2009/12/01 - 2009/12/01
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SUR SHANGHAIさん
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旦那がエジプト入りするまでの数日はイスラム地区を歩いてみようと決めているSUR SHANGHAI。
前編ではイスラム地区南端近くにあるモスクの一つガーマ・アフマド・イブン・トゥールーンやアンダースン博物館、カーイトゥベーイのサビール・クッターブあたりを見て回ったので、ここではその続きのガーマ・スルタン・ハサンからハーン・ハリーリまでの道筋をご紹介。
その道筋となるバーブ・イル・ワジール通りやダルブ・イル・アフマル通り、ムイッズ通りにはガーマ(モスク)が点在するほか、路地裏風景や市場も見られます。
お時間があって、街歩きがお好きな方はテクテク歩いてみるといいですよ。
表紙の画像は、この日の終点となったガーマ・ホセイン脇で見かけた焼き芋売りの渋いおっちゃん。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 5.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- タクシー
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
イスラム地区南端近くのガーマ・アフマド・イブン・トゥールーンやアンダースン博物館、カーイトゥベーイのサビール・クッターブ、と回って来たSUR SHANGHAIは、お次はガーマ・スルタン・ハサンとガーマ・リファーイーへ。
この二つのガーマ(モスク)はシタデルがあるムカッタムの丘の麓にあって規模も大きいので、寄ってみては? -
イスラム地区の南寄りにあるガーマ・スルタン・ハサンとガーマ・リファーイーはお隣同士。
この画像だと、左手のガーマ(モスク)がガーマ・スルタン・ハサンで、右手に見えているのがガーマ・リファーイー。
どちらのガーマも、見学チケットは25エジプト・ポンド。サラーフッディーン・アイユービー広場にある入り口ゲートから入った先のブースで買うようになっていました。
どちらのガーマも、建物入り口に靴を預かってくれるスタッフがいました。ガーマ内部の撮影OK。
エジプト考古学博物館近くのラムセス・ヒルトンからガーマ・スルタン・ハサンあたりまでタクシーだと10数分。
古い型のタクシーの運転手さんと料金を事前に交渉して10エジプト・ポンドでした。 -
ガーマ・リファーイーの方に先に入ってみたところ、ちょうどお昼の礼拝で人が集まって来たので、その様子や建物内部の写真を撮るのはちょっとご遠慮申し上げたSUR SHANGHAI。
ガーマ・リファーイーは20世紀に入ってから建てられたのだそうですが、その建物内部には、ムハンマド・アリ朝のフアード1世の墓所と、イラン革命直前の最後のシャーであるパフラヴィ2世の墓所が入っています。この画像は、フアード1世の墓が入っている部屋の入り口。
中に入ると、ガラスのケースで保護された墓所がありました。
この時(09年12月上旬)には、パフラヴィ2世の墓所がある周辺は補修工事中だったのかどうか入って行けませんでした。 -
お昼の礼拝も終わったようなので、今度は通路を隔ててすぐお隣にあるガーマ・スルタン・ハサンへ行ってみたSUR SHANGHAI。
ガーマ・スルタン・ハサンは、世界でも最大級のイスラム建築の一つで、マムルーク朝の建築を代表するガーマ(モスク)なんだそう。
ガーマ・リファーイーと比べてみると、一層見応えがあったと思います。
ムカッタムの丘のシタデルからもよく見えますよ。
これは、ガーマ内部へと続く通路の天井。
天井が高い空間は、それだけで厳粛な気持ちになるのが不思議だ。 -
ガーマ・スルタン・ハサンの中庭と泉亭。
その泉亭や、奥に見えるトンネル風空間(と言ったら失礼ですね…)もちょっと見慣れないスタイル。
このまた奥には別のドームもあるという、これまでに見たことの無い造りでびっくり。
建物自体の規模も、左手に小さく写っている人と比べると、ずいぶん壁が高く大きいのが分かると思います。 -
