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高知城紹介の締め括りは、発掘調査の概要と石垣の修復工事などの解説パネルの紹介です。夜は、ひろめ市場で美味しいお酒と刺身などを戴きました。

2015春、四国周遊(8/26):3月29日(8):高知、高知城の発掘調査、石垣修復、ひろめ市場

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2015/03/29 - 2015/03/31

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旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

高知城紹介の締め括りは、発掘調査の概要と石垣の修復工事などの解説パネルの紹介です。夜は、ひろめ市場で美味しいお酒と刺身などを戴きました。

交通手段
観光バス

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  • 三の丸に展示してあった、高知城の発掘調査の概要と石垣の修復工事などの解説パネルの紹介です。かなりの数のパネルでしたから、その一部の紹介です。

    三の丸に展示してあった、高知城の発掘調査の概要と石垣の修復工事などの解説パネルの紹介です。かなりの数のパネルでしたから、その一部の紹介です。

  • 『三ノ丸石垣改修工事と調査』のタイトルがあった説明パネルです。なぜ、改修工事が必要になったかの説明です。400年を経て、石垣に孕み、亀裂、脱落が生じていることが平成12年度の調査で確認され、平成16年度からの4年間を掛けて解体・調査・積み直しが行われることになった経緯が解説されていました。

    『三ノ丸石垣改修工事と調査』のタイトルがあった説明パネルです。なぜ、改修工事が必要になったかの説明です。400年を経て、石垣に孕み、亀裂、脱落が生じていることが平成12年度の調査で確認され、平成16年度からの4年間を掛けて解体・調査・積み直しが行われることになった経緯が解説されていました。

  • 『三の丸石垣解体前の様子』のタイトルがあった説明パネルです。石垣全体や、出角(でずみ)や入角(いりずみ)の様子などが写真紹介されていました。

    『三の丸石垣解体前の様子』のタイトルがあった説明パネルです。石垣全体や、出角(でずみ)や入角(いりずみ)の様子などが写真紹介されていました。

  • 三の丸石垣の発掘調査と解体調査の進め方についての説明パネルです。実際の作業過程が写真入りで説明されていました。

    三の丸石垣の発掘調査と解体調査の進め方についての説明パネルです。実際の作業過程が写真入りで説明されていました。

  • 『石垣の解体』のタイトルがあった説明パネルです。本丸南側石垣の解体作業をベースに解説されていました。

    『石垣の解体』のタイトルがあった説明パネルです。本丸南側石垣の解体作業をベースに解説されていました。

  • 『石垣の積み直し」のタイトルがあった説明パネルです。改修前の三の丸石垣と、改修後の本丸南側石垣を比較しながらの解説です。どちらも野面積みです。割れたものは同じ石質と形の石に交換されます。

    『石垣の積み直し」のタイトルがあった説明パネルです。改修前の三の丸石垣と、改修後の本丸南側石垣を比較しながらの解説です。どちらも野面積みです。割れたものは同じ石質と形の石に交換されます。

  • 『高知城石垣の石質について』のタイトルの説明パネルです。ほとんどがチャートで、加工された砂岩、石灰岩や礫岩が写真入りで解説されていました。チャートは、ごく微細なシリカ(二酸化ケイ素:SiO2)が深海底で降り積もってできた岩石とされます。

    『高知城石垣の石質について』のタイトルの説明パネルです。ほとんどがチャートで、加工された砂岩、石灰岩や礫岩が写真入りで解説されていました。チャートは、ごく微細なシリカ(二酸化ケイ素:SiO2)が深海底で降り積もってできた岩石とされます。

  • 『野面積みの仕組み』のタイトルがあった説明パネルです。築石、根石、グリ石、介石(とも介石・胴介石)に分けて、構造と働きが説明されていました。17年度発掘調査では、排水目的らしい石列が見つかったことも紹介されていました。

    『野面積みの仕組み』のタイトルがあった説明パネルです。築石、根石、グリ石、介石(とも介石・胴介石)に分けて、構造と働きが説明されていました。17年度発掘調査では、排水目的らしい石列が見つかったことも紹介されていました。

