2007/03/31 - 2007/03/31
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SUR SHANGHAIさん
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朝方は雨だったこの日も午後には高曇りまで天候が回復。
無事に崇武古城見学を終えたSUR SHANGHAIは、泉州市内に戻る前に洛陽橋を訪れます。
泉州市街地から東へ10kmほどの洛陽江の河口に架かる洛陽橋(別名・万安橋)は、北京の盧溝橋、河北省の趙州橋、広東省の広済橋と並んで、中国古代の4大名橋の一つと言われているんだそうですよ。
崇武古城から洛陽橋へ向かう道筋でタクシーの運転手おにいちゃんが言うには、
「洛陽橋って有名らしいけど、ただの石橋。ほかには何にも無い所だよ。何がよくてみんな見に行くんだろ。」
これまでにも、他の場所の遺跡や史跡を回ってもらった運転手さんたちにもよくこんな風に言われたなあ。(^^ゞ
「旅人にとっては百聞は一見に如かず。」となだめて、洛陽橋へと案内してもらいます。
その後は泉州市内に戻り、航海の守り神の女神≪媽祖≫を祀った天后宮、イスラム教寺院の清浄寺や関帝廟、海外交通史博物館へ。
表紙の画像は、惠安県側から見た洛陽橋。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- タクシー 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
惠安県の崇武半島にある≪崇武古城≫から泉州市に戻る方向へ小1時間。
洛陽江河口に架かる≪洛陽橋≫の惠安県側のたもとに到着。この画像だと、右手が上流。
チケット売り場のようなブースもありましたが、閉まっていたのでフリーパス。 -
≪洛陽橋≫のたもとには、橋の守り神らしき像が対になって立っていました。
今もお線香を上げてもらっているようです。
これは泉州の街が遠くに霞む洛陽江上流側の景色。 -
上の画像の石像とは向かい合って立つ石像。
こちらは当然、洛陽江河口側の景色。
ずいぶん平らで遠浅のように見えるなあ。
これでよく海のシルクロードの基点になるくらいの港が泉州に出来たものだと思ったら、1290年頃の最盛期以降は泉州市内を流れる晋江の土砂が海岸線に堆積して、港湾都市としての泉州は衰退してしまったんだそうです。 -
中国古代4大名橋の一つの≪洛陽橋≫は、何が特徴的かというと、この画像に出ているように筏型の基礎の上に築かれた構造。
それに、この橋の基礎部分の石組みには生きた牡蠣(カキ)を大量に付着させて強度を上げたのだそう。
筏型の基礎構造はよく見えても、牡蠣までは見えず。 -
イチオシ
≪洛陽橋≫は、1053年から6年の歳月をかけて造られたとのことで、修復が重ねられた現在の姿は長さが830mほど、幅が7mほどということです。
つい最近までは4輪自動車もここを通っていたようですが、今は文物保護の観点から通行禁止。
橋に使われた石材は、この惠安県の特産の花崗岩。
このあたりの道筋でも、石材店や石像制作のお店がたくさん並んでいました。
SUR SHANGHAIは、橋の半ばまで歩いてみました。 -
≪洛陽橋≫のこの筏型の基礎にはどういう意味があるのかまではSUR SHANGHAIには分かりませんが、洪水で大きな物が流れてきた時には、まずこの尖った先端に当たって衝撃が分散されるようになってるんじゃないかと思います。
-
橋の本体に比べたら、欄干や獅子の像は新しく見える。
獅子の後ろ足の構えが中途半端で力強さが無い気がするんですが…。
≪洛陽橋≫の周辺には、画像のようにマングローブのような木が水面から顔を覗かせています。
ちょっと中国らしくない眺め。
この洛陽江の干潟の上にはトビハゼらしき姿も。 -
≪洛陽橋≫のちょうど中間点あたりには仏塔らしき石の塔。
梵字や小さな仏像も彫られていました。
橋や洛陽江の交通の安全祈願かな。
ここにもお線香を上げに来る人が絶えないみたい。
その洛陽江に浮かぶ小舟の先端には、魔除けの目も付いてます。この画像だと見えにくいかも。
浙江省の沿岸にある石浦古城でも同じような舟を見ましたよ。
タクシーに戻って行くと、運転手おにいちゃんは退屈そう。
