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1).旅の始めに                             <br />                                                                                                                                                                       神鳴の 遠吠えに鳴く 蝉の声<br /><br />  第18次遣唐使船(大使「藤原葛野麻呂」)の第一船で、「真言密教」を求める留学僧として、中国へ渡海した「空海」(弘法大師)は、35日の漂流の末、804年8月10日、ここ「福建省寧徳市霞浦県赤岸鎮」の海岸に辿り着いている。18次遣唐使の、四隻の船の内、「最澄」が乗った第二船は、無事「寧波」に着いたが、第三船は、出帆後間もなく遭難し、第四船は、行方不明となっている。<br /><br />2). 「福州・赤岸鎮」へ  <br /><br />       「福建省」の省都「福州」から、海岸線を、バスで北に向かった。昼頃、水産物の集積地の「寧徳市霞浦県」に着いた。早速、近くの水産物の問屋街にある食堂の店先で、盥に入れられた魚の料理方法を相談しながら、2、3品注文し、2階の食堂で、ビールを飲みながら、魚料理を楽しんだ。<br />      食後、「赤岸鎮」へは、農地の広がる中を、タクシーで走り、山裾の集落で、車を下り、そこから、『空海大師紀念堂』へ、歩いて向かった。<br /><br />3). 『空海大師紀念堂』(弘法大師空海記念館)<br /><br />  生憎と、『空海大師紀念堂』の入り口は、施錠されていた。止む得ず、まずは写真で見た「空海漂着記念碑」を探すことにした。「空海漂着記念碑」は、近くの二本の松が立つ草むらで見つけることができた。再び、『空海大師紀念堂』へ戻ったが、錠が掛けられたままであったので、僕が大声を掛けると、建物の奥から、手に洗物を持ったまま、女性が出てきた。「日本から来た者です」と言うと、にっこり笑い、門を開けてくれた。<br />  『紀念堂』の中に入るや、『弘法大師空海』のスリムな立像が、目に入り、その前に立つや、今にも語り掛けられる様な気がしてきた。遣唐使一行は、「長安」への許可を得るため、この地に、50日間留め置かれている。 <br /><br />4).「空海」さん漂着の海岸へ<br />  <br />  『空海大師紀念堂』に隣接する街道沿いに、万屋風の小さな店があり、その前には、終日なすことも無く、タバコをふかし、世間話する人達が、屯していた。空海さんの、流れ着いた海岸線を見たく、彼らに尋ねると、海岸線までは、4キロ程あるが、初老の男が、10元出せば自分のバイクで、連れて行ってやるというので、お願いした。彼のバイクの後ろに乗り、タバコ臭い体にしがみ着き、山裾の地道を通り、海岸線へは10分程で到着した。ぐり石の混じる砂浜の雑草を踏み分け、波打ち際の狭い岩の上に立ち、海を眺めると、目の前には大岩が、前を遮ぎるように立ち塞がり、全体が狭い内海の様に見えた。砂浜で、小さな「東屋」(あずまや)を見つけたが、日本の「高野山」主催の式典の時に、どうやら仮設されたものの様であった。<br />  <br />5).省都「福州」へ   <br /><br />  遣唐使一行は、「長安」からの許可を待つため、そこから船に乗り、海岸線に沿って南へ下り、役所がある「福州」に、10月3日に到着している。〇江の河口から30キロ程上った現在の繁華街「東街口」付近に、嘗ての福州の内港があった。遣唐使一行は、そこで上陸し、「開元寺」に宿泊している。「開元寺」界隈は、現在では、ビルの密集する繁華街となっており、境内では、大規模な工事が行われていた。その中で、旅装束姿の「空海」さんの銅像を見つけた。遣唐使の内、「長安」へは大使以下23人が許可され、空海さんも、804年11月3日、陸路「長安」を目指し、40日間の星仰星追の旅へ出発している。<br /><br />6).福清市の「黄檗山万福寺」へ   <br />           <br />  翌朝、「福州市」の南70キロ、福清市魚渓鎮の「黄檗山万福寺」に、出かけた。奈良県「宇治市」に、「黄檗山万福寺」を開山した「隠元」和尚は、ここ「福清市」の、「万安郷霊得里東林」で、生まれている。<br />                                                                                                      <br />                  鮮紅 に 緑雨が絡む 万福寺                                                                 <br />  <br />  「万福寺」に至る集落を通る山道は、雨降りであったが、鮮やかなブーゲンビリアの紅に満ち、寺の背後の「黄檗山」は、新緑に包まれていた。<br />  「隠元」和尚は、1654年63歳の時、明末の遺臣で、日中の混血児で、『国姓爺』と呼ばれた「鄭成功」が所有する船で、アモイから長崎に向かわれている。当時、日本の禅宗では、分派騒動があり、「隠元」和尚は、3年の約束で、日本「臨済宗」を建て直すため、招かれた。丁度、「明」が崩壊し、異民族「清」の勢力が拡大しつつある時でもあり、その中で、日本行きを決断され、1661年、「宇治大和田」に、「黄檗山万福寺」を創建され、帰国されることもなく、在日19年、1673年、82歳で、入滅されている。 <br /><br />7).旅の終わりに<br /><br />  雨が、一段と強まる中、本堂の段回廊を上って行くと、日本とはリズムの聊か異なる読経が聞こえてきた。僕は、いつの間にかそのリズムに歩調を合わせ、歩いていたら、「お斎を食べて行ってください」と、声を掛けられ、本堂の脇の食堂に案内された。炊き立ての温かいご飯に、野菜とあげ豆腐の炒めもの、お汁、漬物の、質素な食事だが、静かな雰囲気の中で、一口づつ味わいながら食べる、その時を、とても楽しむことが出来た。(完)<br />    <br /> 、<br />  表紙写真:「福建省赤岸鎮」の海岸近くにある、『空海漂着記念碑』。<br /><br />  * Coordinator:  H. Gu                                   <br /><br /><br />                             <br />                                                <br />

