2009/12/08 - 2009/12/08
226位(同エリア946件中)
SUR SHANGHAIさん
- SUR SHANGHAIさんTOP
- 旅行記919冊
- クチコミ6827件
- Q&A回答49件
- 5,829,204アクセス
- フォロワー234人
今日は朝からナイル川西岸の見所を回ってみようと思っているSUR SHANGHAIとその旦那。
子どもの頃からその名を聞いてきたメムノンの巨像も王家の谷もこの西岸にあるから、いよいよルクソール本番の気分。
ツアーに参加するより、自分たちのペースで回ってもらうのがいいかもと思っているので、西岸に渡るボートと西岸を回ってくれる車を探してみます。
さて、その結果は?
表紙の画像は、マアバドゥ・ハーブー(ラムセス3世葬祭殿)に残っている柱の基部の一つ。浮き彫りの中には、ラムセス3世のカルトゥーシュも見えています。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 3.5
- ショッピング
- 3.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 船 タクシー
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
王家の谷などの遺跡が多いルクソールのナイル川西岸。
地元の旅行社のツアーに参加するという手もありますが、SUR SHANGHAIたちはナイル川遊歩道で客引きしていたおじさんの持ち船と車を雇って行ってみました。
ナイル川西岸で寄ったもらった場所を順に言うと、メムノンの巨像、マアバドゥ・ハーブー(ラムセス3世葬祭殿)、王家の谷、アラバスター工房、ハトシェプスト女王葬祭殿、最後にラメセウム(ラムセス2世葬祭殿)に寄って帰着。
船も車も新しく、貸切の形だったので、自分たちのペースに合わせて回ってもらえよかったと思います。朝9時半頃出発して、帰着は午後の3時半になりました。
2人合わせた料金は280エジプト・ポンド。これは帰着してから支払いました。
料金に含まれているのは、往復に使われた船と車代のみ。行った先でのチケット代などは自分持ちです。
行く先々で下車する時、どこで待ち合わせするのか確認しましょう。
チップ用のお金もいくらか取っておいて、運転手さんがいい人だったら最後に直接渡してあげるといいと思います。 -
客引きおじさんとナイル川西岸での行き先や料金交渉後、直ちに出発。
まずはボートに乗ってナイル西岸へ向かうボートに乗り込みます。
船着場はウィンター・パレス・ホテルの近く。
最後に乗り込んできた船頭さん。
その足元あたりに目をやると、こんな所にチェ・ゲバラの顔が描いてある。(◎o◎)!
この斜め上を向いた顔って、やっぱりどこでも人気があるのね。
…で、その横にはBOB MARLYっていう名が書いてあるんですが…。(~_~;)
ジャマイカ出身レゲエ・ミュージシャンのボブ・マーリーのつもりだったら綴りが違ってるし…。
これは見なかった事にしておきます。
ほんの数分の船旅で着いたナイル西岸でSUR SHANGHAIたちを待っていたのは、下の画像の車。
運転手おじさん、今日は一日お世話になります〜。m(__)m -
ナイル川西岸の遺跡を回る時、一番先に寄って行く遺跡はメムノンの巨像。
西岸の船着場からマアバドゥ・ハーブー(ラムセス3世葬祭殿)、王家の谷方面に向かって延びている車道脇に立っています。ここは見学無料。
ナイル西岸熱気球ツアーに参加すると、その姿が上空からもよく見えます。
その様子を見てみたい方は、下記の旅行記も併せてご覧ください。
★エジプト記(11) −ルクソールのナイル西岸上空を熱気球で http://4travel.jp/traveler/casa/album/10470577/
メムノンの巨像に立ち寄る人たちは、ほとんどが離れた所から正面だけの写真を撮ってすぐに次へと向かいますが、お時間がある方はぐるりと一回りしてみては? -
メムノンの巨像の周りを回ってみたSUR SHANGHAI。
像回りにはロープが張ってあって関係者以外は中に入れなくても、その外側からぐるりと見て回ることは出来ました。
