2009/12/04 - 2009/12/04
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SUR SHANGHAIさん
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昨日の夜になって、SUR SHANGHAIの旦那もカイロ入り。
今日からのエジプト旅は二人旅になって、ナイル川を飛行機や車で徐々に遡って行く予定。
ナイルの西岸はネクロポリス(死者の都)で、カイロ近郊のギザからサッカーラ街道沿いのダフシュールまでが世界遺産に登録されたピラミッド地帯。
今日のメインは、「やっぱりこれだけは二人で見ておこう。」と今まで取っておいたギザのピラミッド地区。
メンフィスとその墓地遺跡の世界遺産も併せたサッカーラ街道方面へは翌日に車を雇って行くことにして、この日はエジプト初日の旦那にカイロ周辺を見てもらいます。
表紙の画像は、ギザの三大ピラミッドの一つカフラー王のピラミッド。
真下に立って見上げた石組みとその基部に立つ人々を比べてみると、このピラミッドの規模の一端が分かると思います。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 3.5
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 鉄道 タクシー
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
昨夜は旦那も無事にカイロ入り。
カイロ・シェラトン・タワーズ&カジノではネフェルティティ・タワーの角部屋にあるスイート・ルームをいただいて、ベランダからはナイル川も朝日もバッチリ。
ゲズィーラ島やナイル東岸、そしてローダ島の高級ホテル群もこの時間帯にはまだ寝足りない薄闇の中。
この画像だと、左からゲズィーラ島南端のソフィテル・エル・ゲズィーラ、ナイル東岸のフォーシーズンズ・ナイル・プラザ、そしてローダ島北端のグランド・ハイアット・カイロ。
12月上旬のカイロの早朝は、セーターが欲しいくらいの涼しさでぶるっと身震い。 -
現代カイロのナイル川沿いには、ファラオたちが生き返って目にしたらびっくりするだろうなあ、と思うビルが並ぶ。
その街並みの向こうから今日の太陽が昇って来る夜明け。 -
遠い遠い歴史を持つエジプトやナイルの流れよりも、もっと長い時を翔けて来た太陽が今も変わらずに昇って来る朝。
ナイル東岸のフォーシーズンズ・ナイル・プラザ、そしてローダ島北端のグランド・ハイアット・カイロがナイル川に長〜い影を落とす。
靄もかかって黄金色の朝だね。 -
いつもそうなのかどうか、11月下旬から12月始めにかけてのカイロの朝はこんな濃い靄に包まれた。
これでお天気は大丈夫?の心配とは裏腹に、いつもお昼までにはカラリと晴れ上がっていたっけ。
この後起きてきた旦那にとってはカイロは初日。
旦那の希望で、この日はまずタフリール広場そばのエジプト考古学博物館へ。
SUR SHANGHAIはすでに前日一度訪れていたので、その様子はここでは省略。
エジプト考古学博物館を見学後、13kmほど郊外にあるギザのピラミッドへはタクシー移動。
タクシーは観光地の出口あたりでは必ず客待ちしているし、道端でも簡単に拾えます。運転が乱暴で怖い事もありますが、利用価値は大。
タクシーと一口に言ってもラダのような古い車から日本や韓国の新しい車まであり、料金の事前交渉では運転手さんによって言い値がさまざま。
中には、「ギザから帰って来るタクシーは見つからないだろうから、俺の車を往復100エジプト・ポンドで雇え。」などととんでもない事を言ってくる運転手さんもいました。
SUR SHANGHAIたちは新しい車種のタクシーの運転手さんに決め、片道20エジプト・ポンドでピラミッドのチケット売り場まで行ってもらいました。この時の所要時間は30分足らず。
帰り道については、ピラミッド見学後、スフィンクス近くの出口を出るとKFCやピザ・ハットもある町並みになっていて、タクシーもすぐに見つかりました。この時にはカイロ中心部の南にあるオールド・カイロへと向かってもらい25エジプト・ポンド。所要時間は30数分でした。 -
これは、ギザのピラミッド地区への入り口付近。
ここに着く前からピラミッドの頭が見えて、ワクワクドキドキが高まりますよ。(^◇^)