上の画像奥に見えているトンネル風空間の手前には、ドイツ語や英語が出来るイマーム(指導者)が座っていて、誰でも話しかけられるようになっていました。
この画像だと、右手の白い帽子をかぶった人がそうで、その前に立っているのは何かを聞きに来た人。
興味がある方は、イスラム教についてお話を聞かせてもらうのもいいかもです。 -
イチオシ
ガーマ・スルタン・ハサンの奥にあったドーム内部。
上から振り子のように吊り下げられた灯りに照らされるドームは案外質素。 -
ガーマ・スルタン・ハサンのドーム内部。
天井近くから吊り下げられた灯りが輪になって並ぶ。
これにもなにか宗教的意味はあるのかな。 -
ガーマ・スルタン・ハサンの窓から見えた建物。
ガーマ・リファーイーやガーマ・スルタン・ハサンのそばには、もう一つのガーマ(モスク)とマドラサ(神学院)があるんですが、向こうに見えるのがどちらなのかは未確認。
前編でも書いたんですが、マドラサはアラビア語で学校を意味する神学院。
寄進された財産で運営されている高等教育機関で、中には礼拝場のほか、寄宿舎や教室もあって、ガーマと併設されていることが多いんだそう。
見た感じはガーマもマドラサも似ているので、SUR SHANGHAIはよく間違えてました。(~_~;) -
ガーマ・スルタン・ハサンとガーマ・リファーイーの間の通路から、ムカッタムの丘の上のシタデルとガーマ・ムハンマド・アリが見えた。
この画像だと右手の建物がガーマ・スルタン・ハサン。
シタデルへはここからも坂になった道を上って行けるんですが、SUR SHANGHAIは日を改めて行ってみるつもりなので、今日はイスラム地区を北上してハーン・ハリーリあたりを目指します。 -
ガーマ・スルタン・ハサン近くから延びているバーブ・イル・ワジール通りを北に向かって歩いていくと、途中には大小のガーマ(モスク)があるらしい。
じゃ、その先のズウェーラ門あたりでその後どうするか決めようと歩き始めたSUR SHANGHAI。
もう面白い形のガーマが見えてきたぞ〜、とさらに進んで行くと…、 -
…あれ? これってシタデルがあるムカッタムの丘、だよね…。
ハハハ、道を間違えたみたい。(~_~;)
この先で軌道修正できるかも、とめげずに進んで行くと…、 -
…ん? これはちょっとガーマ(モスク)とは違うなあ。
ずいぶん荒れた感じで人通りも少ないし…。
ひょっとして、イスラム地区の東側一帯にある≪死者の町(北の墓地)≫に入り込んじゃったかな。 -
イチオシ
イスラム地区の東側一帯にある≪死者の町(北の墓地)≫に入り込んでいたSUR SHANGHAI。
う〜ん、≪死者の町(北の墓地)≫は、シタデルと組み合わせて見てみようと思ってるからやっぱり引き返してバーブ・イル・ワジール通りを探そうっと。
お、この壁に書かれたアラビア語は、活字とずいぶん違う書体。
何が書かれてあるのかは分からなくても、見た目が面白い。 -
どうにか軌道修正して、元々行くはずのバーブ・イル・ワジール通りに入れた。^^;
その町角にも、さっきの壁と同じような書体のアラビア語が。
おもしろいのに全然読めないのが口惜しくなる。 -
バーブ・イル・ワジール通りは細い路地のような道。広い道を想像して行くとちょっと戸惑うかも。
バーブ・イル・ワジール通りは途中でダルブ・イル・アフマル通りと名が変わって、ズウェーラ門まで続いています。
地元の人々の生活の様子も見ながら歩いてみるといいですよ。
ガーマ・アズラク(ブルー・モスク)はバーブ・イル・ワジール通りにあるガーマの一つ。ガーマ・スルタン・ハサンからだと1km足らず。細い通りに直接面しているのですぐ分かりました。
ブルー・モスクというと、トルコのイスタンブールにあるスルタン・アフメット・ジャミイを思い浮かべる人もいると思いますが、それと同じ規模を想像してこのカイロのものを見たら、ずいぶん小さくて拍子抜けするかも。
このカイロ版ブルー・モスクには由来話があって、この地に赴任してきた総督を慰めるため、青いタイルをわざわざトルコから取り寄せ、故郷のブルー・モスクに似せた装飾を施したのだそうです。
そのガーマ・アズラクも、09年12月上旬には画像のように補修工事中で立ち入り禁止でした。 -
これは、屋台用に使われていた車?