まずは、向かって左側の像を観察。
元々メムノンの巨像はアメンホテプ3世の葬祭殿前に建てられたんだそうですが、葬祭殿の方は後に石材として運び出されて消滅してしまったとのこと。
以前は、吹き抜ける風の音や昼夜の温度差で石がきしむ音が歌のように聞こえていたのが、補修工事後はその≪歌声≫もしなくなったという謂れもあるメムノンの巨像。
ナイル川上流にアスワン・ダムやアスワン・ハイ・ダムが無かった頃は、ナイルの氾濫の時期にはこのメムノンの巨像の足元も水に浸されたんだそうです。
子どもの頃に上のような言い伝えを聞いて、荒野の真っ只中にある像のように想像していたら、舗装もきちんと出来た車道脇にあったのでちょっと拍子抜け。
図鑑の写真も荒野のど真ん中のような感じだったけどなあ。
でも、これでまた、いつか一度見てみたいと思っていた遺跡に会えた。ヽ(^o^)丿 -
メムノンの巨像を近くから見ると、ヒエログリフが刻まれていたり、ひび割れにたくさんのハトが巣作りしているのも分かります。
これは、向かって左側の像の台座。
向こうに見える補修関係者の人影と比べると、この台座だけでもその大きさが分かると思います。 -
こちらは、メムノンの巨像の内、向かって右側の像。
これは前から見ると分からないんですが、後ろから見ると台座の基部がぼろぼろ。(@_@;)
支え代わりの岩が置いてあるようにも見えるけど、そのうちに崩れてしまいそう。
そういえば、この像は積んである岩も風化が進んでいて、ハトのマンションになってました。
その糞でますます腐食が進むんじゃないでしょうか。 -
メムノンの巨像の内、向かって右側の像のアップ。
これは映画『スター・ウォーズ』に出てくるダースベイダーの子分のような顔をしているのも面白い発見。
ここに住むハトが顔の周りにたくさん止まっているのが、この画像では見えると思います。
車に戻って行くと、「メムノンの巨像で時間を取る人なんて初めて。(^◇^)」と言って笑った運転手おじさん。
でも、SUR SHANGHAIは、子どもの時からメムノンの巨像には何となく思い入れがあったのよね。(^^ゞ
…で、お次はマアバドゥ・ハーブー(ラムセス3世葬祭殿)へと回ってもらいます。 -
マアバドゥ・ハーブー(ラムセス3世葬祭殿)へと回ってもらう道筋の風景。
マアバドゥ・ハーブー(ラムセス3世葬祭殿)は、この画像だと左手方向。
すっかり乾いた景色の中の集落。
この集落も、この周辺の遺跡発掘のために移転させられるって聞いたような気がする。
もし、間違っていたらお許しを。m(__)m -
メムノンの巨像から車で2,3分。マアバドゥ・ハーブー(ラムセス3世葬祭殿)のチケット売り場は、道が王家の谷に向かって分かれる三叉路にありました。
このあたりの道は舗装されて平坦ですが、自転車などで行く方はそのチケット売り場をお見逃し無く。チケットは30エジプト・ポンド。
チケット売り場からマアバドゥ・ハーブーの入り口まではさらに500m位。
これは、銃を持ったガードマンさんに守られたマアバドゥ・ハーブーの入り口。
敷地は結構広く、一通り見て回って1時間ほどかかりました。 -
画像左手に見えている建物には、マアバドゥ・ハーブー(ラムセス3世葬祭殿)へ入っていく前に通るスキャンが入っています。
これはここだけに限ったわけではなく、他の観光地でも同じ事。
それに加え、ルクソールでは1997年にルクソール事件があったせいなのか、ほかの観光地よりも警戒が一段厳しいように思いました。 -
スキャンを通り抜けて、マアバドゥ・ハーブー(ラムセス3世葬祭殿)へと進んで行くと、まず見えてくるのは城壁のように堅固で高い壁。
これは昨日行ってみたカルナック神殿やルクソール神殿でも同じような造りで、この壁は第一塔門と呼ばれていました。
その壁には、左下の画像のようにラムセス3世が敵を討伐している姿が浮き彫りで残っています。
この第一塔門の奥に通じる通路は、中庭や列柱室、そして至聖所へと続いています。 -
マアバドゥ・ハーブー(ラムセス3世葬祭殿)内部に入る前に、第一塔門の右手を見ると、すっかり崩れた壁が見えた。
この聖なる場所をさらに守るための外壁だったのかも?
