新大阪駅周辺・十三旅行記(ブログ) 一覧に戻る
8月にダイヤモンド・プリンセスの夏祭りクルーズに参加する友人夫婦にいろいろアドバイスをしているとトラピックスのフリーツアーで「徳島阿波おどり2026で心躍る大阪旅 4日間」というものが目に留まりました。日にちを合わせれば徳島で会えるかもしれないと思い、詳しく見ているといろいろアイディアが浮かんできて途中で友人夫婦の事はそっちのけになってしまいました。14日に東京を出ると翌15日に徳島の阿波踊りを見て、16日は京都の五山の送り火を観ることが出来ると夢は膨らんでいきます。我ながら良いスケジュールが出来たところで友人に連絡すると14日はダイヤモンド・プリンセスが大阪に寄港して娘家族と食事をするので一緒にどう?ということになり、さらに盛りだくさんのスケジュールになりました。往路の新幹線はトラピックスの追加料金の発生しない早朝にしたので、東京駅を午前6時24分発車ののぞみ113号で新大阪に向かいます。8時48分には新大阪駅に着いて、そのまま御堂筋線に乗り換えて西中島南方駅にある指定のホテル「ホテルコンソルト新大阪」に荷物を預けて身軽になります。さすがに朝早かったのでホテルの1階にある「カフェ・ベローチェ」で少し休憩しました。友人にLineすると「阪急うめだ本店」で買い物をするので娘たちと待ち合わせするというので合流することにします。エルメスで合流して買い物に付き合っていると妻まで目つきが変わってくるのでカウンターに座らせて水を飲ませていました。全員揃ったところでタクシーで移動して「ONZONO」というレストランでランチしました。娘さんが近所にあって入ってみたかったという店でしたが、ダイヤモンド・プリンセスの船内の料理に被るような気もしました。食後は「天神橋筋商店街」を散歩して皆さんとはお別れします。そのまま「大阪天満宮」を参拝して、次の目的地である「リーガロイヤルホテル大阪 ヴィニェット コレクション」に向かいます。<br /><br />

トラピックス 「徳島阿波おどり2026」で心躍る大阪旅 4日間(1)阪急交通社のフリーツアーで大阪に入り、友人家族とランチを楽しむ。

2いいね!

2026/08/14 - 2026/08/14

474位(同エリア480件中)

旅行記グループ 2026大阪の旅

0

55

kojikoji

kojikojiさん

この旅行記スケジュールを元に

8月にダイヤモンド・プリンセスの夏祭りクルーズに参加する友人夫婦にいろいろアドバイスをしているとトラピックスのフリーツアーで「徳島阿波おどり2026で心躍る大阪旅 4日間」というものが目に留まりました。日にちを合わせれば徳島で会えるかもしれないと思い、詳しく見ているといろいろアイディアが浮かんできて途中で友人夫婦の事はそっちのけになってしまいました。14日に東京を出ると翌15日に徳島の阿波踊りを見て、16日は京都の五山の送り火を観ることが出来ると夢は膨らんでいきます。我ながら良いスケジュールが出来たところで友人に連絡すると14日はダイヤモンド・プリンセスが大阪に寄港して娘家族と食事をするので一緒にどう?ということになり、さらに盛りだくさんのスケジュールになりました。往路の新幹線はトラピックスの追加料金の発生しない早朝にしたので、東京駅を午前6時24分発車ののぞみ113号で新大阪に向かいます。8時48分には新大阪駅に着いて、そのまま御堂筋線に乗り換えて西中島南方駅にある指定のホテル「ホテルコンソルト新大阪」に荷物を預けて身軽になります。さすがに朝早かったのでホテルの1階にある「カフェ・ベローチェ」で少し休憩しました。友人にLineすると「阪急うめだ本店」で買い物をするので娘たちと待ち合わせするというので合流することにします。エルメスで合流して買い物に付き合っていると妻まで目つきが変わってくるのでカウンターに座らせて水を飲ませていました。全員揃ったところでタクシーで移動して「ONZONO」というレストランでランチしました。娘さんが近所にあって入ってみたかったという店でしたが、ダイヤモンド・プリンセスの船内の料理に被るような気もしました。食後は「天神橋筋商店街」を散歩して皆さんとはお別れします。そのまま「大阪天満宮」を参拝して、次の目的地である「リーガロイヤルホテル大阪 ヴィニェット コレクション」に向かいます。

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
ホテル
4.0
グルメ
4.0
ショッピング
4.0
交通
4.5
同行者
カップル・夫婦(シニア)
一人あたり費用
10万円 - 15万円
交通手段
観光バス 船 タクシー 新幹線 私鉄 徒歩
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行なし)
  • 最近国内旅行が少なくなり、今年は新潟1泊2日の酒蔵巡り以来の旅となりました。ツアーの追加料金の発生しない午前6時台の新幹線で申し込んだので早朝からの移動です。