この画像だと左手奥の建物がチケット売り場。
ギザのピラミッド地区への入場料は60エジプト・ポンドでしたが、ピラミッド内部へ入るチケットは別売りで、ピラミッドによって入場制限があったりお値段が違うので要注意。
ピラミッド地区へ入場できる時間帯は:
夏季8:00〜18:00、冬季8:00〜16:00。
三大ピラミッドの内、一番人気のクフ王のピラミッド内部へのチケット料金は、入場料とは別に100エジプト・ポンド。見学できる人数と時間に制限があるので要注意。
夏季の午前中(8:00〜12:00)150人、夏季の午後(13:00〜18:00)150人。
冬季の午前中(8:00〜12:00)250人、冬季の午後(13:00〜16:00)250人。
カフラー王のピラミッド内部へのチケット料金は、入場料とは別に30エジプト・ポンド。
こちらは人数制限、時間制限は出ていませんでした。
メンカウラー王のピラミッド内部へのチケット料金は、入場料とは別に25エジプト・ポンドとお値段は出ていましたが、公開中かどうかは未確認です。
チケット売り場手前にはトイレもあるので、必要な方はここでどうぞ。男性用の方はどうか分かりませんが、女性用はまずまずの清潔度でした。ここは洋式だったと思います。
スタッフがいて、ペーパーをちぎって渡してくれますが、申し訳程度の大きさなので持参するのがよし。
壁には≪チップは不要≫と書いてあるんですが、ここでもバクシーシを要求されるので、あげてもいいと思う人は小銭を用意していきましょう。 -
12月初めの時期は思っていたほど暑くはなかったギザのピラミッド地区。
それでも日差しはきつくて、日向を歩いていくうちにどんどんのぼせる感じ。
熱中症・紫外線対策は十分にしていくのがお勧めです。
飲み物くらいは事前に準備していくのが○。
ギザのピラミッド地区に入って最初に目にするのはクフ王のピラミッド。ギザの大ピラミッドと言う名前も持っているので混乱しそう。
このクフ王のピラミッドはギザのピラミッド群では一番大きく、現在の高さは137m。元々は146mあったのだそう。
表面を覆っていたと言う化粧岩はすべて盗まれたということで、今では階段状に積み上げられた岩の堆積のよう。
登攀は禁止されてますが、十数段くらいまでは上っていく人も多数。
ちょっと高いところまで上って一休みしていた地元カップルがいい雰囲気。
う〜ん、日陰なのが惜しいねえ。 -
クフ王のピラミッドの下からてっぺん方向を見上げてみる。
途中に見えているのはピラミッド内部へと入っていく入り口。
現在、観光客が入って行くこの入り口は盗掘用に開けられたもので、元々の入り口はさらに高い所にあるんだそう。
あれ?こうしてピラミッドを下から見ると、四角錐とは思えない程てっぺんが平らに見える。
それにもう一つSUR SHANGHAIが意外に思ったのはその一つ一つの岩の大きさ。
むか〜し見た映画(『十戒』だったかな)の中では、ピラミッド建造用に運んでいた岩は見上げるほどの大きさだったと思うけど…。
その岩と岩との間に挟まれそうになった女性を救う場面があまりに印象的だったから、岩の大きさが強調されてインプットされていたのかなあ。
とにかく、画像下に立っている身長180cmのSUR SHANGHAIの旦那と比べても、岩一つの大きさが想像とずいぶん違ってました。(~_~;) -
SUR SHANGHAIとその旦那はピラミッド内部の見学はしないので、そのままクフ王のピラミッドの西側に回りこんで行ってみます。
こうして見ると、岩の一つ一つは想像よりも小さくても、その圧倒的な量にはやっぱりびっくり。中にもぎっしり人工的に切り揃えて運ばれて来た岩が詰まっているわけだし。
馬車の向こうのピラミッドの麓に座っている人と比べてみると、このピラミッドの大きさも実感できるかも。
このクフ王のピラミッドは、紀元前の2540年頃に20年の歳月をかけて築かれたというのもちょっと信じられない数字だし、石材をただ乱雑に積み重ねたわけではなく、綿密な計算によって四角錐になっていると言うのがすごい。
これまでに『ピラミッドはこうやって造られた』と言う内容の本やテレビ番組を見ていても、実際に目の前にピラミッドを見ると「そんな昔によくこんな土木工事を!」と言う言葉しか出なくなる。 -
ギザと言うと、クフ王、カフラー王、メンカウラー王の三大ピラミッドとスフィンクスだけがあるようなイメージがあったSUR SHANGHAI。