  • 『石垣普請のイメージ図』のタイトルがあったイラストです。石運びなどの想像図です。築城に当たって、人足には山内家家臣団も利用され、子供も工夫として参加させ、賃金も支払われたようです。一日の参加人数は1200人を超えたと伝わります。(ウィキペディア)

    『石垣普請のイメージ図』のタイトルがあったイラストです。石運びなどの想像図です。築城に当たって、人足には山内家家臣団も利用され、子供も工夫として参加させ、賃金も支払われたようです。一日の参加人数は1200人を超えたと伝わります。(ウィキペディア)

  • 平成16年度の発掘調査の説明パネルです。図面は発掘調査が行われた部分の全体図です。排水施設の詳細などが確認できたようです。

    平成16年度の発掘調査の説明パネルです。図面は発掘調査が行われた部分の全体図です。排水施設の詳細などが確認できたようです。

  • 平成16年度の三の丸石垣の発掘調査の説明パネルです。『旧石垣の検出』のタイトルがありました。見つかったのは、旧石垣の一部で、翌年度以降の発掘調査でさらに詳しいことが分かりそうです。左下に、旧石垣の想定平面図が記されていました。1611年築造の石垣より古い遺構が見つかり、長宗我部元親時代のものか、山内一豊時代のものか考察が行われるようです。

    平成16年度の三の丸石垣の発掘調査の説明パネルです。『旧石垣の検出』のタイトルがありました。見つかったのは、旧石垣の一部で、翌年度以降の発掘調査でさらに詳しいことが分かりそうです。左下に、旧石垣の想定平面図が記されていました。1611年築造の石垣より古い遺構が見つかり、長宗我部元親時代のものか、山内一豊時代のものか考察が行われるようです。

  • 『16年度解体調査よりー裏ゴメ・盛土の様子』のタイトルがあった説明パネルです。盛土中から多くの遺物が出土し、年代特定の決め手になったことが紹介されていました。

    『16年度解体調査よりー裏ゴメ・盛土の様子』のタイトルがあった説明パネルです。盛土中から多くの遺物が出土し、年代特定の決め手になったことが紹介されていました。

  • 『16年度(事前)調査よりー出土遺物』のタイトルがあった説明パネルです。出土した中正から近世の遺物の紹介です。出土状況と遺物が写真紹介されていました。16世紀の中国三の染付、中世の備前焼の壷・甕、江戸時代の鬼瓦などです。

    『16年度(事前)調査よりー出土遺物』のタイトルがあった説明パネルです。出土した中正から近世の遺物の紹介です。出土状況と遺物が写真紹介されていました。16世紀の中国三の染付、中世の備前焼の壷・甕、江戸時代の鬼瓦などです。

  • 『17年度(解体)調査より①』のタイトルがあった説明パネルです。排水施設を中心に調査し、石垣のゆがみや孕みの原因について調べ、積み直しに反映していることなどが紹介されていました。

    『17年度(解体)調査より①』のタイトルがあった説明パネルです。排水施設を中心に調査し、石垣のゆがみや孕みの原因について調べ、積み直しに反映していることなどが紹介されていました。

  • 『17年度(解体)調査より②』のタイトルがあった説明パネルです。『デジタルカメラ3次元実測システム』が活用されたことが紹介されていました。

    『17年度(解体)調査より②』のタイトルがあった説明パネルです。『デジタルカメラ3次元実測システム』が活用されたことが紹介されていました。

  • 『17年度解体調査よりー出土遺物』のタイトルがあった説明パネルです。裏ゴメ石と一緒に出土した、石臼、瓦や焼物などの紹介です。年代特定などにも貴重な遺物です。

    『17年度解体調査よりー出土遺物』のタイトルがあった説明パネルです。裏ゴメ石と一緒に出土した、石臼、瓦や焼物などの紹介です。年代特定などにも貴重な遺物です。

  • 平成19年度の解体調査結果の紹介パネルです。鉄門(くろがねもん)の根石を主体に紹介してありました。使用された石材と年代などが考察されていました。

    平成19年度の解体調査結果の紹介パネルです。鉄門(くろがねもん)の根石を主体に紹介してありました。使用された石材と年代などが考察されていました。

  • 同じく、平成19年度の解体調査結果の紹介パネルです。鉄門の修復時期は不明でしたが、発掘調査により、宝暦3年(1753年)に、三の丸再建の時に修築されたことが推測出来たようです。

