嵐山・嵯峨野・太秦・桂旅行記(ブログ) 一覧に戻る
妻と結婚してから幾度となく京都へ旅行をしているので連れて行っていないところも少なくなってきました。今回は少し暑い時期ですが高雄へ行ってみることにしました。近隣の「神護寺」「西明寺」「高山寺」の寺院も中学生の頃に行って以来50年振りの参拝です。妻は以前行った貴船の川床へ行きたそうでしたが、「高雄にも川床あるよ。」となだめすかします。ホテルの最寄の南方駅からは阪急京都線で西院に出て、西大路四条のバス停から栂ノ尾に向かいます。30分少々で神護寺に近いバス停で降り、目の前にあった「もみぢ家 本館 高雄山荘」に寄ってみます。お昼は少し下った清滝川沿いの「もみぢ家別館 川の庵」を予約してありました。店の方に少し早いので先に神護寺を参拝した方が良いとアドバイスいただいて、到着していることは店に連絡していただくようにお願いしました。「神護寺」への参道の坂道を下るまでは良かったのですが、川沿いで橋を渡った辺りから長い石段が見え始め、妻は「ここで待っている。」と言い出します。そんなに時間かからないよと言いながら手を牽きますが、50年振りの場所なので記憶は全くありません。こんなに歩いただろうかと記憶をたどりますが、「かわらけ」投げをしたことしか思い出せませんでした。なんとか2人で参拝した後は清滝川まで戻り、「もみぢ家別館 川の庵」への吊り橋を渡りました。風情のある店内では炭火が起こされてアユがたくさん焼かれていい香りが漂っています。8月の高雄は川沿いでも暑く、扇風機を回してもらっていると何とか汗も引いてきます。川辺の風景を眺めながら食事をいただき、お酒も飲んでいい気分です。ここからがまた大変でゆっくりと「西明寺」と「高山寺」への坂道を登ることになります。なんとか予定をこなして栂ノ尾のバス停から嵐電宇多野駅まで下り、嵐電に乗って嵐山へと向かいます。<br /><br />

トラピックス 「徳島阿波おどり2026」で心躍る大阪旅 4日間(5)高雄のもみぢ家別館で川床料理を楽しみ、神護寺と高山寺を参拝する。

2いいね!

2026/08/16 - 2026/08/16

4205位(同エリア4725件中)

旅行記グループ 2026大阪の旅

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kojikoji

kojikojiさん

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妻と結婚してから幾度となく京都へ旅行をしているので連れて行っていないところも少なくなってきました。今回は少し暑い時期ですが高雄へ行ってみることにしました。近隣の「神護寺」「西明寺」「高山寺」の寺院も中学生の頃に行って以来50年振りの参拝です。妻は以前行った貴船の川床へ行きたそうでしたが、「高雄にも川床あるよ。」となだめすかします。ホテルの最寄の南方駅からは阪急京都線で西院に出て、西大路四条のバス停から栂ノ尾に向かいます。30分少々で神護寺に近いバス停で降り、目の前にあった「もみぢ家 本館 高雄山荘」に寄ってみます。お昼は少し下った清滝川沿いの「もみぢ家別館 川の庵」を予約してありました。店の方に少し早いので先に神護寺を参拝した方が良いとアドバイスいただいて、到着していることは店に連絡していただくようにお願いしました。「神護寺」への参道の坂道を下るまでは良かったのですが、川沿いで橋を渡った辺りから長い石段が見え始め、妻は「ここで待っている。」と言い出します。そんなに時間かからないよと言いながら手を牽きますが、50年振りの場所なので記憶は全くありません。こんなに歩いただろうかと記憶をたどりますが、「かわらけ」投げをしたことしか思い出せませんでした。なんとか2人で参拝した後は清滝川まで戻り、「もみぢ家別館 川の庵」への吊り橋を渡りました。風情のある店内では炭火が起こされてアユがたくさん焼かれていい香りが漂っています。8月の高雄は川沿いでも暑く、扇風機を回してもらっていると何とか汗も引いてきます。川辺の風景を眺めながら食事をいただき、お酒も飲んでいい気分です。ここからがまた大変でゆっくりと「西明寺」と「高山寺」への坂道を登ることになります。なんとか予定をこなして栂ノ尾のバス停から嵐電宇多野駅まで下り、嵐電に乗って嵐山へと向かいます。

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
ホテル
4.0
グルメ
4.0
交通
5.0
同行者
カップル・夫婦(シニア)
一人あたり費用
5万円 - 10万円
交通手段
高速・路線バス 観光バス 船 タクシー 新幹線 私鉄 徒歩
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行なし)
  • ホテルを出て南方駅に向かいます。まだ大阪は万博が終わっていないような気がします。

    ホテルを出て南方駅に向かいます。まだ大阪は万博が終わっていないような気がします。

    ホテルコンソルト新大阪 宿・ホテル

  • 阪急京都線の南方駅から電車に乗りますが車内はガラガラです。

    阪急京都線の南方駅から電車に乗りますが車内はガラガラです。

    南方駅 駅

  • 京都市内に入ると混雑していると思うので、今回は郊外へ行くことにしました。西院駅で電車を降りてバス停の位置を確認しますが、時間があったので通りの反対側のマクド(関西風にいうと)でお茶をしました。バス停はキャノピーとベンチがあり、モニターでバスが近づいているのも分かります。

