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軍事史博物館(Museum of Military History)

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2013/07/03 - 2013/07/12

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しょうちゃんさん

ドレスデンにあるこの博物館は1987年に立てられた兵舎の一部を利用し,軍事博物館として設立。戦後東ドイツの軍事博物館となった。それ故,ソ連による対独戦勝利(と犠牲)を記念するモニュメントが入り口にある。その後,2011年10月にリ・オープンした。

展示物は,従来のような軍事博物館(兵器/軍服中心)ではなく,いろいろな視点から戦争の現実(悲惨さ)に迫る方針のもとにデザインされており,見応えのある内容。
とくにドイツはロシア帝国,オーストリア帝国,フランス帝国という大国(地政学的))囲まれている関係から,過去の戦争理解なくしてはドイツ史は理解できない,と思う。

内容は時代的・連続的に16世紀から現代(アフガニスタン)まで,約1万点が展示され,パネルだけではなく,映画(フリードリッヒ大王の苦悩,7年戦争,対オーストリア戦争),1次世界大戦(名もなき兵士の戦争・オーストリア製,リヒトホーフェン{ゲーリングが空軍大尉であった関係で撃墜王をやや賛美},
大戦間の無声映画(1920年の黄金時代),写真(戦時生活)によるパネル表示,
ナポレオン戦争時の(模擬)戦闘を表示したフィルム・ジオラマや戦争の悲惨さを表したパネル,負傷者の手術やその医療器具(今とあまり変わらない),地雷を踏んだ走行車両が,4階から下の階へ順に降りてグランド・フロアーまで。

特にドレスデンは,1945年2月英国空軍主導(米国との協同作戦)による4度の大空襲(1300機の重爆撃機による)に会っている。意図は進出の著しいソ連軍に対して,英米軍による爆撃がどれだけすざましいものであるかを示すため,と言われている(俗にハンブルグ化する)。

このような戦争史の博物館は,日本にはない。筆者は学生時代から「戦争を知らずして平和は語れない」という信念を持っている。ぜひ一度は訪問して欲しい博物館である。

駅前から7番線の市電(Weixdoru方面・北側行き)に乗り,エルベ河を越え11番目のStauffenberg(スタウフェンベルグ・アレー) 通り駅で下車。交差点の角に緑の繁った公園に入っていくとモニュメントが見えてくる。なお,この建物の裏手に「ドイツ陸軍士官学校」がある。見学はドイツ大使館に問いあわせすると良い。

旅行の満足度
5.0
観光
4.5
同行者
一人旅
一人あたり費用
30万円 - 50万円
交通手段
鉄道
航空会社
フィンランド航空
旅行の手配内容
個別手配

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この旅行記へのコメント (12)

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  • 墨水さん 2016/11/07 20:07:43
    過程が大事。
    初めまして、しょうちゃんさん今晩は。
    戦争を始めてしまった、プロセスを知る事の方が大事。
    戦争が始まってしまえば、戦うのみで、国の用兵思想が大事になって来るが、戦争が始まる前の段階を知る事が一番大事です。
    昨今の日中関係を見ると、戦前の日本ならすでに艦隊組んで殴り込みだったでしょう。
    現在の日本は、外交努力によって中共の施策を封じ込めてます。
    (まだ、完全体では無いですけど。)
    それだけ日本は賢くなったと言えるでしょうし、外交上の選択肢として外交カードを沢山持っていると言えます。
    中共は、せいぜい国連での拒否権行使ぐらいですね。
    この差は、大きいと言えます。
    北は、外交カードとして核開発と弾道ミサイルを開発してますが、それ以外に選択肢が無いのが状況です。
    北は、食糧難で戦えない。
    中共は、一人っ子政策だった弊害で戦えない。
    ※兵一人が死ぬと、一族が滅亡する危機を孕んでいるため。
    もし日中が戦うと、アメリカが日本を支援してきますが、一番効果が有るのが「資産凍結」です。
    資産凍結されると、中共は干上がるのみです。
    ロシアはしたたかです、日本に恩を売ってくるでしょうね。
    中共に恩を売っても、得るものが無い事を知ってます。
    日本に恩を売り、返す刀で中共から搾り取る方法が一番おいしい。
    日ソ不可侵条約を破り、満州を蹂躙した事と同じ。
    (アメリカに恩を売り、日本から搾り取った。)
    中共が日中戦に心血を注ぐと、インドが出てきます確実に。
    八方塞がりの状況が、今の中共ですね。
    それから、現代の戦争には金融が必ず絡んできます。
    基軸通貨で無い「元」は、踏みつぶされるのみです、外貨に兌換すればたちまち資産凍結の憂き目に遭う。

