しょうちゃんさんへのコメント一覧(6ページ)全248件
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投票ありがとうございました
ハンガリーの旅をみていただきありがとうございました。バラトン湖へも行かれる予定ですか。すこしだけ写真参考になりましたか。しょうちゃんさんはいつも写真はアップされないんですね。戦争関係のところにご興味があるのですか。また写真もあげてください2014年08月13日09時39分返信するRE: 返信
拝復 10数年前に仕事でブタペスト周辺(セントラル・ユニバーシテイ)に出かけましたが、それ以外(含むプラハ)はまだです。友人がチェコ大使立ったときに立ち寄りたかったのですが(ブルンまで)。親父が戦死したので関心あり。「欧州の歴史は戦争の歴史である」とオランダ人学者(Berg Heilさん)が言っていました。欧州や北米系の(学生時代)友人と昔話をすると、必然的に戦争の話がでてきます。例えば、Alex Galizin(オックスフォード卒)が昔親はロシアに住んでいたというので、ロシア革命で亡命したのかと思っていました。ところが、ノルウエー人Erik(現在タリン在住、船会社役員)が彼はリトアニア人だよ、と言いました。Alexに聞き直してみると、何でそんなことを聞くのだというような顔をして、1920年まで住んでいたと言いました。第1次大戦後、東欧の国々が独立し、ポーランドとソ連革命政権との戦争(リトアニア問題と国境線)になり、ポーランドが大勝しました(ワルシャワ中央駅近くに軍事歴史博物館に記述、レーニンおよび部下のスターリンに不名誉で、ソ連史に出てこない)。あるいは、ボへミア生まれのハンス(レンセラー工科大)は、戦後チェコ人によるドイツ系住民に対する迫害や虐殺(例ウースーチー・ナド・ラーベンで約2000人がエルベ川から突き落とされて死亡)、子供の頃、チェコ・ズデーデン・ランドからソ連占領下の東ドイツ、それから米軍占領下の西ドイツに親に連れられて逃げたと言っていました。奥さんアメリアはポーランド系で父親は15歳のときカナダに密航し、そばらくしてアメリカ・イリノイにて米国籍を得た、といっていました。このように歴史を知らないと話しに入っていけません。日本では戦争の歴史をなぜ学ばないんでしょうか?スイスの高校生向けの教科書(日本語訳)を一読することを勧めます。なにしろ武装中立の国ですから。それともポーランドの高校生向け教科書でも(1939年9月1日から始まる)。ある国に旅する場合、その国の歴史を理解して出かけることにしています。2014年08月13日13時56分 返信する -
ハンガリーの旅行記への投票ありがとうございました。
投票ありがとうございました。
この後もペーチのグルメ編やジョルナイ博物館の記事もアップしますのでお楽しみに。
ハンガリーの後にもいくつかアップ予定ですので、また立ち寄って下されば幸いです。
Polodaddy2014年07月26日08時43分返信する -
投票のお礼
しょうちゃんさん、初めまして。
ドレスデンの旅行記に投票いただき有難うございました。
ドレスデンに限らず冬のドイツは、何とも言えぬ重苦しさが有る様に思います。
軽い旅行しかしていない者ですが、今後とも宜しくお願い致します。
ko-nomori2014年05月26日23時38分返信する -
投票、ありがとうございました
長い文章は書くのも読むのも苦手なので、はしょって読ませてもらいました。自分のいきたい所をちゃんと選んで行っておられるのですね。
ツアー内容と行きたい場所を合致させるのはなかなか厳しいですが、どこかで妥協するポイントを決めなければなりません。この頃は、かなり計画的に考えるようにしています。
戦争は、勝者の論理で進む と仰っているのは、実感します。なぜ、空襲を受けたり原爆を落とされたのにアメリカに賠償請求できなかったか…負けたからですね。1週間で作られた憲法をそれこそ葵の御紋のようにありがたく思っている日本人が多いのも、負けたからですね。作った人は、日本人が改正すると思っていたようです。私は、南京事件は1000人以下だと思っています。その時に報道されなかったし、1000人以上だと死体の始末をどうしたのでしょう。現実的ではありません。
マスコミが戦前も戦後も嘘ばかり報道しているせいでしょう…悲しいことです。RE: 返信