これにも保護の手を加えないと、土に返ってしまいそう。 -
マアバドゥ・ハーブー(ラムセス3世葬祭殿)の第二中庭あたりの建物は、天井や柱がよく残されていて、その表面の浮き彫りや彩色が見事な箇所も多かったと思います。
塗りたての頃は、ずいぶん色濃い眺めだったに違いない。
ちょっと葬祭殿という名前とは裏腹のような気もするけど…。 -
太陽が直接当たる部分の色は剥げてしまったマアバドゥ・ハーブー(ラムセス3世葬祭殿)の第二中庭あたりの建物。
神々と人々が近しい関係にあった古代エジプトの物語が延々と綴られているみたい。
こんな風に色の薄れかけた浮き彫りの方が、個人的には好きかも。 -
マアバドゥ・ハーブー(ラムセス3世葬祭殿)の奥へと向かう通路。
区画ごとに塔門で区切られているのが歴然。 -
マアバドゥ・ハーブー(ラムセス3世葬祭殿)の一番奥にある至聖所まで来て、入り口方向を振り返る。
ここの天井や柱は崩れ去ったらしくて、野ざらし状態。 -
マアバドゥ・ハーブー(ラムセス3世葬祭殿)の一番奥の至聖所に残る柱や彫像。
その姿も、今では半壊。
ここが完全だった時の様子が想像できないSUR SHANGHAI。 -
イチオシ
マアバドゥ・ハーブー(ラムセス3世葬祭殿)の一番奥の至聖所に残っていた柱の基部。
いろんな浮き彫りで飾られていますが、画像中央と上部の楕円形で囲まれているヒエログリフは、ラムセス3世のカルトゥーシュだそうです。
カルトゥーシュは、ヒエログリフで書かれたファラオの名を囲む楕円形の線のこと。
元々はロープで作った輪を表していたらしくて、その端っこの結び目まで直線になって楕円形にくっついています。
この画像では、画像上部のカルトゥーシュは横長、中央のものは縦長で彫られています。
ラムセス3世はエジプト第20王朝のファラオの一人。
後世のファラオによって自分の名が削り取られないように、深く彫らせたのだそう。
そう言えば、カルトゥーシュの中のアンク(エジプト十字)を持ってしゃがんでいる神像は、なるほどずいぶん彫りが深いようです。 -
イチオシ
マアバドゥ・ハーブー(ラムセス3世葬祭殿)の見学ももうすぐ終わり。
第一塔門の外側に小さい礼拝堂らしき建物があるのに気付いて入ってみたSUR SHANGHAI。
その壁に残る等身大の神々の姿がハッとするほど美しい。古代の世界に引き込まれそう。
左手の、ハヤブサの頭に日輪を載せているのは太陽神のラー神?
真ん中はウシの角と太陽円盤を頭に載せたハトホル神かな。
右手は、…う〜ん…。(?_?)
こういう時のために、エジプトの神々の説明付き図解を持参するといいかもです。 -
上記と同じ礼拝堂らしき建物内部にあった浮き彫り。
これは、このマアバドゥ・ハーブー(ラムセス3世葬祭殿)の主だったラムセス3世?
ファラオの皆様はどなたも同じ姿かたちと同じ顔立ちに見えてしまうので、SUR SHANGHAIには分かりませぬ。
この長く突き出した顎鬚って、本物を編んだ上から脂で固めていたんだろうか。
それとも付け髭? -
ナイル川西岸の見所の一つマアバドゥ・ハーブー(ラメセス3世葬祭殿)は結構敷地が広くて、見学の後でちょっと一休みしたくなります。
出入り口そばにカフェやお土産屋さんが数軒並んでいるので、ちょっと寄って行っては?
