konomiさんのクチコミ(53ページ)全2,320件
- サムネイル表示
- リスト表示
- ホテル
- ショッピング
- グルメ・レストラン
- 交通機関
- 観光スポット
- 基本情報
-
投稿日 2015年05月26日
総合評価:4.0
東大門運動場の思い出の空間として、運動場に関連のあるものが展示されている記念館。
東大門運動場は日本占領下の1925年に完成しました。
サッカー場は1960年のAFCアジアカップや、1986年のアジア競技大会、1988年のソウルオリンピックでもサッカー会場として使用されました。
ソウルワールドカップ競技場や蚕室総合運動場ができてからは、あまり使用されることがなくなり、2007年11月のさよならイベントで完全閉鎖。
この後にできたのが東大門歴史公園とDDPです。
館内には当時使われた野球のバットやボールなどの野球道具やとんでもなく古いサッカーボール、運動場にあった照明器具やサイレンなどが展示されています。
運動場の模型やここで行われたイベントを網羅する年代表などもありました。- 旅行時期
- 2015年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 5.0
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 展示内容:
- 4.0
-
投稿日 2015年05月26日
総合評価:4.0
鍾路方面から仁寺洞に行くときに便利です。
仁寺洞は人気の観光地のため、この一帯には3つもインフォメーションがありますが、一番南の南仁寺ノリマダン広場にあるのがこのインフォメーションです。
地下鉄1号線鍾閣駅11番出口を出て5分ほど歩き、タプコル公園がある交差点で左に曲がると仁寺洞の南入口。
年中無休で、開館時間は10:00~18:00
仁寺洞の地図や、ギャラリーのパンフレットが置かれています。- 旅行時期
- 2015年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 5.0
- 景観:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
-
投稿日 2015年05月25日
総合評価:3.5
儀豊閣は、王が祭祀を行う璿源殿(ソンウォンジョン)一帯にある祭祀用器と道具などを保管する倉庫。
璿源殿からは少し離れた裏手にあります。
日本占領時代には秘苑の奥の方に祭祀を行う新璿源殿を建てたため、長らくこの一帯は廃墟になっていました。
璿源殿は昔のまま残されましたが、議場閣は日帝強制占領期間に新築したと伝えられています。また、その他の付属建築物は2005年に再建された新しいものです。
付近には韓国でも天然記念物に指定しているイブキの木があります。- 旅行時期
- 2015年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 2.0
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 展示内容:
- 3.5
-
投稿日 2015年05月25日
-
玉仁洞 尹氏家屋 (オギンドン ユンシカオク) 第27代国王・純宗の王妃の実家
投稿日 2015年05月25日
総合評価:5.0
玉仁洞 尹氏家屋 は、大韓帝国第2代皇帝であり、李氏朝鮮から通算して第27代君主の純宗(スンジョン)の妃、純貞孝皇后・尹氏の実家で、13歳で東宮継妃になるまで住んでいた家です。
老朽化により実物の移転が困難を極めたため、南山コル韓屋村で元の家屋の建築通りに復元されたもの。
家は「コ」の字型の母屋(アンチェ)の前方に舍廊房を置き、全体的には「ロ」の字の形になっています。
純貞孝王妃は親日派達が純宗に日韓合邦条約に捺印することを強要すると、国璽を着物の中に隠して出さなかったという逸話が有名。
また、朝鮮戦争で北朝鮮軍が昌徳宮に侵攻したときには、楽善斎に乱入した兵士らを一括し、追い出したのだとか。
何とも勇ましい女性で、国民に大変人気があったのだそうです。
純貞孝皇后は、徳恵翁主や李垠・方子夫婦と共に、昌徳宮の楽善斎で晩年を過ごしました。- 旅行時期
- 2015年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 5.0
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 展示内容:
- 5.0
-
寛勲洞 閔氏家屋 (クァンフンドン ミンシカオク) 閔泳徽邸宅の一部
投稿日 2015年05月25日
総合評価:5.0
南山韓屋マウルの中で結婚式を挙げることができる韓屋。
元は閔泳徽邸宅の一部です。
本来は複数の棟から成っていましたが、所有者が変わりながら改築され、南山コル韓屋村を建てる際に、母屋(アンチェ)を移築、男性の居住空間(サランチェ)と別館(ピョルチェ)、大門は新たに建てられました。
