神田明神の東側の明神男坂という名称は、明治時代以降に、使われて来たようです。
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- 旅行時期:2022/05(約4年前)
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by さいたまさん(男性)
御茶ノ水・本郷 クチコミ:51件
神田明神の東側の明神男坂という名称は、明治時代以降に、使われて来たようです。
正門である鳥居や随神門は、神田明神の西側にある経路ですが、周囲からの高低差が少なく、参拝に容易な経路です。
神田明神の東側は、高低差の大きい崖のようになっているため、参拝には、苦労が伴います。
江戸時代は、石坂と呼ばれていて、急勾配の石の階段になっていました。
いずれの時代の時期にも、高低差のある観点から眺望が良いため、人気のスポットになっていたのは、変わりません。
明治時代以降、明神男坂と明神女坂という名称で、二本の坂が呼ばれるようになったそうです。
遠方まで見晴らすことができる素晴らしい眺望が得られることが、話題になる要素だったのでしょう。
見晴らしが良いということは、高所が重要なポイントなのは、時代を超越している点なのです。
- 施設の満足度
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3.5
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 3.5
クチコミ投稿日:2022/05/15
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