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四国の名城、松山城紹介の続きです。姫路城と同じく連立式の天守を持ち、日本三大連立式平山城の一つにも数えられます。その渡櫓を巡りながら見学できました。

2015春、四国周遊(19/26):3月31日(3):愛媛、松山城、連立式天守、武具類展示品

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2015/03/29 - 2015/03/31

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旅行記グループ 2015春、四国周遊

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旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

四国の名城、松山城紹介の続きです。姫路城と同じく連立式の天守を持ち、日本三大連立式平山城の一つにも数えられます。その渡櫓を巡りながら見学できました。

交通手段
観光バス

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  • 漆喰の白壁が美しい、小天守の建物光景です。上階の跳ね上げ式の扉が開け放たれていました。創建された慶長年間には、『着見櫓』と呼ばれていました。天明4年(1784年)と昭和8年(1933年)に、二度に亘って焼失しています。

    漆喰の白壁が美しい、小天守の建物光景です。上階の跳ね上げ式の扉が開け放たれていました。創建された慶長年間には、『着見櫓』と呼ばれていました。天明4年(1784年)と昭和8年(1933年)に、二度に亘って焼失しています。

  • 仕切門内塀の鉄砲狭間から眺めた光景だったようです。仕切門から北、次いで西に伸び、更に南に折れ曲がって玄関多聞櫓に達する渡塀です。

    仕切門内塀の鉄砲狭間から眺めた光景だったようです。仕切門から北、次いで西に伸び、更に南に折れ曲がって玄関多聞櫓に達する渡塀です。

  • 屋根に隠れて、望楼は見えませんが、三重の屋根がありますから大天守です。右下に見えるのは、『筋鉄門(すじがねもん)』です。

    屋根に隠れて、望楼は見えませんが、三重の屋根がありますから大天守です。右下に見えるのは、『筋鉄門(すじがねもん)』です。

  • 『筋鉄門(すじがねもん)』の説明立札です。脇戸付の櫓門で、門の柱に鉄板が貼ってあることからの命名と説明されていました。現在の門は、昭和43年(1968年)に復元されたものです。大天守と小天守の通路となり、三ノ門を防衛する目的を持ちます。

    『筋鉄門(すじがねもん)』の説明立札です。脇戸付の櫓門で、門の柱に鉄板が貼ってあることからの命名と説明されていました。現在の門は、昭和43年(1968年)に復元されたものです。大天守と小天守の通路となり、三ノ門を防衛する目的を持ちます。

  • 『小天守閣』の説明立札です。天守閣(大天守)に次いで重要な、二艘二階の櫓で、大手、搦手を防衛する絶好の場所に位置しています。純白の外壁が、天守閣(大天守)黒塗りの板壁手対比して美しい建物です。現在の建物は、昭和43年(1968年)に再建されたものです。

    『小天守閣』の説明立札です。天守閣(大天守)に次いで重要な、二艘二階の櫓で、大手、搦手を防衛する絶好の場所に位置しています。純白の外壁が、天守閣(大天守)黒塗りの板壁手対比して美しい建物です。現在の建物は、昭和43年(1968年)に再建されたものです。

  • 『松山城・本壇配置図』のタイトルがあった説明パネルです。重要文化財の天守を主体に解説されていました。全高は、天守広場から20メートル、石垣は打込ハギで、高さ4.1メートル、石垣で囲まれた空間が、地下階となっています。

    『松山城・本壇配置図』のタイトルがあった説明パネルです。重要文化財の天守を主体に解説されていました。全高は、天守広場から20メートル、石垣は打込ハギで、高さ4.1メートル、石垣で囲まれた空間が、地下階となっています。

  • 横から眺めた、玄関多聞の光景です。内部が見えるよう戸は開いていましたが、ここからの入場は禁止されていました。現在の建物は、昭和43年(1968年)に再建されたものです。

    横から眺めた、玄関多聞の光景です。内部が見えるよう戸は開いていましたが、ここからの入場は禁止されていました。現在の建物は、昭和43年(1968年)に再建されたものです。

  • 開け放たれた玄関多聞の光景です。こちら側からの入場はできませんが、右手方面から入場して、前方に見える廊下を左手方向に進みました。

    開け放たれた玄関多聞の光景です。こちら側からの入場はできませんが、右手方面から入場して、前方に見える廊下を左手方向に進みました。

  • 『玄関多聞』の説明立札です。玄関を上った所で、内門櫓を経て天守閣に通じる仕切門、内門、北隅櫓を防衛する役割が解説されていました。昭和43年(1968年)に再建された建物です。

    『玄関多聞』の説明立札です。玄関を上った所で、内門櫓を経て天守閣に通じる仕切門、内門、北隅櫓を防衛する役割が解説されていました。昭和43年(1968年)に再建された建物です。