    最近国内旅行が少なくなり、今年は新潟1泊2日の酒蔵巡り以来の旅となりました。ツアーの追加料金の発生しない午前6時台の新幹線で申し込んだので早朝からの移動です。

  • のぞみ113号午前6時24分発の列車で大阪に向かいます。<br />

    のぞみ113号午前6時24分発の列車で大阪に向かいます。

  • お盆真っ最中の東京駅ですが、8月14日の朝はニュースで見るような混雑も無く、それどころか閑散として感があります。

    お盆真っ最中の東京駅ですが、8月14日の朝はニュースで見るような混雑も無く、それどころか閑散として感があります。

    東京駅 駅

  • 隣のホームの列車の自由席もガラガラでした。

    隣のホームの列車の自由席もガラガラでした。

  • ようやく我々の乗る列車が入線してきました。折り返し便では無いのですぐに車内に入れたのが良かったです。

    ようやく我々の乗る列車が入線してきました。折り返し便では無いのですぐに車内に入れたのが良かったです。

  • 新横浜駅を出たところで缶チューハイと自宅近くのスーパーで買ったおにぎりなどをいただきました。午前6時では東京駅でお弁当は買えないかと思いましたが駅弁屋 踊 グランスタ東京店」が午前6時にオープンして賑わっていました。

    新横浜駅を出たところで缶チューハイと自宅近くのスーパーで買ったおにぎりなどをいただきました。午前6時では東京駅でお弁当は買えないかと思いましたが駅弁屋 踊 グランスタ東京店」が午前6時にオープンして賑わっていました。

  • 今回のトラピックスのフリーツアー「徳島阿波おどり2026で心躍る大阪旅 4日間」は79,900円で、新幹線代が13,870円で、トラピックスの日帰りツアーが14,900円、ホテル代金が1泊2名で21,000円だったのでツアーの方が3,000円ほど安いだけでした。

    今回のトラピックスのフリーツアー「徳島阿波おどり2026で心躍る大阪旅 4日間」は79,900円で、新幹線代が13,870円で、トラピックスの日帰りツアーが14,900円、ホテル代金が1泊2名で21,000円だったのでツアーの方が3,000円ほど安いだけでした。

  • 今年クルーズデビューする友人夫婦は我が家が2年連続で乗ったダイヤモンド・プリンセスの日本の夏祭りクルーズに乗船していました。徳島で会えるようなツアーがないかと探していてこのツアーに行きつきました。

    今年クルーズデビューする友人夫婦は我が家が2年連続で乗ったダイヤモンド・プリンセスの日本の夏祭りクルーズに乗船していました。徳島で会えるようなツアーがないかと探していてこのツアーに行きつきました。

  • 友人夫婦は8月12日に徳島に寄港して阿波踊りを観るのですが、我々はその前後に何をすると考えたときにお盆のど真ん中で京都と大阪は混むと思えてきました。そこを2日ずらして14日出発に変えるといろいろなものが見えてきます。

    友人夫婦は8月12日に徳島に寄港して阿波踊りを観るのですが、我々はその前後に何をすると考えたときにお盆のど真ん中で京都と大阪は混むと思えてきました。そこを2日ずらして14日出発に変えるといろいろなものが見えてきます。

    浜名湖 自然・景勝地

  • 友人夫婦と徳島で会うのは諦めた話をすると14日は大阪に寄港して娘さん夫婦とランチを予定しているというのでそこに参加することにしました。

    友人夫婦と徳島で会うのは諦めた話をすると14日は大阪に寄港して娘さん夫婦とランチを予定しているというのでそこに参加することにしました。

  • 母の故郷である京都を通過すると何か悪いようなことをしている気分になってしまいます。祖父の生家で母が育った家は先日「プラチナファミリー」で紹介されていましたが、森泉に良いようにやられていました。

    母の故郷である京都を通過すると何か悪いようなことをしている気分になってしまいます。祖父の生家で母が育った家は先日「プラチナファミリー」で紹介されていましたが、森泉に良いようにやられていました。

    京都駅 駅

  • 午前8時48分に新大阪駅に到着しました。新大阪駅からは御堂筋線でホテルのある西中島南方駅に向かいます。<br />

    午前8時48分に新大阪駅に到着しました。新大阪駅からは御堂筋線でホテルのある西中島南方駅に向かいます。

    新大阪駅 駅

  • 駅のトイレに寄ったらこんな看板がありました。女性の方も同じコピーでしたが、さすがに日中に女子トイレの入り口の写真は撮れません。

    駅のトイレに寄ったらこんな看板がありました。女性の方も同じコピーでしたが、さすがに日中に女子トイレの入り口の写真は撮れません。

  • 今回3泊する「ホテルコンソルト新大阪」です。この立地が御堂筋線と阪急京都線が乗り入れているので4日間の計画がいろいろ頭に浮かんできました。<br />

    今回3泊する「ホテルコンソルト新大阪」です。この立地が御堂筋線と阪急京都線が乗り入れているので4日間の計画がいろいろ頭に浮かんできました。

    ホテルコンソルト新大阪 宿・ホテル

  • とりあえずホテルのフロントに向かい荷物を預かってもらうことにします。同じフリーツアーの出発日違いの方がいたようで、前の晩に行った阿波踊りの話しをされていました。

