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坂本龍馬のブロンズ像が立つ、桂浜紹介の続きです。月見の名所としても知られ、毎年中秋の名月の夜には、地元出身の歌人の大町桂月を偲ぶ『名月酒供養』が開催されます。

2015春、四国周遊(10/26):3月30日(2):高知、桂浜、上竜頭岬、下竜頭岬、竜王宮

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2015/03/29 - 2015/03/31

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旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

坂本龍馬のブロンズ像が立つ、桂浜紹介の続きです。月見の名所としても知られ、毎年中秋の名月の夜には、地元出身の歌人の大町桂月を偲ぶ『名月酒供養』が開催されます。

交通手段
観光バス
  • 強度アップのために、表面が石とコンクリートで固められた上竜頭岬の光景です。この岬の右側から下竜頭岬までが桂浜になります。岬の周りには波消しブロックなどが設置されているようです。

    強度アップのために、表面が石とコンクリートで固められた上竜頭岬の光景です。この岬の右側から下竜頭岬までが桂浜になります。岬の周りには波消しブロックなどが設置されているようです。

  • こちらは、下竜頭岬の遠望です。絵になりそうな光景でした。上竜頭岬と下竜頭岬臥龍側にあることで、桂浜の砂浜が荒波から守られているように見えました。

    イチオシ

    こちらは、下竜頭岬の遠望です。絵になりそうな光景でした。上竜頭岬と下竜頭岬臥龍側にあることで、桂浜の砂浜が荒波から守られているように見えました。

  • 海岸線近くにあった大きな岩と、その横を通るお子さんの光景です。手にした袋には波打ち際で拾い集めた石などが入っているようです。

    海岸線近くにあった大きな岩と、その横を通るお子さんの光景です。手にした袋には波打ち際で拾い集めた石などが入っているようです。

  • 桂浜の背後にあった松林の光景です。推測ですが、防風林の役割があるようでした。風害を防ぐために耕地や海岸に設けられる防風林は、カシ(樫)、クヌギ(橡)や松などが用いられるようです。

    桂浜の背後にあった松林の光景です。推測ですが、防風林の役割があるようでした。風害を防ぐために耕地や海岸に設けられる防風林は、カシ(樫)、クヌギ(橡)や松などが用いられるようです。

  • 『桂月先生記念碑』の文字が刻まれた石碑と、その右手に見える説明看板です。既に紹介しましたが、大町桂月(869年〜1925年)は、高知市出身の近代日本の詩人、歌人、随筆家で評論家です。

    『桂月先生記念碑』の文字が刻まれた石碑と、その右手に見える説明看板です。既に紹介しましたが、大町桂月(869年〜1925年)は、高知市出身の近代日本の詩人、歌人、随筆家で評論家です。

  • 下竜頭岬の光景です。その岬の先端に竜王宮、正式名は海津見(わたつみ)神社があります。海津見神社のご祭神は大綿津見神、地元では、桂浜の竜宮様や竜王宮と呼ばれています。

    下竜頭岬の光景です。その岬の先端に竜王宮、正式名は海津見(わたつみ)神社があります。海津見神社のご祭神は大綿津見神、地元では、桂浜の竜宮様や竜王宮と呼ばれています。

  • 桂浜の近くには、1591年(天正19年)長宗我部元親が北側の丘陵部に浦戸城を築き、一時この地が岡豊城に代わって土佐の中心地になった時期がありました。今は浦戸城跡として遺跡が残ります。この写真に見える国民宿舎が建つ方角になります。

    桂浜の近くには、1591年(天正19年)長宗我部元親が北側の丘陵部に浦戸城を築き、一時この地が岡豊城に代わって土佐の中心地になった時期がありました。今は浦戸城跡として遺跡が残ります。この写真に見える国民宿舎が建つ方角になります。

  • 桂浜の砂浜光景です。初代土佐藩主として土佐入りした山内一豊は、この地では手狭であると感じ、1603年(慶長8年)高知城を築きました。山内一豊も高知城に移るまで居城としましたが、その後、浦戸城は廃城となりました。

    桂浜の砂浜光景です。初代土佐藩主として土佐入りした山内一豊は、この地では手狭であると感じ、1603年(慶長8年)高知城を築きました。山内一豊も高知城に移るまで居城としましたが、その後、浦戸城は廃城となりました。

  • 砂浜に顔を出していた、大きな岩の光景です。桂浜の海岸は、引き波が強く、海難事故が多かったことから、現在は遊泳禁止とされています。現地ガイドさんによれば、土佐の人は海水浴でなく、川で泳ぐと解説されていました。

