チューぱぱさんへのコメント一覧(5ページ)全51件
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私も行きました
チューぱぱ様
この特攻記念館は、特攻の生き残りの方の中には、特攻作戦についての、参謀の責任が触れられていないと憤慨なさる方もいるようです。
特攻を推進した参謀は、生き残る側でした。この元参謀たちは、戦後この特攻についてリーダーズ・ダイジェストによって世界に紹介させます。
特攻隊員は、「悠久の大義に生きる」を旨として、特攻機に乗り込んだと。
特攻を命ずる者と、命じれる者が、心をひとつにしていたとも。
また、ドイツは無条件降伏であるが、日本は特攻隊員のおかげで、国体護持ができ、条件降伏に持ち込めたとか。
あと人間魚雷回天についてです。
この回天を推進した参謀の一人が、戦後回天の本を出しています。
この方については、ひとつのエピソードがあります。
戦争も終わって大分たってから、アメリカから回天が返却され、靖国神社に祀られることに。
このときに、この元参謀が、「回天を始めて見た」と言ったのですが、生き残りの隊員は、こんな奴のために死ぬ運命にあったのかと激怒して、元参謀の回天押し込め事件が起きました。
今日、日本では憲法9条改正というジャーナリストの方や政治家センセーがいます。
彼女ら、彼らは、自分や家族、親類の者は、戦争には行かない「上等の身分」だから、そう言うのでしょう。このような事を言う人には、嫌悪感を。
勿論、私はノンポリなので、9条の会とかいう人ともかかわりあいたくないですが。
平頂山の写真も考えられさせられます。
私は歴史の真実を知る必要はあると思いますが、戦争犯罪をした個人を追求するのには、反対です。私だって戦争に行っていたら、何をやっていたか。
RE: 私も行きました
ご来訪ありがとうございます
浦潮斯徳
ロシア語の漢字表記かと思いますが何とお読みすれば良いのでしょうか。
単純に pu3chao2si1de2 でよろしいのでしょうか。
合わせて、大量の投票をありがとうございます。
戦争に関しては人それぞれの意見をお持ちでしょうが、私が知覧で一番感じたのは国を率いる指導者の資質です。
日本全土を焼き尽くされ、広島長崎に原爆を落とされても止めようとしない国のリーダーたちは、まさに犯罪者と言えると思います。
たぶん彼らの守るべきモノが違うのでしょう。
小泉元首相が蛍の話に涙したと聞いた時、非常に腹立たしく思いました。
戦争と言う集団ヒステリーのときは人間の知性・理性を失わせます。知覧はそれを証明する記念館かと思います。
大本営発表の勇ましい武勇伝ばかりが持てはやされ、現実に対峙してる若者が犠牲になる。そして命令を下した指導者は敗戦を終戦と言い換え、安泰とした生活をおくる。
『俺は、君のためにこそ死ににいく』
戦闘機に爆弾を積み、急降下すれば機体が分解するのは皆知ってたはず。
それでも実行したのは・・
愚かさを美化してはならないと思います。
2011年09月22日00時46分 返信するRE: 特攻は美談ではなく、悲劇ですね。
> チューぱぱ様
お便り、有り難うございます。
ウラジオストクと読みます。正しい発音は、ヴラディヴァストークです。
横浜はロシア語では、「ヨコガーマ」です。
特攻には鈍速の練習機まで、白菊として使用されたました。
沖縄へ行くまでに多数の飛行機が故障し、薩南諸島や奄美諸島に、不時着しています。この特攻に参加出来なかった隊員は、福岡の振武寮に送り込まれ、「死んで軍神になるはずが、生きて戻ってきた」と、上官から凄惨な仕打ちを受けたようです。
私の知り合いで、ボルネオに行かされた元日本兵の方が、いらっしゃいました。この方は、あの「知覧での涙」に対して、「嘘泣きしやがって」と、おっしゃっていました。「戦争なんか無意味だ」と。
今後も時間があれば、チューぱぱ様のブログを読ませていただきます。宜しくお願いいたします。
2011年09月22日18時37分 返信する -
はじめまして
千種公園の百合を見ようとして、検索して訪問しました。
百合の写真はないけど、懐かしい実家周辺あたりを拝見させていただきました。
実家は振甫なのでどれもどのあたりかわかりました。
今も一人暮らしの母が住んでおりますので、週に1回は訪ねております。
たかみてらですよ。
私は高見小学校出身です。
そろそろ百合が見頃ですね。 -
サザンビーチキレイでしたね!
チューぱぱさん、はじめまして。
ちゃべすと申します。
私も2009年7月にサザンビーチに3泊しました。
できたてホヤホヤのホテルはいいもんですね!(^^)!
