2007/03/30 - 2007/03/31
134位(同エリア348件中)
SUR SHANGHAIさん
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ちょっと不消化だった福建省の省都・福州市をあとにし、この日のSUR SHANGHAIは長距離バスで泉州の街を目指します。
海に向かって太鼓腹のように突き出した福建省。
その海岸線には交通の大動脈の高速道路が整備され、福州から泉州までは2時間半。
中国の長距離バス旅も、どんどん快適になって来ているなあ。
これまでに行ってみた中国の田舎では、(◎o◎)!と思うような超おんぼろバスにも乗ったけど、今は新しい車種もどんどん増えてるし。
ちょっと前までのハードな旅の醍醐味が薄れたようで、ちょっぴり不満に思うのはSUR SHANGHAIだけの感傷かも。
山が多くて鉄道よりもバス路線が発達している福建省内の移動には、地元の人にも旅人にも便利この上無い長距離バス。
そんな思いに浸っている暇も無く、あっけなく泉州の街に到着。
泉州は、マルコポーロが『東方見聞録』でザイトンと呼んだ、海のシルクロードの起点となった街。
この日はゆっくり休んで、翌日はまず、明代に倭寇の進入を防ぐための城壁を造ったという崇武(すうぶ)古城を訪れます。
注:中国語の≪古城≫と言う言葉は≪古い町≫の意味。日本語で言う意味の≪古いお城≫が有るとは限りません。
表紙の画像は、泉州がザイトンと呼ばれる由来となったと言う刺桐(ザイトン)の木。
注:刺桐(ザイトン)の発音は泉州あたりの方言だそうで、普通話(北京語)の発音ではツートンです。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス タクシー 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
福建省の泉州市は、マルコポーロが『東方見聞録』の中で≪ザイトン≫という名で呼んだ沿岸の街。
SUR SHANGHAIが乗った福州市からの長距離バスは、2時間半で≪泉州汽車客運中心站≫に到着。
この長距離バスターミナルは、市街地の南の泉秀街にあります。わ〜、ここも新しいターミナルだ。
さて、ここからどうやって目的のホテルまで行こうか。
タクシーは数が少ないし、遠くまで行ってくれるお客さんがお好みみたい。
今日はもう疲れたから、路線バス探しはパス。
バイク・タクシーだと、持ってるバッグが邪魔になるし…と決めたのは、自転車人力車。 -
泊まってみようと思っていた≪泉州刺桐飯店≫までSUR SHANGHAIを乗せて行ってくれたのは、この自転車人力車のおじさん。
正式に営業許可を取ったしるしにナンバープレートも付いていて、座席は二つ。
SUR SHANGHAIは自転車人力車と呼びましたが、中国語では≪人力三輪車≫と言います。
座席は板が渡してあるだけで、決して乗り心地はよくないのですが、旅の想い出に乗ってみては?
田安北路460号にある≪泉州刺桐飯店≫まで20分くらいで10元という言い値。
言い値は交渉してくださいね。
おじさん、よろしくです。 -
泉州の市街地は坂が無くて舗装も出来ているから走りやすいとは思うけど、次第に息切れしてくるおじさんの息遣いを聞いていると、話しかけるのもただ座っているのも気まずくなったSUR SHANGHAI。(^^ゞ
でも、これがおじさんの仕事なんだし、乗り手がいなかったらお金を稼げないんだから、と割り切ることに。
そんな街角で見たのは大荷物を積んだ自転車。中身は発泡スチロール製品かな。
これだと後や左の安全確認は無理。それに急に横風が吹いたらひとたまりも無く倒れそう。
おにいちゃん、気を付けてって言うか、それって交通規則違反でしょ。 -
目当てにしていた≪泉州刺桐(ザイトン)飯店≫前で、自転車人力車のおじさんに別れを告げる。
泉州がザイトンと呼ばれた由来についてはこの旅行記の中ですることにして、まずはこのホテルのご紹介。
シングル料金が275元(朝食は別料金)のツイン部屋は明るく清潔。中庭に面していました。浴室は多少古びていても、シャワーのお湯がたっぷり出てお値段の割りに居心地よし。
夕・朝食のブッフェは見た目が今ひとつで残念。
スタッフの応対がフレンドリーだったのは高得点。
マッサージ店もあって足裏マッサージが1時間50元、全身マッサージが1時間60元。これもよかったです。
所在地:福建省 泉州市 田安北路460号
繁華街の中山中路から2kmほど東の東湖公園の近く。お隣は海外交通史博物館。
ホテルの名の≪刺桐≫はこのあたりの方言の発音に従ってZAITUN(ザイトン)と表記されますが、人によっては普通話(北京語)の発音のツートンでないと通じないこともありました。
?:(0595)22102222
07年3月下旬現在、HPは無いようです。
泉州に到着した日はもうそのまま夕暮れになったので、SUR SHANGHAIはその後数日のスケジュール再調整。 -
翌日のメインには、明の時代に倭寇の侵入を防ぐための城壁を造った町≪祟武(すうぶ)古城≫を選んだSUR SHANGHAI。
場所は、泉州から東に50km足らずの惠安県・祟武半島。途中にある別の見所≪洛陽橋≫もまとめてタクシーで行ってみよう!