    とりあえずホテルのフロントに向かい荷物を預かってもらうことにします。同じフリーツアーの出発日違いの方がいたようで、前の晩に行った阿波踊りの話しをされていました。

  • さて友人夫婦と会うには早いのでどこかへ遊びに行こうと思いましたが、朝が早すぎたのでこの時点で疲れ果ててしまい、ホテルの1階にあるヴェローチェで休憩することにします。

    さて友人夫婦と会うには早いのでどこかへ遊びに行こうと思いましたが、朝が早すぎたのでこの時点で疲れ果ててしまい、ホテルの1階にあるヴェローチェで休憩することにします。

  • 一応大阪に着いた連絡を友人にするとこのあと梅田阪急本店で娘さん家族と待ち合わせしているというのそこで合流することにします。

    一応大阪に着いた連絡を友人にするとこのあと梅田阪急本店で娘さん家族と待ち合わせしているというのそこで合流することにします。

  • 疲れてしまった妻はお店の中で寝ちゃいそうです。売り場の方からお水を頂いて意識を保っていました。財布とスカーフのお買い物を待ってタクシーで移動します。

    疲れてしまった妻はお店の中で寝ちゃいそうです。売り場の方からお水を頂いて意識を保っていました。財布とスカーフのお買い物を待ってタクシーで移動します。

    阪急うめだ本店 百貨店・デパート

  • 娘さん家族のマンション近くの「ONZONO」というレストランでリフィクスランチをいただくということです。以前より入ってみたかったお店とのことですが、友人夫婦はクルーズ船で食べているものと料理が似ているのではないかと思いました。<br /> <br /><br />

    娘さん家族のマンション近くの「ONZONO」というレストランでリフィクスランチをいただくということです。以前より入ってみたかったお店とのことですが、友人夫婦はクルーズ船で食べているものと料理が似ているのではないかと思いました。


  • スタンダードコースは前菜・メイン・デザートだったので、そちらを選びました。この後の夜の都合もあるので少なめのコースにしました。濃厚なコーンの冷製スープからスタートします。

    スタンダードコースは前菜・メイン・デザートだったので、そちらを選びました。この後の夜の都合もあるので少なめのコースにしました。濃厚なコーンの冷製スープからスタートします。

  • フレッシュなトマトとエビの前菜。エビの頭はカリっと焼かれていて美味しくいただけます。

    フレッシュなトマトとエビの前菜。エビの頭はカリっと焼かれていて美味しくいただけます。

  • 妻の前菜は桃と生ハムとカッテージチーズで、こちらの方がボリューミーでした。半分いただきました。

    妻の前菜は桃と生ハムとカッテージチーズで、こちらの方がボリューミーでした。半分いただきました。

  • メインは豚肉のローストでとても美味しかったのですが、さすがに量が少なかったです。

    メインは豚肉のローストでとても美味しかったのですが、さすがに量が少なかったです。

  • 娘さんの息子はグラタンをぺろりと食べていました。これも美味しそうです。

    娘さんの息子はグラタンをぺろりと食べていました。これも美味しそうです。

  • 妻のメインはホタテの上にコーンを乗せたものでこれも美味しそうでした。

    妻のメインはホタテの上にコーンを乗せたものでこれも美味しそうでした。

  • プラス900円とかで違うメインを選ぶことが出来ました。これは友人の変更したメインです。こっちにすればよかったかなぁ。

    プラス900円とかで違うメインを選ぶことが出来ました。これは友人の変更したメインです。こっちにすればよかったかなぁ。

  • 妻のデザートはクリスピーなビスケットのようなものの上にアイスとクリーム、その上にキャラメリーゼされたイチジクが乗っています。

    妻のデザートはクリスピーなビスケットのようなものの上にアイスとクリーム、その上にキャラメリーゼされたイチジクが乗っています。

  • カットしたパイナップルの乗ったおしゃれなデザートをいただきました。お昼は友人にご馳走になってしまったので、今回の旅の間に何かお返しをと考えます。

    カットしたパイナップルの乗ったおしゃれなデザートをいただきました。お昼は友人にご馳走になってしまったので、今回の旅の間に何かお返しをと考えます。

  • 食事の後はみんなで「天神橋筋商店街」をぶらぶら散歩しました。日本一長い商店街として知られ、全長は約2.6キロもあるそうです。大阪天満宮の門前町として発展し、今回初めてやってきました。

    食事の後はみんなで「天神橋筋商店街」をぶらぶら散歩しました。日本一長い商店街として知られ、全長は約2.6キロもあるそうです。大阪天満宮の門前町として発展し、今回初めてやってきました。

    天神橋筋商店街 名所・史跡

  • 「パルスピード」という衣料品店の店先にあったNIKE風のNEGIのTシャツとひっくり返ったワニのTASUKETEのTシャツを買ってしまいました。

    「パルスピード」という衣料品店の店先にあったNIKE風のNEGIのTシャツとひっくり返ったワニのTASUKETEのTシャツを買ってしまいました。

  • ここで友人家族とお別れして「天神橋筋商店街」散策を続けます。友人たちも夕方には港に戻ってダイヤモンド・プリンセスに乗り込まなければなりません。翌日は清水港に入港してお昼は「末廣鮨」を予約してあるそうです。我が家も12月の三井オーシャン富士のクルーズで「末廣鮨」に行く予定です。

