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道後温泉紹介の続きです。暗くなる前に湯築城跡を見学しました。湯築城は、今は石垣とお堀だけですが、日本百名城の80番に選ばれています。

2015春、四国周遊(15/26):3月30日(7):愛媛、道後公園、湯築城跡、展望台からの眺め

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2015/03/29 - 2015/03/31

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旅行記グループ 2015春、四国周遊

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旅人のくまさん

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道後温泉紹介の続きです。暗くなる前に湯築城跡を見学しました。湯築城は、今は石垣とお堀だけですが、日本百名城の80番に選ばれています。

交通手段
観光バス

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  • 湯築城跡の道後公園の入口付近の光景です。保存状態の良い湯築城時代の外堀です。外堀の内側が道後公園、外堀の周りが松山市街です。

    湯築城跡の道後公園の入口付近の光景です。保存状態の良い湯築城時代の外堀です。外堀の内側が道後公園、外堀の周りが松山市街です。

  • 『ようこそ、道後温泉/国指定湯築城跡へ!』のタイトルがあった案内看板です。南北朝時代の14世紀前半から、戦国時代の16世紀末までの、250年間に渡って伊予の国の中心地であったことなどが紹介されていました。子の説明文と図面で、道後公園に入場したのが、西側の搦手であることが分かりました。東側が正門の大手です。

    『ようこそ、道後温泉/国指定湯築城跡へ!』のタイトルがあった案内看板です。南北朝時代の14世紀前半から、戦国時代の16世紀末までの、250年間に渡って伊予の国の中心地であったことなどが紹介されていました。子の説明文と図面で、道後公園に入場したのが、西側の搦手であることが分かりました。東側が正門の大手です。

  • ソメイヨシノの花が満開に近付いていた道後公園の光景です。その満開の花の下で、花の宴が始まりかけていました。

    ソメイヨシノの花が満開に近付いていた道後公園の光景です。その満開の花の下で、花の宴が始まりかけていました。

  • ソメイヨシノが満開になり始めていた、道後公園の光景です。料亭が用意した宴席でしょうか、立派な卓が並び、酒をお酌する和服姿の人が見えました。

    ソメイヨシノが満開になり始めていた、道後公園の光景です。料亭が用意した宴席でしょうか、立派な卓が並び、酒をお酌する和服姿の人が見えました。

  • ジンチョウゲ(沈丁花)の花です。小さい頃から庭の樹の花の香りに親しんだ花です。ジンチョウゲ科ジンチョウゲ属の常緑低木です。沈丁花の名前は、香木の沈香のような良い匂いがあり、丁子のような花を付ける木の意味とされます。

    ジンチョウゲ(沈丁花)の花です。小さい頃から庭の樹の花の香りに親しんだ花です。ジンチョウゲ科ジンチョウゲ属の常緑低木です。沈丁花の名前は、香木の沈香のような良い匂いがあり、丁子のような花を付ける木の意味とされます。

  • 満開だったユキヤナギ(雪柳)の白い花です。ソメイヨシノが満開になる頃に一緒に満開になる、バラ科シモツケ属の落葉低木です。

    満開だったユキヤナギ(雪柳)の白い花です。ソメイヨシノが満開になる頃に一緒に満開になる、バラ科シモツケ属の落葉低木です。

  • 内堀の一部は、日本庭園の一部に取り込まれ、睡蓮が植込まれていました。また、その周りには、枝振りの良い松の庭木などが配されていました。

    内堀の一部は、日本庭園の一部に取り込まれ、睡蓮が植込まれていました。また、その周りには、枝振りの良い松の庭木などが配されていました。

  • 内堀に架かる橋の上からの光景です。右側が内堀の内側になる、本丸と二の丸があった高台方面、左側が内堀と外堀の間で、武家屋敷があった区域になります。三々五々に花見の宴が始まっていました。

    イチオシ

    内堀に架かる橋の上からの光景です。右側が内堀の内側になる、本丸と二の丸があった高台方面、左側が内堀と外堀の間で、武家屋敷があった区域になります。三々五々に花見の宴が始まっていました。