【福建省】 赤岸鎮・福清 * 空海が漂着した「赤岸鎮」と、 隠元ゆかりの「黄檗山万福寺」を 旅する

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2007/05/02 - 2007/05/07

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彷徨人MU

彷徨人MUさん

1).旅の始めに              
               神鳴の 遠吠えに鳴く 蝉の声

  第18次遣唐使船(大使「藤原葛野麻呂」)の第一船で、「真言密教」を求める留学僧として、中国へ渡海した「空海」(弘法大師)は、35日の漂流の末、804年8月10日、ここ「福建省寧徳市霞浦県赤岸鎮」の海岸に辿り着いている。18次遣唐使の、四隻の船の内、「最澄」が乗った第二船は、無事「寧波」に着いたが、第三船は、出帆後間もなく遭難し、第四船は、行方不明となっている。

2). 「福州・赤岸鎮」へ

  「福建省」の省都「福州」から、海岸線を、バスで北に向かった。昼頃、水産物の集積地の「寧徳市霞浦県」に着いた。早速、近くの水産物の問屋街にある食堂の店先で、盥に入れられた魚の料理方法を相談しながら、2、3品注文し、2階の食堂で、ビールを飲みながら、魚料理を楽しんだ。
   食後、「赤岸鎮」へは、農地の広がる中を、タクシーで走り、山裾の集落で、車を下り、そこから、『空海大師紀念堂』へ、歩いて向かった。

3). 『空海大師紀念堂』(弘法大師空海記念館)

  生憎と、『空海大師紀念堂』の入り口は、施錠されていた。止む得ず、まずは写真で見た「空海漂着記念碑」を探すことにした。「空海漂着記念碑」は、近くの二本の松が立つ草むらで見つけることができた。再び、『空海大師紀念堂』へ戻ったが、錠が掛けられたままであったので、僕が大声を掛けると、建物の奥から、手に洗物を持ったまま、女性が出てきた。「日本から来た者です」と言うと、にっこり笑い、門を開けてくれた。
  『紀念堂』の中に入るや、『弘法大師空海』のスリムな立像が、目に入り、その前に立つや、今にも語り掛けられる様な気がしてきた。遣唐使一行は、「長安」への許可を得るため、この地に、50日間留め置かれている。 

4).「空海」さん漂着の海岸へ
  
  『空海大師紀念堂』に隣接する街道沿いに、万屋風の小さな店があり、その前には、終日なすことも無く、タバコをふかし、世間話する人達が、屯していた。空海さんの、流れ着いた海岸線を見たく、彼らに尋ねると、海岸線までは、4キロ程あるが、初老の男が、10元出せば自分のバイクで、連れて行ってやるというので、お願いした。彼のバイクの後ろに乗り、タバコ臭い体にしがみ着き、山裾の地道を通り、海岸線へは10分程で到着した。ぐり石の混じる砂浜の雑草を踏み分け、波打ち際の狭い岩の上に立ち、海を眺めると、目の前には大岩が、前を遮ぎるように立ち塞がり、全体が狭い内海の様に見えた。砂浜で、小さな「東屋」(あずまや)を見つけたが、日本の「高野山」主催の式典の時に、どうやら仮設されたものの様であった。
  