閔泳徽邸宅は現在の仁寺洞にあたる地域にありましたが、その中でも8番目の大きさを誇る家屋で、特に、6間にのぼる大きな台所は当時の最上流層家屋の中でもひときわ珍しいものでした。
閔泳徽は日本から子爵の爵位を与えられた官僚で、親日家とみなされていました。
2007年、韓国の親日反民族行為者財産調査委員会によって、日本占領時代に日本に協力して蓄財した親日派10人の32億7千万円に相当する土地や財産を韓国政府が接収するという法案が通りました。
このとき、閔泳徽から相続した財産もまた、その子孫から没収されたそうです。
こういう話を聞くと、まだまだ戦争の影は薄れていないのだなぁと思います。
私が訪れたときにはこの家屋で結婚式が行われていました。
伝統的な衣装の新郎新婦はとても美しく、ともに幸あれと願った次第です。- 旅行時期
- 2015年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 5.0
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 無料
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 展示内容:
- 5.0
-
投稿日 2015年05月25日
総合評価:4.0
南山韓屋マウルの中にある伝統工芸館。門を入って見える大きな楼閣・泉雨閣(チョヌガク) から左の方に曲がると、韓屋が並ぶエリアがありますが、その入口付近にある建物です。
南山韓屋マウル自体は4月から10月までは朝9時から夜21時まで、11月から3月までは朝9時から20時まで営業していますが、ここは年間を通して10時から20時までの営業時間です。伝統的な韓国紙を使ったステーショナリーや陶器、磁器、家具、螺鈿などが置いてあり、ARIという名前のカフェも併設。- 旅行時期
- 2015年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 5.0
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 展示内容:
- 5.0
-
投稿日 2015年05月25日
総合評価:4.0
忠正寺(チュンジョンサ)は南山韓屋マウルの入口あたりにある小道から右に入ると見えてきます。
山門らしきものもなく、いきなり大伽藍が見えてびっくりしました。
かなり大きな規模の、丹青が施された豪華な建物です。
建物の南には大雄殿という扁額がかかっているのですが、東には説法殿という扁額がかかっています。
古いお寺ではなく、地元の方が日常的に参拝する寺院のようでした。
南から入ると大雄殿がありますが、大・・・ではありません。小さな部屋に仏像が置かれています。
東の説法殿と書かれた扁額の方から入り、2階に上がるととても広い空間の中、たくさんの小仏像の中心に、大仏が置かれており、大変きらびやかでした。- 旅行時期
- 2015年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 5.0
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 展示内容:
- 4.0
-
木人博物館 素敵なテラス併設 韓国とアジア各国の木彫刻が並ぶ
投稿日 2015年05月24日
総合評価:5.0
死者を運ぶ輿(こし)である喪輿(サンヨ)の装飾品として使われた木彫りの人形を木人(モギン)といいます。
死者を媵るとき、あの世に先に行ったご先祖様や友人家族に会うまで、さみしくないように精一杯慰めるために作られたものだそうです。
そういうわけで、木人は飄々としたもの、楽しげなもの、愉快なものがほとんどで、喪輿は豪華に飾られ、残された人々との最後の別れに用いられました。
通常、一つの村に1つの喪輿が用意されており、共同で使われたそうですが、現在はその風習もすたれ、木人も散逸してしまうところを、収集して後世に残そうと個人が作った博物館です。
以前、北村のコクトゥラン韓国家屋で、初めて木人を見て、そのほのぼのとした素朴さと人の温かい思いに心を打たれ、この博物館もぜひ訪れたいと思っていました。
収蔵品は5000点ありますが、スペースが手狭のため入れ替えしながら展示しているそうです。
1階には企画展を催す一般のギャラリーがあり、こちらは無料で見学できます。
2階に上がったところが受付。入場料は5000ウォンですが、観覧後にもらえるコーヒーやお茶などの飲み物がついています。
ここのコーヒー、期待をしていなかったのですが、すごくおいしくてびっくりしました。
珈琲を片手に屋上のテラスに行くと、とてもいい雰囲気で、石像が並ぶ中ゆっくりとリラックスできました。
