルバークのハーンカー≫から今度はアハメド・イブン・イナル通りに回り込むと、そこにあったのは軍人さんたちを祀る現代の墓地。
入り口の所からちょっと敷地内を覗いてみると…、 -
…そこは公園風に整備された緑の多い墓地だった。
この軍人さんたちを祀る現代の墓地は、≪死者の町(北の墓地)≫のほんの一画とは言え、奥の方は一目では見渡せない規模。 -
アハメド・イブン・イナル通りを北上して行くと、サラーフ・サーリム通り方向にガーマ(モスク)らしき建物が見えた。
そのドームもミナレットもちょっと不思議なデザイン。
新しく建てられたガーマかな。 -
≪死者の町(北の墓地)≫のアハメド・イブン・イナル通りにある建物のうち、大きくて見応えがあるのは≪クルクマーサのガーマ≫と≪スルタン・イナルのハーンカー≫。
この画像は、1507年建立という≪クルクマーサのガーマ≫。
修復が行われているので外側のみの見学。
傾きかけた午後の光を浴びたドームやミナレットが美しい。 -
アハメド・イブン・イナル通りにある≪スルタン・イナルのハーンカー≫の外回りを見て、≪死者の町(北の墓地)≫の見学を終えたSUR SHANGHAI。
まだ午後の2時を回ったばかりだけど、夕暮れが近い感じの光になってきたし、ここまでで引き上げるのが正解かもね。
いくらSUR SHANGHAIでも、ただでさえ人の気配が少ない墓地の真っ只中に暗くなるまでいるのは避けたい。
また野犬に出遭ったらなおさら怖いし。
で、ハーン・ハリーリまで行ってもらおうとタクシー待ち。
そこで止まった一台のタクシーの運転手さんは、ムカッタムの丘で、「≪死者の町(北の墓地)≫まで30エジプト・ポンド!」と言ったおにいちゃんだった。(−−〆)
SUR SHANGHAIもそのおにいちゃんも苦笑い。(^^ゞ
今回も別のタクシーが来るまで待って、SUR SHANGHAIはハーン・ハリーリへ近くのガーマ・アズハルへ。
距離もさほど無いので、10エジプト・ポンドしなかったと思います。 -
ハーン・ハリーリやフセイン広場がそばにある賑やかなアズハル通りまでやって来て、生き返った気分になったSUR SHANGHAI。
普段はあんまり人混みは好きじゃないけど、静か過ぎるくらいの墓地見学の後は、ホッと一息。
これは、アズハル通りに面したガーマ・アズハルの入り口。
ここでは入場の時にベールを貸してくれました。 -
ガーマ・アズハルの創建は970年という歴史の古さ。これはガーマ・アズハルの中庭。
ミナレットが5本もあるんですが、SUR SHANGHAIにはとても一緒には撮れないのでパス。
お隣にはアズハル大学もあって、現存するイスラム世界最古の最高学府なんだそうです。
向こうに見えているのはミナレットではなくて、アズハル大学の時計塔だったと思います。 -
さて、昨日に続いて戻って来たハーン・ハリーリのムイッズ通り。
ハーン・ハリーリあたりの様子は前日の旅行記にまとめたので、この編では≪スルタン・バルクークのマドラサ≫あたりからのご紹介。
ムイッズ通りの奥に見えている建物は、サビール・クッターブ・アブドル・ラフマーン・ケトフダー。 -
ムイッズ通りにあるサビール・クッターブ・アブドル・ラフマーン・ケトフダーを見上げる。
小さいながら、夕日を浴びた外壁の装飾がきれいな建物。
サビール・クッターブと言うのは、共同井戸(サビール)と子どもの初等教育の場(クッターブ)が一緒になった建物。
イスラム社会古来の独自の公共施設ということで、イスラム地区には今もたくさん残っているようです。
このサビール・クッターブ・アブドル・ラフマーン・ケトフダー内部は見学しませんでしたが、前日イスラム地区の南端を歩いていて見つけたカーイトゥベーイのサビール・クッターブは中も見学させてもらいました。
内部の様子を知りたい方は下記の旅行記をご参照下さい。
★エジプト記(3) −イスラム地区 ガーマ・アフマド・イブン・トゥールーンのあたり
http://4travel.jp/traveler/casa/album/10451254/ -
