たっこさんへのコメント一覧(10ページ)全162件
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お礼
たっこ様
いつも「いいね」を頂戴し、ありがとうございます。リタイアしてボケ封じにと始めた4トラ旅行記ですが読んでいただけている事が励みになっています。感謝、感謝です。
仙人のようなお籠り生活中もボケないように過去の写真を整理しながら思い出の旅シリーズを当時の旅行プランメモを頼りに記憶をたどりながら書いています。笑
今年は新型コロナウィルスのため、旅行好きで自由人の私にとって大変辛い年になってしまいました。残念ですが年内に予定していた海外旅行は全てキャンセルしました。4トラの旅行記を拝読しながら仮想旅行を楽しんでいる日々です。
当分の間は、近場のドライブでストレス発散し、他県への旅行が可能になったら国内旅行に勤しみたいと思っています。
今後ともよろしくお願いいたします。2020年06月03日16時43分返信する -
近いようで遠いような街
たっこさん 初めまして 私の古~い旅行記にいいね有難うございました。
たっこさんは毎年3回程海外旅行をなされているのですね。羨ましい限りです。
今回はいつかは行ってみたいウラジオストック旅行記に訪問させて頂きました。
以前は行きたくても絶対入れない秘密軍港都市でしたもんね。
たっこさんのは最近のだし、アート作品の多い路地やお料理写真が豊富で新鮮でした。
レストランも日本語メニューがあるし、便利ですね。
グルジアレストランも写真入りメニューで分かりやすい。日本語も欲しい~
私ならソリャンカスープにペリメリシベリア風かな(いかにもロシア風ネーミング)
タラバ蟹も美味しそうですが、やはり本場でも高いのでしょうね。
道路などインフラ状態が良くないですね。それに土産物ってマトリョーシカしかないのかと思っちゃいますよね(50年前訪露の時と同じ)
だが、今はウラジオストックはシベリアタイガーがイメージキャラなんですね。車のイラストなんかいいし、勇猛に突進する街に期待しちゃいますね。
ところで1956年生まれなんですね(Be careful viza)。私と近いお歳だと思いますので、これからもよろしくお願い申し上げます。
olive kenji
RE: 近いようで遠いような街
olive kenjiさん こんにちは。
50年前の海外ってどんなだろう?
興味津々で拝見させて頂きました。
今では普通に学生も海外旅行を楽しむ時代ですが、
私の若い頃は外国に行こうと言う発想すらありませんでした。
そんな時代だったと自分では思っていましたが、
正確にはそんな環境で育ってしまったという事ですね。
1956年生まれ!なんで知ってるの?一瞬ドキッとしましたよ。
うかつにもVisaの所のモザイクの掛け忘れですね。
早速、モザイク掛け直しましたが、時すでに遅しですね。
私の個人情報は瞬く間に世界中に広まってしまうんですね。
怖いですね。
これからも宜しくお願い致します。
たっこ。
2020年05月25日14時56分 返信する -
こんにちは。
たっこさん
こんにちは。
「2019年夏 ギリシャへの旅 (アテネ編)」に訪問頂きありがとうございます。
ウラジオストックの旅行記を拝見して行ってみたいなと思いました。
今年の海外旅行は中止ですね。秋位には国内旅行に行けるかな?
ステイホームでストレスが溜まってきている今日このごろですね。
時々お邪魔します。
お体ご自愛下さい。
コロナに負けるな。
パパさん
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神秘的なマッターホルン
たっこさん、
今日は。いつもお立ち寄りありがとうございます。
マッターホルンって、すごいほど神秘的ですね。
朝日が山頂を徐々に染めていく様子に感動をした気分はその時に
居合わせないと、実際には想像できませんけど。
また、天気に恵まれ、池に映るマッターホルンとの二重の場面も素晴らしく、
ツイテいましたね。
ゴルナーグラート展望台といえば、若い頃に家族とここで周辺の眺望を
楽しんでいると、アフリカ駐在で夏の休暇で来スイスしていた後輩夫妻に
ばったり、ビックリしました。こうした体験はその後は全くなかった。
急にその名前とご夫妻の顔がはっきり浮かんできました。
その後、一度もあう事が無かったから、不思議な出会いでした。
ではまた。
jijidarumaRE: 神秘的なマッターホルン
jijidarumaさん、おはようございます。
いつも書込みありがとうございます。
マッターホルンはなにか特別な存在感がありました。
逆さマッターホルンを見る事ができた時は感動でした。
今でも、鮮明に覚えています。
私もミラクルな経験をした事があります。
2009年のドイツ旅行の際、ドイツ在住の日本人ガイドさんに
10日間ほどお願いした事があります。
その後、何も連絡を取り合う事はなかったのですが、
3年後にベルギー ブリュッセル グランプラスの人混みの中で
バッタリ会う事が出来ました。本当にビックリしました。
その後、ドイツに行く度にまた会えるんじゃないかと
つい、探してしまいます。
また、場所は忘れましたが海外の空港で、
娘の同級生のご両親とバッタリお会いしたり、
なんと、指輪も2回ほど落とした事がありましたが、
ちゃんと見つける事ができました。
旅って何が起こるかわからないから楽しいですね。
早くもとの生活に戻れるといいですね。
たっこ。
2020年05月18日07時44分 返信する -
柱状節理
たつこさん こんにちは
>2011年に完成した巨大多目的ホール。
地震国に住む私たちにとっては近づくのも躊躇するくらいユニークな建物ですね。
柱状節理をモチーフにデザインされているそうですが、面白いものみせていただきました。
それにしてもこの街、楽しさいっぱいの建物や、壁に書かれたアート作品、行く先々で楽しめます。
ドーンとすごい教会がありました、天を突くようなデザイン、神に近づけようとした気持ちのあらわれでしょうか?