    最後に、旅行記に写真を掲載できないなら、せめて地図を貼って下さい。
    フォートラベル内の、多くの旅行記を見ていくと気付くと思いますが、偽旅行記が多いです。(笑)
    旅行記の質の向上を謀るためにも、なるべく写真が有った方が良いですね。
    写真が無いと「偽りの旅行記」として警戒され、内輪だけの旅行記となってしまうのが残念です。
    しょうちゃんさんは、旅行会社の関係者なんでしょうか、だとしたらなおさらの事だと思います。
    墨水。

    しょうちゃんさん からの返信 2016/11/07 21:33:10
    RE: 近現代史は私の趣味です
     拝復 親父が戦死したこともあり、学生時代は軍事史を研究しようと思っていました。しかしながら、日本では戦争史はタブー化されてしまいました。
     しかしながら、スイスの大学院(ローザンヌ・ビジネススクール)に学んでみる(自費留学)と、戦争は身近なものです。スイスの同級生7名は全部兵役の義務をはたしています。なぜなら、武装中立ですし、ベルギーの同級生(こんご生まれ)と話していれば、武装中立を宣言を無視されます。また、エックス・アン・プロバンス大学院の友人(スエーデン)も武装中立です。いかに武装中立を保つか、どれだけ努力を重ねてきたか、よくわかります。

     また、アメリカの大学の教員のなかには、アナポリス出身も、ベトナム戦争で輸送用ヘリコプターのパイロットだった、という人もいます。
     さらに、知人のハンスのルーツはボヘミア系ドイツ人で、ドイツ人追放で親に背負われて東ドイツへ、そして西ドイツの難民キャンプへ。さらに奥さんはポーランド系で父親は大戦間にグデーニアからカナダに密航したとのこと。 このような話は、私にとっては、身近なものです。

     なお、写真を掲載するような設備はありません。原稿書くために無駄な時間を費やしたくありません。2冊目・三冊目の出版の為です。では>
  • パリ好きおばさん 2014/05/24 23:55:24
    投票、ありがとうございました
    長い文章は書くのも読むのも苦手なので、はしょって読ませてもらいました。自分のいきたい所をちゃんと選んで行っておられるのですね。
    ツアー内容と行きたい場所を合致させるのはなかなか厳しいですが、どこかで妥協するポイントを決めなければなりません。この頃は、かなり計画的に考えるようにしています。
    戦争は、勝者の論理で進む と仰っているのは、実感します。なぜ、空襲を受けたり原爆を落とされたのにアメリカに賠償請求できなかったか…負けたからですね。1週間で作られた憲法をそれこそ葵の御紋のようにありがたく思っている日本人が多いのも、負けたからですね。作った人は、日本人が改正すると思っていたようです。私は、南京事件は1000人以下だと思っています。その時に報道されなかったし、1000人以上だと死体の始末をどうしたのでしょう。現実的ではありません。
    マスコミが戦前も戦後も嘘ばかり報道しているせいでしょう…悲しいことです。

    しょうちゃんさん からの返信 2014/05/25 23:03:30
    RE: 返信
     メール有り難うございます。ツアーは一般的に旅好きの女性をターゲットにツアーが組まれています。従って、有名観光地へ行った、現地の食事を食べた、買い物をした、で終わってしまいいます。現地の人と接触もせず、その国の歴史・文化などをあまり理解せずに、楽しかったで終わってしまいます。小生の旅はその国に関する本を読み、自分の興味・関心あるところ(博物館など)を優先して旅行する(事前に調べる)、現地で楽しむ、帰国後また記録を整理しながら楽しむ、という旅です。 戦争に関しては親父が戦死したので強い関心があります。憲法9条ーーうんぬんと言っている人たちは、戦争の歴史から学ぼうとしないからです。欧州(スイスとフランス)に住んでいれば、戦争を知らずして平和を語れないということがよく分かります。同級生のスイス人7人(スイス連邦工科大学など)は国民皆兵の下軍隊に勤務し、中尉(陸軍)から少佐(空軍)の資格を持っています(兵役期限は55歳、現在45歳)。日本では、スイスは永世中立と教わった人が多いようですがそうではありません、武装中立です。国民皆兵であり、つい最近まで女性は投票権はありませんでした(兵役義務がない)。スイスは自国が戦争に巻き込まれないためにあらゆる努力をしています。日本では、こういう努力を知ろうとしないのです。1週間で作られた憲法をそれこそ葵の御紋のようにありがたく思っている日本人が多いのも、負けたからですね。憲法9条は国連による集団安全保障が前提になっています。ソ連による東欧州支配傀儡政府(ポーランド)、非合法手段によるチェッコ乗っ取り、ベルリンの壁、朝鮮戦争(ソ連の援助)へと繋がっています。9条の前提(国連による集団安全保障)が成り立っていない状況です。南京事件に関しては昭和40年代、月間文芸春秋で直接戦闘に関わった人たちからヒアリングしています。推定人数は4万から多くて5万人前半と言われています。10万人という数字は東京裁判時に初めてでてきた数字です(中華民国政府)。その根拠を示していません。東京空襲で10万近くが亡くなったので、それに合わせたのではと推測する人がいます。長くなりますので。この辺で。

