さいたまさんのクチコミ(33ページ)全2,813件
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神田神社は、御茶ノ水駅の北側にあります。神田明神と同じ神社ですが、別の呼び名です。
投稿日 2022年05月15日
総合評価:3.5
神田神社は、御茶ノ水駅の北側にあります。神田明神と同じ神社ですが、別の呼び名です。
江戸開幕直後に創建され、江戸総鎮守の役割がありましたが、明治時代に入り、名称を神田明神から神田神社に改称されています。2年に1回実施される神田祭が有名ですが、天皇か官国幣社制度から見ると、東京府から幣帛が供進される東京府社との格付けになっています。
終戦後は、政教分離の観点から格付け等の制度はありませんが、神職の人事管理上の別表神社の基準が、一部、現在も残っています。
神社や寺院の格付けは、正規には存在しないとされていますが、実態上は、残っているようで、大変興味を覚えます。
神田神社のホームページにも、明治元年、明治政府が皇居を守護するための准勅祭社に定めた旨が明記されています。
一般人にとっては、あまり気にしませんが、神社としては、「格」について気にかけているのは当然なのでしょう。- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- バリアフリー:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 3.5
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神田明神の東側の明神男坂という名称は、明治時代以降に、使われて来たようです。
投稿日 2022年05月15日
総合評価:3.5
神田明神の東側の明神男坂という名称は、明治時代以降に、使われて来たようです。
正門である鳥居や随神門は、神田明神の西側にある経路ですが、周囲からの高低差が少なく、参拝に容易な経路です。
神田明神の東側は、高低差の大きい崖のようになっているため、参拝には、苦労が伴います。
江戸時代は、石坂と呼ばれていて、急勾配の石の階段になっていました。
いずれの時代の時期にも、高低差のある観点から眺望が良いため、人気のスポットになっていたのは、変わりません。
明治時代以降、明神男坂と明神女坂という名称で、二本の坂が呼ばれるようになったそうです。
遠方まで見晴らすことができる素晴らしい眺望が得られることが、話題になる要素だったのでしょう。
見晴らしが良いということは、高所が重要なポイントなのは、時代を超越している点なのです。- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 3.5
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東郷元帥記念公園は、現在工事中で、一部しか見れませんが、感慨深い場所です。
投稿日 2022年05月14日
総合評価:3.5
東郷元帥記念公園は、現在工事中で、一部しか見れませんが、感慨深い場所です。
東郷元帥の居宅を寄付し、公園にされたようですが、明治維新からの発展の基礎を確立させた日本海海戦の成果を想いつつ見ると、乾坤一擲の幸運に感謝の念が湧き出てきます。
いろいろな観点からの論点もありますが、東郷元帥の偉業については、大きなものと評価できます。
工事の概要は、不明な点がありますが、新たに生まれ変わって来る東郷元帥記念公園の姿に思いを馳せるのも、有意義なものがあると感じています。
東郷神社、乃木神社等、明治時代の偉業の大きさを推し量るには、現地に赴き、実際に目で確認することは、とても大事です。
是非、時間を割いて、現地を確認することをお勧めします。- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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出雲大社埼玉分院が、朝霞駅の北側にあります。線路沿いから少し西に入ります。
投稿日 2022年05月14日
総合評価:3.5
出雲大社埼玉分院が、朝霞駅の北側にあります。線路沿いから少し西に入ります。
施設としては、新しいので、とてもきれいに感じます。
出雲大社との関連が、表面に出てきていないため、霊験がはっきりしない点が気になりますが、身代わりの布袋様のような像が目につきました。
きっとお参りする人達の状況や悩み、願い等に寄り添ってもらえるような期待感が湧き出てくる感じがします。