    同じく、平成19年度の解体調査結果の紹介パネルです。鉄門の修復時期は不明でしたが、発掘調査により、宝暦3年(1753年)に、三の丸再建の時に修築されたことが推測出来たようです。

  • 『リョーマの休日』の幟です。オードリー・ヘプバーンとグレゴリー・ペックの名作、『ローマの休日』のパロディです。1953年制作のアメリカ映画でした。

    イチオシ

    『リョーマの休日』の幟です。オードリー・ヘプバーンとグレゴリー・ペックの名作、『ローマの休日』のパロディです。1953年制作のアメリカ映画でした。

  • ここからは、街角で出会った、高知の偉人紹介です。上が戦国時代の土佐の覇王、長曽我部元親(1538〜1599年)の紹介文です。天正2年(1574年)に土佐を平定しました。下が藩政時代の悲劇の宰相、野中兼山(1615〜1663年)の紹介文です。30年間に亘って土佐藩の振興に努めましたが、最後は政権の座を追われ、一族も厳しい処分を受けました。

    ここからは、街角で出会った、高知の偉人紹介です。上が戦国時代の土佐の覇王、長曽我部元親(1538〜1599年)の紹介文です。天正2年(1574年)に土佐を平定しました。下が藩政時代の悲劇の宰相、野中兼山(1615〜1663年)の紹介文です。30年間に亘って土佐藩の振興に努めましたが、最後は政権の座を追われ、一族も厳しい処分を受けました。

  • 上が初代の土佐藩主の山内豊一(1545〜1605年)の紹介文です。下は、漂流したことで、漁師から武士となり、通訳として異例の活躍をした、ジョン・万次郎こと、中浜万次郎(1827〜1898ね)の紹介文です。

    上が初代の土佐藩主の山内豊一(1545〜1605年)の紹介文です。下は、漂流したことで、漁師から武士となり、通訳として異例の活躍をした、ジョン・万次郎こと、中浜万次郎(1827〜1898ね)の紹介文です。

  • 上が、初代土佐藩主の山内一豊を内助の功で支えた、山内千代(1556〜1617年)の紹介文です。あまりにも有名な逸話などです。下が、月形半平太のモデルとされる、武市瑞山(1829〜1865年)の紹介文です。下級武士の出身でしたが、土佐勤王党の首領として、藩主の山内容堂の公武合体論と衝突、切腹を命ぜられました。

    上が、初代土佐藩主の山内一豊を内助の功で支えた、山内千代(1556〜1617年)の紹介文です。あまりにも有名な逸話などです。下が、月形半平太のモデルとされる、武市瑞山(1829〜1865年)の紹介文です。下級武士の出身でしたが、土佐勤王党の首領として、藩主の山内容堂の公武合体論と衝突、切腹を命ぜられました。

  • 上が、明治維新の立役者の坂本龍馬の紹介文です。今年が生誕180年に当たっていました。薩長同盟に奔走し、土佐藩では大政奉還の建白に導きました。京都で暗殺されたのは33歳の時でした。下は、自由民権運動を主導した板垣退助の紹介文です。憲法配布、国会開設に大きな役割を果たしました。<br />

    イチオシ

    上が、明治維新の立役者の坂本龍馬の紹介文です。今年が生誕180年に当たっていました。薩長同盟に奔走し、土佐藩では大政奉還の建白に導きました。京都で暗殺されたのは33歳の時でした。下は、自由民権運動を主導した板垣退助の紹介文です。憲法配布、国会開設に大きな役割を果たしました。