    砂浜に顔を出していた、大きな岩の光景です。桂浜の海岸は、引き波が強く、海難事故が多かったことから、現在は遊泳禁止とされています。現地ガイドさんによれば、土佐の人は海水浴でなく、川で泳ぐと解説されていました。

  • 崖の隙間に生えていた植物の紹介です。ツワブキ(石蕗、艶蕗)です。キク科ツワブキ属の多年草です。有毒物質のピロリジジンアルカロイドを含有しますが、薬用や食用にもされます。

    崖の隙間に生えていた植物の紹介です。ツワブキ(石蕗、艶蕗)です。キク科ツワブキ属の多年草です。有毒物質のピロリジジンアルカロイドを含有しますが、薬用や食用にもされます。

  • 龍王岬に向かう途中、右手にあった案内看板です。左の矢印が龍王岬、石段を登る道が、坂本龍馬記念館と国民宿舎・桂浜荘への案内でした。浦戸城跡の標識はありませんでしたが、同じ方向です。

    龍王岬に向かう途中、右手にあった案内看板です。左の矢印が龍王岬、石段を登る道が、坂本龍馬記念館と国民宿舎・桂浜荘への案内でした。浦戸城跡の標識はありませんでしたが、同じ方向です。

  • 竜王岬に向かう途中、振り返って眺めた桂浜方向の光景です。遊泳禁止されている浜ですから、波打ち際に人の姿はありませんでした。近付き過ぎると、監視台からの警報が鳴らされるような話も耳にしました。

    竜王岬に向かう途中、振り返って眺めた桂浜方向の光景です。遊泳禁止されている浜ですから、波打ち際に人の姿はありませんでした。近付き過ぎると、監視台からの警報が鳴らされるような話も耳にしました。

  • 通行禁止の柵と、標識があった通路です。足を踏み外しそうな、険しく狭い道でしたが、注意書きは『落石注意』でした。

    通行禁止の柵と、標識があった通路です。足を踏み外しそうな、険しく狭い道でしたが、注意書きは『落石注意』でした。

  • 『海津見神社(龍王宮)』のタイトルがあった真新しい石碑です。創建は不明ですが、長宗我部時代の説があることが紹介されていました。『桂浜』の名前の由来も解説されていました。

    『海津見神社(龍王宮)』のタイトルがあった真新しい石碑です。創建は不明ですが、長宗我部時代の説があることが紹介されていました。『桂浜』の名前の由来も解説されていました。

  • 太平洋の荒波が押し寄せる岩礁の光景です。地質学者らしい方のネット情報では、桂浜付近の地層は、四万十層群の砂岩と泥岩からなり、砂浜に点在する岩は砂岩と紹介されていました。

    イチオシ

    太平洋の荒波が押し寄せる岩礁の光景です。地質学者らしい方のネット情報では、桂浜付近の地層は、四万十層群の砂岩と泥岩からなり、砂浜に点在する岩は砂岩と紹介されていました。

  • 同じく、太平洋の荒波が押し寄せる崖下の光景です。防波堤に囲まれた浦戸湾には高知港があり、湾の最奥部に高知の市街地があります。桂浜の地は、古から防災の要所ともされ多様です。次の最大の試練は、南海、東南海地震でしょうか。

    同じく、太平洋の荒波が押し寄せる崖下の光景です。防波堤に囲まれた浦戸湾には高知港があり、湾の最奥部に高知の市街地があります。桂浜の地は、古から防災の要所ともされ多様です。次の最大の試練は、南海、東南海地震でしょうか。

  • 岬の崖で育った松の木の光景です。木が1本あることだけで、随分と景色が変わって見えるようです。風『雪』に耐える必要はないようですが、厳しい潮風の風雨に耐えてきた姿です。

    岬の崖で育った松の木の光景です。木が1本あることだけで、随分と景色が変わって見えるようです。風『雪』に耐える必要はないようですが、厳しい潮風の風雨に耐えてきた姿です。

  • 岬の崖で大きくなった松の木のアップ光景です。前の写真撮影の場所からは、少し近くなった場所からの撮影です。

    岬の崖で大きくなった松の木のアップ光景です。前の写真撮影の場所からは、少し近くなった場所からの撮影です。

  • 透明度が高く、海底の岩が透けて見えた海岸線近くの光景です。これも、四万十層群の砂岩と泥岩でしょうか、土佐湾は南海地震の震源地として、過去に幾度も大地震が発生しています。四国全体の沿岸や中国地方の沿岸が隆起と陥没した記録が残り、道後温泉が涸れる現象も起きています。