とても端正な感じのする場所です。願いがかなえられるとおもいますが、少なくとも、気持ちが整理されると信じています。交通の便も良いので、すこし足を延ばして訪れる価値があります。お勧めの場所の一つかもしれません。- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- バリアフリー:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 3.5
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本田美奈子のモニュメントが、朝霞駅前の広場にありました。青春の思い出の歌手でした。
投稿日 2022年05月14日
総合評価:3.5
本田美奈子のモニュメントが、朝霞駅前の広場にありました。青春の思い出の歌手でした。
遠い思い出のかなたに消えていたような感じがしていましたが、甘酸っぱい青春時代を思い出させてくれました。
38歳の若さで旅たったことを思うと、何とも言えない運命を感じさせます。
精一杯生き抜いたものと信じています。
幼少のころから朝霞にて過ごしていたとのことですが、思い出の地において、記念碑ができていることを知ったら、どう思うか想像もつきません。
周囲の関係者も残念だったと思います。本人の思いは、今も、皆の胸のうちに生きているもの信じています。
代わって生を受けて生きているものとしては、本人の分も頑張らねばと考えています。
朝霞駅の駅前に行ったら、モニュメントを探してみてください。
判りづらいかもしれませんが。- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- バリアフリー:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 3.5
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目黒の不動公園は、目黒不動尊の北側にある公園です。東京市が昭和初期に設置しました。
投稿日 2022年05月14日
総合評価:3.5
目黒の不動公園は、目黒不動尊の北側にある公園です。東京市が昭和初期に設置しました。
目黒区の中で最も古い公園です。
考古学的に価値の高い遺跡もあるようです。
もっとも特筆すべきは、子供にとって楽しい公園となっている点です。
横に広い坂のような滑り台は、他には見られない独特のものです。
また、縄梯子によつて連接されたつり橋のような通路は、ジャングルの中の迷路の様であり、不安定さのもとでのスリル感が何とも言えないようです。
子供の楽しそうな歓声が、不動公園の特徴を印象付けています。
目黒不動尊を散策して、歴史の勉強を新たにし、その後、足を延ばして不動公園で憩いの時間を持つことは、とても有意義なことだと思われます。
目黒区の名所めぐりが、充実したものになること請負いでしょう。- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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青木昆陽の墓が、目黒の瀧泉寺の墓域にあります。本堂から少し離れた場所になります。
投稿日 2022年05月13日
総合評価:3.5
青木昆陽の墓が、目黒の瀧泉寺の墓域にあります。本堂から少し離れた場所になります。
幾度となく飢饉に見舞われた江戸時代において、甘藷を広めた青木昆陽の業績は、高く評価されるべきでしょう。
その観点から、青木昆陽の墓所は、広く周知されるべきと考えています。
青木昆陽自身も、目黒の地がことのほか気に入っていて数多くの書物等にその旨を記録しています。
青木昆陽の遺志を踏まえ、目黒の不動尊の墓域に、青木昆陽の墓として残されています。
また、目黒不動尊の境内内にも、青木昆陽記念碑が置かれています。
青木昆陽の記念碑にも、多くの業績を称え、顕彰の言葉が記載されています。
それらを目にすることにより、後世への知見として大切にしていくことが可能となります。
歴史を学ぶことの重要性が理解できます。- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 3.0
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三折坂は、目黒不動(瀧泉寺)の裏にある坂ですが、S字になっているため三折坂と呼ばれています。
投稿日 2022年05月13日
総合評価:3.5
三折坂は、目黒不動(瀧泉寺)の裏にある坂ですが、S字になっているため三折坂と呼ばれています。
三折坂に立てられている案内板によると、三折坂は、「ミオリサカ」と読むのが本当のようです。
甘藷先生(青木昆陽)の墓所を示す道標が立っているので、判り易いかもしれません。
