2007/04/03 - 2007/04/03
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SUR SHANGHAIさん
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この日の前半は、萬金油(タイガーバーム)の胡文虎の父祖の故郷≪中川古村落≫を訪れてみたSUR SHANGHAI。
博物館になった虎豹別墅では、胡文虎一族の歴史の一端を知ることができて思わぬ収穫。
中川古村落出身の胡子欽が華僑としてビルマ(現ミャンマー)に渡らなかったら、胡文虎も生まれなかったし、タイガーバームも生まれなかったんだなあ…。
胡子欽は、ハングリー精神を昇華させた華僑の一人だったんだ…、という思いに浸ったSUR SHANGHAI。
さて、この日の後半は、山の中の風情が美しいという初溪土楼群へと向かいます。
初溪土楼群は永定県にある永定土楼群の一つ。
ここから山を一つ越えた南靖県にも、南靖土楼群の集落が数多いと聞いても、今回の土楼群巡りはここまで。
前々編でも書いたように、土楼の数がこれほど多いとは思っていなかったSUR SHANGHAIのスケジュール調整ミス。
思いがけず福建省にはこの後5月に再訪することになったので、南靖土楼群のご紹介は今後の旅行記でご紹介することにして、ここでは初溪土楼群をご紹介します。
表紙の画像は、1419年に造られたという初溪土楼群の≪集慶楼≫内側と中央の祖堂。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- タクシー 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
中川古村落からタクシーで30分ほど。この区間は一応舗装されてはいても、路面が荒れている場所多し。
初溪土楼群の集落入口到着。
永定の町からだと乗車時間は合計1時間半。
この日はこの入口を撮り忘れたので、画像は5月に再訪した時のもの。
この時は天候が悪かったのでSUR SHANGHAIは永定の町からタクシーを雇っていきましたが、お天気がいい日には下洋か湖坑の町からバイク・タクシーで行ってみるのがいいのでは?
画像右手の小屋が初溪土楼群見学のチケット売り場。
入場料50元。
小屋向かいに小型車用駐車場があるので、タクシーの運転手おにいちゃんはそこで待っていてくれることに。
この場所脇の階段を上って初溪土楼群の集落全体像を見下ろす展望台に行けますが、SUR SHANGHAIは先に集落の中へ行ってみます。 -
これは、この日の前半訪れた≪中川古村落≫や、この旅行記で訪れる≪初溪土楼群≫を中心にして、各地からの距離を示した地図。初溪土楼群のパンフレットからとったものです。
数字はキロ数を表しています。
画像をクリックして元画像で見ると、はっきり表示されます。
注: これは距離数を示すために作られた地図なので、各地の東西南北の位置は度外視されています。
線の長さも距離に比例していないのでご注意ください。
赤い線は県道、緑の線は省道、赤い太線は国道、黄色い線は高速道路です。
≪机場≫と書いてあるのは≪機場≫の簡体字表記で、日本語では≪空港≫のことです。 -
入口のゲートから、≪桃花溪≫と名の付いた小川沿いの道を200m足らず。
初溪土楼群の集落が見えてきた!
≪桃花溪≫に架かるこの五溪橋を渡って集落へ入って行くのですが、SUR SHANGHAIはまず大型車の駐車場へ。
その駐車場からは…、 -
…≪桃花溪≫を挟んだ初溪土楼群の集落の一部が見えたり、そばには…、
-
…初溪土楼群の集落の地図も出ています。
これまで見て来た他の集落同様、地図には特に有名な土楼しか表示されていませんが、実際にはさらに多くの土楼があります。
この画像だと、右下の赤○がチケット売り場や小型車用駐車場があった入り口。
SUR SHANGHAIが今立っているのは、画像ほぼ中央の黄色い○がある大型車用駐車場。
画像左下の緑の○は、初溪土楼群の集落を見下ろす展望台。この展望台については、この旅行記の後半でご紹介します。 -
さて、前置きが長くなりましたが、いよいよ≪桃花溪≫に架かる橋を渡って、集落に入っていきます。