画像のMARATONGAと言うお店は2方向から風が通って爽やか。小さいながら居心地のいいお店でした。
飲み物は10エジプト・ポンド台〜。
お昼時には早すぎて食事はしなかったんですが、30エジプト・ポンド位からの料理もありました。 -
お次に向かったのは、言わずと知れた王家の谷。新王国時代の歴代のファラオたちの墓所になっています。
王家の谷は09年の夏から敷地全体が撮影禁止になったということで、カメラ類は持込不可。なので、この入り口付近の写真しかありません。
王家の谷でのチケット売り場は2段構え。この最初のゲートのチケット売り場で売っているのは80エジプト・ポンドの入場チケットで、一般公開されている墳墓の内から任意の三つだけを選んで見学できるようになっています。
王家の谷全体では60を超える墳墓があるのだそうですが、公開されているのは十数ヶ所。事前にどの墳墓を見学したいかガイドブックなどでチェックしていくのが○。
現地に行ってからどれがいいか迷ったら、ガイドさん付きの観光グループが入って行く墳墓に行ってみるのもいい手かも。
それぞれの墳墓前にスタッフがいて、チケットにひとつずつパンチを入れてもらうようになっているので失くさないようにご用心。穴が三つ開けられたら三つ見終わった証拠になってそのチケットは無効になります。
この最初のゲートから、墓地が並ぶ入り口となる次のゲートまでは1km位。歩けない距離ではありませんが、見るべきものは無い不毛の谷間の道なので、ミニ・トレインで行くのがいいと思います。これは往復券が4エジプト・ポンド。帰りにも提示するので、失くさないように。
一番有名なトゥトアンクアムン(ツタンカーメン)の墳墓のチケットは、次のゲートのチケット売り場で別売りされていたのを買いました。100エジプト・ポンド。
一番有名なファラオの割りにお墓は小さくて、ちょっとガッカリする人は多いかも。
実は、SUR SHANGHAIとその旦那も、「え?(@_@;) これがトゥトアンクアムン(ツタンカーメン)のお墓で、これで100エジプト・ポンド?」でした…。 -
撮影禁止になった王家の谷ではカメラの持ち込み禁止で写真は撮れなかったので、これは王家の谷からハトシェプスト女王葬祭殿へと向かう途中の景色。
王家の谷も、こんな風に乾いて草木一本もありません。そして、この画像にも出ているように、岩を削って造った墳墓が続くところ。
墳墓の外見は、罰当たりながら、どれもただの洞窟の入り口のよう。
内部の装飾が見事な墳墓の中から選んで見学するのがいいと思います。
写真が撮れないと、印象が薄れてしまうのが残念。
王家の谷と聞いて、美しい谷を想像して行くと外れますよ。
SUR SHANGHAIの知人は美麗な峡谷を想像して行ったので、間違って別の所に行ってしまったかと思ったそうです。(~_~;)
王家の谷見学の時には、飲み物と紫外線対策の品は必携。
トイレは最初のゲートのチケット売り場、次のゲートのチケット売り場の近くにありました。ペーパーも持って行くと憂い無し。
SUR SHANGHAIとその旦那が王家の谷にいたのは2時間ほどでした。
で、ゲート外で待っていた運転手おじさんにお礼を言ってハトシェプスト女王葬祭殿に向かっているんですが…、 -
…ナイル川西岸のラメセウム(ラムセス2世葬祭殿)あたりの道沿いにはアラバスター工房兼店舗が多数。サッカーラの絨毯工房兼店舗と同じように、ルクソール西岸を訪れるツアーでは必ず寄る場所になっているのだと思います。
運転手おじさんから勧誘があった時、いつもは真っ先に断る旦那が乗り気になったのでびっくり。(◎o◎)!