「何にもおもしろい物は無かっただろう。」
「そんなこと無いよ。おもしろい発見もあったし。」
「ふ〜ん、そう?」
身近にあって見慣れてしまった物だと、なかなか新しい発見が出来なくなるのはSUR SHANGHAIも同じです。 -
さて、泉州市内にある≪天后宮≫までタクシーの運転手おにいちゃんに送ってもらったSUR SHANGHAI。
あ、もう3時近くだ。
運転手おにいちゃん、お疲れ様。
その後は自分の足で市内の寺院巡りをすることに。 -
道行く人や車の向こうに見える建物が≪天后宮≫。
所在地:天后路1号。泉州市内を流れる晋江に架かる順済橋の近く。
その正面前のちょっとした広場は公園化が進んでいるようでした。 -
泉州のこの≪天后宮≫は、1196年創建で媽祖廟としては規模が大きいものなのだとか。
ただ、現在の建物は現代の再建がほとんどで、大殿だけが古い建物なのだそう。
≪天后宮≫と媽祖との関連の説明の前に、ちょっと中へ入ってみます。入場料は特にありませんでした。 -
≪天后宮≫は、航海の守り神の女神≪媽祖≫を祀った道教の廟。
あれ? 境内はガラガラ。もっとたくさんの人がお参りに来ているかと思ったのに。
この日はほとんどお参りに来ている人はいませんでしたが、海を渡って国外に出て行った泉州出身の華僑や子孫が里帰りした時には、必ずと言っていいほどここを訪れるんだそうですよ。
それに、≪媽祖≫の誕生日(旧暦)3月23日や昇天した日(旧暦)9月9日には大勢の巡礼者も訪れるのだそう。 -
今も厚い信仰を集めている天上の女神≪媽祖≫は、人間としても実在していたのだそう。
960年、(旧暦)3月23日に福建省に生まれた女性で、林黙娘と名付けられたそうです。
幼い頃から神通力を身に付け、多くの人々を災害や病から救ったのだとか。
987年、(旧暦)9月9日に湄洲島から昇天したあとも人々を海難から救い出したので、航海の守り神として
媽祖廟に祀られるようになったようです。
湄洲島の媽祖廟が、今では世界各地に広まった媽祖廟の総本山なんだそうですよ。
媽祖はその後、歴代の皇帝に名を贈られ、清の康煕帝によって≪天后≫に昇格されたので、この泉州の媽祖廟も≪天后宮≫と呼ばれるようになったという由来。 -
≪天后宮≫の中は撮影禁止の標識が出ていなかったので、祭壇奥の媽祖像も撮らせていただきました。
若くして昇天したという媽祖の像は、端正な顔立ちの女性像。
媽祖様、肩肘張ったお姿ですが、お疲れではないですか?
SUR SHANGHAIの肩まで凝ってきそう。
不敬でしたらお許しを。m(__)m -
イチオシ
媽祖様が鎮座まします殿堂の外回りは、提灯が飾られて華やか。
-
…そうかと思えば、お掃除の後のモップがいくつも立て掛けられている≪天后宮≫境内の建物の壁。
こういう物は、訪れる人には見えない所に干すのがいいと思うんだけどなあ。(^^ゞ
ここに限った事ではなく、今まで行った中国のお寺さんではどこでも見られた光景。 -
≪天后宮≫境内の建物の扉。
あ、この金具には≪八卦図(はっけず)≫が付いている。
≪八卦図(はっけず)≫と言うのは、古代中国の易学で天地の法則を図案化したものだそうです。
この文様自体に邪気避けのパワーがあるということで、鏡を付けた八卦鏡は道教での儀式にも使われるのだとか。 -
≪天后宮≫境内の片隅には、修復に使われる瓦を寄進するコーナーもありました。一枚20元。
瓦には寄進者の名のほか、現在居住している国名なども書いてあります。
台湾に移住した人々やその子孫、世界に散らばっていった華僑とその子孫らしき人々の多さにびっくり。
泉州に里帰りした時に、この≪天后宮≫にお参りしていったんだろうなあ。 -
これは、≪天后宮≫境内にある売店で売られていた祭壇用の飾り布。幅は1mを超えます。
刺繍(と言っても、ここは機械刺繍)入りの真っ赤な布。試しにお値段を聞いてみたところ、100〜300元台。手が込んでいるように見えても結構安い。
お店のおばさんに
「で、あんたはどこの華僑?」と聞かれたSUR SHANGHAI。
「いえいえ、私は日本人。」と言っても
「あ、日本に帰化したの?」だって。
「いえ、私は100%日本人。(^^ゞ」
「え? なんで日本人が中国語を話せるの?(・・?」
のやりとり。
「中国に住んでる日本人なんですよ〜。」と説明して、やっと納得したもよう。 -