楽しい街歩きでした。
pedaru -
カーニバルの噴水、それに追加でお願いです。
たっこさん、
今日は。
たまたま、他の方の古い旅行記を拝見して、この噴水は?という書き方
でしたのでご説明を差上げました。
噴水の詳細を御存じかどうか不明ですので、勝手ながら以下に内容を転記しました。
マインツ市庁舎前の広場のオブジェ:
Mainzer Fastnachtsbrunnenマインツアー・ファストナハツブルネン(カーニバルの泉=噴水)と言い、シラー広場にある。
9mの高さのブロンズ像は3年をかけて1967年1月に完成。
父なるライン川、僧侶、愚か者、猫、ティル・オイレンシュピーゲル(有名ないたずら者)、町の守護神の女神モグンティアなどなどの凡そ200体の人形像、マインツやカーニバルの歴史と強いつながりを持つモチーフを表現しているそうです。
「ファッシング」、「ファスナハト」あるいは「カーニバル」は、特にラインラント地方やドイツの中でもカトリックの影響が強い地方の古い風習です。その中心地はマインツ、ケルン、デュッセルドルフ、ボンです。
祭りは11月11日に始まり、灰の水曜日に終わります。お祭りの騒ぎがハイライトを迎えるのはいわゆる「汚れた木曜日」から灰の水曜日 (Aschenmittwoch)までの週です。バラの月曜日(Rosenmontag)には大規模なパレードが行われ、愉快な仮装をし、伝統的な民族衣装や仮面をつけてパーティーやパレードを楽しみます。この伝統の起源は冬を追い払う古い風習です。
以上ご参考までに。
(適宜、情報として旅行記に追加して書きこまれたら宜しいかと)
マインツのカーニバルに訪れた事はありませんが、地元デュッセルドルフはもちろんケルンにも行きました。
jijidaruma
尚、先の「Part.4 メルズンゲン・バードゾーデンへ日帰り」の旅行記にコメント書き込みをしています。そこでお願いするのを忘れたので、ここに書きます。
まことに恐縮ですが、ハン・ミュンデンの駅前で見た<駅まで歩いて行く途中で見つけた物。なんだろう。>・・・この記念碑の写真を借用し、私の「番外編:ハン・ミュンデン:ヒトラー暗殺未遂事件に関与し、処刑された一人の弁護士」に掲載いたしたく、どうぞ宜しくお願い致します。
いくら検索しても、これほどの写真が見つからないのですよ。
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秋の景観と木組みの家並みは素晴らしい。
たっこさん、
今晩は。メルズンゲン、バード・ゾーデン・アレンドルフも訪れましたが、
改めて見た秋の景観と木組みの家並みは素晴らしく、旅心をかきたてられます。
3点に付き下書します。
ハン・ミュンデンの駅前に立つ標識:
Friedrich Adam von Trott zu Solzフリードリヒ・アダム・フォン・トロット・ツー・ゾルツ(1909年~1944年、ポツダム生まれ)は弁護士、外交官、ヒトラー暗殺未遂事件に関与したとして処刑された。
アダムは1922年4月、ハン・ミュンデンのギムナジュームに入った。ここに1923年~27年の間、在学して、1927年にハン・ミュンデンでAbiturアビトゥール(大学入学資格試験)に合格している。
その縁で彼の顕彰碑がハン・ミュンデンのギムナジュームにあり、駅前広場には彼に因んだ名前が付き、道路標識が立っているようです。
„Adam von Trott zu Solz. Widerstandskaempfer im Nationalsozialismus“
「アダム・フォン・トロット・ツー・ゾルツ。彼は国家社会主義(ナチス)に対する抵抗運動の闘士だった」と、標識に説明が書かれているという。
