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高知に宿泊し、朝一番に向かったのは、坂本龍馬のブロンズ像が建つ桂浜です。太平洋に向かって上竜頭岬が北東端に、下竜頭岬が南西端に伸び、その間に弓形の砂浜が広がります。

2015春、四国周遊(9/26):3月30日(1):高知、高知のホテル、桂浜へ、坂本龍馬の銅像

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2015/03/29 - 2015/03/31

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旅行記グループ 2015春、四国周遊

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旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

高知に宿泊し、朝一番に向かったのは、坂本龍馬のブロンズ像が建つ桂浜です。太平洋に向かって上竜頭岬が北東端に、下竜頭岬が南西端に伸び、その間に弓形の砂浜が広がります。

交通手段
観光バス
  • 高知市内で泊まったホテルでのバイキング方式の朝食です。トマトジュースに各種の野菜もあり、私にとっては申し分ない朝食でした。

    高知市内で泊まったホテルでのバイキング方式の朝食です。トマトジュースに各種の野菜もあり、私にとっては申し分ない朝食でした。

  • 食事を終わったあと、振り返って撮影したレストランの入口付近の光景です。ゆったりと食事ができました。

    食事を終わったあと、振り返って撮影したレストランの入口付近の光景です。ゆったりと食事ができました。

  • 泊まったホテルは、ザ・クラウンパレス新阪急高知です。市電通りに面した、立地も抜群のホテルでした。高知城が目の前とも言ってよい場所でした。<br />

    泊まったホテルは、ザ・クラウンパレス新阪急高知です。市電通りに面した、立地も抜群のホテルでした。高知城が目の前とも言ってよい場所でした。

  • 泊まった階のエレベーターホールの光景です。新品ですが、レトロな電話機が置かれていました。公式HPには、242室、駐車場は68台と紹介されていました。

    泊まった階のエレベーターホールの光景です。新品ですが、レトロな電話機が置かれていました。公式HPには、242室、駐車場は68台と紹介されていました。

  • 泊まった部屋から眺めた高知市街の光景です。市街のビルの背後には、山並みが見えていました。

    泊まった部屋から眺めた高知市街の光景です。市街のビルの背後には、山並みが見えていました。

  • 泊まった部屋の紹介です。洗面室の光景です。少し手狭な感じはしましたが、1泊するだけですから、問題はありませんでした。

    泊まった部屋の紹介です。洗面室の光景です。少し手狭な感じはしましたが、1泊するだけですから、問題はありませんでした。

  • 泊まった部屋の紹介が続きます。バスタブとシャワーの光景です。ちゃんと眺めのカーテンもあり、実用的には及第点です。清掃も行き届いた、まだ新しい施設のようでした。

    泊まった部屋の紹介が続きます。バスタブとシャワーの光景です。ちゃんと眺めのカーテンもあり、実用的には及第点です。清掃も行き届いた、まだ新しい施設のようでした。

  • コンパクトなテーブルと机ですが、一通りの什器類が揃っていました。公式HPには、『ANA SALES AWARD 2013 中四国エリア CS部門 プラチナ賞・受賞』の紹介がされていました。

    コンパクトなテーブルと机ですが、一通りの什器類が揃っていました。公式HPには、『ANA SALES AWARD 2013 中四国エリア CS部門 プラチナ賞・受賞』の紹介がされていました。

  • 昨日も紹介した、1階ロビーの光景です。屋上にはチャペルもあり、結婚式場などにも力を入れているホテルです。

    昨日も紹介した、1階ロビーの光景です。屋上にはチャペルもあり、結婚式場などにも力を入れているホテルです。

  • 坂本龍馬(1836〜1867年)のお馴染みの写真が飾ってあった玄関先の光景です。慶応2年(1866年)または3年(1867年)に上野撮影局で撮影されたと伝わります。

    坂本龍馬(1836〜1867年)のお馴染みの写真が飾ってあった玄関先の光景です。慶応2年(1866年)または3年(1867年)に上野撮影局で撮影されたと伝わります。

  • 出発までは少し時間がありましたので、ホテル界隈を散策してきました。ホテルから至近距離にあった高知城の光景です。昨日の夕方からの自由時間で見学してきました。

    出発までは少し時間がありましたので、ホテル界隈を散策してきました。ホテルから至近距離にあった高知城の光景です。昨日の夕方からの自由時間で見学してきました。

  • この看板のイラストもリョーマ君です。坂本龍馬の生誕地は、この場所から西に歩いても10分とはかからないようです。現在の高知市上町1丁目の上町病院前に誕生地の碑が建っているようです。