メール有り難うございます。ツアーは一般的に旅好きの女性をターゲットにツアーが組まれています。従って、有名観光地へ行った、現地の食事を食べた、買い物をした、で終わってしまいいます。現地の人と接触もせず、その国の歴史・文化などをあまり理解せずに、楽しかったで終わってしまいます。小生の旅はその国に関する本を読み、自分の興味・関心あるところ(博物館など)を優先して旅行する(事前に調べる)、現地で楽しむ、帰国後また記録を整理しながら楽しむ、という旅です。 戦争に関しては親父が戦死したので強い関心があります。憲法9条ーーうんぬんと言っている人たちは、戦争の歴史から学ぼうとしないからです。欧州(スイスとフランス)に住んでいれば、戦争を知らずして平和を語れないということがよく分かります。同級生のスイス人7人(スイス連邦工科大学など)は国民皆兵の下軍隊に勤務し、中尉(陸軍)から少佐(空軍)の資格を持っています(兵役期限は55歳、現在45歳)。日本では、スイスは永世中立と教わった人が多いようですがそうではありません、武装中立です。国民皆兵であり、つい最近まで女性は投票権はありませんでした(兵役義務がない)。スイスは自国が戦争に巻き込まれないためにあらゆる努力をしています。日本では、こういう努力を知ろうとしないのです。1週間で作られた憲法をそれこそ葵の御紋のようにありがたく思っている日本人が多いのも、負けたからですね。憲法9条は国連による集団安全保障が前提になっています。ソ連による東欧州支配傀儡政府(ポーランド)、非合法手段によるチェッコ乗っ取り、ベルリンの壁、朝鮮戦争(ソ連の援助)へと繋がっています。9条の前提(国連による集団安全保障)が成り立っていない状況です。南京事件に関しては昭和40年代、月間文芸春秋で直接戦闘に関わった人たちからヒアリングしています。推定人数は4万から多くて5万人前半と言われています。10万人という数字は東京裁判時に初めてでてきた数字です(中華民国政府)。その根拠を示していません。東京空襲で10万近くが亡くなったので、それに合わせたのではと推測する人がいます。長くなりますので。この辺で。2014年05月25日23時03分 返信する私も基本的には、娯楽なんです〜
情報は、基本は新聞からです。一応、昔は相対する新聞を読んで判断していました。あと、母親がいろいろ知っているので参考にしています。慰安婦に関する嘘は、母親から教えてもらったし、やはり新聞で納得しています。
南京事件、ヒアリングですか。かなりの程度、信用できるでしょう。推定人数と言うのは、兵隊の数ですね?民間人に対してのことを、事件と言うのではないでしょうか。
戦闘状態なので、戦死というのなら理解できますが、殺人と言うのは無茶ですね。2014年05月25日23時31分 返信するRE: 返信2
> 情報は基本は新聞からです。一応、昔は相対する新聞を読んで判断していました。複数の新聞を読んで比較することを学生(学部・大学院)には薦めていました。なぜなら、新聞(2次データという)は、事実を伝えているのではなく、価値判断(色眼鏡)が入った記事を書いているからです。学生時代にワークキャンプで韓国(1960)に滞在していました(江原道華川)。帰国後寮の友人に北が始めた戦争だ、といったら共産党・社会党支持の友人に批判されました。15年前社会党支持だった友人(地方公務員)が北のスパイが700から900人活動している。それも積丹半島あたりに上陸してくる、と言っていました。日本にはスパイ罪がないのです。スパイ罪に反対している日本共産党の最高顧問2人(野阪参三等)が、ソ連のスパイだったことはご存じですね。
南京事件での民間人(死亡)というは、必ずしも民間人に該当するわけではありません。なぜなら、中華民国政府の軍隊では、脱出するときに平服に着替えています。もう一つは、便衣隊といって、平服の姿で戦う兵士がいた、ということです。一種のゲリラですから、民間人と区別できません。その結果です。その当時の大きな出来事であったなら、蒋介石の政府は国際社会にアピールしたはずです。しかし、そんな声明はしていません。東京裁判で初めて10万人という数字がでてきました。それも根拠も示していません。そのうえ当時の南京にはせいぜい20万位しか住民はいませんでしたから、共産党政府が30万と主張しているのは、全く根拠がありません。当時共産党員は南京にはいませんでした。それに国民党政府は共産党と戦闘状態にありましたから。2014年05月26日11時14分 返信するくわしく書いていただき、ありがとうございます
一応、しょうちゃんさんの言っておられることは新聞で読み、知っています。
私が思ったのは、民間人は千人以下だろうということです。
便衣兵は兵隊だから、カウントするなら戦死者と言えばいいと思います。
結局、日本は戦争だけでなく情報戦にも負けたと解釈しているのですが…
情報戦に負けたと言う自覚がないから、対抗する戦略を持とうとしないんですよね。私なら、絶対情報だけは抜かれないよう、戦略を立てさせます。会社経営に戦略が必要なように、敗戦の分析をしっかりして外交戦略を持つべきですね。
