2009/12/10 - 2009/12/10
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SUR SHANGHAIさん
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前日、ルクソールからアスワン入りしたSUR SHANGHAIとその旦那。
アブ・シンベル訪問は翌日に予定しているので、この日はアスワン近郊と市内の見所を回ってみようと思います。
自分たちのペースで見てみたいと思っているので、ツアーに参加するよりは…と、自分たちでタクシーを雇って行ってきま〜す。(@^^)/~~~
いざ、この日の目的地のイシス(フィラエ)神殿、切りかけのオベリスク、ヌビア博物館へ!
今日は何が待ってるだろう。
表紙の画像は、アギルキア島(フィラエ島)にあるイシス(フィラエ)神殿で見つけたエジプト古代美女の浮き彫り。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 船 タクシー 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
この日は、アスワンの市の中心から近郊のイシス(フィラエ)神殿、切りかけのオベリスク、ヌビア博物館を巡るため、タクシーを雇ってみたSUR SHANGHAIとその旦那。
もちろんツアーに参加することも出来るんですが、自分たちのペースで回りたい方にお勧めです。
流しのタクシーのおじさんと上記のルートの運賃を交渉し、60エジプト・ポンドの後払いで行ってもらいました。画像がそのタクシー。
注: 上記のお値段が高いかどうかまでは分かりません。あくまでもSUR SHANGHAIたちの経験です。
この時の運転手おじさんはスピードは出さない安全運転でよかったと思います。 -
アスワンのの中心からイシス(フィラエ)神殿への船着場までは20数分ほど。タクシーは船着場前の駐車場で待っていてくれます。
イシス(フィラエ)神殿は、アスワン・ダムとアスワン・ハイ・ダムの間のナイル川に浮かぶアギルキア島(フィラエ島)にあるので、ボートを使って訪問。
船着場手前にあるこんなブースでまずイシス神殿のチケット(50エジプト・ポンド)を買って先に進むと、ボートも客引きさんも多数待機していました。
●イシス(フィラエ)神殿でも、夕方から夜にかけて≪音と光のショー≫があるらしく、チケット売り場にスケジュールが出ていました。
09年12月中旬現在、月〜日曜日の毎日18:30と19:45分開始。
木、金、日曜日はそれにプラスして21:00開始のショーもありました。
見てみたい方は事前に最新情報を仕入れて行くといいと思います。 -
イシス(フィラエ)神殿があるアギルキア島へ渡るボートが並ぶ船着場。
ヌビア人のおにいちゃんやおじちゃんがお土産を売っていたり、ボートの客引きをしていたり。
ボート料金は交渉が必要。
SUR SHANGHAIたちは一時間ほどの見学時間を含む往復で50ポンド。
(このお値段が高いのかどうかまではわかりません。)
この時のボートを決めた旦那曰く、「ボラれるって言ったって、ものすごい大金じゃないんだし、旅先くらいではストレスが無い方がいい。」
うんうん、それも一理あり。 -
SUR SHANGHAIたちが乗り込むと、「さあ、舟を出すぞ〜!」
長衣のヌビア人のおにいちゃんたちが出発準備をしてくれた。 -
イチオシ
SUR SHANGHAIたちの舟の出発を手伝ってくれたヌビア人のおにいちゃんたち。
あ、手前のおにいちゃん、危なく水に落ちるところだったね、ヒヤヒヤ。(^^ゞ
ヌビアと言うのは、ナイル川上流地域を指す名前。
そこに元々住んでいたヌビアの人々は黒人系だったのが、アラブ系などとの混血が進み、さらに14世紀にはイスラム教のマムルーク朝に征服されたと言う歴史を持つ人々のようです。
アスワンで見かけた限りのヌビアの人たちは、手足が長くてすらりと長身。
肌の色が濃くて髪の毛が縮れているので、これまでにルクソール以北で見てきた人々とははっきりと異なる風貌。 -