バード・ゾーデン・アレンドルフの見学:
木造の建物があるけどなんだろう。=>クーアパーク内にある塩水を利用した呼吸器治療施設で、バード(温泉)の名が付く町にはよく見られます。
また、この町はシューベルトの「Brunnen vor dem Tor」「泉に添いて、茂る菩提樹」の菩提樹がある泉が見られたのですよ。
ハン・ミュンデンに戻って:
井戸。この水は飲めるのかな。=>Kein・・・Wasserの字が見えので、
この水は飲めません。
上述のうち、フリードリヒ・アダム・フォン・トロット・ツー・ゾルツに
付いてはここで初めて知ったのです。
かつて何度かナチスに対する抵抗運動をした人について書いてきましたので、
この章をきっかけに番外編で書いてみようと、訳して纏めました。
(昨秋の旅でハン・ミュンデンに泊まりましたが、この町の番外編が増えます)
ありがとうございました。
jijidaruma -
ボッパルトの大蛇行はやはり素晴らしい。
たっこさん、
今晩は。初めまして。
楽しいドイツ旅、木組みの家並みをご堪能の様子、ドイツ好きとしては
拝見しながら楽しんでおります。
バッハラッハのシュターレック城から見る景観、ボッパルトの大蛇行も
魅力的ですね。
といっても大室山のリフトでビビった高所恐怖症の私はボッパルトの大蛇行
を見るのに、リフトを避けて山麓からレンタカーで裏道を上がったのです(苦笑)。
上って見れば、戻るのが惜しいような景観がありました。
この町は生まれ育った東京・青梅の姉妹都市(分家にあたる市長が纏めた)
で、ライン川に沿ったプロムナードに青梅公園があるのは多分、ご存じない
でしょうね。
このシリーズを楽しみにまた立ち寄らせて頂きます。
それではまた。
jijidarumaRE: ボッパルトの大蛇行はやはり素晴らしい。
jijidarumaさん おはようございます。
いつもコメントありがとうございます。
ポッパルトに青梅公園があるとは知りませんでした。
早速検索してみたらjijidarumaさんの旅行記にたどり着きました。
古城ホテルは霧が少し残念でしたが、とても素敵なホテルですね。
ドイツって本当に奥が深くて私も大好きな国の1つです。
実は私も昨年 jijidarumaさんと同時期(9月26日〜10月9日)にドイツに行っていたんですよ。
jijidarumaさんの旅は知的な文化人!
私はロマンチック街道に16年ぶりの再訪とミュンヘンでオクトーバーフェストに参加し、
ビール三昧! …この差って‼
そして明日12日からもハンブルクのミニチュアワンダーランドに行こうと
予定していたのですが、全てキャンセルしました。 コロナめ〜‼
仕事は休みにしてしまってるので、11日間のお休み中なにしよう〜。
このままだとGWも怪しくなってきましたね。
ついつい愚痴ってしまいました。すみません。
たっこ2020年03月11日08時24分 返信するRE: RE: ボッパルトの大蛇行はやはり素晴らしい。
たっこさん、
今日は。
ポッパルト大蛇行の旅行記をお読み頂きありがとうございます。
多分笑われた事でしょう。宿泊した古城ホテルは久しぶりで
楽しみました。ドイツ大好き人間は同時に古城巡り、古城ホテル滞在好き
でもあります。
同じ時期にドイツ、北と南でしたが。
今年もドイツ!ハンブルクの由、コロナ残念ですね。
私も5月連休過ぎに南ドイツ、オーストリアのザルツカンマ―グート、
リンツ近辺を巡る旅を検討していましたが、一寸無理ですので、様子見、
無期限延期です。
その間、昨秋の旅のアルバム貼りをしようと思っています。
ご返信は不要ですよ。
jijidaruma
P/S:勝手ながら、フォローさせて頂きました。
2020年03月11日13時09分 返信する -
一寸した失敗!