    京都市内に入ると混雑していると思うので、今回は郊外へ行くことにしました。西院駅で電車を降りてバス停の位置を確認しますが、時間があったので通りの反対側のマクド(関西風にいうと)でお茶をしました。バス停はキャノピーとベンチがあり、モニターでバスが近づいているのも分かります。

    西院駅 (阪急) 駅

  • 午前10時5分の市バス8の栂ノ尾行きに乗り込みます。バスは空いていたので座ることが出来ました。<br />

    午前10時5分の市バス8の栂ノ尾行きに乗り込みます。バスは空いていたので座ることが出来ました。

  • バスの車内は若い女性の観光客が多かったのですが、皆さんは終点まで行って「高山寺」から下って来るルートのようです。我々はお昼を近くに予約しているので「神護寺」で下車しました。

    バスの車内は若い女性の観光客が多かったのですが、皆さんは終点まで行って「高山寺」から下って来るルートのようです。我々はお昼を近くに予約しているので「神護寺」で下車しました。

    もみぢ家本館 高雄山荘 宿・ホテル

  • バス停の目の前に「もみぢ家 本館 高雄山荘」があったので寄ってみると、予約している「もみぢ家別館 川の庵」に行くには早いので先に「神護寺」を参拝することを勧められます。予約時間より遅くなるのは電話していただけるということでお願いしました。

    バス停の目の前に「もみぢ家 本館 高雄山荘」があったので寄ってみると、予約している「もみぢ家別館 川の庵」に行くには早いので先に「神護寺」を参拝することを勧められます。予約時間より遅くなるのは電話していただけるということでお願いしました。

  • いきなりの長い下り坂で妻はすでに疑心暗鬼なようです。下った坂は登らなければならないと肌で感じているのでしょう。

    いきなりの長い下り坂で妻はすでに疑心暗鬼なようです。下った坂は登らなければならないと肌で感じているのでしょう。

  • 妻は以前行った「貴船」の川床が気に入っていて、今回も行きたいと言っていたのですが、「高雄にもあるから。」となだめすかします。「あなたの叔母さんたちから貴船の話しはよく聞くけど、高雄の話しは聞いたことないわよ。」と疑っています。

    妻は以前行った「貴船」の川床が気に入っていて、今回も行きたいと言っていたのですが、「高雄にもあるから。」となだめすかします。「あなたの叔母さんたちから貴船の話しはよく聞くけど、高雄の話しは聞いたことないわよ。」と疑っています。

  • 「ほら、川が見えて来たよ。」とおだてながら先へ進みます。

    「ほら、川が見えて来たよ。」とおだてながら先へ進みます。

  • 清滝川に架かる朱塗りの「高雄橋」があの世へ渡る橋に見えます。三途の川には3つの渡り方があるとされ、善人は橋を渡るといわれ、軽い罪の人は浅瀬、重い罪の人は深く流れの速い場所を渡るといいます。ここでへとへとになってしまうと先が思いやられます。

    清滝川に架かる朱塗りの「高雄橋」があの世へ渡る橋に見えます。三途の川には3つの渡り方があるとされ、善人は橋を渡るといわれ、軽い罪の人は浅瀬、重い罪の人は深く流れの速い場所を渡るといいます。ここでへとへとになってしまうと先が思いやられます。

  • やはり来るなら紅葉の季節だったかもしれません。しかし、この誰もいないような高雄は真冬か真夏に来るしかないかもしれません。

    やはり来るなら紅葉の季節だったかもしれません。しかし、この誰もいないような高雄は真冬か真夏に来るしかないかもしれません。

  • 橋を渡った先にある「神護寺」への石段を見た妻は「私はここで待ってる。」といいだします。「お寺はこのすぐ上だよ。」と言いながら、中学生の時に来て以来の「神護寺」は「かわらけ投げ」のテラスしか記憶がありません。

    橋を渡った先にある「神護寺」への石段を見た妻は「私はここで待ってる。」といいだします。「お寺はこのすぐ上だよ。」と言いながら、中学生の時に来て以来の「神護寺」は「かわらけ投げ」のテラスしか記憶がありません。

  • 50年以上前の記憶など当てにならないもので、登っても登っても石段が続きます。由真の手を牽いているうちにこちらも倒れそうになってきました。子供の頃は「愛宕山」の千日参り日には走って登って走って降りて来たのですが、もうそんな元気はありません。

    50年以上前の記憶など当てにならないもので、登っても登っても石段が続きます。由真の手を牽いているうちにこちらも倒れそうになってきました。子供の頃は「愛宕山」の千日参り日には走って登って走って降りて来たのですが、もうそんな元気はありません。

  • ようやく「楼門」が見えてきました。「神護寺」は高野山真言宗の寺院だということはここへ来て知りました。

    ようやく「楼門」が見えてきました。「神護寺」は高野山真言宗の寺院だということはここへ来て知りました。

  • 「神護寺」はいずれも和気氏の私寺であったと思われる「神願寺」と「高雄山寺」という2つの寺院が天長元年の824年に事実上合併してできた寺でもあるようです。

    「神護寺」はいずれも和気氏の私寺であったと思われる「神願寺」と「高雄山寺」という2つの寺院が天長元年の824年に事実上合併してできた寺でもあるようです。

    神護寺 寺・神社・教会

  • 高野山は過去に2度参拝して1度は宿坊にも泊まりました。2度目の参拝ではIT企業のIPO株の初値が付く日で、奥の院では弘法大師にもお願いしたところ500円ほどの公開価格が1,600円になりました。それ以来「南無大師遍照金剛」はずっと唱えています。

