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四国愛媛の名城、松山城紹介の続きです。重要文化財に指定された21棟の現存建造物のほか、連立式天守群の小天守をはじめとする、塀を含む30棟が木造で復元されています。

2015春、四国周遊(21/26):3月31日(5):松山城、武具類展示品、小天守、大天守

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2015/03/29 - 2015/03/31

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旅人のくまさん

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四国愛媛の名城、松山城紹介の続きです。重要文化財に指定された21棟の現存建造物のほか、連立式天守群の小天守をはじめとする、塀を含む30棟が木造で復元されています。

交通手段
観光バス

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  • 木組み模型の紹介の続きです。<br /><br />『鯱ホゾ差(しゃちほぞさし)』<br /><br />さお継とも呼ばれ、一方の材に突起部を作り、継合わす他の材に八の字のミゾを作って、これに差し込み、堅木などで造った栓を両者の間に打ち込んで締め付けるしめ方です。胴ざしに使用されます。

    木組み模型の紹介の続きです。

    『鯱ホゾ差(しゃちほぞさし)』

    さお継とも呼ばれ、一方の材に突起部を作り、継合わす他の材に八の字のミゾを作って、これに差し込み、堅木などで造った栓を両者の間に打ち込んで締め付けるしめ方です。胴ざしに使用されます。

  • 『重ホゾ(かさねほぞ)』<br /><br />大小二段に重ねられたほぞで、折置組の桁と梁を貫く柱の先端などに使われます。『折置組』とは、柱が小屋梁を直接受け、その上に軒桁を置く、渡りあごで組まれた形式とされます。

    『重ホゾ(かさねほぞ)』

    大小二段に重ねられたほぞで、折置組の桁と梁を貫く柱の先端などに使われます。『折置組』とは、柱が小屋梁を直接受け、その上に軒桁を置く、渡りあごで組まれた形式とされます。

  • 『渡り顎(わたりあご)』<br /><br />横梁材に他の材を直角に乗せる際、上下の下顎を溝型に欠き、それに見合って下木上端の両側面を欠いて、組み合わせることを指します。梁と胴差し、梁と軒桁などの仕口として用いる、木の接合方法です。

    『渡り顎(わたりあご)』

    横梁材に他の材を直角に乗せる際、上下の下顎を溝型に欠き、それに見合って下木上端の両側面を欠いて、組み合わせることを指します。梁と胴差し、梁と軒桁などの仕口として用いる、木の接合方法です。

  • 各種の展示物が置いてあった、天守内の光景です。修復されたらしい新しい木材を使った狭間などがありました。

    各種の展示物が置いてあった、天守内の光景です。修復されたらしい新しい木材を使った狭間などがありました。

  • 同じく、各種の展示物が置いてあった、天守内の光景です。中央部分が高くなっていますから、最上階の屋根裏のようです。

    同じく、各種の展示物が置いてあった、天守内の光景です。中央部分が高くなっていますから、最上階の屋根裏のようです。

  • 壁面に設けてあった、跳ね上げ式の窓の光景です。飛行機がない窓から上を見る必要がなかった時代の施設ですから、想像ですが、雨に強い窓の構造が取り入れられたのかも知れません。

    壁面に設けてあった、跳ね上げ式の窓の光景です。飛行機がない窓から上を見る必要がなかった時代の施設ですから、想像ですが、雨に強い窓の構造が取り入れられたのかも知れません。

  • 小天守から眺めた、松山市街の光景です。二の丸史蹟庭園がある方角のようですが、庭園は見えませんでした。

    小天守から眺めた、松山市街の光景です。二の丸史蹟庭園がある方角のようですが、庭園は見えませんでした。

  • 南側方面になる、小天守から見下ろした本丸方面の光景です。通路に沿って満開が近づいた桜並木が見えました。

    イチオシ

    南側方面になる、小天守から見下ろした本丸方面の光景です。通路に沿って満開が近づいた桜並木が見えました。

  • 小天守から見下ろした東方面の光景です。手前に『一ノ門』、右に『一ノ門南櫓』、左に『三ノ門南櫓』と、奥に『二ノ門南櫓』です。いずれも国の重要文化財です。

    イチオシ

    小天守から見下ろした東方面の光景です。手前に『一ノ門』、右に『一ノ門南櫓』、左に『三ノ門南櫓』と、奥に『二ノ門南櫓』です。いずれも国の重要文化財です。

  • 中央やや右寄りに見えるのが『鉄筋門(くろがねもん)』、左端に傾斜のある屋根を持つ門が『玄関多聞』です。

    中央やや右寄りに見えるのが『鉄筋門(くろがねもん)』、左端に傾斜のある屋根を持つ門が『玄関多聞』です。

  • 『松山城の上棟式に使用された弓矢』のタイトルがあった展示です。上棟式は、棟木を棟に上げる際、建物の守護神や工匠の神に工事進捗の感謝と籠を祈願する祭祀とされます。弓矢は子規具の一つで、不詳を払い、除くものとされます。