バルコニーからの眺めも良かったですね。
チューぱぱさんは2泊3日で、なかなか広範囲の観光をされて
沖縄を満喫でしたね。
私も沖縄が大好きで今年の夏は石垣島に行ってみたいなぁと
思ってます。
また、おじゃまします! ちゃべすRE: サザンビーチキレイでしたね!
ちゃべすさん
ご来訪ありがとうございます
サザンビーチは旅行会社のツアーだったのですが、まだグランドオープンして1週間ほどの新品ホテルでした。
それで、ぴかぴかの一年生の言葉になぞらえて「ぴかぴかホテル」と呼んだ次第です。
海もさることながら、新品ホテルもきれいで大感激。あまりの快適さから、旅行後に引越しの決断をしたぐらいです。(^_-)
それまでの古い団地から、新築のアパートに移り現在に至ってます。バリアフリー設計は快適そのもので、サザンビーチに泊まった事が人生の転機にもなりました。
沖縄旅行も梅雨時で雨が心配でしたが、晴天が続き楽しい旅行でした。もう一度行ってみたい場所のひとつですね。
今後もよろしくお願いします。
2011年02月20日00時48分 返信する -
見たかった東京スカイツリーです。
チューぱぱさんへ
ふ、ふ、来た、来た、絶対、無理、無理。
いえ、えい、バイキングは行っった一歩人です。
そうですよねええ。絶対見たかったシーンです。
とても感動しました。
旅行記ならではの、シーンでした。
橋の定点観測も木っ端微塵かな!
展望からみるシーンにはかないません。
もっと早く気がつくべきでした。もはや。
何か、人生と同じかな。後悔先にたたず。なんて。
ありがとうございました。
失礼しま〜す。 -
松江城
チューぱぱさん
出雲大社、松江城 日本の木造建築の美にはウットリですね。大社の荘厳さ、松江城の老体さんも益々健在、立派です。
私も数年前山陰の旅をしました。大山、蒜山高原も良いドライブだったと思います。又、楽しい旅行記をお待ちしています。2010年05月13日13時04分返信する -
一年前を思い出し・・・
こんにちは!チューぱぱさん。
ちょうど1年前かな、沖縄に行ったのは。
私たちもビックリ価格の沖縄3泊4日の旅でした。
それにしても、なぜ?って疑いますよね。
でも、それなりのツアーで満足できれば次もまた違うツアー
探して行こうか。 なんて思うの私だけかな?
沖縄の海の色の美しさホント綺麗ですよね。
チャンスがあれば何度も行きたい場所の1つかも。
2日目の旅行記楽しみです。
tanaka
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初めまして
チューぱぱさん
初めまして愛台湾のkakogawaです。
私も今年のGW(妻と)と今月(姉2人+妻と)、花蓮へ行きました。
昔と今では少し変わっているようですね。
また今月26日から今度は長男と二人だけで花蓮へ行きます。
台湾は美味しいものと暖かい気候で気持ちがのんびりとなり
行くたびに寿命が延びそうです。でも財布の中はどんどん軽く
なっています。(涙)RE: 初めまして
ご来訪並びに掲示板カキコしていただきありがとうございます。
台湾は私にとって始めての海外旅行でしたから今でも大好きです。当時5回ほど続けて行きましたが治安も良く美味しい物をたくさん楽しみました。
その後は大陸のほうに興味が移ったため訪れる事はなくなりましたが、機会があればまた行きたいと思ってます。
台北の街もかなり変わったことでしょう。新幹線ができ交通も便利になったと聞いてます。花蓮は例の大理石工場の評判があまり良くないようですから、次回は高雄に行きたいです。
>財布の中はどんどん軽くなって
海外旅行は円高の今がチャンスですね。(^。^)
年末の旅行が楽しいものになりますように!