一夜明けてみたら、外は雨!! (ーー;)
≪泉州刺桐(ザイトン)飯店≫の気の利くドアマンおにいちゃんが、「のち曇り」の天気予報も確かめてくれたり、念のための傘を貸してくれたり、タクシーを呼んで相場の言い値を聞いてみてくれたり…と大活躍。
一昔前の中国のホテルのスタッフには期待できなかったこの活躍ぶり! ありがとう!
ちなみに≪祟武古城≫までの片道の言い値料金は75元だそう。
SUR SHANGHAIの≪洛陽橋≫も含めたコースの往復+待ち時間込みの言い値は180元。朝8時頃から午後3時近くまで雇いました。言い値は交渉してくださいね。
道筋は全て舗装されていましたが、選べる時には車体の整備のよさそうな車にした方がいいですよ。
雨で煙る道を約1時間。着いた先での≪祟武古城≫の入場料は27元。なぜか保険料2元込み。
画像左手に赤○を付けたのは駐車場。そばにチケット売り場、食堂、売店、トイレあり。トイレ用ペーパーは必携。
チケットの裏にも地図が付いていますが、入り口の門の所で大きな地図を見て、トイレなどの場所を確認するのが○。
まず、城壁外側の公園風に整備された海辺の道を歩いて行くようになっています。
画像で灰色の部分は城壁で囲まれた≪祟武古城≫内部。
画像中央の青○については後述します。 -
イチオシ
タクシーの運転手おにいちゃんには、駐車場で待っていてもらうことに。
入口から入って200mほどは、崇武古城がある惠安県特産の花崗岩で造った石像が林立。
現代中国キッチュ・アート風の眺めなので、一瞬
「え、これが崇武古城なの!? (◎o◎)」
でも、大丈夫。
そこを通り抜けると、こんなノーマルな眺めになります。
この赤い花を付けた木は刺桐(ザイトン)。
泉州周辺にはこの木が多いゆえに、マルコポーロも『東方見聞録』の中で泉州をザイトンと呼んだのだそう。
ただ、このザイトンという発音は泉州あたりの方言だそうで、普通話(北京語)での発音はツートンです。
その花をアップで見てみると…、 -
…≪桐≫と名が付いていても、桐とは全く異なる雰囲気の刺桐(ザイトン)の花。
それもそのはず、刺桐は日本だと梯梧(デイゴ)、珊瑚刺桐(サンゴ・シトウ)などと呼ばれるマメ科の木なんだそうです。
マルコポーロもこの花が気に入ったから、泉州をこの木の名でザイトンと呼んだのかも。(これはSUR SHANGHAIの空想です。) -
天気予報の通りに雨が止むと、今度は海霧が濃くたちこめた崇武古城周辺。
潮の匂いも濃い!