実際に行ってみると、周りは全部古代の墓地。ナイル川西岸にあるギザ周辺一帯がネクロポリス(死者の都)だったのが一目瞭然。
三大ピラミッド以外にも小さいピラミッドもあるし、半砂漠地帯に広大な墓地が続いています。
これはクフ王のピラミッド西側にある墳墓群のほんの入り口あたり。
え〜と、手前に置いてあるのは石棺のようだけど…。
こういうものが無造作に放ってあるのは、調査や保護のための人手が足りないからなんでしょうね。(~_~;)
遺跡がありすぎるというのも大変だ。 -
クフ王のピラミッドの西側の面に回り込むと、こちらはまぶしい位に日が当たっていた。
さっきから名前が出ているクフ王というのは、古王国時代の第四王朝ファラオ。在位していたのは紀元前2589年から2566年頃、と聞いても、あまりに遠い昔のことでピンと来ないSUR SHANGHAI。
ウィキペディアの『紀元前三千年紀』のページでその頃の日本はどんな感じだったのかと見てみると…、
「日本、縄文時代中期〜後期。集落が大型化し三内丸山遺跡のような巨大集落が現れた。植林農法の種類もドングリより食べやすいクリに変わり大規模化する。」と出ていた。
う〜む、この頃はピラミッドに匹敵するような建造物は日本には無かっただろうし、当時はエジプトの方がずっと先進国だったんだ。 -
クフ王のピラミッドの西側の面と南側の面との境目になる稜線。
かつてはさらに化粧岩で覆われていたらしいから、出来立ての頃はツルツルピカピカだったのかな。
ピラミッドはごく簡単に言うと切り出した岩を積み上げて造った建造物なんですが、そう言ってしまってはそこでおしまい。
これほど巨大な四角錐を人力で造り上げる設計上・建築上の計算と、その後の労力の長期確保のための裏話なんて言うのがあったら知りたいな。 -
クフ王のピラミッドの西側の面沿いの道からは、カフラー王のピラミッドの全容も見える。
カフラー王のピラミッドは頂点近くに化粧岩が残っているので、見分けるのが簡単。この画像だと右手が北の面で、左手が東の面。
カフラー王のピラミッドの上に懸かる雲が噴出す煙のよう。
なんか温泉っぽい、って言ったら罰当たりですね。(~_~;) -
クフ王のピラミッドの西側の面から南側の面に回り込んで見た様子。
南側の面の下に見える白い建物は、太陽の船博物館。
このクフ王のピラミッド付近で発掘された木造船のパーツを14年かけて組み立てて展示してある場所。
今日は旦那のご意向で歩くルートを決めているので、SUR SHANGHAIがお伺いを立ててみたところ、「船? オレは外のこの景色を見て歩きたい。」
「へいへい、分かりやした。」 …でも、心残り…(−−〆) -
クフ王のピラミッドとカフラー王のピラミッドの間も、かつての墳墓のあとが残る半砂漠。
全体が小高い台地状になっているから、ギザやカイロの市街地方向もよく見える。
画像奥の左手に見えているのは、クフ王のピラミッドの東側にある女王のピラミッドや墳墓群。
眺めはいいのに、強い日の光を遮る場所が無くて一休みするのもつらい。
ここにカフェを造ったら、すごく流行るだろうなあ。
でも、周りは全部お墓や遺跡だらけだからちょっと無理? -
上空の薄雲のお陰で、もぐさを焚いているように見えるクフ王のピラミッド。(~_~;)
話はちょっと脇道にそれますが、ギザのピラミッド地区に入場すると、ラクダやウマ、馬車に乗らないか?と言う声があちこちから掛けられます。
ほとんどの人は、2,3度の“NO, THANKS.”で退却してくれましたが、カフラー王のピラミッド周辺の客引きさんはぴったりとくっついて来る人が多くて閉口。(゚´ω`゚)
同じように「ラクダの写真を撮れ!」の客引きさんも多いので要注意。知らずにうっかりカメラを向けると、モデル料を請求されたりします。
しつこい以外の危害を加えてくるわけではありませんが、気が散ってピラミッドのある風景も楽しめないし、客引き行為が煩わしい所という印象の方が強くなってしまって残念。
料金やコースを明瞭化して、最初にチケットを買うか買わないかをお客さんに選ばせれば、ずっと気持ちよく楽しめるアトラクションだと思うんだけど…。
注: 画像はイメージです。ここに写っている人がしつこい人と言うわけではありません -
カフラー王のピラミッドの東側の面。
真下に立って見上げると、てっぺんあたりに残った化粧岩が今にも崩れ落ちて来そう。
カフラー王も古王国時代の第四王朝のファラオだった人物。
