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徳島での見学を終え、高知に向かいました。早めに高知市内のホテルにチェックインした後、ホテルの近くの高知城を見学しました。

2015春、四国周遊(5/26):3月29日(5):徳島から高知へ、高知のホテル、高知城

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2015/03/29 - 2015/03/31

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旅行記グループ 2015春、四国周遊

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旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

徳島での見学を終え、高知に向かいました。早めに高知市内のホテルにチェックインした後、ホテルの近くの高知城を見学しました。

交通手段
観光バス
  • 現在時刻は17時半頃です。高知での宿泊のホテルへの早めのチェックインでしたから、早速、高知城見学に出かけることにしました。

    現在時刻は17時半頃です。高知での宿泊のホテルへの早めのチェックインでしたから、早速、高知城見学に出かけることにしました。

  • 高知で泊まったホテルは、ザ・クラウン・パレス新阪急高知です。出かける前に、1階ロビーだけを撮影しておきました。本物の桜の花の飾りです。

    高知で泊まったホテルは、ザ・クラウン・パレス新阪急高知です。出かける前に、1階ロビーだけを撮影しておきました。本物の桜の花の飾りです。

  • 同じく、高知で泊まった、ザ・クラウン・パレス新阪急高知の1階ロビーの光景です。立地場所もよく、快適なホテルでした。

    同じく、高知で泊まった、ザ・クラウン・パレス新阪急高知の1階ロビーの光景です。立地場所もよく、快適なホテルでした。

  • 泊まったホテルから高知城までは、歩いて10分とはかからない至近距離でした。ホテルの近くの、見晴らしの良い南北の通りの先に見えていた、高知城の天守閣です。

    泊まったホテルから高知城までは、歩いて10分とはかからない至近距離でした。ホテルの近くの、見晴らしの良い南北の通りの先に見えていた、高知城の天守閣です。

  • 同じ場所から、カメラで少しズームアップした高知城の天守閣光景です。南面の天守の光景になります。このお城は、高知平野のほぼ中心に位置する、標高44.4メートルの大高坂山上に築かれた、梯郭式平山城です。

    同じ場所から、カメラで少しズームアップした高知城の天守閣光景です。南面の天守の光景になります。このお城は、高知平野のほぼ中心に位置する、標高44.4メートルの大高坂山上に築かれた、梯郭式平山城です。

  • 南北の通りを高知城方面に少し歩いて撮影した、天守閣の光景です。『鷹城』の呼び名を持ちます。現在見られる城は、江戸時代初期に土佐藩初代藩主の山内一豊によって着工され、2代忠義の時代に完成しました。

    南北の通りを高知城方面に少し歩いて撮影した、天守閣の光景です。『鷹城』の呼び名を持ちます。現在見られる城は、江戸時代初期に土佐藩初代藩主の山内一豊によって着工され、2代忠義の時代に完成しました。

  • 高知城のお堀光景です・お堀の内側に見える近代建築物は、高知県庁の庁舎です。県庁は高知公園のなかの敷地になりますが、城の周辺には、高知市役所、地方裁判所、地方検察庁などの行政機関や司法機関が立ち並び、高知県の行政の中心地となっています。

    高知城のお堀光景です・お堀の内側に見える近代建築物は、高知県庁の庁舎です。県庁は高知公園のなかの敷地になりますが、城の周辺には、高知市役所、地方裁判所、地方検察庁などの行政機関や司法機関が立ち並び、高知県の行政の中心地となっています。

  • お堀に沿って、東方面になる右手方向に歩きました。お堀に沿った松並木の光景です。形よく剪定されていました。

    お堀に沿って、東方面になる右手方向に歩きました。お堀に沿った松並木の光景です。形よく剪定されていました。

  • こちらは、お堀に沿って立ち並んでいた桃色の雪洞です。『龍馬生誕180年』の文字などがありました。坂本龍馬は、高知というより、日本で屈指の英雄の一人です。

    イチオシ

    こちらは、お堀に沿って立ち並んでいた桃色の雪洞です。『龍馬生誕180年』の文字などがありました。坂本龍馬は、高知というより、日本で屈指の英雄の一人です。

  • もう少しで、お堀の東南角に達します。その手前にあった、高知城への案内標識です。天守、御殿、追手門など15棟の建造物が現存し、国の重要文化財に指定されています。

    もう少しで、お堀の東南角に達します。その手前にあった、高知城への案内標識です。天守、御殿、追手門など15棟の建造物が現存し、国の重要文化財に指定されています。

  • お堀の東南角付近の光景です。ここからはお堀に沿って北側に歩きました。初代城主の山内一豊により、『河中山城(こうちやまじょう)』と名付けられましたが、『高智山城』と名を変えたのち、現在の城名となりました。