ジクジク蒸してくるこのお天気のせいか、訪れる人も少なくて静か過ぎるくらい。
入って来た道筋のキッチュな石像群にはびっくりしたけど、こんな風流な人物像も立つ岩の浜辺。 -
イチオシ
崇武古城は、宋代には既にこの惠安県・崇武半島沿岸に存在していた町なのだとか。
明代には倭寇が頻繁に襲来して来たので、その町の周りに城壁を巡らしたんだそうですよ。
その城壁や町の内部の紹介の前に、ちょっと浜辺も歩いてみます。
今日は海霧が濃くて、海面がほとんど見えないお天気の割りに波は穏やか。
水墨画のような松のシルエットだ?。
倭寇はこの浜辺から上陸した事もあったんだろうかと思うと、合戦のどよめきが霧の中から聞こえてきそう。 -
砂を踏んで歩く足元には、今朝方の雨の粒を宿した愛らしい小花。
-
小さな砂浜の一端には、魚の浮き彫りや書らしい文字が彫られた小高い崖。
本当はこの砂浜から、崇武古城の城壁や灯台がよく見えるはずなんですが、この霧ではぼんやり。
それではあまりにも期待外れになってしまうので…、 -
…チケットに付いていた絵でご紹介します。
画像で灯台が見える場所が先端になって、万里の長城のような城壁がグルリと崇武古城を取り囲んでいます。
お天気がいい日には、この海辺をもっと散策してみるのもいいと思いますよ。
ただ、「小舟に乗らないか?」の誘いがあったらご用心。
これまでにも転覆などの事故があったようで、注意を促す看板も出ていました。 -
霧が濃過ぎて、崇武古城外側の海の景色は全然見えず。
SUR SHANGHAIは、明代からの古民居が並ぶ町並みを見に城壁内部へ行くことに。
この旅行記の初めの方に出てきた地図だと、青○を付けた所に南門関帝廟の門があります。
城壁内部を見に行く時はその門からどうぞ。見逃すと、次の門まで延々と歩いて行く羽目になりますよ。
これは、その南門関帝廟の門がある近くの城壁。
注意書きがしてあるのを読んでみると、この穴は1937年5月17日に日本軍に砲撃を受けた時に出来た物だそうです。
≪罪状之一≫とも書いてありました。 -
南門関帝廟の門から入った崇武古城の城壁内側。
内側は基壇と壁の二段構造。町を囲い回した花崗岩の城壁の総延長は2457m、基壇を含めた城壁の高さは12mあるそうです。
下にポツリと立つ人と大きさを比べてみてくださいね。
この城壁は、明の太祖・朱元璋が倭寇対策として造らせたものだそうです。
城壁の上には、大砲なども置かれていましたよ。 -
城壁の上にある小さい廟から南門関帝廟を見下ろした場面。
屋根の装飾も形も台湾でよく見た廟の造りと同じ、と言うか、こちらが本家なんでしょうけど。 -
南門関帝廟の扉。
城壁の南門の所にある関帝廟なので、そう呼ばれているのだと思います。
関帝(かんてい)は、三国時代の武将・関羽が神格化された呼び名のようです。
本来は武勇の神様のはずですが、今ではなぜか商売繁盛の神様になっているのは不思議。
この時は扉も閉まって、神様は休業中。 -
さ、SUR SHANGHAIは崇武古城の中に入って行きます。
この旅行記の表紙にも書いたように、中国語で≪古城≫と言う言葉は≪古い町≫を意味します。日本語で言うような意味の≪古いお城≫は、有ったり無かったり。
崇武古城城壁内部は、明代からの古民居も残る町並みが続いています。お城はありません。
迷路のように入り組んだ石畳の道沿いには…、 -
…さすがに古くなりすぎて放棄された石造りの家があるかと思えば…、
-
…井戸もあちこちで見られます。
今は水道も引かれているようですが、まだまだ現役の井戸もありましたよ。
最初は見かけるたびに写真を撮っていましたが、キリが無いほど。
この旅行記の中では、その中のいくつかを載せようと思います。
井戸の口の形は丸や四角が多かったですが、共通しているのは石造りと言う点。セメントで口周りを形作っている所も多かったです。