レトロな形と派手に塗られた色柄がおもしろいけど、もう使われていないみたい。 -
バーブ・イル・ワジール通りはこんな感じ。
伝統衣装を身にまとった人たちが通っていても、エジプトに着いたばかりで事情がよく分からないSUR SHANGHAIは、ちょっと遠慮しつつパチリ。
一般市民の住居や小さい商店が並んでいて、その合間にガーマ(モスク)のミナレットが見える街並み。
ここで見えているミナレットは、これから行ってみるガーマ・マリダーニーのものだったと思います。
マムルーク朝の典型的な様式で、その中でも最も古いと言われているんだそう。 -
バーブ・イル・ワジール通りがズウェーラ門に近づいてダルブ・イル・アフマル通りと名が変わるあたりにあるのがガーマ・マリダーニー。
ズウェーラ門までの距離は500mほど。
ガーマ・マリダーニーは、入るとすぐに中庭という小粒なガーマ(モスク)ですが、内部にある木製の仕切りの細工がきれいなのでちょっと寄って行ってみるといいですよ。
アーチ部分も小さいガーマの割に趣があると思ったら、ファラオ時代の石柱を転用して造られたのだそう。
見学は10エジプト・ポンド。ここでは脱いだ靴を預かってもらえなかったので、レジ袋のような袋を持っていくのがよし。 -
ガーマ・マリダーニーの中庭と礼拝所を区切っているのは、細かい細工を施した木片を組み合わせたパネルで造った壁。
風通しがよさそう。
近寄って行ってみると…、 -
…その細工の細かさにびっくり。
一つ一つ作った木製の部品を組み合わせているのがよく分かります。 -
内部に入って、その壁部分を見てみると、幾何模様のシルエット。
-
ガーマ・マリダーニーの内部。
上の方で言ったように、アーチ部分はファラオ時代の石柱を転用して造られたのだそう。
そのせいなのか、規模は小さいガーマ(モスク)なのに趣が感じられる造り。
ステンドグラスもなかなかきれいな色合い。 -
ガーマ・マリダーニーを出て、さらに前進。
ズウェーラ門が近づいて、それまでのバーブ・イル・ワジール通りがダルブ・イル・アフマル通りになったカーブで、来た方向を振り返る。
左手に見えている建物はガーマ・イスハーキ。
これも美しい建物でしたが、扉が閉まっていたので内部は見学できず。 -
もうズウェーラ門が目の前の路上に出ていたパン屋さんの屋台。
甘くない主食用が多いみたい。
下のものはブレッツェル風。
どうにも空気が埃っぽくて、舞い上がる土埃をかぶっているのがちょっと気になるのよね。
どんな味かなあと思いつつも、ちょっとパス。 -
これがカイロに現存する城門の一つズウェーラ門。
ここを抜けてムイッズ通りを北へ1km足らず進むとハーン・ハリーリ。
現存する城門はあとフトゥーフ門とナスル門で、ムイッズ通りの北のはずれに並んでいます。ここからだと2km足らずの距離。
ズウェーラ門の創建は1092年で、当時は処刑された人たちの首を晒す場所だったんだそう。
何となく、芥川龍之介の『羅生門』を連想してしまったSUR SANGHAI。(~_~;)
ここで見えている2本の塔は、ズウェーラ門の物のように見えますが、門の向こうに隣接しているガーマ・ムアイヤド・イッシェイフのミナレットなんだそうです。
このズウェーラ門の南側にはテント職人の店が並ぶカサバ・ラドワーン・ベイがあるんですが、SUR SHANGHAIはこのまま門をくぐってハーン・ハリーリ方向へ。 -