    パリ好きおば

    パリ好きおばさん からの返信 2014/05/25 23:31:09
    私も基本的には、娯楽なんです〜
    情報は、基本は新聞からです。一応、昔は相対する新聞を読んで判断していました。あと、母親がいろいろ知っているので参考にしています。慰安婦に関する嘘は、母親から教えてもらったし、やはり新聞で納得しています。
    南京事件、ヒアリングですか。かなりの程度、信用できるでしょう。推定人数と言うのは、兵隊の数ですね?民間人に対してのことを、事件と言うのではないでしょうか。
    戦闘状態なので、戦死というのなら理解できますが、殺人と言うのは無茶ですね。

    しょうちゃんさん からの返信 2014/05/26 11:14:38
    RE: 返信2
    > 情報は基本は新聞からです。一応、昔は相対する新聞を読んで判断していました。複数の新聞を読んで比較することを学生(学部・大学院)には薦めていました。なぜなら、新聞(2次データという)は、事実を伝えているのではなく、価値判断(色眼鏡)が入った記事を書いているからです。学生時代にワークキャンプで韓国(1960)に滞在していました(江原道華川)。帰国後寮の友人に北が始めた戦争だ、といったら共産党・社会党支持の友人に批判されました。15年前社会党支持だった友人(地方公務員)が北のスパイが700から900人活動している。それも積丹半島あたりに上陸してくる、と言っていました。日本にはスパイ罪がないのです。スパイ罪に反対している日本共産党の最高顧問2人(野阪参三等)が、ソ連のスパイだったことはご存じですね。
     南京事件での民間人(死亡)というは、必ずしも民間人に該当するわけではありません。なぜなら、中華民国政府の軍隊では、脱出するときに平服に着替えています。もう一つは、便衣隊といって、平服の姿で戦う兵士がいた、ということです。一種のゲリラですから、民間人と区別できません。その結果です。その当時の大きな出来事であったなら、蒋介石の政府は国際社会にアピールしたはずです。しかし、そんな声明はしていません。東京裁判で初めて10万人という数字がでてきました。それも根拠も示していません。そのうえ当時の南京にはせいぜい20万位しか住民はいませんでしたから、共産党政府が30万と主張しているのは、全く根拠がありません。当時共産党員は南京にはいませんでした。それに国民党政府は共産党と戦闘状態にありましたから。

    パリ好きおば

    パリ好きおばさん からの返信 2014/05/26 23:19:54
    くわしく書いていただき、ありがとうございます
    一応、しょうちゃんさんの言っておられることは新聞で読み、知っています。
    私が思ったのは、民間人は千人以下だろうということです。
    便衣兵は兵隊だから、カウントするなら戦死者と言えばいいと思います。
    結局、日本は戦争だけでなく情報戦にも負けたと解釈しているのですが…
    情報戦に負けたと言う自覚がないから、対抗する戦略を持とうとしないんですよね。私なら、絶対情報だけは抜かれないよう、戦略を立てさせます。会社経営に戦略が必要なように、敗戦の分析をしっかりして外交戦略を持つべきですね。

    >  南京事件での民間人(死亡)というは、必ずしも民間人に該当するわけではありません。なぜなら、中華民国政府の軍隊では、脱出するときに平服に着替えています。もう一つは、便衣隊といって、平服の姿で戦う兵士がいた、ということです。一種のゲリラですから、民間人と区別できません。その結果です。その当時の大きな出来事であったなら、蒋介石の政府は国際社会にアピールしたはずです。しかし、そんな声明はしていません。東京裁判で初めて10万人という数字がでてきました。それも根拠も示していません。そのうえ当時の南京にはせいぜい20万位しか住民はいませんでしたから、共産党政府が30万と主張しているのは、全く根拠がありません。当時共産党員は南京にはいませんでした。それに国民党政府は共産党と戦闘状態にありましたから。