紐の付いたバケツを持って来て汲み上げます。
路地の脇のほか、家々の敷地内でも見かけました。 -
崇武古城の石造りの民家の戸口にも、春節(中国の旧正月)に張り替える赤い春聯。
春聯には、その年の始めにあたってのおめでたい言葉が書かれています。
今は派手に印刷された既製品も多いですが、自分で筆をとる人や、達筆の人に頼んで書いてもらったりする人も。 -
台湾でよく見たこんな赤いレンガ造りの家や廟も、福建省が本家だったんだなあ。
この写真だけ見たら、台湾の鹿港の町並みを思い出す。
この廟は入口部分の屋根が朽ち果てていた。
もう誰も来なくなった廟なのかと思ったら…、 -
…片隅の小さい石像は、お線香を上げてもらってるみたい。
この神様はどちら様なのか、SUR SHANGHAIは(・・? -
その神様の脇には、赤いレンガを背景に風流な花が一本。
-
わ、これは立派な門構えのお宅。
明代の崇武古城には倭寇対策の武官も派遣されたと言うし、この入口の額にも書いてあるとおり、武官の邸宅だったのかな。
今の住人も、その子孫なのかも。
この門の両側にある頭の丸い石の彫刻は、これまでにもあちこちで見て何だろうと思っていましたが、最近買った『中国古鎮游』と言う本で疑問が氷解。
これは門の柱を支える基礎の石で、外に露出した部分に装飾を施したんだそう。
こういう風に丸い形の物は抱鼓石と言うんだそうですよ。 -
民家に囲まれた空き地にあった井戸。
水汲みに使った後なのか、外回りが濡れていました。 -
崇武古城には、大小の廟や祠も数え切れないほど。
もちろん民家の数が一番多いんですが、次に多いのは井戸か廟かという感じで、写真に撮りきれません。 -
練炭を積んだ大八車。ここが練炭置き場かな。
崇武古城では狭い迷路が続く町の構造上、4輪自動車は入って来られないので、このほかには単独のリヤカーや、リヤカーを付けた自転車やバイクがよく使われていました。
練炭は今でも七輪での煮炊き用にもよく使われます。
田舎に限った話ではなく、上海のような大都市でも下町や水郷の町に行くとそうですよ。
よく民家の門口で、真っ黒なヤカンを置いた七輪を見かけます。 -
さまざまな石を塗り固めたような民家の壁。
赤い瓦を使った屋根と窓。
このコンポジションが美しい。
時々地元の人に
「何でこんなボロ家ばかり撮る? こんな家よりあれがきれいだよ。」
と指差される先は、新しいタイル貼りの家だったり。
ちょっとだけ訪れる側からすると古い家は美しいけど、実際に住む人々にとっては、新しい設備の家の方が美しくて価値あるもの。
そう思わされる事は、これまでにもたびたびありました。 -
イチオシ
表の通りに門がある家は、ちょっとした中庭を挟んで正面に祖先を祀った祭壇があります。
崩れかけて無人になった一軒のお宅を覗いてみたら、祭壇の上には祖先らしい人々の肖像画や写真を入れた額が掛けっ放し。
もう屋根も破れているし、中庭も荒れ放題。
祀ってくれるはずの子孫が絶えた家、なんだろうか。
古い家系の一つの終わりを見た思い。 -
崇武古城の民家の造りは一定ではなく、これまでに見て来たような質素な石造りの家もあれば、木やレンガ造りの家も。
時代や住む人の身分によってスタイルが違うらしいのが分かります。
このお宅の石柱は、ちょっと西洋風。 -
青空市場、発見。
商品は自分の畑で採れた野菜や果物、自家製の麺、この惠安県・崇武半島周辺で獲れた魚など。
ここで初めて惠安県独特の衣装を着けた地元の女性≪惠安女≫のおばあさんと遭遇。 -
崇武古城がある惠安県の女性は≪惠安女≫と呼ばれ、その独特の衣装が目を引きます。
一見すると少数民族のようですが、この辺の人たちは漢民族。
おばあさん、ちょっと一枚撮らせてくださいね。パチリ!
