ANZdrifterさんへのコメント一覧全120件
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そろそろ復帰しようと考えています。
ANZdrifter の本人です。
数年間 天然砥石の本を書いていたので 旅行記はご無沙汰しておりました。
コロナで現地調査が出来なくなったので そこまでの資料を纏めて出版社に渡しました。
多分 近日中に製本が終わりますが、本の流通はアマゾンだけとしました。
一般書店までお願いするにはコストが大変なのです。
2月中には アマゾンの「本」で「東日本の天然砥石」と入れるとでてくると思います。
出版社は1200円ないし1500円の値段と言っておりましたが どうせ赤字仕事だからと900円にしました。
ともあれ 旅人に戻ります。
2021年01月14日11時47分返信する -
こんにちは!
大変ご無沙汰いたしておりますがその後いかがお過ごしですか?旅を続けていらっしゃいますか?
久々に4トラを開き思いだしたように訪問させていただきましたら、私の住む小田原をアップされていて感激のあまり連絡した次第です。RE: お久しぶりです
85歳になりました。 だんだんと 行動範囲が狭くなっていますが まだ2か月に1回くらいで 外泊しております。
今年は3月に掛川で3泊しましたが パソコンが写真を受け付けてくれないので 旅行記は
アップできずにおります。
そのうちに お見せできるようにするつもりですので たまに お立ち寄りください。
小田原にお住まいだったのですね!
きれいで 住みやすそうなところかと 感じました。
これからも 良い旅をお続けくださいますよう 願っております。
ANZdrifter 世田谷老
2018年04月07日19時06分 返信する -
ありがとうございました
8月16日から五泊で青森、秋田に行ってまいりました。猛暑の折で、やむなく断念したところもありますが、あなた様の旅行記を参考にさせていただき、たのしく充実したひとり旅をいたしました。病気の夫を長女に任せての旅でした。旅行記をまた拝見できますように、せつに願っております。ありがとうございました。 宮崎のゆうやみRE: 旅らしい旅を これからもお続けください
ゆうやみ 様
日本海側は夕日が美しいので、老生は好きです。
とりとめのない旅行記が多いのですが、読み込んでくださって
旅の参考にしていただいたこと うれしく存じます。
80代の半ばに達して 気ままな旅がままならないように
なりましたが、折を見て 歩き回ろうかと 望んでおります。
旅先で 地元の人と話すことが 楽しい記憶を作ってくれるので
なるべく 努力しております。
あなた様も 心に残る旅を お続け下さいますよう願っております。
書き込みに お礼申し上げます。
ANZdrifter
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> 8月16日から五泊で青森、秋田に行ってまいりました。猛暑の折で、やむなく断念したところもありますが、あなた様の旅行記を参考にさせていただき、たのしく充実したひとり旅をいたしました。病気の夫を長女に任せての旅でした。旅行記をまた拝見できますように、せつに願っております。ありがとうございました。 宮崎のゆうやみ2016年08月27日11時56分 返信する -
ありがとうございます。
年二回、四、五年、東北を旅行しています。十三湖、小泊と興味のある所を案内していただきました。菅江真澄は、特に有難く読ませていただきました。今年の夏が最後の東北旅行になりそうですが、計画を立てる際には、分からないところを教えていただけたらとてもうれしいです。楽しい旅行記をありがとうございました。RE: ご来訪に深謝。
ご来訪と書き込み、有難うございます。
「今度の夏が最後の東北旅行」って残念ですね。
安倍総理が、自分は前九年の乱で敗れて九州に流された安倍正任の子孫であると自ら話していることからも想像できるように、東北地方の先住民のエミシは限りない抑圧の歴史と土俗的な優しい文化を秘めています。
私は坂上田村麻呂とアテルイの時代から、前九年・後三年の乱、頼朝の東北征伐・藤原氏の滅亡、秀吉の奥州仕置き、戊辰戦争の薩長の暴虐と、エミシの立場から歴史を見てまいりました。
どの旅行記に書いたか忘れましたが、幕府派遣の役人が詳細な地誌を書き残したけれど、その前に訪れた菅江真澄は、人別のために額に墨で印を書かれて道路工事をしている農民を書き残しております。
菅江真澄は記憶されるべき漂泊者だと思います。
お役に立てることでしたら、喜んでお手伝いできるかと思います。
遠慮なくご連絡ください。
ANZdrifter Apr.15,'162016年04月15日11時04分 返信する -
こんばんは〜!
