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9月21日の旅行写真の続きです。16世紀の初頭にポルトガルによって建設されたセント・ポール教会の見学です。今は廃墟になっています。(ウィキペディア、JTBワールドガイド・マレーシア・ブルネイ)

2007秋、マレーシア旅行記1(17/24):9月21日(6):マラッカ、セント・ポール教会、フランシスコ・ザビエル像

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2007/09/19 - 2007/09/23

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旅行記グループ 2007秋、マレーシア旅行記1

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旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

9月21日の旅行写真の続きです。16世紀の初頭にポルトガルによって建設されたセント・ポール教会の見学です。今は廃墟になっています。(ウィキペディア、JTBワールドガイド・マレーシア・ブルネイ)

同行者
一人旅
交通手段
鉄道 観光バス タクシー

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  • セント・ポール寺院の丘への登りは、スタダイスの横の階段から始まりました。階段の上から、入口を振り返っての一枚です。

    セント・ポール寺院の丘への登りは、スタダイスの横の階段から始まりました。階段の上から、入口を振り返っての一枚です。

  • マラッカ海峡が見える写真を纏めてそ愉快しましたので、少し写真の順序が前後します。スタダイスの由縁を記した石碑です。

    マラッカ海峡が見える写真を纏めてそ愉快しましたので、少し写真の順序が前後します。スタダイスの由縁を記した石碑です。

  • スタダイスの横の階段を登ったところは広場になっていて、広い駐車場もありました。車と比較して、樹の大きさが分かります。

    スタダイスの横の階段を登ったところは広場になっていて、広い駐車場もありました。車と比較して、樹の大きさが分かります。

  • 岡の上の寺院が見えてきました。セント・ポール寺院址は、左手の新しい建物ではなく、右手の黒っぽい建物でした。

    岡の上の寺院が見えてきました。セント・ポール寺院址は、左手の新しい建物ではなく、右手の黒っぽい建物でした。

  • まだマラッカ海峡の見通しが利かない高さです。鬱蒼とした木々の間から赤屋根の町並みが見えます。

    まだマラッカ海峡の見通しが利かない高さです。鬱蒼とした木々の間から赤屋根の町並みが見えます。

  • 現地ガイドさんは、昔の海水位が高かった事を説明されていましたが、中々実感が湧きませんでした。水面下だったとお聞きした斜面の煉瓦造りです。

    現地ガイドさんは、昔の海水位が高かった事を説明されていましたが、中々実感が湧きませんでした。水面下だったとお聞きした斜面の煉瓦造りです。

  • 微かにマラッカ海峡が見える位置まで上ったところです。帆船風の建物が、小さく見えるようになりました。

    微かにマラッカ海峡が見える位置まで上ったところです。帆船風の建物が、小さく見えるようになりました。

  • かつて、この地から日本へも渡航したフランシスコ・ザビエルの像です。亡くなった後、一時期この教会に埋葬されました。カトリックの宣教師で、イエズス会創始者の1人です。

    かつて、この地から日本へも渡航したフランシスコ・ザビエルの像です。亡くなった後、一時期この教会に埋葬されました。カトリックの宣教師で、イエズス会創始者の1人です。

  • フランシスコ・ザビエル像を見上げた付近に咲いていた黄色の花です。ミモザかと思いましたが、違っていました。花の名前は調べていません。

    フランシスコ・ザビエル像を見上げた付近に咲いていた黄色の花です。ミモザかと思いましたが、違っていました。花の名前は調べていません。

  • 現地ガイドさんが、この場所で、ザビエル像の右手が無いことを説明してくれました。1614年11月、遺体から右腕を切り離し、ローマ市内のジェズ教会に安置された事を示唆するためとされます。

    現地ガイドさんが、この場所で、ザビエル像の右手が無いことを説明してくれました。1614年11月、遺体から右腕を切り離し、ローマ市内のジェズ教会に安置された事を示唆するためとされます。