瞬きで目を閉じた顔になって残念。
スカーフで頭を覆い、色鮮やかな上着と幅広のズボン。
この上着は元々はおへそが見える位短くて、銀色の腰帯をしているのだそう。へそ出しファッションの元祖。
おばあさん、へそ出しはもう引退ですか。
あとはこれに笠をかぶるんだそうですが、この日は日差しが弱いせいか笠は無し。 -
天秤棒を担いで市場を去る女性も惠安女ファッション。
あとでタクシーの運転手おにいちゃんが言うには、昔は顔が見えない位にスカーフで覆っていたんだそう。
「惠安女は働き者で有名なんだぞ。」と自慢そうに言うので、
「じゃ、≪惠安男≫は?」と聞いてみたら、
「……、男はマージャンで遊んでる。(^^ゞ」だって。 -
崇武古城で見つけた石敢当。
(泰山)石敢当というのは、気の流れが直撃する村の入口、河の流れのそば、三叉路などに置いて、邪気が入り込まないようにする役目を持っています。
これは三叉路にある廟の前に立っていました。
廟を建て替えた時に一緒に立て直したようで、花崗岩の基壇にコンクリートで固定されていました。
由来はよく分かっていないそうですが、中国・山東省にある泰山は古代から信仰の対象になっていたので、その名のご利益で魔除け・厄除けにされたとも言われているのだそう。
8世紀に福建省からその風習が始まったというので、崇武古城内にはもっとあるんじゃないかと思いましたが、SUR SHANGHAIが見つけたのはこれだけ。 -
市場があった辺りはコンクリートやタイル貼りの新しい2?3階建ての家が増えていました。
ちょっと路地に入ると、もう廃屋になった家が多い崇武古城。
崇武古城内の民家に似た町並みを持つ台湾の鹿港は、数年前に行った時には観光地化されて化粧直しされていましたが、初めて行った80年代後半は、やっぱりこんな廃屋が多かったのを思い出したSUR SHANGHAI。 -
イチオシ
もう石臼などの道具は使わなくなったらしい。
民家の前には、この辺の特産の花崗岩で作った道具類がこのほかにもたくさん放置されていました。
あの扉を開けたら、中の部屋には現代の家電製品がズラリ、かも。 -
洗濯物が下がる民家前。
今日のお天気じゃ、パリッとは乾かないだろうなあ。
手前の洗い場にご注目。
これはコンクリート製ですが、洗濯板も取り付けられています。生活の知恵。
花崗岩製だと、洗い場と一体になった洗濯板(洗濯岩?)もありましたよ。 -
あ、やっと井戸を使っている場面を発見。
道脇でモップ洗いしているおばあさん。
赤いスカーフが色鮮やか。 -
路地の向こうに、崇武古城の城壁が見える。
あの上から町並みを見下ろしてみたいなあ。
上り口を探してみることに。 -
崇武古城の城壁内側は、段になった部分を畑に転用していたり家畜の飼育場にしていたり。
上って行けそうな所もありましたが、フェンスでさえぎられていました。観光用に開放している見晴台が他にあるのかも。 -
イチオシ
家畜に与える練り餌を作っていたおばあさん。
地元の訛りが強くてコミュニケーション不能。
さっき市場で見たおばあさんとは衣装が違いますが、やっぱり≪惠安女≫は働き者らしくて、腕にカバーを付けています。
スカーフをしていないおばあさんたちは、みんな頭に赤い髪飾り。
お洒落心はいつまでも、のお手本。 -
花崗岩で作った道具以外にも、古い家具も野晒しになっている民家前。
うーん、上海あたりの骨董家具屋では、こういう家具を買い取ってリフォームした後は、結構いいお値段で売ってるんですが。
木材やサイズにもよりますが、この脚の造りが凝った引き出し付きの机だと、リフォーム代込みで2ー3千元前後。 -
石造りの門の中に、自家用井戸のある民家。
-
狭い路地でワンちゃんを乗せたリヤカー付きバイクとすれ違う。
このおばさんはちゃんとヘルメットをかぶってます。
安全第一。
ワンちゃんにもヘルメットを特注したら? -
石段に佇む烏骨鶏(ウコッケイ)。
どうしてこんな名前が付いたかと言うと、皮や肉、骨や内臓も黒味を帯びているニワトリだから。
注:中国語の≪烏≫には、≪カラス≫と言う意味以外にも≪黒い≫と言う意味があります。
薬膳料理にも使われるくらい、滋養強壮にいいそうです。
ここまで来たら、城壁の外でなにやらドンガラドンガラと賑やかなブラスバンドの演奏が始まったので、ちょっと見に行ってみます。 -
どこから城壁の外に出られるのか探してみたらありました。
これはSUR SHANGHAIが≪崇武古城≫内に入った南門とは別の門。ここは地元の人も大勢通っていましたよ。
外に出てみると…、 -
…一軒のお宅の前に人だかり。
あ、お葬式だ。
すでにブラスバンドが到着していて…、 -
…また始まった賑やかな演奏。
葬送の曲、と言うより、力強く故人を見送るといった演目。
見えない所で聞くと、お葬式のための演奏とは思えません。 -
演奏が一段落して、道の片隅で休むブラスバンド。
中国ではお葬式の時に白か黒のネクタイをします。
中国で結婚式にお呼ばれされたら、男性は白ネクタイをしてはダメですよ。
おばさん、斜めお向かいではお葬式中なんですが、今日もここで店開きするんですか。 -
崇武古城の城壁を背に現われたのは、惠安女の装束を身に着けた3人のきれいどころ。
お葬式の隊列に参加すると思われます。
さて、これからどうなるのかと思ったら…、 -
イチオシ
…お葬式の花輪の前に陣取って、華やかな笑い声を上げる惠安女のおねえさんたち。
いくら『女が3人寄ればかしましい』って言っても、お葬式なんですが…。(^^ゞ
亡くなった方は男性のようなので、こういうおねえさんたちに見送られた方が却ってうれしいかも?