さあ、船着場を離れたボートはイシス(フィラエ)神殿があるアギルキア島(フィラエ島)へ。
-
アスワン・ダム近くにある船着場からアギルキア島(フィラエ島)へは、こんなボートで10分くらい。
スピードは出さないので安心。
この船頭おじさんもヌビアの人。
おじさん、よろしくです。(^◇^) -
イシス(フィラエ)神殿があるアギルキア島(フィラエ島)へ渡る途中で最初に目にするのはアスワン・ダム。
知らずに見たら、船着場に沿った堤防のよう。(^^ゞ
ボートは、アスワン・ダムとアスワン・ハイ・ダムに挟まれたナイル川を遡って行きます。
この上流にあるアスワン・ハイダムは、このあたりからだとアギルキア島(フィラエ島)やナイル東岸の陰になるので残念ながら見えません。 -
船着場を後にして、ナイル川をアギルキア島(フィラエ島)へと遡るボート。
ほんの10分くらいの距離だけど、普段の生活ではボートに乗ることが無いからワクワクドキドキ。 -
アギルキア島(フィラエ島)が近づいて、イシス(フィラエ)神殿が見えてきた。こういうアングルから見る島の遺跡っていい雰囲気。
実はこの神殿は元々この島にあったわけではなく、アブ・シンベル大神殿と同じようにアスワン・ハイ・ダムの建設によって水没する運命にあったフィラエ島から、隣のこのアギルキア島へと移転されたのだそう。
イシス(フィラエ)神殿は、アブ・シンベル大神殿とともに、ヌビア遺跡群の一つとして1979年に世界遺産の文化遺産として登録された場所。
その移転工事は1980年に完了したようなので、アスワン・ハイ・ダム落成から10年後のこと。
元々のフィラエ島があった場所は、帰りのルートで見ることが出来ますよ。 -
ボートに乗り込んでから10分くらいでアギルキア島(フィラエ島)に到着。南北に細長い小島で、船着場は島の西側。
主な見所も島の西側に集中しています。
船頭おじさんと待ち合わせ時間を確認したら、あとは自由に島内を見て回れます。
アギルキア島は手頃なサイズ。1時間あれば十分見て回れますよ。 -
アギルキア島(フィラエ島)に上陸して、たった今ボートでやって来た方向を見る。
同じようにナイルを遡って来るボート。やっぱりこの島へ来るのかな。 -
アギルキア島(フィラエ島)の船着場からイシス(フィラエ)神殿の第1塔門までは石柱がずらりと並ぶ外庭。
柱頭のパピルスの花は咲いているようだから、開花式柱頭になるのかな。
結構凝ったデザインで、古代ギリシアのコリント式柱頭のようにも見えてくる。
ここでは古代エジプト末期王朝時代からローマ支配時代までにさまざまなスタイルの神殿が建てられたようだから、その影響もあるのかも? -
イチオシ
イシス(フィラエ)神殿の大塔門へと誘う列柱。
朝にはその通路に柱の影がずらり。
きれいな縞模様。 -
これがアギルキア島(フィラエ島)のイシス(フィラエ)神殿の第1塔門。
これまでに見てきたルクソールやエドフの神殿の塔門と類似した台形の門。
でもずっと小振りなので、女神イシスに捧げられた神殿にふさわしい可愛らしさ。
イシス神(死者の保護者)は、オシリス神(冥界の神)の妻で、ホルス神(天空の神)の母。
神話では、元々の神殿があったフィラエ島で、ホルス神を生んだとされています。 -
午前10時頃はちょうどたくさんの観光客が訪れる時間帯で、小さな神殿内は大賑わい。
ちょっと外に出てみると、イシス神殿とはまた別の神殿や礼拝堂の遺跡も並ぶアギルキア島(フィラエ島)。
映画のセットみたい、なんて言ったら罰当たり。 -
死者の保護者であり、ホルス神の母であるイシス神に捧げられたこのイシス(フィラエ)神殿は、細部の浮き彫りや柱頭の彫刻がきれい。
イシス神やホルス神以外の題材の浮き彫りも多数。
内部の壁はライトアップされているので、自分好みの絵柄の浮き彫りを見つけてみるといいですよ。
ヒエログリフが縦に並べてあったり、右の浮き彫りは束ねられたパピルスの花? -
イチオシ
小さなイシス(フィラエ)神殿の中にもたくさんのエジプトの神がいた。
左の女神は、ライオンの頭を持ったセクメト神かな。
太陽神ラーの左目から生まれたセクメト神はファラオの守護者。
右の女神は、これまでにもあちこちで見てきたハトホル神?