    お堀の東南角付近の光景です。ここからはお堀に沿って北側に歩きました。初代城主の山内一豊により、『河中山城(こうちやまじょう)』と名付けられましたが、『高智山城』と名を変えたのち、現在の城名となりました。

  • お堀で泳いでいた、雌雄のマガモさんです。手前で餌の藻を探しているのが雌、奥の方が雄です。

    お堀で泳いでいた、雌雄のマガモさんです。手前で餌の藻を探しているのが雌、奥の方が雄です。

  • お堀で泳いでいたのは、鳥さんだけではありませんでした。大きな鯉もいました。

    お堀で泳いでいたのは、鳥さんだけではありませんでした。大きな鯉もいました。

  • お堀に架かる橋を渡って、高知公園の中に入りました。現在のお城は高知県所有で、この公園の中で一般開放されています。

    お堀に架かる橋を渡って、高知公園の中に入りました。現在のお城は高知県所有で、この公園の中で一般開放されています。

  • 芽吹き始めた銀杏の木にとまっていた、番(つがい)らしい小鳥さん達です。

    芽吹き始めた銀杏の木にとまっていた、番(つがい)らしい小鳥さん達です。

  • 番(つがい)らしい小鳥さんの、片方の小鳥さんのアップ光景です。尻尾が短いのが特徴のムクドリさんのようでした。

    番(つがい)らしい小鳥さんの、片方の小鳥さんのアップ光景です。尻尾が短いのが特徴のムクドリさんのようでした。

  • 高知公園の中にあった説明プレートです。この付近で出土した遺物の説明でした。ふいごの一部分や瓦、玩具や皿などの焼物です。

    高知公園の中にあった説明プレートです。この付近で出土した遺物の説明でした。ふいごの一部分や瓦、玩具や皿などの焼物です。

  • 追手門とその周りの光景です。追手とは城の裏側(高知城では北門と西門)から兵を出し、敵を正面に追い込むことを意味します。この追手が大手に転化したとも言われます。

    イチオシ

    追手門とその周りの光景です。追手とは城の裏側(高知城では北門と西門)から兵を出し、敵を正面に追い込むことを意味します。この追手が大手に転化したとも言われます。

  • 追手門のアップ光景です。山内一豊の築いた時は大門と称していましたが、1663年(寛文2年)年に崩壊し、翌年に再建された後、追手門と呼ばれるようになりました。天守方面に急ぎましたので、門の部分は、後ほど紹介します。

    追手門のアップ光景です。山内一豊の築いた時は大門と称していましたが、1663年(寛文2年)年に崩壊し、翌年に再建された後、追手門と呼ばれるようになりました。天守方面に急ぎましたので、門の部分は、後ほど紹介します。

  • 『石樋(いしどい)』の説明プレートです。雨のの多い高知県での工夫と説明されていました。長く突き出た石樋から流れ出す雨水を、地上の水受けの敷石で受け止める仕組みです。

    『石樋(いしどい)』の説明プレートです。雨のの多い高知県での工夫と説明されていました。長く突き出た石樋から流れ出す雨水を、地上の水受けの敷石で受け止める仕組みです。

  • 石垣の途中から突き出た、石樋の光景です。所々の石垣で目にしました。現在16カ所で確認されているようです。その中でも、最も大きな石樋です。

    石垣の途中から突き出た、石樋の光景です。所々の石垣で目にしました。現在16カ所で確認されているようです。その中でも、最も大きな石樋です。

  • 天守閣を見上げる位置までやって来ました。平成18年(2006年)4月6日、日本100名城(84番)に選定されました。

    天守閣を見上げる位置までやって来ました。平成18年(2006年)4月6日、日本100名城(84番)に選定されました。

  • 初代城主の山内一豊以上に有名なのが、その妻の千代です。結婚の時に持参した10両を一豊に渡し、そのお金で立派な馬を用意し、馬揃えに臨んだことが織田信長の目に留まり、出世のきっかけとなった逸話が有名です。

    初代城主の山内一豊以上に有名なのが、その妻の千代です。結婚の時に持参した10両を一豊に渡し、そのお金で立派な馬を用意し、馬揃えに臨んだことが織田信長の目に留まり、出世のきっかけとなった逸話が有名です。

  • 『山内一豊の妻の銅像』のタイトルがあった説明看板です。通称の『千代』の呼び名を裏付ける資料はなく、通説の近江の浅井氏の家臣の若宮友興の娘ではなく、美濃の八幡城主の遠藤氏の娘の説も紹介されていました。手芸や分泌にも優れた賢夫人とも紹介されていました。