http://mokinmuseum.com/ ホームページ- 旅行時期
- 2015年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 5.0
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 展示内容:
- 5.0
-
投稿日 2015年05月24日
総合評価:4.5
養和堂の右にある坂道を登っていくこと10分くらいで宮殿全体を見渡せる景色のいい場所に出ますが、ここにこの風旗台(プンギデ)が設置されています。
1732(英祖8)年に作られた、昔の風力計のようなもの
本体の一番上の穴に旗棹を挿し、その竿に旗を付け「風の方向と速度」を測っていた気象観測器具です。隣りには日時計も置かれていました。
なるほど、経時観測をしていたのですね。
花崗岩で作られ、全体の高さは228.1cm。現在宝物846号に指定されています。
学問を好んだ英祖は自ら書籍を執筆するだけでなく、印刷術を改良して多くの書籍を刊行し、民衆が書籍に接する機会を広げました。
それまで書籍の発行と言えば、儒教経典中心だった所を、現実に役立つ実学書を多く刊行したところに大きな意味があると思います。
自然科学に対する理解の深さは世宗大王に通じるところがありますね。
正祖時代の朝鮮のルネサンス期というのは、一部は英祖の残した業績が下地になったからではないかと思います。- 旅行時期
- 2015年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 3.0
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 展示内容:
- 5.0
-
投稿日 2015年05月24日
総合評価:4.0
内兵曹(ネピョンジョ)は、李氏朝鮮時代に昌徳宮の進善門近くの行閣に置かれた部署で、主に宮殿を警備する王宮警護隊や親衛隊の駐屯所として使用されました。
確かにここは宮殿の外にも内にも対処しやすい場所です。広い空間が前にあるので、多数の兵士が待機するにも適しています。
近くの置衛庁には装備が置かれ、ことが起こった時にすぐに対処できるようにしてありました。
単に兵曹(ピョンジョ)といった場合、これは光化門南にある、国と都全体の軍を掌握する行政機関を指します。- 旅行時期
- 2015年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 5.0
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 展示内容:
- 3.0
-
投稿日 2015年05月24日
-
投稿日 2015年05月24日
総合評価:4.0
昌慶宮の正門の弘化門から南へ30m位歩くと見える門です。
以前の名前は瑞燐門(ソリンムン)で王世子(皇太子)が住む東宮の正門でした。
父の英祖によって、米びつに入れられ餓死した思悼世子の遺体が運び出されたのがこの門だったそうです。
弘化門はいわば王のための門で、通常は朝廷の臣下たちはこの門から出入りしていました。
1484年の昌慶宮の創建時に合わせて建立されましたが、文禄・慶長の役(1592年)、1857(哲宗8)年と2度にわたってに焼失。
現在の宣仁門は1877(高宗14)年に再建されたものです。- 旅行時期
- 2015年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 5.0
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 展示内容:
- 4.0
-
投稿日 2015年05月24日
総合評価:4.0
景薫閣(キョンフンガッ)は昌徳宮の王妃のお住まいである大造殿の裏手にある、いわば
付属施設です。
創建当時の大造殿は1917年に火災によって焼失したため、1920年に景福宮の寝殿である交泰殿を移して現在の姿になりましたが、このとき、建物をそのまま移すのではなく、昌徳宮の地勢にあわせて、両脇に翼棟を作り、後方の景薫閣とも内部で互いに通じるように行閣(回廊、長廊)で繋げました。
この景薫閣のあたりは元々の宮廷建築の様式を再現している唯一の場所なのだそうです。
古いオンドル施設を見ることもできますが、注意しないとそれとはわからないかもしれません。- 旅行時期
- 2015年05月
- アクセス:
- 5.0
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 展示内容:
- 5.0
-
投稿日 2015年05月24日
-
投稿日 2015年05月24日
総合評価:4.0
曹渓寺に付属する仏教関連の展示をおこなう博物館。
展示室は階段を下りた先の地下2階にあります。
基本、無料なのですが、企画展は有料のことがあります。