    ここで友人家族とお別れして「天神橋筋商店街」散策を続けます。友人たちも夕方には港に戻ってダイヤモンド・プリンセスに乗り込まなければなりません。翌日は清水港に入港してお昼は「末廣鮨」を予約してあるそうです。我が家も12月の三井オーシャン富士のクルーズで「末廣鮨」に行く予定です。

  • 巨大な「大阪天満宮」の参道道の提灯がありました。せっかくここまで来たので「大阪天満宮」にも参拝することにします。

    巨大な「大阪天満宮」の参道道の提灯がありました。せっかくここまで来たので「大阪天満宮」にも参拝することにします。

  • 「大阪天満宮」へ来るのは初めてです。ここまで来て「大阪天神祭」はここの祭礼だったことに気が付きました。京都の祇園祭と東京の神田祭と共に日本三大祭りといわれる祭りは2005年に「心斎橋そごう」の仕事でひと夏大阪にいた際に借りていた松茶町のマンションでテレビで生中継を見たことがありました。

    「大阪天満宮」へ来るのは初めてです。ここまで来て「大阪天神祭」はここの祭礼だったことに気が付きました。京都の祇園祭と東京の神田祭と共に日本三大祭りといわれる祭りは2005年に「心斎橋そごう」の仕事でひと夏大阪にいた際に借りていた松茶町のマンションでテレビで生中継を見たことがありました。

    大阪天満宮 寺・神社・教会

  • マンションの裏手には松屋町の高速が走り、その下が運河に走っていました。その運河を船渡御(ふなとぎょ)に向かう提灯を吊った船が通るのが見えました。いつかちゃんと見てみたいと思う祭りの1つではあります。

    マンションの裏手には松屋町の高速が走り、その下が運河に走っていました。その運河を船渡御(ふなとぎょ)に向かう提灯を吊った船が通るのが見えました。いつかちゃんと見てみたいと思う祭りの1つではあります。

  • 「御本殿」は改修工事中で囲われていたのは残念でした。お参りした後に「表大門」の写真を撮りに行きます。頭上にあるのは「方位盤(十二支の方位盤)」です。この方位盤には十二支の文字と絵が描かれており、酉(とり)の場所には鶏ではなく鳳凰が描かれているのが特徴です。<br />

    「御本殿」は改修工事中で囲われていたのは残念でした。お参りした後に「表大門」の写真を撮りに行きます。頭上にあるのは「方位盤(十二支の方位盤)」です。この方位盤には十二支の文字と絵が描かれており、酉(とり)の場所には鶏ではなく鳳凰が描かれているのが特徴です。

  • これには御祭神である菅原道真公と鶏にまつわる、少し切ない歴史的な故事が由来しています。昌泰4年の901年に菅原道真は無実の罪によって京都から大宰府へと左遷されることになりました。その道中に道真は現在の大阪府藤井寺市にある道明寺に立ち寄り、叔母である覚寿尼(かくじゅに)との今生の別れを惜しんでいました。できるだけ長く一緒に過ごしたいと願っていた2人でしたが、夜明けを告げる「一番鶏」が鳴いたために出立の刻限を急かされ、泣く泣く引き裂かれるように旅立たねばならなくなってしまったのです。

    これには御祭神である菅原道真公と鶏にまつわる、少し切ない歴史的な故事が由来しています。昌泰4年の901年に菅原道真は無実の罪によって京都から大宰府へと左遷されることになりました。その道中に道真は現在の大阪府藤井寺市にある道明寺に立ち寄り、叔母である覚寿尼(かくじゅに)との今生の別れを惜しんでいました。できるだけ長く一緒に過ごしたいと願っていた2人でしたが、夜明けを告げる「一番鶏」が鳴いたために出立の刻限を急かされ、泣く泣く引き裂かれるように旅立たねばならなくなってしまったのです。

  • このとき道真は鶏の鳴き声を無念に思い、次のような和歌を詠みました。「鳴けばこそ 別れも憂けれ 鶏の音の 聞こえぬ里の 暁もがな」(鶏が鳴くからこそ、このように別れが辛く急かされてしまうのだ。鶏の鳴き声が全く聞こえない里の夜明けであったなら、どれほど良かっただろうか)<br />天満宮における「鶏の忌避」この故事から天満宮(天神信仰)において鶏は「道真を悲しませた鳥」「別れを急かす嫌な鳥」とされ、忌み嫌われるようになりました。そのため大阪天満宮では道真への配慮と敬意から、方位盤の「酉」に鶏を使うのを避け、「鳳凰」へと差し替えたと伝えらます。