あ、そうそう、≪中川古村落≫と≪初溪土楼群≫の紹介は次のサイトで見られます。
http://www.chuxi.com.cn 中国語簡体字版
初めに出てくる画面下の≪中文≫をクリックします。 -
≪桃花溪≫を渡り終わり、初溪土楼群の集落への坂道を上り始める。
集落を守るかのように最初に建っていたのは、≪永豊庵≫という小さな廟。
中では地元の人が何事かを願ってお参りする姿も見られました。
これはその廟の入口。
壁に作られたこういうお線香立ては初めて見た。
燃え残った棒付き線香がアザミの花のよう。
でも、防火上はちょっと危ないかなあ。 -
イチオシ
次にSUR SHANGHAIが目にしたのは、≪縄慶楼≫と名の付いた豪壮な方楼。
その名の上には、≪強国発奮≫の文字も残る厳めしさ。
ワンちゃんは、のんびりお昼寝中。
まずは初溪土楼群の集落をざっと見てみることにしてさらに前進。 -
後は自由気ままに初溪土楼群の集落の中を見て回るSUR SHANGHAI。
ピヨピヨ、コッコ。
ここでも出会ったニワトリの親子。 -
ここから先の数枚は、初溪土楼群の集落で垣間見てみた土楼の写真から抜粋。
ここでも土楼1階の部屋の前には、農作業に使う品々や日用品がこまごまと並んでいて…、 -
イチオシ
…ドアが開いていたので、ちょっと中を拝見。
人が今も住んでいる土楼1階の部屋はどこもこんな感じで食事のスペースや居間になってます。
寝室は上階にあります。
このお宅のインテリアは質素ながら電化製品は電気炊飯器が三つ、鍋物用(?)の電気ポットもありました。
テーブルの上には、お茶道具のほかに、沸かしたお湯を入れておくポットが三本。
昔、日本では≪魔法瓶≫とおばあちゃんが呼んでいたポットを思い出す。 -
どこの土楼でも、料理を作るのは1階の屋外キッチン。
いくら外側が土で塗り固められている土楼でも、内部上階は木組みで板敷きの床だから防火のためなんじゃないでしょうか。
さて、今日のご馳走は?
近くの山や畑から採ってきたらしいタケノコやキャベツなんかも並んでます。
右上のボールに入っているのはキクラゲ、手前のボールに入っているのはワラビ?ゼンマイ? -
この名前は忘れてしまった円楼では、瓦屋根の上で干し野菜を作ってました。
今日のお天気が続いたら、乾く前に腐ってしまいそうだけど。(^^ゞ
ここは完璧な二重構造の円楼ではなく、内側には小さい小屋のような土楼が円状に並んでいます。 -
イチオシ
脱ぎ散らかした靴やサンダルが置いてある土楼の部屋の入口。
籠の中にはアヒル(?)の子。
ピイピイ…
このくらいの大きさの時には、鳴き声はまだガアガアじゃ無いんだ。 -
イチオシ
このバイクは自家用かな?
それともバイク・タクシーにも使っているのかな。
どこの土楼群の集落でもそうだけど、バイクと土楼の取り合わせは不思議な眺め。 -
この建物は、初溪土楼群の集落の小さい派出所。
派出所にも赤い春聯が貼ってある。(*^。^*)
この画像では門の右側に書かれた字がよく見えませんが、初溪土楼群は永定県下洋鎮にあるので、≪下洋派出所初溪警務站≫と出ています。
扉が閉まってるけど、急の事故や事件の時には大丈夫なのかな。
かと思えば…、 -
…そのそばには見上げるほど大きい≪錫慶楼≫もあって、初溪は小さい集落だというのがウソのよう。
-
イチオシ
日本で言えば、家内安全・商売繁盛のお札に絵が付いた感じの紙が貼られた民家の戸口前。
この絵には強い神様の絵がよく描かれていて、春節(中国の旧正月)に貼り替えられます。
ここでもワンちゃんがお昼寝中。 -
この≪鴻慶楼≫と名が付いた方楼には、名前が一文字ずつ貼られた壁に≪農業学大寨≫のスローガンがうっすら残っていた。
≪大寨≫と言うのは、山西省昔陽県にあった大寨人民公社生産大隊のこと。
1960年代の初め、貧農出身の陳永貴(中国共産党大寨支部の書記長)という人物が大寨周辺の荒れた岩山を率先して開墾し棚田に作りかえたのを、毛沢東によって≪農業学大寨(農業は大寨に学べ!)≫と、人民公社の模範とされたんだそうですよ。
そのスローガンも、遠く離れた福建省の片隅にある初溪土楼群の集落に書かれたんだ。(◎o◎)