2008年12月22日08時44分 返信する -
大雁塔
チューぱぱさん、訪問ありがとうございます。
西安に2泊の出張から帰ったばかりです。
午後4時前にホテル着、6時の食事会の前に大雁塔を訪れました。
37℃程度の暑い日の散策でした。
塔自体には、登ることができませんでした。
整備中でした。
小雁塔は早朝の散歩で訪れました。
8時30分の開門まで待てと警備員に言われましたが、市民には開放されている様子、たくさんの中国の方々がフリーパスで入場していました。
8時には仕事に行かないといけないと言って、無料で入らせてもらいました。
初めての西安は暑さの中の散策でした。
ではまた。RE: 大雁塔
ご丁寧にありがとうございます
お仕事お疲れ様でした。海外旅行記を見てましたらnao0880さんの美味しそうな西安餃子宴の写真が目に止まり、懐かしくて思わず拝見させて頂きました。
西安は日本の京都みたいな存在で、名所が多いのですが夏はとっても暑い所です。私たちが行った時は4月でしたが、大雁塔に登った時はやはり暑い日でした。
中国の名所は行ってみなければ観光できるかできないか不明な事があるのが欠点ですが、西安城の西門は特にシルクロードの出発地として人気があります。
三蔵法師が実際に説教をしたというトルファンの高昌古城も写真がたくさんありますので、もう暫らくしたらアップしたいと思ってます。
今後ともよろしくお願いします。
2008年07月15日07時52分 返信する -
懐かしの北京
チューぱぱさん、お早う御座います。
忙中閑有り。
来月から三泊四日で北京へ女房と行くので、下調べにこのサイトを見ていたら貴方の旅行記が出てきたので読ませていただきました。
北京は2004年、06年と2回訪れておりますが、一回は現地日本人と次は一人で、公共交通機関を利用して歩き回っただけですので、限られたところしか回ってません。
で、今回は行けていない、い和園、八達嶺などが含まれているツアーに参加したのです。
ところでタイトルに書いているように、なぜか北京は気に入っており、そこを女房に見せたいのも今回の動機のひとつです。(上海よりも北京が良い。他にいずれも仕事ですが、天津、大連、広州と行ったが、この中では広州が良かった。要は古いものが残っているところが好きなのです)
懐かしの北京、それは勿論胡同が第一で、鼓楼や鐘楼の北東部にある胡同、同じく西側にある羊房胡同、瑠璃ちゃんの東側や南側にあるそれと随分行きました。落花生を買い(ひまわりの種は辛気臭くてよう食べません)、食べ物屋さんや、やたらと沢山有るトイレやらを見ながらぶらついた出張中の休日は最高でした。貸し自転車もあるよと旅行会社の親父が英語で勧めてくれましたが、時間が無く泣く泣く諦めたことも思い出します。
後は景山公園。いろんな人たちがコーラスをしてたり、ささやかなるバンドを控えて女性が歌っていたり、なんともいえないのどかさが好きでした。この光景は公園と名の付くところでは、どこでも見受けられますよね。
地下鉄席を譲ってくれたお母さんと一緒の小さな男の子の、別れ際の「再見!」という可愛い声、固辞したのにやはり席を譲ってくれたバスのおばさん、同じくバスで小銭が無く困っている小生を見かね両替してくれたこれもおばさん。
いろいろ楽しく思い出します。
来月の旅行が楽しみで、わくわくしてきました。では行ってきます。
以上
RE: 懐かしの北京
ご来訪ありがとうございます
私の北京旅行記は古く、また知識も古いものですのであまりお役に立てず申し訳ないと思います。でも日本人は悠久の歴史と広大な大地に憬れるのですよね。(^。^)
私は、1989年に最初に台湾を訪れてから面白半分に中国語を勉強し始め、2000年北京に家内を連れて行った時が一番ベストの時でした。でも、中国は知れば知るほど嫌になる部分が残ってまして、一般庶民の暖かさとは別な部分が相当あります。(^_-)
大陸はシルクロード方面に3回、東北の戦争傷跡関連に1回、それとこの人民大会堂に惹かれての計5回行きました。毎回、北京が最終地でしたので写真はたくさんあるのですが整理が追い付きません。(笑)
もう今は、北京は大都会でしょうから公共交通機関も整備され個人で旅行されても大丈夫と思います。私の頃は、他人を蹴っ飛ばして押し退けなければ乗れないバスばかりでしたので、タクシーがメインになってました。当然、ホテルの前から乗るとボッタクリに合いトラブルの連続です。北京名物の人力車でも同じでした。まあ承知でしたから平気でしたけど (^◇^;)
ですから人の集まる名所旧跡は旅行会社に任せるしか方法がありませんでした。でも旅行会社は高いですが利点もあります。中国人の人の波に勝つには人民元ではなく兌換券を使用しないと無理でした。
上海のテレビ塔や慕田峪のロープウェイ乗り場での大行列は、おとなしく待つと3時間ほどかかります。ならば庶民の五十倍近い値段でも為替格差の大きかった時代です全然構わない。行列の最前列へ割り込みできる貴賓の扱いの方がベストでした。
もう今はそんな事はできないと思いますけど。(^。^)
繁華街の王府井も変わってるでしょうね。
碧春茶店で1Kg1万円のジャスミン茶を買い、北京工芸美術服務部で伝統工芸品をお土産に買いあさり、北京百貨店で食料品を買い求めたものでした。
お帰りになったら旅行記をお願いしますね。
是非とも、奥様孝行なmakkoさんの旅行が楽しいものになりますように! (^◇^;)
2008年06月17日17時26分 返信する -
学生のころ
一度行きました!
国文科だったので友人たちと杜若にちなんだ歌・・・
からごろも
きつつなれにし
つましあれば
はるかにひとの
たびをしそおもふ
・・・だったか?を思い、
自分たちもヘタな和歌を作ったことを思い出しました。
懐かしいです。私たちの行ったころは丁度満開でした。