  • 北隅櫓の説明立札です。本壇の西北隅に位置し、乾門・野原櫓および、北部方面を防衛する二十櫓と解説してありました。現在の建物は、昭和43年(1968年)に再建されたものです。

    北隅櫓の説明立札です。本壇の西北隅に位置し、乾門・野原櫓および、北部方面を防衛する二十櫓と解説してありました。現在の建物は、昭和43年(1968年)に再建されたものです。

  • 連立式天守の中庭のような場所の光景です。四隅には大天守、小天守、北隅櫓と南隅櫓が位置し、その間を渡櫓で繋いだ構造です。左の建物が小天守、右の建物が南隅櫓です。

    連立式天守の中庭のような場所の光景です。四隅には大天守、小天守、北隅櫓と南隅櫓が位置し、その間を渡櫓で繋いだ構造です。左の建物が小天守、右の建物が南隅櫓です。

  • 『重要文化財・穀倉』の説明立札です。天守閣の地下1階に当たり、俗に『米蔵』と呼ばれることが紹介されていました。現在は天守閣の入口に使用されています。防腐力の強い楠材を使用し、床に素焼きの煉瓦を敷き詰めて防湿対策を施していることなどが解説されていました。約2千俵のコメが収蔵できたようです。

    『重要文化財・穀倉』の説明立札です。天守閣の地下1階に当たり、俗に『米蔵』と呼ばれることが紹介されていました。現在は天守閣の入口に使用されています。防腐力の強い楠材を使用し、床に素焼きの煉瓦を敷き詰めて防湿対策を施していることなどが解説されていました。約2千俵のコメが収蔵できたようです。

  • 『重要文化財・天守閣』の説明立札です。慶長年間に、初代城主の加藤嘉明が松山城核を築いた時には、五層の天守閣であったことなどが解説されていました。現在の天守は、安政元年(1854年)に復興された建物であることも解説されていました。

    『重要文化財・天守閣』の説明立札です。慶長年間に、初代城主の加藤嘉明が松山城核を築いた時には、五層の天守閣であったことなどが解説されていました。現在の天守は、安政元年(1854年)に復興された建物であることも解説されていました。

  • 天守の玄関光景です。ここで履き替えて入場しました。室内から天守の石組が見られる場所でした。左手に松山城・記念メダル発売所がありました。素焼きの煉瓦を敷き詰めて防湿対策を施している床です。

    イチオシ

    天守の玄関光景です。ここで履き替えて入場しました。室内から天守の石組が見られる場所でした。左手に松山城・記念メダル発売所がありました。素焼きの煉瓦を敷き詰めて防湿対策を施している床です。

  • 天守の玄関付近の木組みの光景です。防虫効果がある楠材を使用し、湿度にも強い構成となっています。楠は、古代から仏像や船の材料に使われてきました。

    天守の玄関付近の木組みの光景です。防虫効果がある楠材を使用し、湿度にも強い構成となっています。楠は、古代から仏像や船の材料に使われてきました。

  • 天守に入場した後に眺めた眼下の城内光景です。跳ね上げ式の木窓が開けてありました。左手に見える出入口は、内門のようです。

    天守に入場した後に眺めた眼下の城内光景です。跳ね上げ式の木窓が開けてありました。左手に見える出入口は、内門のようです。

  • 『玄関多聞』の表示立札です。玄関多聞の外側からのぞいた時に見えていた立札です。この前を通って左手方面に進みました。

    『玄関多聞』の表示立札です。玄関多聞の外側からのぞいた時に見えていた立札です。この前を通って左手方面に進みました。

  • ここからは、城内に展示してあった武具類の紹介です。<br />『鉄赤漆塗連山桶側胴具足』<br /><br />久松松平氏の初代、松平定行公着用と伝えられる、実戦向きの鎧です。

    ここからは、城内に展示してあった武具類の紹介です。
    『鉄赤漆塗連山桶側胴具足』

    久松松平氏の初代、松平定行公着用と伝えられる、実戦向きの鎧です。

  • 『絹地左三巴紋陣旗』<br /><br />作成年代不明の蒲生家の家紋である左三巴です。巴は水の渦巻く様を図案化したものです。蒲生敬は寛永4年(1627年)に、蒲生忠知が24万石移封され、7年間城主でしたが、後継ぎがなく断絶しました。

    『絹地左三巴紋陣旗』

    作成年代不明の蒲生家の家紋である左三巴です。巴は水の渦巻く様を図案化したものです。蒲生敬は寛永4年(1627年)に、蒲生忠知が24万石移封され、7年間城主でしたが、後継ぎがなく断絶しました。

