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満開が近いソメイヨシノの桜の花と、好天に恵まれた中での、こんぴらさん参りでした。香川の名刹、金刀比羅宮紹介の締め括りです。(ウィキペディア)

2015春、四国周遊(25/26):3月31日(9):金刀比羅宮、本殿、神楽殿、神木、絵馬殿

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2015/03/29 - 2015/03/31

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旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

満開が近いソメイヨシノの桜の花と、好天に恵まれた中での、こんぴらさん参りでした。香川の名刹、金刀比羅宮紹介の締め括りです。(ウィキペディア)

交通手段
観光バス
  • 『本宮』の北東側は、人工の高台が広がり、展望台になっています。ここからの讃岐平野眺めは絶景です。瀬戸大橋や讃岐富士などを望むことができます。

    『本宮』の北東側は、人工の高台が広がり、展望台になっています。ここからの讃岐平野眺めは絶景です。瀬戸大橋や讃岐富士などを望むことができます。

  • 正面から撮影するのは憚られましたから、少し離れた場所から撮影した『本宮』の横からの建物光景です。御祭神は、大物主神と崇徳天皇です。農業、殖産、医薬、海上守護の神様とされます。

    正面から撮影するのは憚られましたから、少し離れた場所から撮影した『本宮』の横からの建物光景です。御祭神は、大物主神と崇徳天皇です。農業、殖産、医薬、海上守護の神様とされます。

  • 『本宮』から『三穂津姫社』まで南北に渡っている『南渡殿』を潜って眺めた『本宮』の側面の建物光景です。周りを取り囲むのは、檜素木の桧皮葺造りの『本宮本殿南垣』です。

    『本宮』から『三穂津姫社』まで南北に渡っている『南渡殿』を潜って眺めた『本宮』の側面の建物光景です。周りを取り囲むのは、檜素木の桧皮葺造りの『本宮本殿南垣』です。