不謹慎な言い方でしたらお許しを。m(__)m
このおねえさんたちは雇われて葬列に参加するんだろうな、とは思ったけど、それぞれ看板まで持ってますよ。
左のおねえさんが持っているプラカードには、≪泉州市民間芸術演出 優秀賞≫と書いてありました。(^^ゞ
これを持って、葬列の先頭を行くのかも。 -
お葬式の方はこれから読経なども始まるようなので、亡くなった方のご冥福を祈りつつ、次の目的地≪洛陽橋≫に移動することにしたSUR SHANGHAI。
海側では霧が濃くて撮れなかった崇武古城の城壁をパチリ。
また城壁内部を通って、振り出しの駐車場へと向かいます。 -
小さいながら、赤と黒、金色が印象的な廟。
-
バイク・リヤカーの座り心地はいかが?
-
戸口の三方に貼り付ける春聯は、普通は赤地に黒でおめでたい字を書くのに、このお宅では黒地に白い字。
あれ?初めてだ、と見てみると、≪心傷≫、≪逝≫などの字が混じっているので、身内に不幸があったお宅なのでは? -
駐車場まで戻って来ると、タクシーの運転手おにいちゃんはお昼寝中。
じゃ、と気を取り直して、SUR SHANGHAIはちょっと遅い昼ご飯にすることに。
福建省の泉州湾に面した町では、魚肉をすり身にして棒状に形作った魚巻が名物ですよ。
形は魚肉ソーセージ風。味の方は日本のツミレに似て日本人好みだと思います。
そのままでも売ってますが、なま物なので持ち帰りはちょっと無理。
崇武古城の駐車場そばには魚巻を出している食堂が多数あります。
SUR SHANGHAIは、一口大に切った≪魚巻≫とネギだけをシンプルな塩味スープ仕立て(5元)にしてもらいましたが、その日の野菜や魚、麺などを入れてもらうのも○。
辣椒醤(唐辛子ソース)を付けてもおいしいですよ。
このあとは、中国古代4大名橋の一つ≪洛陽橋≫を訪れてから、泉州市内見学に向かいます。
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この旅行記へのコメント (8)
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- しゅんはさん 2007/05/17 22:08:26
- 日本だと、デイゴと呼ぶんですね。
- SUR SHANGHAIさん
我が家の近くに、この花が咲いているのです。
花の色が鮮やかで、どう見ても日本の花に見えないこの植物はなんという花なのかしらと、ずっと思っていたんです。
夏になると、垂れ下がった枝先に赤というか、朱色というか見事な花をつけますが、秋になり冬になると、葉っぱは全部落ちてしまい、枯れてしまったのかしらと心配になる植物でした。
今は、少しづつ葉が出てきています。
又、夏には沢山の花をつけてくれることでしょう。
しゅんは (*^_^*)
- SUR SHANGHAIさん からの返信 2007/05/22 07:42:14
- RE: 日本だと、デイゴと呼ぶんですね。
- 日本の花と言うと、春の七草、秋の七草のように、色も形も儚げなものが多いですから、デイゴはやはり異国の趣を漂わせる強い色が感じられますね。
植物にもお国柄があるように思えて、おもしろいと思います。(*^。^*)
-
- azianokazeさん 2007/05/15 02:36:53
- 見たいもの、見せたいもの
- 奄美ではデイゴが今盛りです。
仕事場から見える公園にもデイゴが咲いています。
その鮮やかな色にときどき目をやっています。
<時々地元の人に
「何でこんなボロ家ばかり撮る? こんな家よりあれがきれいだよ。」
と指差される先は、新しいタイル貼りの家だったり。>
私もときどき「こんなものばかりに興味を持つ外国人を地元の人はどんなふうに感じるのかな・・・」と思うことがあります。
まあ、気持ちはわかります。
日本に来た外国人が古いもの、珍奇なのばかりに関心を持つと「もっと今の日本を見てよ。もっと普通の姿を見てよ。」って言いたくなりますからね。
惠安女、初めて拝見しました。
特にプラカードを持ったお姉さん達が現代中国風で面白いですね。
- SUR SHANGHAIさん からの返信 2007/05/17 12:13:40