イチオシ
ズウェーラ門を北に抜けると、ハーン・ハリーリへは1km足らず。
その道筋になるムイッズ通りには庶民のお店がずらり。
これは、タオルやシーツなんかの寝具のお店。
その商品に半ば埋もれるようにして居眠り中のおじさん。
お髭がご立派ですね。(^◇^) -
ズウェーラ門を北に抜けてハーン・ハリーリへ続くムイッズ通り。
ハーン・ハリーリは観光客用の土産物市場だけど、ムイッズ通りの市場は庶民のお買い物の場。
地元女性の民族衣装も吊るしでずらり。
香港の女人街に通じる雰囲気があるなあ。
どれも同じように見える黒の衣装も、よく見ると細部の装飾やカットの具合、素材もいろいろ。
お気に入りの一枚が見つかるといいですね。(*^。^*) -
ムイッズ通りに面した店先で、せわしなく鍋をかき回していたおじさん。
何が出来るのか分からないけど、おいしい食事になりますように。 -
ズウェーラ門からムイッズ通りをハーン・ハリーリの手前までやって来ると、アズハル通りの車道が横切ってます。
歩道橋がご覧のように付いているので、ここはおとなしくこの歩道橋を利用するのが身のため。
この歩道橋近くにも、ガーマ・アズハルをはじめとするガーマ(モスク)があっても、今日はもうお腹いっぱいの気分。
また別の日に出直そうと思います。
今日はこのままアズハル通りの向こうに渡ってハーン・ハリーリ辺りまで。 -
アズハル通りを渡って、ハーン・ハリーリ側に入ったSUR SHANGHAI。
ムイッズ通りから左右に出ている脇道にずらりと土産物屋さんや商店が並んでるんですが、SUR SHANGHAIはまずはそのままムイッズ通りを直進して、このあたりの雰囲気を確かめてみます。 -
ふんふん、こういうお店があるのねえ、とチラチラ見て歩くハーン・ハリーリのムイッズ通り。
これは香水屋さん。
あとで行ってみた脇道の方のお店がもっと雰囲気が濃くてお勧め。 -
ムイッズ通りで見かけたカイロの猫ちゃん。
グレイの方は、以前SUR SHANGHAIたちが飼っていた猫に似ている。
思わず、「あ、こんな所にいたの? (=^・^=) 」と声をかけたくなるほど。
黒い方の猫ちゃんは、自分の頭の影に向って威嚇中(^○^) -
今日は朝から歩き詰めで疲れてきたなあ。
もうちょっとだけ、とムイッズ通りをさらに直進。
行く手に見えてきたのは、左手手前がスルタン・カラーウーンのマドラサ(神学院)。
左手奥にドームと一緒に見えているのがスルタン・バルクークのマドラサ。
ガーマ(モスク)もマドラサ(神学院)も、SUR SHANGHAIには同じように見えるけど、見分け方ってあるのかな。 -
スルタン・バルクークのマドラサ脇のムイッズ通り。
家族連れらしい数人が横一列でやって来る。
SUR SHANGHAIはここで引き返して、ムイッズ通りの続きはまた別の日にしようっと。 -
回れ右で振り向いたムイッズ通り。
ミナレットも黒いシルエットになるイスラム地区の午後。 -
地元のおにいちゃんに、「ちょっとここを見てみて。古いガーマ(モスク)があるよ。」と指差された建物裏手に行ってみると、半分遺跡のようになった礼拝所があった。
そのまた裏には現代のアパートらしき建物もあるし、ちょっとシュールな景観。 -
ムイッズ通りに面したお土産屋さんの1軒。
今日はもう店仕舞い?