その陳永貴は、全国労働模範の英雄になって、国務院副首相にまで昇格したのだそう。
残念ながら、その後の改革開放の時代が始まると辞任に追いやられたそうですが、大寨では偉人としてその像も立てられているんだそうです。 -
初溪土楼群の集落だけではなく、このあたりではよく見かけた茶色い羽のニワトリ。
放し飼いにされているので、思わぬ所によく止まっています。 -
初溪土楼群の集落では、民家脇にも墳墓があった。
赤い紙が散らばっているように見えるのは、春節(中国の旧正月)にでも鳴らした爆竹の残骸かな。 -
初溪土楼群の集落中腹に建つこの建物は初溪小学校。
バスケットボールのコートがあるくらいの小さい校庭。
校舎は一見がらんどうに見えますが、中からは子ども達の元気な声が。
ちょっとだけお邪魔してみます。 -
校舎に入ってすぐの壁には、初溪小学校の校訓が≪厳謹求実 団結向上≫と書かれていました。
その隣の人物像は人民解放軍模範兵士だった雷鋒。
1940年に湖南省の貧しい農家に生まれた雷鋒は7歳にして孤児になったものの、苦労の末1957年には共青団に入団。
1960年に中国共産党や人民解放軍に入った雷鋒はその働きを認められて、模範共産主義青年団員+目標となる模範兵士として表彰されたのだそう。
1962年に自動車整備中に事故死してしまったらしいのですが、死後は人民解放軍模範兵士として称えられ、1963年8月15日に毛沢東が≪雷鋒同志に学べ!≫のスローガンを出したんだそうです。
それ以来、8月15日は雷鋒記念日になったのだそう。
この初溪小学校の雷鋒の肖像画の下にも、≪雷鋒同志に学べ!≫の意味の≪向雷鋒同志学習≫の文字が出ています。 -
初溪小学校の校訓と雷鋒の肖像画の向かいの壁には、中国地図と世界地図。
地図の上には、≪胸懐祖国 放眼世界≫の文字。
≪祖国を胸に抱き、世界に眼を放て≫か〜。
その左手に書いてあるのは、≪教育は現代化、世界、未来を目指そう≫といった意味の言葉。
でも、その壁の前にセメント袋を積み重ねてあるのはちょっと無粋な眺めなんですが…。(^^ゞ -
教室の開け放してあったドアの手前からちょっと失礼。
2年生か3年生かな。あれ、居眠りしてる子もいる。
日本の小学校と比べたらずいぶん老朽化した教室に見えますが、これまで見てきた中国の地方の奥まった村々の小学校と比べると、三階建てのコンクリート校舎で状態はいい方。
集落の規模の割りに一教室あたりの生徒数が思ったほど多くないのは、一人っ子政策で子どもの数が減ったからだけなんだろうか。
ここでは義務教育は徹底しているんだろうか、という疑問もチラリと胸をかすめました。
中国には各地に希望工程という、貧困地区の児童を援助する社会公益事業があります。
詳細を知りたい方は、上海の希望工程オフィスのサイトをご覧ください。
http://www.project-hope.sh.cn/ 中国語簡体字版 -
初溪小学校を出て、また歩き始める初溪土楼群の集落。
向こうの円楼に貼ってあるのは、≪文物保護はみんなの責任≫の赤い横断幕。 -
初溪土楼群の集落にあった小さいお店。
食料品から生活雑貨まで細々とした品揃え。
そのお店のテレビを見に、集落の人が集まっていました。
この初溪のあたりは標高500m足らずのようですが、この日は今にも雨が降りそうな湿った寒さ。
皆さんジャケットなどを着ています。
この時の番組は京劇ともちょっと違う感じの舞台劇。
手前のおばさんは、背中の子を左右に揺すりながらの鑑賞。
お孫さんなのかな。
昔の日本の万屋(よろずや)さんも、こんな雰囲気だったのかも、と思わせる光景。 -
ワンちゃんもちょっと寒いのか、丸くなって眠る≪華慶楼≫と名が付いた土楼前。
あれ? さっき別のお宅の前で寝ていたワンちゃんにそっくり。ワンちゃんたちも、集落ぐるみの親戚なのかも。
土楼には円楼、方楼などの形の分類上の名のほか、一つ一つ≪○○楼≫と名が付いていますが、この初溪にも数多くあるので覚え切れません。
名が貼ってあったり書いてある正面入口を撮らないとすぐ忘れてしまいます。 -
初溪土楼群の集落に入って来た時に渡った≪桃花溪≫そばには小高い山があって、そこの展望台からは初溪土楼群の全体像が見下ろせますよ。
この画像に写っている山がそうです。