    『山内一豊の妻の銅像』のタイトルがあった説明看板です。通称の『千代』の呼び名を裏付ける資料はなく、通説の近江の浅井氏の家臣の若宮友興の娘ではなく、美濃の八幡城主の遠藤氏の娘の説も紹介されていました。手芸や分泌にも優れた賢夫人とも紹介されていました。

  • 高知城の現在の平面図です。現在位置は右端の中辺りに記されています。主な施設と施設跡は、本丸(懐徳館)、天守、三の丸、西の丸址などです。

    高知城の現在の平面図です。現在位置は右端の中辺りに記されています。主な施設と施設跡は、本丸(懐徳館)、天守、三の丸、西の丸址などです。

  • 石垣の下から見上げた天守閣の光景です。15の国の重要文化財の内の一つです。ほかの重要文化財は本丸(懐徳館)、納戸蔵のほか、門や塀などです。

    石垣の下から見上げた天守閣の光景です。15の国の重要文化財の内の一つです。ほかの重要文化財は本丸(懐徳館)、納戸蔵のほか、門や塀などです。

  • 三の丸石垣の光景です。かつて、長宗我部氏が築城を断念した大高坂山の地は、湿原が広がるデルタ地帯でした。新城を築くことに力を発揮したのが、一豊と同郷の近江の出身で、石垣技術に優れた近江穴太(あのう)衆を配下に持つ、百々氏でした。織田秀信の家老だった百々氏は、関ヶ原の合戦での罪人とされ、京都で蟄居処分となっていました。一豊が赦免と雇用を徳川家康に嘆願し、これが認められた結果、実現しました。

    三の丸石垣の光景です。かつて、長宗我部氏が築城を断念した大高坂山の地は、湿原が広がるデルタ地帯でした。新城を築くことに力を発揮したのが、一豊と同郷の近江の出身で、石垣技術に優れた近江穴太(あのう)衆を配下に持つ、百々氏でした。織田秀信の家老だった百々氏は、関ヶ原の合戦での罪人とされ、京都で蟄居処分となっていました。一豊が赦免と雇用を徳川家康に嘆願し、これが認められた結果、実現しました。

  • 同じく、三の丸石垣のコーナー部分の光景です。一豊は、6千石で召し抱えた百々氏を総奉行に任じ、築城と城下町整備の全権を委ねました。百々氏は、大工頭、鍛冶頭、築壁造頭らを率いて、大高坂山に本丸の造営と、城下町の整備のために鏡川、江の口川など川の治水工事に着手しました。難工事だった三の丸は、慶長16年(1611年)に竣工し、高知城の縄張りが全て完成しました。

    同じく、三の丸石垣のコーナー部分の光景です。一豊は、6千石で召し抱えた百々氏を総奉行に任じ、築城と城下町整備の全権を委ねました。百々氏は、大工頭、鍛冶頭、築壁造頭らを率いて、大高坂山に本丸の造営と、城下町の整備のために鏡川、江の口川など川の治水工事に着手しました。難工事だった三の丸は、慶長16年(1611年)に竣工し、高知城の縄張りが全て完成しました。

  • 『三の丸石垣』のタイトルがあった説明看板です。慶長6年(1601年)の築城開始から10年を要して完成した、高さ約13メートルの石垣です。安土城の築城で、穴太衆(あのうしゅう)によって始められた野面積みで構築されました。穴太衆は、近江の比叡山山麓にある穴太ノ里の出身者で、古墳築造などを行っていた石工の末裔との説もあります。安土城の石垣を施工したことで、織田信長や豊臣秀吉にその技術を認められました。

    『三の丸石垣』のタイトルがあった説明看板です。慶長6年(1601年)の築城開始から10年を要して完成した、高さ約13メートルの石垣です。安土城の築城で、穴太衆(あのうしゅう)によって始められた野面積みで構築されました。穴太衆は、近江の比叡山山麓にある穴太ノ里の出身者で、古墳築造などを行っていた石工の末裔との説もあります。安土城の石垣を施工したことで、織田信長や豊臣秀吉にその技術を認められました。

  • 三分咲を超えて、五分咲に近づいていたソメイヨシノと雪洞の光景です。雪洞に明かりが灯るもの、あと少しの時間のようです。

    イチオシ

    三分咲を超えて、五分咲に近づいていたソメイヨシノと雪洞の光景です。雪洞に明かりが灯るもの、あと少しの時間のようです。

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