  • 『寛永12年松山城下街絵図』<br /><br />寛永12年(1635年)、松平定行雅伊予松山15万石に入封の時の、家臣の屋敷割を示した城下町図です。

    『寛永12年松山城下街絵図』

    寛永12年(1635年)、松平定行雅伊予松山15万石に入封の時の、家臣の屋敷割を示した城下町図です。

  • 『角頭巾形鳥尾飾兜』<br />『漆塗仏胴六間草摺素懸威鎧』<br /><br />初代城主の加藤嘉明着用と伝わる甲冑です。臑当は後世のものとされます。

    『角頭巾形鳥尾飾兜』
    『漆塗仏胴六間草摺素懸威鎧』

    初代城主の加藤嘉明着用と伝わる甲冑です。臑当は後世のものとされます。

  • 『角頭巾形鳥尾飾兜』のアップ光景です。頭部が左右に平らになった、頭巾形の兜の左右に、束ねた鳥の羽根飾りがあります。

    イチオシ

    『角頭巾形鳥尾飾兜』のアップ光景です。頭部が左右に平らになった、頭巾形の兜の左右に、束ねた鳥の羽根飾りがあります。

  • 『加藤嘉明沙汰状』<br /><br />築城中の慶長9年(1604年)8月29日、加藤嘉明が家臣の束本氏に宛てた、丸、平、巴、唐草などの9080枚の瓦の注文と、同年12月29日、小谷の蔵に入れた瓦1323枚の請取書です。

    『加藤嘉明沙汰状』

    築城中の慶長9年(1604年)8月29日、加藤嘉明が家臣の束本氏に宛てた、丸、平、巴、唐草などの9080枚の瓦の注文と、同年12月29日、小谷の蔵に入れた瓦1323枚の請取書です。

  • 整然とした、天守城内の木組みの光景です。天井板がありませんので、屋根裏の隅々までが見学できます。

    整然とした、天守城内の木組みの光景です。天井板がありませんので、屋根裏の隅々までが見学できます。

  • 室内の低い場所に設けられた鉄砲狭間のような窓の光景です。人が二人腹ばいになって射撃できるような造りでした。

    室内の低い場所に設けられた鉄砲狭間のような窓の光景です。人が二人腹ばいになって射撃できるような造りでした。

  • まだ天守の最上階ではなかったようです。その中間階から眺めた城内と、松山市街の光景です。右手に見えるのが重要文化財の乾櫓、左手前が乾門と乾門東続櫓です。こちらは再建された建物です。

    イチオシ

    まだ天守の最上階ではなかったようです。その中間階から眺めた城内と、松山市街の光景です。右手に見えるのが重要文化財の乾櫓、左手前が乾門と乾門東続櫓です。こちらは再建された建物です。

  • 同じく、天守の中間階から眺めた城内光景です。野原櫓当たりの建物のようです。野原櫓ですと、天守の西北側に位置します。騎馬櫓とも呼ばれ、四国に現存する最も古い重要文化財の櫓です。

    同じく、天守の中間階から眺めた城内光景です。野原櫓当たりの建物のようです。野原櫓ですと、天守の西北側に位置します。騎馬櫓とも呼ばれ、四国に現存する最も古い重要文化財の櫓です。

  • 渡櫓から眺めた城内光景だったようです。眼下に見える門は、鉄筋門(くろがねもん)の内側のようです。大天守と小天守を繋ぐ場所にある門です。

    渡櫓から眺めた城内光景だったようです。眼下に見える門は、鉄筋門(くろがねもん)の内側のようです。大天守と小天守を繋ぐ場所にある門です。

  • 中央付近に見えるのは鉄筋門(くろがねもん)の内側、その左が望楼を持つ大天守、右側が小天守です。十間廊下か、南隅櫓からの撮影だったようです。大天守、小天守、南聞櫓と、北隅櫓が、渡櫓で繋がった連立式天守であることが十分に実感できました。

    中央付近に見えるのは鉄筋門(くろがねもん)の内側、その左が望楼を持つ大天守、右側が小天守です。十間廊下か、南隅櫓からの撮影だったようです。大天守、小天守、南聞櫓と、北隅櫓が、渡櫓で繋がった連立式天守であることが十分に実感できました。

  • 北隅櫓か、南隅櫓とを結ぶ渡櫓辺りからの撮影だったようです。松山城の外郭と松山市街の光景です。石垣から少し控えた場所にある、鉄砲狭間や弓狭間を持った塀が見えていました。右上に見える縦藻は、天神櫓のようです。

    北隅櫓か、南隅櫓とを結ぶ渡櫓辺りからの撮影だったようです。松山城の外郭と松山市街の光景です。石垣から少し控えた場所にある、鉄砲狭間や弓狭間を持った塀が見えていました。右上に見える縦藻は、天神櫓のようです。

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