2007/04/01 - 2007/04/01
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SUR SHANGHAIさん
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前日は、泉州市街から東方向にある崇武古城と洛陽橋を訪れた後、市内の寺院や博物館も見学してみたSUR SHANGHAI。
歩き疲れた足は、ホテル内にあったマッサージ店でリフレッシュ。
今日のメインには、泉州市街から西方向に点在する見所をいくつかまとめて見てみることに。
泉州市周辺には、北京の万里の長城や故宮のような大規模な見所はありませんが、その歴史を示すこまごまとした見所が多数。
それぞれの場所へは公共の交通の便が無い所も多いので、いくつかまとめてタクシーで回ってもらうのがお勧めです。
観光客用設備は特に無いと思って、飲み物くらいは持って行くのがいいですよ。トイレ用ペーパーも必携。
SUR SHANGHAIは迷った挙句、
中国では唯一のマニ教寺院だという草庵、世界最長の石橋という安平橋、明朝の再興を図って清に抗戦した鄭成功の陵墓、そして蔡氏一族の古い住居群が見られるという蔡氏古民居に決定!
タクシーの運転手さんは、安全運転してくれて話もおもしろい、昨日と同じおにいちゃん。
上記のルートを回ってもらうことにして、言い値は200元。
さて、この日はどんな場所と出会うのか。
表紙の画像は、≪蔡氏古民居≫で出会った一軒のお宅。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- タクシー 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
この日の朝は、昨日と同じタクシー運転手おにいちゃんにホテルまで迎えに来てもらったSUR SHANGHAI。
よし、出発!と走り始めたものの、おにいちゃんは最初の行き先≪草庵≫の場所をよく知らなかったらしい。
だいぶ行き過ぎて戻って来た道には、あら不思議、ちゃんと標識が出ていたのに、二人とも見落としていたみたい。
草庵は、草庵摩尼教寺とも呼ばれるマニ教(摩尼教)のお寺。
泉州市のすぐ西のお隣、晋江市の華表山南麓にあります。
参拝料は無料でしたが、駐車料金として5元徴収。
その本堂に向かうSUR SHANGHAI。 -
マニ教と言うのは、3世紀のササン朝にバビロンで生まれたマニが開祖となった宗教なのだそう。
ゾロアスター教にキリスト教、仏教の要素を取り入れた善悪二元論的宗教と言われても、SUR SHANGHAIには今ひとつピンと来ないなあ。
一時はヨーロッパや北アフリカ、中国にも広まったのが、次第に他宗教に押されて消滅したマニ教。
その最後の砦だった福建省でも15世紀には姿を消したのだとか。
中国では唯一だというそのマニ教寺院の草庵(草庵摩尼教寺)は、意外に小さいお寺さん。
外回りだけ見ると、仏教のお寺と区別がつきません。 -
イチオシ
その草庵(草庵摩尼教寺)の小さい本殿の中には、赤い提灯や飾り布が下げてあったり、祭壇に向かって左手に太鼓、右手には鐘があるのも仏教や道教のお寺さんみたい。
強いて言えば、柱が石造りなのがちょっと珍しい、といった感じ。
写真撮影は禁止されていないようなので、祭壇にカメラを向けると…、 -
…光が反射してちょっと見えにくいですが、ガラスケースの中に、石造りの像が鎮座。
祭壇の前はずいぶん質素。
それでも一応管理はされているみたいです。
これがマニ教のご本尊の摩尼光仏様。
お顔をもう少し近くで拝ませていただきます。 -
上の画像で、摩尼光仏の像は石造りと言いましたが、近寄ってよく見てみると、光背を含めた全体が一枚岩に浮き彫りになっているようです。
全体の雰囲気は仏像に近くても、細部はずいぶん違います。
お顔の下の二本の線は顎鬚?