在位期間ははっきりしていないようですが、紀元前2520年から2494年頃というのが定説とのことで、クフ王より後に出てきたファラオ。
カフラー王のピラミッドの現在の高さは136m(元々は143m)で、クフ王のピラミッドよりちょっとだけ背が低い。
なのに、パッと見た感じがギザの三大ピラミッドの中で一番大きく見えるのは、立っている場所が他のピラミッドより高いからだそうです。
下にいる人たちと比べると、一番二番なんて言う数字は無意味なくらい巨大なカフラー王のピラミッド。 -
カフラー王のピラミッドを、南の面と東の面の境になっている稜線付近。
画像左手が南の面。
上に出した東側の面の画像の様子を見ると、「わ〜! 今にも崩れて来そう。」とひやひやする部分がありますが、実際に崩れ落ちたらしい岩が散乱しているのを見るともっとひやひや。(@_@;)
そのうちにピラミッド周辺は、登攀禁止に加えて接近禁止にもなるかも? -
積み上げられた岩のその圧倒的な量にはただ驚くピラミッド。
その中でもこのカフラー王のピラミッドは、頂上近くの化粧岩が残っているので、出来た当時を想像しやすい。
風化が進んであちこちの岩が崩れていても、こうして少し離れて見ると美しい四角錐を保っているカフラー王のピラミッド。 -
クフ王とカフラー王のピラミッドのあたりから、東にあるギザやカイロの市街地方向を見る。
ギザのピラミッド地区は小高い台地にあるので、見下ろすと言った感じ。
この画像では小さすぎて分かりませんが、イスラム地区のムカッタムの丘にあるシタデルとガーマ・ムハンマド・アリも見えましたよ。 -
イチオシ
これもクフ王とカフラー王のピラミッドのあたりから見た南のサッカーラ街道方向。
サッカーラ街道はナイル西岸に沿って造られた街道。
その沿道には、このギザと同じようにピラミッドや墳墓群が連なっています。
砂丘のそのまた遠くに見えているピラミッド群。
サッカーラよりカイロに近いアブー・セールのピラミッド群?
それともサッカーラのピラミッド群?
どっちにしてもギザから10kmくらいしか離れていないから見えても不思議じゃないよね。
最初に撮った元画像をさらに拡大してみたら、この画像奥の一番右側のピラミッドはサッカーラにあるジォセル王の階段ピラミッドのようでした。 -
さて、ギザには三大ピラミッドの名の通り、クフ王とカフラー王のピラミッドからちょっと離れた場所にはメンカウラー王のピラミッドと言うのがあります。それにプラスして、その近くにはピラミッド・パノラマ・ビューの観光スポットも。
SUR SHANGHAI一人ならそこまでテクテク歩いて行くんでしょうが、あんまり歩きたがらない旦那が今日は一緒なのがネック。
案の定、「次はスフィンクス。」と言って、カフラー王のピラミッド前にある葬祭殿とスフィンクス方向を結んでいる参道を下り始めた。(−−〆)
未練気に振り返ったSUR SHANGHAIを見送ってくれたのはカフラー王のピラミッド。
この画像で、カフラー王のピラミッドが台地状になった半砂漠の高い位置にあるのが分かるのでは? -
カフラー王のピラミッド見学後、葬祭殿参道から周りを見回した時、すぐに「あれがスフィンクスだ!」と分かる人はあんまりいないかも。
スフィンクスはピラミッド地区の出口近くにあるんですが、その出口へと続く斜面の低い場所にあるため、最初はその後頭部しか見えません。
その後頭部も、画像の左手に出ているようにトルコのカッパドキアにあるキノコ岩にしか見えないので「まさか、あれが…?」
「え、でも、出口はこの方向だし、出口外のKFCやピザハットの赤い看板も見えてるよ。」
画像をクリックして元画像で見てみると、大きく拡大されます。もっとはっきり見てみたい方はどうぞ。 -
イチオシ
キノコ岩にしか見えないスフィンクスの後頭部。
そのうなじまではっきり見える距離になっても、キノコ岩のまま…。
これが本当にスフィンクスなの? (@_@;)
まるでスフィンクスの謎解きをしている気分。 -
ちょっと話は脇道に外れますが、携帯電話の普及振りにはエジプトでも驚き。
ラクダに乗ってるこのおじさんもなにやら誰かとお話中。
2006年にチュニジアのドゥーズに行った時は、サハラ砂漠の入り口あたりを馬車で回ってくれた砂漠の民が携帯電話で話をしていたし。
中国あたりでは、雲南省の少数民族の間でも携帯電話は人気の的。
すごい時代が来たもんだ。
SUR SHANGHAIの小さい時は糸電話だった、
…と言うことはなく、(−−〆)
