はちのすけさんのクチコミ(22ページ)全3,565件
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投稿日 2022年10月14日
総合評価:3.0
安土桃山時代以降の城下町の風情を残し、重要伝統的建造物群保存地区に指定されている宇陀松山。その入り口の役割を担うのが、この道の駅だ。駐車場に車を止め、道の駅で観光情報を得てから伝建群を散策するもよし。休憩、食事、喫茶のほか、お土産物の買い物、特産農産品の品定めも可能だ。吉野方面と三重方面の結節点に位置しており、その点でも重要な道の駅だ。
- 旅行時期
- 2022年10月
- トイレの快適度:
- 3.0
- お土産の品数:
- 3.0
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投稿日 2023年08月01日
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投稿日 2023年05月02日
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投稿日 2023年05月02日
総合評価:3.0
十数年ぶりに福岡に〝上陸〟したが、勢いがある街だと痛感した。観光客なので表面的な見方しかしていないが、経済的にも発展している実感がある。変な話だが、観光案内所でもある意味、覇気がある。ここの案内所はJR博多駅のコンコース中央にあり、福岡市だけでなく九州各県の観光案内もしてくれる。紙の地図だけでなくタブレットを駆使してより広域的な観光需要に応えてくれた。外国語が堪能なスタッフもいるようだ。
- 旅行時期
- 2023年02月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2023年05月07日
総合評価:3.0
個人的に駅前の銅像はその地のスターが選ばれるものだと思っている。岐阜駅前の織田信長、赤穂駅前の大石内蔵助、大分駅前の大友宗麟などなど。ここは福岡民謡の黒田節が〝選ばれた〟。「酒は飲め飲め飲むならば、日の本一のこの槍を…」。1596(文禄5)年正月、豊臣家の武将・福島正則の邸宅で酒宴があり、黒田長政は家臣の母里太兵衛を出席させた。酒乱の正則を恐れ、長政は太兵衛に飲酒を禁じていたが、正則から「これを飲めば望みの品を与える」と大きな鉢に注いだ酒を勧められ、ならばと秀吉拝領の名槍「日本号」を所望し、飲み干して槍を得た。この槍は「呑み取りの槍」とも称され、太兵衛は朝鮮出兵でこの槍で手柄を立てたという。黒田節は昭和時代にレコード化され、国民の間に広がった。この像は昭和45年に地元のライオンズクラブが設立したもので、福岡駅前のとても目立つ場所にある。
- 旅行時期
- 2023年02月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 2.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2023年05月07日
総合評価:3.0
福岡市は市内の主な道路42カ所に愛称を付けている。市民に親しみを持ってもらうのが目的。そのうち明治通りは千代2丁目交差点から小戸西交差点までの約10キロだ。ちょうど福岡市営地下鉄の上を走る。道路の大部分が明治末期に整備されているのが理由だそうだが、観光資源や繁華街が多数あり、福岡を代表する通りの一つだろう。
- 旅行時期
- 2023年02月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2023年05月07日
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投稿日 2023年05月08日
総合評価:3.0
現地には銀杏の巨木がそびえる。タイトルに「飯田覚兵衛屋敷跡」とあるが、正式には「飯田覚兵衛屋敷跡の大銀杏」だろう。飯田覚兵衛は加藤清正の重臣の一人で、清正没後、加藤家改易の折に黒田家に客分として招かれた。その折、清正が心血を注いで築城した熊本城の銀杏を自分の屋敷に移植した。熊本城は別名・銀杏城と呼ばれたが、清正が築城の折に銀杏の木を城内に多数植えたことが由来だ。これは籠城戦になった際の食料確保が理由のひとつだという。築城の名手である清正らしいエピソードだ。覚兵衛が銀杏を屋敷に植えたのは、こうした清正の常在戦場という精神を伝えたかったのではないか。植えられて以来、約400年、この銀杏は同じ場所で育っている。
- 旅行時期
- 2023年02月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2023年05月08日
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投稿日 2023年05月08日
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投稿日 2023年05月08日
総合評価:3.0
あちこちで書いているが、駅前の銅像になる人物はその街のヒーローだと思う。そうなればこの母里太兵衛が福岡ではその位置を占めるのだろうか。豊臣秀吉の家臣である福島正則から名槍を〝飲み取った〟エピソードで有名だが、その経緯を歌い上げたのが黒田節だ。そう考えると、母里太兵衛が福岡のヒーローではなく、黒田節が福岡のヒーロー的な存在かもしれない。そのヒーローにまつわる場所がこの屋敷跡だ。証券会社のビル敷地内で現代はそんな雰囲気はない。関係ない話だが、福島正則も母里太兵衛も酒癖が悪かったに違いない。
- 旅行時期
- 2023年02月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2023年05月09日
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投稿日 2023年05月09日
総合評価:3.0
九州を訪れると石碑の金文字が目につく。何故か、は不明だが、ともかく金文字が多いのだ。ここもよく目立つ。石碑には「黒田家濱町別邸跡」とある。明治維新後、殿様ではなくなった旧福岡藩主の黒田家が豪邸を構えた場所だ。敷地はなんと約3千坪。ただ、明治維新後、大名はすべて東京で生活するよう命じられており、実際に黒田家も東京・赤坂の本邸に移住したことからここは別邸扱いとなった。大正時代に改修され、福岡城の門や櫓も移築されたという。そんな豪奢な建築も、第二次世界大戦末期の空襲であっけなく焼失してしまった。
- 旅行時期
- 2023年02月
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
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投稿日 2023年05月12日
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投稿日 2023年05月13日
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投稿日 2023年05月13日
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投稿日 2023年05月13日
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投稿日 2023年05月14日
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投稿日 2023年05月16日
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投稿日 2023年05月19日





