石垣や灌木が生えている自然豊かな坂です。
静かな落ち着きのある坂ですが、甘藷先生の墓が無ければ、訪れる人も少ないでしょう。
歴史の勉強をするには、良い所かもしれません。- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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相思相愛の悲劇を題材とする目黒の比翼塚の石碑が目黒不動尊の山門の傍にあります。
投稿日 2022年05月13日
総合評価:3.5
相思相愛の悲劇を題材とする目黒の比翼塚の石碑が目黒不動尊の山門の傍にあります。
もともと比翼塚とは、愛し合った男女が同じ墓に葬られている場所を示していて、歌舞伎等の世界で、悲恋の恋としてもてはやされる話題ですが、同情しがちな日本人が多く、中には、商売として稼ぎのもとにしようと考えられ、事実と異なる場合が少なくないようです。
目黒の比翼塚も例外ではなく、いろんな話を耳にします。
目黒の比翼塚が、現在の場所に置かれるようになったのは最近のことで、昭和中期までは商店街の道を林試の森公園方向に50mほど西進したところにあったのが本当のようです。
また権八を引き取った寺は、すぐ傍の目黒不動尊ではなく、参道にあったが明治初年に廃寺となった東昌寺だそうです。
東昌寺は、現在は痕跡もないそうです。
いろんな噺の裏話は、面白いものですね。- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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目黒の龍泉寺は、目黒不動尊とも呼ばれ、江戸の三大不動尊の一つとして知られています。
投稿日 2022年05月13日
総合評価:3.5
目黒の龍泉寺は、目黒不動尊とも呼ばれ、江戸の三大不動尊の一つとして知られています。
また、目黒のさんまとの噺が出てくる舞台です。
江戸時代は、龍泉寺から目黒の行人坂の付近まで、人出が盛んな地域だったそうです。
現在でも、人出が多く見られますので、人気は衰えていないものと感じられます。
江戸の名物であったとされる飴や餅こそあまり目にしませんが、それなりに売られているようです。
青木昆陽先生のお墓がありますので、食料確保の面で感謝し、忘れずにお参りしました。
ありがたいことです。
その他、北一輝の墓がありますが、興味のある人でしたら、気に入る場所かもしれません。
いずれにしましても目黒不動尊としての名前が通っている龍泉寺は、訪問する価値があろうかと思います。- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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五百羅漢寺には、文字通り五百体以上の仏像がありました。すべて独力で彫り上げました。
投稿日 2022年05月12日
総合評価:3.5
五百羅漢寺には、文字通り五百体以上の仏像がありました。すべて独力で彫り上げました。
五百羅漢寺の仏像は、開基者の松雲元慶が独力で彫り上げたものだとのことで、驚きです。536体が彫り上げられたそうですが、戦災や、年月の経過、江東区大島からの移転のため、一部が散逸しましたが、それでも305体が収蔵されています。開祖の松雲元慶は、京都の出身でしたが、江戸に向い、托鉢で資金を集め、独力で五百羅漢像などの仏像536体を、完成させたそうです。
現在は、目黒の地において、立派な寺院として、現存しています。
ビデオ画像で、305体の仏像を紹介していますが、その数の多さには、圧倒されます。
五百羅漢寺の建物や紹介要領は、現代的で、松雲上人の心意気や気持ちが伝わっているか否か疑問ですが、創設者の心意気には、感服するものがあります。- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.5
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海福寺の四脚門は、山門の親柱の前後に、二本づつ控え柱が付けられている形式の門です。
投稿日 2022年05月12日
総合評価:3.5
海福寺の四脚門は、山門の親柱の前後に、二本づつ控え柱が付けられている形式の門です。
四脚門は、門の中央にある親柱二本の前後に二本の控え柱からきた名称ですが、海福寺の四脚門が有名なのは、明治時代に廃寺になった上落合の泰雲寺から移築されたからなのかもしれません。
地震が多い日本においては、重量が大きい瓦葺の山門を支えるためには、安定性が求められている関係で、四脚門が多く求められているものと推察しています。