- RE: 見たいもの、見せたいもの
- 見る側の見たい物、見られる側の見せたい物のギャップですね。
私は彼らの言う≪ボロ家≫に、歴史や人々の昔の生活、美しさを感じて撮るわけですが、彼らは「ここが≪ボロ家≫ばかりと思われてはイヤ。」と感じるようです。
「古いものは美しいから。」と説明して一応納得する人もいますが、中には怒り出す人も。
目の前にある時には「こんな物。」と思っても、無くなってから残念に思うことも多いと思うんですが。
もうすぐ一時帰国ですが、スランプで筆が進まず、それまでに旅行記が客家の土楼まで辿り着けるかどうか…。(^^ゞ
-
- ゆっくり歩くさん 2007/05/13 17:40:22
- ことばは面白いですね。
- さすがに写真が美しい,とただ感嘆。
84年に2回福州からアモイに乗用車で移動しましたが,農家の庭先とでもいう所を走り抜けたことを思い出しました。今は,高速道路時代なので,車から通り過ぎる所の生活が見えなくなったのは残念ですが,移動は楽になっていますね。
当時は,恵安の辺りでは,周りとだいぶ違い衣装を身に着けた女の人が多かったのを覚えています。アモイの町の中でもかなり目立つ存在でした。少数民族でなく恵安の人たちだと教えられました。
写真を見て,帽子は変わっていないけれど,もっと華やかな感じの色だったなあと思うのですが,今ではもう日常的には,恵安の女の人も普通の衣装になっているのでしょうか。
その後,アモイから泉州までいく機会はあったのですが,訪ねたかった崇武古城へはいっていません。文中ご指摘の通り,城は単なる町であって,今では,商業関係の場所をさす語にも使われ,大活躍ですが,辞書には一向に採録されず,変な感じですね。
ビアガーデン,ビアホール,自動車センターなどしっぽが城なので,中国にいったことがない,或は中国語を覚えようとしないわが友人の中にも誤解する人が多いのには困っています。こういう風に,ことばをひょいとご紹介して頂くと印象が強いので,面白いなと思いました。刺桐も。
- SUR SHANGHAIさん からの返信 2007/05/15 02:22:58
- RE: ことばは面白いですね。
- お久しぶりです。ご訪問と書き込み、ありがとうございます。m(__)m
今は高速道路もどんどん出来て、一昔前の≪中国の旅=ハードな旅≫のイメージが薄れつつありますね。
84年だと、一般道はどうだったんだろうと思ってしまいます。
惠安での女性の服装は、おばあさんたちや職業的必要がある人たちは≪惠安女≫の服装でしたが、道行く人は普通の服でした。
これも変わり行く中国の一つの場面ですね。
中国語の漢字と日本語の漢字の意味の違いを知らずに誤解している知人・友人がいるので、≪城≫に限らず誤解されそうな言葉には注を付けていこうと思ってます。自分の再勉強のきっかけにもなりそうですし。
最近、文章書きスランプに陥って、一つの旅行記を仕上げるのに手間取っています。この分だと春先の福建省を終わらせるのもいつになるやら、です。
-
- シベックさん 2007/05/12 16:51:19
- 歴史を感じる味のある街
- SUR SHANGHAIさん、こんにちは。
編集中でしたが「福建省の旅 ?」拝見しました。
いつもながら素晴らしい写真の数々に歴史の重みを感じました。
中国は行ったことのない国ですが、建物や日常の道具などに
興味は尽きません。使い込まれた建物や井戸、
ちょっとした風景いいですね〜。
味わいのある街角風景、堪能させていただきました。
シベック
- SUR SHANGHAIさん からの返信 2007/05/13 14:04:57
- RE: 歴史を感じる味のある街
- 書き込み、ありがとうございます。m(__)m
中国には、日本ではまだまだ知られていない古い町がたくさんあります。
そういうマイナーな場所を訪れてみるのが、最近の楽しみです。
行けば行くほど、行き尽くせない気もしますが。
シベックさんも、そのうちに中国にもお越しくださいね。(*^。^*)
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