SUR SHANGHAIは後で行ってみることにしたので、集落内の散策を続行。 -
初溪土楼群の集落でも、土楼と土楼の間には細い道が付いていました。
同じ土楼でも、見る角度によって表情が違うので、お時間がある方はあちこち歩いてみるといいですよ。
ここは、前日行った永定土楼群・洪坑民族文化村(永定土楼民族文化村)や、この日の前半に行った中川古村落と違って山の斜面に出来た集落ですが、急な斜面ではないので、普通の体力がある人なら十分見て回れると思います。 -
また初溪小学校前まで戻ってみると、休憩時間で校舎外に飛び出してきた子どもたち。
-
初溪小学校が目の前の食堂で一休み。
ここではお茶だけいただくことに。
休憩時間で校舎から出てきた子ども達がこっちに歩いて来る場面。 -
同じ食堂の窓から角度を変えて見てみた初溪土楼群の集落。
ここも、有名無名、大小さまざまの土楼が連なっています。 -
お茶で休憩の後は、また歩き始める初溪土楼群の集落。
大きな方楼脇の坂を地元の人が上ってくる。 -
初溪土楼群の集落の中で見つけた泊まれる土楼≪庚慶楼≫。
集落に入って来た時に渡った≪桃花溪≫を見下ろす位置にある円楼です。
ここのお値段は1ベッドが20元(メモを無くしたので不確実)。5月と10月の連休、春節(中国の旧正月)などにはお値段も倍位とのこと。部屋にテレビが付いているのが宿の主人のご自慢。そういえば、パラポラ・アンテナも付いている。
ここも部屋自体は質素で、屋外にあるシャワーやトイレもごく簡単な設備。夜間の小用には部屋におまる代わりのバケツが置かれます。
土楼の外の傾いた木造の建物は売店。
≪庚慶楼≫の?:0597 5586408
このほかには、≪桃花溪≫に架かる五溪橋あたりにも、小さい方楼の宿が2軒ほどありました。 -
これは、初溪土楼群を含む永定県の土楼群の中では最も古い円楼の一つと言われる≪集慶楼≫。
1419年に建てられたんだそうですよ。
今は土楼関連博物館になっているせいか、入口のあたりは化粧塗りもきちんとされています。
ここの入場見学はチケット代に込み。
SUR SHANGHAIも入って行ってみます。 -
ドーナッツ型の円楼になった≪集慶楼≫の中庭には祖堂が。
祖堂と言うのは、一族の祖先を祀ったり儀式を行う廟のような建物。
≪集慶楼≫を造ったのは徐氏一族なのだとか。
そして、その祖堂両側を守っているのは…、 -
…こんなお顔の石造りの獅子。(^^ゞ
お耳はありませんが、歯並びがご立派な、おもしろ怖いお顔。
罰当たりなSUR SHANGHAIでございます。m(__)m -
初溪土楼群を含む永定県の土楼群の中では最も古い円楼の一つと言われる≪集慶楼≫は、古いだけではなくその造りも特殊。
これまでの土楼では、各階に行く共同使用の階段が数ヶ所に付いていましたが、ここは各階それぞれの部屋の住人専用的な階段が多数。
階段というより、斜めになった梯のような感じですが。
永定県内では一番階段が多い土楼なんだそうです。 -
初溪土楼群の集落の≪集慶楼≫は規模も大きい円楼ですが、今は人は住んでいないようで、各部屋は土楼関連の物品を展示する博物館になっていました。
1419年に造られたというその古さから考えれば、もう住居としては使えないのかもしれません。
でも、こうして博物館になって保護されていくというのは意義あること。
この部屋には、青空床屋で使われていたらしい理髪用の椅子。
他にも展示品は多数あり、中には不貞をはたらいた女性を罰する時に使ったという刑具などもあってびっくり。
(◎o◎)
その画像掲載はご遠慮いたします。 -
イチオシ
≪集慶楼≫は4階建ての円楼。
一番上まで行くと、後に控える山や、斜面上の方に続く初溪土楼群の集落も屋根の向こうに見えます。
下に見えるのは、内側にもう一つある円楼に囲まれた祖堂。さっき、おもしろ怖いお顔の獅子がいた場所です。
ここからも小さくその獅子の姿が祖堂の両脇に見えています。
今は人が住んでいないこの≪集慶楼≫も、この土楼を造った徐氏一族がワイワイガヤガヤ大賑わいで暮らしていた時もあるんだなあ。 -
≪集慶楼≫の各階の瓦屋根。
1419年に造られたという時の流れには勝てず、あちこちで波打っています。