  • 同じく、内堀に架かる橋の上からの光景です。内堀の幅を凌ぐ枝を伸ばしたソメイヨシノの大木が見頃を迎えていました。

    同じく、内堀に架かる橋の上からの光景です。内堀の幅を凌ぐ枝を伸ばしたソメイヨシノの大木が見頃を迎えていました。

  • 剪定された常緑の庭木の上に、長く枝を伸ばしたソメイヨシノの光景です。満開には達していませんが、見頃を迎えていました。

    剪定された常緑の庭木の上に、長く枝を伸ばしたソメイヨシノの光景です。満開には達していませんが、見頃を迎えていました。

  • 『道後公園』のタイトルがあった平面図です。目指す展望台は、この地図の中央、やや右寄りに記されていました。湯築城跡の内堀と外堀の相当部分が残されている地図でした。北側が左になる地図です。

    『道後公園』のタイトルがあった平面図です。目指す展望台は、この地図の中央、やや右寄りに記されていました。湯築城跡の内堀と外堀の相当部分が残されている地図でした。北側が左になる地図です。

  • 『道後公園』のタイトルがあった平面図の近くにあった石碑の光景です。撮影はしましたが、文字は読み取れませんでした。顕彰碑かも知れません。

    『道後公園』のタイトルがあった平面図の近くにあった石碑の光景です。撮影はしましたが、文字は読み取れませんでした。顕彰碑かも知れません。

  • 湯築城跡の図面に、丘陵広場と記されていた場所の光景です。展望台が建つ場所よりは一段低くなった場所です。『伊予湯築城・想像図』などには、展望台の場所が本壇、丘陵広場が河野館跡(本丸御殿?)と記されていました。別の図面には、本壇が天守、河野館が二の丸と記してありましたから、年代によって変化したようです。

    湯築城跡の図面に、丘陵広場と記されていた場所の光景です。展望台が建つ場所よりは一段低くなった場所です。『伊予湯築城・想像図』などには、展望台の場所が本壇、丘陵広場が河野館跡(本丸御殿?)と記されていました。別の図面には、本壇が天守、河野館が二の丸と記してありましたから、年代によって変化したようです。

  • 『道後公園位置図』のタイトルがあった案内看板です。この図面の北側は、オーソドックスに上でした。現在位置の道後公園は、右上に子規記念博物館として記されていました。

    『道後公園位置図』のタイトルがあった案内看板です。この図面の北側は、オーソドックスに上でした。現在位置の道後公園は、右上に子規記念博物館として記されていました。

  • 道後公園の図面の右側に記してあった、道後公園と湯築(ゆずき)城跡の説明文です。道後公園の説明では、12年間に亘る発掘調査で、土師質土器などの25万点の出土品が見付かったことや、湯築(ゆずき)城跡の説明では、14世紀初めに河野通盛によって築城されたことなどが記されていました。<br />

    道後公園の図面の右側に記してあった、道後公園と湯築(ゆずき)城跡の説明文です。道後公園の説明では、12年間に亘る発掘調査で、土師質土器などの25万点の出土品が見付かったことや、湯築(ゆずき)城跡の説明では、14世紀初めに河野通盛によって築城されたことなどが記されていました。

  • 樹種は分かりませんでしたが、道後公園にあった古木の光景です。常緑樹のようですが、新緑の時期を迎えているようでした。

    樹種は分かりませんでしたが、道後公園にあった古木の光景です。常緑樹のようですが、新緑の時期を迎えているようでした。

  • ピントが外れてしまいましたが、八重紅枝垂れ桜の花のアップ光景です。道後公園の地図に、丘陵広場と記されていた場所での撮影です。

    ピントが外れてしまいましたが、八重紅枝垂れ桜の花のアップ光景です。道後公園の地図に、丘陵広場と記されていた場所での撮影です。

  • ソメイヨシノの花のアップ光景です。ピンクの蕾から、開くに従って薄いピンク色に変わっていました。同じく、丘陵広場と記されていた場所での撮影です。

    イチオシ

    ソメイヨシノの花のアップ光景です。ピンクの蕾から、開くに従って薄いピンク色に変わっていました。同じく、丘陵広場と記されていた場所での撮影です。

  • 同じく、ソメイヨシノの花のアップ光景です。商店街でワインの小瓶を買ってきましたので、見学を終わった後は、一人で花見の予定です。と言っても、泊まったホテルでの食事の時間が迫っています。