ご無沙汰でございます
お元気でいらっしゃいますでしょうか(^^♪
2016年02月05日21時43分返信する -
消された歴史、残った事実
ANZdrifterさん お早うございます。
私が習った日本史では坂上田村麻呂が蛮族の乱を鎮圧したとだけ書いてあり、あたかもテロ集団の鎮圧をした英雄のような記述でした。
ヤマトを先祖に持つ私達にしてみれば、(悪いアメリカインディアンを殲滅した将軍のように・・)心痛む出来事ですが、正当化してしまうのが勝者の歴史ですね。
しかし歴史を正面から見つめ客観的な見方で事実のみを学ぶことは大切だと痛感しました。
ANZdrifterさんの東北を巡る旅は特異な旅行記です。身近な人から聞く昔話のように冒頭の文章に引きこまれてしまいました。
とっても感銘を受けています。
pedaruRE: 書かれた歴史の裏で
pedaru さん 今日は
書き込み 有難うございます。
じつは、宮城県の多賀城でもガイドが「エミシの反乱を鎮圧し・・・・」などと説明しています。自分たちにエミシの血が流れていることが恥ずかしいのか、まるで自分が天孫民族であるかのようで見苦しいと感じました。
反乱とは体制内から起こるもめ事で、エミシのようにヤマトとは別の勢力であった部族との戦いは、反乱ではなくて 争乱・戦争と呼ぶべきです。
(日高見国を)「撃ちて獲るべし」と奏上した武内宿禰が、岩手県二戸市で武内神社に祀られていたり、石巻の日高見神社の御祭神が豊作願いの水神様から天照皇大神・日本武尊命・武内宿禰のヤマト系の三柱に取って替わられていたなど、縄文時代から続く東北王権の文化はヤマト王権によって塗りつぶされています。
最近では関西系のタレントが「縄文文化が青森まで伝播した」などと話していましたが、縄文文化は道南・青森・岩手・秋田で発生しこれらが中心地で、日本中にひろがった文化です。
世界文化遺産申請もこれらの地方を「一万年間続いた(自己完結性を持つ)文化」として注目しています。
ともあれ、ご訪問いただき、意図するところまで読み込んでくださったこと、まことに有難く 感謝いたします。
現役時代には理系の学会誌に論文を書いていたので、読みにくいかもしれませんが、御寛恕ください。
ANZdrifter
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2016年01月25日13時00分 返信する -
2016年を迎えて
ANZdrifter様
新年あけましておめでとうございます。
いつも私の気ままな城郭訪問記に接していただいてありがとうございます。
先程九戸政実の九戸城を楽しく読ませていただきましたが、昨年夏にたまたま
当地図書館で「天を衝く」(高橋克彦著)読みましたのでその時の情景が
蘇ってきた次第です。
小生の周辺は甲斐武田氏と小田原北条氏とが交錯する地域ですが、甲斐武田氏の
事で山梨県に行きますと八戸に渡った南部氏の情報も入ってきます。
ひじょうに興味を惹かれる武将なので一度九戸城を訪問したいと念じております。
今後ともよろしくお願いします。
滝山氏照
追伸:昨年9月にいただいた秋田氏の件お返事できずに大変失礼しました。
お詫びいたします。
2016年01月01日07時51分返信するRE: 新年おめでとうございます
滝山氏照 様
本年もよろしくご厚誼のほどお願い申し上げます。
九戸城は見事でしたし、二戸駅前の店の壁に高橋克実の色紙があるのも、いかにも「その地」らしくて旅情をそそりました。
秋田のブログに書いておきましたが、旅の要諦は まず行くこと、そして歩くこと・話すこと、さらに本を読むこと と誰かが言っておりました。
「天を衝く」があるので二戸に行くときにはお奨めです。
私はアマゾンでゼロ円、つまり送料だけの文庫本を集めました。