肩にかかる黒線は、御髪なのかお召し物の皺なのか…。
そのお召し物もチャンチャンコのように思えるんですが…。
罰当たりなSUR SHANGHAIですみません。m(__)m
旧暦の4月16日がこの摩尼光仏様のお誕生日で、聖誕祭も行われるそうです。 -
摩尼光仏が鎮座まします草庵(草庵摩尼教寺)の本殿側面。
その裏手には…、 -
…大きな岩に彫られた文字。
その文字を右から見ていくと、
清浄光明 大力智慧 無上至真 摩尼光佛。
字面だけ見ると、宗教心の無いSUR SHANGHAIにもイメージが湧きやすい。
草庵(草庵摩尼教寺)の境内には、このほかにも世界各国から訪れたマニ教研究グループが建てた碑や…、 -
…露天の亭の下には赤いケープを羽織った石像。
新しく造られた石像みたい。
顔立ちや帽子が中国人らしく見えないから、これがマニ教の開祖のマニ?
その石像の後には墓所だったような場所も。
この草庵(草庵摩尼教寺)を守ってきた歴代の住職さんのお墓だったのかも。
説明も出ていないし、聞いてみても明確な答えはありませんでした。
一人の旅人としてのSUR SHANGHAIは、一つの宗教の興亡に思いを馳せてみました。
遠くバビロンで興ったマニ教が、この福建省に伝えられた当時の様子。その後衰退して、文化大革命時には離散した僧侶に代わって細々と守られてきたこの寺院の歴史…。
今では中国の重要文化財になっているようです。 -
次に訪れたのは安平橋(別名・五里橋)。
泉州市のすぐ西隣の晋江市と、そのまた西隣の南安市の間に架けられたこの石橋は、昨日訪れた洛陽橋と同じような筏型の基礎の上に造られた橋。
こちらは宋の時代1138年から13年かけて造られたという、全長2078mの世界最長の石橋なのだそう。
タクシーの運転手おにいちゃんは
「また石橋か?(笑) 昨日の洛陽橋だけで十分だろ。」
「せっかく泉州まで来たんだから、見比べてみたいのよ。(^^ゞ」
「じゃ、おれは車の中で待ってるから。」
と到着。ここも見学無料。
あ、洛陽橋に比べたら、筏型の基礎がずんぐりむっくりで間隔も狭い。 -
世界最長と言うだけあって、向こう側の端が見えない安平橋。
両脇には陸地が迫って木も生えているこの場所に、どうしてわざわざ橋を架けたんだろうと思ったら、架け始めた当初は圍頭湾の一部だったのだそう。
その頃は海を渡る橋だったんだ。(◎o◎)
その後は、お隣の泉州の晋江などの河口と同じように土砂が堆積して今の姿に。
また時が流れたら、この辺りはすっかり陸地になってしまうんだろうか。 -
その安平橋は今でも地元の人たちが行き交う通り道。
花崗岩を長い板状に切って基礎部分に架け渡したその総重量は一体どのくらい?
いくら花崗岩が特産だと言っても、これだけの石材は切り出したり運んで来るだけでも相当な重労働。
今の土木工事で使われている機械や運搬車両も皆無の頃。
それをまたこんな橋に組み立てただなんて。
それらの作業に要した人数も計り知れない。 -
イチオシ
日差しは強くなくても湿気が強くてムシムシジクジク暑かったこの日。
こんな暑さは苦手なSUR SHANGHAI。
安平橋は半分まで渡って折り返す。
前を行くのは、途中ですれ違った黒尽くめ服のおにいちゃんたち。
迫力あったなあ。
ただのファッション? 福建ギャング、かも?