> 南京事件での民間人(死亡)というは、必ずしも民間人に該当するわけではありません。なぜなら、中華民国政府の軍隊では、脱出するときに平服に着替えています。もう一つは、便衣隊といって、平服の姿で戦う兵士がいた、ということです。一種のゲリラですから、民間人と区別できません。その結果です。その当時の大きな出来事であったなら、蒋介石の政府は国際社会にアピールしたはずです。しかし、そんな声明はしていません。東京裁判で初めて10万人という数字がでてきました。それも根拠も示していません。そのうえ当時の南京にはせいぜい20万位しか住民はいませんでしたから、共産党政府が30万と主張しているのは、全く根拠がありません。当時共産党員は南京にはいませんでした。それに国民党政府は共産党と戦闘状態にありましたから。2014年05月26日23時19分 返信するRE: 返信3
> 私が思ったのは、民間人は千人以下だろうということです。松井岩根中将下の部隊が中華民国の首都を占領し、パレードしたとき、どの位民間人が市街戦に巻き込まれて亡くなったのかについての資料は、防衛研修所の本を参照してみないと分かりません。それに、軍事史学会の論文にもおそらく掲載してないのではないか、と思います。秦 さんらの戦争史の本も参考になるでしょう。
> 結局、日本は戦争だけでなく情報戦にも負けたと解釈しているのですが…
> 情報戦に負けたと言う自覚がないから、対抗する戦略を持とうとしないんですよね。私なら、絶対情報だけは抜かれないよう、戦略を立てさせます。会社経営に戦略が必要なように、敗戦の分析をしっかりして外交戦略を持つべきですね。
情報戦(宣伝)などコミュニケーション・スキルは非常に低いと思います。以心伝心などは、日本社会(同質的)では通じますが、外国(他人を信用しない社会)では通用しないと思っています。その例として、ルーズベルトもハル国務長官(ともにユダヤ人)は、暗号を解読した対米戦争を事前にしっていたにも関わらず、"真珠湾のだまし討ち"と国民(戦争したくない)を煽って、戦争に突入しています。その、一年前からアメリカは実質対独戦に参戦しています(例、戦艦ビスマルクを発見した英国の哨戒機には米国海軍のパイロットが操縦、また英国に30隻の駆逐艦を供与しています)。では
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2014年05月27日00時28分 返信する -
御礼
しょうちゃんさん
この度は投票頂き有難うございました。
いろいろ勉強されているのですね。
今回ドイツ博物館を訪れ自分の知識のなさと理解力のなさに我ながら呆れています。歴史等は短時間で勉強できるのですが理化学的知識は付け焼刃で勉強してもダメですね。
でも博物館は大好きです。旅行に行くとまず博物館探しから始めます。
今後もよろしくお願いします。2014年04月17日18時04分返信するRE: 返信
メール有り難う。>
大昔 ミュンヘンの駅前のホテルに滞在しました。最初に訪れたのはドイツ科学博物館です。3時間ぐらいでは到底見回ることは出来ませんでした。建物の前に、ハインケル社の双発爆撃機が展示されておりました。多くの日本人は、ツアーでいわゆる有名観光地に行き、食事をし、買い物を出かけるだけです。その国の歴史、文化、宗教、民族、現地の人との交わりもなく、帰国してしばらくすると忘れてしまう旅になっています。特に、多くのツアーは女性向きにできているから尚更です。最近JTBのマイ旅(私だけの旅)、すなわち「観光も食事も好きなものを選択できる旅」を売り物にしています。しかしながら、モンサン・ミッシェルの近くのアロンマンシュ・レ・バン(1944年6月6日連合軍上陸地点)には立ち寄らないのです。その周辺には、英・加・濠・米・独などの戦没者記念塔があり、多く(欧米系)の旅行客は立ち寄る所です(パリ発のツアーも確かあるはず)。また、科学博物館には繊維機械→(リレー式)電気計算機→コンピュータの回路→プログラムと技術的な繋がりがあるということが分かります。産業の発達
が繋がっていることが理解できます。残念ながら、日本にはこのような博物館がありません。多くのイノベーションは戦争がトリガーになっています。例、あなたの着ているコートの裏地は、キュプラ(昔は人造絹糸、人絹)でできています。これは第一次大戦時にドイツで発明されました。人造石油も。ドイツの女性が電車・バスの運転手をしているのも当時人手不足から、女性の進出が始まりました。ーーなど等です2014年04月20日17時52分 返信する -
投票のお礼・・
しょうちゃんさんへ
つたない旅行記に投票してくださりありがとうございます。
Elliott-7 より
2014年03月21日16時05分返信するRE: バルト諸国
Elliott-7さん 返答遅れて申し訳ありません。忙しかったので。
いつか出かけよう(含む東プロイセン)と思っていますので、大変参考になりました。
ただ、ラトビアはロシアのウクライナ侵攻(クリミヤ半島)でびくびくしているでしょうね。