ハトホル神なら、イシス神の息子のホルス神の奥さんだけど、この像の頭飾りはちょっと違うような、と思ったら、これはこの神殿の主役のイシス神のようです。
お姑さん、失礼いたしました〜。 m(__)m -
ホルス神を生んだイシス神に捧げられたイシス(フィラエ)神殿だけあって、二人を題材にした浮き彫りが多数。
子ども時代のホルス神に乳を与えている図柄があったり、オシリス神+イシス神+ホルス神のファミリー浮き彫りがあったり。
これはそんな題材の一つで、羽を広げたイシス神に守られた大人のホルス神なんだそう。
う〜ん、母性愛の象徴とも言えるし、マザコンの元祖かも?(^◇^)
顔部分が無くなっているのは、後世のキリスト教徒たちに破壊されたのかも?
エドフのホルス神殿にも、後からやって来たキリスト教徒によって削り取られたという浮き彫りがたくさんあったっけ。 -
この画像の浮き彫りはちょっと不思議、と思ったSUR SHANGHAI。
右側はイシス神のようなんですが、左側にいる男性が誰なのかがわからない…。
冠の形で見分けようと思ったら、下エジプト支配者がかぶるデシュレトという形の冠で、旦那さんのオシリス神や息子さんのホルス神の冠と違うみたいなんです。
親しげに手を取り合っているこの2人の関係は?
う〜ん、古代の謎。(-"-) -
イチオシ
イシス(フィラエ)神殿内には、イシス神に仕える女神たちなのかどうか、古代エジプト美女の浮き彫りも多数。
若々しい肢体と謎の微笑を浮かべた横顔、細かく編まれたらしい豊かな髪に着けた飾りが美しい。 -
小さいながら、きれいな浮き彫りが見応えありの神殿だったね、と言いながら出てくると、落書き(楽彫り?)がたくさんあるイシス(フィラエ)神殿の壁を見てしまった。
名前の横には、ご丁寧に訪れた西暦らしき数字や月の名前まで彫ってあるし…。(−−〆)
ここで見えているのは、1800年代のものらしき落書き。
もはや遺跡の一部とも言えるかも。(~_~;)
これは、これまで行った遺跡や、この翌日行ったアブ・シンベル大神殿でも同じでした。
自分の名前を訪れた場所に残そうと思うのは、古今東西の人類の本能? -
イシス(フィラエ)神殿外側には、イシス神の息子(ホルス神)の奥さん(ハトホル神)の姿もありました。
2人の古代エジプトの女神の間には、嫁姑の確執はあったのかどうか気になるSUR SHANGHAI。(^^ゞ
この柱の上のお顔はイシス神ではなくて、ハトホル神とのことで、その名もハトホル柱と言うんだそうです。 -
イシス(フィラエ)神殿外側で見つけた石材の一つ。
元は壁の一部だったのか、柱の一部だったのか…。
あれ? この浮き彫りになった像は、古代エジプトの神様や人物像とはずいぶん違う感じ。
後で調べてみたら、このヌビア地方を起源とするベスという神様に似た風貌。もしベス神なら舞踊と戦闘の神様らしいんですが、あんまりもてはやされずに終わってしまったようです。
下記のウィキペディアのページに、ベス神について簡単な記述と画像があるので、興味のある方はどうぞ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%82%B9 -
アギルキア島(フィラエ島)から見たナイル川東岸方向。
アスワン・ダムとアスワン・ハイ・ダムに挟まれた部分のナイル川で水はたっぷりあるのに、草木が生えているのはほんの岸辺だけ。
たくさんの水に囲まれながら渇きが癒やせないでいるような風景。 -
イシス(フィラエ)神殿の見学を終えて出口近くに戻ってくると、気持ちのいい木陰にお土産屋さんがあります。
エジプトの観光地のお土産屋さんでは、客引きさんの押し売りにうんざりしたりしますが、ここは客引きさんが穏やかで、ゆっくり品定めが出来るのでお勧め。
エジプトのどこでも見られるお土産品のほか、ここではヌビア調デザインと色使いのネックレスが素敵。ネックレスは一つ20エジプト・ポンド台からのお値段。同じデザインでも色違いがいくつもあるので目移りしそう。
お土産屋さんのほかに簡単なカフェやトイレもあるので、ここで一休みして行くのもいいと思います。 -
待ち合わせをしていたボートのおじさんも無事に見つけて一安心。