追いついてしまわないようにゆっくり行こうっと。
戻る先には新しいビル群も見える≪安平橋≫。 -
安平橋から近い南安市水頭鎮にある鄭成功陵墓のゲート。
ここに行くまでの道筋に鄭成功陵墓への標識が出ていないので、またちょっと道に迷った運転手おにいちゃん。
「地元の会社の看板はいくらでも出てるのに、鄭成功陵墓の標識が無いってどういうこと?」
と道を聞き聞き辿り着いたらガラ?ン。
この画像だと左手にチケット売り場がありましたが、売るほどの数のお客さんも来ないのか閉まってました。
ゲートは開いていたので、ここは初めてという運転手さんも一緒にご入場。 -
ゲートから先が長い鄭成功陵墓。
仰々しい建築物は無い、厳粛な趣きの空間。
実際には暑いのに、この雰囲気で気分的に涼しくなった場所。
空間演出も建築の重要な部分だな。 -
鄭成功(国姓爺)は、父は武装商船団の頭目だった鄭芝龍、母は田川氏の娘で出身は平戸、というのは無知なSUR SHANGHAIには驚きでした。
また一つ知識が出来た福建省の旅。
幼少時に福建省に移り、青年期には明朝の再興を図って清に抗戦。台湾の台南に本拠を移したものの、1662年に38歳で病死。その後、ここに遺骸を移したのだそう。
この陵墓は鄭成功個人の物ではなく、一族もここに葬られているようです。
鄭成功陵墓から10数km南にある南安市石井鎮には、鄭成功紀念館もあるので、興味のある方はそちらにもどうぞ。 -
鄭成功陵墓の傍らに咲いていた野バラ。
その香りに誘われたミツバチも集まって、ブンブン羽音を響かせる。 -
鄭成功陵墓から北に10kmほどの所には、蔡資深古民居とも呼ばれる蔡氏古民居の村があります。
ここは、清の時代1862年ー1911年に蔡氏と言う一族やそのうちの一人、資深という人物によって建てられた閩南建築の古民居が並ぶ村。
注:≪閩≫は福建省の別称なので、≪閩南≫には≪福建省南部≫と言う意味があります。
中国の古い建物が好きなSUR SHANGHAIが今日一番見てみたかった所。
ここはその村の入口。天秤棒を担いで入って行く人の所にチケット売り場がありましたが、閉まっていたのでフリーパス。
今日はどこもただで見られてラッキー!
村を囲む塀の向こうには…、 -
…赤いレンガ造りの平屋建ての厝と呼ばれる邸宅が長屋風に数列並んでいます。上の画像はその見取り図。
実際にはもっと多くの住居がありました。
画像下はそのうちの一軒のお宅。
この蔡氏古民居は廃屋になった建物もありますが、今も実際に住んでいる人もいるので、見学の際には気を付けましょう。
建築についての説明書き(中国語)が標識になって付いているお宅もあるので、足を止めてみてくださいね。 -
洗濯物が干されて、生活の匂いも感じさせる蔡氏古民居の一軒。
赤い装飾レンガがきれいな壁。
ここにも台湾の鹿港の町並みのルーツを感じるなあ。 -
ここは今も住人がいる一軒のお宅。
シンプルな浅い浮き彫りを施した花崗岩の門には、三方に貼られた春聯のほかに剪紙(切り紙細工)が暖簾のように貼られています。
門の向こうはここでも中庭になっていて、正面には先祖を祀る祭壇。
中庭を中心に左右にも部屋のある四合院という様式。
お掃除中の人が見えるので、その奥行きが分かると思います。 -
蔡氏古民居の村は、長屋風に連なった邸宅が列になっているので、一本の道の片側には別のお宅の裏口も同時に見られます。
裏口は普通のドアのようなシンプルな造り。
屋根の反り加減もわざとらしくなくていい感じ。 -
ここは廃墟になったお宅の勝手口。
廃墟になった民家の戸口にこういう風に石を積むのは何か意味があるのかな。
台湾でも見たことがあるなあ。 -
正面玄関前に豆が干してあるこのお宅も今は主がいない。
同じように扉が閉まっていても、人が住んでいる家には生活の息吹が感じられるのに、人が住んでいない家は雰囲気が違って見える。
一種、空ろな空気が漂うその門。
あ、扁額の部分に『毛主席万歳』の文字が。
これまでも中国のあちこちの村で見てきた文字がここにもあった。 -
使われなくなったらしい石臼が放置されていた道の片隅。
昨日行った崇武古城にも同じ眺めがあった。 -
廃墟になった民家の内側は屋根も塀も崩れて草生していく。
ゴミ捨て場になっていたりすると、ここは文化財として保護はされていないのかな、とガッカリ。 -
…あれ、畑に転用されている敷地もあったり。
-
崩れ残った母屋の祭壇付近に一枚だけ残っていた写真。
ここの住人は華僑として出国したのか、新しい家を建てて移転したのか、それとも…? なぜこの写真は一枚だけここに?