    このとき道真は鶏の鳴き声を無念に思い、次のような和歌を詠みました。「鳴けばこそ 別れも憂けれ 鶏の音の 聞こえぬ里の 暁もがな」(鶏が鳴くからこそ、このように別れが辛く急かされてしまうのだ。鶏の鳴き声が全く聞こえない里の夜明けであったなら、どれほど良かっただろうか)
    天満宮における「鶏の忌避」この故事から天満宮(天神信仰)において鶏は「道真を悲しませた鳥」「別れを急かす嫌な鳥」とされ、忌み嫌われるようになりました。そのため大阪天満宮では道真への配慮と敬意から、方位盤の「酉」に鶏を使うのを避け、「鳳凰」へと差し替えたと伝えらます。

  • 面白かったのが「菅家廊下(かんかろうか)」で、菅原道真の生涯を太宰府に因んで博多人形で15の場面で紹介しています。これは昭和30年の1955年に太宰府天満宮から贈られたものだそうです。<br />1)初めての漢詩<br />菅公は幼いころから学問に励まれ、斉衡2年の855年の11歳の時、島田忠臣の指導を受けて「月夜見梅花(月夜に梅花を見る)」という漢詩を詠みました。<br />この詩は菅公の詩集「菅家文草」の巻頭に収載されています。<br />「可憐金鏡転庭上玉房馨(月の耀きは晴れた日の雪のよう。梅花は照り輝く星に似ている。すばらしい! 金鏡のような月が転じて、庭では玉のような梅花が香っている。)」

    面白かったのが「菅家廊下(かんかろうか)」で、菅原道真の生涯を太宰府に因んで博多人形で15の場面で紹介しています。これは昭和30年の1955年に太宰府天満宮から贈られたものだそうです。
    1)初めての漢詩
    菅公は幼いころから学問に励まれ、斉衡2年の855年の11歳の時、島田忠臣の指導を受けて「月夜見梅花(月夜に梅花を見る)」という漢詩を詠みました。
    この詩は菅公の詩集「菅家文草」の巻頭に収載されています。
    「可憐金鏡転庭上玉房馨(月の耀きは晴れた日の雪のよう。梅花は照り輝く星に似ている。すばらしい! 金鏡のような月が転じて、庭では玉のような梅花が香っている。)」

  • 2)母君の願い<br />菅公の母は幼少の菅公が病弱だったことを心配し、 観音堂に日参しその健康を祈願しました。貞観元年の859年に菅公が15歳で元服したときには、「久方の月の桂も折るばかり 家の風をも吹かせてしがな」と詠みました。「月の桂も折る」とは科挙(官吏登用試験)に合格するという意味です。母は「(元服したのですから、 これからは)試験に合格できるように才能を伸ばして、菅原家の名を高めてください」と願いました。

    2)母君の願い
    菅公の母は幼少の菅公が病弱だったことを心配し、 観音堂に日参しその健康を祈願しました。貞観元年の859年に菅公が15歳で元服したときには、「久方の月の桂も折るばかり 家の風をも吹かせてしがな」と詠みました。「月の桂も折る」とは科挙(官吏登用試験)に合格するという意味です。母は「(元服したのですから、 これからは)試験に合格できるように才能を伸ばして、菅原家の名を高めてください」と願いました。

  • 3)百発百中の弓射<br />貞観12年の870年の春、菅公が師の都良香邸を訪ねると、弟子たちが弓で遊んでいました。弟子たちは菅公は学問には熱心だが、武芸は苦手に違いないと考えて、菅公にも弓射を求めたところ、百発百中の腕を示しました。弟子たちは菅公が学問だけではなく武芸にも優れていることに驚き、師の良香も「射策が鵠にあたる兆候だ」と喜んだと言います。「射策」は官吏登用試験のこと、「鵠」は矢の的の中心のことで、「射策が鵠にあたる」とは試験に合格することを意味します。この後、菅公は数々の試験に合格されて栄達を重ねていきます。

    3)百発百中の弓射
    貞観12年の870年の春、菅公が師の都良香邸を訪ねると、弟子たちが弓で遊んでいました。弟子たちは菅公は学問には熱心だが、武芸は苦手に違いないと考えて、菅公にも弓射を求めたところ、百発百中の腕を示しました。弟子たちは菅公が学問だけではなく武芸にも優れていることに驚き、師の良香も「射策が鵠にあたる兆候だ」と喜んだと言います。「射策」は官吏登用試験のこと、「鵠」は矢の的の中心のことで、「射策が鵠にあたる」とは試験に合格することを意味します。この後、菅公は数々の試験に合格されて栄達を重ねていきます。

  • 4)渤海使の接待<br />菅公の外交上の事績として寛平6年の894年に遣唐使の中止を建言したことは有名ですが、ほかにも渤海国との外交などにも尽力されました。貞観14年の872年には渤海使節の接待役「存問渤海客使」となりましたが、母喪のため辞任します。元慶6年の882年には平安京の鴻臚館で渤海大使・裴頭と漢詩を贈答し、寛平6年の894年に装頭と再会を喜びました。贈答した漢詩は菅公の詩集「菅家文草」に収載されています。<br /><br />※渤海国は、7世紀末から10世紀にかけて、中国東北部・朝鮮半島北部・ロシア日本海沿岸にあった国。