    『松山城の上棟式に使用された弓矢』のタイトルがあった展示です。上棟式は、棟木を棟に上げる際、建物の守護神や工匠の神に工事進捗の感謝と籠を祈願する祭祀とされます。弓矢は子規具の一つで、不詳を払い、除くものとされます。

  • 城内のあちらこちらで目にした、鉄砲狭間の光景です。説明プレートは、狭間全般についての解説でした。

    城内のあちらこちらで目にした、鉄砲狭間の光景です。説明プレートは、狭間全般についての解説でした。

  • 全国に12残された天守の内の一つですから、城内にある階段は急勾配でした。急勾配の階段は、伝統的な城郭の証しともいうべきものかもしれません。

    全国に12残された天守の内の一つですから、城内にある階段は急勾配でした。急勾配の階段は、伝統的な城郭の証しともいうべきものかもしれません。

  • 『いざ、出陣じゃ!』の文字があった、甲冑の試着体験コーナーです。臑当から始まって、兜の装着までの7段階の手順が示されていました。

    『いざ、出陣じゃ!』の文字があった、甲冑の試着体験コーナーです。臑当から始まって、兜の装着までの7段階の手順が示されていました。

  • 試着用の甲冑類です。素材を現代の物に変えて、軽量に作った甲冑かも知れませんが、手順よくすべてを身に着けるのは、なかなか大変そうです。

    試着用の甲冑類です。素材を現代の物に変えて、軽量に作った甲冑かも知れませんが、手順よくすべてを身に着けるのは、なかなか大変そうです。

  • 『十八間筋兜』<br />『五段桶側胴具足』<br />(江戸時代初期)<br /><br />浦屋薫氏寄贈品です。浦谷薫氏(1931〜2007年)は、松山坊ちゃん会会長、一遍会代表、松山子規会副会長を務めた方で、号は南風、南光です。

    『十八間筋兜』
    『五段桶側胴具足』
    (江戸時代初期)

    浦屋薫氏寄贈品です。浦谷薫氏(1931〜2007年)は、松山坊ちゃん会会長、一遍会代表、松山子規会副会長を務めた方で、号は南風、南光です。

  • 『旗さしもの(紺)』<br />(江戸時代後期)<br /><br />寄贈者の浦屋薫氏の祖先の『浦屋寛制』の名札が縫い付けてありました。松山藩士、浦屋寛親の長男で、浦屋雲林(1840〜1898年)、名は寛制、通称藤蔵、雲林はその号です。松山藩に仕え、大小姓、祐筆役などを務め、維新後は私塾桃源黌を開いて子弟の教育に当たった人です。漢詩文に巧みで、正岡子規もこの人に詩作を学んだとされます。

    『旗さしもの(紺)』
    (江戸時代後期)

    寄贈者の浦屋薫氏の祖先の『浦屋寛制』の名札が縫い付けてありました。松山藩士、浦屋寛親の長男で、浦屋雲林(1840〜1898年)、名は寛制、通称藤蔵、雲林はその号です。松山藩に仕え、大小姓、祐筆役などを務め、維新後は私塾桃源黌を開いて子弟の教育に当たった人です。漢詩文に巧みで、正岡子規もこの人に詩作を学んだとされます。

  • 『鎖帷子(くさりかたびら)』<br />(江戸時代初期)<br /><br />帷子は肌着として使われる麻製の単衣のことです。鎖製の帷子として防具にしたものが、鎖帷子です。浦屋薫氏寄贈品です。

    『鎖帷子(くさりかたびら)』
    (江戸時代初期)

    帷子は肌着として使われる麻製の単衣のことです。鎖製の帷子として防具にしたものが、鎖帷子です。浦屋薫氏寄贈品です。

  • 『陣笠』<br />(江戸時代)<br /><br />丸に違い矢筈紋がありました。 矢筈十字紋は清和源氏頼光流の勢氏の代表家紋です。浦屋薫氏寄贈品です。

    『陣笠』
    (江戸時代)