    高野山は過去に2度参拝して1度は宿坊にも泊まりました。2度目の参拝ではIT企業のIPO株の初値が付く日で、奥の院では弘法大師にもお願いしたところ500円ほどの公開価格が1,600円になりました。それ以来「南無大師遍照金剛」はずっと唱えています。

  • お盆の8月16日に「神護寺」へ参拝に来る人は少ないようで、境内には外国人の観光客が2組いただけでした。

    お盆の8月16日に「神護寺」へ参拝に来る人は少ないようで、境内には外国人の観光客が2組いただけでした。

  • 境内に入ったすぐ右手には「書院」へ通じる「平唐門」があります。「平唐門」は唐破風が門の左右側面に付くタイプなので、正面から見ると唐破風が目立ちにくいことがあります。

    境内に入ったすぐ右手には「書院」へ通じる「平唐門」があります。「平唐門」は唐破風が門の左右側面に付くタイプなので、正面から見ると唐破風が目立ちにくいことがあります。

  • 「神願寺」は和気清麻呂により天応元年の781年に建てられたとされる寺であることから境内には「和気清麻呂霊廟」がありました。

    「神願寺」は和気清麻呂により天応元年の781年に建てられたとされる寺であることから境内には「和気清麻呂霊廟」がありました。

  • 和気清麻呂は道鏡(弓削 道鏡)が皇位につこうとしたときにそれを阻止したことで知られ、桓武天皇の時代には長岡京から平安京への遷都を上奏したと言われます。かつてこの場所には清麻呂の霊社が祀られ「護法善神社」と称されていましたが、明治18年の1886年に明治天皇の勅命により京都御所の蛤御門前に遷座され「護王神社」となっています。

    和気清麻呂は道鏡(弓削 道鏡)が皇位につこうとしたときにそれを阻止したことで知られ、桓武天皇の時代には長岡京から平安京への遷都を上奏したと言われます。かつてこの場所には清麻呂の霊社が祀られ「護法善神社」と称されていましたが、明治18年の1886年に明治天皇の勅命により京都御所の蛤御門前に遷座され「護王神社」となっています。

  • 以前に「桂離宮」「修学院離宮」「京都御所」「仙洞御所」の4カ所を見学する旅で、「護王神社」にも参拝したことがありました。その気に和気清麻呂についても学んだことを忘れていました。

    以前に「桂離宮」「修学院離宮」「京都御所」「仙洞御所」の4カ所を見学する旅で、「護王神社」にも参拝したことがありました。その気に和気清麻呂についても学んだことを忘れていました。

  • 「明王堂」から「毘沙門堂」へと参拝を進めていきます。「毘沙門堂」は入母屋造の美しい五間堂で、昭和10年の1935年に現在の金堂が建てられる前はこの堂が金堂であり、本尊の薬師如来像もここに安置されていました。現在は内部の厨子に平安時代の毘沙門天立像(重要文化財)を安置しています。

    「明王堂」から「毘沙門堂」へと参拝を進めていきます。「毘沙門堂」は入母屋造の美しい五間堂で、昭和10年の1935年に現在の金堂が建てられる前はこの堂が金堂であり、本尊の薬師如来像もここに安置されていました。現在は内部の厨子に平安時代の毘沙門天立像(重要文化財)を安置しています。

  • 「五大堂」は五大明王である不動明王(ふどうみょうおう)、降三世明王(ごうざんぜみょうおう)、軍荼利明王(ぐんだりみょうおう)、大威徳明王(だいいとくみょうおう)、金剛夜叉明王(こんごうやしゃみょうおう))を安置していますが堂の扉は閉じられています。

    「五大堂」は五大明王である不動明王(ふどうみょうおう)、降三世明王(ごうざんぜみょうおう)、軍荼利明王(ぐんだりみょうおう)、大威徳明王(だいいとくみょうおう)、金剛夜叉明王(こんごうやしゃみょうおう))を安置していますが堂の扉は閉じられています。

  • 「金堂」へ続く石段が見えてきました。初めてここへ来たのはもう60年以上前の事で、父に連れられてこの石段で写真を撮ったものが残っています。さすがにその頃の記憶は残っていませんが、父を偲んで京都各地を再訪する原動力にはなります。

    「金堂」へ続く石段が見えてきました。初めてここへ来たのはもう60年以上前の事で、父に連れられてこの石段で写真を撮ったものが残っています。さすがにその頃の記憶は残っていませんが、父を偲んで京都各地を再訪する原動力にはなります。

  • 妻はこの石段を見てもう登りたくないと言い、「五大堂」の日陰の所に残りました。

    妻はこの石段を見てもう登りたくないと言い、「五大堂」の日陰の所に残りました。

  • 「金堂」昭和10年の1935年に再建されています。入母屋造に本瓦葺きの本格的な密教仏堂です。このところ仏教人と言ってもチベット仏教人ばかり参拝していたので、やはり日本の寺院建築は美しいなと感じます。

    「金堂」昭和10年の1935年に再建されています。入母屋造に本瓦葺きの本格的な密教仏堂です。このところ仏教人と言ってもチベット仏教人ばかり参拝していたので、やはり日本の寺院建築は美しいなと感じます。

  • 堂内の写真を撮ることは出来ませんが、須弥壇中央の厨子に本尊の薬師如来立像を安置し、左右に脇侍の日光菩薩と月光菩薩立像と十二神将立像、左右端に四天王立像が安置されています。