    4)渤海使の接待
    菅公の外交上の事績として寛平6年の894年に遣唐使の中止を建言したことは有名ですが、ほかにも渤海国との外交などにも尽力されました。貞観14年の872年には渤海使節の接待役「存問渤海客使」となりましたが、母喪のため辞任します。元慶6年の882年には平安京の鴻臚館で渤海大使・裴頭と漢詩を贈答し、寛平6年の894年に装頭と再会を喜びました。贈答した漢詩は菅公の詩集「菅家文草」に収載されています。

    ※渤海国は、7世紀末から10世紀にかけて、中国東北部・朝鮮半島北部・ロシア日本海沿岸にあった国。

  • 5)讃岐守としての善政<br />仁和2年の896年から寛平2年の890年の4年間、管公は讃岐守として讃岐国に赴任され、「路遇白頭翁(路に白頭に適う)」という漢詩を詠んでいます。この詩では98歳の白頭軸(白髪の老人)の言葉を借りて、讃岐介だった安倍奥行が国内を巡察して賑恤を施したことや、讃岐権守だった藤原保則が巡視に出かけなく情報を集めて治績をあげたことなどを褒め、菅公自身は2人の真似はできなくとも、それに負けない善政を心掛けることを詠みました。

    5)讃岐守としての善政
    仁和2年の896年から寛平2年の890年の4年間、管公は讃岐守として讃岐国に赴任され、「路遇白頭翁(路に白頭に適う)」という漢詩を詠んでいます。この詩では98歳の白頭軸(白髪の老人)の言葉を借りて、讃岐介だった安倍奥行が国内を巡察して賑恤を施したことや、讃岐権守だった藤原保則が巡視に出かけなく情報を集めて治績をあげたことなどを褒め、菅公自身は2人の真似はできなくとも、それに負けない善政を心掛けることを詠みました。

  • 6)城山で降雨祈願<br />菅公の赴任地であった讃岐国は弘法大師(空海)が灌漑用の「満濃池」を改修したことでも知られるように、古くから用水が不足気味の国柄でした。菅公赴任中の仁和4年の888年にも大旱魃が起こり農民たちを苦しませると、菅公は城山(香川県坂出市)に登って降雨祈願を行われました。すると七日七夜の満願の日に一天にわかにかき曇り、三日三晩にかけて大雨が降り続いて豊作になったと伝えられます。

    6)城山で降雨祈願
    菅公の赴任地であった讃岐国は弘法大師(空海)が灌漑用の「満濃池」を改修したことでも知られるように、古くから用水が不足気味の国柄でした。菅公赴任中の仁和4年の888年にも大旱魃が起こり農民たちを苦しませると、菅公は城山(香川県坂出市)に登って降雨祈願を行われました。すると七日七夜の満願の日に一天にわかにかき曇り、三日三晩にかけて大雨が降り続いて豊作になったと伝えられます。

  • 博多人形でここまで迫力のあるジオラマを制作した博多人形の第一人者の小島与一なる人物の技は見事だと思いました。これまで持っていた博多人形のイメージとは全く違うあるな造りに魅了されました。

    博多人形でここまで迫力のあるジオラマを制作した博多人形の第一人者の小島与一なる人物の技は見事だと思いました。これまで持っていた博多人形のイメージとは全く違うあるな造りに魅了されました。

  • 7)手向山八幡宮の参拝<br />昌泰元年の898年10月に宇多上皇の奈良行車に御供した管公は、現在の奈良市にある手向肉山八幡宮に参拝され、のちに「百人一首」にも収められた「この度は夢も取り敢へず 手向山 紅葉の錦 神のまにまに」と詠みました。幣とは色とりどりの木綿や絹や紙を小片に切って幣袋に入れ、神前で撒き散らす捧げ物をいいます。歌意は「このたびは急ぎで旅立ったので、 幣も持たずに参ってしまいました。代わりに手向山の紅葉の錦を捧げますので、神の御心のままにお受けください」ということです。

    7)手向山八幡宮の参拝
    昌泰元年の898年10月に宇多上皇の奈良行車に御供した管公は、現在の奈良市にある手向肉山八幡宮に参拝され、のちに「百人一首」にも収められた「この度は夢も取り敢へず 手向山 紅葉の錦 神のまにまに」と詠みました。幣とは色とりどりの木綿や絹や紙を小片に切って幣袋に入れ、神前で撒き散らす捧げ物をいいます。歌意は「このたびは急ぎで旅立ったので、 幣も持たずに参ってしまいました。代わりに手向山の紅葉の錦を捧げますので、神の御心のままにお受けください」ということです。

  • 8)「秋思」の詩篇<br />昌泰3年の900年9月10日、菅公は御所の清涼殿で開かれた重陽翌日の宴において、醍醐天皇から賜った「秋思」の詩題で作詩されました。 その詩意は「右大臣に就いてからの1年半余の歳月は秋の物悲しさのような気持ちでおります。なぜならまだ16歳の天皇に比べて56歳の私は年老いてしまい、その御恩に充分にお応えするのが難しくなっているからです。これからは、唐の詩人・白居易をまねて、酒を飲み、琴を聴き、作詩に励もうと思います」。 菅公はこの詩に感心された天皇から、御衣(天皇の御召物)を賜りました。