    透明度が高く、海底の岩が透けて見えた海岸線近くの光景です。これも、四万十層群の砂岩と泥岩でしょうか、土佐湾は南海地震の震源地として、過去に幾度も大地震が発生しています。四国全体の沿岸や中国地方の沿岸が隆起と陥没した記録が残り、道後温泉が涸れる現象も起きています。

  • 龍王宮の近くにあった鳥居の光景です。台風に備えたのでしょうか、丈の低いコンクリート造りでした。

    龍王宮の近くにあった鳥居の光景です。台風に備えたのでしょうか、丈の低いコンクリート造りでした。

  • 龍王宮の近くにあった鳥居と、その右手に見える龍王宮の光景です。漁師さんが海での安全や大漁を祈願する神社として始まったようです。

    龍王宮の近くにあった鳥居と、その右手に見える龍王宮の光景です。漁師さんが海での安全や大漁を祈願する神社として始まったようです。

  • 岬の高台から見下ろした、海岸線の光景です。龍王宮がある下竜頭岬より、更に西側の海岸線です。乾いた砂浜に足跡は残っていましたが、人の姿は全く見えませんでした。

    岬の高台から見下ろした、海岸線の光景です。龍王宮がある下竜頭岬より、更に西側の海岸線です。乾いた砂浜に足跡は残っていましたが、人の姿は全く見えませんでした。

  • 岬より高くなった場所から見下ろした、下竜頭岬と龍王宮の光景です。説明看板のご神徳には、海上安全、漁業豊登。祈雨祈晴、商売繁盛と良縁成就が記されていました。

    イチオシ

    岬より高くなった場所から見下ろした、下竜頭岬と龍王宮の光景です。説明看板のご神徳には、海上安全、漁業豊登。祈雨祈晴、商売繁盛と良縁成就が記されていました。

  • 険しい崖路が見えていた岬の尾根の光景です。通路の両脇には、転落防止のための真新しい金属柵がありました。

    険しい崖路が見えていた岬の尾根の光景です。通路の両脇には、転落防止のための真新しい金属柵がありました。

  • 岬の高台での見学を終えて、麓に降りてきました。今回は見学する時間はありませんでしたが、坂本龍馬記念館と国民宿舎桂浜荘まで400メートルの案内看板です。連絡遊歩道として、『椿の小径』の名前も記されていました。

    岬の高台での見学を終えて、麓に降りてきました。今回は見学する時間はありませんでしたが、坂本龍馬記念館と国民宿舎桂浜荘まで400メートルの案内看板です。連絡遊歩道として、『椿の小径』の名前も記されていました。

  • 『桂浜』の文字が刻まれた石碑は複数ありました。その石碑越しに眺めた桂浜方面の光景です。右上に、下竜頭岬と竜王宮が見えました。

    『桂浜』の文字が刻まれた石碑は複数ありました。その石碑越しに眺めた桂浜方面の光景です。右上に、下竜頭岬と竜王宮が見えました。

  • 再集合場所に向かう途中の光景です。通路脇から眺めた下竜頭岬方面の光景です。台風接近時には、竜頭岬付近からのTV中継がよく放映されるようです。

    再集合場所に向かう途中の光景です。通路脇から眺めた下竜頭岬方面の光景です。台風接近時には、竜頭岬付近からのTV中継がよく放映されるようです。

  • 飼育係の人と一緒に散歩する土佐犬に出会いました。事故防止の用心のためでしょうか、土佐犬は自分の綱をずっと口に咥えていました。

    飼育係の人と一緒に散歩する土佐犬に出会いました。事故防止の用心のためでしょうか、土佐犬は自分の綱をずっと口に咥えていました。

  • 桂浜土佐闘犬センターの建物光景です。以前は闘犬が行われていたようですが、現在は動物愛護協会などの圧力があり、中止されているとお聞きしました。土佐闘犬の横綱の写真が壁に飾ってありました。

    桂浜土佐闘犬センターの建物光景です。以前は闘犬が行われていたようですが、現在は動物愛護協会などの圧力があり、中止されているとお聞きしました。土佐闘犬の横綱の写真が壁に飾ってありました。

  • 最後の紹介になりましたが、桂浜周辺の観光案内図です。『桂浜公園案内図』のタイトルがありました。時間の余裕があれば、坂本竜馬記念館と、浦戸城天守跡も見学したいところでした。

    最後の紹介になりましたが、桂浜周辺の観光案内図です。『桂浜公園案内図』のタイトルがありました。時間の余裕があれば、坂本竜馬記念館と、浦戸城天守跡も見学したいところでした。

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