    堂内の写真を撮ることは出来ませんが、須弥壇中央の厨子に本尊の薬師如来立像を安置し、左右に脇侍の日光菩薩と月光菩薩立像と十二神将立像、左右端に四天王立像が安置されています。

  • 軒裏の木組みや仕口(しぐち)、組物や斗栱などの美しさが際立っています。

    軒裏の木組みや仕口(しぐち)、組物や斗栱などの美しさが際立っています。

  • 「大師堂」は桃山時代の建築だそうで、重要文化財に指定されています。正安4年の1302年に造られた板彫の弘法大師像を安置しています。正面の杮葺き屋根の大きな妻と、蔀戸(しとみど)の格子の小さな四角の連続が落ち着いた雰囲気を醸し出しています。

    「大師堂」は桃山時代の建築だそうで、重要文化財に指定されています。正安4年の1302年に造られた板彫の弘法大師像を安置しています。正面の杮葺き屋根の大きな妻と、蔀戸(しとみど)の格子の小さな四角の連続が落ち着いた雰囲気を醸し出しています。

  • 「第祠堂」の脇には高野山でも見た「お百度と後生車(ごしょうぐるま)」がありました。上部に窓のような穴があり、その中に石の回転輪が納められているのが特徴です。後生車は回すことで故人の供養や現世での祈願を行うための仏具の一種です。祖父母や両親、伯父や伯母、そして妻の健康を祈ります。歳をとると願う人の数がどんどん増えてきます。

    「第祠堂」の脇には高野山でも見た「お百度と後生車(ごしょうぐるま)」がありました。上部に窓のような穴があり、その中に石の回転輪が納められているのが特徴です。後生車は回すことで故人の供養や現世での祈願を行うための仏具の一種です。祖父母や両親、伯父や伯母、そして妻の健康を祈ります。歳をとると願う人の数がどんどん増えてきます。

  • 参拝の後は元来た石段をとぼとぼと下ります。橋は渡らずに清滝川沿いに進んでお昼を予約した「もみぢ家別館 川の庵」に向かいます。

    参拝の後は元来た石段をとぼとぼと下ります。橋は渡らずに清滝川沿いに進んでお昼を予約した「もみぢ家別館 川の庵」に向かいます。

  • 以外に観光バスが多く、料理屋さんの歓迎看板には大文字の五山送り火と組み合わせたツアーがありました。昨日は阿波踊りツアーに参加しましたが、調べればこんなツアーもあったようです。

    以外に観光バスが多く、料理屋さんの歓迎看板には大文字の五山送り火と組み合わせたツアーがありました。昨日は阿波踊りツアーに参加しましたが、調べればこんなツアーもあったようです。

  • 「もみぢ家別館 川の庵」の入口まで来ました。ずいぶん野趣あふれた造りがいいです。木々が生い茂っているので、日中でも明かりを付けないとならないようです。

    「もみぢ家別館 川の庵」の入口まで来ました。ずいぶん野趣あふれた造りがいいです。木々が生い茂っているので、日中でも明かりを付けないとならないようです。

    もみぢ家別館 川の庵 宿・ホテル

  • ここからは清滝川を吊り橋で渡ります。

    ここからは清滝川を吊り橋で渡ります。

  • かなり本格的な吊り橋なのには驚きました。

    かなり本格的な吊り橋なのには驚きました。

  • 橋の上からは清滝川の流れと川床が見えます。

    橋の上からは清滝川の流れと川床が見えます。

  • 橋を渡った先からは香ばしいいい匂いと煙が漂ってきます。

    橋を渡った先からは香ばしいいい匂いと煙が漂ってきます。

  • 渡った先にはオープン厨房があり、ここでは季節の鮎が炭火で焼かれています。

    渡った先にはオープン厨房があり、ここでは季節の鮎が炭火で焼かれています。

  • 家でもいい鮎を取り寄せて鮎を焼くことがありますが、泳いでいるような串を打つのはなかなか難しいです。これがこの後いただけるのですから楽しみです。

    家でもいい鮎を取り寄せて鮎を焼くことがありますが、泳いでいるような串を打つのはなかなか難しいです。これがこの後いただけるのですから楽しみです。

  • 「神護寺」参拝を先にしたのでお昼のピークは過ぎたようで川床の席は空いていました。4人掛けのテーブルに横並びで座るので、目の前の清滝川の川辺が御簾越しに見えます。