どこの家でも黒電話だったし、それがファッション電話、プッシュフォン、留守電・ファクス機能付き…って進化していたのに、現代の発展途上国ではいきなり携帯電話なのよね。 -
イチオシ
やっと後頭部だけのキノコ岩状態を脱却したスフィンクスの後ろの正面。
それでもまだまだ、「あなた、だあれ?」状態、なんですけど…。(~_~;) -
…そろそろと時計回りに見て行くと、「あなた、だあれ?」状態から、今度はラクダがうずくまっているようにも見えてきたスフィンクス。
カメが手足を引っ込めた甲羅から頭だけ持ち上げているようにも見えるし…。 (^^ゞ -
あ! 足をそろえて前に突き出しているあのポーズは、まさにスフィンクス!と分かる所まで来た。 …ホッと一息。
ここまで来てやっと、スフィンクスに出された謎解きが出来た気分。(^◇^)
スフィンクスの大きさは、高さ20m、長さは57m。
右端に写っている人と比べてみると、その大きさがはっきり。 -
やっとスフィンクスだと分かった後も、やっぱり体の感じがこれまで持っていたイメージと違うなあ。
高さ20mというのはともかく、猫が背を丸めているポーズを想定していたので、長さがでろ〜んと57mもあるとは思っていなかった。
前足部分が思ったより長く突き出しているからだね、きっと。(~_~;)
この画像でも、向こう側の通路にたくさんいる観光客と比べると、スフィンクスの大きさが分かると思います。 -
カフラー王のピラミッドをバックにしたスフィンクスの正面。
こうして見ると、前足も胴体もつまって見える。
この正面から見た様子が有名だから、スフィンクスの前足や胴体がべろ〜んと長いとは気付かなかったんだな。ふむふむ。
ギザにあるこのスフィンクスはピラミッドと並んですごく有名。でも、その建造時期は諸説あって不明なんだそうです。
中にはピラミッドよりさらに昔の紀元前7000年頃建造と言う説もあるんだそう。
SUR SHANGHAIは、ピラミッドと同じように紀元前2500年前後(古王国時代の第四王朝あたり)に造られたのかと思ってた…。(・。・;
これこそが、本当のスフィンクスの謎解きになりそう。 -
カフラー王のピラミッドとスフィンクスのコラボ。
ギザのこのスフィンクスは、石灰岩の斜面を四角くく掘り下げて一枚岩から彫り出された像。一枚岩から造った像では世界一大きいんだそうですが、厳密に言うと頭部分は別の場所から運ばれてきた岩だそうです。
四角い湯船に頭だけ出して浸かっているように見えるのがちょっとおかしい。(^◇^)
観光客はスフィンクスのそばには近寄れず、画像左に写っているようにちょっと離れた場所からの見学になります。 -
角度を変えると、クフ王のピラミッドを背負ったように見えるスフィンクス。
鼻が欠けているのは、後世になってアラブ人が侵攻して来た際に削り落とされたからなのだそう。
征服者が異民族の崇拝する像の顔を傷つけるのはどこでも同じ事のようで、中国でもあちこちで見た覚えがある。
やっぱりどこでも、相手を侮辱する際の行為は、≪顔を潰す≫、≪顔に泥を塗る≫のが効果的らしい。
≪顔を潰す≫、≪顔に泥を塗る≫の日本語と同じような言い回しもきっとあるに違いない。
元々は顎の下にあった三つ編みの長い髭も脱落したあとは持ち去られ、今は大英博物館の中。返還はされないのかな? -
スフィンクスは、頭だけ出してすっぽりと砂で覆われていた時代もあったらしい。頭回りがいびつに見えるのは、その頃に砂で削られたのかな。
一枚岩から彫って造られたって聞いたのに、日干し煉瓦や四角い岩を積み重ねたような部分もあるような気がする。
そう言えば、後ろの正面から見たお尻のあたりもそうだったような…。
ちょっとおもしろいのは、1865年(江戸時代末期)に訪欧の途中でこのギザにも立ち寄った日本人一行がいたこと。
えっ! と驚き。(◎o◎)
次のウィキペディアのページで、侍姿の日本人たちとスフィンクスのコラボが見られます。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Japanese_Mission_Sphinx.jpg
この頃のスフィンクスは、まだ砂から掘り起こされていない感じで写っています。 -
この時のスフィンクスは、右後ろ足のあたりは修復工事中らしき様相。
スフィンクスは、ライオンの体と人間の頭を合体させた像。
このとおり、スフィンクスにもちゃんと尻尾が付いてます。
でも、ライオンの尻尾って、先っちょに房が付いてたんじゃなかった?