    8)「秋思」の詩篇
    昌泰3年の900年9月10日、菅公は御所の清涼殿で開かれた重陽翌日の宴において、醍醐天皇から賜った「秋思」の詩題で作詩されました。 その詩意は「右大臣に就いてからの1年半余の歳月は秋の物悲しさのような気持ちでおります。なぜならまだ16歳の天皇に比べて56歳の私は年老いてしまい、その御恩に充分にお応えするのが難しくなっているからです。これからは、唐の詩人・白居易をまねて、酒を飲み、琴を聴き、作詩に励もうと思います」。 菅公はこの詩に感心された天皇から、御衣(天皇の御召物)を賜りました。

  • 9)紅梅殿の別れ<br />昌泰4年の901年正月25日、菅公は大宰権帥への左遷を命じられ、自邸の紅梅殿を去るにあたって次の歌を詠みました。<br />「東風吹かば 匂ひおこせよ 梅の花 あるじなしとて春を忘るな」<br />歌意は「東風が吹いたら、風に託して太宰府まで香りを届けてほしい、 梅の花よ。主人(私)がいなくなっても、春を忘れるなよ」と、都に残す家族への想いを梅に託されたものです。

    9)紅梅殿の別れ
    昌泰4年の901年正月25日、菅公は大宰権帥への左遷を命じられ、自邸の紅梅殿を去るにあたって次の歌を詠みました。
    「東風吹かば 匂ひおこせよ 梅の花 あるじなしとて春を忘るな」
    歌意は「東風が吹いたら、風に託して太宰府まで香りを届けてほしい、 梅の花よ。主人(私)がいなくなっても、春を忘れるなよ」と、都に残す家族への想いを梅に託されたものです。

  • 10)道明寺の別れ<br />昌泰4年2月3日、菅公は太宰府へ向かう途次に道明寺(藤井寺市) に立ち寄り、おばの覚寿尼を訪ねました。しかし、思いのほか早く鳴いた一番鶏によって早朝の出立を余儀なくされたため、別れを惜しまれながら出立します。このとき次の歌を詠みました。<br />「鳴けばこそ 別れも受けれ 鶏の音の なからん里の晩もかな」<br />歌意は「鶏が鳴いたから出立しなければならない。鶏のいない里はないものだろうか」。この意を受けて天満宮ゆかりの各地には「鶏を飼わない」という伝承が残っています。

    10)道明寺の別れ
    昌泰4年2月3日、菅公は太宰府へ向かう途次に道明寺(藤井寺市) に立ち寄り、おばの覚寿尼を訪ねました。しかし、思いのほか早く鳴いた一番鶏によって早朝の出立を余儀なくされたため、別れを惜しまれながら出立します。このとき次の歌を詠みました。
    「鳴けばこそ 別れも受けれ 鶏の音の なからん里の晩もかな」
    歌意は「鶏が鳴いたから出立しなければならない。鶏のいない里はないものだろうか」。この意を受けて天満宮ゆかりの各地には「鶏を飼わない」という伝承が残っています。

  • 11)大将軍社に参拝<br />道明寺を出立された菅公は難波之碕(なにわのみさき)に向かい、太宰府への船待ちの間に大将軍社に参拝しました。大将軍の神は西方を司る方位神であり、菅公は太宰府への西路の安全を祈願しました。<br />のちの天暦3年の949年に大将軍社の前に一夜にして7本の松が生え、夜な夜な光輝きました。時の村上天皇はこれを菅公にゆかりの奇瑞として、この地に当宮を創祀しました。大将軍社は大阪天満宮の境内摂社として今も祀られています。

    11)大将軍社に参拝
    道明寺を出立された菅公は難波之碕(なにわのみさき)に向かい、太宰府への船待ちの間に大将軍社に参拝しました。大将軍の神は西方を司る方位神であり、菅公は太宰府への西路の安全を祈願しました。
    のちの天暦3年の949年に大将軍社の前に一夜にして7本の松が生え、夜な夜な光輝きました。時の村上天皇はこれを菅公にゆかりの奇瑞として、この地に当宮を創祀しました。大将軍社は大阪天満宮の境内摂社として今も祀られています。

  • 12)恩賜の御衣<br />太宰府における管公はひたすら違慎の日を過ごされました。昌泰4年の901)年9月10日の夜には前年の同月同日に天皇から賜った御衣(おんぞ)を捧げて、下記の歌を詠まれています。<br />去年今夜侍清涼 秋思詩篇独断腸<br />恩賜御衣今在此 捧持毎日拝余香<br />詩意は「去年の今夜の清涼殿での作詩を考えると断腸の思いです。 恩賜の御衣は、今もここにあり、毎日捧げて残り香を拝しています」