    「神護寺」参拝を先にしたのでお昼のピークは過ぎたようで川床の席は空いていました。4人掛けのテーブルに横並びで座るので、目の前の清滝川の川辺が御簾越しに見えます。

  • 予約してあったのは7,700円(税込み)の川床御膳です。まずは手提弁当風の容器が並べられます。

    予約してあったのは7,700円(税込み)の川床御膳です。まずは手提弁当風の容器が並べられます。

  • まだ汗が完全に引く前にビールとレモンサワーで乾杯です。眺めは良いですが写真は撮りにくいです。川床の天井は船のような設えなので屋形船に乗っているようです。

    まだ汗が完全に引く前にビールとレモンサワーで乾杯です。眺めは良いですが写真は撮りにくいです。川床の天井は船のような設えなので屋形船に乗っているようです。

  • 1段目は青海苔のコンニャクと生麩の刺身仕立てです。つまに使われている海藻クリスタルはコリコリしてお気に入りです。

    1段目は青海苔のコンニャクと生麩の刺身仕立てです。つまに使われている海藻クリスタルはコリコリしてお気に入りです。

  • 2段目は10種類ほどの料理が奇麗に盛られています。これを見てそろそろおせち料理どうしようかという話になります。

    2段目は10種類ほどの料理が奇麗に盛られています。これを見てそろそろおせち料理どうしようかという話になります。

  • 炊き合わせは夏野菜と鱧の煮凝り寄せで冷たくて美味しいです。

    炊き合わせは夏野菜と鱧の煮凝り寄せで冷たくて美味しいです。

  • 先ほど表で焼かれていた鮎がやってきました。

    先ほど表で焼かれていた鮎がやってきました。

  • ちょうど冷酒をお願いしたのでいいタイミングでした。ヒレを取って、身をほぐして頭から骨をきれいに抜きます。妻は内臓があまり得意ではないのでこちらでいただきます。冷酒は山本本家の「神聖」で、「もみぢ家」オリジナルのラベルです。

    ちょうど冷酒をお願いしたのでいいタイミングでした。ヒレを取って、身をほぐして頭から骨をきれいに抜きます。妻は内臓があまり得意ではないのでこちらでいただきます。冷酒は山本本家の「神聖」で、「もみぢ家」オリジナルのラベルです。

  • 今回は高雄の3つの寺院を参拝するので高雄の川床にしましたが、風情はやはり川の上に座って食事をする貴船の方が上ですね。秋の紅葉の季節だとまた違うのかもしれませんが。<br />奥貴船「兵衛」:https://4travel.jp/travelogue/11946745

    今回は高雄の3つの寺院を参拝するので高雄の川床にしましたが、風情はやはり川の上に座って食事をする貴船の方が上ですね。秋の紅葉の季節だとまた違うのかもしれませんが。
    奥貴船「兵衛」:https://4travel.jp/travelogue/11946745

  • 最期はスイカが出てきましたが、スイカにパセリとはシュールです。食事の後は清滝川を遡るように「西明寺」に向かいます。

    最期はスイカが出てきましたが、スイカにパセリとはシュールです。食事の後は清滝川を遡るように「西明寺」に向かいます。

  • 坂道を上る途中で上から降りて来た若い女性に「まだ坂は長いですか?」と尋ねたら台湾からの人でした。1人でこんなところを歩いているとは。

    坂道を上る途中で上から降りて来た若い女性に「まだ坂は長いですか?」と尋ねたら台湾からの人でした。1人でこんなところを歩いているとは。

    西明寺 寺・神社・教会

  • 高雄山「神護寺」、栂尾山「高山寺」とともに三尾(さんび)の名刹である「西明寺」です。寺伝によると天長年間(824年から834年)に弘法大師空海の高弟である智泉大徳が神護寺の別院、また戒律道場として創建されたと伝えられます。

    高雄山「神護寺」、栂尾山「高山寺」とともに三尾(さんび)の名刹である「西明寺」です。寺伝によると天長年間(824年から834年)に弘法大師空海の高弟である智泉大徳が神護寺の別院、また戒律道場として創建されたと伝えられます。

  • 境内には樹齢700年と言われる高野槇があります。「西明寺」は建治年間に和泉国槙尾山寺の我宝自性上人が中興していますが、その自性上人の手植えで日本最古の槇の1本だそうです。

    境内には樹齢700年と言われる高野槇があります。「西明寺」は建治年間に和泉国槙尾山寺の我宝自性上人が中興していますが、その自性上人の手植えで日本最古の槇の1本だそうです。

  • 扁額の「霊山鷲心」は空海による筆です。霊山は「霊鷲山(りょうじゅせん)」の事で、この春に行ったばかりだったので感慨深いです。

    扁額の「霊山鷲心」は空海による筆です。霊山は「霊鷲山(りょうじゅせん)」の事で、この春に行ったばかりだったので感慨深いです。

  • 「霊鷲山」は釈迦が晩年に多くの説法をされた場所で、特に「「法華経」「大無量寿経」「般若経」などが説かれたことで知られています。多くの菩薩や弟子、四天王などが説法を聞いたとされ、マガダ国のビンビサーラ王もこの山道を歩いて説法を聞きに来ており、「ビンビサーラ・ロード」とも呼ばれます。

    「霊鷲山」は釈迦が晩年に多くの説法をされた場所で、特に「「法華経」「大無量寿経」「般若経」などが説かれたことで知られています。多くの菩薩や弟子、四天王などが説法を聞いたとされ、マガダ国のビンビサーラ王もこの山道を歩いて説法を聞きに来ており、「ビンビサーラ・ロード」とも呼ばれます。

  • 山頂にはタルチョというチベットの五色の祈祷旗がたなびいて、祈りをささげる僧侶の姿らしきものも確認できました。<br />インド霊鷲山:https://4travel.jp/travelogue/12038288

    山頂にはタルチョというチベットの五色の祈祷旗がたなびいて、祈りをささげる僧侶の姿らしきものも確認できました。
    インド霊鷲山:https://4travel.jp/travelogue/12038288

  • この本堂は1700年に桂昌院の寄進によって再建された欅造りの建物だそうです。

    この本堂は1700年に桂昌院の寄進によって再建された欅造りの建物だそうです。

  • 本堂の内陣には須弥壇上に仏師運慶によって彫られた本尊の釈迦如来像が祀られていいます。35歳で悟りを開かれて80歳で亡くなられる45年間にインドの各地を説法して歩いている姿を彫った如来像です。