帰りのボートは、来た時とは反対に、アギルキア島(フィラエ島)の東側を回っていきます。
ちょっと離れた水面から黒い杭のようなものがいくつも出ているのがこの画像で見えています。
ボートのおじさんの話によると、元々のイシス(フィラエ)神殿があったフィラエ島の場所なんだそう。
アスワン・ハイダム建設によってそれまでより高い場所に移転させられた神殿と言うとアブ・シンベル大神殿が有名ですが、アスワン近郊のこのイシス神殿もそうだったというのを改めて思い出しました。 -
アギルキア島(フィラエ島)見学が終わって元の船着場へ戻る時には、島の反対側(東側)を通って行くので、イシス神殿外側にあるトラヤヌス帝のキオスクも別の角度から見られます。
これらの画像で見えているのがトラヤヌス帝のキオスク。
上段の画像だと、その後ろにイシス(フィラエ)神殿の一部も見えています。
トラヤヌス帝のキオスクは、元々は休憩所兼船着場として造られ始めたんだそうですが、未完成に終わってしまったんだそう。 -
帰りは15分くらいかけて、最初の船着場へ。
イシス(フィラエ)神殿自体もよかったし、往きと帰りでちょっと違った景色も見られて、満足満足。(^^♪ -
最初にアギルキア島(フィラエ島)に向かった船着場近く。
おじさん、ボートを岸に引き上げて、これからお昼?
アスワン市内から雇ったタクシーの運転手おじさんとも無事に落ち合って、お次の≪切りかけのオベリスク≫へとコマを進めるSUR SHANGHAIとその旦那。 -
≪切りかけのオベリスク≫があるのは、アスワンの市の中心から南へ1kmほどの花崗岩の丘。
イシス(フィラエ)神殿へのボートが出る船着場からだと、切りかけのオベリスクの入り口までは車で15分ほど。
石切り場の丘の麓に駐車場とチケット売り場があります。駐車場のフェンス越しにも石切り場の様子が見えるんですが、やはり入場して近くから見てみるのがお勧めです。
チケットは30エジプト・ポンドでした。 -
≪切りかけのオベリスク≫がある丘は、全体が古代の石切り場だったようで、≪切りかけのオベリスク≫以外にも石を切り出した跡が無数に残っています。
丘自体は低くて30分もあれば見終わる規模。日を遮る物が何も無いので、酷暑の時期には紫外線対策や熱射病対策が必要になると思います。飲み物もお忘れなく。 -
≪切りかけのオベリスク≫は18〜19王朝時代のもので、重さは1,170トン、高さは40m超。
切り出し途中でひび割れが出来てしまい、それ以後未完成で放置されているんだそうですが、出来上がっていれば世界一大きいオベリスクだったんだそう。 -
≪切りかけのオベリスク≫のてっぺん部分から見下ろした様子。
斜面にあるので、この位置から見るとオベリスクの一番下まではよく見えません。
木のくさびを使ってこの巨大な花崗岩を切り出していたって言うけど、それだけでこんなに深い溝状に切り出せるんだろうか…。(・・?
う〜ん、これも古代の謎だ…。 -
≪切りかけのオベリスク≫の下方から、全体を見上げる。
こうして見ると、オベリスクのてっぺん近くに集まっている人たちと大きさが比較できると思います。
斜面を使って切り出していたのは、あとで持ち上げやすくするためかな。
残念ながら、その一枚岩に亀裂ができているのがくっきり。
この亀裂が出来たのを知った時、切り出し工事に携わっていた人たちはどんなにガッカリしただろう。
ひょっとして、不成功に終わったことで罰も受けたのかも?(@_@;) -
≪切りかけのオベリスク≫がある花崗岩の丘の一部。
岩肌をよく見ると、くさびを打ち込んで岩を割った跡らしき傷があちこちに付いています。
神殿なんかに使う石材も、ここから切り出していたのかも。 -
≪切りかけのオベリスク≫がある丘の上からは、石切り場の敷地やイスラム墓地を挟んで、ヌビア博物館や新旧のカタラクト・ホテル(09年12月中旬現在工事中)のあたりの街並みも遠くによく見えます。
この画像だと、左奥がヌビア博物館、緑色のカバーをかけた四角い建物がカタラクト・ホテル(新)、そして右奥がコプト教の聖ミカエル大聖堂。
石切り場を見終わったら、あの辺りも見てみます。 -