取れちゃったのかな? -
イチオシ
スフィンクスの本名は、アラビア語では≪畏怖の父≫を表すアブ・ル・ハウル。ただし、エジプトの方言での発音はアブル・ホールだそうです。
歴代のファラオには≪西方の守護者≫として崇められたというスフィンクスも、現代に残るその後頭部とうなじを見ると、思わずクスッと笑いたくなるようなキノコ岩。
ぽっかりと青空に浮かんだ雲ものどかなこの日。 -
さ、そろそろSUR SHANGHAIとその旦那はピラミッド地区とお別れ。
出口外にあるピザ・ハットに行って、軽い食事+飲み物休憩のついでにピラミッドのパノラマも見てみようと思います。
振り返ると、ピラミッド地区の有名どころが勢揃い。
右のピラミッドがクフ王のピラミッド、次がカフラー王のピラミッド。左手の一番遠いのがメンカウラー王のピラミッド。それにもちろんスフィンクス。(@^^)/~~~
夜に行われる音と光のショーの座席はここには写っていませんが、スフィンクスの手前左手にあります。
SUR SHANGHAIたちがピラミッド地区を見学したのは、2時間にちょっと足らないくらい。
これは旦那の意向で、ピラミッド内部、太陽の船博物館、メンカウラー王のピラミッド方向へは行かなかったため。
全部回ったら、半日かかりそうです。 -
ギザのピラミッド群やスフィンクスを見終えて出口を出ると、目の前にあるのがKFCとピザハットが入った店舗。ピラミッド地区内からもその赤い看板が見えて、出口の位置が分かります。
日本のテレビ番組でも紹介されたことがあるこのお店は小さいんですが、店内や屋上からピラミッドとスフィンクスのパノラマが見えるのがウリ。
ピラミッド見物のあとは、パノラマを見ながら軽く飲物+食事休憩して行くといいですよ。
ピザハットのピザはSサイズが20エジプト・ポンド台からのお値段。
屋上に行けるのは、上階にあるピザハットのお客さんだけのようなのでご注意を。 -
ギザのピラミッド地区のパノラマが見えるピザ・ハットの上階。
このピザ・ハットの店内は狭いんですが、日陰で冷房もあるし、この景色を見ながらちょっとピザをつまんでいくといいですよ。
画像手前に見えるのが、スフィンクス側の出入り口。
ここからも入場できるそうですが、これだとピラミッドへは上り坂になるので、SUR SHANGHAIたちと同じようにクフ王のピラミッド側の出入り口から入ってここから出て来るのがいいと思います。 -
イチオシ
ピザ・ハットの階段にいた猫ちゃん。
何、あんた誰〜? …みたいな目つきで見られてしまったSUR SHANGHAI。(−−〆)
口と鼻の回りが汚れているせいか、なんとなく猫らしくない顔だね。 -
スフィンクス側の出入り口から出たギザの街並み。
ピザ・ハットで軽い食事の後、ちょっとお土産屋さんを拝見。
白黒写真時代に撮ったエジプトの風俗や人々の様子をポスターに仕立ててあるのがSUR SHANGHAIのお気に入り。
ベルベル人の目元涼しい少女のポートレートをお買い上げ。
台紙にセットしたものも大小あるので、まずはお値段交渉をお忘れなく。
このあとは、タクシーを拾って旦那と一緒にオールド・カイロへ。
25エジプト・ポンドで、所要時間は30数分でした。
オールド・カイロの様子は、SUR SHANGHAIが一人で訪れた時の旅行記にまとめてあるので、ここでは省略します。
★エジプト記(1) −ドイツからエジプト到着、オールド・カイロへ
http://4travel.jp/traveler/casa/album/10450983/ -
旦那と落ち合って一日目のカイロ周辺見学も終わり。
オールド・カイロからは、旦那も地下鉄を初体験。
地下鉄のドアが勢いよく バシンッ!! と閉まるのを知らなかった旦那は、乗り遅れた上に腕を挟まれて擦過傷。
たいしたこと無くてよかったね。
どの駅で乗り換えるのかを教えておいたのが幸いして、カイロ・シェラトン・タワーズ&カジノ近くのイル・オペラ駅で再会できた。(~_~;)
地上に上がってきたら、ほのかな夕焼け雲が広がるカイロ上空。 -
地下鉄駅2号線のイル・オペラ駅からカイロ・シェラトン・タワーズ&カジノへは徒歩5分足らず。
一日の終わりの気だるさに、歩き回った後の気だるさも混じる夕暮れ時。
イル・オペラ駅があるゲズィーラ島とナイル川西岸を結ぶガラー橋から見るナイル川。
その流れもなんとなくゆっくりになったよう。 -
ガラー橋を渡って、カイロ・シェラトン・タワーズ&カジノがあるガラー広場へ出る。
昼に見ると別にどうと言うことのない埃っぽいガラー広場も、黄昏にはモダンな街角に見えるのが不思議だ。
夕暮れの魔術? -
カイロ・シェラトン・タワーズ&カジノのネフェルティティ・タワーにいただいた部屋から見たカイロの夕暮れ。
ナイル川方向の夕景夜景は前編でご紹介したので、これはギザがある西方向の夕景。
左手に見えているビルは、同じホテルのクレオパトラ・タワーで、この時はリノベ中。
ギザのピラミッドのシルエットが、そのクレオパトラ・タワーのベランダの向こうに見えてます。
