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祖谷渓のかずら橋と琵琶の滝の紹介です。琵琶の滝は、その昔、平家落人が京の都を偲んで琵琶を奏で、徒然を慰めあったとの伝説が残る滝です。

2015春、四国周遊(4/26):3月29日(4):徳島、祖谷(いや)渓、かずら橋、琵琶の滝

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2015/03/29 - 2015/03/31

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旅人のくまさん

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祖谷渓のかずら橋と琵琶の滝の紹介です。琵琶の滝は、その昔、平家落人が京の都を偲んで琵琶を奏で、徒然を慰めあったとの伝説が残る滝です。

交通手段
観光バス

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  • 振り返って眺めたかずら橋の光景です。次に向かったのは琵琶の滝です。歩いて数分の距離の、すぐ近くでした。

    振り返って眺めたかずら橋の光景です。次に向かったのは琵琶の滝です。歩いて数分の距離の、すぐ近くでした。

  • 琵琶の滝に到着しました。直角に切り立った崖を流れ落ちる滝の光景です。轟音を立てる水量でないのが、琵琶の滝の名前に相応しいように見えました。

    琵琶の滝に到着しました。直角に切り立った崖を流れ落ちる滝の光景です。轟音を立てる水量でないのが、琵琶の滝の名前に相応しいように見えました。

  • 琵琶の滝と、滝の近くの杉の大木の光景です。滝の落差は50メートルとされます。

    琵琶の滝と、滝の近くの杉の大木の光景です。滝の落差は50メートルとされます。

  • 滝壷の光景です。若い頃に読んだ本で、もう一度読み直したいと考えている本に、吉川英治さんの『新平家物語』があります。平家物語の冒頭、『祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす おごれる人も久しからず ただ春の世の夢のごとし たけき者もついには滅びぬ ひとえに風の前の塵に同じ』は、今でも時々口ずさむことがあります。その伝承の地の一つです。

    滝壷の光景です。若い頃に読んだ本で、もう一度読み直したいと考えている本に、吉川英治さんの『新平家物語』があります。平家物語の冒頭、『祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす おごれる人も久しからず ただ春の世の夢のごとし たけき者もついには滅びぬ ひとえに風の前の塵に同じ』は、今でも時々口ずさむことがあります。その伝承の地の一つです。

  • 滝壷から流れ出した水が、祖谷川に向かって下る光景です。人工的に整備されたらしい、なだらかな石垣のような水路でした。

    滝壷から流れ出した水が、祖谷川に向かって下る光景です。人工的に整備されたらしい、なだらかな石垣のような水路でした。

  • 三好市役所観光課の名前があった、『東祖谷観光マップ』です。右端の方の名頃ダムの上流側に、二重かずら橋が記されていました。

    三好市役所観光課の名前があった、『東祖谷観光マップ』です。右端の方の名頃ダムの上流側に、二重かずら橋が記されていました。

  • 同じく、三好市役所観光課の名前があった、『大歩危・西祖谷観光マップ』です。こちらの右下方面に、今回見学した祖谷のかずら橋と琵琶の滝が記されていました。

    同じく、三好市役所観光課の名前があった、『大歩危・西祖谷観光マップ』です。こちらの右下方面に、今回見学した祖谷のかずら橋と琵琶の滝が記されていました。

  • 琵琶の滝のアップ光景です。中間付近です。

    琵琶の滝のアップ光景です。中間付近です。

  • 琵琶の滝のアップ光景です。滝壷付近です。

    イチオシ

    琵琶の滝のアップ光景です。滝壷付近です。

  • 『琵琶の滝の由来』のタイトルがあった立看板です。屋島の戦いで敗れた平国盛が、安徳天皇を奉じて祖谷に潜入し、この地に土着したことなどが記されていました。屋島の戦いは、元暦2(1185)年2月19日に行なわれた讃岐屋島での源平合戦です。安徳天皇(1178〜1185年)は、父は高倉天皇、母は平清盛の娘の徳子(後の建礼門院)、壇ノ浦で亡くなったとするのが定説とされます。

    『琵琶の滝の由来』のタイトルがあった立看板です。屋島の戦いで敗れた平国盛が、安徳天皇を奉じて祖谷に潜入し、この地に土着したことなどが記されていました。屋島の戦いは、元暦2(1185)年2月19日に行なわれた讃岐屋島での源平合戦です。安徳天皇(1178〜1185年)は、父は高倉天皇、母は平清盛の娘の徳子(後の建礼門院)、壇ノ浦で亡くなったとするのが定説とされます。

  • 琵琶の滝の周りの光景です。平国盛は、平教盛(1160〜1185年)の次男とされる、平安後期〜鎌倉時代の武将です。生没年は不詳です。平国盛は、平清盛の甥に当たります。

    琵琶の滝の周りの光景です。平国盛は、平教盛(1160〜1185年)の次男とされる、平安後期〜鎌倉時代の武将です。生没年は不詳です。平国盛は、平清盛の甥に当たります。