移設された関係上、より強度を増すためには、特段の注意が加えられたものと考えられます。
この門は、屋根に大幅な補修を受けていますが、江戸時代中期頃の標準的な特長をよく備えているとのことです。
歴史の古い寺院を訪れると、いろいろ勉強になり、その都度興味が湧いてくるものです。
人生、一生、勉強かもしれません。- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- バリアフリー:
- 2.5
- 見ごたえ:
- 3.0
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目黒の海福寺は、歴史の分野から見ると特色のある寺院です。尽きせぬ興味を覚えます。
投稿日 2022年05月12日
総合評価:3.5
目黒の海福寺は、歴史の分野から見ると特色のある寺院です。尽きせぬ興味を覚えます。
海福寺の本堂は、海福寺の本堂は、中山忠能侯爵邸を移設したことは、知られていますが、大正天皇が幼少時に、養育された建物であったことは、あまり知られていません。中山 忠能は、明治天皇の外祖父であったことから養育の大任にあたったようです。
この本堂は、国の登録有形文化財に登録されています。
梵鐘は、東京都指定有形文化財、所蔵の阿弥陀如来像は、目黒区の指定文化財です。
訪問し、境内を廻ってみると、歴史的に価値のあるものが多いのが、最初の印象として感じることができます。
また、境内には、永代橋沈溺諸亡霊塔があり、富岡八幡宮の祭礼で集まった見物人の重みに耐えきれずに永代橋が落ち、1400人もの死傷者が出て、それらの死者を供養したものであること知り、びっくりしました。- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.5
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蟠竜寺は、JR目黒駅の西側にある浄土宗の寺院です。江戸時代初期から続く歴史があります。
投稿日 2022年05月12日
総合評価:3.5
蟠竜寺は、JR目黒駅の西側にある浄土宗の寺院です。江戸時代初期から続く歴史があります。
蟠竜寺は、霊雲山と号する浄土宗の寺院で、江戸時代初期の慶安元年に称明院として開創されたそうです。
宝永年間に称明院蟠龍寺として改称されたそうです。従って、霊雲山称明院蟠龍寺と呼ぶのが正しいかもしれません。
現地で確認に努めましたが、正式の名称は、見ることができませんでした。
境内には、岩屋弁天の石窟があようですが、探しきれませんでした。
事前に勉強に努めて、現地に行ったのですが、なかなか自らの目で、確認することの難しさを体験しました。
再度、訪れることができるよう、念じています。- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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目黒の大聖院は、天台宗の寺院ですが、島原藩の屋敷であったことから隠れキリシタンとの説も。
投稿日 2022年05月12日
総合評価:3.5
目黒の大聖院は、天台宗の寺院ですが、島原藩の屋敷であったことから隠れキリシタンとの説もあります。
しかしながら、江戸時代は、目黒の総鎮守たる大鳥神社の別当寺として、重要な立場にありました。
氾濫が多い目黒川の西側にあって、数多くの寺院や神社を束ねることが求められていました。
幹線道路に近いこともあり、地理的に便利な場所での重要な位置にあったことも、大聖院の役割に影響していると思われます。
しかしながら、3基の灯篭の形状は、隠れキリシタンと言われてみると、なんとなくそんな気になります。
そのような観点をも考慮に入れつつ見直してみると、なかなか判断が付きにくい形にして置くことが、立場上、必要だったのかもしれません。
また訪れて、見直してみたいと考えております。- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.5
-
目黒稲荷神社は、大鳥神社の末社となっています。主祭神と別の神様を祀っています。
投稿日 2022年05月11日
総合評価:3.5
目黒稲荷神社は、大鳥神社の末社となっています。主祭神と別の神様を祀っています。
倉稲魂命をはじめとして、4祭神を祀っていますので、末社となっています。
江戸時代以降、摂社と末社の区分が明確にされてきましたが、現在は、それほど厳格ではないようです。
明治維新の神仏分離の考え方が、強くなった関係が影響しているのかもしれません。明治維新と第2次世界大戦は、宗教の世界に、大きな変化を及ぼしています。
現在は、おおらかになったと言えば良いのか判りませんが、核心となる考えたが、はっきりしていないと感じます。