すごい積み方だね。 -
ムイッズ通りのすぐ脇に立っているマドラサ(神学院)。
この画像だと左手がスルタン・カラーウーンのマドラサで1284年創建。
内部のステンドグラスやモザイクが美しいんだそうですが、外観のみの見学。
右手がスルタン・バルクークのマドラサで1386年創建。こちらも外観のみの見学。
他人事ながら、14世紀末にできたというハーン・ハリーリの市場がすぐそばの立地で、学生たちは神学の勉強に身が入ったんだろうかと心配したんですが…。(~_~;) -
朝から歩きっぱなしで疲れたけど、ちょっとだけハーン・ハリーリの中も見てみよう。
道端の椅子に座ったお母さんに抱かれたあの子もお昼寝タイム。 -
ハーン・ハリーリの片隅に、小さい石の彫刻をずらりと並べたおじさん。
お客さんはいないけど、猫には好かれているよう。
商品の並べ方とかももう少し工夫したら、お客さんも寄ってくると思うよ。 -
別の日に訪れた時の写真も混ぜたハーン・ハリーリ。
お土産屋さんが軒を連ねて、商品がてんこ盛り。
これより細い道に入ると、行き交うたちとすれ違って進むのも大変。
客引きさんもどんどん声をかけてくるから、落ち着いて見ていられないのがSUR SHANGHAIにとってはちょっと息苦しい。
観光客が必ず訪れる場所になっているので、商品はありすぎるくらいに豊富。価格も観光客プライス。
欲しいと思う商品のお値段は、できたら事前に別の場所のお店でもチェックしていくのがいいですよ〜。 -
ハーン・ハリーリのバザールに隣接しているこのガーマ(モスク)はガーマ・ホセイン。
カフェが並んでいるフセイン広場に面していて、巡礼者で賑わっているのですぐに分かります。画像はその正面を斜め左前から見たところ。
ここではカフェの客引きさんも賑やかに声をかけてきます。
そのうちの一軒の店先に腰を下ろして、やれやれ、やっと一休み。ふう〜。
SUR SHANGHAIが頼んだのは、シャーイビ・ナアナア(ミント・ティー)。ここでは場所柄かお値段が15エジプト・ポンドでちょっと高め。
シャーイビ・ナアナアは、グラスに注いだ紅茶に生のミントの一茎が入って来るのが本当ですが、カップ+ティーバッグ+乾燥ミント使用のお店も多し。
生ミントの葉を使用したものは、爽やかさに加えてかすかな草の匂いも混じった独特の香りが特徴で、口の中も気分もすっきり。
砂糖は別に出されます。お好みでどうぞ。地元の人たちは、これでもかというほど砂糖を入れて飲むのが普通。 -
ハーン・ハリーリのバザールに隣接しているガーマ・ホセインは大きな広場に面していて、普段の日でも巡礼の人々が絶えないのが、大きな祭礼の日には礼拝に来る人々でさらに賑わうのだそう。
このガーマは、680年にウマイヤ朝と戦って戦死したホセインの首を祀るガーマ(モスク)で、1153年に建てられたのだそう。
ただし、現在見られるこの建物は19世紀の再建だそうです。
入り口は正面に向って左にあるんですが、そこは男性用。女性用は正面から見ると建物を右手に回り込んだ所にあるので気をつけましょう。
SUR SHANGHAIは知らずに男性用から入ろうとして、とても失礼な声をかけられてしまいました。(・_・;) -
ガーマ・ホセイン前にいた三人の女性。
左端のほっそりした女性の姿が美しい。
いや、残るお二人も、花恥らうお年頃には同じような体形だったんでしょうね。(~_~;)
隣の女性に手を差し出して、何か見てもらっているみたいだけど、何してるんだろう。 -
イチオシ
さて、ガーマ・ホセインの男性用入り口から入ろうとして失礼な言葉をかけられたSUR SHANGHAIは、女性用入り口を探しています。
そこで見かけたのは、飴掛けリンゴの串刺しを手に持った男の子。
口の周りが飴でベトベトだあ。
アラブ系の人って誰でもそうだけど、子どもの頃から目がパッチリのクッキリ二重まぶたで、睫毛が濃い。
この子も例外ではないですね。 -
イチオシ
ガーマ・ホセインの女性用入り口は、正面から見て右手に回り込んだ所にあると分かったので、そこを目指していると焼芋屋さんがそのすぐ近くに出ていた。
あれま、エジプトの女性も焼き芋はお好き?