  • ここからは、祖谷川の河原に降りての見学です。下流方向に祖谷のかずら橋が見えていました。

    ここからは、祖谷川の河原に降りての見学です。下流方向に祖谷のかずら橋が見えていました。

  • 下流方向に見えていた、祖谷のかずら橋のアップ光景です。

    下流方向に見えていた、祖谷のかずら橋のアップ光景です。

  • 祖谷川の河床に転がっていた大きな岩の数々です。庭石としても使えそうな見応えがある色と形の岩でした。

    祖谷川の河床に転がっていた大きな岩の数々です。庭石としても使えそうな見応えがある色と形の岩でした。

  • ぽつんと1個だけ河床にあった岩です。岩肌の白い模様や筋が景色になっていました。

    ぽつんと1個だけ河床にあった岩です。岩肌の白い模様や筋が景色になっていました。

  • 白い泡を立てながら流れる祖谷川の光景です。白い泡が消えると、すぐに青い清流に戻っていました。

    白い泡を立てながら流れる祖谷川の光景です。白い泡が消えると、すぐに青い清流に戻っていました。

  • まるで人工的に作られた護岸のような断面を持った、祖谷川の岸辺の光景です。

    まるで人工的に作られた護岸のような断面を持った、祖谷川の岸辺の光景です。

  • 祖谷川に張り出して作られた家屋の光景です。アユ料理等が提供されるレストランのようでした。先に紹介した『大歩危・西祖谷観光マップ』二は、『いこい食堂』の名前が記されていました。

    祖谷川に張り出して作られた家屋の光景です。アユ料理等が提供されるレストランのようでした。先に紹介した『大歩危・西祖谷観光マップ』二は、『いこい食堂』の名前が記されていました。

  • 祖谷川の堤防道路脇のフェンス光景です。かずら橋のロープをイメージした柵でした。

    祖谷川の堤防道路脇のフェンス光景です。かずら橋のロープをイメージした柵でした。

  • 最後にもう一度紹介する、琵琶の滝の光景です。安徳天皇は、第81代天皇(在位:1180年5月18日〜1185年4月25日)、8歳での崩御でした。諱は言仁(ときひと)です。壇ノ浦で入水せず平氏の残党に警護されて地方に落ち延びたとする伝説があり、九州四国地方を中心に全国に20ほどの伝承地があります。祖谷もその一つです。安徳帝はこの地に隠れ住み、16歳で崩御し、栗枝渡八幡神社の境内で火葬されたという『美馬郡誌』が残ります。

    イチオシ

    最後にもう一度紹介する、琵琶の滝の光景です。安徳天皇は、第81代天皇(在位:1180年5月18日〜1185年4月25日)、8歳での崩御でした。諱は言仁(ときひと)です。壇ノ浦で入水せず平氏の残党に警護されて地方に落ち延びたとする伝説があり、九州四国地方を中心に全国に20ほどの伝承地があります。祖谷もその一つです。安徳帝はこの地に隠れ住み、16歳で崩御し、栗枝渡八幡神社の境内で火葬されたという『美馬郡誌』が残ります。

  • ここからは、再集合場所に向かう帰り道での撮影です。かずら橋の出口付近からの光景です。

    イチオシ

    ここからは、再集合場所に向かう帰り道での撮影です。かずら橋の出口付近からの光景です。

  • コンクリート橋の袂付近の光景です。右に行けば、かずら橋の出口と琵琶の滝、コンクリート橋を渡って、右に向かえばかずら橋の入口になります。

    コンクリート橋の袂付近の光景です。右に行けば、かずら橋の出口と琵琶の滝、コンクリート橋を渡って、右に向かえばかずら橋の入口になります。

  • 苔生したコンクリートの壁面に掲示してあった観光案内標識です。食堂と民宿のほかに、お山公園とかずら橋夢舞台が表示してありました。かずら橋夢舞台は、かずら橋観光の拠点大駐車場です。観光バスもここに駐車しました。

    苔生したコンクリートの壁面に掲示してあった観光案内標識です。食堂と民宿のほかに、お山公園とかずら橋夢舞台が表示してありました。かずら橋夢舞台は、かずら橋観光の拠点大駐車場です。観光バスもここに駐車しました。

  • かずら橋夢舞台に向かって続く、緩やかな登り坂です。コンクリート製の擁壁には、年中湿度が高いのか、びっしりと苔が生していました。

    かずら橋夢舞台に向かって続く、緩やかな登り坂です。コンクリート製の擁壁には、年中湿度が高いのか、びっしりと苔が生していました。

  • かずら橋夢舞台に向かって続く緩やかな登り坂の途中にあったお店の光景です。焼き芋や、コーヒーの幟がありました。

    かずら橋夢舞台に向かって続く緩やかな登り坂の途中にあったお店の光景です。焼き芋や、コーヒーの幟がありました。

  • 険しい断崖に建つ、祖谷峡の家屋の光景です。祖谷川を挟んだ対岸の光景です。

    険しい断崖に建つ、祖谷峡の家屋の光景です。祖谷川を挟んだ対岸の光景です。

  • 杉の樹らしい木のアップ光景です。見た目には花粉は飛んでいませんでしたが、杉の花です。

    杉の樹らしい木のアップ光景です。見た目には花粉は飛んでいませんでしたが、杉の花です。

  • 平地では桜が開いていましたが、まだ蕾だった祖谷渓の桜の枝先光景です。

    平地では桜が開いていましたが、まだ蕾だった祖谷渓の桜の枝先光景です。

  • 同じく、色付いてはいましたが、まだ蕾だった桜の枝先光景です。

    同じく、色付いてはいましたが、まだ蕾だった桜の枝先光景です。

  • 再集合場所のかずら橋夢舞台の駐車場近くに戻ってきました。その駐車場付近に、人工かも知れませんが、二筋の滝がありました。

    再集合場所のかずら橋夢舞台の駐車場近くに戻ってきました。その駐車場付近に、人工かも知れませんが、二筋の滝がありました。

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