陰暦4月8日はお釈迦様の生誕日なので、燃灯祝祭 ヨンドゥンチュッチェなど仏教祭礼がソウル市内のあちこちで行われますが、この仏教博物館でも特別展が開かれるそうです。
入口にある稚児普賢像と稚児文殊像がとてもかわいらしかった。
高麗末~朝鮮前期の舎利荘厳具(宝物259号)や、600年前の白紙墨書妙法蓮華経七巻(宝物278号)などを所蔵しています。- 旅行時期
- 2015年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 5.0
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 展示内容:
- 4.0
-
投稿日 2015年05月24日
総合評価:4.0
養志堂は昌徳宮の王の臣下たちが政務をおこなった闕内各司の北側にある璿源殿(ソンウォンチョン)一帯にあります。
王が祭祀の前日に泊まった御齋室(オシッスル)で、ここで身を清めて祭礼に備えました。
名前の由来は酔古堂剣掃(中国の偉人名言)から取られたもの。
「大丈夫、世に居するや、生きては当に侯に封ぜらるべく、死しては当に廟食すべし。 然らずんば間居、以て志を養ふべし。 詩書以て自ら娯しむに足る。」
男子として世に生れたならば、生きては当に列侯に封ぜられ、死んでは当に神として祀られるほどになるのだ。
そうでないならば、間居して静かに志を養えばよい。
詩経や書経などを読んで暮らす、されば自ら楽しむに足るであろう。- 旅行時期
- 2015年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 4.0
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 展示内容:
- 5.0
-
投稿日 2015年05月24日
総合評価:5.0
毎年5月の第一日曜日に催される伝統行事。
先祖の供養をする大祭です。実際に李朝の末裔の方々が参列し、古式ゆかしい儀式を執り行います。
宗廟とともに世界遺産に指定され、歴史的・芸術的にも価値が高く、宗廟祭礼楽(チョンミョチェレアッ)も昔のままの演奏。
儀式は朝からずっと行われるのですが、ハイライトといえる正殿での祭礼は、人でごった返します。
行列に並ぶこと1時間、順番に座席に座っていくのですが、運が悪いと端っこに座る羽目になります。
厳かな音楽に、静かな舞。王朝絵巻そのものの風景でした。- 旅行時期
- 2013年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 2.0
- 催し物の規模:
- 5.0
- 雰囲気:
- 5.0
-
投稿日 2015年05月24日
総合評価:5.0
仁寺洞広報館 は仁寺洞のサムジギルから仁寺洞11ギルに入り、西へ100mほど歩いたところにあります。 韓服試着体験や情報検索サービス等が可能
旧正月、秋夕は休館で、開館時間は10:00~17:30(12:00~13:00は休み時間)です。
見た目インフォメーションとは思えないような韓屋。
以前は韓服体験は無料だったようですが、現在は3000ウォンほどかかるようですね。
訪れたとき、ちょうど韓国の女の子のグループが、試着をしているところでした。
着慣れている様子でさっさと着付けをして、写真を撮っていました。
そうそう、韓服についている白い布は、こっそり涙をふくためのものだそうですね。
仁寺洞広報館のある仁寺洞11ギルには、素敵なギャラリーやショップが多いので、個人的におすすめの場所です。- 旅行時期
- 2015年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 5.0
- 施設の快適度:
- 5.0
- 泉質:
- 5.0
-
投稿日 2015年05月24日
総合評価:5.0
小春塘池 は昌慶宮のかなり奥まった、大春塘池の北に位置する池です。
1820年代に製作された東闕図には1個の池と11個の田圃が描かれていますが、李朝時代にもともとあったのがこの小春塘池。
大春塘池の方は日本統治時代に造成されたものです。この2つは橋で分断されているものの、つながっている一つの池です。
風の強い日だったのですが、大春塘池と異なり規模が小さく風波が立たないため、新緑が映り込んで大変美しい眺めでした。- 旅行時期
- 2015年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 4.0
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 展示内容:
- 5.0
































































