    本堂の内陣には須弥壇上に仏師運慶によって彫られた本尊の釈迦如来像が祀られていいます。35歳で悟りを開かれて80歳で亡くなられる45年間にインドの各地を説法して歩いている姿を彫った如来像です。

  • 特に熱心な仏教徒でもありませんが、東南アジアから南アジア各国の仏教遺跡を巡りり、その延長でインド東部の仏教遺跡を巡りました。この艦債の旅の後にはその延長でバングラデシュの仏教遺跡まで行く予定です。

    特に熱心な仏教徒でもありませんが、東南アジアから南アジア各国の仏教遺跡を巡りり、その延長でインド東部の仏教遺跡を巡りました。この艦債の旅の後にはその延長でバングラデシュの仏教遺跡まで行く予定です。

  • 「西明寺」の裏側から境内に入って「表門」から出て、「高山寺」に向かいます。石段の歪みが何とも言えません。「本堂」と同じ時期に桂昌院の寄進によって建てられた一間薬医門で、門前には苔むした石灯篭の傍に3本の老杉が植えられています。

    「西明寺」の裏側から境内に入って「表門」から出て、「高山寺」に向かいます。石段の歪みが何とも言えません。「本堂」と同じ時期に桂昌院の寄進によって建てられた一間薬医門で、門前には苔むした石灯篭の傍に3本の老杉が植えられています。

  • 石段の先はさらに急な石段が続いています。裏側からの坂道はこれほど急ではなかったので正解だったかもしれません。

    石段の先はさらに急な石段が続いています。裏側からの坂道はこれほど急ではなかったので正解だったかもしれません。

  • 妻の姿を見ていると「黄泉比良坂」はこんなだろうかと思ってしまいます。この坂は日本神話において生者の住む現世と死者の住む他界(黄泉)との境目にあるとされ、イザナミが火の神(カグツチ)を生んで亡くなり、黄泉の国へ行ってしまったため、イザナギがイザナミに会うため黄泉国に向かった場所です。

    妻の姿を見ていると「黄泉比良坂」はこんなだろうかと思ってしまいます。この坂は日本神話において生者の住む現世と死者の住む他界(黄泉)との境目にあるとされ、イザナミが火の神(カグツチ)を生んで亡くなり、黄泉の国へ行ってしまったため、イザナギがイザナミに会うため黄泉国に向かった場所です。

  • イザナギがイザナミに思いが至ったのは昨日の淡路島を通過して徳島へ行ったこともあったのかもしれません。淡路島は「国生み神話」でイザナギとイザナミの二神が高天原の神々に命じられ、日本列島を構成する島々を創成した際に最初に作られた淤能碁呂島(おのごろじま)だと言われています。

    イザナギがイザナミに思いが至ったのは昨日の淡路島を通過して徳島へ行ったこともあったのかもしれません。淡路島は「国生み神話」でイザナギとイザナミの二神が高天原の神々に命じられ、日本列島を構成する島々を創成した際に最初に作られた淤能碁呂島(おのごろじま)だと言われています。

  • 「指月橋」で清滝川を渡ると現生に帰ってきたような気になります。

    「指月橋」で清滝川を渡ると現生に帰ってきたような気になります。

  • しばらく車道を通った後に「高山寺」への表参道の石段を登ります。

    しばらく車道を通った後に「高山寺」への表参道の石段を登ります。

    高山寺 寺・神社・教会

  • 創建は奈良時代と伝えられますが、実質的な開山は鎌倉時代に元々ここにあった「神護寺」の子院が荒廃した跡に「神護寺」の文覚の弟子であった明恵が入って寺としたもののようです。

    創建は奈良時代と伝えられますが、実質的な開山は鎌倉時代に元々ここにあった「神護寺」の子院が荒廃した跡に「神護寺」の文覚の弟子であった明恵が入って寺としたもののようです。

  • 明恵は建永元年の1206年に後鳥羽上皇から栂尾の地を与えられ、また寺名のもとになった「日出先照高山之寺」の勅額を下賜されました。この時が「高山寺」の創立と見なされています。

    明恵は建永元年の1206年に後鳥羽上皇から栂尾の地を与えられ、また寺名のもとになった「日出先照高山之寺」の勅額を下賜されました。この時が「高山寺」の創立と見なされています。

  • 「日出先照高山」とは「華厳経」の中の句で「朝日が昇って、真っ先に照らされるのは高い山の頂上だ」という意味であり、そのように光り輝く寺院であれとの意が込められています。

    「日出先照高山」とは「華厳経」の中の句で「朝日が昇って、真っ先に照らされるのは高い山の頂上だ」という意味であり、そのように光り輝く寺院であれとの意が込められています。

  • 明恵は鎌倉時代初期に臨済宗の開祖である栄西から茶の種を貰い、当寺の境内に植えたという伝承があります。この地で栽培された茶は栄西が南宋へ留学した際にそこで種子を得て、帰国後に明恵の求めに応じて贈ったものと伝えられます。栄西は博多から寧波へと渡りますが、寧波から揚州や杭州などを何度も旅しているのでその光景が浮かんできます。

    明恵は鎌倉時代初期に臨済宗の開祖である栄西から茶の種を貰い、当寺の境内に植えたという伝承があります。この地で栽培された茶は栄西が南宋へ留学した際にそこで種子を得て、帰国後に明恵の求めに応じて贈ったものと伝えられます。栄西は博多から寧波へと渡りますが、寧波から揚州や杭州などを何度も旅しているのでその光景が浮かんできます。