錦地に近い(らしい)小田原城は、石垣の基礎に松丸太を敷いて積み上げているので、いつか見学したいと思いながら、その機会を得ておりません。
いずれどこかですれ違うかもしれませんね。
どうぞよろしくお願いします。
ANZdrifter 2016年元旦2016年01月01日09時51分 返信する -
佳いお年をお迎え下さい。
ANZdrifterさん、本年もご訪問、ご投票ありがとうございました。
ドラゴンは古希間近にして自動二輪免許を取得し、バイクを購入。長距離ツーリングや林道走破が新たな趣味に加わりました。
来年も宜しくお願いいたします。
熟年ドラゴン2015年12月31日19時12分返信するRE: 新春のお慶び 申し上げます
熟年ドラゴンさん 新年おめでとうございます
自動二輪免許取得とは すごいですね。
老生は ながらくガン細胞と共生をしてまいりましたが 傘寿をすぎてから めっきり体力が落ちて 体の各所の部品が故障しがちになりました。
それでも故郷喪失者らしく 歩くことで自分らしい旅をしております。
林道ツーリングは うらやましいですね。南会津の湯の花温泉・木賊温泉から桧枝岐に抜ける林道は建設当時に歩きましたが、自動二輪ならば爽快だろうと思っておりました。
ともあれ、本年もよろしくお願いいたします。
ANZdrifter 2016年 元旦
2016年01月01日10時12分 返信する -
九戸政実
ANZdrifterさん お早うございます。
冒頭の歴史の解説を読んでから拝見した史跡は、当時を思い起こすに十分なものでした。
九戸政実の武将としてのプライドが南部に従うことを許さなかったのでしょうね。
中央政権に逆らえば必ず滅ぼされるということはわかっていることでしょうに、犠牲を覚悟で戦ったのですね。
これだけ見れば果たして名将と言えるかどうかは意見の別れるところですね。それにしても和議の条件をことごとく破棄した中央軍の行動は後世に残る蛮行として語り継がれますね。九戸城の城主が代わっても、城の呼称を頑なに呼び続けて、悲劇の九戸政実を追悼し続けた地元の方々の行為は美しいですね。
史跡の歩き方 という本があるとすれば、これはその手本のような旅行記でした。
pedaruRE: 九戸政実のこと
pedaru さん お早うございます。
ブログを読み込んでくださって お礼を申し上げます。
縄文の遺跡を中心に歩いていたので 八戸まで行っても 中世を見るために二戸市に行くという気持ちが起きませんでしたが、東北地方が中央政権にいじめられた5度の戦乱を訪ねる旅で、最後に残った秀吉の奥州仕置きを調べていたら 九戸政実の乱 を知りました。
それで、まず現地を見て歩いて 帰ってから高橋克実の「天を衝く」の文庫3冊を買って読みました。名将という評価は説明不足でしたが 高橋克実説の影響もありますが、負け戦がなかったことや、築城の細かい配慮など、次の時代を先取りしていたと思います。
<九戸城の城主が代わっても、城の呼称を頑なに呼び続けて、悲劇の九戸政実を追悼し続けた地元の方々の行為は美しいですね>
平将門や 明智光秀など 反逆の徒とされてきた武将が、地元では名君とされて敬愛されている例を いろんなところで見てきました。
平将門の命日には 酒が何本も供えられていましたが 1070年も昔の領主の命日が弔われていることに感動しました。
政実も、同じく地元に優しい領主だったのだと思います。
裏返せば 勝者によって書かれる歴史を どう読むかということが 後世に生きる者の生きざまにかかわっている ということでしょう。
<史跡の歩き方 という本があるとすれば、これはその手本のような旅行記でした。>
高い評価、有難うございます。そのまま有難く いただきます。
ANZdrifter
2015年12月29日11時28分 返信する