歴史について、勉強すべきと考えています。- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.5
-
目黒の大鳥神社は、目黒の総鎮守として、歴史が古い神社です。酉の市で有名です。
投稿日 2022年05月11日
総合評価:3.5
目黒の大鳥神社は、目黒の総鎮守として、歴史が古い神社です。酉の市で有名です。
江戸時代初期の絵図に記載があるようです。
目黒川の西側にあり、かつ、権之助坂を下がった場所ですので、便利な場所にあるのは、間違いありません。このため、人が集まりやすく、酉の市でにぎわう理由がわかります。
目黒川の桜が開花時期を迎える頃も、賑やかになるものと感じます。
容易に想像できることですが、近くには、寺院や神社が多いですが、大鳥神社は、総鎮守という立場もあり、中心的な役割を担っていたものと考えられます。
しかしながら、江戸時代から明治維新までは、すぐ傍の大聖寺が、別当寺として大鳥神社を管理していたとの記録があります。
神宮寺の名称を含め、興味深い歴史です。- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
-
目黒川太鼓橋は、江戸の八丁堀の商人たちが、資金を準備し、目黒川に架けた橋です。
投稿日 2022年05月10日
総合評価:3.5
目黒川太鼓橋は、江戸の八丁堀の商人たちが、資金を準備し、目黒川に架けた橋です。
もともとは、木喰上人が架けた橋でしたが、目黒川の氾濫で流されたため、架け直されたようです。
安藤広重の浮世絵では、太鼓のようなアーチ式の橋として描かれていて、珍しいため、江戸の名所となっていたようです。
現在の太鼓橋は、平成3年に架け直されています。
太鼓橋の名称とは異なり、単なる直線形式の橋となっています。
太鼓橋というアーチ式の形状とは、全く異なっています。
安藤広重の浮世絵の太鼓上の形とは、異なりますが、名前のみ伝わっているのでしょう。
なんとなく、無粋な感じがします。
歴史上の名称を、形上のの面でも反映して欲しかったと感じています。- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
-
目黒新橋は、目黒川に架かっている橋で、JR目黒駅と等々力の間を結ぶ幹線道路が走っています。
投稿日 2022年05月10日
総合評価:3.5
目黒新橋は、目黒川に架かっている橋で、JR目黒駅と等々力の間を結ぶ幹線道路が走っています。
目黒川は、よく氾濫を繰り返す川で有名ですが、架けられていた橋も、その都度流されています。
従いまして、橋の名称も、目黒新橋とされています。
目黒新橋との名称ですが、いつ時点の新橋であるかは、良く解りません。
いずれにしましても、氾濫により、幾度かかけ直されているのは、まぎれもなく事実のようです。
目黒新橋を含め、目黒川の川沿いは、桜の並木が有名だそうです。
桜の開花時期に合わせて、再度ね訪れたいと思います。- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- バリアフリー:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 3.0
-
権之助坂商店街は、目黒の高台と目黒川の川岸の間に発展していった商店街です。
投稿日 2022年05月10日
総合評価:3.5
権之助坂商店街は、目黒の高台と目黒川の川岸の間に発展していった商店街です。
比較的勾配のある権之助坂の周辺地域ですが、交通の便が良いため、発展していった歴史があります。
特に、鉄道の建設に伴い、人や物資の往来が多くなり、商業が発展していったようです。
いずれの時代にも共通していますが、人々の自由な往来がある処には、物の輸送が付随して生じ、発展の基礎となっていった経緯があります。
権之助坂商店街も、それらの歴史と同じで、例外ではなかったようです。
人が集まると、多くの名所が出来、それらが更なる人出を生み、にぎやかになっていったようです。
商店街や寺院、神社がそれらの良い例かもしれません。
江戸城からの方角に対しては、検討の余地がありますが、交通の便に関する勉強の契機になります。- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- お買い得度:
- 3.5
- サービス:
- 3.5
- 品揃え:
- 3.0
- バリアフリー:
- 3.0







































































