    12)恩賜の御衣
    太宰府における管公はひたすら違慎の日を過ごされました。昌泰4年の901)年9月10日の夜には前年の同月同日に天皇から賜った御衣(おんぞ)を捧げて、下記の歌を詠まれています。
    去年今夜侍清涼 秋思詩篇独断腸
    恩賜御衣今在此 捧持毎日拝余香
    詩意は「去年の今夜の清涼殿での作詩を考えると断腸の思いです。 恩賜の御衣は、今もここにあり、毎日捧げて残り香を拝しています」

  • 13)太宰府天満宮<br />延喜3年の903年2月25日、菅公は大宰府政庁の南館において59歳で薨去されました。轎車(枢を運ぶ牛車)で遺骸を運ぶ途中の安楽寺の門前で曳いていた牛が臥せて動かなくなったので、これは菅公の遺志によるものと考え、同寺境内に埋葬されました。延喜5年の905年にはその墓所の上に祀廟が創建されました。そして延喜19年の919年には勅命により社殿が建立されて安楽寺天満宮となりました。これが現在の太宰府天満宮です。各地の天満宮境内にみられる臥牛像はこの故事を踏まえた牛の姿です。

    13)太宰府天満宮
    延喜3年の903年2月25日、菅公は大宰府政庁の南館において59歳で薨去されました。轎車(枢を運ぶ牛車)で遺骸を運ぶ途中の安楽寺の門前で曳いていた牛が臥せて動かなくなったので、これは菅公の遺志によるものと考え、同寺境内に埋葬されました。延喜5年の905年にはその墓所の上に祀廟が創建されました。そして延喜19年の919年には勅命により社殿が建立されて安楽寺天満宮となりました。これが現在の太宰府天満宮です。各地の天満宮境内にみられる臥牛像はこの故事を踏まえた牛の姿です。

  • 2014年に妻と母と3人で九州を周遊した際に太宰府にも立ち寄りました。母が行きたがっていたところには九州、四国、沖縄、佐渡島と一緒に旅しておいて良かったと思います。

    2014年に妻と母と3人で九州を周遊した際に太宰府にも立ち寄りました。母が行きたがっていたところには九州、四国、沖縄、佐渡島と一緒に旅しておいて良かったと思います。

  • 14)大宰府の政庁<br />大宰府は律令時代に九州や壱岐・対馬を管轄する一方、防衛と外交を司った政庁で、その長官にあたるのが大宰帥、副長官が大宰権帥でした。菅公はこの大宰権帥に任ぜられたのですが、正確には貴族を左遷するときの閑職である大宰員外帥だったので政務に預かることはありませんでした。そのため左遷先の住居の謫居(たっきょ)で詠まれた漢詩には「外出することもなく、屋内からわずかに見える大宰府政庁の瓦の色を眺め、観音寺の鐘の音を聞くばかりだ」という淋しい一節があります。

    14)大宰府の政庁
    大宰府は律令時代に九州や壱岐・対馬を管轄する一方、防衛と外交を司った政庁で、その長官にあたるのが大宰帥、副長官が大宰権帥でした。菅公はこの大宰権帥に任ぜられたのですが、正確には貴族を左遷するときの閑職である大宰員外帥だったので政務に預かることはありませんでした。そのため左遷先の住居の謫居(たっきょ)で詠まれた漢詩には「外出することもなく、屋内からわずかに見える大宰府政庁の瓦の色を眺め、観音寺の鐘の音を聞くばかりだ」という淋しい一節があります。

  • 15)天神祭<br />天暦3年の949年に七本松の奇瑞により大阪天満宮が創祀されると、その翌々年には鉢流神事が始められました。社頭の浜から神鉢を流し、その漂着地に天神様が渡御されます。これが天神祭の始まりでした。その後の地域の発展に伴って、天神祭も盛大になり、江戸時代には 日本三大祭の1つと称せられました。その頃の天神祭は菅公の誕生日である6月25日に行われていましたが、明治に旧暦から新暦に変更されてからは7月25日に斎行しています。

    15)天神祭
    天暦3年の949年に七本松の奇瑞により大阪天満宮が創祀されると、その翌々年には鉢流神事が始められました。社頭の浜から神鉢を流し、その漂着地に天神様が渡御されます。これが天神祭の始まりでした。その後の地域の発展に伴って、天神祭も盛大になり、江戸時代には 日本三大祭の1つと称せられました。その頃の天神祭は菅公の誕生日である6月25日に行われていましたが、明治に旧暦から新暦に変更されてからは7月25日に斎行しています。

  • 大阪ではまだ万博フィーバーは続いているのでしょうか。この後はタクシーに乗り込んで中之島の「リーガロイヤルホテル大阪 ヴィニェット コレクション」に移動し、そこから怒涛の旅が始まりまあす。

    大阪ではまだ万博フィーバーは続いているのでしょうか。この後はタクシーに乗り込んで中之島の「リーガロイヤルホテル大阪 ヴィニェット コレクション」に移動し、そこから怒涛の旅が始まりまあす。

2いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

この旅行で行ったスポット

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

タグから国内旅行記(ブログ)を探す

この旅行記の地図

拡大する

PAGE TOP