まずは工房でアラバスター製品の加工を実演してもらったり、本物と偽物の違いを教えてもらってから店舗の中へ。
SUR SHANGHAIたちが行ってみたお店ではアラバスター以外の石製品も多数。
しかたなく猫の置物を探してみたところ、手のひらにちょこんと乗る大きさがどれも200エジプト・ポンド近い言い値でやっぱりびっくり。
普通のお土産屋さんなら気軽に値引き交渉するんでしょうが、お店の関係者ばかりに囲まれた店内だとそういう雰囲気にならないのが苦しい。
何も買わずに店を出られるような雰囲気にもならず、結局言い値とあまり変わらない値段で一つだけ購入した(させられた)旦那。(−−〆)
個人的にはお勧めできないな、という感じです。 -
気を取り直して訪れたハトシェプスト女王葬祭殿。
エジプト初の女王だったハトシェプスト女王の葬祭殿は、ナイル川西岸の見所の一つ。葬祭殿後の岩山の向こうは王家の谷という立地になっています。
この葬祭殿を設計したのは、センムートという古代の建築家。そそり立つ岩山をバックに、シンプルな外観の葬祭殿を厳粛に見せる腕前には驚き。
ハトシェプスト女王葬祭殿は、夏季は6:00〜17:00、冬季は6:00〜16:30オープン。チケットは30エジプト・ポンド。
チケット売り場から葬祭殿の下のテラス入り口までは数百mですが、画像のようなミニ・トレインが走っていました。往復で4エジプト・ポンド。
葬祭殿の下の入り口から先は広いテラスが続いていて、画像奥に見えている葬祭殿本体までが結構遠いので、ミニ・トレインを使って体への負担を減らすのもいいと思います。
ミニ・トレインを降りてから、一通り見て歩くのに1時間かかりました。
太陽を遮る物が無い広〜いテラスを歩いて行くので、紫外線対策と熱射病対策をお忘れなく。
ミニ・トレインが停まる葬祭殿の下の入り口近くにカフェもありましたが、飲み物はここでも持って歩くのが○。 -
ハトシェプスト女王葬祭殿前には、ハトシェプスト女王遠征の際にプント(現ソマリア)から持ち帰ったという木が植えられている場所があるんですが、肝心の木が無いんです。
う〜ん、葬祭殿を訪れるのに、そんな格好でいいの? という西洋人が多い気がする…。
自分の国では、教会にはそんな格好では行かないんじゃないの?
それに、1997年にはここでルクソール事件があったということも知らないんだろうか、と残念に思う。 -
ハトシェプスト葬祭殿の背後には、乾ききった岩山が聳え立つ。
これは北の柱廊あたりから見上げた様子。
強い日差しの中の奇妙な沈黙。 -
ハトシェプスト女王葬祭殿は、建物もそこまでのテラスの通路もごくシンプルな造り。
そのシンプルさが、ずいぶんモダンに見える不思議な魅力があると思う。 -
ハトシェプスト女王葬祭殿の柱にあったこの浮き彫りはきれい。
まだうっすらと彩色も残っているし。
ヒエログリフや人物像、神像は限りなくあるエジプトの遺跡。
でも、自分の好みの絵柄ってなかなか見つからない。
こうして偶然に見つけると、これも一期一会と思ってしまう。 -
ハトシェプスト女王葬祭殿奥の至聖所へは立ち入り禁止になっていました。
この時だけだったのかな。 -
イチオシ
ハトシェプスト女王葬祭殿の一角で見つけた石柱。
青い空を背景にした黄色い柱のシンプルな形と色がきれい。 -
ハトシェプスト女王葬祭殿の一角で見つけたカルトゥーシュ。
ハトシェプスト女王とは仲が悪くて、女王の死後にはその記念物や肖像を抹消してしまったというトトメス3世のカルトゥーシュに似ているけど、ちょっと違う気もする…。
このハトシェプスト女王とトトメス3世の確執も、今は古代の物語。 -
ハトシェプスト女王葬祭殿の第二柱廊。
シンプルな柱に立つ像と、画像右奥に写っている人の姿を比べると、この柱廊部分の規模が分かるかも。 -
ハトシェプスト女王葬祭殿の第二柱廊に立つ像の一つ。
片目だけになった顔を挙げて、中空を見つめるちょっと虚ろなその表情。 -
ハトシェプスト女王葬祭殿の中庭への門辺りから見下ろしたテラス部分と、ハトシェプスト女王葬祭殿前の駐車場やチケット売り場方向。
そのさらに先には、緑濃いサトウキビ畑。この縮小した画像では分かりませんが、ナイル東岸までうっすら写っています。
こういう場所でお肌の露出が多い格好の外国人観光客を見て、地元の人たちはどう思うんだろうかとこっちが気になる。
こういう場所を訪れる時の礼儀ってあるんじゃないの?(^^ゞ
それに、おにいちゃん、もうお肌がまっかっかなんだけど…。 -
イチオシ
彩色された浮き彫りのある柱が、荒れた岩山をバックにして残る姿。
空の青さとの対比がなんとも言えないハトシェプスト女王葬祭殿。 -
ハトシェプスト女王葬祭殿の壁画は、題材豊富。神様やヒエログリフだけじゃあありません。
古代の人々の暮らしが分かる生き生きした絵柄もあった。
これは農民たちが豊作を祝っている様子?