さ、そろそろ≪切りかけのオベリスク≫がある丘を下りて、お次のヌビア博物館に移動。
観光地ではどこでも同じように、≪切りかけのオベリスク≫がある丘でも出口周辺にはお土産屋さんやトイレあり。
トイレ用のペーパーは持参すると憂い無し。(*^^)v -
タクシーの運転手おじさんに最後に行ってもらったのはヌビア博物館。
切りかけのオベリスクからだと5分ほど。
ヌビア博物館からは徒歩でアスワン市街地へ戻ったので、博物館入り口まで送ってもらい、そこでこの日のタクシー料金を支払いました。
おじさん、ありがとう。(@^^)/~~~
このヌビア博物館は、ナイル上流のヌビア地方の文化や文物の展示が見応えありの博物館。展示方法も新しく、内容も質が高いので、お時間がある方はぜひどうぞ。内部の撮影OK。
チケット50エジプト・ポンド。年中無休で21:00まで開館しているようですが、15:00〜16:00の間は昼休みになるようなのでご注意を。
ここのギフト・ショップにはヌビアの人々をモチーフにしたテラコッタ人形が売られています。コミカルな表情と色使いが楽しいので、チェックしてみるといいですよ。大きさによって20エジプト・ポンドから各種。 -
SUR SHANGHAIたちが行った時のヌビア博物館にはミイラの展示もあり、フラッシュを使用しなければ撮影も大丈夫でした。
カイロのエジプト考古学博物館内で写真が撮れずにガッカリした人は、ここで撮っていっては? -
ヌビア博物館の展示の一つ。
いつ頃のものだったのか年代は忘れてしまったんですが、僧侶の妻だったと言う女性のミイラ。
美しい装飾をまとって、ガラスケースの中に納められていました。
現代人と比べると小柄だったこの女性は、永遠の眠りを眠る。 -
ヌビア博物館の展示の一つ。
これは、ヌビアの人々の生活と集落を表したコーナー。
ヌビアと言うのは、上の方でも言ったように、ナイル川上流地域を指す名前。
そこに元々住んでいたヌビアの人々は黒人系だったのが、アラブ系などとの混血が進み、さらに14世紀にはイスラム教のマムルーク朝に征服されたと言う歴史を持つ人々のようです。
それを物語るかのように、アスワン周辺で見かけたヌビアの人々はムスリムが多いようでした。
この画像にも出ているように、ヌビアの人々の住宅は、外壁に独特の装飾がされていて印象的。
これとは別の旅行記で、エレファンティネ島のヌビアの人々の村と住居も紹介しようと思います。 -
イチオシ
ヌビア博物館の展示の一つ。
ヌビアの人々の住居の構造と、そこで暮らす人々の様子。
これは女性たちの部屋のようで、密やかな話し声が聞こえてきそうな雰囲気。 -
ヌビア博物館の展示の一つ。
あ、これと同じような形の塔は、コム・オンボの町の中で見かけたっけ。
これって一体何?と説明書きを見てみると、素っ気無く≪ビラールのミナレット≫とだけ書いてあった。
何のことかますます(?_?) モスクのミナレットのこと?
これだけは説明になっていない説明書きだった。(~_~;) -
思っていたより充実したヌビア博物館の外に出て、思ったより広い敷地内も歩いてみたSUR SHANGHAIとその旦那。
敷地からは新旧のカタラクト・ホテルが見えたり、今は使われていない葬儀用の建物や墓地もある変り種の博物館。
画像奥の赤い建物は、アガサ・クリスティも泊まった事で有名なオールド・カタラクト・ホテル(09年12月中旬現在補修工事中)
手前のストーン・ヘンジのような石組みは日時計だったかな。記憶力の悪いSUR SHANGHAIでごめんなさい。 -
ヌビア博物館裏手からは、イスラム墓地を挟んで切りかけのオベリスクがある古代の石切場もよく見えた。
さっきまで、あっちにいたのかと思うと不思議な気分。
この画像は、クリックして元画像で見てみると大きく表示されるので、もっとはっきり見てみたい方はどうぞ。
これでこの日の見学予定前半は終わり。
どこもそれぞれに見応えがあって、よかったよかった。(^^♪
このあとのSUR SHANGHAIとその旦那は、アスワン市街地に向かって歩いていこうと思います。
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