    同じく、ソメイヨシノの花のアップ光景です。商店街でワインの小瓶を買ってきましたので、見学を終わった後は、一人で花見の予定です。と言っても、泊まったホテルでの食事の時間が迫っています。

  • 湯築城跡の、一番高い場所に設けられていた展望台の上からの眺めの紹介です。左端の山の上に、松山城の天守が見える松山市街の光景です。西方面になります。空が茜に染まり始めていました。

    湯築城跡の、一番高い場所に設けられていた展望台の上からの眺めの紹介です。左端の山の上に、松山城の天守が見える松山市街の光景です。西方面になります。空が茜に染まり始めていました。

  • 時計回りに順番に撮影しました。展望台の近くには、ヤマザクラが咲いていました。高層マンションらしい建物が多く見える市街光景です。北西方面になるようです。

    時計回りに順番に撮影しました。展望台の近くには、ヤマザクラが咲いていました。高層マンションらしい建物が多く見える市街光景です。北西方面になるようです。

  • こちらの方角では、山の麓に建つホテルなどの他、マンションの建物が目立っていました。先程よりは北に向いた北西方面になるようです。

    こちらの方角では、山の麓に建つホテルなどの他、マンションの建物が目立っていました。先程よりは北に向いた北西方面になるようです。

  • 木々の間から、わずかに覗いた松山市街の光景です。北側方面の積りで撮影した写真です。低層階の住宅が多い光景でした。

    木々の間から、わずかに覗いた松山市街の光景です。北側方面の積りで撮影した写真です。低層階の住宅が多い光景でした。

  • 視界が少し開けました、北東方面の松山市街光景になるようです。マンションらしい、中高層のビルが多く見える市街光景です。

    視界が少し開けました、北東方面の松山市街光景になるようです。マンションらしい、中高層のビルが多く見える市街光景です。

  • 東から、東南に向けての市街光景になるようです。方角の基準を持たない、感覚だけでの紹介ですから、かなり違っているかも知れません。

    東から、東南に向けての市街光景になるようです。方角の基準を持たない、感覚だけでの紹介ですから、かなり違っているかも知れません。

  • 完全に視界が開けた、南方面の市街光景のようです。道後公園の南側一帯には、土塁の遺構がありますから、その一部が見えているようです。

    完全に視界が開けた、南方面の市街光景のようです。道後公園の南側一帯には、土塁の遺構がありますから、その一部が見えているようです。

  • 写真を撮りながら展望台を一回りしました。松山城が山の上に見える方角です。西側方面、やや南寄りの市街光景です。

    写真を撮りながら展望台を一回りしました。松山城が山の上に見える方角です。西側方面、やや南寄りの市街光景です。

  • 展望台から真下に見下ろした、ソメイヨシノの花の光景です。少し変わった花見の光景となりました。幾何学的にも見える、整然としたソメイヨシノの花の咲き方でした。

    イチオシ

    展望台から真下に見下ろした、ソメイヨシノの花の光景です。少し変わった花見の光景となりました。幾何学的にも見える、整然としたソメイヨシノの花の咲き方でした。

  • 帰りの時に気が付いて撮影した、湯築城の縁起を記した説明プレートです。昭和34年、市民から寄贈の説明プレートでした。聖徳太子(574〜622年)時代からの縁起の紹介でした。

    帰りの時に気が付いて撮影した、湯築城の縁起を記した説明プレートです。昭和34年、市民から寄贈の説明プレートでした。聖徳太子(574〜622年)時代からの縁起の紹介でした。

  • 17時の閉館時間を過ぎていましたが、日本百名城のスタンプが置いてある、湯築城資料館の入口光景です。同館のHPには、土層の剥ぎ取り模型や出土品の展示コーナーなどが設けられていることが紹介されていました。

    17時の閉館時間を過ぎていましたが、日本百名城のスタンプが置いてある、湯築城資料館の入口光景です。同館のHPには、土層の剥ぎ取り模型や出土品の展示コーナーなどが設けられていることが紹介されていました。

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