楽しげな足取りで、踊りだしそうな動きのある絵。 -
ハトシェプスト女王葬祭殿に向かって左側にはウシの女神のハトホル神を祭った礼拝所があるので見ていくといいですよ。
画像のような女性の顔を持つ石柱が並んでいます。
ちょっとアイヌの木彫りの女性のような顔、と思ったのはSUR SHANGHAIだけ? -
イチオシ
ハトシェプスト女王葬祭殿の敷地内には、浮き彫りや彩色が施された石材の断片が多数並べてあって、葬祭殿の元々の規模はどれほどだったのかと思わせる眺め。
復元計画があるのかな?
これだけバラバラになっていても、復元は可能? -
ハトシェプスト女王葬祭殿を一通り見終わると、隣の一段低い場所にも大きな神殿跡のような遺跡があるのに気付くと思います。
これは、ハトシェプスト女王よりもずっと先のメンチュホテプ2世の王墓神殿跡で、ハトシェプスト女王葬祭殿とも併せたこの一帯は、デイル・アル=ハバリ(北の修道院)と呼ばれているんだそう。
メンチュホテプ2世の王墓神殿跡は、その名の通りに神殿の基壇くらいしか残っていないので、見に行く人は無し。
それでも遺跡調査は進められているらしくて、画像のように崩れ去った柱などの断片がまとめて置かれていました。 -
ハトシェプスト女王葬祭殿の敷地から、メンチュホテプ2世の王墓神殿跡を見下ろす。
あの一番奥にあるのが、神殿の基壇?
デイル・アル=ハバリ(北の修道院)の復元図では、メンチュホテプ2世王墓神殿には、神殿の上にピラミッドも置かれていたと思うんですが、SUR SHANGHAIの思い違いだったらごめんなさい。 -
駐車場へ戻るミニ・トレインから見た風景。
メンチュホテプ2世の王墓神殿跡には、その入り口になっていたらしい塔門の断片もありました。
この崩れ去った部分の形を見て、中国新疆ウイグル自治区の庫車(クチャ)にあるスバシ故城を思い出したSUR SHANGHAI。 -
ハトシェプスト葬祭殿の出口付近にはお土産屋さんが並んでいて、結構売込みが激しいです。
あんまりしつこくされると、欲しいと思うものがあっても、見る気にも買う気にもならないんだけど…。(~_~;)
落ち着いて買い物が出来る雰囲気ではないのが惜しい。 -
ナイル川西岸の最後には、昨日の熱気球ツアーで見えたラメセウム(ラムセス2世葬祭殿)へも行ってみたいと思っていたSUR SHANGHAI。
出来れば、王妃の谷や貴族の墓にも行きたかったけどな。
でも、今日はもう必見の場所だけでも疲れちゃったね。
あれこれ見過ぎて、目も頭も飽和状態。
ルクソールでもう一日時間があれば行ったんだろうけど、時間に限りのある旅だとそうも行かない。
ラメセウム近くから、それらの遠景を見ただけで去るナイル西岸の遺跡群。 -
運転手おじさん、おまちどおさま。そろそろ船着場までお願いします。
シートに深々と座ると、もうウトウトしてしまいそう。
そろそろ日が傾いて、ヒツジやヤギたちも飼い主さんに付き添われておうちへ帰る頃。 -
ナイル西岸で大規模に栽培されているサトウキビの運搬用だという線路。
そう言えば、昨日の熱気球からもファディレイヤ運河沿いにこの線路が見えたっけ。
あれ? 錆びてるようだけど…。 これって今も使われているの? -
ルクソールのナイル西岸必見の場所を見終わって戻って来た船着場。
向こうの東岸には、ルクソール神殿も見える位置。
今日は一日乾いた風景ばかりだったから、ナイルの水の流れが目に心地よい。
やっぱり、水のある風景っていいね。
運転手おじさんから携帯電話で連絡が行っていたらしいボートおにいちゃんがお出迎え。
運転手おじさん、今日は一日お疲れ様!