  • 「高山寺」の参拝は上手い具合に団体ツアーの方が出たところでとても空いていました。

    「高山寺」の参拝は上手い具合に団体ツアーの方が出たところでとても空いていました。

  • 「石水院」は「五所堂」とも呼ばれる鎌倉時代の建築で入母屋造に杮(こけら)葺きです。後鳥羽上皇の学問所を下賜されたものと伝え、明恵の住房跡とも伝えられます。外観は住宅風ですが本来は経蔵として造られたものだそうです。

    「石水院」は「五所堂」とも呼ばれる鎌倉時代の建築で入母屋造に杮(こけら)葺きです。後鳥羽上皇の学問所を下賜されたものと伝え、明恵の住房跡とも伝えられます。外観は住宅風ですが本来は経蔵として造られたものだそうです。

  • 山深い寺の庭園は杉苔も色濃く、夏のこの時期でも美しく感じられます。この宴側の部分に気持ち良い風が通るのでしばらく座って庭を眺めていました。

    山深い寺の庭園は杉苔も色濃く、夏のこの時期でも美しく感じられます。この宴側の部分に気持ち良い風が通るのでしばらく座って庭を眺めていました。

  • 正面の欄間にある扁額「石水院」は富岡鉄斎の筆とのことです。落板敷には「善財童子」の像が置かれてあります。善財童子は修行者の理想とされ、後の仏教文化に大きな影響を与えました。昔から多くの絵画や詩歌に描かれており、日本では明恵上人高弁による善財童子の讃嘆が有名です。

    正面の欄間にある扁額「石水院」は富岡鉄斎の筆とのことです。落板敷には「善財童子」の像が置かれてあります。善財童子は修行者の理想とされ、後の仏教文化に大きな影響を与えました。昔から多くの絵画や詩歌に描かれており、日本では明恵上人高弁による善財童子の讃嘆が有名です。

  • 善財童子は「華厳経」入法界品の主人公で、悟りを求めて諸師を歴訪する童子です。明恵は華厳宗の僧であり、この善財童子の遍歴と発心を非常に重く見ていました。

    善財童子は「華厳経」入法界品の主人公で、悟りを求めて諸師を歴訪する童子です。明恵は華厳宗の僧であり、この善財童子の遍歴と発心を非常に重く見ていました。

  • 木彫像の子犬は「高山寺」を開基した明恵上人が座右に置いて愛玩したと伝えられています。

    木彫像の子犬は「高山寺」を開基した明恵上人が座右に置いて愛玩したと伝えられています。

  • 「高山寺」にも中学生の頃に来ているはずなのですが、全く記憶が残っていません。

    「高山寺」にも中学生の頃に来ているはずなのですが、全く記憶が残っていません。

  • 南面の欄間にある勅額「日出先照高山之寺(ひいでてまずてらすこうざんのてら)」は後鳥羽上皇の筆と伝えられています。

    南面の欄間にある勅額「日出先照高山之寺(ひいでてまずてらすこうざんのてら)」は後鳥羽上皇の筆と伝えられています。

  • インドのラダックの山の中のホテルで朝日を見るためにホテルの屋上で待機したのはほんの2カ月前の事でした。

    インドのラダックの山の中のホテルで朝日を見るためにホテルの屋上で待機したのはほんの2カ月前の事でした。

  • 「明恵上人樹上坐禅像」で、オリジナルは国宝です。

    「明恵上人樹上坐禅像」で、オリジナルは国宝です。

  • 「高山寺」というと「鳥獣戯画」ですね。いくつかの場面を見ていきます。

    「高山寺」というと「鳥獣戯画」ですね。いくつかの場面を見ていきます。

  • 甲巻の一場面で猿の僧正(法師)に鹿が贈られるシーンが描かれています。画面上部に大きな角を持った鹿が跳ねるように描かれています。鹿の引き綱を持っているかのように、うさぎが前を走っています。僧侶(僧正)の姿をした猿が腰を下ろしています。人間社会の贈答儀礼(馬の贈答)を動物に置き換えてユーモラスに表現した場面です。

    甲巻の一場面で猿の僧正(法師)に鹿が贈られるシーンが描かれています。画面上部に大きな角を持った鹿が跳ねるように描かれています。鹿の引き綱を持っているかのように、うさぎが前を走っています。僧侶(僧正)の姿をした猿が腰を下ろしています。人間社会の贈答儀礼(馬の贈答)を動物に置き換えてユーモラスに表現した場面です。

  • この場面では高位のサルの僧侶(僧正)にお経をあげてもらうため、動物たちがお布施を持参している様子が描かれています。中央の大きなイノシシは「擬人化された動物」ではなく、当時の現実の家畜や狩猟の獲物としてのイノシシとしてそのまま描かれています。当時は僧侶に貴重な馬などを贈る習慣があり、ここでは馬の代わりに鹿やイノシシがお布施として連れてこられました。イノシシの背中には兎しがみついてその巨体をなんとか制御しようとしています。ひもで引かれてきたイノシシを手を出して迎え入れようとする蛙が描かれています。この蛙はこれから法会を執り行うサルの僧侶の弟子、あるいは受付のような役割をしています。<br />