たっこさん、
今晩は。
旅もまだ3日目ですか!先の事を思えば、中味の十数万円とカード3枚
が無くなってしまった事に、天を仰いで嘆いたことでしょう。
私にも失敗があります。以下は旅行記に残した失敗談。
・・・
2006年5月に<伝説:ヨハニスベルグ城の“ワインの使者”>で知られる
ラインガウのSchloss Johannisbergヨハニスベルグ城でラインの流れも
遠望できるテラスレストランで昼食を頂きました。
たいへん満足した昼食でしたが、最初に飲んだシャンパン入りのカクテルが
緊張感を緩めて、カード決済をした際、カードをどうも此処で落としたらしい。
翌日、2泊したライン川畔の名城Burghotel Auf Schoenburg古城ホテル・
アウフ・シェーンブルグでチェックアウトしようとすると、何と財布に
VISAカードが入っていませんでした。
パニックで、部屋にとって帰り辺りを探す、そして背負ったリュックを調べるが、
全く見つからない。これは大変と、昨日の行動を考えて、ヨハネスベルグ城の
テラスレストランで落としたに違いない。レセプションの小母さんにお願いして、
VISAの決済票を提示して、聞いてもらう。結局、分からないとの返事が。
カード停止の連絡をせねばと、緊急連絡先に電話を架けて、事情を説明し、
カードの無効処理と帰国以降に新カードを発行するようお願いする。
旅行途中なので、警察に届出は結構だとの事で、やれやれである。
ホテル代は家内持参のMASTERカードで清算したものの、家内の枠は少ないので、
旅の終わりでカードを落としたのは不幸中の幸いだった。
常にレストランなどでカードを使用した際は、いつも念を入れて、チェック
しているのだが、どうしたのだろう。
カードが使用されることも無く、幸いだったし、旅の最後であった翌日の1泊
の古城ホテル・食事代の支払いも家内のカードで決済できた。
・・・
こんな事は、もう14年近くもなるのに、頭に直ぐに浮かんできます。
この日以来、家内には分が悪いのです(笑)。
jijidaruma
RE: 一寸した失敗!
jijidarumaさん、おはようございます。
お財布がない事に気付いた時は、一瞬青ざめましたが、
夫が私を一言も責める事もなく、すべてを対処してくれて、
「此のことは忘れて旅を楽しもう!」と言ってくれたので救われました。
なので続きの旅もお財布を無くした事などすっかり忘れ、
大変楽しいものになりました。
夫曰く、「無くしたのが僕でなくて良かった。」(・・?)
って言っている夫も5年程前にフィレンツェのレストランに
カードをそのまま置いて来てしまったという失敗があります。
その時はお店の人が良い人で助かりました。
ちょっとした気の緩みが失敗のもとですね。
ただ十数万円とボッテガべネタのお財布の事は
いまだに、時々思い出します。
たっこ
>
>
>2020年02月21日08時15分 返信する -
「頭の家」がホテルになっていたとは知りませんでした。
たっこさん、
今日は。度々のお立ち寄り、ありがとうございます。
ホテル ラ・メゾン・デ・テート「頭の家」にお泊りなった由、ここが
ホテルになっていたとは知らなかったです。
2015年7月に“ドイツ 黒い森とアルザス・シュヴァーベン地方の旅”ということで、
かつて何度か訪れたコルマールの町に、この時もまた訪れています。
ウンターリンデン美術館が主目的、次はプチット・ヴニーズでひときわ
目立つ景観(表紙の写真)と共にあるホテル ル・マレシャルに泊まる事、
三つめは“ Route des Vins d'Alsace ”(アルザスワイン街道)を走ることでした。
かつてのドイツ領アルザスの様々な歴史も面白く、きれいなコルマールの町
は何度訪ねても良いものでしたね。
「ちょっとやり過ぎ」と書かれたレストラン、ここで夕食も食べています(笑)。
(Brasserie des Tanneurタナーのブラッスリーのあの賑やかな景観は
忘れませんね)
またお訪ねします。
jijidarumaRE: 「頭の家」がホテルになっていたとは知りませんでした。
jijidarumaさん おはようございます。
コメント有り難うございます。
いつも、jijidarumaさんの旅行記を楽しく拝見させております。
一度にたくさん読んでしまうのは勿体ないので少しずつ、じっくり見させております。(笑)
ドイツの木組みの家に魅せられて、年に1〜2度訪独する様になりました。
よく「どの国が1番いいですか?」と聞かれますが、勿論順位なんか付けられませんが、
「私はドイツが大好き!」と答えています。
ドイツは何回行っても飽きないですね。
ただ、ドイツ料理だけはなかなか慣れる事ができないでいます。
jijidarumaさんはドイツに駐在されたご経験がおありだとか、
ブレーメンにお友達がいらっしゃったり、
レンタカーで自由に行動できたり、羨ましい〜です。
またお邪魔させて頂きます。
風邪などひかぬ様、お身体ご自愛ください。
たっこ
2020年02月18日07時48分 返信する