  • セント・ポール寺院への到着です。黒ずんだ立野の址が、その長い歴史を感じさせます。十字架ではなく、風見が付いていました。

    セント・ポール寺院への到着です。黒ずんだ立野の址が、その長い歴史を感じさせます。十字架ではなく、風見が付いていました。

  • 偶然でしたが、壁の写真を撮る人の手が壁の間から見えましたので、殺風景な光景が解消されました。

    偶然でしたが、壁の写真を撮る人の手が壁の間から見えましたので、殺風景な光景が解消されました。

  • 今度は寺院の中に入っての撮影です。壁だけ残して、天井は無くなっていました。

    今度は寺院の中に入っての撮影です。壁だけ残して、天井は無くなっていました。

  • セント・ポール寺院址の横壁にあった出入口です。初期の建物は海賊によって破壊され、再建された建物はイギリスによって壊され、廃墟となったようです。

    セント・ポール寺院址の横壁にあった出入口です。初期の建物は海賊によって破壊され、再建された建物はイギリスによって壊され、廃墟となったようです。

  • セント・ポール寺院の丘を一巡りしてマラッカの町並みや、マラッカ海峡を眺望しました。鬱蒼とした木立が続いていました。

    セント・ポール寺院の丘を一巡りしてマラッカの町並みや、マラッカ海峡を眺望しました。鬱蒼とした木立が続いていました。

  • 立ち寄りはしませんでしたが、休憩所もあったようです。左手には扇子の形をした、旅人椰子が見えます。

    立ち寄りはしませんでしたが、休憩所もあったようです。左手には扇子の形をした、旅人椰子が見えます。

  • 推測ですが、お墓のようでした。セント・ポール寺院の歴代司教のお1人でしょうか。

    推測ですが、お墓のようでした。セント・ポール寺院の歴代司教のお1人でしょうか。

  • 微かに残った建物のレリーフです。二人の人物像が読み取れ、その中間に船のような形をした物があります。レリーフは、かなり激しい痛みです。

    微かに残った建物のレリーフです。二人の人物像が読み取れ、その中間に船のような形をした物があります。レリーフは、かなり激しい痛みです。

  • 石碑が10枚近く並んでいました。全て撮影しましたが、その内から2枚を紹介します。大きな紋章が刻み込まれています。歴代司祭のプルフィールでしょうか。

    石碑が10枚近く並んでいました。全て撮影しましたが、その内から2枚を紹介します。大きな紋章が刻み込まれています。歴代司祭のプルフィールでしょうか。

  • 石碑の中間に紋章があります。果樹をデザインしたもののようです。文字はさっぱり読めません。

    石碑の中間に紋章があります。果樹をデザインしたもののようです。文字はさっぱり読めません。

  • 歴史を感じさせる巨木です。根っ子の部分だけで、その雰囲気は伝わります。

    歴史を感じさせる巨木です。根っ子の部分だけで、その雰囲気は伝わります。

  • この場所から見上げますと、寺院の石垣と言うより、要塞の城壁と言った趣です。

    この場所から見上げますと、寺院の石垣と言うより、要塞の城壁と言った趣です。

  • 写真を撮りながら殿を歩きました。前を歩かれるのは現地ガイドさんと、今回のマラッカ日帰りツアーで同行の皆さん達です。

    写真を撮りながら殿を歩きました。前を歩かれるのは現地ガイドさんと、今回のマラッカ日帰りツアーで同行の皆さん達です。

  • セント・ポール寺院の丘から下りの途中にあった植栽です。綺麗に刈り込まれ、赤い花が咲いていました。サンタンカの花のようです。

    セント・ポール寺院の丘から下りの途中にあった植栽です。綺麗に刈り込まれ、赤い花が咲いていました。サンタンカの花のようです。

  • スルタン・パレスと呼ばれる建物です。15世紀のスルタンの高床式宮殿を復元したものです。横目で眺めての見学でした。

    スルタン・パレスと呼ばれる建物です。15世紀のスルタンの高床式宮殿を復元したものです。横目で眺めての見学でした。

  • 1512年にポルトガルが築いた巨大な砦の門の部分です。門だけが残った、サンチャゴ砦です。

    1512年にポルトガルが築いた巨大な砦の門の部分です。門だけが残った、サンチャゴ砦です。

  • 門の上にあったアーチ型の門を持った飾りです。煉瓦で作られ、その上には漆喰が施してあったようです。所々にその漆喰が残っています。

    門の上にあったアーチ型の門を持った飾りです。煉瓦で作られ、その上には漆喰が施してあったようです。所々にその漆喰が残っています。

  • 門の中の様子です。ここでも赤レンガが顔を覗かせ、漆喰が残っています。マラッカ王国は1511年にポルトガルに占領され、1641年まで支配が続きました。

    門の中の様子です。ここでも赤レンガが顔を覗かせ、漆喰が残っています。マラッカ王国は1511年にポルトガルに占領され、1641年まで支配が続きました。

  • 車に乗せられた青銅の大砲が展示してありました。マラッカを支配したポルトガルは、海峡を通過する船から、強制的に5%の関税を取ったとされます。

    車に乗せられた青銅の大砲が展示してありました。マラッカを支配したポルトガルは、海峡を通過する船から、強制的に5%の関税を取ったとされます。

  • 少し離れた場所から撮影した、サンチャゴ砦の門の遺跡の全景です。大砲は門の左右に展示してありました。その昔は、砦の上にあったかも知れません。

    少し離れた場所から撮影した、サンチャゴ砦の門の遺跡の全景です。大砲は門の左右に展示してありました。その昔は、砦の上にあったかも知れません。

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