    丸に違い矢筈紋がありました。 矢筈十字紋は清和源氏頼光流の勢氏の代表家紋です。浦屋薫氏寄贈品です。

  • 『刀箪笥』<br />(江戸時代中期)<br /><br />引き出しの中に、刀を支える間仕切りのようなものがセットされた箪笥です。浦屋薫氏寄贈品です。

    『刀箪笥』
    (江戸時代中期)

    引き出しの中に、刀を支える間仕切りのようなものがセットされた箪笥です。浦屋薫氏寄贈品です。

  • 『刀(無銘)』<br />『脇差(銘:播磨守輝廣)』<br />(江戸時代初期)<br /><br />浦屋薫氏寄贈の大小拵です。

    『刀(無銘)』
    『脇差(銘:播磨守輝廣)』
    (江戸時代初期)

    浦屋薫氏寄贈の大小拵です。

  • 武具類の展示状況です。左奥の棚には、紹介した浦屋薫氏寄贈の品々が見えました。写真紹介できなかった品がほとんどです。

    イチオシ

    武具類の展示状況です。左奥の棚には、紹介した浦屋薫氏寄贈の品々が見えました。写真紹介できなかった品がほとんどです。

  • 展示物の見学を終えて、次の場所に移動する時に通った廊下の光景です。渡櫓の内部だったかも知れません。

    展示物の見学を終えて、次の場所に移動する時に通った廊下の光景です。渡櫓の内部だったかも知れません。

  • 五葉松でしょうか、中庭のような場所にあった庭木です。水はけを良くするためか、小高くした場所に植込んでありました。

    五葉松でしょうか、中庭のような場所にあった庭木です。水はけを良くするためか、小高くした場所に植込んでありました。

  • これで松山城の見学はおしまいです。振り返って眺めた、城郭の光景です。中央奥に見えるのは、小天守のようです。大天守との見分けはすぐにつきますが、隅櫓とは見分けが付き難いようです。方角によっては、隅櫓には角に小さな望楼がありますから、見分けが付きます。

    これで松山城の見学はおしまいです。振り返って眺めた、城郭の光景です。中央奥に見えるのは、小天守のようです。大天守との見分けはすぐにつきますが、隅櫓とは見分けが付き難いようです。方角によっては、隅櫓には角に小さな望楼がありますから、見分けが付きます。

  • 南側から見上げた大天守の光景だったようです。望楼が見えますので、大天守であることは間違いないですが、方角は自信がありません。南側の光景とすれば、その手前に見えるのは筋鉄聞東塀です。

    南側から見上げた大天守の光景だったようです。望楼が見えますので、大天守であることは間違いないですが、方角は自信がありません。南側の光景とすれば、その手前に見えるのは筋鉄聞東塀です。

  • 小天守の西側になる左側に位置する南隅櫓だったようです。石落しの上に小さな屋根がありますので、、三階建てと見紛う光景です。

    小天守の西側になる左側に位置する南隅櫓だったようです。石落しの上に小さな屋根がありますので、、三階建てと見紛う光景です。

  • 左手に見える塀は、紫竹門東塀のようです。右側の一番手前の石垣は、一ノ門南櫓の石垣のようです。

    左手に見える塀は、紫竹門東塀のようです。右側の一番手前の石垣は、一ノ門南櫓の石垣のようです。

  • 本壇の入口付近にあった、切符売り場の光景です。オプショナルツアーでの見学でしたから、現地ガイドさんが纏めて入手してくれました。その左が小天守、更に左が南隅櫓のようです。

    本壇の入口付近にあった、切符売り場の光景です。オプショナルツアーでの見学でしたから、現地ガイドさんが纏めて入手してくれました。その左が小天守、更に左が南隅櫓のようです。

  • 切符売り場の近くにいた、松山城のマスコット・キャラクターの『よしあきくん』です。甲冑姿の人形のモデルは、初代城主の加藤嘉明公(1563〜1631年)です。加藤清正や福島正則らと共に、賤ヶ岳七本槍の一人として名を馳せた武将です。

    切符売り場の近くにいた、松山城のマスコット・キャラクターの『よしあきくん』です。甲冑姿の人形のモデルは、初代城主の加藤嘉明公(1563〜1631年)です。加藤清正や福島正則らと共に、賤ヶ岳七本槍の一人として名を馳せた武将です。

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