  • 上が、坂本龍馬の姉で、良き理解者だった坂本乙女(1832〜1879年)の紹介文です。文武両道の女傑とされた姉に薫陶を受けた龍馬は、国事に奔走していた時にも励ましを受けたことが紹介されていました。下は、幕末の土佐陸援隊長の中岡慎太郎(1838〜1867年)の紹介文です。京都近江屋で坂本龍馬とともに刺客に襲われました。

    上が、坂本龍馬の姉で、良き理解者だった坂本乙女(1832〜1879年)の紹介文です。文武両道の女傑とされた姉に薫陶を受けた龍馬は、国事に奔走していた時にも励ましを受けたことが紹介されていました。下は、幕末の土佐陸援隊長の中岡慎太郎(1838〜1867年)の紹介文です。京都近江屋で坂本龍馬とともに刺客に襲われました。

  • 上が、世界的にも高名な植物分類学の第一人者の牧野富太郎(1862〜1957年)の紹介文です。独力で採取した植物は40万種と言われ、高知市には県立牧野植物園があります。下が、高知出身の最初の総理大臣、浜口雄幸(1870〜1931年)の紹介文です。昭和5年、右翼の凶弾に遭い、翌年亡くなりました。

    上が、世界的にも高名な植物分類学の第一人者の牧野富太郎(1862〜1957年)の紹介文です。独力で採取した植物は40万種と言われ、高知市には県立牧野植物園があります。下が、高知出身の最初の総理大臣、浜口雄幸(1870〜1931年)の紹介文です。昭和5年、右翼の凶弾に遭い、翌年亡くなりました。

  • 上が、大政奉還を第15代将軍に建白した山内容堂(1827〜1872年)の祖愉快文です。幕末の四賢候の一人に数えられています。下が、三菱財閥の創始者、岩崎弥太郎(1834〜1885年)の紹介文です。『東洋の海上王』とも称されました。

    上が、大政奉還を第15代将軍に建白した山内容堂(1827〜1872年)の祖愉快文です。幕末の四賢候の一人に数えられています。下が、三菱財閥の創始者、岩崎弥太郎(1834〜1885年)の紹介文です。『東洋の海上王』とも称されました。

  • 上が、生涯酒と旅を愛した文人、大町桂月(1869〜1925年)の紹介文です。雅号の桂月は、桂浜に因むものです。下が、高名な物理学者で随筆家の寺田虎彦(1878〜1935年)の紹介文です。『天災は忘れられた頃にやってくる』の警句は、今でも不朽の名言です。

    上が、生涯酒と旅を愛した文人、大町桂月(1869〜1925年)の紹介文です。雅号の桂月は、桂浜に因むものです。下が、高名な物理学者で随筆家の寺田虎彦(1878〜1935年)の紹介文です。『天災は忘れられた頃にやってくる』の警句は、今でも不朽の名言です。

  • この日の晩酌は、『ひろめ市場』にしました。高知城の見学を終え、東方向に歩きましたら、かなり近い距離でした。1998年10月18日にオープンした集合型の市場です。

    イチオシ

    この日の晩酌は、『ひろめ市場』にしました。高知城の見学を終え、東方向に歩きましたら、かなり近い距離でした。1998年10月18日にオープンした集合型の市場です。

  • 『ひろめ市場』の中の光景です。買い求めた飲み物や食べ物をお店共用のテーブルで戴くことができます。

    『ひろめ市場』の中の光景です。買い求めた飲み物や食べ物をお店共用のテーブルで戴くことができます。

  • 同じく、『ひろめ市場』の中の光景です。フレンドリーな雰囲気のフード・コートでしたから、ワインを飲みながら楽しい晩酌と会話を楽しむことができました。

    同じく、『ひろめ市場』の中の光景です。フレンドリーな雰囲気のフード・コートでしたから、ワインを飲みながら楽しい晩酌と会話を楽しむことができました。

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