午後の3時半が近づくと、早くも街灯が点った場所もあったムイッズ通り。
ミナレットや建物の屋上部分が黄金色に染まり始めた夕暮れの始まり。 -
ムイッズ通りの北の外れにあるのはガーマ・ハリーファ・イル・ハーキム。
壁を照らす光の具合がいいなあ。惚れ惚れ。
場所的にもキリがいいし、このガーマで今日の見学は終わりにしようっと。
歩くのは好きなSUR SHANGHAIもここ数日は歩きすぎて脚がパンパン。 -
イチオシ
ガーマ・ハリーファ・イル・ハーキムに入る。
黒い垂れ幕の向こうの磨き上げられた大理石の中庭、規則的に並ぶアーチ、そしてそこかしこに散る人影が劇場で見る舞台劇の一場面のよう。
思わず息を呑んで立ち止まる。 -
ガーマ・ハリーファ・イル・ハーキムの中庭に入って、その泉亭とミナレットを見る。
このガーマは、1013年に建立されたようですが、その後は牢獄や要塞として使われた時代もあって、現在見られるこの建物は20世紀になってから再建されたのだそう。
道理で中庭の大理石がツルツルピカピカ。
ミナレットの形が、ずいぶん他のガーマのものと違う。何だかミステリアスな謂れがありそう。 -
ガーマ・ハリーファ・イル・ハーキムを囲む外壁にこの日の夕暮れが迫る光。
その光に照らされて浮かび上がる陰影と空の青。
夕暮れ間近の光って、どこで見てもいいなあと思う。 -
ガーマ・ハリーファ・イル・ハーキムの外壁の一辺は、昔のカイロの北側を囲んでいた城壁の一部にもなっていた。
この画像の城門は、その城壁に造られたフトゥーフ門を城壁内側から見た様子で、ガーマ・ハリーファ・イル・ハーキムのすぐお隣。
ここがムイッズ通りの北の外れにもなっています。
昔のカイロを取り囲んでいた城壁に残る城門の内現存するのはこのフトゥーフ門のほかにはズウェーラ門とナスル門。
ズウェーラ門はムイッズ通りの南の外れに造られた城門で、ムイッズ通りの北の外れのこのフトゥーフ門までは2kmたらず。
ナスル門は、フトゥーフ門のあるこの城壁の続きにありますよ。 -
ムイッズ通りの北の外れにあるフトゥーフ門の外側に出てみる。
ムイッズ通りの南外れにあるズウェーラ門と比べると、一層がっちりどっしりした風情。
フトゥーフが征服という意味だというのが、その姿から納得できる。
ズウェーラ門とも比べて見てみたい方は、下記の旅行記も併せてご覧ください。
★エジプト記(4) −イスラム地区 ガーマ・スルタン・ハサンからハーン・ハリーリへ歩く
http://4travel.jp/traveler/casa/album/10451358/ -
フトゥーフ門の外側を通るバンハーウィ通りとムスタファ・タラアト通りの角に立って、フトゥーフ門から続く西側の城壁を見る。
画像左端がフトゥーフ門の一部。
こうして見ると、ムイッズ通りの北端にあるこの城壁は現存している部分がずいぶん長い。
これまでに見た中国の西安や平遥の城壁を連想してしまったSUR SHANGHAI。 -
フトゥーフ門の外側を通るバンハーウィ通りとムスタファ・タラアト通りの角に立って、フトゥーフ門から続く東側の城壁を見る。
画像右寄りに立つ塔は、ガーマ・ハリーファ・イル・ハーキムのミナレット。こうして見るとその特異なスタイルが一層目立つ。
この城壁の一番外れにちょっとだけ見えているのがナスル門。この後行って撮ったらすっかり逆光だったので画像はボツ。(−−〆)
フトゥーフ門とも負けず劣らずいかつい姿の門でした。
これまでに見たズウェーラ門、フトゥーフ門、ナスル門とも、現存する姿は11世紀に再建されたものだそうです。
この後は無事にタクシーも拾って、宿になったラムセス・ヒルトンへ。料金交渉後、15エジプト・ポンドくらいだったと思います。 -
歩き疲れてラムセス・ヒルトンに戻った後は、食事をしにまた出るのも億劫になったSUR SHANGHAI。
この日は、エジプトの国民食のコシャリをお持ち帰りしてホテルの部屋で食べてみます。