SUR SHANGHAIたちは東岸へ戻ります。(@^^)/~~~ -
ナイル西岸からナイル東岸へと戻る途中の景色。
フルーカと呼ばれる小型のヨットがスイスイ。
夕暮れ近くになると、東岸沿いの遊歩道ではフルーカ乗りの客引きさんたちが声をかけてきます。
SUR SHANGHAIたちは、ルクソールの後でいくアスワンで乗ってみることにしているのでパス。
そのアスワンでは、「ルクソールで乗っておけばよかった…」と後悔したので、お時間に余裕がある方はルクソールでも乗ってみるといいですよ。
東岸に戻ったら、ナイル川の夕日を眺めながらルクソールの夕暮れを過ごしてみようと思います。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
旅行記グループ
★エジプト記
-
★エジプト記(1)ドイツからエジプト到着、オールド・カイロへ
2009/11/29~
カイロ
-
★エジプト記(2)オールド・カイロからナイル東岸を歩く
2009/11/30~
カイロ
-
★エジプト記(3) −イスラム地区 ガーマ・アフマド・イブン・トゥールーンのあたり
2009/12/01~
カイロ
-
★エジプト記(4) −イスラム地区 ガーマ・スルタン・ハサンからハーン・ハリーリへ歩く
2009/12/01~
カイロ
-
★エジプト記(5)イスラム地区 ムカッタムの丘のシタデルへ
2009/12/02~
カイロ
-
★エジプト記(6) −死者の町やフトゥーフ門のあたり、そしてナイルの夕暮れ
2009/12/02~
カイロ
-
★エジプト記(7)タフリール広場のあたりとナイルの夜景
2009/12/03~
カイロ
-
★エジプト記(8) −ギザへ
2009/12/04~
ギザ
-
★エジプト記(9)サッカーラ街道とメンフィスのあたり
2009/12/05~
サッカーラ
-
★エジプト記(10)カイロからルクソール到着
2009/12/06~
ナイル川流域
-
★エジプト記(11)ルクソールのナイル西岸上空を熱気球で
2009/12/07~
ルクソール
-
★エジプト記(12)ナイル東岸の見所へ
2009/12/07~
ルクソール
-
★エジプト記(13) -ナイル西岸の見所へ
2009/12/08~
ルクソール
-
★エジプト記(14) −ナイルの夕景
2009/12/08~
ルクソール
-
★エジプト記(15) −ルクソールからエドフ、コム・オンボ経由でアスワンへ
2009/12/09~
ナイル川流域
-
★エジプト記(16)アスワン到着
2009/12/09~
アスワン
-
★エジプト記(17)アスワン近郊を巡る
2009/12/10~
アスワン
-
★エジプト記(18)ナイル川沿いの見所を回る
2009/12/10~
アスワン
-
★エジプト記(19) エジプト最南端のアブ・シンベルへ
2009/12/11~
ナイル川流域
-
★エジプト記(20)エレファンティネ島の村を歩く
2009/12/11~
アスワン
-
★エジプト記(21、完) −アスワンからカイロへ、そして出国
2009/12/12~
ナイル川流域
旅行記グループをもっと見る
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ ★エジプト記
0
48