    しょうちゃんさん からの返信 2014/05/27 00:28:17
    RE: 返信3
    > 私が思ったのは、民間人は千人以下だろうということです。松井岩根中将下の部隊が中華民国の首都を占領し、パレードしたとき、どの位民間人が市街戦に巻き込まれて亡くなったのかについての資料は、防衛研修所の本を参照してみないと分かりません。それに、軍事史学会の論文にもおそらく掲載してないのではないか、と思います。秦 さんらの戦争史の本も参考になるでしょう。
    > 結局、日本は戦争だけでなく情報戦にも負けたと解釈しているのですが…
    > 情報戦に負けたと言う自覚がないから、対抗する戦略を持とうとしないんですよね。私なら、絶対情報だけは抜かれないよう、戦略を立てさせます。会社経営に戦略が必要なように、敗戦の分析をしっかりして外交戦略を持つべきですね。
    情報戦(宣伝)などコミュニケーション・スキルは非常に低いと思います。以心伝心などは、日本社会(同質的)では通じますが、外国(他人を信用しない社会)では通用しないと思っています。その例として、ルーズベルトもハル国務長官(ともにユダヤ人)は、暗号を解読した対米戦争を事前にしっていたにも関わらず、"真珠湾のだまし討ち"と国民(戦争したくない)を煽って、戦争に突入しています。その、一年前からアメリカは実質対独戦に参戦しています(例、戦艦ビスマルクを発見した英国の哨戒機には米国海軍のパイロットが操縦、また英国に30隻の駆逐艦を供与しています)。では
    >
  • and Relaxさん 2013/12/28 11:16:09
    ドレスデンは大変に美しいところですね
    こんにちは

    私の旅行記にいらしてくれて、投票もいただいて本当にありがとうございます。

    数年前ベルリンに行った時ドレスデンとマイセンにも寄りました。見るものすべてがすばらしく、ドイツのパワーを目のあたりにした..ような旅でした。なんとかベルリンは旅行記にしたのですが、写真映りの良いほうのドレスデン/マイセンはHDDに膨大な写真が眠ったままです。


    歴史的地区のドレスデンの建築物と、破壊された歴史に驚きを隠せませんでした。

    軍事史博物館による余裕がなかった前回の旅行ですが、次があるなら寄ってみたいと思います。


    又ぜひand Relaxのページにも遊びに来てください。 

    しょうちゃんさん からの返信 2013/12/28 12:30:23
    RE: ドレスデン
     メールありがとう。ドレスデンは、あなたの指摘するように美しい町です。それは、ザクセン公国には、銀を産出したこと、さらに欧州において初めて陶磁器の開発に成功し、輸出に貢献したことにより財力が豊かだったからです。その北方に位置するプロイセン(1700年代人口200万)は農業国で土地もやせた国だったからです。フリードリッヒ一世の時代は王とは認められないくらいの小国(領主)でした。
    歴史的地区のドレスデンの建築物と、破壊された歴史に驚きを隠せませんでした。英国空軍主導による空襲は軍事的価値の低い目標でしたが、東方から迫り来るソ連軍に対するデモンストレーションでした。その後、英国議会でも問題となりました。なお、東欧(東プロイセン、シュレージェン、バルト諸国,チェコなど)からのドイツ系避難民1000万人以上が避難する途中命を落としています。ユダヤ人ばかりの慰霊碑ばかり建てるのは不公平だ、という意見がドイツ国内にあります。歴史は、戦勝国による歴史です。
     なお、エックスには、1992年夏2ヶ月ほど滞在していました。
  • takogutiさん 2013/11/22 21:16:40
    しょうちゃんさん投票ありがとうございます
    軍事史博物館、実は私も行きたかったのです、衛生博物館も
    ここは軍事を賞賛するものではなく、戦争の悲惨さを訴えている博物館と聞きました。
    私がハンガリーの同じ名前の博物館に行ったのですが、普通に戦争の勝者をたたえるもので、「戦争は勝ったものの歴史」という感じでした。
     ここはやはりドイツだけあって、真実とその悲惨さを表していると聞きました。
    ドレスデンはもっと見に行けばよかったかなと、後悔しています

    まずはお礼まで

    しょうちゃんさん からの返信 2013/11/22 22:13:52
    RE: 軍事歴史博物館ブダぺシュト
     takogutiさんへ
    > 軍事史博物館(>私がハンガリーの同じ名前の博物館)には私も仕事の合間に出かけました。ハンガリーは枢軸国として最後まで第3帝国に協力しました。1945年1月ドナウ河を挟んで戦闘が行われました。ヒトラーは東部戦線の機械化部隊をハンガリーの方面(バラトン湖の戦い)に差し向けました。冬の天候と同地区(湿地帯)の行動に大きな制約を受けたドイツ軍は最初有利に戦況を進めましたが、やがて進軍が困難になり第2ウクライナ軍に敗退しました。その後、ソ連軍の占領下傀儡政府による統治が行われたので、「博物館」は戦争の勝者をたたえるものになっています。歴史とは、敗者からみたほうがよりリアリテイがあるのが普通です。勝者の歴史には嘘(都合の悪いことは伏せる)が含まれています(例、南京事件、日本側は4.5万から5万前半)。それに、「正しい歴史認識…」なんていうお嬢さんがいますが、起こった出来事は一つでも時代時代によって解釈が変る、と「戦後ヨーロッパ史上」トニー・ジャット(歴史家)が言っています。大きく言えば人間の世界には唯一の正解はありません。 ケースメソッド教育の専門家より

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