…想像は尽きない。 -
門の前の石段に長い板が渡してあるのは自転車用。
ここは中から人の声や物音もする活きた家。 -
厝と呼ばれる邸宅が長屋風に連なっている蔡氏古民居の村。
その家並みが途切れた部分の側面。
なだらかな山のようになった屋根部分の装飾が独特。
スタイルはこのほかにもいろいろ。 -
一軒のお宅の裏口から見えたのは、中庭向こうの表の門口に陣取る人のシルエット。
-
イチオシ
色は剥げても、重厚な印象の扉。
その扉に書かれた文字も蔡氏古民居の歴史を感じさせる。 -
また別の棟の側面部分。
牡丹灯篭風の絵柄の装飾。
屋根の形はこのように丸みを帯びたもののほかには、尖った形もありました。 -
蔡氏古民家の村にあった刺桐(ザイトン)の古木。
樹齢は書いてありませんでしたが、コブだらけの幹を見ると相当古そう。
崇武古城の外回りにあった刺桐(ザイトン)は葉も出て花も付き始めていたのに、この木は寒々とした姿。
まだまだ花を咲かせて欲しい。 -
中国の田舎では、家畜も人間の生活に密着して暮らすのが普通。とてものどかな光景も見られます。
ただ、最近はよくない病気もこういう環境の中から発生してるから、ある程度は気を付けなくちゃね。 -
石のかけらや不揃いな形のレンガを積み上げて造ったこの建物は物置。
う〜ん、いい絵になる。 -
この小屋は飼料置き場?
ヤギが入り込んで枯れ草を食べる姿。 -
イチオシ
あ、レトロな笠付き電球。
ちょっと日が差した軒先の風情。
いいなあ、古い家って。
実際に住むには不便もあるだろうけど、出来るなら買い取ってリフォームしたい。 -
また一軒の廃屋があった。
中庭はアヒルやニワトリたちの飼育場に変身。 -
わ、このお宅の門の周辺は、石の浮き彫りが重々しい印象。蔡氏古民居の中では名家の一つ?
手書きらしい春聯の言葉も詩のように洗練されている。
『喜望紅梅開』か?。優雅だなあ。
普通だともっとおめでたい言葉を並べて現実的希望が書いてあるけど。 -
上の画像と同じお宅の門の脇。
石に浅く浮き彫りにされた紋様も凝っています。
この画像だと見えにくいかもしれませんが、向かって右側は、○の中に龍を組み合わせて作った≪福≫の字、その周りの四角の四隅には蝙蝠(コウモリ)が描かれています。
日本だとコウモリは不吉な印象ですが、中国では蝙蝠の≪蝠≫の字の発音が≪福≫に通じるので、縁起のいい動物です。
向かって左側には蝶々や連銭模様、寿の字をアレンジしたような紋様が見えています。 -
あ、この道の棟には『千万不要忘記階級闘争』のスローガンが残っている。
これは、『階級闘争を忘れてはいけないぞ!』の意味。
このほかにも長い棟を利用して大きく書かれた文化大革命当時のスローガンも数種類。
ちょっとこの≪蔡氏古民居≫が並ぶ村にはそぐわない眺め。でも、書かざるを得なかった時代も通って来た村の歴史の一部。 -
また別のお宅の軒先。
あれ? 軒の飾りの木彫りが焼け焦げてる。
春節(中国の旧正月)に鳴らす爆竹か花火が飛び火したんだろうか。
まだ住民もいる貴重な町並みの≪蔡氏古民居≫なんだし、火の用心。 -
門の脇の板壁に由緒ありげな言葉が書かれたお宅。
今ではその脇に、電線も引かれているのが不思議な取り合わせ。 -
いくら空き家だと言っても、そこは車庫じゃないんですが…。
-
イチオシ
これはまた、華やか且つ重厚な門構えのお宅。
上の方に見えている木彫りが凝っています。 -
蔡氏古民居の並ぶ町並みも堪能したし、そろそろ泉州市内に戻ろうかな、と思った所で目にした廃墟。
悲しい眺めだなあ。
壊すにも建て直すにも、資金が無くて放ってあるとしか思えない。 -
これは比較的新しい形のお宅。
雨水を落とすため(?)の陶器の魚が軒先に付いているのがご愛嬌。 -
ここは蔡氏古民居が並ぶ通りとはちょっと離れた一画。
もっと気さくな生活の息吹が感じ取れる。
あれ、ちょっと曇ってきたなあ。
このあとは、タクシーの運転手おにいちゃんに泉州市街地の北にある清源山風景名勝区まで送ってもらい、そこからは開元寺へと移動します。
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