コシャリは短く細いスパゲティとマカロニ、ご飯、それにレンズ豆やヒヨコ豆をお皿に盛り、その上にタアレーヤ(サクサクに揚げたオニオン・スライス)をトッピング、さらにその上にトマト・ソースをかけた食べ物。好みに合わせて、酢やチリ・ソースで味を調えながらいただきます。お持ち帰りもOK。
左の画像は、ラムセス・ヒルトン近くのコシャリ屋さん。外から見ると、お持ち帰り用のプラスチック容器が積まれていたり、金属製の鍋に上記の具材が盛り上げられているので、コシャリのお店だと分かります。
お持ち帰りの注文の方法は、まずレジでお会計。
テイク・アウェイと告げた後で、カップの大小を選びます。このお店では掌サイズの小さいカップが2エジプト・ポンド。
支払いが済むとトークンをくれるので、今度はそれを盛り付けのおじさんに渡すとカップに上記の具材を入れてくれました。
勝手知った人なら、この時にレンズ豆を多くしてなどの注文も付けるんだそうですが、SUR SHANGHAIは初めてだったので盛り付けのおじさんにお任せ。
カップはふたも出来るカップ麺風のプラスチック容器なので、中身はこぼれません。
あとは使い捨てのスプーンと、酢やチリソースの入ったビニールの小さい袋も持たせてくれました。
お味の方は、ご飯も豆も入ったトマト・ソース味パスタと言った感じ。
ちょっとお腹が空いた時には量もちょうどいいし、味も悪くないと思いました。
具材は入れた順番の層になっているので、最初によくかき混ぜるのが○だと思います。 -
ラムセス・ヒルトンのナイル・ビューの部屋から見たナイル西岸方向のカイロ市街地。
この部屋に泊まるのはこの日で4泊目でも、初日は夜になってからの到着、2,3泊目は夕暮れ過ぎに部屋に戻っていたから、この部屋からの夕景はまだ見ていなかった。
あ、雲も出ていないし、この分だときれいな夕陽が見られそう。(^^♪
この画像で見えている橋は、ナイル川に架かるシッタ・オクトーバー橋。
あれ?4時半を回ったばかりなのに車があんなに渋滞。
画像中央奥の塔は、ゲズィーラ島のカイロ・タワー。 -
ラムセス・ヒルトンのナイル・ビューの部屋から見たナイル川に架かるシッタ・オクトーバー橋。
午後の4時半を回ったばかりなのにナイル東岸に来る側の車線も、ナイル西岸に行く側の車線も大渋滞。
盛大に鳴らされるクラクションの騒音が部屋のベランダにまで響いてくる。
エジプトは古代文明の国の面ばかりが強調されて宣伝されているから、現代化への道を進んでいるカイロのこんな都市の側面を垣間見てしまうとびっくりする。 -
イチオシ
ああ、カイロの夕暮れだね。
空を夕暮れ色のグラデーションに染めて、この日の太陽が西を目指して落ちていく。
ゲズィーラ島のカイロ・タワーも黒いシルエット。
あれ? 左手の遠くに見えているあの二つの三角形って、ギザのピラミッド、だよね。(◎o◎) …と一人驚くSUR SHANGHAI。
この角度からだから、左手がカフラー王のピラミッドで、右手がクフ王のピラミッド、かな?
こんな夕暮れの景色の中、このラムセス・ヒルトンの部屋からギザのピラミッドが見えるとは思っていなかった。
今日は部屋でのんびりすることに決めてラッキー!(^◇^) -
ナイル西岸にあるギザのピラミッドの遠いシルエット。
それよりもさらに西を目指す夕日。
現代のカイロの街並みやゲズィーラ島のカイロ・タワーにネオンが点る前のシルエット。
カイロの今昔が同居する夕暮れだ。 -
イチオシ
ラムセス・ヒルトンの部屋から見た夕暮れと夜の狭間のカイロ市街地。
夕日もギザのピラミッドも夕闇の底に沈んで、これからは現代のカイロの街にネオンが点く時刻。
ナイル川が濃い色になって闇に紛れると、今度はゲズィーラ島を横切ってナイル西岸に続くシッタ・オクトーバー橋の灯りが一筋の流れに見える。
何となく切ない眺めだね…。一人溜息、ふう〜。
明日のSUR SHANGHAIは、エジプト考古学博物館を訪れた後、旦那と落ち合う予定のカイロ・シェラトン・タワーズ&カジノへと移動します。
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