    この場面では高位のサルの僧侶(僧正)にお経をあげてもらうため、動物たちがお布施を持参している様子が描かれています。中央の大きなイノシシは「擬人化された動物」ではなく、当時の現実の家畜や狩猟の獲物としてのイノシシとしてそのまま描かれています。当時は僧侶に貴重な馬などを贈る習慣があり、ここでは馬の代わりに鹿やイノシシがお布施として連れてこられました。イノシシの背中には兎しがみついてその巨体をなんとか制御しようとしています。ひもで引かれてきたイノシシを手を出して迎え入れようとする蛙が描かれています。この蛙はこれから法会を執り行うサルの僧侶の弟子、あるいは受付のような役割をしています。

  • ウサギとカエルが「賭弓(のりゆみ)」という弓の腕比べをして遊んでいます。当時の貴族たちの宮廷行事や遊びを真似て、動物たちが人間さながらに勝負を楽しんでいるシーンです。ウサギたちはススキなどの草(萩の枝や尾花)を「弓矢」に見立てて、一生懸命に的を狙って弓を引いたり競技に熱中したりしています。蓮の葉の的に見事矢を命中させたのか、大喜びして仰向けにひっくり返り、お腹を抱えて大笑いしています。ウサギたちが真剣な表情で弓を構える一方で、カエルがそれを大笑いして煽るようなユーモラスでコミカルな対比が躍動感たっぷりに描かれた名場面の1つです。

    ウサギとカエルが「賭弓(のりゆみ)」という弓の腕比べをして遊んでいます。当時の貴族たちの宮廷行事や遊びを真似て、動物たちが人間さながらに勝負を楽しんでいるシーンです。ウサギたちはススキなどの草(萩の枝や尾花)を「弓矢」に見立てて、一生懸命に的を狙って弓を引いたり競技に熱中したりしています。蓮の葉の的に見事矢を命中させたのか、大喜びして仰向けにひっくり返り、お腹を抱えて大笑いしています。ウサギたちが真剣な表情で弓を構える一方で、カエルがそれを大笑いして煽るようなユーモラスでコミカルな対比が躍動感たっぷりに描かれた名場面の1つです。

  • ウサギとカエルたちが「賭弓(のりゆみ)」の勝負が終わった後の宴会(酒宴)のためにごちそうや道具を運んで用意をしているところが描かれています。この直前の場面ではウサギのチームとカエルのチームが弓矢の対決を行っています。勝負が終わると敵味方関係なくみんなで集まって盛大な宴会を開くことになります。ウサギやカエルたちはその宴会で使う酒壺、食べ物、調度品などをみんなで分担して会場へ運んでいる最中です。

    ウサギとカエルたちが「賭弓(のりゆみ)」の勝負が終わった後の宴会(酒宴)のためにごちそうや道具を運んで用意をしているところが描かれています。この直前の場面ではウサギのチームとカエルのチームが弓矢の対決を行っています。勝負が終わると敵味方関係なくみんなで集まって盛大な宴会を開くことになります。ウサギやカエルたちはその宴会で使う酒壺、食べ物、調度品などをみんなで分担して会場へ運んでいる最中です。

  • 妻はベンチで座っているというので1人で境内を歩いてみます。

    妻はベンチで座っているというので1人で境内を歩いてみます。

  • 石段の脇には「日本最古の茶園」もあります。中国の杭州を旅した際は路線バスに乗って龍井へ龍井茶を買い求めに行ったことが思い出されます。杭州周辺には広大な茶畑が続き、茶館へも行きました。栄佐は南宋時代にどこから茶の種をもらったのでしょうか。何となく風景が似ていると思いながら歩きました。

    石段の脇には「日本最古の茶園」もあります。中国の杭州を旅した際は路線バスに乗って龍井へ龍井茶を買い求めに行ったことが思い出されます。杭州周辺には広大な茶畑が続き、茶館へも行きました。栄佐は南宋時代にどこから茶の種をもらったのでしょうか。何となく風景が似ていると思いながら歩きました。

  • 手入れの行き届いた杉の木が美しい姿を見せてくれます。高雄からさらに北に進んでいくと北山杉の産地となります。

    手入れの行き届いた杉の木が美しい姿を見せてくれます。高雄からさらに北に進んでいくと北山杉の産地となります。

  • 「金銅」は「高山寺」の本堂にあたる重要文化財の建物です。現在の「金堂」は江戸時代初期に「仁和寺」の真言院御堂を移築したものだそうで派手さはありませんが周囲の杉の森の中に美しい姿を見せています。

    「金銅」は「高山寺」の本堂にあたる重要文化財の建物です。現在の「金堂」は江戸時代初期に「仁和寺」の真言院御堂を移築したものだそうで派手さはありませんが周囲の杉の森の中に美しい姿を見せています。

  • そろそろ帰りのバスの時間になるので「高山寺」を後にします。青モミジもきれいですが、紅葉の時期はもっと美しいのだと思います。

    そろそろ帰りのバスの時間になるので「高山寺」を後にします。青モミジもきれいですが、紅葉の時期はもっと美しいのだと思います。

  • まだこの日のメインイベントが残っているのですが、妻はもうへとへとのようです。

    まだこの日のメインイベントが残っているのですが、妻はもうへとへとのようです。

  • 始発の栂ノ尾のバス停から嵐電の宇多野駅近くまで戻ります。この後は嵐山に出て屋形船から鵜飼と五山の送り火も船の上から観ます。

    始発の栂ノ尾のバス停から嵐電の宇多野駅近くまで戻ります。この後は嵐山に出て屋形船から鵜飼と五山の送り火も船の上から観ます。

    宇多野駅 駅

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