    この看板のイラストもリョーマ君です。坂本龍馬の生誕地は、この場所から西に歩いても10分とはかからないようです。現在の高知市上町1丁目の上町病院前に誕生地の碑が建っているようです。

  • 高知市街の街路光景です。角の建物が四国電力の電気ビルです。1階には、高知銀行の看板がありました。

    高知市街の街路光景です。角の建物が四国電力の電気ビルです。1階には、高知銀行の看板がありました。

  • 泊まったホテルの北に面した市電通りの光景です。紅白に塗られたアンテナが建った建物は、四国電力高知支店ビルです。

    泊まったホテルの北に面した市電通りの光景です。紅白に塗られたアンテナが建った建物は、四国電力高知支店ビルです。

  • 芽吹き始めたばかりのケヤキ(欅)並木の光景です。泊まったホテルから西に1本目の南北の通りです。この通りの西に面した場所に、土佐山内家宝物資料館があります。

    芽吹き始めたばかりのケヤキ(欅)並木の光景です。泊まったホテルから西に1本目の南北の通りです。この通りの西に面した場所に、土佐山内家宝物資料館があります。

  • 散策を終えて、ホテルに戻ってきました。1階ロビーの一角にあった和室風のコーナーです。そのまま立ち入ることができるよう、様式のテーブルセットが置かれていました。

    散策を終えて、ホテルに戻ってきました。1階ロビーの一角にあった和室風のコーナーです。そのまま立ち入ることができるよう、様式のテーブルセットが置かれていました。

  • 和室風のコーナーから眺めた日本庭園の光景です。緋鯉が泳いでいました。待ち合わせ場所などに好適な和室コーナーでした。

    和室風のコーナーから眺めた日本庭園の光景です。緋鯉が泳いでいました。待ち合わせ場所などに好適な和室コーナーでした。

  • 約束の時間にホテルを観光バスで出発し、最初の見学地の桂浜に横着しました。アンテナが建った白い建物は、海上保安庁の施設でした。

    約束の時間にホテルを観光バスで出発し、最初の見学地の桂浜に横着しました。アンテナが建った白い建物は、海上保安庁の施設でした。

  • 『ようこそ高知県へ』のタイトルがあった観光案内の看板です。高知県を3色に色分けして観光名所が紹介されていました。桂浜・龍馬像は、緑で記されたエリアの⑤番です。

    『ようこそ高知県へ』のタイトルがあった観光案内の看板です。高知県を3色に色分けして観光名所が紹介されていました。桂浜・龍馬像は、緑で記されたエリアの⑤番です。

  • 石段を登って、桂浜方面への移動です。石段の上に『桂浜』の文字が刻まれた石碑が見えてきました。月見の名所として知られた海岸ですが、今は、何といっても龍馬です。

    石段を登って、桂浜方面への移動です。石段の上に『桂浜』の文字が刻まれた石碑が見えてきました。月見の名所として知られた海岸ですが、今は、何といっても龍馬です。

  • 石段を登り切った場所の光景です。桂浜が月見の名所として知られるのは、地元出身の歌人、大町桂月(1869〜1925年)に依るところが大です。終生酒と旅を愛し、酒仙とも山水開眼の士とも称されました。

    石段を登り切った場所の光景です。桂浜が月見の名所として知られるのは、地元出身の歌人、大町桂月(1869〜1925年)に依るところが大です。終生酒と旅を愛し、酒仙とも山水開眼の士とも称されました。

  • 石段を登った後、振り返って眺めた眼下の光景です。石段の手摺に沿って、『リョウマの休日』の幟がありました。今年が生誕180年です。

    石段を登った後、振り返って眺めた眼下の光景です。石段の手摺に沿って、『リョウマの休日』の幟がありました。今年が生誕180年です。

  • 桂浜を見下ろす場所に建つ観光案内看板です。龍馬銅像、水族館・竜王岬、坂本龍馬記念館などが記されていました。

    桂浜を見下ろす場所に建つ観光案内看板です。龍馬銅像、水族館・竜王岬、坂本龍馬記念館などが記されていました。

  • 石段を登った後、坂本竜馬の銅像がある場所への移動途中の光景です。立派な石碑がありました。『桃葉先生之碑』の文字がありました。

    石段を登った後、坂本竜馬の銅像がある場所への移動途中の光景です。立派な石碑がありました。『桃葉先生之碑』の文字がありました。

  • 『田中桃葉記念碑(1880〜1941年)』のタイトルがあった説明看板です。本名は田中貢太郎で、作家です。大町桂月に随行して、酒を嗜んだようです。代表作などが紹介されていました。