何しろ、1939年赤軍の侵攻により領土を占領されたし、バルト海のリバウ軍港(日露戦役のバルチック艦隊出航)は戦後ソ連海軍(原潜)の基地となり、そのご独立(2度目)してもロシア系住民が多数住んでいますから。それに、3国のなかで一番多くのドイツ系住民が12世紀以降住んでいました関係から、住民は親ドイツ(1939年ドイツ地区、現在ポーランド西部へ、1945年ドイツ人追放)です。東欧を旅すると、地元の住民は反ロシア感情をいまも持っています。では2014年04月02日20時01分 返信する -
度々のお立ち寄りと投票に感謝
しょうちゃんさん
度々のお立ち寄りと投票に感謝申し上げます。
今年の春の旅はドイツの北方二州:シュレースヴィヒ・ホルシュタイン州 &
メクレンブルク・フォアポンメルン州を中心に巡る旅を予定して、行程・古城ホテル宿泊も決まりました。各地にどんな伝説が見つかるか?楽しみです。
Jijidaruma
2014年03月16日12時14分返信する -
ありがとうございました
久しぶりに投票を頂きました。
やはり投票などを頂くと嬉しいものですね。
ありがとうございました。2014年03月06日08時13分返信するRE: スリに注意
バルセロナは2度訪れたことがあります。今年、仕事で出かける予定ですので大変参考になりました。最近、欧州も治安が悪くなっていますね。
なお、2年前ナポリ(三度目)のバスで、2人組に35ユーロすられたことがあります。その前ミラノの大聖堂の近くでロマ(数人に囲まれ)に8000リラすられましたが、すぐつかまえた。警官に突き出した方が良かったかと、思います。彼らは相当の訓練を受けており、プロです。油断しないことですね。では。2014年03月06日10時30分 返信するRE: RE: スリに注意
そうでしたか。
経験者ですね。
私はいろいろな場面でいろいろな経験をしていますが、実質的な被害には合っていませんがいつ被害にあうかわかりません。
スペイン、特にバルセロナはますます要注意場所になっていますので、くれぐれも油断なきようお出かけください。
> バルセロナは2度訪れたことがあります。今年、仕事で出かける予定ですので大変参考になりました。最近、欧州も治安が悪くなっていますね。
> なお、2年前ナポリ(三度目)のバスで、2人組に35ユーロすられたことがあります。その前ミラノの大聖堂の近くでロマ(数人に囲まれ)に8000リラすられましたが、すぐつかまえた。警官に突き出した方が良かったかと、思います。彼らは相当の訓練を受けており、プロです。油断しないことですね。では。2014年03月06日13時35分 返信する -
ライプツィヒ諸国民戦争記念碑
2011年の5月に旧東独を巡りました。
ザクセンの古城群巡りの途中に寄ったのですが・・・。
XXX
地下駐車場から出て、来た道を戻り、南に向かって数kmで、突然お目当ての巨大な塔が前に見えてきた。ライプツィヒ諸国民戦争記念碑である。
山勘で走ったのだが、上手く当たった。ちょっと停車して、凄さに圧倒されながら写真を撮った。
当時のドイツにとって、ナポレオンに勝利した事が如何に大きかったかを具現したものだ。
Voelkerschlachtdenkmal Leipzigライプツィヒ諸国民戦争記念碑
この諸国民戦争記念碑はライプツィヒの象徴として有名であると同時にドイツで最も大きい国立記念碑である。死と自由のための巨大な殿堂は高さ91mで、旧ナポレオン司令塔からそれほど遠くない所にある。1858年から1913年にかけて建築家ブルーノ・シュミッツによって建設された。
ヨーロッパ連合軍がナポレオンに勝った1813年の決定的な勝利を記念するもので、土台にある像は多くのドイツの戦争の際に守護聖人とされた大天使ミヒャエルです。
栄誉の殿堂のドーム天井の巨大な面には324個のほとんど実物大の騎士像が描かれている。
» www.voelkerschlachtdenkmal.de
*参考wikipedia・ライプツィヒの戦い(1813年10月16日 - 10月19日):
ナポレオン戦争における最大規模の戦闘で“諸国民の戦い”とも呼ばれる。ライプツィヒ(当時のザクセン王国領)で、ナポレオン1世麾下のフランス・ワルシャワ公国・ライン同盟諸邦軍19万と、プロイセン・ロシア帝国・オーストリア帝国・スウェーデンの連合軍36万の間で戦いが行われた。 3日間の激戦の末、圧倒的な兵力差の前にフランス軍は敗北した。フランス軍は4万以上の死傷者を出し、一方の連合軍も5万以上の死傷者を出した。戦闘の結果、フランス帝国のライン川以東での覇権は終焉し、ナポレオンのドイツ支配が終わった。ライン同盟は崩壊し、多くのドイツ諸邦が連合軍に加入することになる。
この事は皇帝ナポレオンの退位の契機になった。、
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とこんな風に私のPCの旅行記(4Travelではありません)に書いています。