それって、お手製焼芋釜っぽい。薪が燃料って言うのも古式豊か。
おじさん、女性客ばかりの所に店を構えて、いい目の保養になるんじゃない?(^◇^)
…とカメラを構えたら、くわえタバコで振り向いてくれた。
その流し目が渋いよ、おじさん!
この後、ガーマ・ホセインの女性用入り口にたどり着いたんですが、この日だけだったのかどうか大勢の黒衣装の女性がそれこそ黒山の人だかり。異教徒というか信仰すべき宗教を持たないSUR SHANGHAIにはどうにも入りにくい雰囲気だった…。 -
この日見かけたカイロの女性たち。
上段の画像は、ハーン・ハリーリ近くのアズハル通り。
若い学生風の子たちでも、頭や身体を覆う服装なのは、イスラム圏というお国柄。
でも、ずいぶん派手な色使い服の子もいる。
あれ? 一番右側の子はフレンチスリーブっぽい半袖だけどいいの?と思ったら、肌色に近い長袖をその下に着ていた。
この二人は、ちょっと他の子たちと違うなあ。
中段の画像は、ハーン・ハリーリそばのガーマ・ホセイン前。
場所柄以外にも、たまたまこの時は既婚女性のグループが通っていたせいか、黒を基調とした衣装で全身を覆うスタイル。
やっぱりこれがイスラム圏の国の女性のイメージ。
そして、下段の画像は、新市街地のラムセス・ヒルトン近くの広告看板に出ていた女性たち。
エジプトの女性とは限らない職業モデルさんなんだろうけど、頭も隠していないし、右側の女性は肩も出した衣装。
こういう広告看板の女性の姿って、今は普通に受け入れられているんだろうか。
フランスあたりでは、アラブ系の女性も頭を隠してはいけないというルールを作るらしいけど、それをエジプトの人たちが聞いたらどう思うんだろう。
アラブ系の知り合いっていないし、どっちの疑問も気軽に聞けないなあ。 -
この日の終点になったハーン・ハリーリあたりから、タクシーでラムセス・ヒルトンに戻ったSUR SHANGHAI。交渉後の料金は10エジプト・ポンドちょっとだったかな。
ラムセス・ヒルトン脇にあるラムセス・ヒルトン・センターには、商店のほか、食事のお店も入っていて、最上階(7階だったかな)にはマクドナルドも。
煩わしい客引きがいないので、ゆっくりお土産品のチェックしてみるついでに食事や飲み物休憩して行くのもいいと思います。
昨日に続いて、今日もここへ食事に行ってみたSUR SHANGHAI。
1階のエスカレーターそばのカフェは落ち着かない感じですが、2階には落ち着いて清潔なインテリアと雰囲気のレバノン料理店≪EL HAMRA≫があってお勧め。
その右隣の同経営らしいピザとパスタのお店≪GRAZIE≫も○。
どちらのスタッフも穏やかな物腰でフレンドリー。
≪EL HAMRA≫の方では、「どこの国から来たの?」と聞かれて「日本。」と答えたら、小さい日の丸の旗をテーブルに出してくれました。これはちょっと気恥ずかしいサービス。(ノω`*)
レバノン料理は、中東の国々やギリシアあたりの料理と似ているので、それらの国々の料理ファンなら問題なし。レバノン料理は、それに加えて野菜料理が多いのが特徴なんだそう。
この≪EL HAMRA≫のメニューでは、メインはケバブやグリル類が主体で30エジプト・ポンド位からのお値段。
この画像の食事は羊のひき肉をソーセージ風に形作って串焼きにしたコフタで35.50エジプト・ポンド。
別の日に頼んだ鶏肉のグリルもほぼ同じお値段だったと思います。どちらのお肉もジューシー。
付け合せには、グリルした野菜、トマト味のピラフや、平らな丸パンが出てきます。食事中の飲み物や、食後のコーヒーを入れると、一人60エジプト・ポンド以上が予算。
ああ、今日もしっかり歩いたし、食事も大満足。
明日のSUR SHANGHAIはムカッタムの丘のシタデルや、死者の町(北の墓地)あたりへと出かけてみます。
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