ラムセス・ヒルトンからもこんな感じでクフ王とカフラー王のピラミッドが重なるように見えたっけ。
この分だと明日のサッカーラ街道方面への旅もいいお天気になりそうで楽しみ。
今日はここでリタイアします〜。
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2009/12/04~
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★エジプト記(9)サッカーラ街道とメンフィスのあたり
2009/12/05~
サッカーラ
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2009/12/06~
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2009/12/07~
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ルクソール
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★エジプト記(13) -ナイル西岸の見所へ
2009/12/08~
ルクソール
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★エジプト記(14) −ナイルの夕景
2009/12/08~
ルクソール
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★エジプト記(15) −ルクソールからエドフ、コム・オンボ経由でアスワンへ
2009/12/09~
ナイル川流域
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★エジプト記(16)アスワン到着
2009/12/09~
アスワン
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★エジプト記(17)アスワン近郊を巡る
2009/12/10~
アスワン
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この旅行記へのコメント (4)
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- kioさん 2010/05/27 23:09:57
- 32年前に行ったgizaは〜
- エジプトに行かれたんですね。
ピラミッド周辺の様子は32年前と相も変らぬ風情ですね。
ガイドと称する人々との遣り取り云々(+_+)
自分は何であんなクフ王のピラミッドを制止を振り切ってまで
登って行ったんでしょ?(-_-;)やっぱお馬鹿としか言い様が無い(*_*)
石段も上の方は風化してボロボロでした。で、立ち往生してしまうんですけどね。
落下しそうになっても額を強く打った程度で済んでマジに良かったかも・・・
surshanghaiさんのピラミッド画像を眺めながら妙な感慨に耽ってしまった
kioでした。
- SUR SHANGHAIさん からの返信 2010/05/30 08:28:20
- RE: 32年前に行ったgizaは〜
- お返事が遅れて失礼いたしました〜。
ここしばらく旅行記作成から遠ざかっていましたが、やりかけのボランティアの仕事が終わったら、6月中にでも復帰したいと思っています。
エジプトにもついに行ってきましたよ〜。
クフ王のピラミッドを眺めながら、「ああ、ここをkioさんが上っていったんだな。」と思いました。
下から遠目に見ると、足場もたくさんあって誰でも上って行けそうな角度に見えるのが罠。危険そうに見えないのが一番危険ですね。
これはピラミッドに限ったことではないかもです。(^○^) 今後も気をつけましょう。
今日はここで失礼して、そのうちにお伺いさせていただこうと思います。
では、またのちほど。m(__)m
> エジプトに行かれたんですね。
> ピラミッド周辺の様子は32年前と相も変らぬ風情ですね。
> ガイドと称する人々との遣り取り云々(+_+)
>
> 自分は何であんなクフ王のピラミッドを制止を振り切ってまで
> 登って行ったんでしょ?(-_-;)やっぱお馬鹿としか言い様が無い(*_*)
> 石段も上の方は風化してボロボロでした。で、立ち往生してしまうんですけどね。
> 落下しそうになっても額を強く打った程度で済んでマジに良かったかも・・・
>
> surshanghaiさんのピラミッド画像を眺めながら妙な感慨に耽ってしまった
> kioでした。
>
>
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- belleduneさん 2010/05/03 08:20:24
- 10年前に行ったギザは...