5).省都「福州」へ

  遣唐使一行は、「長安」からの許可を待つため、そこから船に乗り、海岸線に沿って南へ下り、役所がある「福州」に、10月3日に到着している。〇江の河口から30キロ程上った現在の繁華街「東街口」付近に、嘗ての福州の内港があった。遣唐使一行は、そこで上陸し、「開元寺」に宿泊している。「開元寺」界隈は、現在では、ビルの密集する繁華街となっており、境内では、大規模な工事が行われていた。その中で、旅装束姿の「空海」さんの銅像を見つけた。遣唐使の内、「長安」へは大使以下23人が許可され、空海さんも、804年11月3日、陸路「長安」を目指し、40日間の星仰星追の旅へ出発している。

6).福清市の「黄檗山万福寺」へ
  
  翌朝、「福州市」の南70キロ、福清市魚渓鎮の「黄檗山万福寺」に、出かけた。奈良県「宇治市」に、「黄檗山万福寺」を開山した「隠元」和尚は、ここ「福清市」の、「万安郷霊得里東林」で、生まれている。
         
              鮮紅 に 緑雨が絡む 万福寺        
  
  「万福寺」に至る集落を通る山道は、雨降りであったが、鮮やかなブーゲンビリアの紅に満ち、寺の背後の「黄檗山」は、新緑に包まれていた。
  「隠元」和尚は、1654年63歳の時、明末の遺臣で、日中の混血児で、『国姓爺』と呼ばれた「鄭成功」が所有する船で、アモイから長崎に向かわれている。当時、日本の禅宗では、分派騒動があり、「隠元」和尚は、3年の約束で、日本「臨済宗」を建て直すため、招かれた。丁度、「明」が崩壊し、異民族「清」の勢力が拡大しつつある時でもあり、その中で、日本行きを決断され、1661年、「宇治大和田」に、「黄檗山万福寺」を創建され、帰国されることもなく、在日19年、1673年、82歳で、入滅されている。 

7).旅の終わりに

  雨が、一段と強まる中、本堂の段回廊を上って行くと、日本とはリズムの聊か異なる読経が聞こえてきた。僕は、いつの間にかそのリズムに歩調を合わせ、歩いていたら、「お斎を食べて行ってください」と、声を掛けられ、本堂の脇の食堂に案内された。炊き立ての温かいご飯に、野菜とあげ豆腐の炒めもの、お汁、漬物の、質素な食事だが、静かな雰囲気の中で、一口づつ味わいながら食べる、その時を、とても楽しむことが出来た。(完)
    

表紙写真:「福建省赤岸鎮」の海岸近くにある、『空海漂着記念碑』。

* Coordinator:  H. Gu



    

同行者
一人旅
交通手段
高速・路線バス タクシー
  • 福建省寧徳市霞浦県赤岸鎮にある「空海大師紀念堂」

    福建省寧徳市霞浦県赤岸鎮にある「空海大師紀念堂」

  • 寧徳市霞浦県赤岸鎮にある「空海大師紀念堂」の正面

    寧徳市霞浦県赤岸鎮にある「空海大師紀念堂」の正面

  • 「空海大師紀念堂」に置かれた空海さんの銅像

    「空海大師紀念堂」に置かれた空海さんの銅像

  • 「空海大師紀念堂」の周辺の農地、嘗て空海を乗せた遣唐使船が漂着したあたり。右手の木の辺りに、漂着記念碑がある。中央の土が見えるあたりは、新しい施設の建築予定地、

    「空海大師紀念堂」の周辺の農地、嘗て空海を乗せた遣唐使船が漂着したあたり。右手の木の辺りに、漂着記念碑がある。中央の土が見えるあたりは、新しい施設の建築予定地、

  • 「空海大師紀念堂」がある裏手の山側の景色

    「空海大師紀念堂」がある裏手の山側の景色

  • 福州市の「開元寺」の入り口付近にある空海さんのやや首が長い銅像

    福州市の「開元寺」の入り口付近にある空海さんのやや首が長い銅像

  • 福清市魚渓鎮にある,黄檗山「万福寺」の山門にあるお寺の山号を書いた碑

    福清市魚渓鎮にある,黄檗山「万福寺」の山門にあるお寺の山号を書いた碑

  • 黄檗山「万福寺」の参道

    黄檗山「万福寺」の参道

  • 黄檗山「万福寺」の参道(遠景)

    黄檗山「万福寺」の参道(遠景)

  •   「隠元」和尚像

    「隠元」和尚像

  • 福清市魚渓鎮にある,黄檗山「万福寺」の沿革碑

    福清市魚渓鎮にある,黄檗山「万福寺」の沿革碑

  • 巨大な「鄭和」像。明の成祖朝時代の宦官で、大船団を率いて南洋、インド洋方面に通商貿易を開くために遠征する。出発地点の、福州を流れるミン江の河口付近にある。

    巨大な「鄭和」像。明の成祖朝時代の宦官で、大船団を率いて南洋、インド洋方面に通商貿易を開くために遠征する。出発地点の、福州を流れるミン江の河口付近にある。

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