ただ、補修は行われているらしく、ひどく壊れているような場所はありませんでしたよ。 -
上の方で、≪集慶楼≫は永定県内で一番階段が多い土楼と言いましたが、この画像を見るとその多さが分かると思います。
72も階段があるんだそうですよ。 -
≪集慶楼≫をグルリと回ってニャンコの眼…、
…では無く、(^^ゞ
魚眼レンズがあればおもしろい写真が撮れそうだな、と思った眺め。
これはちょうど祖堂の裏側です。
ここを管理している人たちが、仕事の合間に洗ったらしい洗濯物が祖堂の後ろに干してある。 -
さ、SUR SHANGHAIは、初溪土楼群の全体像が見えるという向かい側の山に行ってみます。
≪集慶楼≫よ、さようなら。 -
まずは一旦、最初に入って来たチケット売り場や小型車駐車場がある場所まで戻ります。
その道筋で見た棚田と初溪土楼群の集落の一部。
今日も時々通り雨がサ〜ッと降ったけど、また雨が降ってきそう。 -
初めに初溪土楼群に着いた所にあるチケット売り場や小型車駐車場脇から、展望台がある山に上って行けます。
桃や柿の果樹園を通っていく歩道でお勧めです。
最初はちょっと疲れる階段と山道ですが、木立の間に初溪土楼群の全体像が徐々に見えてきます。ごゆっくりどうぞ。
5月に再訪した時には、大型車駐車場の方にも道があるのに気付きましたが、そちらは傾斜が急。下りて行く時に使うのが正解かもです。 -
手前に見えている円楼のうち、
右側がさっき行ってみた≪集慶楼≫、
左側が泊まれる土楼としてご紹介した≪庚慶楼≫。
ああ、雨が降ってきちゃった。 -
初溪土楼群の集落を見下ろすこの山にも、小規模ながら棚田がありました。
上段が苗代になっていて、田植えはこれからのよう。 -
これもさっき行ってみた、土楼関連博物館になっている≪集慶楼≫。
わ〜、雨がいよいよ降ってきた。(ーー;)
初溪土楼群の集落全体を見下ろす展望台はまだもう少し先なのに。
カメラを守るバッグはあるけど、自分を守る傘はタクシーの中。(ToT)
それにそろそろ永定の町から龍岩市へ戻るためのミニバス最終便の時間も気になり始めたSUR SHANGHAI。
さあ、どうする。 -
これは≪集慶楼≫お隣の、泊まれる土楼≪庚慶楼≫。
≪桃花溪≫へ下りて行く石段がいい感じ。
その後に見える四角い建物が、ちょっとだけ中を覗きに行った初溪小学校。
この時までには、向こうの山を隔てた南靖県の南靖土楼群を訪れるためにリベンジ旅を心に誓っていたSUR SHANGHAI。
この日はここで涙を呑んで龍岩市へと戻ります。
結局、永定の町から龍岩市への最終ミニバス(?)を中間地点の撫市という町でつかまえてくれたタクシーのおにいちゃんに感謝!
初溪土楼群へのリベンジ旅は、この後思いがけなく5月に再訪した時の旅行記へと続きます。
この日の翌日は、上海へ戻る飛行機に乗るため、龍岩市から厦門(アモイ)へと移動します。
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この旅行記へのコメント (2)
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- イーハンさん 2007/06/16 10:44:49
- いつもながらに!
- 言葉は全く必要ないですね、写真から全てが伝わってきます、本当にいつもながらに感心いたします。 イーハン
- SUR SHANGHAIさん からの返信 2007/06/18 13:03:13
- RE: いつもながらに!
- ご訪問、ありがとうございます。m(__)m
前々から気になっていたのですが、
わたしのページの足跡一覧に表示される訪問者さんの訪問時刻と「投票がありました・お知らせメール」が届く時刻に多少ずれがあって、どなただったのかよく分からずにいたのですが、中国関連旅行記に投票があった時にはいつもイーハンさんのお姿があるように思えます。
投票いただいていたのがイーハンさんでしたら、これまでお礼を申し上げずにいて失礼しました〜。ありがとうございます。m(__)m
もし違っていたら、これまた失礼いたしました〜。m(__)m
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