道教の儀式で神降ろしの役を務めるシャーマンが着用する服も売られていました。
こういう風に吊るしで売られているのを見るのは初めて。これもお値段だけ聞いてみたところ、500元ちょっと。
台湾に住んでいた時には、道教のお寺に巡礼する進香団の儀式を見たこともあるSUR SHANGHAI。
その進香団の中でも、神憑りになって自分の体を傷つける童乩(タンキー)と呼ばれるシャーマンたちには驚かされました。
童乩(タンキー)関連の旅行記も、おいおい作成しようと思います。 -
マルコポーロが泉州を訪れたのは、泉州が海のシルクロードの基点の国際貿易港として一番栄えていた1290年頃らしい。
その時にはこの≪天后宮≫も出来ていたわけだから、彼もここに来た事があるのかも。
…とSUR SHANGHAIは思いつつ、お次はイスラム教寺院の≪清浄寺≫へと歩いて行ってみます。 -
これが泉州市にあるイスラム教寺院の≪清浄寺≫。
場所は涂門街の中ほどで、≪天后宮≫からだと徒歩20分くらい。
以前あったというドームや尖塔、屋根は地震で失われたのだそう。
向こうに見える入り口でチケットを買います。3元也。
入り口の所にムスリムの帽子をかぶった男性がいますが、この画像だと見えないですね。 -
イチオシ
海のシルクロードの基点として栄えた泉州には、遠くアラビア方面からの船団も出入りして、移住する人たちも多かったのだそう。
当時移り住んで来たというアラビア人の子孫が住む村も泉州郊外にあるとのことです。
イスラム教徒である彼らのために建てられたこの≪清浄寺≫は1009年の創建だそうです。
ということは、マルコポーロも泉州に来た時に見た可能性大。
入口に書かれたアラビア語が美しい。
SUR SHANGHAIには読めないのが残念。 -
≪清浄寺≫の礼拝所だった部分。上の方の画像で歩道に面している部分です。天井が落ちて、石柱と壁が残るのみ。
中国語ではこの礼拝所を奉天壇と言うんだそうですよ。
周辺の壁を見ていくと…、 -
…フェンスにはイスラム教のシンボル、月と星の装飾が付いていました。
イスラム教の国の国旗にも月と星が付き物。
イスラム教発生の地アラビアでは強烈な太陽より、涼しさをもたらす月と星に親近感があったからとも聞きましたが、SUR SHANGHAIには分かりません。 -
そのほか、≪清浄寺≫の石の壁にはアラビア語が彫られていましたが、説明が付いていないので(・・?
コーランの一節、なのかも。
間違っていたらお許しを。m(__)m -
これは、ドームや尖塔があった当時の≪清浄寺≫の模型だな。
あれ? 礼拝所部分の天井や屋根は元から無かったんだろうか。まさか。
右側に置いてあるどこかのモスクの写真にも説明が無い。
一言でいいから注意書きがあればいいのにな。 -
上の模型以外にも、イスラム教関係の展示がしてあった≪清浄寺≫。ここにいると、自分が今いるのは中国じゃないみたい。
ただ、説明が無いので、アラビア語を刻み付けた石も何なのか分からずじまい。
このあたりで発掘された石碑や墓碑? -
泉州の≪清浄寺≫には、今も使われている礼拝所はあるのかな?
さっき見た石柱の並ぶ昔の礼拝所の裏手に、現在の礼拝所がありました。
この画像はその側面。
建物の造りは、赤レンガを使ったこの辺の民家や廟と同じ感じ。
西安で一番大きいイスラム教寺院の清真大寺は、もっと仏教寺院に近い造りだったなあ、と思い出したSUR SHANGHAI。 -
≪清浄寺≫の現在の礼拝所は、明善堂と呼ばれていました。
その正面入口だけ見ると、イスラム教の礼拝所とは思えませんが、入口の門の上に懸かっている扁額には、『認主独一』の文字。
やっぱり仏教のお寺さんとは違います。 -
その門に描かれていた模様。
アラビア文字を装飾して書いたのかも知れませんが、SUR SHANGHAIにはアラビアから渡って来た帆船のように見えます。 -
≪清浄寺≫の現在の礼拝所、明善堂の脇に置いてある緑色の箱は喜捨(ザカート)を入れる物。
イスラム教には六信五行という信仰の道しるべがあって、
六信とはアラー、天使、啓典、預言者、来世、天命を信じること、
五行とは信仰の告白、1日5回のメッカ礼拝、ラマダン月の断食、喜捨、メッカ巡礼を行うことだそうです。
あれ?喜捨箱の脇にあるのは、マクドナルドでクジに当たってもらったサンダルじゃないの?