  • 『本宮本殿南垣』越しに眺めた本宮壁面の光景です。金や銀がふんだんに使われた『蒔絵』の光景です。金は、本物の小判を材料にしたとの説明をお聞きしたようです。

    イチオシ

    『本宮本殿南垣』越しに眺めた本宮壁面の光景です。金や銀がふんだんに使われた『蒔絵』の光景です。金は、本物の小判を材料にしたとの説明をお聞きしたようです。

  • 『本宮』付近の境内の光景です。『本宮』の周りには、立派な作りの複数の青銅製の灯篭が見えました。

    『本宮』付近の境内の光景です。『本宮』の周りには、立派な作りの複数の青銅製の灯篭が見えました。

  • 同じく、『本宮』付近の境内の光景です。右端に『本宮』の屋根が見えています。高い樹木の先端付近には、枯れ枝が見えます。盆栽で見る真柏のようなイメージの幹です。

    同じく、『本宮』付近の境内の光景です。右端に『本宮』の屋根が見えています。高い樹木の先端付近には、枯れ枝が見えます。盆栽で見る真柏のようなイメージの幹です。

  • 『神楽殿』の建物光景です。建物は入母屋造り・檜皮葺です。祭典の祭典の伶人楽や雅楽を奏する建物です。

    『神楽殿』の建物光景です。建物は入母屋造り・檜皮葺です。祭典の祭典の伶人楽や雅楽を奏する建物です。

  • 『神木』です。本宮の前にある大木で、神木のクスノキ(楠)です。幹の周りは約4.7メートル、高さは約25メートルです。

    イチオシ

    『神木』です。本宮の前にある大木で、神木のクスノキ(楠)です。幹の周りは約4.7メートル、高さは約25メートルです。

  • 先達さんの説明を聞いて、『神木』に手を当ててご利益を願うツアー・メンバーの方達です。『神木』には、しめ縄が三筋張られていました。

    先達さんの説明を聞いて、『神木』に手を当ててご利益を願うツアー・メンバーの方達です。『神木』には、しめ縄が三筋張られていました。

  • 右端が『本宮』、その左が、『南渡殿』の光景です。『南渡殿』は、『本宮』から『三穂津姫社』まで南北に渡っている長い廊下です。

    右端が『本宮』、その左が、『南渡殿』の光景です。『南渡殿』は、『本宮』から『三穂津姫社』まで南北に渡っている長い廊下です。

  • 『南渡殿』の中間付近のアップ光景です。長さは約40メートルで、屋根は檜皮葺です。明治11年(1878年)に建てられました。

    『南渡殿』の中間付近のアップ光景です。長さは約40メートルで、屋根は檜皮葺です。明治11年(1878年)に建てられました。

  • 『三穂津姫社』付近の『南渡殿』の光景です。祭典が行われる際、『本宮』へ参進する祭員、舞人、巫女や参拝者が、この廊下を通ります。

    『三穂津姫社』付近の『南渡殿』の光景です。祭典が行われる際、『本宮』へ参進する祭員、舞人、巫女や参拝者が、この廊下を通ります。

  • 右側に見える『本宮』と『三穂津姫社』を結ぶ、『南渡殿』の光景です。右手には『神木』の楠、左手に鬱蒼とした鎮守の森が広がる光景です。

    右側に見える『本宮』と『三穂津姫社』を結ぶ、『南渡殿』の光景です。右手には『神木』の楠、左手に鬱蒼とした鎮守の森が広がる光景です。

  • 『三穂津姫社』の軒先光景です。『本宮』の御祭神である大物主神の后にあたる、高皇産霊神の御女、三穂津姫神が祭られています。『三穂津姫社』の本殿は、檜皮葺・王子造、中殿は檜皮葺、拝殿は檜皮葺・大社関棟造です。

    『三穂津姫社』の軒先光景です。『本宮』の御祭神である大物主神の后にあたる、高皇産霊神の御女、三穂津姫神が祭られています。『三穂津姫社』の本殿は、檜皮葺・王子造、中殿は檜皮葺、拝殿は檜皮葺・大社関棟造です。

  • 『絵馬殿』です。絵馬のほか、中にマーメイド号が展示されています。マーメイド号は、海洋冒険家の堀江謙一さんが、日本人初の太平洋単独横断に使用した小型ヨットです。航海安全での目玉展示のようです。

    『絵馬殿』です。絵馬のほか、中にマーメイド号が展示されています。マーメイド号は、海洋冒険家の堀江謙一さんが、日本人初の太平洋単独横断に使用した小型ヨットです。航海安全での目玉展示のようです。

  • 金刀比羅宮の見学を終え、全員揃ったところで、下山の始まりです。先達に従って、往きとは別の道を通って下山しました。

    金刀比羅宮の見学を終え、全員揃ったところで、下山の始まりです。先達に従って、往きとは別の道を通って下山しました。

  • 同じく、下山途中の光景です。往きも休憩を織り交ぜての石段登りでしたから、それほど苦になりませんでしたが、帰りはそれ以上に楽でした。

    同じく、下山途中の光景です。往きも休憩を織り交ぜての石段登りでしたから、それほど苦になりませんでしたが、帰りはそれ以上に楽でした。

  • 満開が近づいたソメイヨシノの花を眺めながらの帰り道です。途中、『旭社』に立寄って、お礼参りをしてからの下山となりました。

    満開が近づいたソメイヨシノの花を眺めながらの帰り道です。途中、『旭社』に立寄って、お礼参りをしてからの下山となりました。

  • 往きと帰りでは、ソメイヨシノの咲き具合が違っていたようにも感じる、今日の好天でした。亜科っぽく見える花は、陽光桜ではなく、ヤエベニシダレ(八重紅枝垂れ)のようでした。

    往きと帰りでは、ソメイヨシノの咲き具合が違っていたようにも感じる、今日の好天でした。亜科っぽく見える花は、陽光桜ではなく、ヤエベニシダレ(八重紅枝垂れ)のようでした。

  • 思わず立ち止まって、見惚れてしまう桜の光景でした。常緑樹に三種類の桜の色が混じって、見事な色彩美です。桜色のグラデーションでした。

    イチオシ

    思わず立ち止まって、見惚れてしまう桜の光景でした。常緑樹に三種類の桜の色が混じって、見事な色彩美です。桜色のグラデーションでした。

  • 『さざれ石』です。さざれ石(細石)は、もともと小さな石の意味ですが、長い年月をかけて小石の欠片の隙間を炭酸カルシウムや水酸化鉄が埋めることによって、一つの大きな岩の塊に変化したものを指します。学術的には『石灰質角礫岩』などと呼ばれます。