- SUR SHANGHAIさん、おはようございます。
ギザの旅行記を見ましたが、私は2000年1月にこのギザへ行きました。
この年はパリーダカール・ラリーが西サハラからモーリタニアにかけてテロ事件や襲撃を受けて、死亡者が出たため、急遽ロシアの貨物輸送機でリビアを越えて、エジプトから再出発となり、ゴールがギザでした。ちょうど砂漠から帰ってきて、エジプトで1週間暇を持て余していたので、行きました。
凄い人出で、入口からマイクロバスが会場近くまでピストン輸送していました。3時間近くゴール傍で、次々と入ってくるラリー車、オートバイを見ていた思い出があります。
トヨタが優勝したのではないかと記憶しています。ジャッキー・チェンがお祝いに駆けつけてシャンペンをかけていました。
また、別に日には、1日中ここで本でも読もうかと出掛けました。カードのマグネットの不具合で、現金が少なかったので、「お金がないから、今日はここで本を読む」と言って駱駝引きのお兄さん達と話していると、「ただで良いから載せてあげる」と言われ、少し離れたピラミッドへ連れて行ってくれました。
駱駝引きのおじさん達は、エジプトへ出稼ぎに来ているリビア、スーダン、エチオピア等の人が多い上、彼らは家族に仕送りしなければならないので、しつこいのでしょう。団体の外国人は、ガイドに駱駝には乗らないように言われているし、一度乗ったら、チップを払わないと下ろしてくれないとか色んな悪評もあり、益々お客は減っているでしょうね。悪循環ですが、元締めはエジプト人ですから、駱駝のおじさんに入るお金は少ないでしょう。
そんなことを思い出したギザ編でした。
長々と書いてしまいました。すみませんm>.<m
またお邪魔します。
- SUR SHANGHAIさん からの返信 2010/05/03 09:48:16
- RE: 10年前に行ったギザは...
- おはようございます。ご訪問、ありがとうございました。(*^。^*)
5月中は出先にいる事が多くなるので、画像アップもギザ編までで一旦中止にしようと思います。
カイロのあとは、白砂漠・黒砂漠、シナイ山方面にも行きたかったんですが、このあとはエジプト旅行の王道コースのルクソール、アスワン方面へと続きます。
思い出の中の場所や人は、現実とは違って時が流れても変化しませんから、belleduneさんの体験も心の中に色鮮やかに残っていることでしょう。
belleduneさんをラクダに乗せてくれたその人はあれからどうなったんでしょうね。
現場にいるラクダ乗りの客引きさんだけを「しつこい。」と言って責めても仕方の無い事でしょうが、あのラクダ乗りはシステムを明瞭にすればお客さんも喜ぶ楽しいアトラクションになって流行るだろうなと思うだけに残念だと思います。
> SUR SHANGHAIさん、おはようございます。
> ギザの旅行記を見ましたが、私は2000年1月にこのギザへ行きました。
> この年はパリーダカール・ラリーが西サハラからモーリタニアにかけてテロ事件や襲撃を受けて、死亡者が出たため、急遽ロシアの貨物輸送機でリビアを越えて、エジプトから再出発となり、ゴールがギザでした。ちょうど砂漠から帰ってきて、エジプトで1週間暇を持て余していたので、行きました。
> 凄い人出で、入口からマイクロバスが会場近くまでピストン輸送していました。3時間近くゴール傍で、次々と入ってくるラリー車、オートバイを見ていた思い出があります。
> トヨタが優勝したのではないかと記憶しています。ジャッキー・チェンがお祝いに駆けつけてシャンペンをかけていました。
> また、別に日には、1日中ここで本でも読もうかと出掛けました。カードのマグネットの不具合で、現金が少なかったので、「お金がないから、今日はここで本を読む」と言って駱駝引きのお兄さん達と話していると、「ただで良いから載せてあげる」と言われ、少し離れたピラミッドへ連れて行ってくれました。
> 駱駝引きのおじさん達は、エジプトへ出稼ぎに来ているリビア、スーダン、エチオピア等の人が多い上、彼らは家族に仕送りしなければならないので、しつこいのでしょう。団体の外国人は、ガイドに駱駝には乗らないように言われているし、一度乗ったら、チップを払わないと下ろしてくれないとか色んな悪評もあり、益々お客は減っているでしょうね。悪循環ですが、元締めはエジプト人ですから、駱駝のおじさんに入るお金は少ないでしょう。
> そんなことを思い出したギザ編でした。
> 長々と書いてしまいました。すみませんm>.<m
> またお邪魔します。
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