不敬でしたらお許しを。m(__)m
その喜捨箱の上に付いているのは、礼拝時刻を表した時計状の時刻表。
一番左は北京時刻、あとの五つは朝から夜までの5回の礼拝時刻を示しています。
喜捨箱と礼拝時刻表は、西安の清真大寺にもありました。 -
明善堂の内部。ここは信者の人以外は入れません。
今の泉州市にはイスラム教を信仰する人は少ないのか、内部はこぢんまり。
この時は礼拝の時刻まで間があって、訪れる人もチラホラだった≪清浄寺≫。
今日はもう歩き疲れたし、あとは≪泉州刺桐(ザイトン)飯店≫お隣の≪海外交通史博物館≫を見て終わりにしようと外へ出ると…、 -
イチオシ
…≪清浄寺≫の右隣100mほどの所には関帝廟が。
関帝(かんてい)は、三国時代の武将・関羽が神格化された呼び名のようで、本来は武勇の神様のはずなのに、今ではなぜか商売繁盛の神様になっています。
この関帝廟内部は撮影不可だったので、中の様子はお見せできませんが、商売繁盛と言う現世でのご利益を目当てに(?)お参りしている人がびっしり。
ほんの目と鼻の先の≪清浄寺≫が寂しいくらいの佇まいだったのとは裏腹な賑わいぶり。 -
関帝廟前の道に出された香炉にはお線香がぎっしり。
一人、また一人と商売繁盛を願ってお参りに来る人が。 -
関帝廟入口の門を見上げれば、精巧な彫刻を施された軒先が。
-
関帝廟入口を守る像。
左右に対になって立っています。
直接道に面しているから埃まみれ。
たまにはお掃除してもらうのかな。 -
≪海外交通史博物館≫に行く前に、小さな食堂でツルツルッとすすり込んだ搾菜肉絲麺。
搾菜(ザーサイ)と豚肉の細切りを炒めた物が乗ったコシのある細麺。
福州で食べた刀削牛肉麺もそうだったけど、癖の無い透明醤油味スープがおいしい。それに、SUR SHANGHAIはちょっと苦手な香菜(コリアンダー)も入っていない。
上海あたりだとスープの醤油色が濃かったり、八角(スター・アニス)の癖が気になるのになあ。香菜も山盛りになって麺もふやけてることが多い。
個人的には福建省の麺に一票! -
海のシルクロードの基点だった泉州は、マルコポーロの『東方見聞録』では≪ザイトン≫と呼ばれ、その繁栄振りが伝えられた街。
今では、その当時の様子を伝える≪海外交通史博物館≫があります。
所在地:泉州市 東湖路 番地は書いてありませんでした。お隣は≪泉州刺桐(ザイトン)飯店≫。
見学:チケット10元、開館8:30〜17:30
画像はチケットからとった物。 -
泉州の≪海外交通史博物館≫には、多数の展示物がありますが、ロビーに置いてあるこの帆船の模型以外は撮影不可で残念。
海外交通史と名が付くだけあって、新しく大きい館内には、海のシルクロードの基点だった当時から現代までの海上交通についての展示が豊富。マルコポーロが泉州からイタリアに帰る時に乗ったという船の模型もありましたよ。展示方法もこぎれいにまとめられていました。
ほかには、宋の時代の沈船に残っていた品々、中国各地のあらゆる船の模型や実物、航路図などなど。
別ホールには、泉州一帯から発見・発掘された石碑、墓碑、石像が並んでいます。
中国語や仏教様式の物以外に、外来の言語や宗教様式で刻まれた物も多数。泉州が当時の国際都市だったのが一目瞭然。
泉州に行くことがあれば、寄ってみてくださいね。
これで今日の見学を終えたSUR SHANGHAI。
明日は泉州市西側にある草庵、安平橋、鄭成功陵墓、蔡氏古民居を訪れます。
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