    『田中桃葉記念碑(1880〜1941年)』のタイトルがあった説明看板です。本名は田中貢太郎で、作家です。大町桂月に随行して、酒を嗜んだようです。代表作などが紹介されていました。

  • 絵に描けば、『松の涅槃図』にでもなりそうな松の木です。推測ですが、台風などの影響で傾き、そのままの姿で生き延びている松のようでした。今は、添え木が枕のようになっていました。

    絵に描けば、『松の涅槃図』にでもなりそうな松の木です。推測ですが、台風などの影響で傾き、そのままの姿で生き延びている松のようでした。今は、添え木が枕のようになっていました。

  • 振り返って眺めた松林の光景です。防風林として育てられた松のようです。先程の『涅槃の松』も小さく見えていました。

    イチオシ

    振り返って眺めた松林の光景です。防風林として育てられた松のようです。先程の『涅槃の松』も小さく見えていました。

  • 桂浜を見下ろす場所に建つ、坂本龍馬の銅像です。高知県の青年有志が募金活動を行い、当時の金額にして2万5千円を集め建立され、昭和3年5月27日に除幕式が行われました。第二次大戦中、学校の二宮金次郎像やお寺の鐘まで供出させられましたが、この像は無事でした。このエピソードは、今回現地ガイドさんからもお聞きしました。

    イチオシ

    桂浜を見下ろす場所に建つ、坂本龍馬の銅像です。高知県の青年有志が募金活動を行い、当時の金額にして2万5千円を集め建立され、昭和3年5月27日に除幕式が行われました。第二次大戦中、学校の二宮金次郎像やお寺の鐘まで供出させられましたが、この像は無事でした。このエピソードは、今回現地ガイドさんからもお聞きしました。

  • 龍馬が見下ろす桂浜の光景です。ただし、龍馬の像は中岡慎太郎の像がある室戸岬の方を向いていると言われます。維新後、暫くの間は龍馬の功績は忘れ去られていました。その理由には、諸説があります。

    龍馬が見下ろす桂浜の光景です。ただし、龍馬の像は中岡慎太郎の像がある室戸岬の方を向いていると言われます。維新後、暫くの間は龍馬の功績は忘れ去られていました。その理由には、諸説があります。

  • 同じく、龍馬が見下ろす桂浜の光景です。前方に見えるのが、上竜頭岬です。龍馬が藩船の夕顔丸で長崎を出航し、上洛中の洋上で後藤象二郎に対して口頭で提示したとされる『船中八策』が有名ですが、それを現代風の表現にしますと、<br />①大政奉還<br />②上下両院の設置による議会政治<br />③有能な人材の政治への登用<br />④不平等条約の改定<br />⑤憲法制定<br />⑥海軍力の増強<br />⑦御親兵の設置<br />⑧金銀の交換レートの変更<br /> の八項目です。海援隊士の長岡謙吉が書き留め、成文化したとも伝わります。龍馬の直筆はないようですから、成文を巡っては異説もあるようです。

    イチオシ

    同じく、龍馬が見下ろす桂浜の光景です。前方に見えるのが、上竜頭岬です。龍馬が藩船の夕顔丸で長崎を出航し、上洛中の洋上で後藤象二郎に対して口頭で提示したとされる『船中八策』が有名ですが、それを現代風の表現にしますと、
    ①大政奉還
    ②上下両院の設置による議会政治
    ③有能な人材の政治への登用
    ④不平等条約の改定
    ⑤憲法制定
    ⑥海軍力の増強
    ⑦御親兵の設置
    ⑧金銀の交換レートの変更
     の八項目です。海援隊士の長岡謙吉が書き留め、成文化したとも伝わります。龍馬の直筆はないようですから、成文を巡っては異説もあるようです。

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