    『さざれ石』です。さざれ石(細石)は、もともと小さな石の意味ですが、長い年月をかけて小石の欠片の隙間を炭酸カルシウムや水酸化鉄が埋めることによって、一つの大きな岩の塊に変化したものを指します。学術的には『石灰質角礫岩』などと呼ばれます。

  • 『国歌に詠まれているさざれ石の由来』のタイトルがあった説明プレートです。さざれ石の謂れについて、『古今集』を引用して説明されていました。岐阜県の揖斐川町で発見され、昭和63年(1988年)に寄進されたものです。

    『国歌に詠まれているさざれ石の由来』のタイトルがあった説明プレートです。さざれ石の謂れについて、『古今集』を引用して説明されていました。岐阜県の揖斐川町で発見され、昭和63年(1988年)に寄進されたものです。

  • 樹全体に満開だった白い花です。ハクモクレン(白木蓮)のようです。モクレン科モクレン属の落葉高木です。周りの桜と花を競っていました。コブシ(辛夷)とよく似た花ですが、辛夷の花が全開するのに対し、白木蓮は半開きです。

    樹全体に満開だった白い花です。ハクモクレン(白木蓮)のようです。モクレン科モクレン属の落葉高木です。周りの桜と花を競っていました。コブシ(辛夷)とよく似た花ですが、辛夷の花が全開するのに対し、白木蓮は半開きです。

  • ハクモクレン(白木蓮)と花を競っていたソメイヨシノの花です。七分咲から八分咲くらいでした。暖かい日が続けば、すぐにでも満開になりそうでした。

    ハクモクレン(白木蓮)と花を競っていたソメイヨシノの花です。七分咲から八分咲くらいでした。暖かい日が続けば、すぐにでも満開になりそうでした。

  • 舟形の台座を持った、吉井勇(1886〜1960年)の歌碑です。『金刀比羅の宮はかしこし船ひとか 流し初穂をささくるもうへ』の文字が刻まれています。 吉井勇は大正から昭和期の歌人で脚本家でした。維新の功により伯爵となった旧薩摩藩士、吉井友実を祖父に、侯爵の爵位を持った人でした。<br />

    舟形の台座を持った、吉井勇(1886〜1960年)の歌碑です。『金刀比羅の宮はかしこし船ひとか 流し初穂をささくるもうへ』の文字が刻まれています。 吉井勇は大正から昭和期の歌人で脚本家でした。維新の功により伯爵となった旧薩摩藩士、吉井友実を祖父に、侯爵の爵位を持った人でした。

  • 十分に見頃を迎えていたソメイヨシノの光景です。幹があまり大きくありませんから、まだ若い木が多いようでした。

    十分に見頃を迎えていたソメイヨシノの光景です。幹があまり大きくありませんから、まだ若い木が多いようでした。

  • 麓近くまで下りてきたようです。丸く大きなスイレン(睡蓮)池がありました。あまり手入れはされていませんでしたが、由緒はありそうです。

    麓近くまで下りてきたようです。丸く大きなスイレン(睡蓮)池がありました。あまり手入れはされていませんでしたが、由緒はありそうです。

  • 麓近くのソメイヨシノの光景です。満開にはもう少しかかりそうな、七分咲ほどに見えました。桜の木の下には、丸く刈り込まれた庭木群がありました。

    麓近くのソメイヨシノの光景です。満開にはもう少しかかりそうな、七分咲ほどに見えました。桜の木の下には、丸く刈り込まれた庭木群がありました。

  • 『金刀比羅宮図書館』の表札があった建物光景です。広々とした前庭です。右手に琴陵光熙銅像がありました。明治時代に金刀比羅宮の別当を務めた人です。金刀比羅宮の公式HPでは、予約制で閲覧可能と紹介されていました。

    『金刀比羅宮図書館』の表札があった建物光景です。広々とした前庭です。右手に琴陵光熙銅像がありました。明治時代に金刀比羅宮の別当を務めた人です。金刀比羅宮の公式HPでは、予約制で閲覧可能と紹介されていました。

  • 真っ赤なツバキの花の落花の光景です。下り坂の石段にも散っていましたので、滑って転ばないよう、用心しながら下りました。

    真っ赤なツバキの花の落花の光景です。下り坂の石段にも散っていましたので、滑って転ばないよう、用心しながら下りました。

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